告発者アサの告発は二つある。一つは、作家の「私」の書いてきた作品のウソについて。もう一つはギー兄さんの死の真相について。この二つは方法論と中身の問題で、つきつめれば、「ギー兄さんの死」__「塙吾良の死」の究明が目的だと思われる。
小説のウソと本当のことについて、『憂い顔の童子』冒頭で、大江健三郎は母親の言葉として、きわめて簡潔、明瞭に述べている。
・・・・・・小説はウソを書くものでしょう?ウソの世界を思い描くのでしょう。そうやないのですか?ホントウのことを書き記すのは、小説よりほかのものやと思いますが・・・・・・
……それではなぜ、本当にあったこと、あるものとまぎらわしいところを交ぜるのか、と御不審ですか?
それはウソに力をあたえるためでしょうが!・・・・・・・・・・・・・
倫理の問題がある、といわれますが、それこそは、私のような歳の者が、毎朝毎晩、考えておることですよ!いつ死んでもおかしゅうない歳になった者が、このまま死んでよいものか、と考えて・・・・・・そのうち気がついてみると、これまでさんざん書いてきたウソの山に埋もれそうになっておる、ということでしょうな!小説家もその歳になれば、このまま死んでよいものか、と考えるのでしょうな。
ウソの山のアリジゴクの穴から、これは本当のことやと、紙を一枚差し出して見せるのでしょうか?死ぬ歳になった小説家というものも、難儀なことですな!
なんだか大江健三郎の弁明、というかアリバイ作りの文章のようで、身も蓋もない、という感があるのだが、『晩年様式集』という作品はまさに「死ぬ歳になった小説家」が「ウソの山のアリジゴクの穴から、これは本当のことやと、差し出された一枚の紙」だろう。ホントウのことを書くのに、さらにウソを交ぜて、語りを複雑にしなければならなかったのだが。
アサの告発あるいは糾弾はまず、「『懐かしい年への手紙』は真実、書かれたのか、というものである。アサはこう言っている。
・・・死んだ(殺された?)ギー兄さんをこれ幸い、『懐かしい年の島」に送り込んでしまうと、少なくとも兄は自分の小説ではただの一度も、本当に心を込めて真実の手紙を書き送る事はしなかったと思う。
『懐かしい年への手紙』は一九八七年に出版されている。みずから造った人造湖「テン窪大池」に死体となって浮き上がったギー兄さんに呼びかけた小説の末尾の文章はこうなっている。
《ギー兄さんよ、その懐かしい年のなかの、いつまでも循環する時に生きるわれわれへ向けて、僕は幾通も幾通も、手紙を書く。この手紙に始まり、それがあなたのいなくなった現世で、僕が生の終わりまで書きつづけていくはずの、これからの仕事となろう。》
上に引用した文章とアサの糾弾の言葉が微妙に、だが確実にくいちがっていることに気がつくだろうか。『懐かしい年への手紙』の末尾では「いつまでも循環する時に生きるわれわれへむけて」手紙を書く、といっている。だが、アサは、たんに「兄は自分の小説ではただの一度も、本当に心を込めて、真実の手紙を書き送ることはしなかった」と非難しているだけだ。「誰に向けた」手紙かには触れていないのである。普通に読めば「「懐かしい年の島」に送り込まれた」ギー兄さんにむけたものだろう。些細な違いにみえるが、ここでも巧妙なすり替えが行われているように思われる。
そもそも「僕」が「われわれへ向けて」手紙を書く、とはどういうことを意味するのか?
アサの糾弾は「真実の」「手紙を書いたか」というところにとどまらない。アサは、ギー兄さんの死の真相について、より直截に具体的に言えば、「僕」がギー兄さんを殺したのではないか、という疑念をいだいているのだ。小説後半でアサは直接「僕」に問いただす。
ギー兄さんの遺児ギー・ジュニアが「僕」にロング・インタヴューをする、という設定で小説後半の「僕」への追及は始まる。その中心は『懐かしい年への手紙』の読み直しである。小説の前半では、ギー・ジュニアは「僕」の創作態度への疑問を提出している。『懐かしい年への手紙』でギー兄さんが試みた奇妙な自殺(未遂)と強姦について、共通のものが、二〇年前に書かれた『万延元年のフットボール』ですでに起こってしまったそれとして描かれている、というものである。それに対してはアサが「僕」の側に立って経緯を説明し、ギー・ジュニアはその説明を受け入れている。
余談だが、「胡瓜を肛門にさしこみ」「朱色の塗料で頭と顔を塗りつぶし」「首を吊る」という、およそ現実にはあり得ないスタイルでの自殺に大江健三郎はずっとこだわっている。『雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち』、『同時代ゲーム』にも、自殺ではないが登場人物が「胡瓜を肛門にさしこみ」「顔を赤く塗る」行為をする。強姦という行為に関しても同様なこだわりがあるようで、主人公は不必要かつ不自然な強姦を行って(敢えて)罪をかぶるのだ。作者は、これらの「ウソの山のアリジゴクから、」どのような「本当のこと」を差し出して見せようというのか?
ロング・インタヴューの主導権を握るのはアサである。ギー兄さんのことを理解するには「小説ではあるけれど」と断ったうえで「唯一の本」として『懐かしい年への手紙』をたどっていく。
土地に根差した新しい生活_根拠地の運動をすすめていたギー兄さんは、おりからの反・安保デモのさなか、かつて弟子だったKの身を案じて上京し、デモにまきこまれて大怪我をする。その混乱の中から彼を救い出した女性を連れて森のへりに帰ったギー兄さんは、彼女と演劇運動を始める。だが、結果として彼女を殺してしまう事態が起こる。殺人者となったギー兄さんは罪を償って十年間獄中で過ごす。監獄から出て、しばらく日本中を放浪した後、いまは作家となったKの家に現れる。
Kの留守中にやってきたギー兄さんは、Kの長編の草稿を読み、かつてKのテューターだった時と同じように批評を始める。批評というより批判と言ったほうがいいかもしれない。Kが「自己(セルフ)の回心(コンヴァージョン)の・死と再生(リザレクション)の物語」を書く時は熟していない、と。生業のために作家を続けなければならない、ということなら、自分と一緒に森に帰って新生活を始めよう、と誘ったのである。
ギー兄さんの言葉を聞いたKは、執筆中の草稿を暖炉で燃やしてしまう。Kのこの行為について、その意味を「僕」に問いかけ、「僕」の本音を引き出したのはギー・ジュニアだった。「書くこと」=「書き直すこと」である「僕」が草稿を燃やしてしまったのは、書き直しが不可能だと知ったからであるが、それであれば何故ギー兄さんと一緒に森へ帰って、彼と新生活を始めなかったのか?ギー・ジュニアの問いかけに「僕」はこう答えるのだ。
___こちらを追い詰めて、二つにひとつを選ばせるというのじゃない、ひとつしかない選択肢を、恩賜の態度で示すわけだ。もう四十を越えているという男に。僕は憎悪とでもいうものを感じた、それを思い出すよ。そのうえで拒否した・・・・・・いや、憎悪というほかないものを抱いた
「僕」のこの告白に鋭敏に反応したのがアサだった。「わたしのなかで意識的に押さえていた変な思い付き」の「妄想」とことわったうえで、アサは、「僕」がギー兄さんを殺したのではないか、という疑念を口にする。ギー兄さんが川を堰き止めて作った「テン窪大池」は、ギー兄さんと町の人間との対立を先鋭的なものにしていた。間にたって和解への導きを期待されて森のへりに帰った「僕」だったが、何ひとつできず東京に戻った。だが、ひそかに再び森のへりにやってきて、ギー兄さんと昔遊んだ「プレイ・チキン」というゲームをする。水中でする我慢比べだが、自分が負けるのを知っている「僕」は隠し持った「メリケン」という凶器でギー兄さんの頭を一撃し、浮かび上がる。翌朝、ギー兄さんは大池に浮かぶ。・・・
アサの「妄想」は「僕」が持ち出した「証拠品」によって完全に否定されたのだが、この後、娘の真木が、ロング・インタヴューのパート2を始める。そこで彼女は次のように続けるのである。
・・・テン窪大檜の島で警察の検視があって、ギー兄さんがお酒を飲んでいたことが重く見られた。水温の低い夜更けにギー兄さんが泳ぎに出たのも普通じゃないですが、ギー兄さんには精神的に健康でない状態が続いていた。それには幾人もの証言がありました。そこで、事故が起こったと見なされました。
今度はギー・ジュニアが、かれの父親のことですからね、その事故死とされたことについて、また別の噂があったという話を、土地の人から集めました。そのうちギー兄さんは殺されたというものが出て来たんです。
ここまで、アサと真木の発言にそって『懐かしい年への手紙』を読み直してきたが、発表された『懐かしい年への手紙』で語られているギー兄さんの死は彼女たちの言葉とは微妙に、というよりはっきりと異なっているのだ。小説の末尾近く、こう書かれているのだ。
死の前夜、夜明けからの大雨の中、ギー兄さんは「テン窪大池」の造成工事反対派の人間と激しい議論を交わしていた。いったん引き下がったかに見えた連中が、今度は屋敷の電話線を切って侵入し、妻のオセッチャンの抵抗をさえぎって、むりやりギー兄さんを雨のなかへ連れ出した・・・
つまり、原作では、ギー兄さんの死は、あきらかに「テン窪大池」造成反対派の仕業だと思わせるように書いてあるのだが、この小説では、「お酒を飲んで」「泳ぎに出た」ギー兄さんを「警察が事故死」と見なした、と書かれているのだ。だが、殺された、という「噂」もある、と。しかも、「僕」の妹のアサは「僕」が殺したのではないか、と懼れていたのだと。
この後さらに真木は「ギー・ジュニアの本来の意図」は「ギー兄さん、塙吾良、そして私の父」という失敗した知識人の研究で、かれらの晩年に共通のカタストロフィーが見て取れる、という発想で出発した、という。「長江はまだ生きているけれど、私小説的な長編はみなカタストロフィーを予感している」というギー・ジュニアの言葉も紹介している。完全にフィクションの中の人物であるギー兄さん、フィクション中の人物でありながらモデルが明らかな塙吾良、実在の作家に最も近い「私の父」が「カタストロフィー」ということばで括られている。「カタストロフィー」ということばが、たんに概念的なものでなく、具体的な実在感をもって重く響いてくるような気がする。
カタストロフィー委員会のもう一人の対象である塙吾良についても書かなければならないのだが、すでにかなりの長文となってしまったので、続きは次回にしたい。もう少し整理した文章が書きたかったのですが、力及ばず、メモ以下になってしまいました。最後まで読んでくださってありがとうございます。