2017年10月13日金曜日

大江健三郎『晩年様式集』__終活ノートの告白__塙吾良の「ありえない」死と伊丹十三

 前回の「ウソの山のアリジゴクの穴から」で次回は塙吾良の死について書く、と言っておきながらどうしても書けないでいる。ひとつには、塙吾良のモデルである伊丹十三の事件が、小説の外側の現実から投げかける影があまりにも大きく深刻だからである。そしてもうひとつ、小説のなかで説明される事件の経緯が、普通の感覚では容易に受け入れがたいことが、さらに大きな理由なのかもしれない。

 塙吾良の死の解明に関して作者は、彼の最後の恋人(と呼んでいいかどうか迷うのだが)シマ浦という女性をドイツから召喚する。ギー兄さんの死に関して彼の息子のギー・ジュニアをアメリカから召喚したように。かつて『取り換え子』のなかで十八歳の初々しい大柄な娘だったシマ浦は、いま「ルイズ・ブルックスのブローチの面影」と形容される成熟した女性となって長江古義人の前に現れたのだった。

 吾良とシマ浦はヨーロッパの各地で八年間にわたって逢曳を重ねた。『取り換え子』では吾良がドイツに滞在した一時期の交流だった、とされているが、この小説では、シマ浦が人妻となった後も、「宗教上の理由もあって」(これは何のことかわからない)「性器の侵入を許さない」情事を重ねる。最後の密会はジュネーヴだったという。

 大江健三郎はなぜか、「性器の侵入を許さない」行為というモチーフにこだわっているようで、『﨟たしアナベル・リー総毛立ちつ身まかりつ』の主人公の女優サクラさんと、彼女を保護し、後に夫となった米軍の情報将校との間でも同じ行為が繰り返されていたことが暗示されている。

 シマ浦が長江の家を訪れたのは、吾良との最後の逢曳のとき、吾良が描いたスケッチが人目にさらされることを危惧したからだった。千樫が「本当に良い絵」だというそのスケッチは、あお向けになって両肢を開いた裸婦が描かれていて、シマ浦がモデルだった。吾良はその両肢の間の「女性の身体の部分」を表現したいと言って、シマ浦をモデルに構想していた映画のカメラマンと決裂した、という。

 カメラマンとの決裂の夜、吾良は古義人のもとを訪れ、例のスケッチを見せる。そして「映像として示すことのできない一瞬の持続(なんだかT・Sエリオットの詩のようだが)の内容」を「皮膚のある部分の微妙な動きの描写でなく、それそのものが実体である言葉」として表現してほしい、と古義人に要求する。だが、古義人はその要求にこたえることはできなかった。それ以降吾良と古義人の関係は断たれたのだった。

 以上、塙吾良に関する記述は、シマ浦さんの回想と古義人の記録、千樫の証言などを織り交ぜながら続いたのだが、娘の真木に突然ノーを突きつけられる。「もう、時間がない」。こんなことを書いていていいのか、と。妹のアサからも、反原発集会の中野重治の文章の引用を例に出して、古義人はザツだ、と批判される。女たちから、このように、喫緊のことを、精確に書け、という要請を受けたという設定になっているが、おそらく長江古義人の、というより大江健三郎の内部の声の発するものだろう。

 小説の後半、妻の千樫、娘の真木、妹のアサ、そしてシマ浦を交えて、古義人に対するギー・ジュニアのインタヴューが行われる。ここで、塙吾良の死についてのあらたな事実が記録される。そのひとつは、少なくとも古義人は、吾良の死を自殺だと思っていない、ということである。これは「事故」である、と。妻の千樫も同じように考えている、というのである。『取り換え子』冒頭の録音テープに記録されたドシン(という音)は、若い頃から自殺をほのめかし続けた吾良と古義人との間の永年のゲームだった、という。「たまたま」ゲームと「事故」がシンクロしてしまった、と。死の直前の吾良の行動を、古義人はこのように説明するのである。

 強い酒を飲んで、ひとつの思いに取りつかれ、ビルの屋上から飛び降りる。・・・・・・・・・・・・・・・・・
 そこで、ふっとひとつの翳りが頭にさして、消えずにいる間に、プロダクション事務所の自室のドアを開けばエレベーターがあって、すぐが屋上でそこに鍵がかかっていなかったとすれば、二、三歩歩いて飛び降りる。思い詰めて、というのじゃなくそういうことをしうる人間にとって、これは「自殺」ではなくて「事故」だ、と僕は考えます。

 この論理を理解できるのは『晩年様式集』の登場人物以外にいないのではないか。にもかかわらず、作者は長江古義人にこう言わせなければならなかった。

 塙吾良の死についてのもうひとつのあらたな問題は、吾良の死亡日時についての解けない謎である。ギー・ジュニアのインタヴューの席で、千樫は古義人の母が吾良の死を悼んでこう言ったというのである。

 お兄さんが痛ましいことでした。・・・・・・・・・・
 コギーはあのように親しくしていただいておりながら、吾良さんが亡くなられるのをそのまま見殺しにしたのでしょう?コギーは恩知らずですから・・・・・・申し訳ないことです。

 吾良が死んだのは一九九七年の十二月二十日、古義人の母が亡くなったのは同じ年の十二月五日のことで、先に亡くなった古義人の母が吾良の死を悼むことはありえない。だが、千樫は自分の記憶にある古義人の母の言葉を思い違いとしたくない、と言うのだ。

 ちなみに『憂い顔の童子』では、古義人の母は病院の待合室で一年前のことを蒸し返した週刊誌を見て、吾良の死を知ったことになっている。つまり、先に亡くなったのは吾良で、古義人の母は吾良の死後、少なくとも一年は生きていたことになる。また、『憂い顔の童子』では、古義人に向かって母は「吾良さんが自害されたそうですな」と、はっきり「自害」と言っている。

 それに対して、この小説では、吾良の死は「痛ましい」と悔やまれているが、「自殺」という表現は使われていない。さらに、古義人の母は、コギーは吾良が亡くなるのを見殺しにした恩知らずだと言っているのだ。古義人の母の言葉は、吾良の死に古義人が無関係ではないことを含んでいる。それは具体的にどんなことを意味するのだろう。

 古義人自身は、千樫の言葉に続いて、「僕への批判としてであれ、そしてまだ吾良が生きていたのであれ、ギー兄さんと塙吾良を結んで思い出す母親の頭は、ボケていなかったと思うよ」と言っている。(下線は筆者)「ギー兄さんと塙吾良を結ぶ」とはどういうことか?古義人の母のなかで、ギー兄さんと塙吾良は同一の存在だったのか?

 ギー兄さんと塙吾良の親縁性は、ギー・ジュニアが最初に古義人の家を訪れたときに、古義人の息子アカリのブレザーを着て現れたエピソードに示されている。真木が、ギー・ジュニアとアカリがよく似ていることを、古義人に見せるつもりでそうさせたのだという。アカリは古義人の息子だが、吾良の甥であり、ブレザーは吾良がアカリに(意図的かどうかわからないが)残したものだった。「それを着ると、アカリに吾良の面影がある」「かれ(アカリ)のために仕立てたよう」とも書かれている。ブレザーをなかだちに、吾良、アカリ、ギー・ジュニアの親縁性が展開され、さらに「長江さんと僕の父は、骨格も身ぶりも似てた、兄弟のようだったとアサさんがいっています」というギー・ジュニアの言葉もある。

  塙吾良の死についての究明を試みるつもりが、いつまでたってもその糸口さえ明らかにできない。長江古義人が、吾良の死を無茶苦茶な論理で「自殺でなく事故」だと「いいはる」のはなぜか?さらに、もっと無茶苦茶なのが、まだ死んでいない吾良を悼む言葉を死の直前の古義人の母が述べたと千樫が「いいはって」いることである。謎を解くカギは「ギー兄さんと塙吾良を結んで」という古義人の言葉にあるのだろうが、これについて、作者はこれ以上何の解説もしない。「ウソの山のアリジゴクの穴から」二枚の紙を差し出したから、真実は読者がそこから炙り出せ、といわんばかりである。

 この作品以降いまに至るまで、大江健三郎はあらたな創作は発表していないようである。『晩年様式集』は「イン・レイト・スタイル」であって「イン・ラスト・スタイル」ではないのだから、また「ウソの山」にもう一枚のウソを積み重ねてほしい、と切望している。カタストロフィーは一回的なものではないのだから。生きることはつねにカタストロフィーなのではないか。

 読み直し、書き直し、生き直す、ということ、私らが生き直す、ということについて、まだたくさん書かなければならないことはあるのですが、今回はこれが私の能力の限界のようです。不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2017年9月4日月曜日

大江健三郎『晩年様式集』__終活ノートの告白__「ウソの山のアリジゴクの穴から」

 告発者アサの告発は二つある。一つは、作家の「私」の書いてきた作品のウソについて。もう一つはギー兄さんの死の真相について。この二つは方法論と中身の問題で、つきつめれば、「ギー兄さんの死」__「塙吾良の死」の究明が目的だと思われる。

 小説のウソと本当のことについて、『憂い顔の童子』冒頭で、大江健三郎は母親の言葉として、きわめて簡潔、明瞭に述べている。

 ・・・・・・小説はウソを書くものでしょう?ウソの世界を思い描くのでしょう。そうやないのですか?ホントウのことを書き記すのは、小説よりほかのものやと思いますが・・・・・・
 ……それではなぜ、本当にあったこと、あるものとまぎらわしいところを交ぜるのか、と御不審ですか?
 それはウソに力をあたえるためでしょうが!・・・・・・・・・・・・・
 倫理の問題がある、といわれますが、それこそは、私のような歳の者が、毎朝毎晩、考えておることですよ!いつ死んでもおかしゅうない歳になった者が、このまま死んでよいものか、と考えて・・・・・・そのうち気がついてみると、これまでさんざん書いてきたウソの山に埋もれそうになっておる、ということでしょうな!小説家もその歳になれば、このまま死んでよいものか、と考えるのでしょうな。
 ウソの山のアリジゴクの穴から、これは本当のことやと、紙を一枚差し出して見せるのでしょうか?死ぬ歳になった小説家というものも、難儀なことですな!

 なんだか大江健三郎の弁明、というかアリバイ作りの文章のようで、身も蓋もない、という感があるのだが、『晩年様式集』という作品はまさに「死ぬ歳になった小説家」が「ウソの山のアリジゴクの穴から、これは本当のことやと、差し出された一枚の紙」だろう。ホントウのことを書くのに、さらにウソを交ぜて、語りを複雑にしなければならなかったのだが。

 アサの告発あるいは糾弾はまず、「『懐かしい年への手紙』は真実、書かれたのか、というものである。アサはこう言っている。

 ・・・死んだ(殺された?)ギー兄さんをこれ幸い、『懐かしい年の島」に送り込んでしまうと、少なくとも兄は自分の小説ではただの一度も、本当に心を込めて真実の手紙を書き送る事はしなかったと思う。

 『懐かしい年への手紙』は一九八七年に出版されている。みずから造った人造湖「テン窪大池」に死体となって浮き上がったギー兄さんに呼びかけた小説の末尾の文章はこうなっている。

 《ギー兄さんよ、その懐かしい年のなかの、いつまでも循環する時に生きるわれわれへ向けて、僕は幾通も幾通も、手紙を書く。この手紙に始まり、それがあなたのいなくなった現世で、僕が生の終わりまで書きつづけていくはずの、これからの仕事となろう。》

 上に引用した文章とアサの糾弾の言葉が微妙に、だが確実にくいちがっていることに気がつくだろうか。『懐かしい年への手紙』の末尾では「いつまでも循環する時に生きるわれわれへむけて」手紙を書く、といっている。だが、アサは、たんに「兄は自分の小説ではただの一度も、本当に心を込めて、真実の手紙を書き送ることはしなかった」と非難しているだけだ。「誰に向けた」手紙かには触れていないのである。普通に読めば「「懐かしい年の島」に送り込まれた」ギー兄さんにむけたものだろう。些細な違いにみえるが、ここでも巧妙なすり替えが行われているように思われる。

 そもそも「僕」が「われわれへ向けて」手紙を書く、とはどういうことを意味するのか?

 アサの糾弾は「真実の」「手紙を書いたか」というところにとどまらない。アサは、ギー兄さんの死の真相について、より直截に具体的に言えば、「僕」がギー兄さんを殺したのではないか、という疑念をいだいているのだ。小説後半でアサは直接「僕」に問いただす。

 ギー兄さんの遺児ギー・ジュニアが「僕」にロング・インタヴューをする、という設定で小説後半の「僕」への追及は始まる。その中心は『懐かしい年への手紙』の読み直しである。小説の前半では、ギー・ジュニアは「僕」の創作態度への疑問を提出している。『懐かしい年への手紙』でギー兄さんが試みた奇妙な自殺(未遂)と強姦について、共通のものが、二〇年前に書かれた『万延元年のフットボール』ですでに起こってしまったそれとして描かれている、というものである。それに対してはアサが「僕」の側に立って経緯を説明し、ギー・ジュニアはその説明を受け入れている。

 余談だが、「胡瓜を肛門にさしこみ」「朱色の塗料で頭と顔を塗りつぶし」「首を吊る」という、およそ現実にはあり得ないスタイルでの自殺に大江健三郎はずっとこだわっている。『雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち』、『同時代ゲーム』にも、自殺ではないが登場人物が「胡瓜を肛門にさしこみ」「顔を赤く塗る」行為をする。強姦という行為に関しても同様なこだわりがあるようで、主人公は不必要かつ不自然な強姦を行って(敢えて)罪をかぶるのだ。作者は、これらの「ウソの山のアリジゴクから、」どのような「本当のこと」を差し出して見せようというのか?

 ロング・インタヴューの主導権を握るのはアサである。ギー兄さんのことを理解するには「小説ではあるけれど」と断ったうえで「唯一の本」として『懐かしい年への手紙』をたどっていく。

 土地に根差した新しい生活_根拠地の運動をすすめていたギー兄さんは、おりからの反・安保デモのさなか、かつて弟子だったKの身を案じて上京し、デモにまきこまれて大怪我をする。その混乱の中から彼を救い出した女性を連れて森のへりに帰ったギー兄さんは、彼女と演劇運動を始める。だが、結果として彼女を殺してしまう事態が起こる。殺人者となったギー兄さんは罪を償って十年間獄中で過ごす。監獄から出て、しばらく日本中を放浪した後、いまは作家となったKの家に現れる。

 Kの留守中にやってきたギー兄さんは、Kの長編の草稿を読み、かつてKのテューターだった時と同じように批評を始める。批評というより批判と言ったほうがいいかもしれない。Kが「自己(セルフ)の回心(コンヴァージョン)の・死と再生(リザレクション)の物語」を書く時は熟していない、と。生業のために作家を続けなければならない、ということなら、自分と一緒に森に帰って新生活を始めよう、と誘ったのである。

 ギー兄さんの言葉を聞いたKは、執筆中の草稿を暖炉で燃やしてしまう。Kのこの行為について、その意味を「僕」に問いかけ、「僕」の本音を引き出したのはギー・ジュニアだった。「書くこと」=「書き直すこと」である「僕」が草稿を燃やしてしまったのは、書き直しが不可能だと知ったからであるが、それであれば何故ギー兄さんと一緒に森へ帰って、彼と新生活を始めなかったのか?ギー・ジュニアの問いかけに「僕」はこう答えるのだ。

 ___こちらを追い詰めて、二つにひとつを選ばせるというのじゃない、ひとつしかない選択肢を、恩賜の態度で示すわけだ。もう四十を越えているという男に。僕は憎悪とでもいうものを感じた、それを思い出すよ。そのうえで拒否した・・・・・・いや、憎悪というほかないものを抱いた

 「僕」のこの告白に鋭敏に反応したのがアサだった。「わたしのなかで意識的に押さえていた変な思い付き」の「妄想」とことわったうえで、アサは、「僕」がギー兄さんを殺したのではないか、という疑念を口にする。ギー兄さんが川を堰き止めて作った「テン窪大池」は、ギー兄さんと町の人間との対立を先鋭的なものにしていた。間にたって和解への導きを期待されて森のへりに帰った「僕」だったが、何ひとつできず東京に戻った。だが、ひそかに再び森のへりにやってきて、ギー兄さんと昔遊んだ「プレイ・チキン」というゲームをする。水中でする我慢比べだが、自分が負けるのを知っている「僕」は隠し持った「メリケン」という凶器でギー兄さんの頭を一撃し、浮かび上がる。翌朝、ギー兄さんは大池に浮かぶ。・・・

 アサの「妄想」は「僕」が持ち出した「証拠品」によって完全に否定されたのだが、この後、娘の真木が、ロング・インタヴューのパート2を始める。そこで彼女は次のように続けるのである。

 ・・・テン窪大檜の島で警察の検視があって、ギー兄さんがお酒を飲んでいたことが重く見られた。水温の低い夜更けにギー兄さんが泳ぎに出たのも普通じゃないですが、ギー兄さんには精神的に健康でない状態が続いていた。それには幾人もの証言がありました。そこで、事故が起こったと見なされました。
 今度はギー・ジュニアが、かれの父親のことですからね、その事故死とされたことについて、また別の噂があったという話を、土地の人から集めました。そのうちギー兄さんは殺されたというものが出て来たんです。

 ここまで、アサと真木の発言にそって『懐かしい年への手紙』を読み直してきたが、発表された『懐かしい年への手紙』で語られているギー兄さんの死は彼女たちの言葉とは微妙に、というよりはっきりと異なっているのだ。小説の末尾近く、こう書かれているのだ。

 死の前夜、夜明けからの大雨の中、ギー兄さんは「テン窪大池」の造成工事反対派の人間と激しい議論を交わしていた。いったん引き下がったかに見えた連中が、今度は屋敷の電話線を切って侵入し、妻のオセッチャンの抵抗をさえぎって、むりやりギー兄さんを雨のなかへ連れ出した・・・

 つまり、原作では、ギー兄さんの死は、あきらかに「テン窪大池」造成反対派の仕業だと思わせるように書いてあるのだが、この小説では、「お酒を飲んで」「泳ぎに出た」ギー兄さんを「警察が事故死」と見なした、と書かれているのだ。だが、殺された、という「噂」もある、と。しかも、「僕」の妹のアサは「僕」が殺したのではないか、と懼れていたのだと。

 この後さらに真木は「ギー・ジュニアの本来の意図」は「ギー兄さん、塙吾良、そして私の父」という失敗した知識人の研究で、かれらの晩年に共通のカタストロフィーが見て取れる、という発想で出発した、という。「長江はまだ生きているけれど、私小説的な長編はみなカタストロフィーを予感している」というギー・ジュニアの言葉も紹介している。完全にフィクションの中の人物であるギー兄さん、フィクション中の人物でありながらモデルが明らかな塙吾良、実在の作家に最も近い「私の父」が「カタストロフィー」ということばで括られている。「カタストロフィー」ということばが、たんに概念的なものでなく、具体的な実在感をもって重く響いてくるような気がする。

 カタストロフィー委員会のもう一人の対象である塙吾良についても書かなければならないのだが、すでにかなりの長文となってしまったので、続きは次回にしたい。もう少し整理した文章が書きたかったのですが、力及ばず、メモ以下になってしまいました。最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2017年8月16日水曜日

大江健三郎『晩年様式集』_____終活ノートの告白その1_「三・一一」とは何か

 「イン・レイト・スタイル」とルビが振られたこの小説について、何か月も何も書けないでいる。ひとえに私が怠惰なためである。これを書こう、という意欲がどうしても湧きあがらないのだ。言い訳じみたことをいえば、読後感が散漫なのである。もっといえば、「物語」が語られないのだ。いくつかの、非常に重要な事柄は存在するが、それは「物語」になっていない。「事実の告白」として作品中に提示されているだけなのだ。だから、読者としての興味、関心は作品世界の中に見出すことができなくて、作品世界の外側にある事実に向かってしまう。それが作者のもくろみなのかもしれないが。

 読後感が散漫な印象を与える理由のひとつに、作中「書き手」(語り手ではない)が三人存在するということがあると思う。作家の「私」、妹の「アサ」、娘の「真木」がそれぞれの文章を書き、パソコンで活字化したものを綴じ合わせ編集し、私家版の雑誌として「晩年様式集」とタイトルをつけた、と「前口上」に書かれている。書かれている事柄の時系列が前後したり、書き手の感情がもつれたりして錯綜して、かなり読みにくい。妹のアサと娘の真木は総じて作家の「私」に批判的である。とくにアサの「告発」が私の「告白」を余儀なくさせる結果となる。前作『水死』では、フィクサー・アサの役割が際立っていたが、今回は「告発者・アサ」として、重要な役割を果たすことになる。

 アサのアシスタントとしてアメリカから召喚されるのが『懐かしい年への手紙』の主人公「ギー兄さん」の遺児ギー・ジュニアである。ギー・ジュニアは、ギー兄さんの不可解な死の後、その遺産を相続した母の「オセッチャン」とともに幼少時アメリカに渡り、そこで教育を受ける。長じてTVのプロデューサーとなった彼は「カタストロフィ委員会」なるものを立ち上げ、「三・一一」直後の日本を訪れるのである。

 ところで、素人の本読みとして、あえて言わせてもらえば、この作品におけるギー・ジュニア(それから母親のオセッチャンも)の生育歴とキャラクターは『燃え上がる緑の木』や『宙返り』のそれと矛盾するところが多すぎるのではないか。前二作の「ギー」は知能犯的悪童であり、不良少年である。その彼が、申し分ない知性と教養、語学力を持ち、「私」の家族をサポートする。そのことによって、「私」の告白を引き出す役割を果たす、という次第はプロットの展開に必要ではあっても、ご都合主義すぎるように思われるのだが。

 そもそも「三・一一」とは何だったのか。それはこの作品における「三・一一」の意味であるとか、作家の「私」にとっての転機であるとかをこえて、いまに続く決定的な出来事の意味を問うことである。日本にとっても、世界にとっても。作家の「私」は、「三・一一後」に、それまで書いていた長編小説に興味を失った、と記している。ところが、私には、作家の「私」にとって、「三・一一後」が何であるか、あるいはあったのか、わからないのである。

 小説の冒頭、「三・一一後」福島に急行したNHKの取材チームによる特集番組が紹介されている。避難指示が出ている村落に一軒だけ残っている家がある。出産間近の馬がいて避難するわけにはいかない。取材したチームのプロデューサーは、翌日仔馬が生まれたことを家の主人から聞く。だが、仔馬を草原で走らせてやることはできない、とも。放射能雨で汚染されているから。

 この映像を見て「私」は泣くのだ。ここまでは、自然な感情の流れとしてすんなり読むことができる。?となるのはその後ダンテの『神曲』「地獄篇」の一節を引用する部分からである。原文に続いて、寿岳文章の訳が記されている。少し長くなるが訳とそれに続く本文を引用してみたい。

 「よっておぬしには了解できよう。未来の扉がとざされるや否や、わしらの知識は悉く死物となりはててしまふことが」
 私はあの時、いま階段の踊り場で哀れな泣き声を自分にあげさせたものが(それはこれまで味わったことのない、新種の恐怖によっての、おいつめられた泣き声であって)、TVの画像という「言葉」で、いま現在の、そこの状態について、どんな物証もなく、知識もない私に告げられた真実によってだった、とさとった。もう私らの「未来の扉」はとざされたのだ、そして自分らの知識は(とくに私らの知識は何というほどのこともなかったが、ともかく)悉く死んでしまったのだ・・・・・・

 生まれた仔馬を草原で走らせてやることができない、という飼い主の言葉は仔馬のみならず、人間を含むあらゆる生物にとって、すこやかな生を脅かすとてつもないことが起こってしまったことを意味する。だが、「私」は直接的な生存の恐怖に対して、というよりむしろ「知識の死物化」に対して悲嘆にくれた、というのだ。どこか感情のボタンが掛けちがえられていないだろうか。

 放射能の汚染による生存の恐怖は障害をもつ息子のアカリの思いとして表現されている。「私」が若い時に書いた『空の怪物アグイー』という小説の中で殺された赤んぼうアグイーが、なぜかアカリにとって何より大事な存在として、再び登場する。アカリは空に浮かぶアグイーを放射能の汚染から何としても守らなければならないと思っているという設定になっている。「三・一一」とアグイーの再登場はどんな関係があるのだろうか。

 『晩年様式集』という小説中に召喚されるのは『空の怪物アグイー』だけではない。最も重要なものは『懐かしい年への手紙』の世界であり、その主人公のギー兄さんである。ギー兄さんとはどのような存在であったのか。そしてもう一人再登場するのが『取り換え子」の塙吾良だ。ギー兄さんについて、塙吾良について、『懐かしい年への手紙』、『取り換え子』の世界を承継しながら、最後はひっくりかえす、その作業をするためにこの小説は書かれたのではないかと思うのだが、長くなるので具体的な検討は次回にしたい。

 書かなければ読んだという事実さえないのと同じことになってしまうので、ともかくも書いてみました。不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。  

2017年5月10日水曜日

『紙屋悦子の青春』その3_______そして海ヘ___マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや

 以前「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」の歌を「寺山修司の世界」とサブタイトルをつけて取り上げたことがあった。そこで私は決定的な間違いをしていたと思う。

 「マッチ擦るつかのま海に霧深し」の上句五・七・五と
 「身捨つるほどの祖国はありや」下句七・七
の間に断絶があるとして、この歌に俳句的要素をみていたのである。そうではなかったのだ。「つかのま海に霧深し」の「海」は『紙屋悦子の青春』の海なのだ。この映画に一シーンだけ現れる海こそ寺山修司の海だ。寺山修司の海の歌の上句と下句の間に断絶などない。一直線の慟哭があるのみだ。慟哭というより憤りかもしれない。それがわからなかったのは、ひとえに私に経験がなくて、浅薄だったからである。


  『紙屋悦子の青春』の冒頭に現れるすすきは海に沈んだ明石の墓標である。いや、明石だけではない。桜の木を囲むすすきの群れは戦争で「ようけ死んで」いった兵士たちの幽明次元を異にした姿だろう。映画の最初に現れる「公園の桜の木」の下に敷き詰められた落ち葉は無数に死んでいった名もない庶民の姿だろう。「誰もかれも死んで」しまったのだ。それでは、この映画は「昔昔のこと」をふりかえったレクレイムなのだろうか。


 そうではないだろう。画面はあまりにも寓意に満ち満ちている。頻繁に登場する十字架に見える電柱。その手前の階段を上って下りてくる二人の兵士、茫々としたすすきに囲まれる桜の木、桜の木がシンボル・ツリーのように置かれた紙屋家。一回だけ現れる月__雲が流れていくのか、回転しているように見える。


 プロットもまた平凡な日常の流れのようでありながら、どこかおかしい。悦子の両親が「帝都の空襲に会われて」死んでまだ二十日なのに「お見合い」の話がもちこまれるだろうか。そもそも両親はなぜ二人そろって鹿児島から東京に行ったのだろう。安忠のことばにあるように「いまは非常時」なのに。


 お見合いの席に「おはぎ」というのもどうだろうか。「おはぎ」は一般にはお彼岸に食べるものである。あるいは四十九日忌明けけに食べるともいわれる。死者を迎え、送る行事の食べ物だろう。兄嫁と二人で「腕によりをかけて作った」おはぎを悦子がなかなか勧めないのも不審である。「静岡いうたら、清水の次郎長ですたい」という永与のことばをきっかけに、明石が「それじゃ、これで」 と席を立とうとすると初めて悦子は「あの、おはぎのあっとです」 というのである。


 最もわざとらしくて違和感があるのは、見合いの時間をまちがえて(?)知らされた悦子が、明石と永与が家に上がっているのを知らずに、外から勝手口に入るときに、漬けもの石につまずく場面である。この石は、ペリマリさんの指摘するように、「躓きの石」だろう。


 これから書くことはすべて私の妄想もしくは狂想である。


 紙屋悦子は「躓いたもの」なのか。十字架の向こうから階段を上がって下りてくる明石と永与は「二人のメシア」ではなくて「二人の悪魔」なのか。悪魔が悦子の青春を買いにきたのか。永与は「俺は悦子さんば貰いに来たとぞ」と明石に言っている。見合いの席だから当たり前といえば当たり前で、さらっと聞き流してしまうのだが。タイトルもまた『紙屋悦子の「「結婚」』ではなくて『紙屋悦子の「青春」』と微妙にズレている。「青春」という言葉の原義は残酷な意味が含まれているとも聞いたことがあるが。明石に気がある悦子が、見合いの当日、早々と「何のとりえもなか。ふつつかもんの私ですけど、どうか、よろしく頼みます」と永与に頭を下げてしまうのも、どこか引っかかるものを感じてしまう。


 桜の木と弁当箱の謎解きは、私などよりはるかに博覧強記の方にお任せしたい。弁当箱についてはペリマリさんがすでに書いているようだ。桜、といえば、『梶井基次郎集』に「櫻の樹の下には」という短編(ほんとうに極短の小説)があって、こう始まっている。

 櫻の樹の下には屍体が埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。

紙屋悦子の「ひいおじいちゃん」が植えた桜が何の寓意であるかは、もう、いうまでもないだろうが。

 音声だけ聞こえる「役場の渋谷さん」とセリフがなくて姿だけ現す「郵便配達人」を含めてたった七人しか登場しないこの映画は、役名もまた重要な意味をもっている。「紙屋」という姓は実際に存在し、とくに鹿児島県には相対的に多いようだ。だが、「紙屋」は「かみや」であり「神家」でもあるだろう。あるいは「仮・宮」かもしれない。また、全国に「紙屋」という地名は複数あるが、広島の原爆の爆心地も紙屋町である。偶然かもしれないが。「永与」という姓は見たことも聞いたこともない。劇中、兄嫁のふさが「ながのさん」と言い間違えているくらいだ。「永与」という言葉は中国の詩の中で使われているようだが、残念ながら私には出典がつきとめられない。「明石」という名はさまざまな連想を呼び起こすが、なぜ「明石」は「明石少尉」とあって、ファーストネームが字幕に記されないのだろう。一番不思議なのは、字幕には「看護人」という役名があって、演じる俳優の名も出てくるのに、作品中にはそれらしい人物は現れないのである。DVDを何回見ても見つけられなかった。誰か見つけた人がいたら、教えてください。


 『紙屋悦子の青春』はレクレイムではなくて、予言だろう。ラスト「聞こえました?耳を澄ましてください。波の音の・・・」という悦子の言葉にかぶさる海の音。人気のない病院の屋上で肩を寄せ合って耳を澄ます男と女。この映画の主役は何もかも呑みこみ永劫寄せては返す海だ。昂まる波の音と汽笛は何かの「とき」を告げているのだろう。


 「今日の続きのあっとですか」という女の問いに、男は「う~ん、ずぅ~と続くったい。いつまでてん」と答える。だが、この映画を撮った監督は作品の公開を待たずに急逝してしまった。続編は、もう、ないのだろうか。


 結局最後まで解釈のベクトルさえ見つけられずに終わってしまいました。不思議な透明感のこの映画のすばらしさをうまく伝えられないもどかしさを覚えています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。

2017年4月30日日曜日

『紙屋悦子の青春』その2__弁当箱で決めた結婚

  『紙屋悦子の青春』の回想場面は「鹿児島県米ノ津町 昭和二十年三月三十日」という文字が黒地に白抜きで現れ、続いて、前回書いた通り、汽笛の音とともに紙屋家の前景が映しだされる。手前に竹(前回「藁のようなもの」と書いたのは細い竹のようである)で組まれた低い塀があって、そのすぐ向こう右手に桜の木、桜の木を取り囲んですすきのような丈の高い草がはえている。そのまた向こうに同じく竹で組まれた塀が張り巡らされている。塀は中央から左手よりに一間くらい空いていて、そこから八、九段くらい上る階段がある。階段を上り切った向こうには十字架に見える電柱が立っている。電柱は向こう側の塀のさらに向こうにあるようだが、塀の手前になんだかよくわからない棒が二本左右に地面から三十度くらいの角度で倒れている。画面右手の奥は薄赤い、たぶん日没の光が残っているのだが、全体として、不思議な、荒涼とした風景である。

 回想部分のドラマは、悦子が永与という海軍の士官と見合いをした日を中心に、淡々とむしろコメディタッチで進行する。悦子は永与を紹介した明石を好きで、たぶん、明石もそうなのだが、死を覚悟した明石は親友の永与に悦子を託そうとしている。見合い話が紙屋家にもちこまれたのは三月三十日である。この日は兄の安忠に徴用の連絡があった日でもある。縁談と徴用の話が紙屋家の室内で繰り広げられた後、カメラは一転、外の桜の木をアップで映し、階段の向こうの十字架に見える電柱と電柱の上にかかる月を映す。不思議なのは、この(たぶん満月だと思うが)月がくるくる回転しているように見えるのだ。

 この後、八時を告げる柱時計の音とともに、悦子と紙屋夫婦がお茶を飲む場面がある。この映画は食べ物の話が持ち出されることが多くて、冒頭の食事の場面では、配給の高菜とすっぱくなった薩摩芋が話題になる。このお茶は、亡くなった悦子の父が何年か前に土産に買ってきた「静岡のお茶」である。このお茶を買った時に、悦子の父が静岡駅で鞄を盗まれたというエピソードが語られる。


 ちょっと違和感をおぼえるのは、悦子の両親が亡くなったのは三月十日の「帝都の空襲」の際である。この日までまだ二十日しか経っていないのだ。盗まれた鞄の中に使い古した褌しか入っていなかったという話が笑いながら語られるのは不自然ではないか。戦時中のこととはいえ、両親が死んで四十九日もすませていない紙屋家が喪に服している様子がないのも不思議である。


 三月三十一日は、十字架に見える電柱の向こうから制服姿の男が二人やってくる画面から始まる。二人とも長身で、長靴を履いているほうが明石で普通の靴を履いているのが永与である。明石は十字架の手前の階段を下りて紙屋家の玄関まで直行するが、永与は、玄関の手前の桜の木の下で立ち止まり、幹に手をやって逡巡している様子である。見合いの当日なのに、なぜか紙屋家には誰もいないようである。


 とまどう永与を促して明石はさっさと家に上がり込む。ちょっと不思議なのは、この時点で紙屋家の当主が不在であることはわからないはずなのに、明石は何のためらいもなく床の間を背にした上座に座ってしまうことである。誰もいないので、二人は見合いの段取りなどとりとめもないことを話し始める。悦子の趣味は読書だろうとか、ヘッセ、ゲーテなどの名をだして明石が会話をリードするが、永与は文学は不得意のようである。だが、突如「汚れちまった悲しみに」と中原中也の詩を朗詠し始めるので、まったくの不案内でもないらしい。


 特筆すべきは永与が自分の趣味として「電気工作の類いで」「弁当箱で電気回路をば作ってさしあげます」と自慢気に言う場面である。?冗談かと思っていたらそうでもないようで、この後弁当箱は重要なキーワードとなる。


 会話の中で、明石が死を覚悟しているらしいこと、そのために、愛する悦子を親友の永与に託そうとしていることが示唆される。そして、明石と永与の、「お互いに大君に献げ奉ったこの命やけん」「皇国三千年の祖国に何もかも献げ尽くす覚悟たい」という会話の後、姉さん被りに前掛け姿の悦子が帰ってくる。ごみを捨てに行ってきたという悦子は勝手口の手前に置いてあった漬物石に躓いて転んでしまう。


 不思議なことはたて続けにある。まず「何でこげなところに漬物石があっとね。姉さんやろ」と悦子が言うように漬物石は何のために台所に置かれていたのか。なぜ、見合いの時刻が、悦子には三時と知らされていて、明石と永与は一時と思っていたのか。それから、不思議、というほどでもないのだが、見合いの場で出される「静岡のお茶」も、その美味なことが執拗なまでに言及される。悦子の父が生前買ってきたというお茶は数年前のものらしいのだが。


 「静岡、といえば清水の次郎長ですたい」という永与の言葉をきっかけに明石はその場を去ろうとする。不思議といえばこれも不思議なのだが、この時になってやっと悦子が「おはぎを食べて行ってください」という。前夜から準備したおはぎである。なぜさっさとすすめなかったのか。


 おはぎを一個食べて明石はそっと紙屋家を後にする。明石が家を出たことに気づかない永与は、自分と明石の経歴を悦子に話している。無帽のまま家を出た明石は階段の手前でいったん後ろを振り返り、帽子を被ってもう一度何事か確認した様子で階段を上り始める。階段を上りきると、十字架の電柱が立っている。


 永与と悦子は明石不在のままどこかぎこちない会話をかわし始める。内地をも襲うようになった空襲の話の中で、悦子が敵機のロッキードのことを「衣紋掛けのよう」といった途端、永与の表情が一変する。ここも不思議な場面なのだが、この後永与はわずかに唇を動かして、言葉にならない言葉を発する。そして、永与は、明石が姿を現さないことに気づいて、悦子と明石を探す。悦子は明石の帽子と銃剣が壁に吊るされていないのを見て、明石が帰ったことを永与に告げる。


 この後再び十字架と階段の画面が呈示される。画面中央と左手よりに間隔をあけて二本の杭が立っている。杭の間から階段が始まり、杭に括りつけられた竹の塀、その向こうに季節を考えればありえないすすきがぼうぼうとしている。すすきのすき間に階段が見え、てっぺんに地面から三十度くらいの角度で倒れている左右の棒、そしてさらに向こうに竹の塀、その真ん中に十字架に見える電柱がある。かすかに風の音が聞こえる。


 時計が二時を告げる。悦子と二人きりになった永与は悦子がお茶を汲みに部屋を出た後、不安そうに後ろを振り返る。(このとき永与は何を見ようとしたのか)再び部屋に戻った悦子と永与はようやくいくらかうち解けて、悦子もおはぎを一緒に食べる。三月十日の空襲で両親を亡くした悦子が、みなしごの自分が永与の親に気に入られるだろうかと問うと、永与は「実家はそげんこと気にしません」と答える。ただ、ここでもちょっと不思議なのは、「お兄様がおられるじゃなかとですか」という永与に「こげな風に一人になるときもあります」と悦子が答え、「そやけん、私が」と永与はすぐに続けるのだが、その後「私は・・・」と言い淀んでしまうのだ。ここでも永与は唇を動かして、何か言おうとするのだが、言葉にはならないのだ。


 何のとりえもない自分だが、どうかよろしくお願します、という悦子の挨拶を機に永与は暇を告げる。残ったおはぎを弁当箱につめて土産に、と悦子は席をたつ。「弁当箱」という言葉に永与の目の色が変わるのだが、この後の永与のひとりごとが傑作で、かつ不思議なのである。ハンカチを弁当箱に見立てて、「こん弁当箱、貰ろてもよかですか」「こん弁当箱が、弁当箱じゃなかごとなって、お返ししてもよかですか」「こん弁当箱、電気回路に変化しやすいですねぇ」「こん弁当箱を利用して・・」・・・とやっているうちに、悦子が弁当箱を手にして戻ってくる。永与の目は弁当箱に釘付けになる。ついには、「弁当箱!」と叫ぶ。「はい?」と悦子がいぶかると、「四角かですねぇ・・弁当箱」と言うのだが、そのあと無念そうに黙り込むのだ。?


 画面は変わって、永与は弁当箱を手に玄関の外に立っている。挨拶をして紙屋家を後にする永与と玄関で見送る悦子。二、三歩行った永与が突然振り向き、帽子を脱ぎ捨てて、早足で戻ってくる。驚く悦子に永与は「弁当箱!」というのだ。「こん弁当箱で、」と言った後、少しだけ間をおいて、「決めておったです、悦子さん」と永与は続ける。いま自分がこのまま帰ると悦子は一人になってしまう。いつかきっと迎えに来る、と永与が求愛の言葉を告げると悦子は「ありがとうございます」と頭を下げる。その言葉を聞いた永与は「すみません!失礼します!」と叫ぶと振り向きざま、帽子も被らずに階段を駆け上がり、てっぺんまで上がって下っていく。その向こうに十字架の電柱が立っている。玄関口で呆然と佇む悦子。


 その夜悦子は熊本に行った兄に手紙を書いていると、波の音が聞こえてくる。あかりを消して、耳を澄ます悦子。海鳥の声も聞こえる。このシーンの悦子は髪を結んでいない。「今夜は満ち潮やろか」という悦子のひとりごとの後、画面いっぱいに夜の海面が広がる。


 四月八日。紙屋家では兄嫁のふさが台所で料理している画面から始まるが、すぐに切り替わり、
満開の桜の木が映しだされ、その下を通って悦子が帰って来る。悦子は十字架の電柱と階段の道を通らずに桜の木の下を通って帰って来るのだ。この後電報を配達に来る郵便夫も桜の木の下から自転車に乗ってくる。十字架の電柱と階段の道を通るのは明石と永与の二人(だけ)である。


 ふさは赤飯の支度をしている。(赤飯とらっきょうを食べると爆弾にあたらない、という「山田さん」の言葉を信じているようだ)なぜかこの日だけ緑色のワンピースを着ている。安忠の帰宅を待っているのだが、なかなか帰ってこない。やっと帰ってきた安忠は駅長さんと話し込んでいたという。ますます不機嫌になったふさと安忠がいさかいをして気まずい思いをしながら食事をしている最中に明石の訪問がある。出迎えて笑顔になる悦子。


 この後画面は切り替わって、暗闇に桜の木が現れる。そして次の一瞬桜の花びらだけが明るく照らされる。


 明石は出征の挨拶に来たのだった。明日飛び立つのだという。凍りつく紙屋家の人々。赤飯とパイ缶を餞別にもらって明石は辞去する。桜の木の脇を通り、階段を上っていく明石。ふさが悦子に後を追うように勧めるが、悦子は行かない。階段を上って十字架の電柱の脇を通り、また向こう側に下っていく明石。やがて明石の姿は階段の向こうに沈んでいく。満開の桜の木に画面の焦点が合わされる。


 四月十二日。よく晴れた日に永与がやって来る。十字架の電柱の脇を通り、階段のてっぺんから下りてくる。満開だった桜が風に吹かれてちらほら散り始めている。永与は悦子にあてた明石の手紙を預かってきたのだった。明石の死を告げる永与。そのとき郵便配達人が熊本に入る安忠の電報を届けにくる。家の外に出て、待ち受けていたふさが受け取る。「来らしてですよ、電報の」という永与の言葉を受けて、悦子は「待っちょいますから」と永与の求愛を受け入れる。「きっと迎えにきてください」という悦子の言葉の後、画面は桜の木の幹と枝をアップで映しす。階段の向こうの電柱は横木が桜の枝に隠され、十字架のようには見えない。桜の花びらが舞っている。「こないだ咲いたばっかりやったとに」「桜の散りますねぇ」という永与の言葉とともに画面はまた変わる。桜の花びらは雪のように散っている。


 回想はここでおしまいになる。もう日はとっぷり暮れて薄青い夜の闇が迫っている。海の音が聞こえる。寒くなったから帰ろう、という二人の会話の背後に汽笛の音もする。今日の続きがあるのか、と聞く女の問いに、男はいつまでも、と答える。ベンチを立った二人は二、三歩行って立ち止まる。明石の手紙を持参した日に悦子と永与が二人で聞いたという波の音に耳を澄ませているのだ。画面は再び回想シーンに変わって、目を閉じた悦子の顔を映して終わる。


 たどたどしくあらすじをたどっただけで何の解も見つからないのだが、この映画は間違ってもただの「反戦映画」ではないだろう。リアリズムの映画ではないのである。十字架と桜と弁当箱、そして一瞬姿を現す回転する月、謎は深まるばかりだ。


 最後に、蛇足を一つ。四月十二日は黒木和雄監督が急逝した日だそうだが、ルーズベルト大統領が第二次大戦中に急逝した日でもある。これもまったく偶然だろうが。

 解釈のベクトルさえ分からずに最後まできてしまいました。未整理な長文を最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2017年4月18日火曜日

『紙屋悦子の青春』___十字架と桜と弁当箱のミステリー

 ペリマリという人のブログで紹介されていた『紙屋悦子の青春』という映画をDVDで観た。この映画の完成後、急逝した黒木和雄監督の反戦四部作の最後の作品ということもあって、「静謐な反戦映画の傑作」という評価が定まっているようである。それはたぶん妥当な見方だと思うのだが、それだけで終わらないものがあるような気がする。というか、よくわからないのである。DVDなので、何回も繰り返して観たが、見るほどに謎が深まるのだ。これはミステリー映画ではあるまいか。

 冒頭、何となく不安感を醸しだす音楽とともに「紙屋悦子の青春」というタイトルの文字が画面の中央に出てくる。これがまた奇妙にバランスを欠いた字体である。画面が変わると、ビルの屋上にベンチが置かれていて、その一つに年配の男女が座っている。女性は着物姿である。三つのベンチが画面に映るが、男女と向かい合った位置に置かれているベンチの画面から見て左方にはススキのような枝が瓶に挿され、風に揺らいでいる。殺風景なビル(これが七階建て?の「九州一」の病院であることが後の男女の会話で分かる)の屋上のベンチになぜこんなものが置かれているのか?

 淡々とした二人の会話の推移から、男がこの病院に入院していること、着物姿の女性は男の妻で「汽車に乗って随分と来て」見舞いに来たことが分かる。興味深いのは、会話の背後に聞こえる音の変化である。

 最初は市街のざわめきが屋上まで届いているようである。雲にさえぎられた太陽の映像とともに野球の練習をしているらしい音声も流れる。男が「北は?」と方角を聞いた後、街並みと山の稜線が連なり、その向こうに聳える一つの山と太陽の映像になるのだが、ここで突然飛行機の轟音が鳴る。その音に何かを感じたのか、妻は点滴の時刻を気にするが(ここでヘリコプターの音も聞こえる)、男は取り合わず、その場を去ろうとしない。「もうちょっとのことだから」と言うのである。

 「夕日の赤かですね_・・・なしてあげん赤かとやろか…」「なしてやろか」という二人との会話の後、再び街並みと稜線と山の映像になる。太陽はもう半分姿を隠し、沈む寸前である。「あん山の向こうに日は沈むとですたいね」「あん山の向こうには何があるとやろか」「海のあるとでしょうか}「海やろか」「海でしょう」「うん、海やろう」と会話は続くが、このころから市街のざわめきとも聞こえた音ははっきり波の音となる。海鳥の鳴く声も聞こえる。

 波の音と海鳥の声に耳を澄ませていた男は突然正面を指さして「おぉ、桜の木のあるやろ」「あすこの公園の。見えるね」と言う。画面は一変して一本の桜の木が映しだされるのだが、不思議なことに、これが公園に植えられた桜には見えないのである。画面中央に幹に藁を巻いた満開の桜の木があって、その後ろにはススキと思われる木が群生している。桜の木の根元には枯草が敷き詰められている。現実にはありえない光景である。

 「やっぱり、桜の木のあったとこは覚えてるね」という男の言葉から二人の会話は桜の木をくぐったところに玄関のある旧家のことに導かれる。「思い出したと。昔んこと」と男が言うあたりから、何か金属で物を叩くような音が聞こえ始め、「昔昔たい。あん頃の事たい」「戦争のあって…」「人の死んで」「それもようけ死んで。誰もかれも死んでしもうて」のセリフとともに最高潮になる。ゴォ~ン、という海の音とも他のものともつかぬ響きも高まる。

 「なして戦争のあったとやろか」という妻のことばを引き取り「なしてやろか」と言った男は「なして俺は、生きとるとやろか」「なして死にきれんかったとやろか」と続ける。それに対して「よかですたい。生きとるほうが。死んだら何もならんですばい」と妻がこたえると、今度は鐘の音が聞こえる。鐘の音が三つずつ二回鳴り、男が「ばってん・・・」と沈黙すると妻は空を見上げて「お父さん、雲の行きよるですばい。あこを染められて」と言う。鐘の音は鳴り続ける。「あん山の向こうには何なんとやろか」「何やろか」「あん雲は知っととやろか」と二人で空を見上げるシーンで屋上の導入部分は終わる。

 導入の部分の解説でずいぶん長くなってしまったが、この12分は全神経を研ぎ澄まして画面と向き合う必要があると思う。もちろん、続く回想の部分も決して神経はぬけないのだが。

 回想場面は「鹿児島県 米ノ津町 昭和二十年三月三十日」という指定で始まる。これは三十日、三十一日、四月八日、四月十二日の四日間の出来事である。すべて日付が指定されている。

 回想場面の最初は汽笛の音とともに始まる。画面の中央左手よりに石の階段があり、その向こうに電柱が立っている。階段の上に棒のようなものが電柱の左右に不思議な恰好で倒れているように見えるのだが、よくわからない。電柱も短い横木が組み合わさって、なんだか十字架のように見えるのである。右手に二分咲きくらいの桜の木がある。まわりには草が生い茂っている。桜の木と草を囲むように藁で組んだような塀が廻らせてある。右手の奥が薄赤く染まっているのはそちらの方角に日が沈んでいるのだろう。

 この後カメラはアングルを変え、桜の木を前にした家の玄関を映し、さらに室内のガラス格子越し外を眺める男の後ろ姿を映す。やはり画面の右手が薄赤く染まっているので、西のほうを向いているのだろう。桜の木もぼんやりと映っている。男は物思いにふけっているようである。「遅かねえ、悦ちゃん」という女の声から回想場面の会話は始まる。悦子の兄(紙屋安忠)と兄の妻(紙屋ふさ)である。

 この後の紙屋家の四日間は、冒頭の病院の屋上の場面と一転して、むしろコメディタッチで語られるのだが、すでにかなりの字数になってしまったので、続きはまたの機会にしたい。三月三十日の夜の満月(なぜかくるくる回転しているように見える)と桜の木のことと、悦子の見合い相手の永与がこだわる弁当箱のことを中心に考えてみたい。ずっと考えていて、なかなか解が見つからないのだが。

 いろいろ不思議なこの映画なのですが、一番のミステリーは、監督の黒木氏が映画の制作後急逝し、それが四月十二日だったということです。まったくの偶然なのでしょうが。

 今日も不出来な感想文を最後まで読んでくださってありがとうございます。

   

2017年2月20日月曜日

大江健三郎『ピンチランナー調書』___権力の「両建て構造」を暴露する__核と革命と天皇

 今世紀に入ってから「イデオロギー」という言葉は死語になったかの感がある。「左翼」「革新」も同様。「革新」は技術の分野で使われるが、「左翼」は使われるとすれば嘲弄の対象となることがほとんどである。それに対して、かつて「反動」の定冠詞であった「保守」は、いまは肯定的なニュアンスで使われる。時代は確実に変わってしまったのだ。

 おそらくその分岐点は一九六八年の「パリ五月革命」だろう。日本でも、学生に始まり労働者を巻き込んでピークに達した革命運動は、これ以降セクト間の対立が激化、闘争を繰り返して、一般民衆の支持を失っていく。テレビにくぎ付けで「あさま山荘」の銃撃戦を見ていた人々は、その後に明らかになった連合赤軍の酸鼻を極める実情に衝撃を受ける。「政治の季節」は急速に終息に向かった。

 この間一九六七年に『万延元年のフットボール』を発表してから、『我らの狂気を生き延びる道を教えよ』、『洪水はわが魂に及び』と、いわば正攻法で時代と向き合ってきた大江健三郎は、一九七六年一転スラップスティック・コメディ『ピンチランナー調書』を書き上げる。愉快、痛快、奇々怪々なこの小説は、しかし、スピーディな語り口とうらはらに、複雑で精妙な仕掛けがほどこされている。

 物語の語り手は作家の「僕」である。同時に、かつて原子力発電所の職員で核燃料輸送中に被爆した「もと技師」である。作家の「僕」は「幻の書き手(ゴースト・ライター)」として「もと技師」の「いいはる」言葉を書き付けるのだ。作家の「僕」と「もと技師」は、ともに「われわれの子供」と呼ばれる障害児の父で、出身大学も同じである。『さようなら、私の本よ』でいうスゥード・カップルなのだ。

  この小説にはもう一組のスウィード・カップルが存在する。「もと技師」と彼の子供「森」_moriである。小説の導入部以降「もと技師」は「森・父」と呼ばれるのだが、彼と「森」は物語の途中で、彼が二十歳若くなり、「森」が二十歳年をとるという「転換」が起こって、十八歳と二十八歳の「父・子」になった、と書かれている(そのように森・父がいいはっている)。そして、「転換」前は他者の「鸚鵡返し」の言葉のみ話していた森の肉声は一切記述されなくなり、森・父が彼の内奥の声を代弁する。

 一方、このように二重、三重に複雑化した話法とうらはらに、この作品で語られた内容は、大江のこれ以降の作品に比べると、よほどシンプルである。語りの複雑さ、それでいてスピーディで波乱に富んだプロットの展開は、内容の直截さをカモフラージュするための仕掛けではないかと思われるのだ。これは権力の支配構造を具体的かつ論理的に解き明かした小説である。権力はどのように民衆を支配するか。その根本は民衆を分断、対立させることにある。作中の言葉を使っていえば「右手のしていることを左手に知らせない」あるいはもっとグロテスクに「右手と左手を血みどろになるまで戦わせる」とも。

 プロットの展開にしたがえば、被爆したもと技師は、あるとき、八歳の息子を「教育のため」殴り続け、そのことをとがめた妻に頬を切られ、「眠っている自分の肉体を、まるごと表と裏、引っくり返すように過酷なことが仕掛けられる」という眠りを眠る。そして目覚めたら、8+20=28 38-20=18 という「転換」が起こっていたのである。

 「転換」して二十八歳になった森と十八歳になった森・父は、被爆して休職中の森・父に世界各地の核情報を提供させ報酬として原発の手当以上の金銭を与えた「大物A氏」を倒すべく立ち上がる。「大物A氏」こそ、革命派とそれに対立する反・革命派の両方に核爆弾をつくる資金を与え、核の恐怖によって民衆をコントロールしようとした権力だった。

 「大物A氏」は、『万延元年のフットボール』の「スーパーマーケットの天皇」、『洪水はわが魂に及び』の「怪(ケ)」の系譜に連なる存在で、モデルは誰でも容易に思いつくことができる人物だろう。興味のある方は以前に投稿した『万延元年のフットボール』の「「谷間の森とスーパーマーケットの天皇」でスーパーマーケットの天皇の容貌が描写された部分を参照されたい。この作品中では、森と森・父を「反・革命のゴロツキ集団」の暴力から救出した「ヤマメ軍団」の中年男のことばとして、「大物A氏」が敗戦直前の上海で軍の附属機関で中国の対知識人工作の役割をになっていたが、軍用機で上海から金、銀、ダイヤモンドを広島に運んで、原爆に遭い、仲間は全滅して資産と「大物A氏」だけが助かったという経歴が語られる。

 広島の原爆体験こそ、「大物A氏」の権力支配の原点となった。彼は原爆を倫理の問題としてとらえなかった。原爆がもたらす極限の状況とその流動化のプロセスを検証して、自らの権力把握のシュミレーションを何通りにも組み立てたのである。その上で、「革命」を軸に対立する集団の両方に原爆製造の資金を提供した。「ヤマメ軍団」までも「大物A氏」とはかかわりがあったのである。

 森の一撃で頭部に重傷を負った「大物A氏」_病室での描写では「親方(パトロン)と呼ばれる_は、末期の癌が見つかり死期が迫っている。彼は森・父と森父子を病室に招き入れ、彼らに五億円の現金を渡して原爆の完成を促す工作を依頼する。対立する党派をひとつにして、工場施設と核燃料を統合すれば四、五週のうちに原爆は完成するという。その段階で、公安と「大物A氏」の合同指揮で、原爆密造人たちは一網打尽、となる。こうして、核の恐怖から全都民と天皇ファミリーを救った「大物A氏」は孤独で醜悪な癌死ではなく、国家的ヒーローとして栄光の死を遂げる。日本人すべての「親方(パトロン)」となる。

 「大物A氏」の野望は、宇宙的使命を帯びて転換した(といいはられる)森・父と森の闘いで潰える。森は「親方(パトロン)」の頭を滅多撃ちに撃ってかち割り、五億円の入ったボストン・バッグを持って、折から燃え盛る山車の炎の中にダイビングする。

 余談だが、この小説が書かれてから三十五年後の日本に何が起こったのだろうか。日本に原爆が私有されているのと、日本で原発が爆発したのと、どちらが恐ろしいだろうか。「原爆が私有されていて、使用されていない」のと、「原発が爆発して、その結果どのような状況になっているかがわからない」のと。どのような状況になっているか、様々な情報があふれているが、私たちには判断するすべがないのである。私たちができることは、あの時メディアがどのような情報を流したか、あるいは流さなかったかを検証し続けることだけである。

 『ピンチ・ランナー調書』には、「革命という殺し合い」がどのような一見もっともらしい理論で組み立てられていくか、そして、その資金はどこから出てくるのか、極めてシンプルに語られている。シンプルすぎるくらいである。シンプルであるがゆえに、これは歴史の真理ではないかと思われてくる。洋の東西を問わず、「革命」は「戦争」より多くの人間を殺してきたのではなかったか。そうして、「革命」の後に出てきたものは何だったか。

 この小説には森父子と「大物A氏」のほかにも実に魅力的な人物が複数登場するのですが、力不足でそれらについて触れることができませんでした。それにしても、「大物A氏」のモデルと思われる人間がまだ存命中にこの作品が発表された、ということにブラック・ユーモア以上のものを感じてしまうのですが。

 今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。