その青じろいあかりが「つめくさのあかし」と呼ばれるつめくさの花のモチーフは「『ポラーノの広場』という作品の中で唯一の童話的要素である。「レオーノキュースト誌/宮沢賢治訳述」と冒頭に記される『ポラーノの広場』は、レオーノキューストの自分史ともいうべき小説である。この小説の中で、キューストたち三人を夜のポラーノの広場に導くかのように、野原一面に咲くつめくさの花は、何を寓意するのだろうか。
つめくさの花の一つ一つに番号が記されていて、それを五千までたどればポラーノの広場に行くことができるという。作品中に、「レオーノ(獅子)」「山羊」「山猫」「御者(別当)」と星座の名前が用いられていることから、つめくさの花の番号は、天文学で使われる星の番号すなわちNGCという四桁の数字ではないかという仮説があるそうである。それでは、つめくさは、地に咲く星だろうか。
つめくさの花が地に咲く星であるというイメージは非常に美しい。美しすぎるほどだが、賢治はつめくさの花を「この世を照らすひかり」としてモチーフにしただけなのだろうか。ここでまた、独断と偏見と妄想にかられる私は、つめくさ(正確にはシロツメクサ)とキリスト教のつながりについて考えてみたい。
五世紀アイルランドにキリスト教を布教した聖パトリックという人がいる。四世紀の後半ウェールズのケルト人(ローマ人とも)のクリスチャンの家に生まれたが、十六歳のとき海賊にさらわれ、アイルランドに奴隷として売られる。六年間羊飼いとして働いた後神の召命を聞き、牧場を脱走して、およそ三百キロを歩いてウェールズに戻ったが、神学を学ぶためヨーロッパに渡る。七年間、神学を学んだ後帰国し、家族の反対を押し切って四三二年再びアイルランドを訪れてキリスト教の伝道をする。ドルイド教を信じていたアイルランド人十二万人を改宗させ、三六五の教会をたて、多くの讃美歌を作ったともいわれている。
賢治が聖パトリックの生涯を知っていたという証拠はないのだが、知らなかったという証拠もない。博覧強記の賢治のことだから、知っていた可能性はあると思う。さらわれて奴隷となり、羊飼いをして六年間働き、その後召命を聞き脱走して聖職者の道に進む。その生涯の流れが『ポラーノの広場』のファゼーロ、ミーロのそれと重なってくるように思われる。
もうひとつ、こちらのほうが重要かもしれないが、聖パトリックが伝道のとき、いつも手にしていたのが「シャムロック」という三つ葉のクローバーなのである。聖パトリックがシャムロック_三つ葉のクローバーを手にしていたのは、「父と子と聖霊」の三位一体を説明するため、といわれる。あるいは「信仰、希望、愛」とも。
シャムロック_つめくさはキリスト教の信仰、あるいはキリストそのものの象徴である。賢治がこのことを知っていてつめくさを『ポラーノの広場』の重要なモチーフにした、というのはそんなに無謀な仮説ではないと思う。だが、「ポラーノの広場」とつめくさの花の関係は、実は微妙で複雑なものがある。
キューストたちがポラーノの広場を見つけ出したのは、つめくさの花の番号をたどって行ったからではない。山猫博士の馬車別当に「這いつくばって花の数を数えて行くようなそんなポラーノの広場はねえよ」と嘲われたが、ファゼーロとミーロは広場の物音を頼りに探しあてたのである。
つめくさの花は、キューストたち一行がポラーノの広場に着くまで夜の野原を照らす。広場で開かれていた酒宴の場でも「つめくさの花の咲く晩に」「つめくさの花のかおる夜は」と歌の主題となって歌われる。つめくさの花の咲きほこるときポラーノの広場の宴も最高潮だった。楽隊の音楽と人々のどよめき、いろいろな花の匂いと混ざったお酒の匂い、山猫博士の不思議な酔態・・・雑多な、だが活気にみちた夜の気配が描写され、キューストとファゼーロが家路につくときも、つめくさのあかりは二人を照らしていた。
だが、それから二月余りが経って、姿をくらましていたファゼーロと出張から戻ってきたキューストが再会し、二人が山猫博士が置き去りにした工場に向かう晩には、もうつめくさの花は枯れて葉も縮んでしまっていた。ファゼーロ、ミーロそれにファゼーロの姉のロザーロや村の老人たちも一緒になって、ハムを作ったり、革をなめしたり、後に産業組合となる組織の萌芽がこの工場で芽生えるのだが、このときつめ草の花はその役割を果たしたかのように萎れていく。
「そこへ夜行って歌えば、またそこで風を吸えばもう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢いがよくて面白いようなそういうポラーノの広場をぼくらはみんなでこさえよう。」とファゼーロは言って広場の開場式をするのだが、そこでは「つめくさの花の終わる夜は」「つめくさの花のしぼむ夜は」と、つめくさの花の終焉が歌われるのである。
そして、風がやって来る。キューストのきもののすきまから吹き込む冷たい風。ファゼーロの言葉を途中でかき消す風。開場式でみんなが飲むコップの水を波立たせる風。キューストに別れを告げるファゼーロの言葉やみんなの叫ぶ声もかき消す風。
賢治はつめくさの花に何を象徴させたかったのだろう。『ポラーノの広場』の主人公はレオーノ・キューストでも、ファゼーロでもなくつめ草の花なのではないかと思われてくる。あるいは、晦渋にみちて自己処罰的に描かれたレオーノキューストの分身_純潔で貞節な信仰の象徴としての_がつめ草の花である、とも。
ようやく『ポラーノの広場』とつめ草の花についてのささやかな考察に一区切りがつきました。この後、レオーノキューストについてもう少し書いてみたいと思っていますが、まだ時間がかかりそうです。今日も最後までつきあってくださってありがとうございました。
つめくさの花の一つ一つに番号が記されていて、それを五千までたどればポラーノの広場に行くことができるという。作品中に、「レオーノ(獅子)」「山羊」「山猫」「御者(別当)」と星座の名前が用いられていることから、つめくさの花の番号は、天文学で使われる星の番号すなわちNGCという四桁の数字ではないかという仮説があるそうである。それでは、つめくさは、地に咲く星だろうか。
つめくさの花が地に咲く星であるというイメージは非常に美しい。美しすぎるほどだが、賢治はつめくさの花を「この世を照らすひかり」としてモチーフにしただけなのだろうか。ここでまた、独断と偏見と妄想にかられる私は、つめくさ(正確にはシロツメクサ)とキリスト教のつながりについて考えてみたい。
五世紀アイルランドにキリスト教を布教した聖パトリックという人がいる。四世紀の後半ウェールズのケルト人(ローマ人とも)のクリスチャンの家に生まれたが、十六歳のとき海賊にさらわれ、アイルランドに奴隷として売られる。六年間羊飼いとして働いた後神の召命を聞き、牧場を脱走して、およそ三百キロを歩いてウェールズに戻ったが、神学を学ぶためヨーロッパに渡る。七年間、神学を学んだ後帰国し、家族の反対を押し切って四三二年再びアイルランドを訪れてキリスト教の伝道をする。ドルイド教を信じていたアイルランド人十二万人を改宗させ、三六五の教会をたて、多くの讃美歌を作ったともいわれている。
賢治が聖パトリックの生涯を知っていたという証拠はないのだが、知らなかったという証拠もない。博覧強記の賢治のことだから、知っていた可能性はあると思う。さらわれて奴隷となり、羊飼いをして六年間働き、その後召命を聞き脱走して聖職者の道に進む。その生涯の流れが『ポラーノの広場』のファゼーロ、ミーロのそれと重なってくるように思われる。
もうひとつ、こちらのほうが重要かもしれないが、聖パトリックが伝道のとき、いつも手にしていたのが「シャムロック」という三つ葉のクローバーなのである。聖パトリックがシャムロック_三つ葉のクローバーを手にしていたのは、「父と子と聖霊」の三位一体を説明するため、といわれる。あるいは「信仰、希望、愛」とも。
シャムロック_つめくさはキリスト教の信仰、あるいはキリストそのものの象徴である。賢治がこのことを知っていてつめくさを『ポラーノの広場』の重要なモチーフにした、というのはそんなに無謀な仮説ではないと思う。だが、「ポラーノの広場」とつめくさの花の関係は、実は微妙で複雑なものがある。
キューストたちがポラーノの広場を見つけ出したのは、つめくさの花の番号をたどって行ったからではない。山猫博士の馬車別当に「這いつくばって花の数を数えて行くようなそんなポラーノの広場はねえよ」と嘲われたが、ファゼーロとミーロは広場の物音を頼りに探しあてたのである。
つめくさの花は、キューストたち一行がポラーノの広場に着くまで夜の野原を照らす。広場で開かれていた酒宴の場でも「つめくさの花の咲く晩に」「つめくさの花のかおる夜は」と歌の主題となって歌われる。つめくさの花の咲きほこるときポラーノの広場の宴も最高潮だった。楽隊の音楽と人々のどよめき、いろいろな花の匂いと混ざったお酒の匂い、山猫博士の不思議な酔態・・・雑多な、だが活気にみちた夜の気配が描写され、キューストとファゼーロが家路につくときも、つめくさのあかりは二人を照らしていた。
だが、それから二月余りが経って、姿をくらましていたファゼーロと出張から戻ってきたキューストが再会し、二人が山猫博士が置き去りにした工場に向かう晩には、もうつめくさの花は枯れて葉も縮んでしまっていた。ファゼーロ、ミーロそれにファゼーロの姉のロザーロや村の老人たちも一緒になって、ハムを作ったり、革をなめしたり、後に産業組合となる組織の萌芽がこの工場で芽生えるのだが、このときつめ草の花はその役割を果たしたかのように萎れていく。
「そこへ夜行って歌えば、またそこで風を吸えばもう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢いがよくて面白いようなそういうポラーノの広場をぼくらはみんなでこさえよう。」とファゼーロは言って広場の開場式をするのだが、そこでは「つめくさの花の終わる夜は」「つめくさの花のしぼむ夜は」と、つめくさの花の終焉が歌われるのである。
そして、風がやって来る。キューストのきもののすきまから吹き込む冷たい風。ファゼーロの言葉を途中でかき消す風。開場式でみんなが飲むコップの水を波立たせる風。キューストに別れを告げるファゼーロの言葉やみんなの叫ぶ声もかき消す風。
賢治はつめくさの花に何を象徴させたかったのだろう。『ポラーノの広場』の主人公はレオーノ・キューストでも、ファゼーロでもなくつめ草の花なのではないかと思われてくる。あるいは、晦渋にみちて自己処罰的に描かれたレオーノキューストの分身_純潔で貞節な信仰の象徴としての_がつめ草の花である、とも。
ようやく『ポラーノの広場』とつめ草の花についてのささやかな考察に一区切りがつきました。この後、レオーノキューストについてもう少し書いてみたいと思っていますが、まだ時間がかかりそうです。今日も最後までつきあってくださってありがとうございました。