もう十年以上も前のことだと思うが、たしかNHKで韓国の従軍慰安婦をしていた方たちがキリスト教の運営するホームで生活している様子を報道していた。もう人生の後半、というよりももっと年齢を重ねた方たちが、賛美歌を歌っていた。元気よく、はつらつと。それが標題の「刈りいるる日は近し」だった。もちろん韓国語だが、たぶん日本語でもそんなに意味は違わないと思う。
春の朝(あした) 夏の真昼 秋の夕べ 冬の夜も 勤(いそ)しみ蒔(ま)く 道の種の 垂穂(たりほ)となる 時来たらん Chorus: 刈り入るる 日は近し 喜び待て その垂穂 刈り入るる 日は近し 喜び待て その垂穂 御空(みそら)霞(かす)む のどけき日も 木枯らし吹く 寒き夜も 勤しみ蒔く 道の種の 垂穂となる 時来たらん Repeat Chorus. 憂(う)さ辛(つら)さも 身に厭(いと)わで 道のために 種を蒔け ついに実る その垂穂を 神は愛(め)でて 見そなわさん Repeat Chorus
「刈りいるる日は近し 喜び待てその垂穂」___
英語ではWe shall come rejoicing, bringing in the sheaves
どんな人生を歩いてきてもその収穫のときを喜べるということ、それが信仰だろう。無信仰の信仰だのぐじゃぐじゃかっこばかりつけるお前は何なのか、という問いをつきつけてくる番組だった。そして、わけのわからない涙がでそうだった。
だが、しかし、これらの方たちの賛美歌を歌う姿がいかに美しくても、このような歴史は繰り返してはならない。人生は美しくなくていい。あたりまえに、昨日と同じ今日があって、ご飯が食べられて、夜はちゃんと眠れる、そんな時間の先に終わりのときが来る、という日常を成り立たせるのが政治家の仕事である。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
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