2013年11月24日日曜日

「刈りいるる日は近し」_____信仰ということ

 何年ぶりかで風邪をひいて、今日は連れ合いが仕事なので、たったひとりで寝ている。七匹の猫も、いつもと違って室内運動会などしないのは飼い主の身を案じているのだろうか。でも、それにしてもつらい~。こういう日は来し方行く末を思って弱気の極みにある。このまま無為の時間が流れて、あるとき突然「あなたはここまでです」なんていわれたら、何も覚悟のない私は「え!そんな!」とうろたえるだけだろう。

 もう十年以上も前のことだと思うが、たしかNHKで韓国の従軍慰安婦をしていた方たちがキリスト教の運営するホームで生活している様子を報道していた。もう人生の後半、というよりももっと年齢を重ねた方たちが、賛美歌を歌っていた。元気よく、はつらつと。それが標題の「刈りいるる日は近し」だった。もちろん韓国語だが、たぶん日本語でもそんなに意味は違わないと思う。

春の朝(あした) 夏の真昼  秋の夕べ 冬の夜も
勤(いそ)しみ蒔(ま)く 道の種の  垂穂(たりほ)となる 時来たらん
Chorus:
  刈り入るる 日は近し  喜び待て その垂穂
  刈り入るる 日は近し  喜び待て その垂穂

御空(みそら)霞(かす)む のどけき日も  木枯らし吹く 寒き夜も
勤しみ蒔く 道の種の  垂穂となる 時来たらん
  Repeat Chorus.

憂(う)さ辛(つら)さも 身に厭(いと)わで  道のために 種を蒔け
ついに実る その垂穂を  神は愛(め)でて 見そなわさん
  Repeat Chorus

「刈りいるる日は近し 喜び待てその垂穂」___
英語ではWe shall come rejoicing, bringing in the sheaves

 どんな人生を歩いてきてもその収穫のときを喜べるということ、それが信仰だろう。無信仰の信仰だのぐじゃぐじゃかっこばかりつけるお前は何なのか、という問いをつきつけてくる番組だった。そして、わけのわからない涙がでそうだった。

 だが、しかし、これらの方たちの賛美歌を歌う姿がいかに美しくても、このような歴史は繰り返してはならない。人生は美しくなくていい。あたりまえに、昨日と同じ今日があって、ご飯が食べられて、夜はちゃんと眠れる、そんな時間の先に終わりのときが来る、という日常を成り立たせるのが政治家の仕事である。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。




 


2013年11月22日金曜日

大江健三郎『同時代ゲーム』との「同時代ゲーム」__「村=国家=小宇宙」の終わる日

 群盲象を撫でるがごとき試行錯誤、悪戦苦闘のレポート作成を小休止して、しばし無責任な?読書感想文を書いてみたい。妄想、思いつきの類なので、真摯に文学を探求する方の鑑賞にたえるものではないと思う。

 一九七九年に出版されたこの作品と今日の日本の状況が酷似しているということに、不思議な感覚を覚えている。あのとき、日本がいまのような状況に陥ることを誰が予想しただろうか。貧しさは克服したけれども、豊かさの頂点はまだまだ先にある、というのがおおかたの庶民の生活実感ではなかったかと思う。いまから振り返れば、高度経済成長の頂点に登りつめる寸前だったのだろうけれど。

 『同時代ゲーム』の「第三の手紙 「牛鬼あるいは「暗がりの神」」は「村=国家=小宇宙」の最後の新生児だという二十歳の小劇団の演出家との対話を通して、「村=国家=小宇宙」の存在の両義的な意味とその終わりが語られる。「壊す人」の指揮により開拓、植民された土地は実は禁忌の場所としてすでに知られ、知られていながら人々が足を踏み入れることのないものだった。それゆえに「木蠟」生産の独創的な技術を開発し、またそれによって富を蓄積することができた。その富で兵器を買うこともしてきたのである。

 永く続いた「自由時代」においても、その半ば以降は、外部世界から森を抜けて下る塩の道を通って商人たちが入ってきた。そして、蠟と生活に必要な品を交易する商人たちが、「五人の芸人」をつれてやってきたことによって、谷間の共同体に転機が訪れる。「五人の芸人」は買い取られ、彼女らの後を追って村を出奔した若者ともども、再び「村=国家=小宇宙」の中に帰って行ったのである。

 「自由時代」の終末は、まず隣藩を脱藩してきた武士という異人の侵入からはじまる。ついで、二度の一揆の集団に「村=国家=小宇宙」が占拠され、これまで対外交渉の役を担っていた亀井銘助が上京して天皇の権威を利用しようとしたとで決定的なものとなった。亀井銘助は藩に捕らわれ、獄死し、「メイスケサン」と祀られる存在になる。この後「村=国家=小宇宙」は二重戸籍というカラクリで人口の半分を体制外に隠すという仕組みを工夫する。だが、それも「第四の手紙 武勲赫々たる五十日戦争」の結果、そのカラクリは暴かれ、人口の半分は殺されてしまう。そして、その後、新生児の出生率自体がおちこみ、亀井銘助の子孫だという小劇団の演出家が最後に誕生した人間となってしまったのだ。

 「村=国家=小宇宙」という「谷間の村」は、商人たちの連れてきた五人の芸人の血がまじらなくても、武士という異人が侵入してこなくとも、二度の一揆の集団に占拠されなくとも、そしてまた亀井銘助が彼の政治的判断を誤らなくとも、衰退して滅びることになったかもしれない。「壊す人」が丹精した薬草園が荒れるにまかされてしまったように、体制を維持する「老人たち」の気力が枯渇してしまったからである。

 だがしかし、上にあげたような外部世界からの圧力と、「武勲赫々たる五十日戦争」の敗北がなかったら、もう少し違う展開になっていた可能性はないとはいえないのではないか。「武勲赫々たる五十日戦争」がなぜ行われたのか、そして、「村=国家=小宇宙」の人口の半分が絞首刑で殺され、大日本帝国側でこれを指揮した無名大尉もまた縊死するという無残な結果となったのはなぜか。そもそも緒戦以来、ほとんどの局面で勝利していた(それでいながら敗北を前提していた)「村=国家=小宇宙」が、あくまで「森」を守るために白旗をあげて降参した根本的な理由は何か。

 現実に日本という国家で、ペリー提督をはじめとする「外圧」と「明治維新」という政権交代がなかったら、新しくできた政権が十九世紀末から二十世紀にかけての四度の戦争を起こさなかったら、どうなっていただろうか。もちろん歴史は後戻りできないので、このような問いは無意味である。だが、だからこそ、歴史の検証はどこまでも執拗になされなければならない。

 up to dateな話題をとりあげることは極力ひかえているのだが、なんとか秘密保護法案とやらが議会を通って成立するという。何が秘密か「それは秘密です」と言って法案をふりかざすこともできそうで、まことに恐ろしい。山本何とかいう議員が天皇に手紙を手渡ししようとしたといって、マスコミがいつまでも騒いでいるのも気味が悪く、「天誅」などという言葉が発せられたり、議員のもとに銃弾が送りつけられるという事態も異常である。赤報隊と名のる犯人に朝日新聞の記者が銃殺された事件を思い出す。人間共同体としての日本という国は崩壊しつつあるのではないだろうか。

 敗戦後の数年間を除いて、この国の出生率は下がる一方である。『同時代ゲーム』では新生児の誕生が途絶える理由は明らかにしていないが、現実の日本という国がすでにその状況にあったからだろう。福島の事故がなくても、いずれ、どれほどの年月がかかるかわからないが、日本人は絶滅危惧種になってしまうのではないか。また、『同時代ゲーム』の作品中では、「村=国家=小宇宙」が自分たちの言葉を捨て、独自の言語体系をつくり上げる試みはついに完成しなかったが、いまこの国では、「国際語」としての英語教育の必要性が以前にもまして喧伝されている。すでに英語を社内共通語としている企業もあるという。だが、「初めに言葉ありき」____ことばこそが人間であり、その存在証明ではなかったか。

 まさに出来の悪い読書感想文となってしまいました。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年11月13日水曜日

大江健三郎『同時代ゲーム』亀井銘助と三浦命助___亀井銘助とは何か

 『同時代ゲーム』「第三の手紙 「牛鬼」および「暗がりの神」」では、亀井銘助と原重治という固有名詞をもつ人物二人が登場する。語り手の「僕」は、亀井銘助の子孫であり「村=国家=小宇宙」の最後の新生児だという小劇団の演出家との対話を通して、「村=国家=小宇宙」の「自由時代の終わり」、すなわち「村=国家=小宇宙」が外部世界に組み込まれていく過程を、ほぼ歴史的事実を検証するというかたちで語る。ここでは、「メイスケサン」と呼ばれ、「暗がりの神」と祀られることになった亀井銘助について考えてみたい。

 亀井銘助は、幕末に二つの一揆に関わり、その結果として「村=国家=小宇宙」を外部世界に開かれたものとしたことによって、つねに両義的な存在として語られる。そのモデルはおそらく南部藩に起こった「三閉伊一揆」と呼ばれる一連の一揆の指導者の一人であった三浦命助だと思われる。少し寄り道になるが、三浦命助の事跡をたどってみたい。亀井銘助という「メイスケサン」像を造型するために、大江健三郎は三浦命助という実在の人物から何を借りて、何を捨てたか。

 米作の最北限である南部藩は幕末に相次ぐ冷害に見舞われる中、放埓な藩政の結果による重税が課せられたため、しばしば一揆が起こった。最も有名なのが弘化四年(1847年)と嘉永六年(1853年)の一揆で、三浦命助は主に嘉永六年の一揆の頭人として一揆を指導した。

 三浦命助は文政三年(1820年)生まれ。元治元年二月十日(1864年3月17日)没。陸奥国上閉伊郡栗林村百姓で十歳頃遠野村で四書五経を習う。十七歳で秋田藩院内銀山に出稼ぎに行く。十九歳で帰村、結婚して、穀物、海産物の荷駄商いをする。三五歳ころまでに三男二女の親となる。

 嘉永六年栗林村集会に参加、北方の野田通から押し出した百姓一揆の頭人のひとりとなる。同じく一揆の頭人であった田野畑村多助らに協力して一揆を成功させ、十一月帰村、村の老名役となる。一揆成就の謝礼に仙台藩塩竈神社に代参、額を奉納し、帰途一揆に力添えをしてくれた盛岡藩重臣の遠野弥六郎に謝辞を述べる。

 帰村後、謀略を仕掛けられ、藩に拘留されたが、脱走して脱藩、仙台藩で修験道の当山派東寿院で修行、本山の免許を取るため京都に行く。京都で五摂家二条家の家来格となる。安政五年(1857年)帯刀し家来を連れ、盛岡領内に入ろうとしたところを捕らえられ獄につながれる。

 牢内から妻子へ処世の心得を書き連ねた帳面を四冊つくり送る。これは『獄中記』と称されるが、多様な商品作物や加工品をつくること、貨幣取得を心がけること、自分が死んだら江戸に出て豆腐屋を営むように、など生活のための実務的具体的な指示を妻子に与えたものである。ちなみに『同時代ゲーム』の中で劇中の亀井銘助が叫ぶ「人間ハ三千年に一度サクウドン花ナリ!」という言葉は『獄中記』では「人間ト田畑ヲくらぶれバ、人間ハ三千年ニ一度さくうとん花なり。田畑ハ石川らノ如し」と書かれている。

 命助は獄中で七年過ごし、維新前三年に牢死している。『同時代ゲーム』の亀井銘助は、実在した三浦命助の事跡をほぼそのままたどったように描かれているが、その人物設定は根本的に異なっている。三浦命助は苗字を許されているが、基本的に身分は百姓であり、また妻子をもっていた。一方、亀井銘助は少なくとも最初の一揆の時は十代の少年であり、妻子をもったとは書かれてていない。身分は武士である。亀井銘助が第一の一揆においても重要な役割を果たしたとされるのに対し、三浦命助は第一の一揆に参加したという記録はないようである。第二の一揆でも主導的な役割は担ったようであるが、参加した者が一万八千人に及んだという一揆の統制はグループでなされたようで、三浦命助個人の力で一揆が成功したというわけではない。また、作中亀井銘助は死して後、その戦略、思想において明治以後のいわゆる「血税一揆」と呼ばれる徴兵反対の一揆にまで影響を及ぼしたとされる。三浦命助はそのような反体制の思想はない。自分が死んだら松前で「公儀の百姓」になれとの遺言を『獄中記』にのこしている。

 だが、銘助と命助で決定的に異なるのは「一揆」というものに向かうその向かい方だろう。三浦命助は、第二の一揆後、脱走、脱藩して修験者となり、上京して二条家に接近するなど、大胆な行動をとるが(じつは三浦家は元来修験道とかかわりがあったのではないかと思われるのだが)、あくまで実直な生活者であり、家、家族の存続を第一義にしていた。そして、一万八千の群集が「小○」と書かれた旗(困る、の意)をかかげて行進するなどの祝祭的要素はあったにしても、一揆は生活、生存をおびやかす藩の悪政への抗議、要求を通すための手段であった。三閉伊一揆は徹頭徹尾「百姓一揆」なのである。

 それにたいして亀井命助が関わり、主導的な役割を果たしたとされる二つの一揆に関して「百姓」という言葉が使われることはない。『同時代ゲーム』では、そもそも一揆は、生活のために「村=国家=小宇宙」の人々が参加したようには書かれていない。第一の一揆は川下から押し寄せた一揆集団とそれを追跡してきた藩の武装集団との間に入り、その交渉、仲介の役割を亀井命助を中心とする「村=国家=小宇宙」の老人たちが果たす、というものだった。第二の一揆は第一の一揆の後新設された「軒別税」(人頭税)に対抗して起こされたと書かれ、そのこと自体は史実に即していると思われる。だが、作中「村=国家=小宇宙」と呼ばれる谷間の共同体は、その豊かな富の蓄積を狙われ、他の村の百軒分が一軒に課せられた、とある。現実の三閉伊の人々が軒別税が課せられることにより、生存が直接おびやかされた状況とは大きく異なるのだ。いったい『同時代ゲーム』で「一揆」と書かれる状況は何を指すのか。そして年若くして天才的な軍略家であり、天真爛漫なトリックスターとして描かれる「亀井銘助」とは何か。

 「亀井銘助」、かめいめいすけ、カメイメイスケ、と表音表記される人名に漢字を当てはめて考えてみよう。作中大江が谷間の村「アハヂ」にさまざまな漢字を当てはめたように。亀井、加盟、家名、仮名、下命、花明・・・・いまは変換キーを押すだけで際限もなく出てきそうだが、この辺でやめておこう。銘助、命助、明助、名助、盟助、迷助、鳴助とこちらも同じくまだまだ続きそうだ。だが、作者が「第一の手紙 メキシコから時のはじまりにむかって」で「「アハヂ」という音は、もともとこの音と意味を正当に結んでいた漢字の抹殺に費やされた、その情熱の量に見あう規模で反対方向にむかう、まぎれもない熱望の対象なのだ」と書いているのにならえば、「音と意味を正当に結ぶ」漢字とは「甕井冥助」なのではないか。語り手の「僕」は、「村=国家=小宇宙」と表記される谷間の村は、もともと外部世界から「甕村」と呼ばれていたことを知らされ、そこが死者のおもむく冥府とみなされていた可能性に気づく。そこで「メイスケサン」は「暗がりの神」となって祀られたのだ。

 若くして一揆のすべてを計画し、指揮した亀井銘助が「暗がりの神」として祀られるのはなぜか。ヒーローであり、犠牲者でもあった銘助は「闇の力を代表する」とされている。実在の三浦命助がその死後も素朴に人々の尊崇を集めているのと対照的である。たんに谷間の村が「甕村」と呼ばれ、常民からは禁忌の場所だったという理由だけではなく、私は、そこに、作者の大江が明文化していない事柄が隠されているのではないかと思う。亀井銘助を殺したのは「村=国家=小宇宙」の人々だったのだ。直接手を下さなくても、彼らは亀井銘助を見殺しにしたのだ。歓呼してエルサレムにイエスを迎えた群衆がイエスを十字架につけよと叫んだように。民衆はひとりの人間を英雄にまつりあげ、そして殺す。その後に神として祀るのだ。

 この章の中に「メイスケサンは天皇家の、すなわち太陽神の末裔とは逆の、闇の力を代表するからこそ・・・・」と記述があって、太陽神というキーワードと「第一の手紙 メキシコから時のはじまりにむかって」のメキシコについて再考しなければならないのだが、長くなるのでまた回をあらためたいと思う。メキシコこそは、太陽神崇拝と死の両義性に満ちた場所であるが。

 
 大変不出来な文章です。最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年11月4日月曜日

大江健三郎『同時代ゲーム』__分化して消えてゆく標的__謎はどこにあるのか

 『万延元年のフットボール』以来、大江健三郎の小説にはいつも明確な標的が存在していた。それは「スーパー・マーケットの天皇」であり、「父」であり、「あの人」であり、「親方(パトロン)」であり、「怪(け)」であり、つねに「一者」であった。その標的に向かって、語り手はさまざまな意匠をこらしながら、執拗に確実に迫って対峙した。だが、『同時代ゲーム』には、そのような「一者」は見当たらない。対峙すべき「一者」は「壊す人」と「父=神主」の「二者」に分かれ、語り手の「僕」が、「父=神主」のスパルタ教育を全面的に受け入れながら、「壊す人」の神話あるいは歴史を書き記す、という複雑な構造になっている。語り手の「僕」が、というより作者の大江が真に対峙すべき相手は「壊す人」なのか、それとも「父=神主」なのか。いや、そもそも、この物語には、標的として対峙する存在は設定されているのだろうか。そこに向かって読者を巧妙に誘導していく「謎」は存在するのか?

 「壊す人」の事跡は、「父=神主」の伝承の祖述という形式で語られる。「父=神主」の語る「壊す人」の死と再生とは、最初から神話であり、「昔のことなれば無かった事もあったにして聴かねばならぬ」とされるのだ。だから「阿呆船(ナーレン・シーフ)」というモチーフで語られる船での逃避行も、ダイナマイトによる爆破で黒焦げになりながら五十日後に回復するという奇跡も神話である以上、解釈の多様性は留保しても、伝承そのものは揺るがない「事実」であって、そこに謎の存在する余地はない。巨人化し過ぎた「壊す人」を殺して、そのすべてを「村=国家=小宇宙」の人々が全員で食べた、という伝説も同様である。

 それでは解釈の多様性、それは両義性と言い換えてもよいと思うのだが、は謎をよぶだろうか。「父=神主」が語り、「僕」が双子の妹である「きみ」あての手紙に記す「壊す人」とその一行の伝承は、まず、幕藩体制の時代に四国の一地方で起こった出来事のように作品中に呈示される。だが、それは時間、空間ともに特定された一回的な出来事ではないだろう。共同体からの追放、あるいは脱出、新天地での植民という移動をともなった人間の集団行動は「村=国家=小宇宙(地球)」の規模で繰り返されてきた。旧約聖書「出エジプト記」はモーセという「壊す人」に率いられたヘブライの民の貴種流離譚であるが、「天孫降臨」の神話で語られる日本の王朝成立史の中心に存在するのも「壊す人」である。そして、移動をともなった人間の集団行動とは、新たに植民した側にとっては「新天地の開拓」であるが、先住していた人々にとっては「征服」されたということなのだ。語り手の「僕」が「壊す人」への全存在的な帰依を表明しながらも、同時に「自己処罰」の思いから自由になれなかったのはそのためである。

 征服と被征服の関係はコインの両面のようなもので、その両義性はそれ自体謎をよぶものではない。だから『同時代ゲーム』という作品のなかで何度も繰り返される「壊す人」の伝承とその解釈は、民俗学の教科書のように思えてくる。

 私にとって、謎は、たぶん、取るに足りない事柄なのだろうが、双子の妹との近親相姦(未遂?)の前後に語り手の「僕」が妹と交わした会話の中の「壊す人の遊び」と呼ばれる行為にある。「壊す人の遊び」とは、子供たちが、一日あらゆる反道徳的なことをする。そして一日の終わりに、穴に閉じこもっていた「壊す人」に扮した子供に罰せられるという奇態な祝祭なのだが、「僕」はその遊びの日に片眼の子供に仮装し、ただ片方の眼をつぶったまま小半日を過ごした、と書かれていることである。『万延元年のフットボール』の根所蜜三郎も「怯えと怒りのパニックにおちいった小学生の一団」が投げた石礫に撃たれて片方の視力を失っている。大江健三郎はなにゆえに「片眼」にこだわるのか?

 それからもう一つ、物語の最後、「僕」が満月の夜、森の中に入って行くときに、「食い物にまぜて、躰のなかにいれようかと思ったこともあった」妹の化粧道具の紅の粉を全身に塗りたくったのはなぜか。『万延元年のフットボール』の冒頭、浄化槽の穴にうずくまって観照した知人の死_「朱色の顔料で頭と顔をぬりつぶし、素裸で肛門に胡瓜をさしこみ、縊死した」とあるのと関係があるのだろうか。さらにいえば、最終章「第六の手紙 村=国家=小宇宙の森」で描写される「父=神主」の奇抜な扮装も「朱色に染めた棕櫚の毛の蓬髪をいただき、おなじく朱色の天狗の面をかぶっていた。もともとその足そのものが末端巨大症のように大きい父=神主の、その足を覆っている大沓も、棕櫚の毛を植え込んで赤黒い獣の足のようだ。そして、それより他はまったくの裸で、父=神主はその全身に、朱の文様を描いていたのだ。もっともペニスは朱の鞘に突っ込み、尻からはおなじく朱の棒を出して、両者を結んだ紐は腰に廻されていた」と朱色ずくめである。朱色には魔よけ以外の意味があるのだろうか。

 私に謎と感じられることがこの作品にはもう一つあって、それは「第三の手紙 「牛鬼」および「暗がりの神」」で語られる亀井銘助という人物についてである。だが、長くなるので、それについてはまた回をあらためたいと思う。

 
 今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。