異様な作品である。賢治の死後に原稿が発見されたそうで、作品の冒頭部分が欠落している。『フランドン農学校』で飼育されている豚が屠られるまでの数日間を、豚の内面に入って描いた小説である。「童話」というにはあまりにも残酷で、「寓話」と呼ぶには描写がリアル過ぎる。
この豚は人間の言葉を理解し、話す。当然に、人間と同じ感情をもつ。同時に豚なので、金石でなければ、あたえられるものは何でもたべて上等な脂肪や肉にする。触媒として、白金と同じだ、といわれてよろこぶ。豚は白金の値も知っていて、自分の目方もわかっているので、素早く自分の値打ちを計算して幸福感にひたったりする。
豚の運命が暗転していくのは、あたえられた餌のなかに歯磨楊枝が混じっていたときからである。ここまでは三人称の叙述だったのだが、ここで突如として語り手が語り始める。少し長いがその部分を引用したい。
それから二三日たって、そのフランドンの豚は、どさりと上から落ちて来た一かたまりのたべ物から、(大学生諸君、意志を鞏固にもち給え。いいかな。)たべ物の中から、一寸細長い白いもので、さきにみじかい毛を植えた、ごく率直に云うならば、ラクダ印の歯磨楊枝、それを見たのだ。どうもいやな説教で、折角洗礼を受けた、大学生諸君にすまないが少しこらえてくれ給え。
つまり、この作品は語り手(誰かわからないが)が、複数の大学生に向かって語っているのである。しかも、その「大学生諸君」は「折角洗礼を受けた」とあるので、キリスト教の学生なのだ。
飼育が進んでいく豚を怜悧な目で観察していくのは畜産学校の教師である。教師と助手は毎日豚の様子を見に来るが、豚と言葉を交わすことはない。直覚で豚は彼らの冷酷さを感じて恐怖する。豚と言葉を交わしコミュニケーションをとるのは、農学校の校長だけである。
校長は豚から「死亡承諾書」を取るためにやってくる。その国の王が前月「家畜撲殺調印法」という法律を布告したので、家畜を殺すものはその家畜から「死亡承諾書」を取って判を押させることになったからである。ところが、校長は豚に「死亡承諾書」のことを切り出せなかった。気分がふさぐという豚とにらみ合ったままで、しばらく立っていたが、「とにかくよくやすんでおいで。あんまり動きまわらんでね。」という言葉を残して行ってしまう。
豚は「承諾書]という言葉を畜産学の教師と助手の会話から聞いてしまう。豚は「承諾書」という言葉に不安と恐怖を覚えて煩悶する。さらに寄宿舎の生徒がやって来て、屠った豚の料理の話をする。彼らが小屋を出て行った後に、校長が再びやって来る。そして、今回は飼育されたことのありがたさを豚に説いて、「死亡承諾書」に判を押させようとする。「死亡承諾書」にはこう書いてある。
死亡承諾書、私/儀永永御恩顧の次第に有候儘、御都合により、何時にても死亡/仕るべく候年月日フランドン畜舎内、ヨークシャイア、フランドン農学校長/殿
校長は「ほんの小さなたのみだが」というが、読めば恐ろしい事が書いてある。「いやです、いやです、そんならいやです。どうしてもいやです。」と、泣いて叫ぶ豚に、校長は「いやかい。それでは仕方がない。お前もあんまり恩知らずだ。犬/猫にさえ劣ったやつだ。」と怒って出て行ってしまう。校長はまたしてもしくじったのだ。
次の日また畜産の担任が助手を連れてやって来る。校長と違って畜産学の教師は冷酷な実務家だ。悲嘆にくれてやせ衰えた豚を運動させて腹を空かせようとする。教師は「む茶くちゃにたたいたり走らしたりしちゃいけないぞ」と指示するのだが、助手は丁寧な言葉使いでいたぶりながら、鞭をくれて豚に散歩させる。登場人物のなかで、この助手が最も残酷で嗜虐的な人間として描かれている。
三日経っても痩せる一方で回復しない豚を見て、畜産の教師は肥育器を使うことにする。豚を縛りつけて喉に管を通し、強制給餌をするのだ。縛りつける前に死亡承諾書に判
を押させなければならないので、あわてて校長がやって来る。今度ばかりは校長の剣幕におびえて、豚は承諾書に判を押してしまう。
それから豚は縛りつけられて喉に管を通され、胃の中まで餌を送り込まれる。七日間ひたすら餌を送りこまれて、息をするのも苦しいくらい太った豚は「もういいようだ。丁度いい。・・・丁度あしたがいいだろう」という教師の言葉を聞いて、自分があす死亡することを知る。それから助手と小使いがやって来る。助手に鞭打たれて体を洗われた豚は、小使いのもつブラシが豚の毛でできているのを見て、泣きわめく。
寒さと空腹と恐怖のなかで一夜を明かした豚は、また助手に鞭打たれ、畜舎から外に出され、殺される。「はあはあ頬をふくらませて、ぐたっぐたっと歩き出す」豚を鉄槌を持って殺したのは、畜産の教師である。生徒らにもう一度体を洗われた豚の喉を刺したのは助手だった。
作者みずから最後に「一体この物語は、あんまり哀れ過ぎるのだ。」と書かずにいられないほど、この作品は残酷である。みずからの死に何の意味も見いだせないばかりか、不安が恐怖へ、恐怖が絶望に変わって、絶望の中で、誰にも愛されず豚は殺されるのだ。なおかつ、殺された豚は、生徒たちが待っていたような晩餐の糧となったわけでもなさそうである。「からだを八つに分解されて、厩舎のうしろに積みあげられた。雪の中に一晩/
漬けられた。」とあるのだ。
ところで「フランドン農学校」とはどこにあるのだろう。フィクションなのだから、固有の地名にこだわる必要はないのかもしれないが、「フランドン」から「フランダース」_『フランダースの犬』を連想するのは突拍子もないことではないだろう。賢治の時代に日本に紹介されていたかどうかわからないのだが、『フランダースの犬』は一八七一年に書かれているので、その可能性がないとはいえないと思う。
『フランダースの犬』という小説は書かれたイギリスよりも日本で愛読されたようで、最後に、教会のルーベンスの絵の前で死ぬ少年と犬の話として有名である。月光の中で、キリストの十字架を描いたルーベンスの絵を見て死んでいく少年の姿に涙しながらも、ひとすじのカタルシスをもたらす「フランダースの犬」にくらべて、「フランドン農学校の豚」はあまりにも暗い。というか、『フランダースの犬』の宗教的法悦を真っ向否定するために『フランドン農学校の豚』は書かれたのではないかとさえ思われる。
前述の「折角洗礼を受けた、大学生諸君」に「どうもいやな説教ですまないが」という叙述から、この作品がキリスト教と深い関連があると推察するのは間違っていないと思う。十字架に掛けられるイエスの受難、それによる救済の福音と、無残に、無意味に死んでいく豚の絶望を対比させたかったのではないか。最後に作者はこう結ぶ。
さて大学生諸君、その晩空はよく晴れて、金牛宮もきらめき出し、二十四日の銀の角、つめたく光る弦月が、青じろい水銀のひかりを、そこらの雲にそそぎかけ、そのつめたい雪の中、戦場の墓地のように積みあげられた雪の底に、豚はきれいに洗われて、八きれになって埋まった。月はだまって過ぎて行く。夜はいよいよ冴えたのだ。
(「二十四日の銀の月」は十二月二十四日キリスト生誕の前夜である)
ことわっておくが、私は、賢治がキリスト教を否定したかったのだというつもりはない。ただ、徹底して無残な、孤独の死を描きたかったのだろうと思う。ここには『なめとこ山の熊』の予定調和もない。無常が、観念でなく実在しているだけだ。そして、一個の豚の無残な死を書き留めることによって、この世で誰にも愛されず絶望の果てに死んでいった豚への愛を語ったのだろうと思われる。もちろんそれが、何の救いになるわけでもないのだけれど。
「小津安二郎と日中戦争」について書くといいながら、また寄り道してしまいました。弁解になるのですが、それほど小津の映画は手ごわいのです。今日も不出来な読書ノートを読んでくださって、ありがとうございます。