『晩春』は原節子が演じる「紀子三部作」の第一作である。あまりにも有名な作品なので、改めてストーリーを紹介する必要もないだろう。父と二人暮らしで婚期を逸しかけている娘がようやく結婚する物語である。娘を思う父は、自分が再婚すると偽って、娘を結婚に追いやる。言ってみればそれだけの話で、シンプルなことこの上ない。父を慕う娘と娘を思う父との繊細微妙な心理の動きがきめ細やかに映像化されている。プロットの展開といい、映像の流れといい、どこにも不自然なところはないように見える。
なので、これから書くことは、すべて私の独断と偏見に満ちた妄想かもしれない。
この映画のテーマは「永劫回帰」であり、隠されたモチーフは「蛇」である。
一分の隙もなく組み立てられた完璧な作品に対して、その一部を切り取って分析するのはどう見ても下品な行為のように思われるので、具体的な場面を取り上げるのは最小限にしたい。上記の「永劫回帰」と「蛇」の暗示は、まず、映画の導入部に登場する。
「北鎌倉」の駅を映した映像は、一転、寺の境内でお茶会が行われているシーンになる。着物姿の紀子が登場する。席に座った紀子に叔母のまさが話しかける。夫の縞のズボンを切り取って息子の半ズボンにしてほしい、と頼むのである。風呂敷に包んだものをその場で紀子に渡す。この後、周吉がまさの家で紀子の結婚について話すシーンがあるが、部屋の中に縞のシャツがハンガーに掛かっている。まさの夫は一度も画面に登場することはないが、縞模様が好みらしい。
お茶会の席に「三輪夫人」が登場するのも蛇を意識させる。まさと挨拶を交わす中年の女性の名前は後に明かされるのだが。ついでに言えば、この時紀子が着ている着物は鉄扇の模様である。あまり見かけない模様で花びらだけ描いているが、鉄扇はつる性の植物である。T.Sエリオットの「バーント・ノートン」という詩の中にも「身を屈め、からみつく」両義的な存在として登場する。
この他にも蛇を暗示する映像は枚挙にいとまがない。洗濯物干しに紀子のストッキングが吊るされている。「多喜川」という割烹に周吉が忘れた手袋を紀子が家に持って帰ってひらひらとかざすシーン。「多喜川」は「瀧川」なのだろうが。ストッキングも手袋も抜け殻のイメージである。京都の旅館で帰り支度をしている紀子が、ストッキングを2枚重ねてぐるっと裏返して一つにまとめるシーンもある。「蝦蟇口」を拾ったから紀子が縁談を承諾するだろうと言ってまさが縁起をかつぐシーン。曾宮家の玄関脇の部屋に置かれ、頻繁に画面の隅に登場するミシン。ボビン窯の形が似ていることから名づけられたと言われるその名もずばり「蛇の目」である。
蛇のモチーフが最も象徴的かつ重層的に用いられているのが、能「杜若」の舞台シーンである。延々六分ほど「杜若」の謡と舞が繰り広げられる。ここは原節子の眼の演技が有名であるが、謡と舞の舞台そのものにも注目してみたい。「杜若」は一幕もので短いが、伊勢物語の解説書のような内容で、かなり複雑である。『晩春』では後半部分が映像化されている。
植ゑおきしむかしの宿の杜若 色ばかりこそむかしなりけれ 色ばかりこそ昔なりけれ
色ばかりこそ 昔男の名を留めて 花橘の匂いうつる 菖蒲の鬘の 色はいずれ
似たりや似たり 杜若花菖蒲
こずゑに鳴くは 蝉のからころもの
袖白妙の 卯の花の雪の 夜も白々と 明くる東雲のあさ紫の
杜若の 花も悟りの心開けて すはや今こそ草木国土 すはや今こそ草木国土
縁語、懸詞を多用した技巧的な文句が続くので、文字に起こしても意味が分かりにくい。舞台上では朗々と謡われるので、なおさらなのだが、繰り返される「あやめ」「から衣」は蛇の隠語であったり脱皮のメタファーである。「卯の花」_ウツギも茎が中空であることから命名されたそうである。これも脱皮のイメージにつながるのだろうか。
シテの杜若の精は薄紫の衣裳をつけて演じることが多いようだが、この映画ではさらにその上に薄く透けて見えるものを重ねている。これは脱皮前の蛇のイメージとするのはあまりに強引だろうか。
シテの舞の映像は「花も悟りの心開けて」の部分で終わり、「すはや今こそ草木国土」以下は謡の音声だけで、画像は大きく梢を広げた松の木に変わる。もう一度「すはや今こそ草木国土」と繰り返される。杜若のシーンはここで終わり、「悉皆成仏の御法を得てこそ 失せにけれ」の結びの部分は音声も映像も映画の中には存在しない。悉皆成仏は成らなかったのである。
悉皆成仏は、蛇の寓意がさらに「安珍清姫」の伝承に具体化されなければ、成らなかった。安珍清姫の伝承は『大日本国法華経験記』『今昔物語』にその原形があるといわれる。熊野に参詣に来た僧安珍に宿を貸した清姫が恋慕し、逃げる安珍を追って蛇となって日高川を渡り、さらに道成寺の鐘の中に逃げ込んだ安珍を、清姫が口から吐いた炎で焼き殺してしまう話である。『大日本国経験記』『今昔物語』とも女は「紀伊の国牟婁の女」と記述されている。
女は「紀」子である。安珍清姫はともに蛇界に転生するが、道成寺の住持の唱える法華経の功徳で成仏する。住持の夢に現れた二人は熊野権現と観世音菩薩の姿であった。紀子のお見合いの相手が「佐竹熊太郎」というのも「熊野」を連想させたかったものと思われる。それでもまだ「成仏」は成らなかったように思われるのだが、
永劫回帰のテーマのについても書きたいが、すでにかなりの長文となってしまったので、また回を改めたい。ヒントをひとつ。冒頭大学教授の父とその助手が「リスト」という名前のスペルに「Z」があるとかないとか言っている。結論は、「z」はない、のである。それからラスト近く、周吉と紀子が京都を訪れて帰りの支度をしているとき、周吉が最後に旅行鞄に入れた本の題名は何だったろうか。
下品な謎解きはしたくない、などと言いながら、どう見ても上品とは言えない文章になってしまいました。謎解きのさらに奥にあるものが、まだ掴めていないのです。紀子_蛇_? 「叔父様の縞のズボンを半分に切って」履かされる勝義が、バットをエナメルで赤く塗ってしまって乾かないために、野球の試合に参加できない、というエピソードは何を意味するのか。その試合のシーンで、バッターボックスに立っている子だけがユニフォームを着ていないのはなぜか、など、(おそらく)どうでもいいことばかり気になってしまうのも、病膏肓なのかもしれません。
今日も未整理な文章を読んでくださってありがとうございました。
2018年6月26日火曜日
2018年6月10日日曜日
小津安二郎『麦秋』の謎__不思議な家族とその解体__一粒の麦地に落ちて死なずんば
『麦秋』は日本の家族の解体していく様を描いた小津安二郎監督の記念碑的な作品、という評価が定まっているようである。きっと、そうなのだろう。けれど、見終わってどうしても腑に落ちないものが残ってしまう。親子三世代で暮らしている一家が、その中の娘が結婚することで、なぜ両親が家を出ていかなければならないのか。そもそも、三世代が住んでいる家は誰のものなのか。
テーマ音楽とともに流れたクレジットが終わると、波うち際に一匹の犬が登場して画面を横切っていく。犬が画面の右側に消えても、波が寄せては返す砂浜が映る。画面の左側にに遠近三つの入り江のようなものが映っている。冒頭のこのシーンは何を意味するのだろうか。
次に映しだされるのは、軒先に吊るされた鳥かごである。小鳥が一羽入っている。カナリアだということが後半明かされる。鳥かごは軒先だけでなく、家の中のあちこちに置かれている。座敷のなかで鳥の餌を摺っている老人が登場する。「埴生の宿_(ホーム・・スウィート・ホーム)」の音楽が流れる。小学生くらいの男の子が「おじいちゃん、ご飯」と呼びに来る。間宮周吉と孫の実である。
食卓で給仕をしているのが周吉の娘の紀子で、実の弟の勇もいる。こちらはまだ学校に上がる前の歳である。すでに食事をすませて外出の支度をしているのが周吉の息子で紀子の兄の康一、大学病院の医師である。周吉のご飯を給仕に食卓に座ったのは康一の妻の史子、最後に味噌汁の入った大鍋をもって来たのが周吉の妻の志げという順番で、これが間宮家の紹介となっている導入部である。
外出着に前掛けという姿で給仕をしていた紀子も出勤していく。周吉は原稿の入った封筒を投函するように紀子に頼んでいるので、何かものを書いているのだろうか。紀子は丸の内(あるいは大手町?)の大手商社に勤めている。佐竹宗一郎という専務の秘書である。重役室でタイプを打っている紀子の上半身と指先が映され、次いで佐竹が部屋に入ってくる。佐竹と紀子が仕事の打ち合わせの会話を済ませた後に、ドアをノックして着物姿の若い女が現れる。佐竹が行きつけの料亭の娘で紀子の女学校の友人田村アヤである。紀子とアヤを前にして、「売れ残りが二人」と佐竹が軽口をたたくところなどから、三人はかなり親しい間柄のようである。
北鎌倉の間宮家に「やまとのおじいさま」がやってくる。間宮周吉の兄の茂吉である。終戦の翌年以来の上京である。耳が遠い茂吉との会話は常に一方通行である。彼が繰り返す言葉は「紀子さん、いくつになんなすった?」と「もう嫁にいかにゃ」であり、「若いものがなかなかようやりおる。年寄りがいつまでも邪魔してることない」である。紀子の結婚と一家の別離は「大和のおじいさま」の指示通りになったのである。
二八歳になった紀子に二つの縁談が持ち込まれるが、彼女は結局康一の部下の矢部謙吉という男との結婚を決意する。矢部は妻に先立たれ小さな女の子をかかえて、母親と一緒に間宮家の近くに住んでいる。謙吉は康一の紹介で秋田の病院に赴任することが決まる。紀子が間宮家からの餞別を届けに矢部の家を訪れた際に、謙吉の母親から恐る恐る謙吉との結婚を打診されると、彼女はあっさり「私のようなものでよかったら」と承諾してしまう。謙吉の母親は狂喜するが、不思議なことに謙吉はあまり嬉しくないようである。
紀子が謙吉との結婚を決意したのは、謙吉が消息不明(たぶん戦死している)の兄省二の手紙を持っているからである。恋愛感情があると思えない紀子と謙吉をつなぐのは麦の穂の入った省二の手紙なのだ。
麦の穂が入った手紙には何が書かれていたのだろう。ニコライ堂が見える喫茶店の窓際の席で謙吉と紀子が会話するシーンがある。この映画の「不思議」を読み解く上で大変重要な場面だと思うので、なるべく忠実に二人のセリフを再現してみたい。
__昔学生時分よく省二君ときたんですよ、ここへ。で、いつもここに座ったんですよ。やっぱり、あの額がかかってた。
額を見上げる紀子
__早いもんだなぁ。
____そうねぇ。よく喧嘩もしたけど、あたし省(二)兄さんとても好きだった。
__あ、省二君の手紙があるんです。徐州戦の時、向こうから軍事郵便で来て、中に麦の穂が入っていたんです。
紀子の表情が一変する。
__その時分、ちょうどぼくは『麦と兵隊』読んでて・・・
__その手紙いただけない?
__あげますよ。あげようと思ってたんだ。
__ちょうだい。
徐州会戦は日本軍と中国(国民革命)軍との間で一九三八年四月七日から六月七日にかけて行われ、日本は南北から攻め、五月一九日に徐州を占領したが、国民革命軍を撃滅させることはできなかった。少し不思議なのは、『麦と兵隊』は徐州戦に従軍した日野葦平が、その経験をドキュメンタリーのようなかたちで、一九三八年八月に発表している。謙吉のもとに「徐州戦の時、軍事郵便で来た」手紙というのはいつ書かれ、いつ謙吉のもとに届いたのだろうか。そのとき謙吉はどこにいたのだろう。軍事郵便なので、配達に相当の日数を要するものだったとは思うが、「その時分、ちょうど僕は『麦と兵隊』読んでて・・・」という謙吉の言葉と時間的な整合性がもうひとつ納得できないのである。
紀子と謙吉の会話からわかることは、兄の省二は少なくとも徐州会戦のときは生存していた、ということ、そして、中身の検閲される軍事郵便で送る手紙に麦の穂を同封してきた、ということである。手紙の内容でなく、麦の穂が入っていたことが紀子にとって重要だったのだ。
麦の穂は、いうまでもなく日野葦平の『麦と兵隊』の舞台となる徐州一帯の麦畑を連想させるが、手紙の中にわざわざ麦の穂を入れてきたということは、麦の穂それ自体が、書かれている内容よりもはるかに強いメッセージだろう。「一粒の麦、地に落ちて死なずんば」である。十字架の死を前に、イエスが弟子に語った有名なことばである。
はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。__ヨハネによる福音書12章24節
戦地の省二が、目前にある死にどのような意味付けをしていたのか、麦の穂は確実なメッセージとなって、謙吉に、そして紀子に省二の思いを伝えたのである。喫茶店の窓際の席で、かつて省二と謙吉が、いまは紀子と謙吉が見ているニコライ堂の正式名称は東京復活大聖堂である。麦の穂は復活のキリストの象徴であり、正教会の信徒を意味するものでもある。
この映画の中には麦の穂からつくられる食べ物がいくつも登場する。最も印象的なのは、紀子が謙吉との結婚を承諾してくれて狂喜する謙吉の母が、「あたしもうすっかり安心しちゃった」と泣き笑いしながら、「紀子さん、パン食べない?餡パン」と誘う場面である。なぜ、唐突に餡パンなのか?節子は笑ってことわるのだが。また、間宮家に子供たちが集まってレールを並べて遊んでいるところに、紀子が大量のサンドイッチを持ってくるシーンもある。敗戦後六年しか経っていないのに、なんという贅沢なふるまいか、と驚いてしまう。
間宮周吉と志げの夫婦がサンドイッチを食べるシーンもある。昼下がり、博物館の庭で二人並んで座って話しながらサンドイッチを食べている。周吉は「今が一番いい時だ」と言う。「まだこれからだって」と言う志げに周吉は「欲を言ったらきりがないよ」と諭す。結末の別離を暗示するような場面である。糸の切れた風船が空高く舞い上がっているのを二人が眺めている。「今日はいい日曜日だった」と周吉が曜日を特定するのは何か意味があるのだろうか。それから、些細なことだけれど、周吉の履いている靴が古びてみすぼらしいのはなぜだろうか。
パンとレールといえば、八本しかレールを持っていないからもっとほしい、32ゲージ(のもの)だよ、と父親におねだりしていた実が、レールだと思っていたお土産がパンだと知って、腹を立ててパンを蹴るシーンがある。実が父親に見つかって、もみあっているうちに、勇が隙を見てもう一回蹴ると、あっけなくパンが二つに割れてしまう。ずいぶん長いパンもあるものだな、と思って見ていたが、パンがそんなに簡単に割れるものだろうか?カメラはアップで半分に割れたパンをとらえて強調しているのだが、なんだかこれも不思議である。
「九百円もした」(今の金額に換算すると1万円以上)豪勢なショートケーキを深夜に紀子と史子、それに後から謙吉も加わって食べるシーンもある。これが不思議なのは、矯めつ眇めつ、散々迷って紀子が切り分けたケーキを三人で食べているところに、実が寝ぼけて入ってくる。すると、三人ともいっせいにケーキをテーブルの下に隠してしまう。絶対に食べさせないぞ、という意気込みである。
パンとケーキだけでなく、この映画にはものを食べるシーンが多い。冒頭の導入の部分も間宮家の朝食の光景だったが、ラスト近くにもすき焼き鍋のようなものを囲んで一家が食事をする場面がある。紀子の結婚が決まった祝賀の宴のようだが、一家の別離の宴のようでもある。鍋を直火に当てるためか、食卓の上でなく床に直接食器が置かれている。気がつくと、家中から鳥かごが取り払われ、カナリアがいなくなっている。
食事が終わって、みんながくつろいでいるとき、周吉が口火を切って一家の回想を始める。「このうちに来てからだって足かけ十六年になるものねぇ」と周吉が言うと志げが「紀ちゃんが小学校を出た春でしたからねぇ」と続ける。康一が煙草を指にはさんで、「こんなところにちょこんとリボンなんかつけて、よく『雨降りお月さん』なんか歌ってましたよ」と言う。
何でもない会話のようだが、ここは重要な情報がもたらされる場面である。十六年前周吉と志げはどこに住んでいたのか?紀子は周吉や志げと一緒にこの家に移り住んだのか?それとも、もともとこの家にいたのか?この家は十六年前は誰のものだったのだろう?大学を出て間もない康一に、こんなに立派な家を建てる甲斐性があったとは思えないのだけれど。
それから、小学校を出た女の子、つまり中学生になる少女が『雨降りお月さん』という童謡をよく歌う、というのもちょっと違和感がある。この映画に出てくるいくつかの固有名詞は、それぞれ重要な意味を潜めていると思われる。『麦と兵隊』は言うまでもないが、「妻の死後本ばかり読んでいる」と母親のたみにいわれる謙吉が「いま四巻目の半分まで読んだ」という『チボー家の人々』、「省二がスマトラに行く前に(省二や謙吉と一緒に)みんなで行った」とアヤが言う「城ヶ島」、紀子のお見合い相手だった真鍋(?)という男の出身地の「善通寺」、導入とラスト近く流れる『埴生の宿』など、いずれも代替可能なものではなく、それらをつなぐキーワードが隠されているような気がしてならない。
それにしても不思議な家族である。息子の康一が医師であることは明らかだが、父親の周吉は何をしている人なのだろう。机に向かって脇に分厚い本を置きながらものを書いているシーンがあって、冒頭でも紀子に原稿の入った封筒を渡していたが、物書きなのだろうか。
ラストは「やまと」の光景である。麦畑が手前にあって、その向こうにこんもりとした山が見え、山の麓に家並みが見える。画面が三回切り替わって、藁ぶきの屋根、そして「やまとのおじいさま」が煙管をふかしている座敷が映される。整然としたというか閑散としたというか、その座敷の続きに囲炉裏が切ってあり、志げが大きな急須でお茶を入れて周吉に渡す。「おい、ちょいと見てご覧、お嫁さんが行くよ」と周吉が言うと、麦畑の中を花嫁行列が通り過ぎていく画面に代わる。一行は八人で、よく晴れた日のようだが、花嫁に黒っぽい傘がさしかけられている。
「どんなところに片付くんでしょうねぇ」と志げが言う。花嫁行列を眺める二人の後ろ姿をカメラがとらえる。別離の宴からそんなに時間は経っていないと思われるのに、周吉の背中は丸くなり、志げはモンペを履いて粗末な帯を締めている。「みんな離れ離れになったけど、しかしまぁ、私たちはいい方だよ。欲をいっちゃぁ切りがないよ」と周吉が言うと志げも「えぇ、いろんなことがあって…長い間、ほんとうに幸せでした」とこたえる。志げはお茶をすすり、遠くを眺めるような目をしている。その表情はしずかに諦めの色をたたえている。
画面はもう一度麦畑を映す。遠くに家並みが見え、手前に麦の穂が揺れている。テーマ音楽が最高潮に達し、エンディングとなる。タイトルの「麦秋」そのものだが、不思議なことに、手前に揺れる麦のかたちが人間の、それも兵隊のように見え、大勢の兵隊が手を振っているように見えてしまうのだ。
ほんとうに不思議な映画だと思うが、一番不思議なのは、紀子が上司の佐竹と盃を交わすシーンかもしれない。アヤの母親の経営する料亭で、一人で酒を飲んでいた佐竹の部屋を訪れた紀子が佐竹の飲んでいた盃を受け取って、彼がついでくれた酒を飲む。後ろ姿のすべてが紀子の女を表現しているのだが、紀子とはいったい何なのか。
『秋刀魚の味』の続きを書こうと思っていたのですが、『麦秋』の魅惑的な謎にはまってしまいました。もっと集中しなければいけないのですが、力不足を痛感しています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
テーマ音楽とともに流れたクレジットが終わると、波うち際に一匹の犬が登場して画面を横切っていく。犬が画面の右側に消えても、波が寄せては返す砂浜が映る。画面の左側にに遠近三つの入り江のようなものが映っている。冒頭のこのシーンは何を意味するのだろうか。
次に映しだされるのは、軒先に吊るされた鳥かごである。小鳥が一羽入っている。カナリアだということが後半明かされる。鳥かごは軒先だけでなく、家の中のあちこちに置かれている。座敷のなかで鳥の餌を摺っている老人が登場する。「埴生の宿_(ホーム・・スウィート・ホーム)」の音楽が流れる。小学生くらいの男の子が「おじいちゃん、ご飯」と呼びに来る。間宮周吉と孫の実である。
食卓で給仕をしているのが周吉の娘の紀子で、実の弟の勇もいる。こちらはまだ学校に上がる前の歳である。すでに食事をすませて外出の支度をしているのが周吉の息子で紀子の兄の康一、大学病院の医師である。周吉のご飯を給仕に食卓に座ったのは康一の妻の史子、最後に味噌汁の入った大鍋をもって来たのが周吉の妻の志げという順番で、これが間宮家の紹介となっている導入部である。
外出着に前掛けという姿で給仕をしていた紀子も出勤していく。周吉は原稿の入った封筒を投函するように紀子に頼んでいるので、何かものを書いているのだろうか。紀子は丸の内(あるいは大手町?)の大手商社に勤めている。佐竹宗一郎という専務の秘書である。重役室でタイプを打っている紀子の上半身と指先が映され、次いで佐竹が部屋に入ってくる。佐竹と紀子が仕事の打ち合わせの会話を済ませた後に、ドアをノックして着物姿の若い女が現れる。佐竹が行きつけの料亭の娘で紀子の女学校の友人田村アヤである。紀子とアヤを前にして、「売れ残りが二人」と佐竹が軽口をたたくところなどから、三人はかなり親しい間柄のようである。
北鎌倉の間宮家に「やまとのおじいさま」がやってくる。間宮周吉の兄の茂吉である。終戦の翌年以来の上京である。耳が遠い茂吉との会話は常に一方通行である。彼が繰り返す言葉は「紀子さん、いくつになんなすった?」と「もう嫁にいかにゃ」であり、「若いものがなかなかようやりおる。年寄りがいつまでも邪魔してることない」である。紀子の結婚と一家の別離は「大和のおじいさま」の指示通りになったのである。
二八歳になった紀子に二つの縁談が持ち込まれるが、彼女は結局康一の部下の矢部謙吉という男との結婚を決意する。矢部は妻に先立たれ小さな女の子をかかえて、母親と一緒に間宮家の近くに住んでいる。謙吉は康一の紹介で秋田の病院に赴任することが決まる。紀子が間宮家からの餞別を届けに矢部の家を訪れた際に、謙吉の母親から恐る恐る謙吉との結婚を打診されると、彼女はあっさり「私のようなものでよかったら」と承諾してしまう。謙吉の母親は狂喜するが、不思議なことに謙吉はあまり嬉しくないようである。
紀子が謙吉との結婚を決意したのは、謙吉が消息不明(たぶん戦死している)の兄省二の手紙を持っているからである。恋愛感情があると思えない紀子と謙吉をつなぐのは麦の穂の入った省二の手紙なのだ。
麦の穂が入った手紙には何が書かれていたのだろう。ニコライ堂が見える喫茶店の窓際の席で謙吉と紀子が会話するシーンがある。この映画の「不思議」を読み解く上で大変重要な場面だと思うので、なるべく忠実に二人のセリフを再現してみたい。
__昔学生時分よく省二君ときたんですよ、ここへ。で、いつもここに座ったんですよ。やっぱり、あの額がかかってた。
額を見上げる紀子
__早いもんだなぁ。
____そうねぇ。よく喧嘩もしたけど、あたし省(二)兄さんとても好きだった。
__あ、省二君の手紙があるんです。徐州戦の時、向こうから軍事郵便で来て、中に麦の穂が入っていたんです。
紀子の表情が一変する。
__その時分、ちょうどぼくは『麦と兵隊』読んでて・・・
__その手紙いただけない?
__あげますよ。あげようと思ってたんだ。
__ちょうだい。
徐州会戦は日本軍と中国(国民革命)軍との間で一九三八年四月七日から六月七日にかけて行われ、日本は南北から攻め、五月一九日に徐州を占領したが、国民革命軍を撃滅させることはできなかった。少し不思議なのは、『麦と兵隊』は徐州戦に従軍した日野葦平が、その経験をドキュメンタリーのようなかたちで、一九三八年八月に発表している。謙吉のもとに「徐州戦の時、軍事郵便で来た」手紙というのはいつ書かれ、いつ謙吉のもとに届いたのだろうか。そのとき謙吉はどこにいたのだろう。軍事郵便なので、配達に相当の日数を要するものだったとは思うが、「その時分、ちょうど僕は『麦と兵隊』読んでて・・・」という謙吉の言葉と時間的な整合性がもうひとつ納得できないのである。
紀子と謙吉の会話からわかることは、兄の省二は少なくとも徐州会戦のときは生存していた、ということ、そして、中身の検閲される軍事郵便で送る手紙に麦の穂を同封してきた、ということである。手紙の内容でなく、麦の穂が入っていたことが紀子にとって重要だったのだ。
麦の穂は、いうまでもなく日野葦平の『麦と兵隊』の舞台となる徐州一帯の麦畑を連想させるが、手紙の中にわざわざ麦の穂を入れてきたということは、麦の穂それ自体が、書かれている内容よりもはるかに強いメッセージだろう。「一粒の麦、地に落ちて死なずんば」である。十字架の死を前に、イエスが弟子に語った有名なことばである。
はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。__ヨハネによる福音書12章24節
戦地の省二が、目前にある死にどのような意味付けをしていたのか、麦の穂は確実なメッセージとなって、謙吉に、そして紀子に省二の思いを伝えたのである。喫茶店の窓際の席で、かつて省二と謙吉が、いまは紀子と謙吉が見ているニコライ堂の正式名称は東京復活大聖堂である。麦の穂は復活のキリストの象徴であり、正教会の信徒を意味するものでもある。
この映画の中には麦の穂からつくられる食べ物がいくつも登場する。最も印象的なのは、紀子が謙吉との結婚を承諾してくれて狂喜する謙吉の母が、「あたしもうすっかり安心しちゃった」と泣き笑いしながら、「紀子さん、パン食べない?餡パン」と誘う場面である。なぜ、唐突に餡パンなのか?節子は笑ってことわるのだが。また、間宮家に子供たちが集まってレールを並べて遊んでいるところに、紀子が大量のサンドイッチを持ってくるシーンもある。敗戦後六年しか経っていないのに、なんという贅沢なふるまいか、と驚いてしまう。
間宮周吉と志げの夫婦がサンドイッチを食べるシーンもある。昼下がり、博物館の庭で二人並んで座って話しながらサンドイッチを食べている。周吉は「今が一番いい時だ」と言う。「まだこれからだって」と言う志げに周吉は「欲を言ったらきりがないよ」と諭す。結末の別離を暗示するような場面である。糸の切れた風船が空高く舞い上がっているのを二人が眺めている。「今日はいい日曜日だった」と周吉が曜日を特定するのは何か意味があるのだろうか。それから、些細なことだけれど、周吉の履いている靴が古びてみすぼらしいのはなぜだろうか。
パンとレールといえば、八本しかレールを持っていないからもっとほしい、32ゲージ(のもの)だよ、と父親におねだりしていた実が、レールだと思っていたお土産がパンだと知って、腹を立ててパンを蹴るシーンがある。実が父親に見つかって、もみあっているうちに、勇が隙を見てもう一回蹴ると、あっけなくパンが二つに割れてしまう。ずいぶん長いパンもあるものだな、と思って見ていたが、パンがそんなに簡単に割れるものだろうか?カメラはアップで半分に割れたパンをとらえて強調しているのだが、なんだかこれも不思議である。
「九百円もした」(今の金額に換算すると1万円以上)豪勢なショートケーキを深夜に紀子と史子、それに後から謙吉も加わって食べるシーンもある。これが不思議なのは、矯めつ眇めつ、散々迷って紀子が切り分けたケーキを三人で食べているところに、実が寝ぼけて入ってくる。すると、三人ともいっせいにケーキをテーブルの下に隠してしまう。絶対に食べさせないぞ、という意気込みである。
パンとケーキだけでなく、この映画にはものを食べるシーンが多い。冒頭の導入の部分も間宮家の朝食の光景だったが、ラスト近くにもすき焼き鍋のようなものを囲んで一家が食事をする場面がある。紀子の結婚が決まった祝賀の宴のようだが、一家の別離の宴のようでもある。鍋を直火に当てるためか、食卓の上でなく床に直接食器が置かれている。気がつくと、家中から鳥かごが取り払われ、カナリアがいなくなっている。
食事が終わって、みんながくつろいでいるとき、周吉が口火を切って一家の回想を始める。「このうちに来てからだって足かけ十六年になるものねぇ」と周吉が言うと志げが「紀ちゃんが小学校を出た春でしたからねぇ」と続ける。康一が煙草を指にはさんで、「こんなところにちょこんとリボンなんかつけて、よく『雨降りお月さん』なんか歌ってましたよ」と言う。
何でもない会話のようだが、ここは重要な情報がもたらされる場面である。十六年前周吉と志げはどこに住んでいたのか?紀子は周吉や志げと一緒にこの家に移り住んだのか?それとも、もともとこの家にいたのか?この家は十六年前は誰のものだったのだろう?大学を出て間もない康一に、こんなに立派な家を建てる甲斐性があったとは思えないのだけれど。
それから、小学校を出た女の子、つまり中学生になる少女が『雨降りお月さん』という童謡をよく歌う、というのもちょっと違和感がある。この映画に出てくるいくつかの固有名詞は、それぞれ重要な意味を潜めていると思われる。『麦と兵隊』は言うまでもないが、「妻の死後本ばかり読んでいる」と母親のたみにいわれる謙吉が「いま四巻目の半分まで読んだ」という『チボー家の人々』、「省二がスマトラに行く前に(省二や謙吉と一緒に)みんなで行った」とアヤが言う「城ヶ島」、紀子のお見合い相手だった真鍋(?)という男の出身地の「善通寺」、導入とラスト近く流れる『埴生の宿』など、いずれも代替可能なものではなく、それらをつなぐキーワードが隠されているような気がしてならない。
それにしても不思議な家族である。息子の康一が医師であることは明らかだが、父親の周吉は何をしている人なのだろう。机に向かって脇に分厚い本を置きながらものを書いているシーンがあって、冒頭でも紀子に原稿の入った封筒を渡していたが、物書きなのだろうか。
ラストは「やまと」の光景である。麦畑が手前にあって、その向こうにこんもりとした山が見え、山の麓に家並みが見える。画面が三回切り替わって、藁ぶきの屋根、そして「やまとのおじいさま」が煙管をふかしている座敷が映される。整然としたというか閑散としたというか、その座敷の続きに囲炉裏が切ってあり、志げが大きな急須でお茶を入れて周吉に渡す。「おい、ちょいと見てご覧、お嫁さんが行くよ」と周吉が言うと、麦畑の中を花嫁行列が通り過ぎていく画面に代わる。一行は八人で、よく晴れた日のようだが、花嫁に黒っぽい傘がさしかけられている。
「どんなところに片付くんでしょうねぇ」と志げが言う。花嫁行列を眺める二人の後ろ姿をカメラがとらえる。別離の宴からそんなに時間は経っていないと思われるのに、周吉の背中は丸くなり、志げはモンペを履いて粗末な帯を締めている。「みんな離れ離れになったけど、しかしまぁ、私たちはいい方だよ。欲をいっちゃぁ切りがないよ」と周吉が言うと志げも「えぇ、いろんなことがあって…長い間、ほんとうに幸せでした」とこたえる。志げはお茶をすすり、遠くを眺めるような目をしている。その表情はしずかに諦めの色をたたえている。
画面はもう一度麦畑を映す。遠くに家並みが見え、手前に麦の穂が揺れている。テーマ音楽が最高潮に達し、エンディングとなる。タイトルの「麦秋」そのものだが、不思議なことに、手前に揺れる麦のかたちが人間の、それも兵隊のように見え、大勢の兵隊が手を振っているように見えてしまうのだ。
ほんとうに不思議な映画だと思うが、一番不思議なのは、紀子が上司の佐竹と盃を交わすシーンかもしれない。アヤの母親の経営する料亭で、一人で酒を飲んでいた佐竹の部屋を訪れた紀子が佐竹の飲んでいた盃を受け取って、彼がついでくれた酒を飲む。後ろ姿のすべてが紀子の女を表現しているのだが、紀子とはいったい何なのか。
『秋刀魚の味』の続きを書こうと思っていたのですが、『麦秋』の魅惑的な謎にはまってしまいました。もっと集中しなければいけないのですが、力不足を痛感しています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
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