2022年12月18日日曜日

宮澤賢治『風の又三郎』__最後に残る二つの謎__高田三郎と宮澤賢治

  この後の月曜日、一郎と嘉助が嵐の中登校して、三郎が転校したことを告げられる。嘉助は先生に挨拶するとすぐ、「先生、又三郎きょう來るのすか。」ときいている。先生が告げるまでもなく、もう三郎は来ないことを嘉助も一郎も知っているのだ。

 九月一日に現れて、(おそらく)十一日に去って行った高田三郎。三郎が「風の又三郎」かどうか、という問いに対して、じつは私はほとんど関心がない。嘉助がまず最初に「又三郎」と呼び、子どもたちもみなそう呼んだ。それで十分である。物語の中で、高田三郎は、モリブデンの発掘という仕事をする父親とともに、谷川の小学校に現れた。モリブデン発掘が中止になったので、村を去った。それ以上でもそれ以下でもない。

 『風の又三郎』という作品を、東北地方にあるという「風祭り」と関連づけたり、又三郎を「風の神」としてとらえる民俗学的アプローチもあるようだが、いまの私は、そのようなアプローチには組したくない。

 少し、興味を覚えるのは、「鼻のとがった人」がステッキのようなもので川の浅瀬を調べていたことと、モリブデンの発掘が関係があるのかもしれない、ということである。だが、これも、さほど重要なことではないかもしれない。

 私がどうしても解決できない謎が二つある。一つは、三郎を極度におびえさせたシュプレヒコールの発端となった

 「雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。」

と叫んだのは誰か、ということである。本文では「すると、だれともなく、「雨は…。」と叫んだものがありました。」と書かれている。「叫んだもの」は人なのか、それとも作者はそうでないものを想起させたかったのか。

 この後すぐ、「みんなもすぐ声をそろえて叫びました。」と書かれているので、シュプレヒコールを発したのは子どもたちである。三郎が「いま叫んだのはおまえらだちかい。」ときくと「そでない、そでない。」と「みんないっしょに叫びました。」と、これも子どもたちがいっせいにそう叫んだのだ。

 最初に叫んだのが人か何かわからないが、次にシュプレヒコールを浴びせたのはあきらかに子どもたちである。だが、三郎の問いにみんなで声をそろえて否定する。またもやぺ吉が出て来て「そでない。」とだめ押しする。

 シュプレヒコールの威力は、集団の暴力である。多数の者がいっせいに声を出すことで、コミュニケーションを切断するのだ。前日は、一郎の音頭で子どもたちがシュプレヒコールを浴びせ、正体不明の鼻のとがった人を追い払った。この場面では一郎も集団のなかに埋没している。嘉助も耕助も「みんな」のなかである。三郎ひとり、「みんな」と対峙しなければならない。淵から上がった三郎のからだががくがくふるえていたのは、寒さと恐怖と、絶望的な疎外感のためだったのではないか。 

 もう一つわからないのは、物語の最期の段落の始めに

 「どっどど どどうど どどうど どどう
  青いくるみも吹きばせ
  すっぱいかりんも吹きとばせ
  どっどど どどうど どどうど どどう
  どっどど どどうど どどうど どどう

 先ごろ、三郎から聞いたばかりのあの歌を一郎は夢の中でまたきいたのです。」
と書かれているのだが、本文中どこをさがしても、三郎が一郎あるいは子どもたちにこの歌を歌ってきかせている箇所はない。たしかなことは、一郎は「夢の中でまた」その歌をきいた、ということである。

 ここからは一郎と風の物語である。

 「馬屋のうしろのほうで何か戸がぱたっと倒れ、馬はぷるっと鼻を鳴らしました。一郎は風が胸の底までしみ込んだように思って、はあと息を強く吐きました。そして外へかけだしました。
 外はもうよほど明るく、土はぬれておりました。家の前の木の列は変に青く白く見えて、それがまるで風と雨とで今洗濯をするというように激しくもまれていました。
 青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎれた栗の青いいがは黒い地面にたくさん落ちていました。空では雲がけわしい灰色に光り、どんどん北のほうへ吹きとばされていました。
 遠くのほうの林はまるで海が荒れているように、ごとんごとんと鳴ったりざっと聞こえたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられ、風に着物をもって行かれそうになりながら、だまってその音をききすまし、じっと空を見上げました。」

 まさに「青いくるみも吹きとばせ。すっぱいりんごも吹きとばせ」の歌の通り、風が猛威をふるっている。すさまじくも美しい破壊と浄化の自然現象である。一郎は全身でそれをうけとめている。

 「すると胸がさらさらと波をたてるように思いました。けれどもまたじっとその鳴ってほえてうなって、かけて行く風をみていますと、今度は胸がどかどかとなってくるのでした。」

 一郎の中で何かが起きている。何かが一郎の中を通過して、一郎を昂揚させている。

 「きのうまで丘や野原の空の底に澄み切ってしんとしていた風が、けさ夜あけがたにわかにいっせいにこう動き出して、どんどんタスカロラ海溝の北のはじをめがけて行くことを考えますと、もう一郎は顔がほてり、息もはあはあとなって、自分までもがいっしょに空を翔けて行くような気持ちになって、大急ぎでうちの中へはいると胸を一ぱいはって、息をふっと吹きました。」

 「きのうまでしんとしていた」風が動きだした、ということ、それが一郎を昂揚させ、自分まで北をめざして空を翔けるような気持ちにさせたのだ。破壊と浄化、そして飛翔。変革への期待で一郎は「顔がほてり、息もはあはあと」なる。それは別離でもあったが。 

 「風の又三郎」を「見た」のは嘉助だったが、一郎は「風の又三郎」と「生きた」のだった。

 だが、いまさらながら「風の又三郎」とは何か。また「高田三郎」とは何か。「風の又三郎」とは何か、の問いに答えることはいまの私には不可能に近い。「高田三郎」については、何の検証もできていないが、ある仮説がある。作者宮沢賢治の分身ではないかと考えている。賢治が作品の中で「風」をどのように扱ってきたかをもう一回見直してみたいと思っている。

 七転八倒しながらやはり尻切れとんぼの結論になってしまいました。私にとって「風の又三郎」はあまりにも難解です。力不足、と言われればその通りなのですが。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 


 

 

 


 

 

 

 

  この後、一郎と嘉助が嵐の中登校して、三郎が転校したことを告げられる。嘉助は先生に「先生、又三郎きょう來るのすか。」ときいている。もう三郎は来ないことを嘉助も一郎も知っているのだ。


 九月一日に現れて、(おそらく)十一日に去って行った高田三郎。三郎が「風の又三郎」かどうか、という問いに対して、じつは私はほとんど関心がない。嘉助がまず最初に「又三郎」と呼び、子どもたちもみなそう呼んだ。それで十分である。物語の中で、高田三郎は、モリブデンの発掘という仕事をする父親とともに、谷川の小学校に現れた。モリブデン発掘が中止になったので、村を去った。それ以上でもそれ以下でもない。

 『風の又三郎』という作品を、東北地方にあるという「風祭り」と関連づけたり、又三郎を「風の神」としてとらえる民俗学的アプローチもあるようだが、いまの私は、そのようなアプローチには組したくない。

 少し、興味を覚えるのは、「鼻のとがった人」がステッキのようなもので川の浅瀬を調べていたことと、モリブデンの発掘が関係があるのかもしれない、ということである。だが、これも、さほど重要なことではないかもしれない。

 私がどうしても解決できない謎が二つある。一つは、三郎を極度におびえさせたシュプレヒコールの発端となった

 雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。」

と叫んだのは誰か、ということである。本文では「すると、だれともなく、「雨は…。」と叫んだものがありました。」と書かれている。「叫んだもの」は人なのか、それともそうでないものを想起させたかったのか。

 この後すぐ、「みんなもすぐ声をそろえて叫びました。」と書かれているので、シュプレヒコールを発したのは子どもたちである。三郎が「いま叫んだのはおまえらだちかい。」ときくと「そでない、そでない。」と「みんないっしょに叫びました。」と、これも子どもたちが一斉にそう叫んだのだ。

 最初に叫んだのが人か何かわからないが、次にシュプレヒコールを浴びせたのはあきらかに子どもたちである。だが、三郎の問いにみんなで声をそろえて否定する。またもやぺ吉が出て来て「そでない。」とだめ押しする。

 シュプレヒコールの威力は、集団の暴力である。多数の者がいっせいに声を出すことで、コミュニケーションを切断するのだ。前日は、一郎の音頭で子どもたちがシュプレヒコールを浴びせ、正体不明の鼻のとがった人を追い払った。この場面では一郎も集団のなかに埋没している。嘉助も耕助も「みんな」のなかである。三郎ひとり、「みんな」と対峙しなければならない。淵から上がった三郎のからだががくがくふるえていたのは、寒さと恐怖と、絶望的な疎外感のためだったのではないか。 

 もう一つわからないのは、物語の最期の段落の始めに

 「どっどど どどうど どどうど どどう
 青いくるみも吹きばせ
 すっぱいかりんも吹きとばせ
 どっどど どどうど どどうど どどう
 どっどど どどうど どどうど どどう

 先ごろ、三郎から聞いたばかりのあの歌を一郎は夢の中でまたきいたのです。」と書かれているのだが、本文中どこをさがしても、三郎が一郎あるいは子どもたちにこの歌を歌ってきかせている箇所はない。たしかなことは、一郎は「夢の中でまた」その歌をきいた、ということである。ここから終末までは一郎の物語である。

 一郎は歌をきいてはね起きる。外は激しい嵐で、くぐり戸をあけるとつめたい雨と風がどっとはいって來る。ここから岩波文庫版で一頁あまり一郎と嵐の情景が描写される。

 「馬屋のうしろのほうで何か戸がぱたっと倒れ、馬はぷるっと鼻を鳴らしました。
 一郎は風が胸の底までしみ込んだように思って、はあっと息を強く吐きました。そして外へかけだしました。
 外はもうよほど明るく、土はぬれておりました。家の前の栗の木の列は変に青く白く見えて、それがまるで風と雨とで今洗濯をするとでもいうように激しくもまれていました。
 青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎれた青いくりのいがは黒い地面にたくさん落ちていました。空では雲がけわしい灰色にひかり、どんどん北のほうへ吹き飛ばされていました。
 遠くのほうの林はまるで海が荒れているように、ごとんごとんと鳴ったりざっときこえたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられ、風に着物をもって行かれそうになりながら、だまってその音をききすまし、じっと空を見上げました。」

 まさに「青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ」と風が猛威をふるっている。自然が、すさまじくも美しい破壊と浄化のかぎりをつくしている。一郎はその中に立って、全身でそれをうけとめている。

 「すると胸がさらさらと波をたてるように思いました。けれどもまたじっとその鳴ってほえてうなって、かけて行く風をみていますと、今度は胸がどかどかとなってくるのでした。」

 一郎のなかで何かが変化している。「胸がさらさらと波をたてるよう」「胸がどかどかとなってくる」。何かが一郎を昂揚させている。

 「きのうまで丘や野原の空の底に澄みきってしんとしていた風が、けさ夜あけ方にわかにいっせいのこう動き出して、どんどんタスカロラ海溝の北のはじをめがけて行くことを考えますと、もう一郎は顔がほてり、息もはあはあとなって、自分までがいっしょに空を翔けて行くような気持ちになって、大急ぎでうちの中へはいると胸を一ぱいはって、息をふっと吹きました。」

 タスカロラ海溝の北のはじをめがけて、風が動いている。その風と自分が同化していっしょに空を翔けている、という一体感が一郎を昂揚させている。もちろんそれは一瞬の幻覚にすぎず、翔けて行ったのは又三郎だ、と直感するのだが。

 さて、それで、いまさらだが、「風の又三郎」とは何か。子どもたちから「又三郎」と呼ばれた高田三郎とは何か。私自身は、作者宮沢賢治の分身が高田三郎である、という仮説をたている。その仮説から「風の又三郎」について、というより「風」について、賢治が作品のなかで「風」をどうあつかってきたかを検証してみたいのだが、いかんせん力不足、というよりほかない現状である。「風」がなぜ「北」をめざすのか、ということだけでも追いかけてみたいのだが。

 七転八倒して、尻切れとんぼの決論になってしまいました。この作品については、まだ言わなければならないことがあるように思うのですが、思いを言語化するのにもう少し時間がかかりそうです。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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2022年12月16日金曜日

宮澤賢治『風の又三郎』__高田三郎はいかにして鬼になったか

  三郎と子どもたちが葡萄と栗を交換したエピソードの次に語られるのは、少し複雑で難解な出来事である。

 「次の日は霧がじめじめ降って学校のうしろの山もぼんやりしか見えませんでした。ところが今日も二時間目からだんだん晴れてまもなく空はまっ青になり、日はかんかん照って、お午になって一、二年が下がってしまうとまるで夏のように暑くなってしまいました。」

と書き出されるが、「次の日」が葡萄蔓とりの翌日のことなのか、よくわからない。「今日も二時間目からだんだん晴れて」とあるので、たぶん連続した日の出来事なのだろう。真夏のような暑さで、授業が終わると、子どもたちは川下に泳ぎに行く。「又三郎、水泳ぎに行かないが。」と嘉助に誘われ、三郎もついて行く。昨日の葡萄蔓とりには「三郎も行かないが。」と誘った嘉助が、今日は「又三郎」と呼びかけていることを覚えておきたい。

 勢いこんで水に飛び込み、がむしゃらに泳ぎ始めた子どもたちを三郎がわらい、その三郎が、今度は水にもぐって石をとろうとして息が続かず、途中で浮かびあがってきたのを見た子どもたちがわらう、という場面の後、発破を仕掛ける大人たちが登場する。庄助という抗夫が発破をしかけ、ほかの大人たちは網を持ったりして、水に入ってかまえる。だが、彼らが狙った獲物はかからず、流れてきた雑魚を取った子どもたちが大よろこびする。

 発破の音を聞きつけて、また別の大人たちが五六人、そのあとにはだか馬に乗った者もやってくる。そのとき、「さっぱりいないな。」とつぶやく庄助のそばへ三郎が行って、「魚返すよ。」といって二匹の鮒を河原に置く。「きたいなやづだな」といぶかる庄助と魚を置いて帰ってくる三郎を見て、みんながわらう。収獲がないので、大人たちが上流に去ると、耕助が泳いで行って三郎の置いてきた魚を持ってくる。みんなはそこでまたわらう。

 「発破かけだら、雑魚撒かせ。」と嘉助が雄たけびをあげる。子どもたちは雑魚だろうが何だろうが、魚がとれたことが無条件にうれしいのだ。食べ物が手に入ったのだから。だが、三郎にとっては、手放しでよろこべることではなかった。発破をかけて魚を取ること自体が違法行為であり、そうやって手に入れた魚は発破を仕掛けた者の所有物である、と考えたのかもしれない。とりあえず、魚を返すことで違法行為と関わりを断っておきたかった。泥棒といわれたくない、という自尊心もあったかもしれない。

 雑魚を返しに行く三郎の遵法意識が庄助に通用せず、いぶかられたのを見て笑った子どもたちにあるのは「食べ物が手に入ればうれしい」という徹底した現実感覚であり、論理である。三郎が返しに行った魚を取り返しに行くのが、葡萄蔓とりの耕助である。くちびるを紫いろにして葡萄をためこんでいた耕助がまたしても魚を取り返しに行く。子どもたちにとって「食」は無前提に優先されるが、三郎はそうではない。行動の当為が問題なのだ。子どもたちと三郎の隔たりをうみだすものは、飢えとの距離感だろう。

 だが、この時点では、いくぶんかの齟齬はあるものの、三郎が子どもたちから疎外されていたというわけではない。むしろ、一郎の指揮下子どもたちは、見知らぬ大人の侵入を警戒して、三郎を守ろうとするのである。

 発破騒ぎのあと、「一人の変に鼻のとがった、洋服を着てわらじをはいた人」が登場する。ステッキのようなもので生け洲をかきまわしている。佐太郎が「あいづ専売局だぞ。」と言い、嘉助も「又三郎、うなのとった煙草の葉めっけたんで、うな、連れでぐさ来たぞ。」と言う。「なんだい。こわくないや。」と三郎は言うが、「みんな、又三郎のごと、囲んでろ。」と一郎の指示で、三郎はさいかちの木の枝のなかに囲まれる。

 ところがその男は三郎を捕まえる気配もなく、川の中を行ったり来たりしている。子どもたちの緊張はとけたが、男のしていることの意味がわからない。それで、一郎が提案して、みんなで男に叫びかける。「あんまり川を濁すなよ、いつでも先生言うでないか。」このシュプレヒコールは三度くり返され、男は「この水飲むのか。」「川を歩いてわるいのか。」と子どもたちに問いかけるが、最後まで子どもたちは「あんまり川を濁すなよ、いつでも先生言うでないか。」とシュプレヒコールで返すだけだった。

 四度目のシュプレヒコールの後、男が去ると、子どもたちは何となく「その男も三郎も気の毒なようなおかしながらんとした気持ちになりながら」木からおりて、魚を手に家路についたのだった。

 子どもたちの生活世界のなかに、大人が侵入してくる。発破をしかけた一味と、それを見にきた集団。それから、目的不明で現れた「鼻のとがった人」。それらが、三郎と子どもたちの関係に微妙な波紋を投げかける。

 翌日、佐太郎が、発破の代わりに毒もみに使う山椒の粉を学校に持ってくる。山椒の粉は、それを持っているだけで捕まるというしろものである。この日の朝の天候は書かれていないが、「その日も十時ごろからやっぱりきのうのように暑くなりました。」とあるので、三日連続で夏のような天気が続いたことになる。授業が終わるのも待ち遠しく、子どもたちはさいかちの木の淵に急ぐ。佐太郎は耕助などみんなに囲まれて、三郎は嘉助とともに行ったのである。

 淵の岸に立って、佐太郎が一郎の顔を見ながら、差配する。佐太郎は、山椒の粉が入った笊を持って行って、上流の瀬で洗う。子どもたちはしいんとして、水を見つめている。三郎は水を見ないで、空を飛ぶ黒い鳥を見ている。一郎は河原に座って、石をたたいている。

 だが、いつまでたっても魚は浮いて来なかった。「さっぱり魚、浮かばないな。」と耕助がさけび、ぺ吉がまた「魚さっぱり浮かばないな。」と言うと、みんながやがやと言い出して、水に飛び込んでしまう。きまり悪そうにしゃがんでしばらく水をみていた佐太郎は、やがて立ち上がって「鬼っこしないか。」と言う。そうして、この「鬼っこ」が修羅場になる。

 つかまったりつかまえられたり、何遍も「鬼っこ」をするうちに、しまいに三郎一人が鬼になる。三郎が吉郎をつかまえて、二人でほかの子たちを追い込もうとするが、吉郎がへまをしたので、みんな上流の「根っこ」とよばれる安全地帯に上がってしまう。嘉助まで「又三郎、来」と、口を大きくあけて三郎をばかにする。さっきからおこっていた三郎はここで本気になって泳ぎ出す。これまで三郎をエスコートしてきた嘉助に裏切られたと思ったのだ。

 そして、みんなが集まっている「根っこ」の土に水をかけ始める。「根っこ」は粘土の土なので、だんだんすべって来て、集まっていた子どもたちは一度にすべって落ちてくる。三郎はそれをかたっぱしからつかまえる。一郎もつかまる。嘉助一人が逃げたが、三郎はすぐ追いついて、つかまえただけでなく、腕をつかんで四、五へん引っぱりまわす。水を飲んでむせた嘉助は「おいらもうやめた。こんな鬼っこもうしない。」と言う。ちいさな子どもたちは砂利の上に上がってしまい、三郎ひとりさいかちの木の下にたつ。三郎は一人ぼっちになってしまったのだ。

 三郎が一人鬼になってしまったのは偶然である。「鬼っこ」を始めたのも、毒もみ漁が上手くいかなかった佐太郎の思い付きだ。だが、鬼になった三郎が子どもたちを一網打尽にしたのは偶然ではない。彼がなみはずれた体力と知力をもっていたからである。そもそも、上の野原で逃げた馬を追って、馬といっしょに現れたのは三郎だった。

 その能力が怒りと結びついたとき、「鬼っこ」は修羅場と化した。天気も一変する。空は黒い雲に覆われ、あたりは暗くなり、雷が鳴りだす。轟音とともに夕立がやって来て、風まで吹きだす。

 さすがに三郎もこわくなったようで、さいかちの木の下から水の中に入って、みんなのほうへ泳ぎだす。そこへだれともなく、叫んだものがある。

 「雨はざっこざっこ雨三郎 
 風はどっこどっこ又三郎。」

すると、みんなも声をそろえて叫ぶのだ。

 「雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ風三郎。」

 前日鼻のとがった人を追い払ったシュプレヒコールがここでも繰り返される。さらに、動揺した三郎が「いま叫んだのはおまえらだちかい。」ときくと、みんないっしょに

 「そでない。そでない。」

と叫ぶのだ。その上、ぺ吉がまた出て来て

 「そでない。」

と言う。

 三郎は、いつものようにくちびるをかんで、「なんだい。」と言うが、からだはがくがくふるえている。

 「そしてみんなは、雨のはれ間を待って、めいめいのうちへ帰ったのです。」と結ばれて、高田三郎の物語は終わる。

 高田三郎の物語はここで終わります。一郎と嘉助、そして村の子どもたちについては、もう少し考えてみたいことがあるのですが、長くなるので、また次回にしたいと思います。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2022年12月4日日曜日

宮澤賢治『風の又三郎』__葡萄と栗を交換する

  『風の又三郎』後半は、逃げた馬を追って彷徨した嘉助が、臨死体験のなかで「風の又三郎」を見た上の野原の出来事の後

 「次の日は朝のうちは雨でしたが、二時間目からだんだん明るくなって三時間目の終わりの十分休みにはとうとうすっかりやみ、あちこちに削ったような青ぞらもできて、その下を真白なうろこ雲がどんどん東へ走り、山の萱からも栗の木からも残りの雲が湯げのようにたちました。」

と書き出される。この「次の朝」が上の野原の出来事があった九月四日の日曜日の次の朝かどうか疑問なのだが、ともかくもここからは、嘉助の物語ではなく、又三郎と呼ばれる「高田三郎」の物語が語られる。

 耕助という子が葡萄蔓とりに嘉助を誘い、嘉助が三郎を誘う。葡萄蔓のありかを見つけた耕助は、嘉助が三郎を誘ったのがすでにおもしろくない。宝物のような葡萄蔓のありかをできるだけ秘密にしておきたかったのだ。

 葡萄蔓のある場所への道中、三郎はそれと知らないで、たばこの葉をむしって一郎に尋ねる。一郎は、たばこの葉が専売局の厳重な管理下にあるのを知っているので、少し青ざめて三郎をとがめる。子どもたちも口々にはやしたて、とくに耕助が、もと通りにしろなどと、いつまでも意地悪くいい募る。

 やがて山を少しのぼった所の栗の木の下に、山葡萄が藪になっている。耕助が「こごおれ見っつけたのだがらみんなあんまりとるやないぞ。」と言うと、三郎は「おいら栗のほうをとるんだい。」といって石を拾って枝に投げ、青いいがを落とす。そして、まだ白い栗を二つとったのである。

 その後一行が別の葡萄蔓の場所に移動する途中で、耕助が上から水をかけられて、体中水びたしになる。いつのまにか三郎が栗の木にのぼって、枝をゆすり、たまっていた雨水をふりかけたのだ。耕助がとがめても、三郎は「風が吹いたんだい。」とわらうだけである。そしてまた別の葡萄蔓に熱中する耕助は、またしても頭から水びたしになってしまう。姿は見えないが、今度も三郎が木をゆすって耕助に水をかけたのだった。

かんかんにおこった耕助と「風が吹いたんだい。」とくり返す三郎のやりとりを、ほかの子どもたちは笑ってみていたが、耕助は気持ちがおさまらない。三郎にむかって、「うあい又三郎、汝など世界になくてもいいなあ。」と言う。三郎は「失敬したよ、だってあんまりきみもぼくへ意地悪をするもんだから。」と謝るが、耕助のいかりはおさまらない。

 「汝などあ世界になくてもいいなあ。」「うなみたいな風など世界じゅうになくてもいいなあ。」「風など世界じゅうになくてもいいなあ。」と、あまりにも腹がたって言葉がみつからない耕助は、いつまでも同じことをいいつのる。結果、三郎に、風がなくてもいいというわけをいってごらん、と問い詰められ、いろいろ風の弊害をあげるが、最後に「風車もぶっこわさな。」といって、三郎だけでなくみんなに笑われてしまう。ついには耕助自身も笑い出し、三郎もきげんを直して耕助に謝り、仲直りする。

 帰るさに、一郎は三郎にぶどうを五ふさくれ、三郎は白い栗をみんなに二つずつ分けた、とあるが、この交換は何を意味するのだろう。そもそもこの一日のエピソードは何のためにここに置かれているのか。

 ここに描かれている高田三郎という少年は、議論をすることが上手だという点を除けば、同年齢の子どもたちと変わらないように見える。議論が上手なのも、父親の仕事上、いろいろな土地、世界を知っているためもあるかもしれない。要するに、都会的で「おませ」なのだ。だが、村の子たちが当たり前に知ってるたばこの葉のことを知らなかったことで、自尊心を傷つけられてしまう。

 それからもうひとつ、村の子たちと異なるのは、食べ物にたいする貪欲さに乏しいことだろう。「もう耕助はじぶんでも持てないくらいあちこちにためていて、口も紫いろになってまるで大きくみえました。」とあるが、耕助だけでなく、ほかの子どもたちにとっても、ぶどうは大のご馳走だった。三郎にとってもぶどうは魅力的だったはずで、「ぼくは北海道でもとったぞ。ぼくのお母さんは樽へ二っつ漬けたよ。」と言っている。それでも三郎は自分では葡萄をとらなかった。

 その三郎に、一郎はぶどうを五ふさくれて、三郎は白い栗をみんなに二つずつ分けた、とある。おいしいぶどうと、未熟で食べられない栗は等価交換ではない。そもそも、藪のようになっているぶどうはすぐに手に取って食べられるが、白い栗は三郎が石を投げて木から落としたものである。食べられないもののために、なぜ、三郎はそんな乱暴なことをしたのか。

 三郎のなかにある暴力性と自尊心の問題は、この後二日間のエピソードを読む上でも大きなテーマとなるが、それについては、また回をあらためたい。「耕助」「一郎」それから「嘉助」など、一見固有名詞に見えるものの意味することも考えてみたい。もちろん「風の又三郎」と「三郎」についても。

 いまの季節になっても、昼間は農作業に忙しく、といっても大したことはやっていないのですが、なかなかものを書く時間も読む時間もとれません。つくづく、体力、知力の衰えを感じています。今日も不出来な一文を最後まで読んでくださってありがとうございます。