「小説」を「読む」と言うことについて考えている。「よむ」の原義は「数を数える」だと聞いたことがある。中国語の「念_nian」英語の「read」の原義は何だろう。いずれにしても、小説は、坪内逍遥が人情に次ぐとした「世態風俗」をこそ「読む」べきなのだろう。
いつか「権力小説としての源氏物語」を書きたいと思っている。本居宣長という学者が「もののあはれ」という言葉を発明したために、日本の古典文学はかなり偏った受容の歴史がかたちづくられてしまったのではないだろうか。「幽玄」とか「わび、さび」と言う概念もわかったようで、でも、私にはよくわからない。「源氏物語論」などというたいそうなものではなくても、「権力小説」として源氏物語を読み直してみたい、と言う気持ちは以前からあった。サリンジャーを読んでいて、さらにその思いが強くなった。
といっても、源氏物語の作品中の系図をすべて覚えるだけでも大変で、まとまった論を展開するにはまだかなりの時間を要するので、ここでは、「朧月夜」という女性について少し書いてみたい。朧月夜は、源氏物語に登場する女性たちの中では、なぜか取り上げられることが少ないような気がする。だが、この女性こそ、光源氏の運命を左右する役割を担った存在なのである。
源氏二十歳、桜の宴が果てて、断ち切れぬ藤壺への思いをしのびながら宮中を歩いていた源氏は、よせばいいのに(原文「なほ、あらじに」)自分の義父のライバルである右大臣家の弘徽殿女御の細殿に立ち寄る。奥の戸が開いていて、「朧月夜に似る物ぞなき」と口ずさむ声がして、若い女が歩いてくる。源氏は強引にその女の袖をとらえて、契りをかわしてしまう。女も「この君なりけり」と源氏であることに気づき、かたくは拒めなかった。だが、彼女は弘徽殿女御の妹の六の君で、尚侍として入内することになっていたのである。
やがて、このことは弘徽殿女御の知るところとなり、源氏は父の桐壺帝が死ぬと、明石に流されることになる。源氏の配流は、深層では藤壺女御との密通の罪によるものだが、物語の表面では、また現実にも、朧月夜との密会が原因である。そして、その明石の地で、源氏は明石の上と出会い、明石の上に生ませた子を入内させ、栄耀栄華の人生を展開していくのだ。
朧月夜との交情は、彼女がつかえた朱雀帝の譲位後、復活する。文のやり取りなどしているうちに、源氏はまたしても強引に朧月夜のもとにしのびこんでしまう。嘆きながらも源氏を拒みきれない朧月夜に、源氏は「さればよ。なほ、け近さは」となかば軽蔑しながらも愛を交わすのだ。
ところで、「昔、藤の宴し給ひし、この頃のことなりけんかし」___源氏と朧月夜の最初の密会は「二月の廿日あまり、南殿の桜の宴せさせ給ふ」とあるのに、ここで「藤の宴」となっているのはどういうことなのか?この後も「この藤よ。いかに染めけん色にか」「沈みしも忘れぬ物を懲りずまに身も投げつべき宿の『藤』波」と藤にこだわるのは、藤壺女御のイメージを朧月夜に重ねているのだろうか?
ところが、源氏が「かの御心弱さも、すこし軽く思ひなされ給ひけり」とあなどっていた朧月夜は、さっさと出家してしまう。「おぼし捨てつとも、さりがたき御回向の中には、まづこそは」と未練がましい源氏に、朧月夜は「回向には、あまねき方にても、いかがは」とにべもない。源氏はといえば、あろうことか、朧月夜の文を紫の上に見せて「いといたくこそ、はづかしめられけれ」と愚痴をいうのである。
源氏の運命が暗転していくのが明らかになるのはここからである。朱雀院と藤壺女御の間にできた女三の宮を源氏が正妻に迎え入れてから、源氏の周辺はさざなみが立ち始めるのだが、朧月夜を初めとして、源氏周辺の女性が次々に出家してしまう。源氏がどうしても出家を許さなかった紫の上は衰弱して死んでしまう。正妻として迎え入れた女三の宮は、源氏のライバル右大臣家の御曹司柏木と不倫を犯してしまう。源氏は紫の上を犠牲にしてまで正妻にした女三の宮を出家させざるを得ないばかりか、彼女が生んだ薫君を自分の子として育てなければならない。かつて父桐壺帝が源氏の子と知りながら、冷泉帝を育てたように。
源氏の運命の節目に登場して、その方向を変える朧月夜は、軽はずみなところもあるが感性豊かで魅力的な女性として描かれている(ように私には思われる)。軽率にみえた身の処し方も、最後はみごとにけじめをつける。源氏物語の中で、私が一番好きな女性だ。だが、ここで私は源氏物語の女性像を評するつもりはない。その女性が源氏物語の中でどのような役割を持つか、についてささやかな考察を試みたのだが、ほんの試論にもなっていない段階である。
今日も未整理な文章に最後までつきあってくださってありがとうございます。
とても魅力的な記事でした!!
返信削除また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
コメントをいただいていることに気がつかず、お返事が遅れまして申し訳ありません。なかなか本業?の古典に戻れないのですが、いつかまた源氏について書きたいと思っています。お便りありがとうございました。
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