2025年6月24日火曜日

大江健三郎『日常生活の冒険』___早すぎたレクレイムとゴッホとハタンキョウ

  『晩年様式集』を読み直す過程で『日常生活の冒険』にふれなければいけないといいつつ、何をどう書くかまとまらないでいる。書くべきことはたくさんあるが、軸が定まらない。主人公のモデルがあまりにもあからさまなので、現実とフィクションの齟齬に関心がむかいがちで、作品の主題を見失いそうになってしまう。主人公斎木犀吉のモデルである伊丹十三は1997年12月20日に64歳で死んでいる。だが1964年に書かれた『日常生活の冒険』は主人公斎木犀吉が25歳で自殺するところから始まるのである。

 伊丹十三がビルの屋上から「墜落死」してほぼ二年半後の2000年にに出版された『取り換え子』に先立つこと三十六年前に『日常生活の冒険』は出版されている。冒頭

 「あなたは、時には喧嘩もしたとはいえ結局、永いあいだ心にかけてきたかけがえのない友人が、火星の一共和国かとも思えるほど遠い、見知らぬ場所で、確たる理由もない不意の自殺をしたという手紙をうけとったときの辛さを空想してみたことがおありですか?」

こういう言葉で大江健三郎は、当時働き盛りで活躍中だった伊丹十三の死を悼んでいる。この小説は現実の伊丹の死の33年前に書かれたレクレイムである。なぜこんな奇妙な作品が書かれなければならなかったのか。

 『日常生活の冒険』が出版された1964年、大江健三郎は『個人的な体験』という作品も出版している。今日では、あるいは当時でもこちらの方が評価が高いようである。大江自身はこの小説を「技法、人物のとらえ方など、小説の基本レヴェルを満たしていない」として、『日常生活の冒険』を自身の選集に入れていない。 

 だが、、「鳥(バード)」と呼ばれる語り手の「個人的な体験」__はじめての子が障碍をもって生まれ、紆余曲折ありながら、その事実をうけいれ、「親」として生きる決意を表明するにいたるまでの過程を描いた作品とくらべて、『日常生活の冒険』が上記の「小説の基本レヴェル」において劣っているとは、少なくとも私は思えない。

 『日常生活の冒険』は、個性的な登場人物が波乱万丈のストーリーの展開とともに描かれ、みずみずしい感性が描写のすみずみにみなぎっている。あの時代の記念碑というべき魅力的な青春小説を読んだという思いがある。だが、小説の発表から数十年を経て選集の作品を選ぶとき、おそらく、モデルとなった人物、すなわち当時存命だった伊丹十三および作品に登場するその周囲の人物にたいする配慮から、目立つことはできるだけ避けたかったというのが作者大江の本意だったのだと思う。

 先に引用した冒頭の文章に明らかなように、物語の出発点で主人公は死んでいる。サリンジャーの『ナインストーリーズ』の巻頭「バナナ魚には理想的な日」のシーモアがそうであるように。『ナインストーリーズ』は、シーモアの死から始まって、一見脈絡のない短編を紡ぎながら、最後に「テディ」でとじられ、じつはまた「バナナ魚には理想的な日」に戻るのである。『ナインストーリーズ』の時間はメビウスの輪のように閉じられ、循環し、直線ではない。

 一方、『日常生活の冒険』は、『ナインストーリーズ』のように閉じられた時間の中で継起した出来事を寓意という手段をもちいて語ろうとしたものではない。主人公の死という「喪失からの出発」は共通しているが、サリンジャーがアレゴリーという武器をもちいて「出来事」を記したかったのに対し、大江健三郎は「斎木犀吉」という「人間」を記憶し続けたかったのである。

  死者を死せりと思うなかれ
  生者あらん限り死者は生けり
  死者は生きん 死者は生きん

 この詩はゴッホが、彼の従妹の夫が亡くなった時に「モーヴの思い出のために」と書き込んで《花咲ける木》という絵を描き、絵ともに従妹に贈ったものである。その絵の複製が若い犀吉の「壁際に書物がつみ重ねられたほかはまったく何もない五畳ほどの素裸の部屋」の壁に画鋲でとめてあり、絵を見ている「ぼく」に犀吉自身がこの詩を朗誦して教えてくれたのだった。

 「生者あらん限り死者は生けり 死者は生きん 死者は生きん」

 「ぼく」は生きている限り「斎木犀吉」を記憶し続け、書き続けようとしたのだ。なぜなら、彼ほど死をおそれた人間はいなかったから。耐えきれぬ苦痛の果ての無残な死はもちろん恐怖だが、死によって存在の痕跡が完全に無になることはもっと救いがない。犀吉は五畳の部屋のゴッホのハタンキョウの絵の前で「ぼく」にこう言ったのだ。

 「おれにとっての生者はきみひとりだったのさ。きみのあらん限り、おれは生きん、おれは生きん、そのおれ風の進軍歌をうたって、おれは死の恐怖に対抗してきたんだよ。」

 斎木犀吉とは何だろう。ナセル義勇兵の集会で「頬にも顎にも一本のひげも生えていない」少年として「ぼく」と出会い、徹底したモラリスト_道徳家という意味ではない。すべて自分自身の内側から考察するという意味の_として颯爽と生き、そして最後に「おれはまったくなにひとつやりとげなかったなあ。おれはなにひとつやれなかったなあ。……………おれはいま恐ろしいんだよ、喉からしたいっぱいに不安と恐怖をつめこまれたみたいだ…」と「ぼく」に訴え、「おれはヨーロッパについたら、今度はすぐにアルルに行ってみるよ、おれは花の咲いたハタンキョウの木が見たいんだがもう季節をすぎたかね?」と言って「ぼく」と空港で別れた「斎木犀吉」とは。

 ところで、この「花咲ける木」の絵について、私のなかで少しとまどいがある。「モーヴの思い出のために」と書き込まれたこの絵は有名で、ネット上でもたくさんの複製の写真がみられるが、これは桃の木を描いたものなのだ。「ハタンキョウ」の花を描いたものは「アーモンドの木の枝」として検索される。こちらは弟テオに子どもが生まれたことを祝福して描いたもののようだ。桃もすももも「ハタンキョウ」と呼ばれることがあるようだから、あまりこだわる必要はないかもしれないが。それでも「桃_もも」と「ハタンキョウ」では語感も字面もかなりちがうので、作者大江は意図的に「ハタンキョウ」という硬質の語感をもつ言葉を選んだのだろう。

 桃の木を描いた絵もアーモンドの木の枝を描いたものも、どちらも非常に美しい絵だと思うが、死者を悼む前者が春のおとづれを告げるように満開の花をつけた木を描いて華やかな印象を受けるのにたいして、新しい命の誕生を祝福する後者は、青い背景に白っぽく見える(経年変化で褪色したのかもしれないが)花をつけた枝が縁取りで描かれ、何か澄明な趣である。こちらはゴッホの最晩年にプロヴァンスの精神病院で制作したもののようである。  

 犀吉の五畳の部屋に画鋲で止めてあったのは、まちがいなく(日本でいう)桃あるいはすももの花の絵だったと思われる。画面右側に黄色っぽい柵のようなものが描かれ、中央に満開の花をつけた大きな木が立っている。後方に小さく同じような木が列をなして続いているようなので、これは果樹園の桃の木なのだろう。そして、さらによく見ると、中央の木はじつは二本あるようだ。二本の木が寄り添うように立っていて、後ろの木が前の木の二股に分かれた間から枝を差し入れているように見える。

 『日常生活の冒険』は、ナセル義勇軍の集いでの「ぼく」と犀吉の出会いから空港での別れまで、さまざまなエピソードが綴られるが、ゴッホの絵に言及される場面はその中でもとりわけ印象的である。モラリスト犀吉はいつも論理の鎧でタフネスをよそおっているが、この「花咲ける木」を前にして脆いほど素直に真情を吐露する。「ぼく」はそれを受けて「センチメンタル」になってしまう。最後の空港の別れの場面など「ぼく」は犀吉への憐憫の情で涙ぐんでしまいそうになった、と書かれる。「モーヴの思い出のために」と書き込まれた絵の中の二本の木が、死者とそれに寄り添う生者の象徴だとしたら、それはまた犀吉と「ぼく」の象徴でもあると想像することは不可能だろうか。

 ゴッホが「モーヴの思い出のために」と書き込んで二本の桃の木を描いてモーヴを悼んだように、大江健三郎は『日常生活の冒険』という「斎木犀吉」へのレクレイムをうたったのだ。「頬にも顎にも一本の髭も生えていない」十八歳の少年が、憔悴して、「惨めな苦力のように」よろめいて「ぼく」の前から姿を消すまでの七年間は、決して実際の大江健三郎と伊丹十三の人生と重なり合うものではない。大江が大学在学中から作家として注目されていたのはほぼ実生活と重なるかもしれないが、伊丹十三もまた多才な人で、「なにひとつやりとげなかった」どころか、エッセイストであり、努力して外国語を習得し、すでに国際俳優として活躍していた。この小説に描かれる斎木犀吉は、伊丹十三に身をかりた、大江の歌う「青春挽歌」の主人公である。

 同年に出版され、この小説とまったく作風の異なる『個人的な体験』との関係についても書きたかったのですが、力及ばずでした。故意か偶然か、というよりたぶん意図的に『日常生活の冒険』の魅力的な少女妻「卑弥子」と『個人的な体験』の成熟したヒロイン「火見子」は同じ「ひみこ」で、どちらも愛するひとに裏切られます。斎木犀吉は卑弥子を裏切って、ある意味当然の報いを受ける結果となりますが、「鳥(バード)」は火見子を捨てて、「親」となって社会復帰します。障碍をもつ子との「共生」というテーマで『個人的な体験』の方が評価が高い風潮は、個人的には納得できない気がするのですが。

 今日もまとまりのない文章を読んでくださってありがとうございます。

2025年2月11日火曜日

深沢七郎『楢山節考』__おりんのりんは倫理のりん__歌がつらぬく共同体の掟

  昔「深沢七郎の小説は構成が完璧」といったら、「「あたりまえさ。彼はギタリストだもの。」と応じた飲んだくれがいた。彼は深沢と同じ山梨県出身で、ギタリストではなく美大でゲバ棒をふるっていた。私と知り合ったときは動物愛護活動家ということをしていて、十年ほど前に死んでしまった。ギタリストだと、どうして完璧な構成の小説が書けると思ったのか、もう少し詳しく聞いておけばよかった。

 『銀河鉄道の夜』を読む時間がかなり長く続いている。この間、私の中で、何とも言えない重苦しい、いらだちに似た焦燥感があって、それをうまくことばに出来ないもどかしさがある。賢治は、詩を書くときは、あんなにのびやかに情念をことばに乗せることができるのに、散文を書くとき、とくに『銀河鉄道の夜』のそれは、どうしてこんなにぎごちなく不自然なのだろう。『オツペルと象』、『北守将軍と三人の兄弟医者』のように、独特のリズミカルな文体で書かれていて、最後まで一気呵成に読ませてしまう例外的な作品もあるのだが。

 それで、文字を追いかけていけばすらすら内容が頭に入ってしまう深沢七郎が読みたくなって、何年ぶりかで『楢山節考』を読んでしまった。懐かしく恐ろしい、日常を装った非日常の世界がここにある。

 物語は主人公おりんが楢山祭りの歌を聞くところから始まる。

 「楢山祭りが三度くりぁよ 
     栗の種から花が咲く」

時間の推移が自然を変移させるというあたり前の文句のようだが、来年正月が来れば七十になるおりんには、特別の意味をもっていた。七十になったら「楢山まいり」をするのが村の掟で、そのときが近づいていることを知らせる歌だからである。

 山々に囲まれているこの村だが、神が住むという「楢山」は特別な山だった。「楢山祭り」は陰暦七月十二日盆の前夜に行う夜祭で、山の幸だけでなくこの村では貴重な白米を炊いて食べ、どぶろくをつくって夜中御馳走を食べる。村で祭りといえば「楢山祭り」しかないようになってしまったのだが、白米を食べどぶろくを飲む機会はもうひとつあって、それは「楢山まいり」をする前夜の儀式だった。「楢山まいり」をする前夜は、すでに「楢山まいり」の「お供」をすませた近所の人だけをよんで、白米とどぶろくをふるまうのである。

 おりんはそのときのために、白米とどぶろくはもう用意してあって、気構えと準備は十分できていたが、寡夫になった息子の辰平が気懸りだった。だが、この日、おりんは、楢山祭りの歌を聞くと同時に、もうひとつの声を聞いた。むこう村のおりんの実家から、村に後家ができたと知らせてきたのである。年齢も辰平と同じ四十五で年恰好が合う。これでもう、辰平の嫁の心配はなくなった。

 楢山祭りの朝に、むこう村から玉やんという嫁がやって来た。「おばあやんがいい人だから早く行けって」いわれて、玉やんは朝飯を食べずに来たのだった。何度も「おばあやんがいい人だから」と玉やんが繰りかえすので、おりんはうれしくなって、勇気を奮って、石臼のかどに歯をぶつけて前歯を二本欠いてしまう。おりんの丈夫な歯は、孫のけさ吉さえも嘲って、

 「おらんのおばあやん納戸の隅で
     鬼の歯を三十三本揃えた」

と笑いものにされていたのである。

 食料が極端に不足しているこの村では、何でも食べられる丈夫な歯と旺盛な生殖能力は決して賛美ではなく、辱めの対象だった。おりんは、「楢山まいりに行くときは辰平のしょう背板に乗って、歯も抜けたきれいな年寄りになっていきたかった」。だから、いままでもこっそりと火打石で叩いてこわそうとしていたのだった。念願かなって歯を欠いたおりんは、その姿を見せびらかしたくて、楢山祭りの祭り場に行く。だが、愛想のつもりで血まみれの顎を突き出したおりんを見て、集まっていた人たちはみんな逃げ出してしまう。おりんは「きれいな年寄り」どころか、「根っこの鬼ばばあ」と陰口をたたかれるようになってしまった。

 ためらっている辰平の背中を押して、おりんが楢山まいりをしようと急ぐ理由が二つあった。一つは、まだ十六の孫のけさ吉が同じ村の松やんという少女をはらませてしまったことである。妊娠しているためもあってか、大食いの松やんは自分の家を追い出されて、おりん一家に入り込んできてしまった。けさ吉と松やんは夫婦気取りで仲良くしているが、このままではおりんは「ねずみっ子」を見ることになってしまう。

 「かやの木ぎんやんひきずり女
     せがれ孫からねずみっ子抱いた」

 村で一番大きいかやの木がある家のぎんやんという女の人は、息子、孫、ねずみっ子と呼ばれる曾孫まで抱いたといって歌にうたわれた。早熟、多産は辱めの対象で、ぎんやんは「ひきずり女」という最大の蔑称を受けなければならなかった。歯を欠いてまで共同体の倫理に準じようというおりんにとって、「ひきずり女」という蔑称は耐え難いものだった。

 もう一つは、冬を越すのに食料が足らなくなるおそれがあるからである。大食いの松やんが子を生んだら、ただでさえ足りない食糧がさらに不足してしまう。 

 「三十すぎてもおそくはねえぞ
     一人ふえれば倍になる」

 晩婚が奨励される村だが、十六のけさ吉が松やんをはらませてしまったのだ。思ってもいなかったことをけさ吉から聞かされて、当初おりんはその衝撃からけさ吉に箸を投げつけ「バカヤロー、めしを食うな!」と怒鳴ったのだが、その後、「これこそ物わかりのわるい年寄りのあさましいことにちがいないのだ」と思うようになる。けさ吉も松やんも一人前の大人になったのに、そこまで察していなかったことに申しわけない、とさえ思ってしまう。

 「おばあやんはいつ山へ行くでえ?」と何度も問うけさ吉に「来年になったらすぐ行くさ」と苦笑いしながら答えていたおりんだった。「楢山まいり」の前夜にふるまう御馳走はたっぷり準備してある。おりんが山へ行った翌朝、家のみんなが飛びついて食べ、びっくりするだろう。その時自分は、「新しい筵の上に、きれいな根性で座っているのだ。」とおりんは「楢山まいり」のことばかり考えていた。

 その山行きをさらに急き立てられる出来事が起こる。「楢山さんに謝るぞ!」という叫び声が起こり、「雨屋」という屋号の家が村総出で襲われる。雨屋の亭主が隣の家の豆のかますを盗み出したところを見つかって、家の者に袋だたきにされたのである。この村で食料を盗むものは極悪人で、「楢山さんに謝る」という最も重い制裁を受ける。村中が喧嘩支度で盗みをはたらいた家に駆けつけ、その家の食糧を奪い取って、みんなで分けてしまうのである。嫁に来た玉やんも末の子を背中にしばりつけるようにおぶって出て、太い棒を握って青い顔でかけだしていた。おりんが布団から這い出したときは、家中みんな飛び出した後だった。

 「家探し」された雨屋の家の縁の下から、一坪くらいになるほどの芋が出て来る。こんなに一軒の家で芋がとれるわけはないので、これは畑にあった時から村中の芋を掘り出したにちがいない。雨屋は先代も「楢山さんに謝った」家なので、「泥棒の血統だから、うち中の奴を根だやしにしなけりゃ」と囁かれるようになる。 

 雨屋の家族は十二人でおりんの家は八人だが、育ち盛りの子が多いので、食料の困窮は似たようなものだった。隣の銭屋の倅がやってきて、雨屋がよその家の種芋まで盗んでいたことがわかったので、どこの家でも仕事もしないで雨屋を根だやしにすることを考えている、という。からすが啼いて、「今夜あたり、葬式がでるかも知れんぞ」といって銭屋が出て行った後、みんな黙ってしまう。そうして、突然、寝ころんでいた辰平が「おばあやん、来年は山へ行くかなあ」といったのだ。再びの沈黙の後、

 けさ吉が

 「お父っちゃん出て見ろ枯れ木ゃ茂る
     行かざなるまい、しょこしょって」

と唄い出して三日後の夜、大勢の足音がおりんの家の前を通って行った。翌朝雨屋の一家は村から消えてしまったのだった。

 十二月になって白い小さい虫が舞って、子供たちが「雪ばんばァが舞ってきた」と騒ぐ。雪の降る前にはこの虫が舞うといわれていた。おりんは「おれが山へ行くときゃァきっと雪が降るぞ」と力んだ。

 「塩屋のおとりさん運がよい
     山へ行く日にゃ雪が降る」

楢山祭りのときに唄い出されていたこの歌は、山へ行く「時」を指定する歌だった。楢山は雪が降り積もれば行けない遠い山なので、雪のない道を上って、到着したら雪が降るのが運がよいとされ、そのような条件の「時」に行け、といっているのである。

 松やんが臨月に入ったことは誰の目にも明らかになった。あと四日で正月になるという日、おりんは、辰平に明日楢山まいりを決行することを告げる。その晩、渋る辰平を厳然と威圧して、お供をして山へ行った人たちを呼んでどぶろくを振る舞い、作法通りの教示を受ける。そして、次の夜おりんと辰平は楢山まいりの途についたのだった。

  ここからは、楢山に分け入る辰平とおりんの道行となる。二つ、三つと山の裾野を回り、四つ目の山は上に登って頂上に立つと、地獄へ落ちるかと思わせるような谷に隔てられて、向うに楢山が見える。奈落の底のような深い谷を廻って進む辰平は、もう人心地もなかった。楢山を見たときから、神の召使いのようになってしまったのである。

 七谷という七曲りの道を通り越すと、道はあっても道はないといわれた楢の木ばかりの楢山に来た。無言のおりんを背負って、辰平はとうとう頂上らしい所まで来る。すると、どの岩影にも死体があった。両手を握って、合掌しているような死人、バラバラになった白骨、からすに食べられて空洞になった腹がからすの巣となった死体、進むほどからすが多くなり、死骸もますます多く転がっていて、白骨も雪がふったようにころがっている。辰平は、白骨の中に木のお椀がころがっているのを見て呆然とする。

 楢山に分け入ってからは、リアルで鬼気迫る情景描写が続く。戦場か処刑場の跡のようで、様々な死が累積している。さすがにもう、歌は唄い出されない。死骸のない岩かげにおりんを降ろすと、不動の形で立ったおりんに力いっぱい背中を押され、辰平は今来た方に歩き出す。おりんの顔はすでに死人の相だった。

 生きながら菩薩の形となったおりんの姿を描いて、「楢山節」考はこれで終わってよかったのだが、深沢は止めなかった。開高健のいう「世話物の甘い呻吟」がこれに続くのである。

 「十歩ばかり行って辰平はおりんの乗っていないうしろの背板を天に突き出して大粒の涙をぽろぽろと落とした。酔っぱらいのようによろよろと下っていった。」

 これはもう「世話物の甘い呻吟」などではなく、慟哭というべきだろう。登場人物にたいしてつねに一定の距離を保ち、その内面に入り込むことをしない深沢の、ほとんど唯一の例外がここにあるように思う。

 辰平が山の中程まで下りてきた時に雪が降りだす。おりんが「わしが山へ行く時ァきっと雪が降るぞ」と力んでいたその通りになった。辰平は掟を破って、今降りて来た山を猛然と登りだす。辰平は、本当に雪が降ったなあ!、と言いたかった。物を言ってはならないという誓いを破ってまでも、ひとこと言いたかったのだ。

 辰平がさっきの岩のところまで戻ると、雪に覆われて白狐のような姿になったおりんが、一点を見つめながら念仏をとなえている。

 「おっかあ、雪が降ってきたよう」
 「おっかあ、寒いだろうなあ」
 「おっかあ、雪が降って運がいいなあ」
 「山へ行く日に」

 辰平が呼びかけるが、おりんは無言で辰平の声のする方へ手を出して帰れ、帰れと振るばかりだった。
 「おっかあ、ふんとに雪が降ったなァ」
辰平は叫び終わると脱兎のごとく山を降った。 

 山を降りる途中、辰平は隣の銭屋の倅が父親の又やんを谷底に突き落とすのを目撃する。又やんは昨夜逃げ出そうとしたので、今度は雁字搦みに縛られていた。そして、芋俵のように転がされ、それでも必死にすがる又やんを、倅は腹を蹴とばして突き落としたのである。又やんがころがり落ちていくと、谷底から竜巻のようにからすの大群が舞い上がって、そしてまた舞い降りていった。倅もからすの群れを見て飛ぶように駆け出していた。

 家に戻って、戸の外から中の様子をうかがうと、次男が末の子に歌を唄って遊ばせていた。

 「お姥捨てるか裏山へ
     裏じゃ蟹でも這ってくる」
 「這って来たとて戸で入れぬ
     蟹は夜泣くとりじゃない」

子供たちはもうおりんが帰ってこないことを知っているのだ。松やんとけさ吉はおりんの衣類を身につけ、けさ吉はどぶろくの残りを飲んで陶然としていた。

 「運がいいや、雪が降って、おばあやんはまあ、運がいいや、ふんとに雪が降ったなあ」

 「なんぼ寒いとって綿入れを
     山へ行くにゃ着せられぬ」

おりんが生きていたら、雪をかぶって綿入れの歌を、きっと考ええているだろうと、辰平は思った。

 あらすじを追いかけるだけで、相当な量の字数を費やしてしまった。全編通じて存在するのは、圧倒的な村=共同体の論理である。村=共同体の「倫理」、といってもいいかもしれない。人間は村=共同体に生れ落ちてから、いや生まれる前から、それに逆らうことはできない。けさ吉が松やんにはらませてしまった子も、生まれたら裏山に捨てられる運命だったのである。辰平の嫁の玉やんも、けさ吉も、はらんでいる松やん自身までもが、こぞってそれを実行しようしていた。人口の調節は村=共同体の至上の命題だった。そうしなければ、絶対に飢えるからである。

 おりんはこの共同体倫理を生きた。生き抜いた。おりんの人生は共同体倫理の内側にあった、というより倫理そのものだったかもしれない。善悪、当為の判断は個人の意志や感情の介入する余地はまったくない。だから、おりんは雨屋の制裁にも当然積極的に参加し、健康な歯を自ら砕いて死を迎え入れる自分の姿をアピールしたのである。私は、おりんの「りん」は共同体倫理の「倫」である、と勝手にに妄想している。

 そして、もう一つ、切ないまでに滲み出てくるのが、おりんの息子辰平の思いである。愛するひとを死出の途へいざなうことを強制する、あらがいようがない絶対の共同体論理の禁を犯して、辰平がおりんのもとに戻るくだりはこの小説の白眉である。

 もっとも恐ろしいのは、この村=共同体には支配者がいないことである。絶対的に食料の不足するこの村=共同体には支配ー被支配の関係が存在しない。誰もが平等で、平等な権力をもっている。支配者が存在して、それを打倒することができれば共同体の論理は変わる。だが、誰もが平等な社会に革命は起こらない。そのような社会は歴史上存在しただろうか。あるいは、そのような「空間」は、いつでも、どこでも、「日常」に存在し続けているのだろうか。

 最後に、この共同体論理を透徹させる「歌」の意味についても語らなければならないのだが、すでにかなりの長文になってしまったので、これについてはまた、回を改めて考えたいと思う。歌が共同体論理とどのように別れ、散文が成立したのかということの考察を始めたのが、私の文章を書く出発点だったのだが。

 長いばかりで尻切れとんぼの文章になってしまいました。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2024年12月25日水曜日

宮澤賢治『銀河鉄道の夜』再考___誰がカムパネルラを殺したか___最終稿に見る断念と希望                                         

  カムパネルラを殺したのは、いうまでもなく作者賢治である。右手に時計をもって「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」と父親に宣告させ、賢治がカムパネルラを死なせたのだ。そして、カムパネルラは賢治である。賢治はカムパネルラを殺して、自分に罰を与えたのだ。『ポラーノの広場』のレオーネ・キューストと同じように。

 前回の投稿で、カムパネルラのモデルについて、保坂嘉内と妹のとし子をあげ、おおむねそれで間違っていないと思うと述べたが、いまは賢治その人がカムパネルラだと考えている。それだけでなく、『銀河鉄道の夜』という作品そのものを根本から見直さなければならないと思う。

 『銀河鉄道の夜』は、初稿、第二次稿と書き継がれ、第三次稿でいったん完成されたかに見えた作品だった。だが、賢治は最終稿で完全に結末のベクトルを変えてしまった。結末の部分がどうなっているか、繰り返しになるが、もう一度確かめたい。

 初稿、第二次稿では、カムパネルラがいなくなると、ジョバンニが
 「さあ、やっぱりたったひとりだ。きっともう行くぞ。ほんたうの幸福が何だかきっとさがしあてるぞ。」

と叫ぶ。そのことばにこたえるかのように、まっくらな地平線の向こうに青じろいのろしうちあげられる。昼間のように明るくなった汽車の中で、ジョバンニは
 「あゝマジェラン星雲だ。さあ、もうきっと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのためにみんなのためにほんたうのほんたうの幸福をさがすぞ。」と宣言する。すると、「セロのやうな声」がして、ジョバンニに、汽車の中で車掌に見せた「切符」をしっかり持って、現実の世の中を歩いて行くようにはげます。その声がしたと思うと、天の川は遠くなって、「あのブルカニロ博士」が現れ、ジョバンニの体験が博士の実験だったといい、彼に金貨を二枚くれる。

 第三次稿でもおおむねプロットは変わらないが、「セロのやうな声」の人は、「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の痩せた大人」の姿をしてあらわれ、カムパネルラの座っていたところにすわり、ジョバンニに語りかける。そして、詳しく、具体的に、宇宙の真実のようなものをジョバンニにおしえ、不思議な実験を彼にほどこすのである。さらに、その人がジョバンニに「プレオシスの鎖」を解かなければいけない、というと、青じろいのろしがあがり、ジョバンニはマジェラン星雲に誓いをたてるのだ。

 そのあと、再び「セロのやうな声」がして、ジョバンニをはげまし、天の川が遠くなって、「あのブルカニロ博士」が登場し、ジョバンニにこれが実験であると伝える部分は前二稿と同じである。前二稿と異なるのは、「セロのやうな声」のひとと「あのブルカニロ博士」と二人がジョバンニを実験の対象としていることである。「セロのやうな声」の人がした実験も含めて、ジョバンニの銀河鉄道の旅の体験すべては「あのブルカニロ博士」のした実験であって、ジョバンニに対して二重の実験がされたことになっている。

 これは前ニ稿へのかなり大きな改変だと思うが、最終稿は、何と、この部分を完全に削除してしまっている。「青じろいのろし」、「マジェラン星雲」「セロのやうな声」「あのブルカニロ博士」といった印象的な表象はすべて消され、ジョバンニの持っているとされた「切符」も、かれに与えられた「二枚の金貨」の話もない。ジョバンニをはげまし導いてくれるメンターも、お金をくれていつでも相談にのってくれるというパトロンも消えてしまう。いうまでもなく作者賢治が消したのである。第三次稿まで紡ぎあげてきた物語は、最終稿でハッピーエンドから一転、何もない空間に読者を放り出してしまう。

 胸を熱らせ頬につめたい涙を流してジョバンニは夢からさめる。注意しておきたいのは、彼の銀河鉄道の旅の体験が夢だったと明言されるのは最終稿だけである。それまでの三稿では、「セロのやうな声」がしたと思うと天の川が遠ざかり、風が吹いて、ジョバンニは「まっすぐ草の丘にたってゐる」自分を見るのだ。それは夢と現実の二項対立ではなく、銀河鉄道の旅の体験とひとつながりの現象なのである。自分で自分の姿を見る、という不思議な現象であるが。

 夢から覚めたジョバンニは、病気の母親のことを思い出し、走って丘を下りさっき断られた牛乳をもらいに牧場に行く。今度は白いズボンをはいた人が出てきて、まだ熱い牛乳瓶が渡される。そのあと、ジョバンニは、牧場を出て家に向かうが、町の十字路で女たちが集まって、橋のほうを見ながらひそひそ話しているのを見て「なぜかさあっと胸が冷たくなったやうに思ひました。」と書かれる。カムパネルラの溺死という事実を知る前に、ジョバンニは戦慄を感じたのだ。

 カムパネルラは、烏うりを流そうとしてあやまって川に落ちたザネリを救うために飛び込んで、その後見えなくなってしまった。たくさんの人が集まる中、黒い服を着た「青じろい尖った顎をした」カムパネルラのお父さんが、カムパネルラの死を宣告する。もう四十五分たったから駄目だ、と。なぜ四十五分が期限となるのかわからないのだが。

 『銀河鉄道の夜』の読者は、汽車に先に乗っていたのが「ぬれたやうなまっ黒な上着を着た」カムパネルラであり、そのカムパネルラは「少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいといふふう」と書かれているのを知っているので、カムパネルラの死を違和感なくうけいれてしまう。だが、そもそも、なぜ、カムパネルラは死ななければならなかったのか。あるいは、なぜ、ザネリを救うために死ななければならなかったのだろう。ほかでもない、ジョバンニを辱め、執拗に苛めたザネリを助けるために。作者はどうしてこんな皮肉な設定にしたのか。

 多くの読者は、とくに第三次稿の中で、ジョバンニのカムパネルラへの思慕が縷々つづられているのを読んで、無条件に二人が親友だと思っている。ほんとうにそうだろうか。親友だったら、苛められ辱められている友を見過ごして、高く口笛を吹いて遠ざかっていくことなどできるだろうか。カムパネルラはジョバンニを裏切り続けたのだ。そして、その報いに殺されたのだ。作者賢治に。

 そして、冒頭書いたように、カムパネルラは賢治である。『銀河鉄道の夜』を先入観なしに読むことができたら、カムパネルラは賢治とほぼ等身大に描かれていることに気がつくだろう。「せいが高い」ことなどささいな違いはあるが。自分と等身大に描いたカムパネルラに、友を裏ぎらせ、その報いに死を与える作者賢治の屈折、挫折そして自罰の念は、いつから、どこからきたのだろう。

 第三次稿から最終稿への変化は、結末部分だけではない。初稿と第二次稿の前半部分が欠落しているので、断定はできないが、最終稿の冒頭「午后の授業」から「活版所」「家」まで、かなり長い部分は最終稿で書き加えられたもののようである。ここには、銀河鉄道に乗るまでのジョバンニの生活が具体的に時系列に沿って書かれている。

 ジョバンニは毎日学校の授業の前後にはたらかなければならないので、どうしても勉強に身が入らない。先生に指名されても、わかっているはずのことに自信がもてず、こたえられなくて浮き上がってしまう。授業が終わると活版所に行って活字を拾う仕事をする。一緒に働いている労働者から「虫めがね君」と呼ばれて冷たくわらわれるが、六時過ぎまで働いて銀貨を一枚もらう。 

 仕事を終えたジョバンニはパンを一塊と角砂糖を買って家に帰る。角砂糖は母親に飲ませる牛乳に入れるのである。「あゝジョバンニ、お仕事がひどかったらう。」と彼を迎えた母親は、白い巾を被って寝ている。ジョバンニは、姉がつくってくれたトマトのおかずでパンをたべながら母親と会話している。話題は不在の父親のことである。ジョバンニは、北方の漁に出ている父親はまもなく帰ってくると思っている。母親もそう思っていると言いながら、父親は漁には出ていないかもしれない、とも言う。言外に、監獄に入っているかもしれない、とにおわせている。

 それにたいして、ジョバンニは、父親がそんな悪いことをしたはずはない、と言う。父親は前回巨きな蟹の甲羅やとなかいの角を持って帰り、学校に寄贈したのだ。この次はジョバンニにラッコの上着をもってくる、ともいっていたのだが、そのことがジョバンニが苛められる理由になっている。

 不在の父親については、第三次稿でより詳しく書かれている。ザネリに「お父さんから、らっこの上着が来るよ。」とからかわれたとき、ジョバンニは心の中でこう思っている。

 「ザネリは、どうしてぼくがなんにもしないのに、あんなことを云ふのだらう。ぼくのお父さんは、わるくて監獄にはひってゐるのではない。わるいことなど、お父さんがする筈はないんだ。去年の夏、かえって来たときだった、ちょっと見たときはびっくりしたけれども、ほんたうはにこにこわらって、それにあの荷物を解いたときならどうだ。鮭の皮でこさへた大きな靴だの、となかいの角だの、どんなにぼくは、よろこんで跳ね上がって叫んだかしれない。・・・・・・・。」

 第三次稿で、ジョバンニが「お父さんは、わるくて監獄にはひってゐるのではない。」と思っているということは、彼は、父が監獄に入っていることは事実として受けとめていることになる。ところが、最終稿では、ジョバンニは、「お父さんが、監獄に入るやうなそんな悪いことをした筈がないんだ。」といっているので、監獄に入っているかどうかは不明である。共通するのは、父親が「となかいの角」「蟹の甲ら」「らっこの上着」など、動物を屠ってこしらえたものを持って帰る、と書かれていることだ。「蟹の甲ら」は第三次稿では「鮭の皮でこさえた巨きな靴」となっていて、こちらの方がより生々しい印象がある。ジョバンニの父親の職業は何だろう。

 「となかいの角」や「蟹の甲ら」は違法な獲物ではないかもしれないが、「らっこの上着」については、漁獲に関して禁止、規制の法律が定められているので、違法の可能性がある。ジョバンニの父親は、監獄に入っているかどうかは別にしても、何らかの違法行為を犯しているかもしれない。ジョバンニはたんに「病気の母親の面倒を見ながら家計を支えるけなげな少年」として描かれるだけでなく、出自に何か暗い闇の部分をかかえる複雑な存在として登場する。ジョバンニにたいする差別、執拗な苛めの原因は彼を取り巻く闇の部分にあるのだろう。作者はそれをあえて明らかにしないのだ。

 第三次稿から最終稿への過程で、第三次稿の結末部分の削除と、カムパネルラの死、「午后の授業」「活版所」「家」の部分の加筆と、どちらが先だったかわからない。同時並行的に行われた可能性もあるだろう。銀河鉄道に乗るまでのジョバンニについては、第三次稿では、彼の心理に即して語られているので、それを整理し、客観化して最終稿に組みなおしたともいえる。

 いずれにしろ、最終稿のジョバンニには、何もない。メンターもパトロンも誰もいないし、道しるべとなる切符もお守りのような金貨もない。彼は孤独だ。そして自由である。もう彼は博士の実験の対象ではないのである。

 ジョバンニからいっさいを奪って、現実の中に立たせたもの、それは作者の大きな断念だろう。最終稿のジョバンニは、マジェラン星雲に向かって誓いをたてることもない。病気の母親のために、牛乳を受けとりにもう一度牧場に行き、今度は熱い牛乳瓶をもらって帰るのだ。希望があるとすれば、カムパネルラの父が、ジョバンニの父から無事の便りを受け取った、と知らせてくれたことかもしれない。

 不思議な、謎にみちた銀河鉄道の旅の終わりに、ジョバンニはあたたかい牛乳を受け取り、父の無事を知らされる。金貨二枚がもたらされるハッピーエンドはなくなったが、ここに救いが、そして希望の光が、微かだが確かにに見いだされるような気がする。 

 『銀河鉄道の夜』について、いくつも投稿してきましたが、何か違う、何も言えていない、という消化不良の思いを拭いきれませんでした。賢治の作品は、今までにもいくつか取り上げて書いてきましたが、今回が一番七転八倒して、なおかつ一番不出来だと思っています。今回満足にほど遠いながら、何とか最後まで書くことができたのは、鈴木守氏の「みちのく山野草」というブログに助けられたことが大きかったと思います。連日の鈴木氏の投稿が、生活者賢治のいきづかいを伝えてくれるような気がしました。本当にありがとうございました。

 今日も未熟な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

              

2024年11月28日木曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の旅の夜』__旅の終わりに___カムパネルラの消失から死まで

  前回の投稿を終えて、ずっとカムパネルラのことを考えている。カムパネルラとは何だったのか。

 カムパネルラについては、今回『銀河鉄道の旅の夜』を読み直すにあたって、最初に「カムパネルラという存在とその消失の意味するもの」と題して書いている。興味のある方はそちらを参照していただけるとありがたい。今回あらためて考えてみたいのは、「カムパネルラとは何か」あるいは「ジョバンニとは何か」である。

 前回「カムパネルラという存在とその消失」でも述べたように、第三次稿で具体的に記されたジョバンニとカムパネルラのかかわり、そして縷々と綴られたジョバンニのカムパネルラへの切ない思いは最終稿ではほとんど削除されてしまっている。代わりに、病気で臥せっているジョバンニの母とジョバンニとの会話のなかで、少し不思議なことが語られている。

 「あの人はうちのお父さんとはちょうどおまへたちのやうに小さいときからのお友達だったさうだよ。」これはジョバンニの母のことばだが、「あの人=カムパネルラ」が「うちのお父さん」と「小さいときからのお友達だった」とはどういうことを意味するのだろう.

 「あの人のお父さん」と「うちのお父さん」が小さいときからの友達だった、と言っているのではない。ややこしい話だが、「あの人=カムパネルラ」が「うちのお父さんの友達だった」と言っているのである。作者賢治の書き間違いだろうか。ジョバンニの同級生のカムパネルラがジョバンニの父と「小さいときからの友達だった」という状況は普通はあり得ない。また、ジョバンニの母の「小さいときからのお友達だったさうだよ」という言葉は、母がジョバンニの父からカムパネルラとジョバンニの父が友達であると聞いていたことを示している。

 ところで、『銀河鉄道の旅の夜』の多くの読者は、ジョバンニのモデルは作者賢治であり、カムパネルラのモデルは賢治の思慕の対象となった保阪嘉内、あるいは亡くなった妹のとし子を想定していると思う。おおむねそれで間違ってはいないと思うが、ジョバンニとカムパネルラの人物造型は少し複雑である。

 ジョバンニは父が不在で、貧しく、病気の母の面倒をみながら、学校の前後に働かなくてはならない。そのため同級生にいじめられ、疎外されている。この状況は賢治とまったくかけ離れたものである。賢治はむしろ、何不自由ない暮らし向きのカムパネルラと同じ境遇だった。では、ジョバンニは賢治とまったくことなった人物として描かれているのかといえば、もちろんそうではない。

 「天上へなんか行かなくたっていゝぢゃないか。ぼくたちこゝで天上よりももっといゝとここさへなけぁいけないって僕の先生が云ったよ。」サウザンクロスの駅で降りる支度をしている女の子にかけたジョバンニのことばだが、これは賢治の思想だろう。この後、クリスチャンの青年とジョバンニは「たったひとりのほんたうのほんたうの神さま」について神学論争をはじめるのだが、結論は出るはずもない。ほかならぬ「ここで」、「天上よりももっといゝとここさへなけぁいけない」とは、賢治の至上命題で、ジョバンニはまさに賢治の代弁者である。

 そのジョバンニを、なぜ賢治は自身と正反対の境遇においたのか。おそらくそれは、「みんなのほんたうのさいはひをさがしに行く」主人公を、経済的、あるいは政治的にも賢治の属する階層とは異なった階層の人間として設定したかったのだと思われる。そして、それは、旅の途中で唐突に新大陸のインディアンや「星とつるはしの旄」が登場することにつながっているのではないか。

 賢治とほぼ重なる境遇のキャラクターとして造型されたのは、先に述べたようにカムパネルラの方である。裕福な家庭に育ち、学力も高く、絵も上手で、「運動場で銀貨を二枚弾いてゐたりしていた。」と第三次稿で書かれている。もっともこの部分は最終稿では完全に削除されてしまっているのだが。

  では、カムパネルラは銀河鉄道の旅の中で、何をしたのか。

 ひとことでいえば、何もしていないのだ。何もしていない、といえば語弊があるかもしれない。先に汽車に乗ったが、ジョバンニの同行者として最後まで彼の傍らに「ゐた」のである。

 ジョバンニが持っていない「銀河ステーションでもらった地図」をもっていて、旅の途中都度々々地図を開いて、現在地とその状況を確認するのがカムパネルラだった。天の川の砂を見て、「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えてゐる。」と言ったり、河原に列をなしてとまっている鳥が烏でなくかささぎであると判定したり、自然科学の知識が特に豊富なようだ。空を渡る鳥の大群に旗を振って信号を送る渡し人が現れる場面では「どこからかのろしがあがるため」だろうと推測したりしている。両岸に「星とつるはしの旄」が立つ川に発破がしかけられ、鮭や鱒が打ち上げられる場面では、ジョバンニとともに小躍りして喜んでいる。

 『銀河鉄道の旅の夜』は三人称の作品だが、一貫してジョバンニの心情から語られているので、カムパネルラが何を考えているかはわからない。ほぼジョバンニと重なっているように見えるが、二人の距離は稿を重ねるごとに微妙に離れていく。少し煩雑になるが、サウザンクロスでほとんどの乗客が降りたあとのジョバンニとカムパネルラの会話を比べてみたい。

 「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねぇ、どこまでもどこまでも一緒に行かう。僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならばそしておまへのさいはひのためならば僕のからだなんか百ぺん灼ひてもかまはない。」(下線は筆者)
 「うん、僕だってさうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでゐました。
 「けれどもほんたうのさいはいは一体何だらう。」ジョバンニが云ひました。
 「僕わからない。」カムパネルラはさうは云っていましたがそれでも胸いっぱい新しい力が湧くやうにふうと息をしました。
 「僕たちしっかりやらうねぇ。」ジョバンニが云ひました。

 これが初稿だが、第二次稿もほとんど同じである。ただジョバンニのことばから「そしておまへのさいはひのためならば」が削除されている。第三次稿と最終稿ではこうなっている。

 「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねぇ、どこまでもどこまでも一緒に行かう。僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼ひてもかまはない。」
 「うん、僕だってさうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでゐました。
 「けれどもほんたうのさいはひは一体何だらう。」ジョバンニが云ひました。
 「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云ひました。(下線は筆者)
 「僕たちしっかりやらうねぇ。」ジョバンニが胸いっぱい新しい力が湧くやうにふうと息をしながら云ひました。(下線は筆者)

 初稿では、ジョバンニはカムパネルラを前にして「そしておまへのさいはひのためならば」僕のからだなんか百ぺん灼ひたってかまはない、と言っている。はっきりと、カムパネルラそのひとを対関係の対象にすえている。

 第二次稿では「そしておまへのさいはひのためなら」は削除され、「おまへのさいはひ」は「みんなの幸」と集約され一般化されている。さらに第三次稿と最終稿では、それまでの稿と以下の二点で明確に異なっている。

 ひとつは、初稿と第二次稿では、本当の幸いはなんだろう、というジョバンニの問いにカムパネルラは「僕わからない」と言いながら、「それでも胸いっぱい新しい力が湧くやうにふうと息をしました。」と書かれているのに対し、第三次稿と最終稿では、「「僕わからない」カムパネルラがぼんやり云ひました。」となっていること。また、「胸いっぱい新しい力が湧くやうにふうと息をしたのは、カムパネルラではなく、ジョバンニなのだ。

 初稿から最終稿まで、ジョバンニの傍らにいるカムパネルラは、「きれいな涙を「うかべて」ジョバンニに共感するたたずまいはかわらないが、最後は「ほんたうのさいはひはなんだらう。」というジョバンニの問いに「僕わからない」と「ぼんやり」言うだけなのだ。ジョバンニひとりが「「僕たちしっかりやらうねぇ。」と「胸いっぱい新しい力が湧くやうにふうと息をした。」のである。賢治は、ジョバンニから完全ににカムパネルラを引きはがしたのだ。

 「僕たちしっかりやろうねぇ。」とジョバンニが言った直後「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ。」とカムパネルラが天の川に空いた大きなまっくらな孔を指し示す。そして彼は「どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行かう。」というジョバンニに「あゝきっと行くよ。」と言いながら消えてしまう。

 注意しなければならないのは、初稿と第二次稿では、カムパネルラは「いなくなった」のであり、必ずしも「死んだ」ことにはなっていないことだ。というより、作者の関心は「さあ、やっぱりぼくはたったひとりだ。きっともう行くぞ。ほんたうの幸福が何だかきっとさがしあてるぞ。」(下線は筆者)というジョバンニの決意表明にある。そしてジョバンニは「セロのやうな声」の主に、切符をしっかりもって、厳しい現実を歩いて行くよう訓示をうけ、次に現れた「ブルカニロ博士」から金貨を二枚もらって帰途に向かう。

 第三次稿のカムパネルラは、「どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行かう。」というジョバンニに「あゝきっと行くよ。」といった後「あすこの野原はなんてきれいだらう。みんな集まってるねぇ。あすこがほんたうの天上なんだ。あっあすこにいるのはぼくのお母さんだよ。」と叫んで消えてしまう。カムパネルラの消失に慟哭しているジョバンニに声をかけたのは、「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の痩せた大人」だった。その人はカムパネルラが「ほんたうにこんや遠くへ行ったのだ。」といい、もうさがしてもむだだ、と彼の死を示唆する。

 『銀河鉄道の旅の夜』の成立論を始めるつもりはないのだが、第三次稿はそれまでの二稿に比べて、かなり異色である。初稿、第二次稿は前半が欠落しているので、一概にいえないが、第三次稿は分量が前の二稿の倍以上になっている。とくに、カムパネルラが消えた後に不思議な人物が現れるが、その人物がジョバンニに世界の真理を説く部分が長いのである。

 前の二稿では「セロのやうな声」がして、ジョバンニを励まし、「天の川のなかでたった一つのほんたうの切符」を持って「本当の世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐ歩いていかなければならない。」という。それから、「あのブルカニロ博士(欠落している前半部分にすでに登場しているのだろうか)が近づいてきて、ジョバンニの銀河鉄道の旅の体験が「遠くから私の考えを伝える実験」であり、「これから、何でもいつでも私のとこへ相談においでなさい。」と言って、金貨を二枚ジョバンニに与える。

 第三次稿では、消えたカムパネルラの座っていた席に「「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の痩せた大人」が「優しく笑って大きな一冊の本をもって」いた。そして、その人は、カンパネルラの死を示唆した後、人生と世界の秘儀について長い講釈をするのだが、私の能力ではそれを要約することができない。おそらく仏教の宇宙観、もしかしたら三島由紀夫が「暁の寺」で精緻な説明を試みていた阿頼耶識のことかもしれない。それからその人はジョバンニに不思議な実験をする。

 「そのひとは指を一本あげてしづかにそれをおろしました。するといきなりジョバンニは自分といふものがじぶんの考といふものが、汽車やその学者や天の川やみんながいっしょにぽかっと光ってしぃんとなくなってぽかっとともってまたなくなってそしてその一つがぽかっとともるとあらゆる広い世界ががらんとひらけあらゆる歴史がそなはりすっと消えるともうがらんとしたたゞもうそれっきりになってしまふのを見ました。だんだんそれが早くなってまもなくすっかりもとのとほりになりました。」

 前の二稿はブルカニロ博士が実験をしたのだが、第三次稿ではカンパネルラの席に座った不思議な人が汽車のなかでジョバンニに実験をする。だが、この後またしても「あのブルカニロ博士」が現れ、この実験を含む銀河鉄道の旅すべてが私の実験だった、という。賢治はなぜこんな重複とも見える筋立てにしたのだろう。

 不思議なことに、こんなに詳しく世界を語ることに情熱を傾けた第三次稿の最期の部分は最終稿では完全に削除されている。「あのブルカニロ博士」の実験のくだりもなく、代わりに、「青じろい尖った顎をした」カムパネルラのお父さんが黒い服を着て登場し、カムパネルラの死を宣告する。第三次稿と最終稿の断絶については検討しなければならない多くの課題があるが、それについてはもう少し時間がほしいと思っている。

 ひとつの仮説として、第三次稿までは、ジョバンニが求道者として世界に屹立するまでの物語だった。そのためにジョバンニは、カムパネルラから自立しなければならなかった=カムパネルラを失わなければならなかった。そのことによって、「みんながカムパネルラだ」という真実に気づくために。

 『銀河鉄道の旅の夜』の難解さは、決定稿がないため、活字化されたものでも初稿から最終稿まで段落が錯綜していることにも原因があるように思います。今回は岩波現代文庫の『「銀河鉄道の旅の夜」精読』を参考にさせていただきました。初稿から最終稿まで掲載されているので、賢治の推敲の過程がわかりやすく、非力な私でもいくらか読解を深めることが出来たように思います。著者の鎌田東二氏に感謝申し上げます。

 未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2024年10月4日金曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』___燃える蝎__救済か地獄の劫火か

  双子の星の話は、姉と弟のの要領を得ない会話のあと、男の子の「ぼく知ってらあ。ぼくおはなししやう。」ということばの後は空白になり、段落が切り替わる。

 「川の向ふ岸が俄かに赤くなりました。楊の木や何かもまっ黒にすかし出され見えない天の川の川の波もときどきちらちら針のやうに赤く光りました。まったく向ふ岸の野原に大きなまっ赤な火が燃されその黒いけむりは高く桔梗いろのつめたそうな天をも焦がしさうでした。ルビーよりも赤くすきとほりリチウムよりもうつくしく酔ったやうになってその火は燃えているのでした。」

 近くの光景は黒い影絵のようで、その向こうに巨大な燃焼がある。賢治は筆を尽くして、それこそ「うつくしく酔ったやう」に銀河鉄道の旅のクライマックスを描写する。

 あれは何の火だろう、とジョバンニが言うと、カムパネルラが地図を見て蝎の火だとこたえる。すると、女の子が「蝎がやけて死んだのよ。」と説明をはじめる。父親から何度も聞いた話だという。

 むかし、バルドラの高原にいた一びきの蝎が、いたちに食べられそうになって、必死に遁げ、そして井戸に落ちてしまう。井戸からあがれなくて、溺れそうになって、蝎は祈る。

 「あゝ、わたしはいままでいくつの命をとったかわからない。そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもたうたうこんなになってしまった。あゝなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったらう。そしたらいたちも一日生きのびたらうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸いのために私のからだをおつかひ下さい。」

 蝎は後悔している。いままでたくさんほかの命をとってきた自分が、今度は命をとられそうになったら遁げて溺れ死のうとしている。遁げないで、自分のからだを「だまって」いたちに食わせてやるべきだったのに、そうしないで、「むなしく」命をすてようとしている。そして祈っている。次に生まれてきたら、「まことのみんなの幸い」のために自分のからだを使ってください、と。

 そして蝎は自分のからだがまっ赤なうつくしい火になって燃え、夜の闇を照らしているのを「見た」、と女の子はいう。蝎は、自分のからだが燃えているのを自分で見ている。幽明境をことにした世界ではそのようなことができるのだろう。

 多くの人がここに銀河鉄道の旅の倫理的、思想的到達点をみている。「まことのみんなの幸いのため」という絶対利他の考えが、ことばとしてわかりやすいこともあるかもしれない。仏教の素養のない私には詳しいことはわからないが、捨身説話の一つのパターンがここで語られているのだと思われる。

 自然界で食うものと食われれるものとの関係は「捕食」とよばれる。実は、捕食者(=食うもの)は、被食者(=食われるもの)を必ずしも仕留めることが出来るとは限らず、逃げられることも多いが、捕食者が追い、被食者が逃げるという関係に、それぞれの自由意志がはたらくことはなく、それは自然の必然である。蝎がたくさんの命をとってきたのも、いたちに追われて逃げたのも必然の行為である。蝎が自分のからだを「だまっていたちに呉れてやる」ことはありえない。また、井戸に落ちて溺れ死のうとしているからといって、「こんなにむなしく命を捨てずに」と罪の意識を覚えることもない。

 一言でいえばこの話は嘘である。「おはなし」なのだから嘘に決まっている。問題は、この嘘の話が、「まことのみんなの幸いのため私のからだをおつかひ下さい。」という蝎の「心」をみた「神さま」が蝎のからだを燃やしまっ赤なうつくしい火と変えたと閉じられることである。あまりにも美しい嘘なので看過されそうだが、ここには「死」は「有用」であるべきだという思想が潜んでいる。「有用な死」と「自己犠牲」との間に距離はほとんどない。「自己犠牲」は『銀河鉄道の夜』のテーマの代表的なものとなった。

 たくさんの命を奪ったから、自分の命も誰かに与えて死ななければならないという掟は自然界に存在しない。Give and Take は人間社会の論理である。人間社会の論理を自然に当てはめ、「自己犠牲」のベクトルのもとに語るのはプロパガンダである。作品がプロパガンダであってわるいということはない。蝎の話は初稿から最終稿まで一貫して存在し、多くの読者がこの部分を、というよりこの作品そのものを「自己犠牲」のテーマで論じているのだから、作者の狙い通りになったといえる。

 もうひとつ微妙なのは、蝎の焼死は救済なのか、という問いである。「蝎がやけて死んだのよ。」という女の子の即物的な説明からこの話は始まっている。神に祈って、そのからだが天に引き上げられ、「まっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしている」__未来永劫照らし続けるだろう。未来永劫焼かれ続けるのである。「その黒いけむりは高く桔梗いろのつめたさうな天をも焦がしさうでした。」これは地獄の劫火ではないか。

 救済か、地獄の劫火か。一見美しくわかりやすい蝎の話に、私は賢治の抱え込んだ深い闇を見る気がする。新大陸アメリカのコロラドインディアンから誕生間もないユーラシアの共産主義国家へ、銀河鉄道は地上を旅し、ふたたび天井を行く。天上の旅の最期に永遠の劫火を見て、ケンタウルの村に帰ってくる。だが、ジョバンニとカムパネルラ、そしてクリスチャンの一行との旅は終わらず、南十字星をめざすのである。

 最後にまたもや蛇足をひとつ。宮沢賢治の抱えこんだ闇について関心のある方は、見田宗介著『宮沢賢治__存在の祭りの中へ』を読むことをおすすめしたい。あとがきに「わたしはこの本を、ふつうの子高校生に読んでほしいと思って書いた。」とあるが、わかりやすく、頭の中が整理されるような気がして、しかも、創作の秘儀にたちあっているような感覚を覚える。ただし_吉本隆明の『宮沢賢治』にも共通するのだが_不思議なほど時代状況とのかかわりへの関心が薄いのだ。いつかもういちど見田宗介の本については、熟読して思ったところを書きたいと考えている。

 たくさんの謎を謎のままにして、ようやく蝎の話までたどり着きました。多くの人がとりあげる「自己犠牲」について、私も言わなければならないことがあるように思いますが、もう少し先の「カムパネルラの死」を読んでから考えたいと思います。きょうも不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。