2021年11月7日日曜日

三島由紀夫『天人五衰』__愛と救済のfarewell__輪廻転生を断ち切る残酷な真実

 前回の投稿で『天人五衰』について、もう言うべきことは言いつくしてしまったような気がするのに、何故か次の作品に向かうことが出来ない日が続いている。とりとめもない日常に埋没して、枯渇しつつあるエロスの対象を作品に集中することを怠っている毎日である。一言でいえば、能力不足なのだが。 

 それで、これから書くものは、読書感想文にもならぬただの「私の心境報告」である。

 この作品の難しさのひとつは、主人公が二人いて、しかもほとんど一人である、ということである。本多繁邦と安永透は、それぞれ別の人格をもって登場するが、二人ともまったく同じように、「純粋な悪」によって、正確無比に廻る歯車をもっている。歯車は、「無限に生産し、無限に廃棄するいやらしいほど清潔な工場の中で」廻りつづけている。そのことを両者ともに認識する存在として描かれている。作者は、あるときは安永透に憑依して彼の認識する世界を語り、あるときは本多繁邦の老いとその日常を彼の内側から告発する。安永透の世界の認識も本多繁邦の老残も、これ以上はないほど的確に叙述される。そして、的確に叙述されればされるほど、私の中で、この作品の「作者像」が揺らぐのである。

 作者像の揺らぎの問題はひとまず措くとして、いまの私の感覚、ほぼ生理的な感覚と言ってよいと思うのだが、それが受け入れやすいのは紛れもなく本多繁邦の老残の姿である。私はまだ本多の年齢には達していないし、本多とは性別を異にしているが、日常を生きることがそのまま死に近づていき、死の浸透をまぬがれないという厳然たる事実と向き合っている。ささやかだが執拗に続く身体の不具合、外の世界に対する秘かな軽蔑と無関心、あるいは破壊の衝動、これらはエロスの枯渇というよりもっと積極的に死の謀略であるという思いがある。

 朝目覚めた本多がまず向き合うのは死の顔だった。そんな現実よりもはるかに生きる喜びに溢れているのが夢の世界だった。目覚めても、夢の余韻に身を漂わせることが本多の習慣になっていた。小説の前半に、夢が思い出させたひとつのエピソードが語られている。若かったころの母が、ある雪の日に作ってくれたホットケーキの話である。

 ふりしきる雪の中を傘もささずに空腹で帰った本多を出迎えた母が、火鉢にフライパンをかけ、油をそそいで、一心に炭火を吹きながらホットケーキを焼いてくれた。炬燵にあたたまりながら食べたホットケーキの蜜とバターの融け込んだ美味も生涯忘れがたいが、少年の本多は、雪明かりのほの暗い茶の間で、ひたすら火を吹く母の突然のやさしさの裡にある憂悶、悲しみを、ホットケーキの美味を通じて、愛のうれしさを通じて、直観したのだった。遠い昔のつかの間の感覚の喜びが、半世紀以上も本多の人生の闇を、少なくとも火のある間は崩壊させたのである。

 このエピソードは、本多が久松慶子に招かれ、外国人の老女たちに囲まれてあまり身の入らないトランプのゲームをしている最中に、ふと想起した出来事のように書かれている。面前の現実よりも夢の世界に想いを馳せることが多くなった老年の本多が幾度も思いだすエピソードである。美しすぎるくらい美しいエピソードだが、ひとつ注目したいのは、この文脈で「愛のうれしさ」という言葉が使われていることである。

 「ホットケーキの美味を通じて」と並んでおかれる「愛のうれしさを通じて」という表現の中に挿入される「愛」という単語が何を意味するかについて、ほとんどの読者はこの箇所でたちどまって考えることはないだろう。どんな事情で母が憂悶をかかえていたかはわからないが、少年の本多は母の悲しみを感じとり、その悲しみを注ぎ込んだかのようなホットケーキの甘さを「愛のうれしさ」と受けとった。本多のこの感情の機微が「愛」と呼ばれていて、これを「愛」と呼ぶことには万人が共感するだろう。

 老年の本多の愛の記憶がどこまでも甘美なのに対して、本多とクローンのように同質の人間として、「純粋な悪として」、登場した安永透の「愛」はどのようなものとして語られるだろうか。

 安永透は孤児である。

 「彼は凍ったように青白い美しい顔をしてゐた。心は冷たく、愛もなく、涙もなかった。」

と書き出される。

 いったい透の人物像の造型は、作者が彫琢をきわめればきわめるほど、凡庸な私の理解から遠ざかっていく。その完璧な人工性、独自性、そういう特性は、ことばとしては理解できても、というより、十分すぎるほど理解できるのだが、そうやってつくり上げた透の人間像は、自然に不自然なのだ。あるいは、不自然に自然である、といおうか。

 本多繁邦の養子になった透に縁談がもちこまれる。透は十八歳の高校二年生である。金目当ての申し入れと思いながら、本多は承諾し、透は百子という少女と交際を始めることになる。百子は没落しつつある旧家の令嬢で、美しいが平凡である。百子は無邪気に透に思いを寄せるが、透は、彼女をいたぶり、奸計をめぐらせて陥れ、婚約者の座から突き落とす。透は、満を持して待ち構えていたのだ。家庭教師の古澤に続く第二の犠牲者を。彼の磨き抜かれた刃で傷つける獲物を。そして、その情念を、透は「愛」と呼ぶ。

 「微笑が僕の重荷になったので、百子の前でしばらく不機嫌をつづけてやらふという目論見が僕にうまれた。怪物性をちらとのぞかせる一方、欲望が鬱積して不機嫌になる少年といふ、あのごくありきたりな解釋の餘地も殘しておく。そしてこれらすべてが無目的な演技ではつまらないから、僕にも何らかの情念がなければならない。僕はその情念の理由を探した。一番本當らしいものがみつかった。それは僕の中に生まれた愛だった。」

 小説の中ほどにかなりの部分を占めて「本多透の手記」が存在する。透の一人称で、自己分析をまじえながら、百子との「愛」の顛末が語られている。最初から、透の命題は、百子の「肉體を傷つけないで精神だけ傷つけ」ることだった。もしかしたら、肉體も精神もともに傷つけるよりも、もっと残酷な行為かもしれないが、それを意図した透の心情は理解できなくもない。私がわからないのは、以下に続く文章の意味である。

 「僕は僕の悪の性格をよく知っている。それは意識が、正に意識それ自體が、欲望に化身し了せるというやみがたい欲求なのだ。それは、言ひかへれば、明晰さが完全な明晰さのままで、人間の最奥の渾沌を演ずることだった。」

 難しい単語が使われているわけでもなく、文脈が読めないわけでもない。だが、私には「意識が欲望に化身し了せるというやみがたい欲求」がどういう欲求なのかが、まったくわからない。「明晰さが人間の最奥の渾沌を演ずる」とはどんな行為かわからない。

 突拍子もないことをいうようだが、たぶん、それは私が女だから、ではないだろうか。女は、というか私は、意識が欲望に化身するなどという放れ業は想像すらできない。いや、意識と欲望は未分化である。また、敢えて、独断と偏見をいえば、女と明晰は同じカテゴリーの中に入ることはできない。女は、

 「だって私の心がきれいだってことは、私が知ってゐるんですもの」

と平然と言い放つことができる百子と同じく、「ある悲しみに充ちた至福に涵ってゐて、あの少女趣味のがらくたから愛にいたるまで、かうしたあいまいな液體の中に融かし込んでゐる」生物なのだ。「彼女という浴槽に首まで漬かってゐ」るのは百子だけではない。女の常態である。

 いくつかの三島の小説を読んでいて思うのは、いったい彼はどんな女なら愛することが出来るのか、という疑問である。同時に、こんなに女を「知っている」男がいるのか、という驚嘆だ。もちろん、小説の主人公=三島由紀夫ではない。だが、『天人五衰』の本多透は三島のほぼ自画像といってよいだろう。少なくとも、リアルに存在する十八歳の少年ではない。

 手記の中で透は、「世界の外から手をさし入れて何かを創ってゐたので、自ら世界の内部に取込まれるといふ感じを味はったことはない」と自負する。また、「悲しいほどに獨自だった」と強調する透が、なぜ、特権階級の令嬢とはいえ、ただ平凡なだけの百子に苛立つのか。「他人の自己満足をゆるしておけないのが、僕のやさしさなのだ。」と透はいうのだが。

 「(愛されているかどうかという不安の)柵の内側に決してはいらない」「小さなすばしこい獣」と形容される百子を嫉妬させるために、透は汀という女を利用する。そして、最終的に、百子は、透に執拗に唆されて、汀に手紙を書く。自分は金目当てに透と付き合っていて、一家あげて透との結婚に賭けている。どうか、透と別れてくれ、という内容である。無邪気な百子は、「麻酔をかけるやうに」たえず耳に愛を囁かれて、愚かな女になったのだ。

 透が繰り返した「愛してゐる」という言葉について、彼はこうも言っている。

「しかし、「愛してゐる」といふ經文の讀誦は、無限の繰り返しのうちに、讀み手自身の心に何らかの變質をもたらすものだ。………
 百子の要求するものも亦、このいかにも時代遅れの少女にふさはしく、純粋に「精神的な」確證だけだったから、これに報いるには言葉で十分だった。地上にくっきりと影を落として飛翔する言葉、それこそ僕本来の言葉ではなかったか。僕はもともと言葉をさういふ風にのみ使ふうやうに生まれついたのだ。それなら、(この感傷的な言草はわれながら腹が立つが)、僕の人前に隠してきた本質的な母国語は、愛の言葉そのものだったかもしれない。」

 三島由紀夫の文学の急所がこの独白で語られている。それは、彼の文学が、「地上に影を落としながら飛翔する」すなわち、現実の重力に引きずられない言葉の文学であること、それは文学者として生まれついた出発点からそうであったこと、それから、これが最も重要かもしれないが、「愛の言葉そのもの」だった、という告白である。

 「本多透の手記」という章には「愛」という言葉が散りばめられている。三島の作品で、これほど「愛」という言葉が使われるものがほかにあっただろうか。だが、ここに使われる「愛」という言葉には、複雑な屈折が含まれている。前述のホットケーキにまつわる本多の回想が、万人が共感を寄せるような感情の機微であったのに対し、透の定義する「愛」は

 「しかし要するに、僕の人生はすべて義務だった。こちこちになった新米の水夫のやうに。……そして僕にとって義務でないものは、船酔、すなわち嘔吐だけだった。世間で愛と呼んでいるものに該當するもの、それが僕にとっての嘔吐だった。」

とあって、この言葉を感覚的に受け入れられる人は少ないだろう。

 嘔吐=愛の図式はあまりにも極端で奇を衒ったように思われる。だが、それにもかかわらず、この小説を読了して、私の中に沈殿してくるのは、「愛」である。人生のあらかたを生きてしまった本多の回想の中の甘美な感覚の喜びも、透の屈折と苦渋に満ちた行動の軌跡も、どちらも「愛」なのだ。

 末尾の久松慶子の苛烈な弾劾の言葉の底流も、やはり「愛」だろう。慶子の、そして本多の、「人間について知り過ぎてしまった人の 愛情」____複雑に絡み合った輪廻転生を断ち切ったのは、苦渋に満ちた、残酷な「愛」の真実だった。

 とりとめもない心境報告の最後に、「本多透の手記」の中で、というより『天人五衰』の中で、最も美しい場面を引用して終わりたい。百子と二人、日没間際の後楽園を散歩したときに透が見た光景である。

 「そこで橋上の僕らは、おかめ笹におほわれた丸い築山の小蘆山と、その背後の深い木立に、最後のしたたかな光を投げかけてゐる落日の投網に對してゐた。網目にとらへられることを拒みながら、そのまばゆさに耐へ、苛烈な光明に抗ってゐる最後の一尾の魚のやうに自分を感じた。
 僕はともすると他界を夢みてゐたのかもしれない。……もとより僕は救済を求める者ではないが、もし僕にも救済が来るとすれば、意識を絶たれたあとでなくてはならないと思った。悟性がこんな夕日のなかで腐敗してゆくときは、どんなにか快いにちがひない。
 たまたま西側の橋下は、蓮に充たされた小池であった。
 水のおもても見えぬほど密生した蓮の葉は、水母のやうに夕風に浮遊してゐた。裏革のやうな肌の、胡粉を含んだ粉っぽい緑の葉が、小蘆山の谷底を埋めていたのである。蓮の葉は光を柔軟にやりすごし、隣の葉の影を宿し、あるひは池邊の一枝の紅葉のこまかい葉影を描ゐていた。すべての葉が不安定に揺れながら、かがやく夕空に競って欣求してゐた。そのかすかな聲の合誦が聞こえるかのやうだった。」

 かがやく夕空に競って欣求していたのは蓮の葉であり、透であり、本多だった。生きとし生けるもの、何より私自身だったかもしれない。

 手記を海中に投げ捨て現実に驀進していった透は失明し、本多は、スキャンダルによって、財産以外築いてきたすべてを失った。だが、それでも、とうよりそれこそが、救済だったのではないか。

 長く粗雑な心境報告を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2021年8月14日土曜日

三島由紀夫『天人五衰』__猫と鼠__安永透と三島由紀夫の運命

  『天人五衰』というウエルダン・ストーリーにからめとられて、相変わらず書けないままである。そうすると、いつもの妄想癖が頭をもちあげて、あれこれ支離滅裂な想念が頭の中をかけめぐり、安永透の運命は三島由紀夫のそれと一致する、あるいは一致する予定だったのではないか、という独断と偏見を書いてみたくなってしまう。以下は合格点を貰う確率ゼロの読書感想文である。

 小説のちょうど真ん中あたりに、「猫と鼠」のエピソードが出てくる。本多に養子に迎えられた安永透が二年遅れの高校受験をする。そのために雇われた国語の家庭教師の古澤という東大生が、猫に喰われそうになった鼠が自殺する話を透に聞かせる。鼠は、たんに猫に追い詰められて死ぬのではない。シンプルに見えて、けっこう複雑な話なのだ。

 鼠は自分を猫だと信じていた。本質を点検してみて、自分は猫にちがいない、と確信するようになって、同類の鼠を見る目もちがってきた。あらゆる鼠は自分の餌にすぎないが、自分が猫だということを見破られないために、ほかの鼠を食わずにいるだけだと信じた。「自分の鼠という肉体」は、「猫という観念」が被った仮装だと考えた。鼠は思想を信じ、肉体を信じなかった。

 その鼠が本物の猫に出会って、「お前を喰べる」と宣言される。鼠はそれはできない、と言う。自分は猫だから、猫が猫を喰べることはできないはずだ、と。そうして、それを証明するために、鼠は洗剤の泡立つ洗濯盥のなかに身を投げて、自殺してしまう。洗剤に浸かった鼠は「喰へたものぢゃない」ので、猫は立ち去る。

 古澤という東大生は、この鼠の自殺が「自己正当化」の行動であり、鼠は「勇敢で賢明で自尊心に充ちていた」と評価する。鼠は、肉体的にはあらゆる点で鼠であるが、「猫に喰われないで死んだこと」、「『とても喰えたものぢゃない』存在に仕立て上げたこと」の二点で「自分を「鼠ではなかった」と証明することができる。「鼠ではなかった」以上、「猫だった」と証明することはずっと容易になる。鼠の形をしているものが鼠でなかったなら、他の何者でもありうるから、というのが古澤の説明である。

 鼠の自殺は成功し、その自己正当化は成し遂げられたが、鼠の死は世界を変えただろうか、と古澤はさらに話し続ける。古澤はもはや透に聞かせるためではなく、自己の内部に沈潜していく。

 鼠の死は猫に何ももたらさなかった。猫は死んだ鼠をすぐに忘れて、眠ってしまった。彼は猫であることに充ち足り、そのことを意識さえしなかった。そして猫は、怠惰な昼寝のなかで、鼠が熱烈に夢みた他者にらくらくとなり、また何でもありえた。安楽で美しい世界に猫の香気と寝息がひろがった。

 語り続ける古澤に透は「権力のことを言ってゐるんですね」相槌を打つ。「そこですべては青年ごのみの悲しい政治的暗喩に終わってしまった」と三島は書くのだが、ここには「青年ごのみの悲しい政治的暗喩」とかたづけられないものがあると思う。決して看過できないものが二点ある。

 ひとつは、作者三島の世界認識がきわめて直截な形で述べられているということである。すなわち、権力の支配構造は「喰うか、喰われるか」ではなくて、「喰うか、喰われないか」なのだ。猫は鼠を、いつでも、任意に「喰う」が、鼠はそれを逃れるために猫を「喰う」ことはできない。「喰われない」ためには「勇敢で賢明で自尊心に充ちた」死を遂げるしかない。支配者と被支配者の関係は、美しいまでに粛然と分かたれている。猫はこの世の逸楽を十分に貪ることができるが、鼠は「勇敢で賢明で自尊心に充ち」て死んだら、もはや何者でもないのだ。

 もうひとつは、「自尊心に充ちた鼠の死」というモチーフは、いうまでもなく、作品終末の安永透の死(未遂だが)を予告するものだが、同時に作者三島の死の予告でもある、ということである。安永透はほとんど三島由紀夫である。『天人五衰』の冒頭数頁、三島は十六歳の安永透に憑依して、倍率三十倍の望遠鏡から駿河湾を覗いている。

 安永透は、水平線の向こうから姿を現す船を認識し、船と交信する。航行する船の状況を港に連絡する「通信員」である。三島由紀夫は、地球上に無数に生起する「出来事」を切り取って「書く」ことによって、読者に提示する「作家」である。「通信員」と「作家」が微妙に重なり合う機微を暗示すると思われる部分があるので、以下に引用してみたい。

 六時。
 すでに大忠丸の船影は、そこを出てゆく興玉丸とすれちがふ形で、薔薇色の沖に模糊として泛んでゐる。それはいはば夢の中からにじみ出てくる日常の影、観念の中からにじみ出てくる現實、……詩が實體化され、心象が客體化される異様な瞬間だった。無意味とも見え、又凶兆とも見えるものが、何かの加減で一旦心に宿ると、心がそれにとらはれて、是が非でもこの世にそれを齎らさずにはおかぬ緊迫した力が生まれ、つひにはそれが存在することになるとすれば、大忠丸は透の心から生まれたものだったかもしれない。はじめ羽毛の一觸のやうに心をかすめた影は、四千噸に垂んとする巨船になった。それはしかし、世界のどこかでたえず起こってゐることだった。

 非常に難解な文脈が続く。いちいちの詳しい解釈は省くが、ここに語られているのは創作の秘儀である。

 さて、透は「暗赤色の巨きな海老のやうな魂の蠢めきを、人には見えない深部に隠している」「鐡道員の倅の貧しい秀才」古澤を周到に遠ざけ、「純粋な悪」のヒーローとして本領を発揮していく。注目すべきはその透の「内面は能ふかぎり本多に似てゐた」と書かれていることである。

 十六歳の透が仕事をしている「帝国通信所」を訪れた本多は、一目見て、透が自分と寸分違わぬ内部機構の持ち主であることを見抜いた。それは「無限に生産し、しかも消費者が見當らぬままに、無限に廃棄する」「磨き上げられた荒涼とした無人の工場」だった。その後透の脇腹に輪廻転生のしるしである「三つの黒子」を認めた本多は、即座に彼を養子に迎えることを決意する。そうして、本多は、清顕、勲、ジン・ジャンの夭折の美しさにこの上ない憧憬をよせながら

 「……詩もなく、至福もなしに!これがもっとも大切だ。生きることの秘訣はそこにしかないことを俺は知ってゐる。
 時間を止めても輪廻が待ってゐる。それをも俺はすでに知ってゐる。
 透には、俺と同様に、決してあんな空怖ろしい詩も至福もゆるしてはいけない。これがあの少年に對する俺の教育方針だ」

と考えるのである。だが、これは、本多と透というクローン父子にとって、矛盾以外の何物でもないはずだ。輪廻転生のしるしである「三つの黒子」という「特権」をみとめたからこそ、透を養子にしたのに、その「特権」を享受する「詩と至福」という「運命」は拒否する、そんな都合のよい成り行きはありえない。

 二十歳を目前にした十二月の二十日、透は本多の友人久松慶子に一足早いクリスマスの晩餐に招かれる。孔雀と波を意匠したビーズ刺繍のソワレを着て迎えた慶子は、完膚なきまでに透の自尊心を打ち砕く。

 まず透に驚愕を与えたのは、透が自らひそかな誇りの根拠としていた左脇腹の三つの黒子の存在を慶子が知っていたことである。そればかりか、その黒子のために透は本多家の養子に望まれたのだ、と慶子は言う。黒子をもった者は二十歳で自然に殺される「運命」にあるので、本多は黒子をもった透を養子にして、彼の「神の子」の自負を打ち砕き、凡庸な青年に叩き直すことで、何としても救おうとしたのだ、と。

 桃山風の燦然とした客間の一角にしつらえた暖炉の火が消長する傍らで、透は慶子の語る輪廻転生の永い物語を聞く。聞き終えた透に、慶子はさらに決定的な一撃を与える。透は、これまで話してきた輪廻転生の物語に何の関係もない「贋物」だというのだ。慶子はいう。

 「私や本多さんを殺すことなんかあなたにはできませんよ。あなたの悪はいつも合法的な悪なんですから。観念の生み出す妄想にいい気になって、運命を持つ資格もないのに運命の持主を気取り、この世の果てを見透かしてゐるつもりでつひぞ水平線の彼方から誘ひは受けず、光にも啓示にも縁がなく、あなたの本当の魂は肉にも心にも見當らない。」

 透を「育英資金財圑向きの模範生」と貶め、己惚れた「認識屋」を自分たちのようなもっとすれっからしの同業者が、三十倍の望遠鏡の圓からひっぱりだしたのだ、と止めを刺す慶子の前に透は凍りついたままだった。

 この後、透は本多に乞うて清顕の夢日記を借り、その一週間後にメタノールを飲んで自殺を企る。それが、「鼠の自己正当化の自殺」と同じものなのか、じつはいまの私にはわからない。もうひとつわからないことがあって、養父を貶め、窮地に追いやったからといって、透は、何故ここまで厳しい糾弾の言葉を浴びせられなければならなかったのか。透のしたことは、婚約者の百子を陥れたことも含めて、「合法的な悪」というほどの大げさなものでもなく、ちっぽけな、それこそ「凡庸な青年」の悪である。

 暖炉の焔に照らされて、慶子が繰り出す糾弾の言葉ははたして、目前の透に対してだけ向けられたものだったのか。上述したように、安永透≒三島由紀夫、という独断と偏見に立てば、これは一言一句万金の重みをもつ自己批判の言葉である。作品の中でここまで言い得ている作家が、はたして、その後行動するだろうか。いや、「猫と鼠」の寓話を通して、これほどまでに透徹した権力の支配構造を提示する作家が、「自己正当化」の死を為すだろうか。肉体は思想を裏切って、鼠は自殺したら、猫になるどころか、何者でもなくなってしまうのだから。

 以上で私の支離滅裂な読書感想文は終わるのだが、最後に蛇足をひとつ。『天人五衰』という作品中で、天人に擬せられているのは絹江である。いつも髪に花を飾り、透のもとに訪れては、その髪に花を挿す。作中本多が紹介する「天人五衰」の衰兆の第一に「一に華冠自ら萎み」とあるのを思い出したい。失明した透は絹江のなすがままに豊かな黒髪に紅い葵を飾らせている。絹江ももちろんいっぱいの白い葵を飾っている。「天稟」ともいえる醜さをみずからの自意識ひとつをたよりに逆転させ、絶世の美女と化した絹江こそ、天人だったのだ。

 「豊饒の海」は「荒涼の沙漠」ではなかったのか。

 そうして、再び、「三島由紀夫」とは何者なのか。

 三島については、まだ言い足りないような、もうこれでいいような、複雑な思いをかみしめています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2021年7月3日土曜日

三島由紀夫『天人五衰』__衝撃のラストの一考察__ある雪の日のエピソードの謎

 『天人五衰』をめぐって、いうべきことはたくさんあるような気がする。でも。それは、「『天人五衰』をめぐって」であって、「『天人五衰』について」とはならないのである。作品論、というほど大袈裟なものを書くつもりもないのだが、いまの段階では、私の関心がどうしても作品そのものに集中してこないのだ。能力がない、といえばそれまでだが。

 集中力を妨げている一番大きな原因は、そもそも『豊饒の海』の作者は誰なのだろう、という疑問である。突拍子もないことを、といわれるかもしれない。より正確にいえば、『豊饒の海』一、二巻『春の雪』と『奔馬』を書いた人物と三、四巻『暁の寺』と『天人五衰』の間には完全な断絶があって、一貫した構想のもとに執筆されたとは思えないということである。文体に差異はないようにも見えるが、はたして、これは同一の作者の手になるものだろうか、という疑念が消えないのだ。

 断絶があるように見えるもっとも大きな理由は、本多の人物像の設定の突然の変化である。『春の雪』では主人公清顕の親友として、『奔馬』では同じく勲の弁護士として、現実世界_「歴史」といってもよいかもしれない_に積極的に関わる姿勢をとっていた本多が、『暁の寺』以降徹底して「認識者」として世界の外に立つ人間として描かれ、静かに悪を為す「支配者」になるのだ。そして、「認識」を論理的に説明するために仏教の唯識の理論がもちだされる。

 しかし、百歩譲って、『豊饒の海』前半と後半の作者が同一人物であるとしても、根本的には、「三島由紀夫」とは何者か、という疑問がある。私は、「三島由紀夫」が1970・11・25に自衛隊の市ヶ谷のバルコニーで檄文(文豪三島が書いたとは思えない文章である)を撒いたのち割腹自殺した、とされる人物であるという事実を受け入れることが、どうしてもできない。三島があのようなかたちでみずからの生を閉じる覚悟で『豊饒の海』全四巻を構想し、書き上げたのだとは思えない。そんな気配はどこにもない。憎らしいほど手練れの書き手が、最後まで手綱を緩めずに仕上げた極上の作品、というか読み物であると思われる。

 多くの人が『天人五衰』の最後を、三島その人の最期と関連づけて解釈している。だが、

「この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。

 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。」

 この文脈のどこに、死へ向かうベクトルがあるというのか。

 六十年の時を経て、本多は聡子に会う。そして、彼女から、自分は清顕も本多も知らない、と言われる。断固とした聡子の拒絶の言葉に、本多は自分自身の存在の足元までも揺るがせてしまう。この結末は「衝撃のラスト」といわれ、多くの人が問題にしているが、私もささやかな考察を試みてみたい。たんなる思いつきにすぎないかもしれないが、作品全体にあふれる謎を解く手がかりのひとつになる可能性に賭けてみたいのだ。

 死を意識せざるを得ない体の不調に苛まれながら、むしろそのことに鼓舞されて、本多は月修寺を訪れる。門跡となった聡子は、「むかしにかはらぬ秀麗な形のよい鼻と、美しい大きな目を保ってをられる。むかしの聡子とこれほどちがってゐて、しかも一目で聡子とわかるのである」と書かれる。その彼女がまったく感情の動揺を見せずに、本多の話す長い物語を聞いて、清顕の存在さえも否定するかのように言う。

「そんなお方は、もともとあらしやらなかったのと違いますか?何やら本多さんが、あるやうに思うてあらしやって、實ははじめから、どこにもをられなんだ、といふことではありませんか?」

 『春の雪』から長く紡がれてきた物語をすべて否定する聡子の言葉は、あまりに唐突、理不尽で、本多だけでなく、ほとんどすべての読者を作品世界の外に投げ出してしまう。私たちははたして、本多の「映る筈もない遠すぎる」「幻の眼鏡のやうな」記憶につきあって、幻想の世界を旅してきたのだろうか。

 聡子の言葉を字義通りに受け止めれば、彼女は記憶を完全に失った状態になってしまったか、あるいは、完璧な嘘つきである、ということになる。日常現実の感覚での理解はそれ以外にあり得ない。そうして、本多と同じく「何もない」時空に投げ出されてしまう。だが、ここに、作者の仕掛けた巧妙な、巧妙すぎる罠があるように思う。

 そもそも本多は何故、聡子に会うことを決意したのだろう。たんに久闊を舒する気持ちだけではなかっただろう。かつて松枝邸の焼け跡で会った蓼科に指摘されたように、本多自身の聡子への想いが彼を駆り立てたのだ。六十年前の清顕と同じように、病にむしばまれ、絶え間ない痛みに襲われながら、死を賭して、というよりむしろ、死への試練をみずからに課すかのように、本多は月修寺への道を歩む。盛夏七月二十二日の午後、門前で車を降りてから、山門までの道のりを杖をたよりによろぼいながら進む本多の姿は、死出の旅路を行く巡礼のようである。最後は一羽の白い蝶に導かれて、本多は山門に着く。

 ここはすでに幽明を異にする場所であるかのようだ。

 かなりの時が過ぎて、本多の前に現れた聡子は「老いが衰への方向へではなく、浄化の方向へ一途に走って、つややかな肌が静かに照るやうで、目の美しさもいよいよ澄み、蒼古なほど内に耀ふものがあって、全體に、みごとな玉のやうな老いが結晶してゐた。」と描写される。ここまで理想化された美を体現する聡子は、何か、この世に存在する老女ではなく、みやびやかな仏像をイメージして描かれているように思われる。

 「その松枝清顕さんといふ方は、どういふお人やした?」と繰り返す「門跡の顔には、いささかの衒ひも韜晦もなく、むしろ童女のやうなあどけない好奇心さへ窺はれて、静かな微笑が底に絶え間なく流れてゐた。」とあるのも、もはや聡子は、本多の語る物語の世界、そして本多の存在そのものと距離を隔てた位置にあることを示唆している。清顕が、勲が、ジン・ジャンが、そして本多がいる世界と、聡子の世界は次元が違うのだ。彼女の言葉でいえば「それも心々」なのである。聡子の「心」に清顕はいない。

 本多の語る物語を読んできた私たち読者にとって、聡子の言葉は詭弁である。だが、本多より高次の語り手はいうまでもなく作者であって、詭弁であっても、読者は、そのように語られたら、そのように読まなければならない。権力をもっているのは作者である。

 余談ながら『天人五衰』という小説の中で、権力はつねに「女」がもっている。聡子の完璧な否定の前に本多はなすすべもなかった。いや、聡子だけではない。安永透を完膚なきまでに打ちのめしたのは、孔雀明王のモチーフをまとって現れた久松慶子だった。盲目の透を花婿にしたのは「天稟」ともいえる醜さを逆転させ、世界を支配下に置いた絹江だった。

 三島由紀夫に限らず、作家は、フィクションであれノンフィクションであれ、言葉によって読者を支配する特権をもっている。とくに、三島由紀夫は悪魔的ともいえるほど卓越した言葉の使い手である。言葉の牢獄に閉じ込められていたのが三島だったともいえるのかもしれないが。読者の側は彼の繰り出す言葉に魅了され、支配されることの特権に身をゆだね、いまどき荒唐無稽な輪廻転生譚などという論証の彼方の夢物語を追いかけてきたのだ。最後にきて、それはおかしいなどと異をとなえることは許されない。これは作者の仕掛けた罠である。

 以上で私のつたない一文を終わりにしようと思うのだが、最後に、ひとつだけ、この「衝撃のラスト」読解のヒントになるかもしれないエピソードを取り上げてみたい。作品の中ほどに、「本多透の手記」というタイトルの文章がかなりの分量を占めている。許婚となった百子を「絹江のやうな、全世界を相手に闘ふ女」にしてやるために、透がとった行動の記録である。その中に、突然、本筋と関係があるとは思えないエピソードが出てくる。

 ある雪の土曜日の午後、本多は不在である、透が所在ないままに、家の階段の踊り場の窓から雪を眺めている。すると、家の前の私道に一人の老人が傘もささずに現れる。極端に痩せて、黒いベレエ帽をかぶり、灰色の外套を着ていて、腰のあたりが不自然にふくらんでいる。老人が門の前で立ち止まると、そのふくらみが急に削ぎ落され、雪の上にビニールに包まれた野菜や果物の切り屑が落される。

 老人はその後立ち去るが、非常に小刻みな歩幅で数歩歩いた後、今度は外套の背から何か黒いものが雪の上に落ちる。最初、透はそれを鴉か九官鳥か、鳥の屍だと思った。落ちた翼が雪を摶つような音が聞こえた気がした。何の鳥か確かめようとしたが、ふりしきる雪と庭木に遮られ、「何か壓倒的な億劫さに制せられて」確かめられなかった。そのうち、「あまり永く見詰めてゐるうちに」それは女の鬘のようにも思われだしたのである。

 雪に映えて「胸のむかつくやうな蘇りをもたらす」と形容される野菜屑と女の鬘、これはあきらかに聡子の出家に関する記号だと思われるが、これについて語ることはいまの私にはまだ力不足である。ただ、ラストへの何らかの伏線だと思う。「鬘」は『暁の寺』に登場する蓼科も被っていたのだが。

 「記憶もなければ、何もないところへ」来てしまったのは、「本多」であって、三島由紀夫ではない。「そのように語る」特権を三島由紀夫はもっている。その三島が、おのれの腹に刃を突き立てた、などという「事実」は、私にはどうしても受け入れられないのだ。

 ずいぶん長く時間がかかったのに、相変わらず、論理の展開が錯綜していて、未整理な文章です。今日も、最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2021年5月27日木曜日

三島由紀夫『天人五衰』_近代的自我の崩壊とその先にあるもの_安永透の至福

 三島文学の総決算ともいうべきこの作品を前にして、いつまでも立ち止まっている。格調高く、象徴的で謎と寓意に満ちた文章は、あまりにも完璧で、つけいる隙がない。語られている内容は、十六歳の自尊心の強い少年が、金持ちの弁護士の養子となるが、最後に、自らのプライドを保つために自殺を計り、失明する、というそんなに珍しくもないストーリーである。実話小説風プロットの展開と、緊張感漂う文章との落差が大きいのだが、その落差が不自然に見えないのも不思議だ。

 『豊穣の海』最終巻『天人五衰』は昭和四十五年五月二日の駿河湾の描写から始まる。

 「沖の霞が遠い船の姿を幽玄に見せる。それでも沖はきのふよりも澄み、伊豆半島の山々の稜線も辿られる。五月の海はなめらかである。日は強く、雲はかすか、空は青い。」

これ以降、刻々と様相を変える海と空が、時間の推移とともに具体的かつ象徴的に叙述される。海と太陽と雲と船を描写しながら、存在と生起にについて語る冒頭数ページは『豊饒の海』の主題のすべてが含まれている、といってよいと思われるのだが、これを見ているのは作者三島ではない。本編の主人公安永透が、倍率三十倍の望遠鏡を覗いているのである。だから、

 「三羽の鳥が空の高みを、ずっと近づき合ったかと思ふと、また不規則に隔たって飛んでゆく。その接近と離隔には、なにがしかの神秘がある。相手の羽風を感じるほどに近づきながら、又、その一羽だけついと遠ざかるときの青い距離は、何を意味するのか。三羽の鳥がさうするやうに、われわれの心の中に時たま現れる似たやうな三つの思念も?」

 「沖に一瞬、一箇所だけ、白い翼のやうに白波が躍り上がって消える。あれは何の意味があるのだらう。崇高な氣まぐれでなければ、きわめて重要な合圖でなければならないもの。そのどちらでもないといふことがありうるだらうか?」

 「一つの存在。船でなくともよい。いつ現れたとも知れぬ一顆の夏蜜柑。それでさへ存在の鐘を打ち鳴らすに足りる。

午後三時半。駿河湾で存在を代表したのは、その一顆の夏蜜柑だった。」

という箇所の三羽の鳥と白波と夏蜜柑を見たのは透だったのだ。

 安永透は十六歳。貨物船の船長をしていた父が海で死に、その後間もなく母が死んで、孤児となった。伯父のもとにひきとられた後、中学を卒業して働いている。清水港に入港してくる船を確認して、関係機関に連絡する仕事である。望遠鏡を覗くことが透の仕事だった。その透にとって、「見る」ことは、たんに存在するものを「認識する」ことではなかった。

 「見ることは存在を乗り超え、鳥のやうに、見ることが翼になって、誰も見たことのない領域へまで透を連れてゆく筈だ。永久に船の出現しない海、決して存在に犯されぬ海といふものがある筈だ。見て見て見抜く明晰さの極限に、何も現はれないことの確実な領域、そこは又確実に濃藍で、物象も認識もともどもに、酢酸に涵された酸化鉛のやうに溶解して、もはや見ることが認識の足枷を脱して、それ自體で透明になる領域がきっとある筈だ。」

 五月の駿河湾に、翼のように躍り上がって消えた白波と、波間にふと現れてみるみる東のほうへ遠ざかった一顆の夏蜜柑の向こうに、透は何を見ただろうか。

 翌朝勤務に就いていた透は、日の出前の美しい空を眺める。朝ぼらけの雲が山脈の連なりのように見える。その上に薔薇いろの横雲が流れ、下には薄鼠色の雲が海のように堆積して、山裾には人家の点在まで想像される。

 「そこに薔薇いろに花ひらいた幻の国土の出現を透は見た。あそこから自分は来たのだ、と透は思った。夜明けの空がたまたま垣間見せるあの国から。」

だが、薔薇いろの国土は太陽の出現を前に消える。日の出の時刻を少し過ぎて「洋紅色の、夕日のやうなメランコリックな」太陽が現れる。

 「雲の御簾ごしのその太陽は、上下を隠されて、あたかも光る唇のやうな形をしていた。洋紅の口紅を刷いた薄い皮肉な唇の冷笑が、しばらく雲間に泛んだ。唇はますますほのかになり、あるかなきかの冷笑を残して消えた。」

 透が見た「薔薇いろの幻の国土」と「御簾越しの唇の冷笑」とは何か。

 一方、本編のもう一人の主人公本多繁邦は七十六歳になっている。妻を亡くしてから一人旅に出ることが多く、日本平から三保の松原を見物した際に、海辺を逍遥して、透の仕事場の建物に目を惹かれる。そして、透が船を見張っている頃、帰宅した本多は本郷の自宅で夢を見ていた。透は決して夢を見ないが、本多はよく夢をみるのである。

 三保の松原の空に、何人もの天人が群れを成して飛んでいる。手をとりあうだけで、お互いに心に想い合うだけ、見つめ合うだけ、語り合うだけで情を遂げることができるという天人たちの交会の集いのようである。たえず白い曼陀羅華が降る中、波打ち際近くまで舞い下りてまた舞い上がる天人たちの顔に、清顕や、勲、ジン・ジャンの面影もある。とめどもない遊行の流動がしまいにはうるさく感じられ、本多の自意識を呼び覚ます。クラクションの音に脅えた屈辱の公園の覗き見を思い出したのだ。本多は夢を削ぎ落して目をさました。

 「自分はいつも見ている。もっとも神聖なものも、もっとも汚穢なものも、同じやうに。見ることがすべてを同じにしてしまふ。同じことだ。……はじめからをはりまで同じことだ。」

 梅雨が始まった。本多は女友だちの久松慶子を伴って、再び三保の松原を訪れる。本多は、錦蛇のブラウスにパンタロンといういでたちの奔放な慶子にふりまわされしまうが、最後に、前回興味を覚えた透の仕事場に立ち寄る。そこで偶然、透の左脇腹に三つの黒子があるのを見つけてしまう。本多は躊躇なく透を養子にすることを決意し、タクシーの中で慶子にそれを告げる。その後、宿泊先のホテルで、清顕から始まる輪廻転生のいきさつを慶子に話した後、本多はまたしても夢を見る。いままで一度も見なかった試験の夢だった。

 本多は、清顕が背後の席にいると意識しながら、落ち着いて試験に臨んでいた。焦燥感は全くなかった。彼は目を覚ましてから、誰がこんな夢を見させたのだろう、と考え、誰かが自分を見張っていて、何事かを強いていると思った。

 「夢の中で自分を強ひるもの、超歴史的な、あるひは無歴史的なものが、この闇の奥のどこかにゐるのだ。」

 透を養子にしようとするのは、はたして本多の主体的意志そのものだったのか。

 夏になった。八月十日の朝、透の仕事場に絹江という狂女が訪れる。絹江はいつも花を髪に挿して来たが、その容貌は「萬人が見て感じる醜さ」で「その醜さは一つの天稟」だった。そして「たえず自分の美しさを嘆いてゐた」のだった。

 狂気の原因は、失恋によるもので、失恋の相手が彼女の醜さを嘲ったのである。絹江は半年間精神病院に入っていて、退院してからは、自分が絶世の美人と決めて落ち着いた。狂気によって、自分を苦しめていた鏡を破壊し、この世の現実の見たいものだけを見、見たくないものは見ないという放れ業をやってのけたのである。彼女は、あらたに造り出した自意識を作動させ、誰も犯すことのできない「金剛不壊」の世界を築いたのだ。

 美しさ故の不安や脅えを口実に透の仕事場を訪れていた絹江だったが、今回は「透が狙われている」という。透のことをあれこれ尋ねる男が絹江の前に現れたのは今回で二度目だった。絹江と透の中が疑われていて、透を抹殺しようとしている。おそろしい力のある大金持ちの蝦蟇のやうに醜い男が狙っているのだという絹江の話をひきとって、透はそれを論理化し、補強してやる。

 自分たち純粋で美しい者を滅ぼそうと狙っている強力な存在がある。それに打ち勝つには、相手方の差し出す踏絵を踏まなければならない。服従したふりをして油断させ、相手の弱点を突き、反撃する。そのためには堅固な自尊心を保たなければならない。

 本多が「おそろしい力のある大金持ちで蝦蟇のやうに醜い男」かどうかは別として、物語の後半、透はたしかに「無抵抗に服従するふりをして、何でもいいなりになってやる」「甘い男」を演じ切ることになる。はたして、その結果絹江のいうように「あなたと私とが手をつなげば、人間のあらゆる醜い欲望を根絶し、うまく行けば全人類をすっかり晒して漂白してしまへる」ことになっただろうか。

 絹江が帰った後、透は望遠鏡で波打ち際の海を眺める。複雑、微妙に変身して砕ける波の様子を追っていたレンズが天頂へ、水平線へ、ひろい海面へ向けられた時、一瞬、一滴の波しぶきが上がる。天にも届かんばかりの「至高の断片」。何を意味するのだろうか。

 夕方五時。透は再びレンズを波打ち際に向け直す。そのとき、砕ける波に死のあらわな具現を見ていた透の望遠鏡は「見るべからざるもの」を見たのである。顎をひらいて苦しむ波の口の裡に透が見たもの、それは海中の微生物が描いた模様のようなもの、あるいは波の腹に巻き込まれながら躍っていた幾多の海綿であったかもしれない。だが、波の口腔の暗い奥に閃光が走り、別の世界が開顕されて、透はそれを、確かに一度見た場所だと思ったのである。

 透は時間を異にする世界を見たのだろうか。

 八月下旬、透は残暑の夕景を見ている。本多の養子になることが決まって、仕事場で見る最後の夏である。美しい空だった。遠近法を以って沖に連なる横雲の向こうに、白く輝く積乱雲が神のように佇んでいた。だが、その横雲が、遠近法でだんだん低くなっているのではなく、白い埴輪の兵士の群が並んでいるように見えてきて、気がつくと、積乱雲の色は健やかさを失い、神の顔は灰色の死相になった。

 『天人五衰』の象徴詩のような前半は、ここで終わる。「凍ったやうに青白い美しい顔」で「心は冷たく、愛もなく、涙もなかった」と造型される透の幸福は、存在の極限まで「見る」ことだった。「自意識」によって自分のすべてが統御されていると考えている透にとって、「見る」こと以上の自己放棄はなかったのである。透が、五月から八月へかけて、駿河湾の海と空と船の向こうに見たもの、あるいは見させられたものは何だったのか。

 夢を見ない透が見たもの、それは未生の過去に経験した出来事を示唆するものであり、また、自分の半身が属していると信じる「濃藍の領域」が告げる運命だったのではないだろうか。試験の夢から覚めた本多が覚えた感覚_「夢の中で自分を強ひるもの、超歴史的な、あるひは無歴史的なもの」が本多を動かしたかもしれないように、存在の向こうの「濃藍の領域」が透に働きかけていた、と言ってもよいのではないだろうか。それは、みずからのすべてが完全に自意識の支配下にあると考える透の論理を破綻させるものだが。

 世界を認識の「対象」として「認識」し、自分を世界と別個の存在として「自意識」の絶対性を確保することが近代的自我の確立であるとするなら、安永透は近代的自我を極限まで拡張させた人間として登場する。狂女の絹江は透の鏡像である。透は現実そのものの中に自我を拡張させようとしたが、絹江は現実の方を変えて透よりさらに堅牢な自我の城を築いたのだ。そして、透の自我は崩壊し、絹江の自我はすべてを手に入れたのである。

 失明した透は「見る」ことから解放され、堅牢な自我の王国の女王となった絹江の花婿となる。文字通り絹江の飾り立てる花を髪に挿して。萎えた花が散乱する室内に、やがて次の生命も誕生するという。着たきりの浴衣に垢と膩と体臭を漂わせ、頭上の華も萎れて、五衰の天人の様相を呈しながら、透は黙って座っている。

 こんなに時間が経ったのに、結局あらすじをなぞることしかできませんでした。もう少し小説的な興味を覚える後半についても書きたいと思っています。透の家庭教師の青年が語る「猫と鼠」のたとえ話と、透を自殺に追いやる久松慶子という「錦蛇のパンタロン」の女性の役割を考えてみたいと思っています。まだ時間がかかるかもしれませんが。

 今日も大変不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2021年3月19日金曜日

三司馬由紀夫『暁の寺』__認識、破壊、そして燔祭(2)__本多繁邦の欲望と孔雀明王

  昭和二十年六月、本多は、渋谷松濤の依頼人の邸宅に招かれる。渋谷近辺の光景は、一週間前、二日にわたり延べ五百機のB29が東京を焼いて、「その高臺の裾から驛までの間は、ところどころに焼きビルをした殘した新鮮な焼址で」と描写される。人間の生の営みが完膚なきまでに破壊され、蹂躙された有様が、正確な筆致で過不足なく記述されるが、看過ごせないのは、その後

___これこそは今正に、本多の五感に譽へられた世界だった。戦争中、十分な貯へにたよって、気に入った仕事しか引き受けず、もっぱら餘暇を充ててきた輪廻轉生の研究が、このとき本多の心には、正にこうした焼址を顯現させるために企てられたように思ひなされた。破壊者は彼自身だったのだ。

と書かれていることである。

 この焼け爛れた末期的な世界は、それ自体終わりでもなく、はじまりでもない。世界は一瞬一瞬平然と更新されていく。本多は唯識の阿頼耶識の法則が全身に滲み透るのを感じて「身もをののくやうなを涼しさに酔った」のである。

 この後、用を済ませた本多は足を延ばして、旧松枝邸を訪れる。かつて十四萬坪あった敷地は細分化され、千坪ばかりになってしまったが、いままた茫々たる焼址になって、昔の規模を取り戻している。そこで本多は『春の雪』の影の主人公ともいうべき蓼科に邂逅する。蓼科は九十五歳になっている!

 『春の雪』の悲劇をよくできた人形浄瑠璃と見立てることができるとすれば、聡子と清顕の美しい人形を操っていたのは、蓼科である。綾倉伯爵への蓼科の思い、情念が二人を完璧な破滅に導いたのだ。破滅ではなく、輪廻のはじまりであり、今生の完成かもしれないが。あるいは、イノセントな二人に罪を教え、楽園追放にみちびく蛇の役割を果たしたのが蓼科だったかもしれない。この焼址に登場する蓼科は、あきらかに蛇のメタファーとして描かれているように思われる。

 本多は依頼人から土産にもらった鶏と卵を二つ蓼科に与える。いったんしまった卵を一つ取り出して、その場で割って呑みこむ蓼科のしぐさが、逐一描写されるが、それがまさに「蛇が卵を呑む」様子なのである。

 蓼科は本多に礼として「大金色孔雀明王經」という本をくれる。これを身につけていれば、さまざまな難を免がれることができるという。もともとは、蛇毒を防ぎ、蛇に咬まれても癒す呪文を釈迦が説いたということだが、蛇毒だけでなく、一切の熱病、外傷、痛苦を除く効験があるとされる密教の経典である。讀誦する場合はもちろんだが、「孔雀明王」を心にうかべるだけでも効験があるとされる。

 だが、この「孔雀明王」という優美な女神の原型は、かつて本多が訪れたカルカッタのカリガート寺院で見た「赤い舌を垂れ、生首の頸飾りをしたカリー女神」__殺戮と破壊をもたらし、たえざる犠牲を要求する大地母神なのだ。そしてまた、明王を背に乗せる孔雀は、毒虫や毒蛇を攻撃する鋭い蹴爪をもつ鳥である。蛇のメタファーとして登場する蓼科が、孔雀明王経を身につけているというのは逆説である。

 家に帰った本多が「孔雀明王經」を繙くと、そこに描かれた明王像は優美でやさしく、無限に人々を厄災から救うかのようにまどろんでいる。明王を背に乗せる孔雀もまた金、銀、紺、紫、茶の暗鬱な五彩に彩られて、その羽根尾を燦然と展いていた。だが、本多は、蓼科と会った焼址の夕焼けの空には、きっと緋色の孔雀が、緋色の孔雀明王すなわち殺戮と破壊を司るカリー女神を背に乗せて、顕れていたのだ、と思ったのである。

 孔雀明王はそれから七年後本多の夢の中に再び登場する。昭和二七年は血のメーデー事件が起こり、暴力革命前夜のような騒乱が続いたが、本多は再会した月光姫(ジン・ジャン)に溺れていた。妻の梨枝は夫の恋に気づき嫉妬するが、本多はジン・ジャンと直接の交渉をもったわけではない。彼女を手に入れようと奇怪、卑劣な策を弄するが、失敗する。ジン・ジャンは本多にとって、再び不在の人となった。

 夢の中で本多は、いまは消え失せてしまったような住宅街をさまよって、朽ちかけた枝折戸の向こうの古風なホテルの前庭に入っていく。ひろい前庭では立宴がひらかれている。突然喇叭の調べが起こると、足下の地が割れ、金色の衣裳の月光姫が、金色の孔雀の翼に乗ってあらわれる。孔雀は喝采する人々の頭上をを飛びめぐり、そうしているうちに月光姫は人々の頭上に放尿する。本多は姫のために厠を探しにホテルの中に入ったが、外の喧騒にひきかえて、中は人気がない。どの部屋も鍵がかかっていなくて、ベッドの上に棺が載せてある。あれがお前の探している厠だという声をどこかで聞きながら、本多は尿意をこらえかねる。棺の中にしようと思いながら、神聖を犯す怖ろしさにできなかった。

 何だかかの有名な『家畜人ヤプー』の一場面のようだが、ここにはまぎれもなく全体を覆う死のイメージがある。棺のなかには、すでに死者が納められているのだろうか、それとも、いま立宴で姫に喝采している人々が納められることになるのだろうか。地を割って出現した孔雀明王の化身が、小水を驟雨と降らせるというのは、何のメタファーなのか。

 そして、この夢からさめた本多は「誰憚るもののない喜びの、輝かしい無垢が横溢していた」というこの上ない幸福感に包まれる。

 空翔る孔雀明王の化身の姿を、本多は神話と共感の全き融和の裡にとらへてゐた。ジン・ジャンは彼のものだった。

と書かれるのだが、孔雀明王は無限の救いをもたらすのか。それとも、破壊と殺戮だろうか。あるいは破壊と殺戮の果ての無限の救い?本多の裡にあるのは、まったき自己の消滅、すなわちまったき世界の消滅であり、彼の欲望を成就させる孔雀明王こそジン・ジャンだったのだ。

 さて、清顕の、また勲の転生のしるしである左脇腹の三つの黒子はどうなったのか。別荘のプール開きの日、盛大に行われた祝宴の最中、本多は水着姿のジン・ジャンに何の印もないことを確認する。ところが、深夜再び本多が書斎に穿った覗き穴から覗くと、そこに繰りひろげられていたのは、別荘の隣人久松慶子とジン・ジャンが濃密に愛をかわしあう姿だった。そして、このときジン・ジャンの左脇腹には、はっきりと転生のしるしがみとめられたのである。

 三つの黒子は本当に存在するのか?現実に存在しない黒子が、本多の目には、久松慶子とむつみあうジン・ジャンにみとめられた、ということなのか?それとも、愛の行為の最中にだけ黒子は出現するのだろうか。

 三島が提示する「恋と認識と不在または不可能の方程式」を解くことは私の手に負えるものではない。輪廻転生と恋のそれも同様である。だが、妻の梨枝と二人して覗き穴からジン・ジャンジャンの裸体を見て、「本多が実體を発見したところに、梨枝は虚妄を発見していたゐたのである」と書かれて、すべては終わる。

 だから、この後、ジン・ジャンの裸体を見るために建てられた御殿場の別荘は見事なまでに焼かれて、燃え尽きたのである。建物の中に男女二人を燔祭の生贄として捧げて。そして、燃やしたのは本多である。あるいは本多の認識といってよいかもしれない。

 焔、これを映す水、焼ける亡骸、……それこそはベナレスだった。あの聖地で究極のものをみた本多が、どうしてその再現を夢みなかった筈があらうか。

 冒頭引用したように、

 破壊者は彼自身だったのだ。

 最後に、タイに帰ったジン・ジャンが、二十歳の春にコブラに咬まれて死んだことが簡単に報告されて物語は終わる。もはや、輪廻転生にも、孔雀明王にも言及されることはなく。

 プロットの表面だけをなぞった感想文しか書けませんでした。題名となった「暁の寺」は、本多が見る幻影としての富士山だと思われ、こちらからも本多の「認識」についてアプローチしなければならないのですが、今回は力及ばす、でした。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 

2021年3月13日土曜日

三島由紀夫『暁の寺』__認識と破壊、そして燔祭(1)__本多繁邦の欲望

 『豊饒の海』第三巻は、日米戦争前夜一九四一年タイの首都バンコックを舞台に始まる。主人公は前二作でそれぞれの主人公松枝清顕、飯沼勲の同行者として登場した本多繁邦である。飯沼勲の弁護のために裁判官を辞して弁護士となった本多は、商社の仕事でバンコックを訪れる。その地で本多は、飯沼勲の生まれ変わりではないか、と思われるタイの王女の話を耳にする。

 自分はタイの王女ではなく、日本人の生まれ変わりで、本当の故郷は日本だ、と言い張ってきかない姫君がいる。父殿下始め多くの王族がスイスに行ったきりになっているのに、まだ七歳になったばかりの姫君が、侍女たちに囲まれて薔薇宮というところに押し込められているという。

本多は、ホテルでタイに持参した清顕の夢日記を繙く。その中で清顕は、タイの王族になって、廃園を控えた宮居の立派な椅子に掛け、かつてタイの王子がはめていたエメラルドの指輪を自分の指にはめている。そのエメラルドのなかに「小さな愛らしい女の顔」が泛んでいる。ここまで読んで、本多は、これこそまだ見ぬ姫君の顔で、姫は清顕の、また勲の生まれ変わりであると思う。

 商社員の菱川という男の取りつぎで、本多は姫に謁見がかなう。姫は突然本多に縋りついて、自分は八年前に死んだ勲の生まれ変わりだと言って泣き叫ぶ。清顕と勲に関する出来事の日時もまた、正確に答える。姫が清顕と勲の生まれ変わりであることは、本多の確信となった。

 だが、その後本多は、たまたま幼い姫の裸体を見る機会を得たが、その左脇腹に、転生のしるしである三つの黒子は、なかったのである。

 時は流れ、十一年の歳月が経った。物語の始めから日中戦争はすでに始まっていた。一九四一年に日米戦争が起こり、世界大戦となって、日本は敗れ、前年にサンフランシスコ講和条約が結ばれた。日本だけでなく、世界中で多くの人が惨禍に巻き込まれたが、本多の生活は変わりがなかった。というより、僥倖ともいえるなりゆきで、金満弁護士となっていた。そうして、若さ以外のものは多くを手にいれた本多が、恋をしたのである。いまは、「月光姫(ジン・ジャン)」と呼ばれ、美しく成長したタイの姫君に。

 恋に理屈はいらないが、本多のジン・ジャンへの執着は異常である。姫の容姿がいかに魅力的であるかは、これ以上は不可能なほど精緻に描かれるが、その内面、精神に言及されることはない。言葉の問題もあるかもしれないが、はたして、本多とコミュニケーションがとれているかも怪しい。本多の欲望は、ジン・ジャンの左脇腹の黒子の有無を確かめたい、という点に集中する。そのために、本多は御殿場に別荘を作ったのである。姫を招いて、その寝室を隣の書斎に穿った覗き穴から覗き、プールを掘って、彼女の水着姿を見ようとしたのだ。

  初老の男の欲望というものがどんな内実をもつのかについて、女の私がどこまで理解、というか実感できるかについては、甚だ心もとないものがある。作者三島は言葉を尽くして、本多の心理を語るが、あまりにも観念的な分析だと思われる。ジン・ジャンの黒子を確かめるために彼女の裸体を「見る」ことへの欲望__それを本多(作者三島)は「認識慾」と呼ぶのだが、認識慾が自分の肉の慾と重なり合うということは「實に耐へがたい事態」であったから、この二つを引き離すために、ジン・ジャンは「不在」でなければならなかった、と書かれる。「不在」であること即ち

……ジン・ジャンは彼の認識慾の彼方に位し、又、欲望の不可能性に關はることが必要だったのである。

 本多はジン・ジャンに恋をする義務があったかのようである。

 ところで、「認識」という言葉はこの小説のなかで、ほとんど「見る」という言葉と同じ意義をもつかのように使われている。実は、本多はジン・ジャンの裸体だけをみることに固執しているのではない。夜の公園で睦あう男女の姿態をひそかに見ることにも異常なほど傾斜しているのだ。「認識」という言葉が「見る」という言葉、もっといえば「覗き見」という言葉と重なってくる。そうして、「見る」という行為は「権力の行使」なのである。

 「認識」という行為が「権力の行使」であり、直接には「破壊」である、という機序について語る事は、私の能力の限界を超えているいるようにも思われるが、次回「孔雀明王」のモチーフを中心に、いくらかでもたどってみたい。この小説のかなりの部分を占める仏教の理論に触れなければならないので、成功するかどうかまったく自信はないが。

 随分久しく書くことから遠ざかっていて、ようやく出来たものが、肝心なところで、尻切れとんぼになってしまいました。あまりの難解さに、もう書くのをやめようと思ったこともあったのですが、何とかメモを残せました。不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。