『水死』は不思議な小説である。主人公は誰か?大江健三郎は何故この小説を書いたのか?
十七歳の少女が強姦され堕胎をさせられる。十七年後女優になった彼女は強姦した男に復讐する。物語の縦糸はこれである。縦糸に絡む横糸として、作家長江古義人の「水死小説」がある。縦糸と横糸で織り成された作品は未完に終わった水死小説の「現実」による完成を遂げて終わる。
さて、それで、この小説の主人公は誰か?古義人の娘真木の似姿として登場し、ウナイコとよばれる(本名はミツコ)女優、ウナイコを強姦した元文部省の高級官僚を銃殺する錬成道場の主宰者大黄さん、古義人の妹でウナイコの強力な支援者かつ隠然たるフィクサーのアサ、そして未完の水死小説を断念し、ウナイコのために「メイスケ母出陣」の脚本を書く古義人、そのいずれもそれぞれの物語を持って登場する。それぞれの物語がもつれながら絡みあい、放れ、そして最後に唐突に終わる。ここでは、小説の冒頭に颯爽と登場するウナイコについて考えてみたい。
運河に沿った道路で転倒しかけた古義人を文字通りサポートしてくれた娘ウナイコとの出会いは、しかし偶然ではなかった。偶然にみえた出会いは、古義人の妹アサの助言により周到に準備されたものだった。以後、ウナイコと彼女の劇団「穴居人(ザ・ケイヴ・マン)」の仲間たちは、四国の「森の家」を根拠に古義人の「水死小説」の進行をリアルタイムで追いながら活動を始める。
ウナイコという奇妙な名の由来はアサが語っている。古義人の娘真木が小さい頃古代の「うない(髪)」のような髪型をしていて、それがウナイコとよばれるようになった娘の髪型と同じだったこと、髪型だけでなく真木とウナイコは似ていること、そして劇団のリーダーの「穴井」_アナイとの発音も似ていることからウナイコ自身がウナイコと改名したのだという。古義人の母が教えたという古歌も引用されている。
郭公(ほととぎす)をちかへり鳴けうなゐこが打ち垂れ髪のさみだれの空 躬恒 拾遺集
「うなゐこが打ち垂れ髪の」の部分の解釈が、私のなかでどうしても揺らぐのと、「郭公をちかへり」の「をちかへり」に、たんに「若返り」というような軽い語感におさまらないものがあって、複雑な思いがする。「をちかへる」という言葉については折口信夫がよく言及していたように記憶するのだが。
小説の中でウナイコの果たす役割は何だろう。彼女は、穴井マサオとともに古義人の作品を演劇化する劇団「穴居人(ザ・ケイヴ・マン)」のリーダーとして活動するが、次第に劇団から自立していく。その過程で、かつて古義人が書いた『みずから我が涙ぬぐいたまう日』が、ウナイコにとっても古義人にとっても読み直されていく、ということが起こる。これは非常に重要かつ複雑な転換である。
古義人が「森の家」に帰ってまもなくの日曜日「穴居人(ザ・ケイヴ・マン)」が演劇版『みずから我が涙ぬぐいたまう日』のリハーサルを行う。ウナイコはベッドに横たわる(自称癌患者の)作家の幻影の少年を演じる。皇居爆撃のための飛行機を調達するために、少年の父を木車に載せ、トラックで地方都市へ向かう軍人たちは外国語の歌を合唱する。バッハのカンタータ(「マタイ受難曲」から)である。原文はドイツ語だが、少年の父はこのように訳して少年に説明する。
天皇陛下ガ、オンミズカラノ手デ、ワタシノ涙ヲヌグッテクダサル、死ヨハヤク来イ、眠リノ兄弟ノ死ヨ、早ク来イ、天皇陛下ガミズカラソノ指デ、涙ヲヌグッテクダサル
「天皇陛下、オンミズカラ」は実際は「Heiland selbst 救い主みずから」となっているのだが、ここでは、問題は訳語の違いではなく、ウナイコ扮するゴボー剣に戦闘帽の少年だけでなく、現実の古義人自身が観客席で歌い始めたことである。それも、一緒に見ていた妹のアサが「あんなに入れ込んで歌っているのを聴いたことはないよ」と言うほど熱心に。
「ずっとずっと感性のなかに埋もれていた歌が、将校や兵隊たちに扮している「穴居人(ザ・ケイヴ・マン)」の合唱を聴いているうちに……もしかしたら、コギー兄さんの魂のあたりによみがえったんじゃないの?」とアサは続ける。優れた音楽はある種の魔性があって、理性や経験をこえた情念で人間を囮にしてしまう。(賛美歌や聖歌を捨てきれない私はつくづくそう思う)自分自身も合唱に感動したアサは、古義人の情念が「水死小説」のベクトルとなることを恐れる。
ウナイコもまた、実際に舞台で少年を演じながら、ドイツ語で歌う古義人を見て衝撃を受ける。そして、十七年前伯母と靖国神社に行って、日の丸と軍服軍帽に長剣をもった男を見ながら吐いてしまった、という体験を話す。実はこのとき彼女は妊娠していたのだが。
この一連の文脈で『みずから我が涙ぬぐいたまう日』は、超国家主義者の父と父を慕う少年の物語として読まれている。だが、『みずから我が涙ぬぐいたまう日』はそのような一義的な小説だろうか。『みずから我が涙ぬぐいたまう日』については、以前「ハピィ・デイズという逆説」とサブタイトルをつけて書いているので、興味のある方はそちらを参照していただければありたい。少年の父はつねにあの人とゴシックで記され、「神話か歴史の中の、架空にちかい人物」のようだと書かれている。水中眼鏡とヘッドホーンに身をかためた主人公の作家は「かれ」と自称し、みずからの語りを「遺言代執行人」と呼ぶ妻に口述筆記させるのだが、これを叙述する文章もまた三人称なので地の文でも作家は「かれ」と呼ばれる。非常に入り組んだ複雑な構成なのだ。
なので、当然のこととして、難解極まりない作品となっている。だが、この小説は、意表をついた出だしといい、生き生きとしたプロットの展開といい、謎だらけのまま一気呵成に最後まで読ませる魅力にあふれている。そして、私は独断と偏見で、ひそかに、この小説は、野次とヘリコプターの轟音の中で声を振り絞って演説し、死んでいった三島由紀夫へのレクレイムでありオマージュだと思っている。
多面的重層的な『みずから我が涙ぬぐいたまう日』を、超国家主義者の蹶起と殉死、そこに傾斜していく古義人の「戦後の改革を徹底して支持する教条主義とはまた別に、深くて暗いニッポン人感覚」という主題に一義化してしまった理由は、この後ウナイコが高校生対象の演劇で取り上げる漱石の「こころ」の主題と共通する要素に絞り込みたかったからだろう。時代精神と殉死、そして決して文字化されることなく語られる大逆事件___『水死』の中に突然登場する「高知の先生」が指し示す存在は何かについて考えなければならない。いうまでもないことだが、ウナイコはこれらの主題にたいして批判的である。演劇を討論の場とし、反対意見を述べる相手方に「死んだ犬を投げる」という奇妙、というよりグロテスクな方法は、彼女の批判の過激な実践の手段だった。
ウナイコについては、これからが本論、といったところですが、長くなるので、続きはまた回を改めたいと思います。相変わらずの未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。