『豊穣の海』第二作の『奔馬』についてはある程度まとまったことが書けそうな気がするのだが、『春の海』は難問である。どこまでも美しく、崇高でしかも限りなく官能的な清顕と聡子の恋、それがどのように始まって成就したか、作者の視線はこの一点にそそがれて揺るぎない。恋愛の要素であるむき出しの欲望や生臭い情動は、彫琢をきわめた流麗な文章によって、みごとに「優雅」の域に昇華されている。非の打ちどころのない恋愛小説として完結しているようにみえ、そこに謎を見出すことは困難であるように思われる。
主人公松枝清顕は、明治維新で勲功を立て、郷里鹿児島で「豪宕な神」とみなされた人物を祖父にもつ。祖父の息子二人は日露戦争で戦死して、残ったのは清顕の父一人のようである。清顕の父は清顕以外に子をもたなかったので、清顕は松枝家のただ一人の嫡子である。冒頭、渋谷郊外の広大な敷地十四万坪の中に、和洋取り交ぜた豪壮な建物を保有するばかりでなく、その名も「紅葉山」と呼ばれる山、その山を背景にする広い池、池に落ちる滝など、平安時代の王朝絵巻と見紛う松枝家の光景が描かれる。ここには、爛熟と豪奢、つまり貴族趣味そのものがあって、生硬なもの、粗削りなもの、質素なものは登場しない。
松枝清顕は、貴族趣味、というより、その性質もふくめて、貴族そのものである。若く、美しく、自尊心が抜きんでて高く、そして優柔不断な御曹司が清顕である。その清顕の心情を、作者は物語の冒頭「得利寺附近の戦死者の弔祭」と題する日露戦争の戦死者の写真と結びつけて語るのである。
すべては中央の、小さな白い祭壇と、花と、墓標へ向って、波のように押し寄せる心をささげているのだ。野の果てまでひろがるその巨きな集団から、一つの、口につくせぬ思いが、中央へ向ってその重い鉄のような巨大な輪を徐々にしめつけている。古びた、セピア色の写真であるだけに、これのかもし出す悲哀は、限りがないように思われた。
十八歳の清顕がこのような心持になったのは、幼いころ公家の家に預けられて「優雅」を学ばされたことに原因がある、と書かれている。その公家の家が、清顕と禁断の恋に落ちる聡子が生まれた綾倉という伯爵家であって、清顕と綾倉聡子はまさに「優雅」な、そしてすさまじい恋をするのだが、いまは「優雅」にしのびより浸透していく死の影が、最初から清顕を覆っていたことに注目しておきたい。死と戦争は、物語の辻々に、さりげなく、だが印象的に挿入される。父侯爵が妾に会いに行くとき、付き添う清顕は、寒夜の風が松の梢を騒がす音にも「得利寺の戦死者弔祭の写真」の樹々のざわめきを聞き、死を連想するのだ。
清顕が再び「得利寺附近の戦死者の弔祭」を見るのは、雪の中、聡子と俥を走らせていたときのことだった。美しく怜悧で活発な聡子に対して、少年らしい自尊心から反発しながらも惹かれていた清顕だったが、ある雪の朝、唐突に、聡子から雪見に連れて行ってくれと呼び出しがかかる。迎えに行った清顕の俥に聡子が乗り込んできた時の様子はこう描かれている。
聡子が俥へ上がってきたとき、それはたしかに蓼料や車夫に扶けられて、半ば身を浮かすようにして乗ってきたのにはちがいないが、幌を掲げて彼女を迎い入れた清顕は、雪の幾片を襟元や髪にも留め、吹き込む雪と共に、白くつややかな顔の微笑を寄せてくる聡子を、平板な夢のなかから何かが身を起こして、急に自分に襲いかかってきたように感じた。聡子の重みを不安定に受けとめた俥の動揺が、そういう咄嗟の感じを強めたのかもしれない。
それはころがり込んできた紫の堆積であり、たきしめた香の薫りもして、清顕には、自分の冷えきった頬のまわりに舞う雪が、俄かに薫りを放ったように思われた。
これ以上ないほどの近さで身を寄せてきた聡子は、清顕にとって、美しい恋人というよりむしろ、何か日常世界を超えた次元からやってきた存在のようである。この後すぐ世にも美しい接吻へのなりゆきが繊細、精妙な描写で続くのだが。
そして、官能のほてりに暑さを覚えた清顕が、俥の幌を開けたときに、日露戦争の亡霊が現れるのである。折しもさしかかった坂の上の崖から見下ろす麻布三聯隊の兵庭には、肩と軍帽の庇に雪を積んだ数千の兵士が、白木の墓標と祭壇を遠巻きにしてうなだれていた。彼らはみな死んでいて、みずからを弔っているのだった。幻は一瞬にして消え、あたりは平穏な日常の佇まいに戻るのだが、清顕と聡子の陶酔は戻らなかった。
麻布三聯隊と霞町という場所はこの後、『春の雪』という作品の中で、一つの記号のように繰り返し登場する。清顕と聡子が初めて結ばれるのも、蓼料が懇意にしている北崎という軍人宿の離れで、そこは三聯隊の正門近くである。ふりつづく雨の中、清顕は北崎の宿におもむき、聡子と逢う。下宿の離れで清顕と聡子が結ばれる性愛の描写は、これほど具体的かつ高度な象徴性に満ちた描写はあるまいと思われるのだが、はたしてこれは、たんに性愛の描写だろうか。
清顕が、禁忌の存在に対して、自らの純潔をかけて届こうとすること、そのことによって
誰も見たことのないような完全な曙が漲る筈だった。
という預言は第二作『奔馬』のラスト、飯沼勲が
正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と上った。
となって成就するのだ。
北崎の宿は、物語の後半綾倉伯爵と綾倉家の老女蓼科の会話の中で登場する。清顕の子を身ごもった聡子が蓼科の指示を受け入れず、いっこうに中絶しようとしないことで、進退窮まった蓼科はカルチモンを飲んで自殺を図る。蓼科の部屋を訪れた伯爵に、蓼科は八年前の北崎の宿での伯爵の言葉をもちだすのである。
八年前も雨が降っていた。もう梅雨に入っていた。八年後に清顕と聡子が結ばれることになる北崎の離れで、伯爵と蓼科は何とも陰惨な春画を見て、十四年ぶりに情を交わした。そして伯爵は驚くべきことを蓼科に頼んだのだった。
八年前のその日、松枝侯爵が十三歳になった美しい聡子を見て、自分が三国一の婿を世話して、綾倉家から一度も出たことのないような豪勢な嫁入りをさせてやろう、と言った。このとき、無力な伯爵はこのはずかしめに対して、あいまいに笑っているだけだったが、何とか長袖者流の復讐をしてやろうと思っていたのである。それは、松枝侯爵が決めた婿に、生娘の聡子を与えない。縁組の前に、聡子を彼女が気に入っている男と添臥させる、ということで、このことを誰にも知らせず、蓼科一存でおかした過ちのようにやりとおしてほしい。そのために、生娘でないものと寝た男に生娘と思わせ、反対に、生娘と寝た男に生娘でないと思わせる二つの術を聡子に教え込むことができるだろうか。伯爵のこの恥知らずな、残酷な頼みを蓼科は「承りましてございます」と請け合ったのである。
「門も玄関もない、そのくせかなりな広さの庭に板塀をめぐらした坂下の家。湿った、暗い、なめくじの出そうな」と描写される北崎の家での伯爵と蓼科の会話は、『春の雪』という舞台劇の暗い裏側を覗かせる。清顕と聡子の美しすぎる悲恋は、彼らを取り巻く大人たちの情念と陰謀によって仕組まれたものだったのだ。零落しているがゆえにはずかしめられ、やりどころのない伯爵の憤懣が、このようなグロテスクな企てを思いつかせたのだろうが、それだけではない。ここにはもっと淫靡で複雑な男と女の情念が濃縮されて呈示されている。その情念のひとつひとひとつを書くのもおぞましいが、伯爵も侯爵も、自分の命さえも手玉に取って、みごとに情念をつらぬき復讐を果たした蓼科の存在感は圧倒的である。
『春の雪』の原点ともいえる八年前の出来事が、日露戦争に出征にする兵士の壮行会と同じ場所で行われたことに注目したい。降りしきる雨の中、事後の二人の耳に軍歌の合唱が届く。
鉄火はためく戦場に
護国の運命、君に待つ
行け忠勇の我が友よ
ゆけ君国の烈丈夫
北崎の宿と日露戦争は、この後『春の雪』に登場することはない。美しく崇高な悲劇の原点が、陰惨で淫靡な情念の世界であり、そこはまた血生臭い戦場と隣り合わせの場所であることを示唆して、物語は終末に向かっていく。
難問の『春の雪』に、せめて補助線を引いてみようと思って書き出したのですが、やはり難問のままでした。でも、あきらめないで、影の主人公本多繁邦を中心に、もう一度考えたいと思っています。未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
2019年12月2日月曜日
2019年11月14日木曜日
三島由紀夫『春の雪』_大正デモクラシーの王朝絵巻_「みかどのめ(妻)を盗む」というモチーフ
『豊穣の海』四部作について、いつか書こう、書かなければならないと思いながら、ずるずると書けないまま時間が過ぎてしまった。四部作すべてを見渡して、何か三島文学の結論めいたものを引き出そうなどとだいそれたことは、もちろん考えていない。そういうことではなくて、私にとって三島由紀夫の作品は、批評、分析の対象となる以前に面白すぎるのである。小説ビギナーの私でも無理なく読めて、最初から最後まで読むことの快感に浸りながら、結末までもっていかれてしまう。そして最後になって、はて、この小説はどう読めばいいのか、と立ち止まってしまうのだ。
『豊穣の海』あるいは『春の雪』だけでなく、三島由紀夫の作品は言葉が溢れかえっている。プロットの展開を語り、登場人物の心理を描写する叙述に破綻はまったくないが、ときに思弁的、形而上学的用語をまじえ、言葉は過剰の域の内側にかろうじてとどまっているように見える。もうひとつ、『春の雪』の文章に特徴的なことは、登場する皇族への待遇表現の丁重さである。作者は徹底して最上級の敬語を使用し、皇族と他の登場人物の間に決して越えられぬ一線を劃している。幼い清顕が魅せられた春日の宮妃、禁断の恋を生きた聡子の婚約者洞院宮王子の一家、留学中のシャムの王子たち、さらに物語の中に一瞬登場する「お上」に対して、王朝の女房文学かと見紛うほどの念入りの敬語が繰りだされる。
『春の雪』の最後に、後註として、
『豊穣の海』は『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語であり、因みにその題名は、月の海の一つのラテン名なる Mare Foecunditatis の邦訳である。
と書かれている。輪廻転生は四部作を展開する力学のエネルギー源だが、第一作の『春の海』を読んだ印象では、作者に直接のインスピレーションを与えたのは、『浜松中納言物語』というより『源氏物語』や『伊勢物語』ではないかと思われる。『浜松中納言物語』は数多くある『源氏物語』のひとつの亜流とされている。『源氏物語』さらに遡って『伊勢物語』の重要な主題は「政治と性」具体的には「みかどのめ(妻)を盗む」ことである。
『源氏物語』はいうまでもなく光源氏と藤壺の不倫から始まる。父桐壷帝の妻を犯し、生まれた子を帝の位につけるという背徳の行為が源氏に栄耀栄華をもたらすのである。一方『伊勢物語』第三段から第六段は「二条の后」と業平と思しき男の恋の経緯が語られてる。こちらは業平の悲恋で、奪い取った「二条の后」藤原高子は彼女の兄たちに奪い返されてしまう。業平は栄耀栄華どころか都落ちを余儀なくされる。源氏と業平の運命は両極端だが、性と権力の相互浸透、というより性=権力の方式が成り立つという点で共通したものがあるのではないかと思われる。
『春の雪』は平安時代の女房文学ではなく、大正元年(1912年)の十月から始まる物語である。(出版されたのは昭和四十四年_1969年。アポロ11号が月面着陸した年)日清、日露の二つの戦争を経て明治が終わり、日本はどのような社会になっていったのか。実は、『春の雪』という小説中に、社会はまったくといっていいほど描かれないのである。第二作『奔馬』では、作者は、主人公飯沼勳に詳細すぎるほど詳細に、昭和十年代初頭の東北農民の窮状と政治の腐敗を語らせている。一方『春の雪』は、渋谷の郊外に十四万坪の敷地をもつ松枝清顕の屋敷を舞台に、松枝家とその周辺の上流階級が中心で、庶民の生活がふりむかれることはない。
政治がもちこまれることが決してない、という点で小津安二郎の映画がきわめて政治的であるのと同様に、『春の雪』もまた、きわめて政治的である。前年1911年一月中国で辛亥革命が起り、当年二月十二日には清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀が退位するなど、東アジアは大きく揺れ動いていた。だが、日本では、というか『春の雪』の世界では、何事も起こらなかったかのように、主人公松枝清顕と綾倉聡子の恋に作者の視線は集中する。聡子に触れることが禁忌にならなかったら決して成立しなかったであろう恋に。清顕にとって、あるいは三島由紀夫にとって、恋の必要条件は「禁忌=不可能」だったのではないか。もしかしたらそれは十分条件だったかもしれない。
「私たちの歩いている道は、道でなくて桟橋ですから、どこかでそれが終わって、海がはじまるのは仕方がございませんわ」という聡子の言葉の通り、終わりの時が来て、聡子は大叔母が門跡をつとめる月修寺で出家してしまう。「海」_「豊穣の海」_「月の海」_「月修寺」_という連想がたんなる言葉の遊びでなければ、聡子は月世界にもどったかぐや姫だろうか。異次元の世界に行ってしまった聡子にこの世で会うことは不可能なのだから、『天人五衰』のラストは、この時点で決定していたのだ。清顕も、彼の親友本多も、そして六十年後の本多も、肉の身をもつ聡子に再び相まみえることはない。
一方、清顕は翌年春の歌会始の儀式であらたな天皇の顔をかいま見、そこに清顕に対する怒りをみとめて恐怖する。そのとき、快楽とも戦慄ともつかぬ感覚とともに彼を貫いたのは
『お上をお裏切り申し上げたのだ。死なねばならぬ』
という考えだった、と書かれている。禁忌を冒すこと、その結果死ぬこと、その二つが二つとも清顕にとっては「快さとも戦慄ともつかぬもの」だったのだ。だから、この後春寒の奈良を訪れて、月修寺に通い詰め、病いを得て死んでいくという深草の少将のような清顕の行動は、成就されるべき死への道行きだったのである。
『春の雪』については、こんな概念的な感想文でなく、もっと丁寧にストーリーの展開を追って書きたいことがあるのですが、長くなるので回を分けたいと思います。清顕と聡子の、精妙としか呼びようのない性愛と心理の描写、対照的に隠微で生臭い謀略の影、など小説を読む醍醐味はこちらにあるのかもしれません。とくに蓼科と呼ばれる老女の存在感は圧倒的で、『春の雪』の主人公は彼女ではないかと思ってしまいそうです。
今日も不出来な感想を読んでくださってありがとうございます。
『豊穣の海』あるいは『春の雪』だけでなく、三島由紀夫の作品は言葉が溢れかえっている。プロットの展開を語り、登場人物の心理を描写する叙述に破綻はまったくないが、ときに思弁的、形而上学的用語をまじえ、言葉は過剰の域の内側にかろうじてとどまっているように見える。もうひとつ、『春の雪』の文章に特徴的なことは、登場する皇族への待遇表現の丁重さである。作者は徹底して最上級の敬語を使用し、皇族と他の登場人物の間に決して越えられぬ一線を劃している。幼い清顕が魅せられた春日の宮妃、禁断の恋を生きた聡子の婚約者洞院宮王子の一家、留学中のシャムの王子たち、さらに物語の中に一瞬登場する「お上」に対して、王朝の女房文学かと見紛うほどの念入りの敬語が繰りだされる。
『春の雪』の最後に、後註として、
『豊穣の海』は『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語であり、因みにその題名は、月の海の一つのラテン名なる Mare Foecunditatis の邦訳である。
と書かれている。輪廻転生は四部作を展開する力学のエネルギー源だが、第一作の『春の海』を読んだ印象では、作者に直接のインスピレーションを与えたのは、『浜松中納言物語』というより『源氏物語』や『伊勢物語』ではないかと思われる。『浜松中納言物語』は数多くある『源氏物語』のひとつの亜流とされている。『源氏物語』さらに遡って『伊勢物語』の重要な主題は「政治と性」具体的には「みかどのめ(妻)を盗む」ことである。
『源氏物語』はいうまでもなく光源氏と藤壺の不倫から始まる。父桐壷帝の妻を犯し、生まれた子を帝の位につけるという背徳の行為が源氏に栄耀栄華をもたらすのである。一方『伊勢物語』第三段から第六段は「二条の后」と業平と思しき男の恋の経緯が語られてる。こちらは業平の悲恋で、奪い取った「二条の后」藤原高子は彼女の兄たちに奪い返されてしまう。業平は栄耀栄華どころか都落ちを余儀なくされる。源氏と業平の運命は両極端だが、性と権力の相互浸透、というより性=権力の方式が成り立つという点で共通したものがあるのではないかと思われる。
『春の雪』は平安時代の女房文学ではなく、大正元年(1912年)の十月から始まる物語である。(出版されたのは昭和四十四年_1969年。アポロ11号が月面着陸した年)日清、日露の二つの戦争を経て明治が終わり、日本はどのような社会になっていったのか。実は、『春の雪』という小説中に、社会はまったくといっていいほど描かれないのである。第二作『奔馬』では、作者は、主人公飯沼勳に詳細すぎるほど詳細に、昭和十年代初頭の東北農民の窮状と政治の腐敗を語らせている。一方『春の雪』は、渋谷の郊外に十四万坪の敷地をもつ松枝清顕の屋敷を舞台に、松枝家とその周辺の上流階級が中心で、庶民の生活がふりむかれることはない。
政治がもちこまれることが決してない、という点で小津安二郎の映画がきわめて政治的であるのと同様に、『春の雪』もまた、きわめて政治的である。前年1911年一月中国で辛亥革命が起り、当年二月十二日には清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀が退位するなど、東アジアは大きく揺れ動いていた。だが、日本では、というか『春の雪』の世界では、何事も起こらなかったかのように、主人公松枝清顕と綾倉聡子の恋に作者の視線は集中する。聡子に触れることが禁忌にならなかったら決して成立しなかったであろう恋に。清顕にとって、あるいは三島由紀夫にとって、恋の必要条件は「禁忌=不可能」だったのではないか。もしかしたらそれは十分条件だったかもしれない。
「私たちの歩いている道は、道でなくて桟橋ですから、どこかでそれが終わって、海がはじまるのは仕方がございませんわ」という聡子の言葉の通り、終わりの時が来て、聡子は大叔母が門跡をつとめる月修寺で出家してしまう。「海」_「豊穣の海」_「月の海」_「月修寺」_という連想がたんなる言葉の遊びでなければ、聡子は月世界にもどったかぐや姫だろうか。異次元の世界に行ってしまった聡子にこの世で会うことは不可能なのだから、『天人五衰』のラストは、この時点で決定していたのだ。清顕も、彼の親友本多も、そして六十年後の本多も、肉の身をもつ聡子に再び相まみえることはない。
一方、清顕は翌年春の歌会始の儀式であらたな天皇の顔をかいま見、そこに清顕に対する怒りをみとめて恐怖する。そのとき、快楽とも戦慄ともつかぬ感覚とともに彼を貫いたのは
『お上をお裏切り申し上げたのだ。死なねばならぬ』
という考えだった、と書かれている。禁忌を冒すこと、その結果死ぬこと、その二つが二つとも清顕にとっては「快さとも戦慄ともつかぬもの」だったのだ。だから、この後春寒の奈良を訪れて、月修寺に通い詰め、病いを得て死んでいくという深草の少将のような清顕の行動は、成就されるべき死への道行きだったのである。
『春の雪』については、こんな概念的な感想文でなく、もっと丁寧にストーリーの展開を追って書きたいことがあるのですが、長くなるので回を分けたいと思います。清顕と聡子の、精妙としか呼びようのない性愛と心理の描写、対照的に隠微で生臭い謀略の影、など小説を読む醍醐味はこちらにあるのかもしれません。とくに蓼科と呼ばれる老女の存在感は圧倒的で、『春の雪』の主人公は彼女ではないかと思ってしまいそうです。
今日も不出来な感想を読んでくださってありがとうございます。
2019年8月28日水曜日
宮沢賢治『グスコーブドリの伝記』_九十年前のジオ・エンジニアリング
地球温暖化の議論、異常気象などここ数年地球環境の異常さが人類生存の深刻な危機として問題になっている。自然の猛威の前に文明は何をなし得るか。九十年前にその課題に挑んだ人間の軌跡として『グスコーブドリの伝記』を取り上げてみたい。
前回のブログで書いたように、この作品も相次ぐ冷害と飢饉で主人公の両親が自死することが物語の発端である。『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』は冒頭数枚の原稿が焼失してしまっているが、『グスコーブドリの伝記』の方は、主人公ブドリの父は森の木こりで、幼いブドリと妹のネリが楽園のような森の生活を送ったことが描かれている。だが、ブドリが十になった年とその翌年冷害が続いて、どうしても食べる物がなくなってしまう。最初に父が「おれは森へ行って遊んでくるぞ。」という悲痛なことばをのこして森の中へ入っていく。翌日に母もわずかな食糧を兄妹に残して、後を追う二人をしかりつけて森に入る。それから二十日後に妹のネリが人さらいにさらわれ、ブドリはたった一人になってしまう。
誰もいなくなった森にやってきたのは「てぐす」を飼う男だった。「てぐす」とは「天蚕糸」のことで、「家蚕糸」が屋内で蚕を飼うのに対し、屋外でクヌギやナラなどの木に「てぐす」という虫を這わせて繭を取る方法だそうである。物語の中でもかなり詳しく「てぐす」を飼って繭を取る方法が書かれている。日本ではとくに長野県安曇市の有明というところで盛んに行われ、明治二十年から三十年が全盛期だったが、焼岳の噴火で降灰の被害にあったことが記録されている。賢治はこの史実を踏まえていると思われる。
ブドリはてぐすを飼う男たちの仕事を手伝うことで食料をもらい、最初の冬を越すことができたが、翌年も同じように作業をしているときに火山が爆発し、森は灰で覆われてしまう。てぐすも全滅でブドリは男たちと一緒に森から脱出しなければならなくなったのである。
『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』のネネムは、昆布取りのつらい作業を十年間やって三百ドル貯め、、自立して、自由意志で森を出ることにしたのだが、ブドリは、そうではない。両親を死に追いやった自然がまたしても人々に襲いかかったのだった。自然の克服がブドリの出発点であり、到達点である。
灰に覆われた森を出て歩き続けると、しだいに灰は薄く浅くなって、美しい色のカードでできているような町に入っていく。ブドリは「山師を張る」という赤ひげの大百姓に出会って、そこで働かせてもらうことになる。「山師を張る」というのは実験的というか投機的な農業を試みることだった。ブドリは大百姓に見込まれて、大百姓の亡くなった息子の代わりに勉強するように、たくさんの本を渡される。ブドリが本から学んだ知恵が役立って、作物の病害を防いだこともあったが、翌年からまたしても冷害と旱魃が続き、大百姓はブドリに暇をださなくてはならなくなってしまう。
大百姓のもとで六年間働いたブドリは、汽車に乗って、勉強しているときに読んだ本の著者クーボー博士の学校のあるイーハトーヴに行く。「クーボーという人の物の考え方を教えた本はおもしろかったので何べんも読みました」とあるが、クーボー博士は『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』のフゥフィーボー先生と同じ役割を果たす人物である。フゥフィーボー先生は「せの高さ百尺あまり」のばけもので、空を飛ぶ能力をもっていたが、クーボー博士は小さな飛行船に乗って空を飛ぶ。
夕方ちかくようやく探しあてた教室で、クーボー博士は大きな櫓のような模型を使って「歴史の歴史」ということを教えていた。授業はその櫓のような模型を図に書き取ることだった。(どんな図ができるのでしょうか?)授業が終わると卒業試験で、一番最後に試験を受けたブドリは優秀な成績でほめられ、イーハトーヴ火山局の仕事を紹介される。
イーハトーヴ火山局のくだりを読む度に、賢治はどこからこの構想のヒントを得たのだろうか、と不思議に思いかつまた感嘆してしまう。イーハトーヴ火山局は「大きな茶いろの建物で、うしろには房のような形をした高い柱が夜の空にくっきり白く立っておりました。」とあり、中に入ると
その室の右手の壁いっぱいに、イーハトーヴ全体の地図が、美しく色どった大きな模型に作ってあって、鉄道も町も野原もみんな一目でわかるようになっており、そのまん中を走る背骨のような山脈と、海岸に沿って縁をとったようになっている山脈、またそれから枝を出して海のなかに点々の島をつくっている一列の山々には、みんな赤や橙や黄のあかりがついていて、それらがかわるがわる色が変わったりジーと蝉のように鳴ったり、数字が現れたり消えたりしているのです。下の壁に添った棚には、黒いタイプライターのようなものが三列に百でもきかないくらい並んで、みんな静かに動いたり鳴ったりしているのでした。
と描写される。「イーハトーヴ」という地域がどれくらいの広さのものかわからないが、この後「三百ある火山」という記述もあるので、かなりのものだろう。火山も含めてその土地の模型を作ることは賢治の時代でももちろん可能だったと思われるが、ここでは、すべての火山がその活動をリアルタイムで観測されるというのである。それを可能にしているのが三列に百でも聞かないくらい並んでいる「黒いタイプライターのようなもの」なのだろうが、これはまさにコンピューターではないだろうか。
ブドリの仕事は火山活動の制御だった。噴火の時期を予測して、人々が生活する市に被害が及ばないように工作する。ブドリは、上司の老技師ペンネンナームとともに、噴火まじかの火山が市街地でなく海岸の方にむかって噴火するように工作し、遠隔操作で爆発させることに成功する。
それだけでなく、火山局は肥料を空から降らせることにも成功する。まずクーボー博士が飛行船に乗って、雲の上に出る。その後、
その雲のすぐ上を一隻の飛行船が、船尾から真っ白な煙を噴いて、一つの峰から一つの峰へちょうど橋をかけるように飛びまわっていました。そのけむりは、時間がたつほどだんだん太くはっきりなってしずかに下の雲の海に落ちかぶさり、まもなく、いちめんの雲の海にはうす白く光る大きな網が山から山へ張りわたされました。
という光景が出現する。がする。(これと同じような光景を近年見かけることが多いような気がする)飛行船が再び雲の下に沈むと、ペンネン技師が、地上で雨が降っていることを確認して、ブドリにぼたんを押すように指示する。ブドリがぼたんを押すと、さっきのけむりが美しい桃いろや青や紫にかがやき点滅する。こうして合成された硫酸アムモニヤが雨とともに地上に降り注ぎ、農作物の肥料になった、というのである。
これはいわゆるジオ・エンジニアリングではないだろうか。賢治の時代に人工降雨の技術はあったようで、チャールズ・ハットフィールドというアメリカ人が「レインメーカー」と呼ばれ、1890年から二十六年間全米各地で雨を降らせることを商売にしていたという。1916年サンティエゴで雨を降らせたが、洪水になってしまい、これを最後に人工降雨の技術をみずから封印したといわれている。賢治がこのことを知っていた可能性は大きいが、雨の中に肥料をまぜるという発想は賢治独自のものだろう。
もう一つ、最後にブドリが実行したジオ・エンジニアリングは、火山を人工的に爆発させ、気層の中の炭酸ガスの量を増やす工作である。ある年、ブドリの両親が死に追いやられた時と同じような冷害の予兆が続いた。ブドリはクーボー博士をたずねて、カルボナードという火山を爆発させ、噴出した炭酸ガスで地球全体を暖める計画を提示する。だが、その計画を完遂するためには、最後までカルボナード島に残る人間が必要だった。ブドリは、止めるペンネン技師を説得して、みずからその任務に就いたのだった。
『グスコーブドリの伝記』という作品は、最後のブドリの死に焦点があてられ、「自己犠牲」が主題として論じられることが多い。そういう読み方もあるかもしれないが、作者賢治が多くの枚数を費やして述べているのは、当時としては空想的な、しかし非常に具体的で、現代の私たちから見ればリアルなジオ・エンジニアリングである。異常気象による大災害が世界中であい次ぐ今日、この作品をもう一度、別の観点から読み直す試みがあってもよいのではないか。ブドリの死は、たんなる自己犠牲、というよりは、自然を冒したことにたいする贖罪の意識もあったのではないか、と思われるのだが。
自己犠牲に焦点が当てられ、教訓的な解釈で終わってしまいそうなこの作品が、不思議な世界を展開していることを発見して、いかに自分の読みが浅薄なものだったかに気づかされました。未整理な読書感想文に最後までつきあってくださってありがとうございます。
前回のブログで書いたように、この作品も相次ぐ冷害と飢饉で主人公の両親が自死することが物語の発端である。『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』は冒頭数枚の原稿が焼失してしまっているが、『グスコーブドリの伝記』の方は、主人公ブドリの父は森の木こりで、幼いブドリと妹のネリが楽園のような森の生活を送ったことが描かれている。だが、ブドリが十になった年とその翌年冷害が続いて、どうしても食べる物がなくなってしまう。最初に父が「おれは森へ行って遊んでくるぞ。」という悲痛なことばをのこして森の中へ入っていく。翌日に母もわずかな食糧を兄妹に残して、後を追う二人をしかりつけて森に入る。それから二十日後に妹のネリが人さらいにさらわれ、ブドリはたった一人になってしまう。
誰もいなくなった森にやってきたのは「てぐす」を飼う男だった。「てぐす」とは「天蚕糸」のことで、「家蚕糸」が屋内で蚕を飼うのに対し、屋外でクヌギやナラなどの木に「てぐす」という虫を這わせて繭を取る方法だそうである。物語の中でもかなり詳しく「てぐす」を飼って繭を取る方法が書かれている。日本ではとくに長野県安曇市の有明というところで盛んに行われ、明治二十年から三十年が全盛期だったが、焼岳の噴火で降灰の被害にあったことが記録されている。賢治はこの史実を踏まえていると思われる。
ブドリはてぐすを飼う男たちの仕事を手伝うことで食料をもらい、最初の冬を越すことができたが、翌年も同じように作業をしているときに火山が爆発し、森は灰で覆われてしまう。てぐすも全滅でブドリは男たちと一緒に森から脱出しなければならなくなったのである。
『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』のネネムは、昆布取りのつらい作業を十年間やって三百ドル貯め、、自立して、自由意志で森を出ることにしたのだが、ブドリは、そうではない。両親を死に追いやった自然がまたしても人々に襲いかかったのだった。自然の克服がブドリの出発点であり、到達点である。
灰に覆われた森を出て歩き続けると、しだいに灰は薄く浅くなって、美しい色のカードでできているような町に入っていく。ブドリは「山師を張る」という赤ひげの大百姓に出会って、そこで働かせてもらうことになる。「山師を張る」というのは実験的というか投機的な農業を試みることだった。ブドリは大百姓に見込まれて、大百姓の亡くなった息子の代わりに勉強するように、たくさんの本を渡される。ブドリが本から学んだ知恵が役立って、作物の病害を防いだこともあったが、翌年からまたしても冷害と旱魃が続き、大百姓はブドリに暇をださなくてはならなくなってしまう。
大百姓のもとで六年間働いたブドリは、汽車に乗って、勉強しているときに読んだ本の著者クーボー博士の学校のあるイーハトーヴに行く。「クーボーという人の物の考え方を教えた本はおもしろかったので何べんも読みました」とあるが、クーボー博士は『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』のフゥフィーボー先生と同じ役割を果たす人物である。フゥフィーボー先生は「せの高さ百尺あまり」のばけもので、空を飛ぶ能力をもっていたが、クーボー博士は小さな飛行船に乗って空を飛ぶ。
夕方ちかくようやく探しあてた教室で、クーボー博士は大きな櫓のような模型を使って「歴史の歴史」ということを教えていた。授業はその櫓のような模型を図に書き取ることだった。(どんな図ができるのでしょうか?)授業が終わると卒業試験で、一番最後に試験を受けたブドリは優秀な成績でほめられ、イーハトーヴ火山局の仕事を紹介される。
イーハトーヴ火山局のくだりを読む度に、賢治はどこからこの構想のヒントを得たのだろうか、と不思議に思いかつまた感嘆してしまう。イーハトーヴ火山局は「大きな茶いろの建物で、うしろには房のような形をした高い柱が夜の空にくっきり白く立っておりました。」とあり、中に入ると
その室の右手の壁いっぱいに、イーハトーヴ全体の地図が、美しく色どった大きな模型に作ってあって、鉄道も町も野原もみんな一目でわかるようになっており、そのまん中を走る背骨のような山脈と、海岸に沿って縁をとったようになっている山脈、またそれから枝を出して海のなかに点々の島をつくっている一列の山々には、みんな赤や橙や黄のあかりがついていて、それらがかわるがわる色が変わったりジーと蝉のように鳴ったり、数字が現れたり消えたりしているのです。下の壁に添った棚には、黒いタイプライターのようなものが三列に百でもきかないくらい並んで、みんな静かに動いたり鳴ったりしているのでした。
と描写される。「イーハトーヴ」という地域がどれくらいの広さのものかわからないが、この後「三百ある火山」という記述もあるので、かなりのものだろう。火山も含めてその土地の模型を作ることは賢治の時代でももちろん可能だったと思われるが、ここでは、すべての火山がその活動をリアルタイムで観測されるというのである。それを可能にしているのが三列に百でも聞かないくらい並んでいる「黒いタイプライターのようなもの」なのだろうが、これはまさにコンピューターではないだろうか。
ブドリの仕事は火山活動の制御だった。噴火の時期を予測して、人々が生活する市に被害が及ばないように工作する。ブドリは、上司の老技師ペンネンナームとともに、噴火まじかの火山が市街地でなく海岸の方にむかって噴火するように工作し、遠隔操作で爆発させることに成功する。
それだけでなく、火山局は肥料を空から降らせることにも成功する。まずクーボー博士が飛行船に乗って、雲の上に出る。その後、
その雲のすぐ上を一隻の飛行船が、船尾から真っ白な煙を噴いて、一つの峰から一つの峰へちょうど橋をかけるように飛びまわっていました。そのけむりは、時間がたつほどだんだん太くはっきりなってしずかに下の雲の海に落ちかぶさり、まもなく、いちめんの雲の海にはうす白く光る大きな網が山から山へ張りわたされました。
という光景が出現する。がする。(これと同じような光景を近年見かけることが多いような気がする)飛行船が再び雲の下に沈むと、ペンネン技師が、地上で雨が降っていることを確認して、ブドリにぼたんを押すように指示する。ブドリがぼたんを押すと、さっきのけむりが美しい桃いろや青や紫にかがやき点滅する。こうして合成された硫酸アムモニヤが雨とともに地上に降り注ぎ、農作物の肥料になった、というのである。
これはいわゆるジオ・エンジニアリングではないだろうか。賢治の時代に人工降雨の技術はあったようで、チャールズ・ハットフィールドというアメリカ人が「レインメーカー」と呼ばれ、1890年から二十六年間全米各地で雨を降らせることを商売にしていたという。1916年サンティエゴで雨を降らせたが、洪水になってしまい、これを最後に人工降雨の技術をみずから封印したといわれている。賢治がこのことを知っていた可能性は大きいが、雨の中に肥料をまぜるという発想は賢治独自のものだろう。
もう一つ、最後にブドリが実行したジオ・エンジニアリングは、火山を人工的に爆発させ、気層の中の炭酸ガスの量を増やす工作である。ある年、ブドリの両親が死に追いやられた時と同じような冷害の予兆が続いた。ブドリはクーボー博士をたずねて、カルボナードという火山を爆発させ、噴出した炭酸ガスで地球全体を暖める計画を提示する。だが、その計画を完遂するためには、最後までカルボナード島に残る人間が必要だった。ブドリは、止めるペンネン技師を説得して、みずからその任務に就いたのだった。
『グスコーブドリの伝記』という作品は、最後のブドリの死に焦点があてられ、「自己犠牲」が主題として論じられることが多い。そういう読み方もあるかもしれないが、作者賢治が多くの枚数を費やして述べているのは、当時としては空想的な、しかし非常に具体的で、現代の私たちから見ればリアルなジオ・エンジニアリングである。異常気象による大災害が世界中であい次ぐ今日、この作品をもう一度、別の観点から読み直す試みがあってもよいのではないか。ブドリの死は、たんなる自己犠牲、というよりは、自然を冒したことにたいする贖罪の意識もあったのではないか、と思われるのだが。
自己犠牲に焦点が当てられ、教訓的な解釈で終わってしまいそうなこの作品が、不思議な世界を展開していることを発見して、いかに自分の読みが浅薄なものだったかに気づかされました。未整理な読書感想文に最後までつきあってくださってありがとうございます。
2019年8月20日火曜日
宮沢賢治『ペンネンネン・ネネムの伝記』__ばけもの社会のMMT
『グスコーブドリの伝記』について調べていくうちに、『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』という作品に出会った。『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』と呼ばれる草稿に手を加えて完成したものが『グスコーブドリの伝記』であるとされている。たしかに、この二つの作品は、冷害と飢餓のため両親が自死し、妹も人さらいにさらわれて、一人ぼっちになったた少年が自立して世の中に出ていくという成長小説である。
だが、作品として完成し、どこかとりすました感のある『グスコーブドリの伝記』とくらべると、『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』は粗削りだが、とにかくおもしろいのである。主人公のネネムが、偶然に、奇術の一座の中に人さらいに連れ去られた妹のネリを見つける場面など、手に汗握る面白さである。豪華絢爛、奇想天外な奇術(魔術?)の舞台、それを固唾を飲んでみつめる観客の緊張と興奮、賢治の天才的な想像力がほとばしり、躍動感あふれる描写に圧倒される。
そしてもうひとつ、私が関心を惹かれたのは、この作品が「ばけもの社会の経済学」とでもいうような論理を呈示していることである。いやそれは人間社会の経済学かもしれないが。
一人ぼっちになったネネムは、住んでいた家ごと森を買い占めた男に昆布取りの仕事をさせられる。栗の木にはしごを掛けててっぺんまで登り、空中に網を投げて昆布を捕るのである。? こんなことで昆布が取れるのかと不思議だが、男は一日一ドルの手間をくれるという。だが、男がネネムに差し入れるパンの値段が一ドルで、一日十斤以上昆布を取ったらあとは十セントで買ってくれるというのだ。一日十斤に足りないときはネネムの損で、借金が残る。じつにあこぎなシステムだが、人間社会でも同じように、いやもっとひどいことに、最初から借金を背負って働かなければならない人たちが多かったのだろう。
ネネムは栗の木のてっぺんに立ちっ放しで十年で借金を返し、貯めた三百ドルをふところに、栗の木から降りてばけもの世界のまちに向かって歩き出したのである。三百ドルは賢治の時代にいかほどの価値があったのか。かなりの大金だったのではないか。そしてネネムは、そのお金で森の出口の雑貨屋でまっ黒な上着とズボンを買って身をかため、学問をして書記になろうと考えたのである。「もう投げるようなたぐるようなことは考えただけでも命が縮まる。」じっさい、肉体労働者が確実に命を縮めて働くのは賢治の時代の日本だけではない。
立派な姿になったネネムは嬉しくて一気に三十ノットばかり走り、出会った黄色な幽霊にまちまでの距離をたずねる。すると黄色な幽霊はネネムをばけものりんごの木の下まで連れて行って、木の根とネネムの足さきをそろえてから、市まで六ノット六チェーンだという。不思議なことをするものだ。もう一つ不思議なのは、ノットは船の速度の単位だが、距離の単位としても使うのだろうか。
それからネネムは市の刑事の尋問にあったり、失踪した息子の行方を探している母親に息子と間違えられたりしながら、無事にばけもの世界の首府の市に着く。ここでネネムは当代一の化学者フゥフィーボー先生の教室に紛れ込む。フゥフィーボー先生は「せの高さ百尺あまり」のばけもので、何だかよくわからない講義の終わりにテーブルの上に飛びあがって、「げにも、かの天にありて濛々たる星雲、地にありてはあいまいたるばけもの律、これはこれ宇宙を支配す。」と大見えを切る、と書かれている。あきらかにドイツの哲学者イマヌエル・カントのパロディである。動く哲学大全みたいなカントの道徳律を空飛ぶばけもの博士に語らせているのだ。
ネネムはめでたくフィフィーボー先生の試験に一等で合格して「世界裁判長」という職に抜擢される。書記よりはるかに偉そうな地位につくことができたのである。ネネムに尋問した刑事は、ネネムが森の中でばけものパンばかり喰ったので書記になりたがっていると指摘したのだが、「ばけものパン」と書記に関係があるのだろうか。やわらかいパンばかり食べていると、過酷な肉体労働などいやになるということなのだろうか。
世界裁判長になったネネムは、人間界に出現したばけものの裁判をした後、中生代の瑪瑙木(これはいきものかしらん)の「世界長」に挨拶に出向く。そしてその後まちに出る。ネネムが町で出会ったのは「フクジロ印」という商標のマッチを売り歩くばけものの一行だった。一行はフクジロという皺くちゃで年寄のような子供のような怖いおばけに一つ一銭のマッチを十円で売らせているのだった。
ネネムがフクジロを捕まえると、フクジロはいくらマッチを売ってもお金はみんな親方に巻き上げられてしまい、ご飯もろくにたべさせてもらえないという。そこでフクジロにマッチを渡している親方を捕まえると、その親方もやっと喰うだけしか貰えず、後ろにいるばけものにみんな取られるという。ネネムは一行三十人あまりを全員捕まえて調べ上げる。
調べてわかったことは列の一番おしまいの緑色のハイカラなばけものを除いて、前に並ぶばけものはみなその前のばけものに借金があり、それぞれ日歩を払っているということだった。緑色のばけものは百二十年前にその前に並ぶまっ赤なハイカラなばけものに九円貸して、今は元金が五千円になっているという。まっ赤なばけものは、元金は手付かずで、日歩三十円をばけものは、緑色のばけものに払っている。同様にばけものたちは前のものにお金を貸して、利息を受け取り、また利息を払っていて、最後のものは三百年以上も前に借りたお金の利息千三百三十円三十銭を払っているというのだ。これはまさしく金融資本主義の原型ではないか。
千三百三十円三十銭という金額がどのくらいのものか見当もつかないのだが、マッチの値段がふつうは一銭というので、その十三万三千三十倍、ということは千万円くらいだろうか。もう少し少ないかもしれないが、それにしても一日に入る現金としては大変な額である。ばけもの一行がやっていることは、フクジロというばけものにただ働きをさせて、一銭のマッチを十円で売り、一日何もしないで暮らすことだった。
もちろん、脅して無理やり買わせるのだから悪いことである。悪いことだが、マッチを買う方は、脅されたとはいえ、自由意志で買うのだから、これは商取引といえないこともない。だいたいものの値段が需要と供給の均衡で決まるなど神話以外なにものでもないだろう。脅されるか、おだてられるか、ともかく買う側に価格決定権などない。一銭のマッチが十円で売れれば、GDPは膨らむのである。
世界裁判長たるネネムはこの事実を見逃すわけにはいかない。みんな悪いがみんなを罪にするのはかわいそうだと言って、ネネムは一行を解散させてしまう。あわれなフクジロは張り子の虎をつくる工場に送られ、ほかのばけものはちりぢりに逃げてしまった。見物人は「えらい裁判長だ。」と喝さいするのだが、膨らんでいたGDPはしぼんでしまう。それだけでなく借金がなくなると、元金も永遠にもどらなくなり、毎日入っていた利息も消えてしまうのである。これでよかったのだろうか。もちろんこれは、私の疑問であって、賢治にこの問題意識があったかどうかわからないのだが。
この後ネネムは名声いやがうえにも高まり、幼いころさらわれていった妹とも再会し、これ以上を望むことができないほどの暮らしをする。だが、自己実現の極みともいうべき境地に達したネネムは、火山の爆発に興奮狂喜して、人間界に出現してしまう。そして、その罪によりいっさいを失うのである。賢治の自己消失への願望、それは自己昇華あるいは自己犠牲と呼ばれたりするものだが、そのことについては『グスコーブドリの伝記』との対照で考えてみたい。文章にまとめるのにはもう少し時間がほしいと思っている。
『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』と『グスコーブドリの伝記』は発端も結末もよくにているのですが、作品のベクトルは正反対のような気がします。Gay Twentyといわれた1920年代から大不況の30年代への時代の変遷がそのことと何ほどの関係があるのかについても考えてみたいのですが、これも課題としてずっとかかえていくしかないようです。この作品のおもしろさを伝えることができなくて残念です。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
だが、作品として完成し、どこかとりすました感のある『グスコーブドリの伝記』とくらべると、『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』は粗削りだが、とにかくおもしろいのである。主人公のネネムが、偶然に、奇術の一座の中に人さらいに連れ去られた妹のネリを見つける場面など、手に汗握る面白さである。豪華絢爛、奇想天外な奇術(魔術?)の舞台、それを固唾を飲んでみつめる観客の緊張と興奮、賢治の天才的な想像力がほとばしり、躍動感あふれる描写に圧倒される。
そしてもうひとつ、私が関心を惹かれたのは、この作品が「ばけもの社会の経済学」とでもいうような論理を呈示していることである。いやそれは人間社会の経済学かもしれないが。
一人ぼっちになったネネムは、住んでいた家ごと森を買い占めた男に昆布取りの仕事をさせられる。栗の木にはしごを掛けててっぺんまで登り、空中に網を投げて昆布を捕るのである。? こんなことで昆布が取れるのかと不思議だが、男は一日一ドルの手間をくれるという。だが、男がネネムに差し入れるパンの値段が一ドルで、一日十斤以上昆布を取ったらあとは十セントで買ってくれるというのだ。一日十斤に足りないときはネネムの損で、借金が残る。じつにあこぎなシステムだが、人間社会でも同じように、いやもっとひどいことに、最初から借金を背負って働かなければならない人たちが多かったのだろう。
ネネムは栗の木のてっぺんに立ちっ放しで十年で借金を返し、貯めた三百ドルをふところに、栗の木から降りてばけもの世界のまちに向かって歩き出したのである。三百ドルは賢治の時代にいかほどの価値があったのか。かなりの大金だったのではないか。そしてネネムは、そのお金で森の出口の雑貨屋でまっ黒な上着とズボンを買って身をかため、学問をして書記になろうと考えたのである。「もう投げるようなたぐるようなことは考えただけでも命が縮まる。」じっさい、肉体労働者が確実に命を縮めて働くのは賢治の時代の日本だけではない。
立派な姿になったネネムは嬉しくて一気に三十ノットばかり走り、出会った黄色な幽霊にまちまでの距離をたずねる。すると黄色な幽霊はネネムをばけものりんごの木の下まで連れて行って、木の根とネネムの足さきをそろえてから、市まで六ノット六チェーンだという。不思議なことをするものだ。もう一つ不思議なのは、ノットは船の速度の単位だが、距離の単位としても使うのだろうか。
それからネネムは市の刑事の尋問にあったり、失踪した息子の行方を探している母親に息子と間違えられたりしながら、無事にばけもの世界の首府の市に着く。ここでネネムは当代一の化学者フゥフィーボー先生の教室に紛れ込む。フゥフィーボー先生は「せの高さ百尺あまり」のばけもので、何だかよくわからない講義の終わりにテーブルの上に飛びあがって、「げにも、かの天にありて濛々たる星雲、地にありてはあいまいたるばけもの律、これはこれ宇宙を支配す。」と大見えを切る、と書かれている。あきらかにドイツの哲学者イマヌエル・カントのパロディである。動く哲学大全みたいなカントの道徳律を空飛ぶばけもの博士に語らせているのだ。
ネネムはめでたくフィフィーボー先生の試験に一等で合格して「世界裁判長」という職に抜擢される。書記よりはるかに偉そうな地位につくことができたのである。ネネムに尋問した刑事は、ネネムが森の中でばけものパンばかり喰ったので書記になりたがっていると指摘したのだが、「ばけものパン」と書記に関係があるのだろうか。やわらかいパンばかり食べていると、過酷な肉体労働などいやになるということなのだろうか。
世界裁判長になったネネムは、人間界に出現したばけものの裁判をした後、中生代の瑪瑙木(これはいきものかしらん)の「世界長」に挨拶に出向く。そしてその後まちに出る。ネネムが町で出会ったのは「フクジロ印」という商標のマッチを売り歩くばけものの一行だった。一行はフクジロという皺くちゃで年寄のような子供のような怖いおばけに一つ一銭のマッチを十円で売らせているのだった。
ネネムがフクジロを捕まえると、フクジロはいくらマッチを売ってもお金はみんな親方に巻き上げられてしまい、ご飯もろくにたべさせてもらえないという。そこでフクジロにマッチを渡している親方を捕まえると、その親方もやっと喰うだけしか貰えず、後ろにいるばけものにみんな取られるという。ネネムは一行三十人あまりを全員捕まえて調べ上げる。
調べてわかったことは列の一番おしまいの緑色のハイカラなばけものを除いて、前に並ぶばけものはみなその前のばけものに借金があり、それぞれ日歩を払っているということだった。緑色のばけものは百二十年前にその前に並ぶまっ赤なハイカラなばけものに九円貸して、今は元金が五千円になっているという。まっ赤なばけものは、元金は手付かずで、日歩三十円をばけものは、緑色のばけものに払っている。同様にばけものたちは前のものにお金を貸して、利息を受け取り、また利息を払っていて、最後のものは三百年以上も前に借りたお金の利息千三百三十円三十銭を払っているというのだ。これはまさしく金融資本主義の原型ではないか。
千三百三十円三十銭という金額がどのくらいのものか見当もつかないのだが、マッチの値段がふつうは一銭というので、その十三万三千三十倍、ということは千万円くらいだろうか。もう少し少ないかもしれないが、それにしても一日に入る現金としては大変な額である。ばけもの一行がやっていることは、フクジロというばけものにただ働きをさせて、一銭のマッチを十円で売り、一日何もしないで暮らすことだった。
もちろん、脅して無理やり買わせるのだから悪いことである。悪いことだが、マッチを買う方は、脅されたとはいえ、自由意志で買うのだから、これは商取引といえないこともない。だいたいものの値段が需要と供給の均衡で決まるなど神話以外なにものでもないだろう。脅されるか、おだてられるか、ともかく買う側に価格決定権などない。一銭のマッチが十円で売れれば、GDPは膨らむのである。
世界裁判長たるネネムはこの事実を見逃すわけにはいかない。みんな悪いがみんなを罪にするのはかわいそうだと言って、ネネムは一行を解散させてしまう。あわれなフクジロは張り子の虎をつくる工場に送られ、ほかのばけものはちりぢりに逃げてしまった。見物人は「えらい裁判長だ。」と喝さいするのだが、膨らんでいたGDPはしぼんでしまう。それだけでなく借金がなくなると、元金も永遠にもどらなくなり、毎日入っていた利息も消えてしまうのである。これでよかったのだろうか。もちろんこれは、私の疑問であって、賢治にこの問題意識があったかどうかわからないのだが。
この後ネネムは名声いやがうえにも高まり、幼いころさらわれていった妹とも再会し、これ以上を望むことができないほどの暮らしをする。だが、自己実現の極みともいうべき境地に達したネネムは、火山の爆発に興奮狂喜して、人間界に出現してしまう。そして、その罪によりいっさいを失うのである。賢治の自己消失への願望、それは自己昇華あるいは自己犠牲と呼ばれたりするものだが、そのことについては『グスコーブドリの伝記』との対照で考えてみたい。文章にまとめるのにはもう少し時間がほしいと思っている。
『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』と『グスコーブドリの伝記』は発端も結末もよくにているのですが、作品のベクトルは正反対のような気がします。Gay Twentyといわれた1920年代から大不況の30年代への時代の変遷がそのことと何ほどの関係があるのかについても考えてみたいのですが、これも課題としてずっとかかえていくしかないようです。この作品のおもしろさを伝えることができなくて残念です。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
2019年7月15日月曜日
宮沢賢治『どんぐりと山猫』__かねた一郎と黄金いろの草地
『どんぐりと山猫』は、私にとって謎に満ちた作品である。いつまで経っても解決の糸口さえ見いだせなくて、ここしばらく作品の周りを行ったり来たりしている。
不思議なお話はこう始まる。
おかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。
かねた一郎さま 九月十九日
あなたは、ごきげんよろしほで、けっこです。
あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。とびどぐもたないでくなさ
い。
山猫拝
ほんとうに「おかしな」はがきである。宛名と日付はきちんと書かれているが、住所は書かれていないようで、「めんどなさいばん」はどこでするのかわからない。「とびどぐもたないでくなさい。」とあるのも少し物騒である。
一郎という少年はうちじゅうとんだりはねたりするほどうれしくなって、翌朝目をさますと、食事もそこそこに出かける。その道中がまた不思議である。何の案内もなく、一郎は谷川に沿ったみちを上流にむかってのぼって行く。道すがら、やまねこの行方をくりの木、滝、きのこ、りすにたずねながら進んでいくのだが、その問答がまた奇妙なのだ。
まず、くりの木にやまねこの行方をたずねると、やまねこは馬車でひがしの方に飛んで行ったという。すると一郎は「東ならぼくのいく方だねぇ、おかしいな、とにかくもっといってみよう」という。「ぼくのいく方」だと何故「おかしい」のか。
次に、笛ふきの滝と呼ばれる滝に同じことを訊く。滝は、やまねこが西の方へ馬車で飛んで行ったと答える。それにたいして一郎は、「おかしいな。西ならぼくのうちの方だ。けれども、まあも少し行ってみよう」という。滝はくりの木と反対の方角を示したのだが、一郎はくりの木の指した方に「おかしいな」といいながら進むのである。
さらに進んで、ぶなの木のしたで「変な楽隊」をやっている白いきのこと、くるみの木の梢を飛んでいるりすに訊くと、いずれも朝早く南の方へ飛んで行ったという。一郎は「みなみへ行ったなんて、二とこでそんなことを言うのはおかしいなぁ。」といいながら、さらに、谷川に沿った道を行く。
ところで、少し脇道にそれるようだが、「おかしい」と表記されている日本語が旧かな遣いでは「をかしい」だったことに触れておきたい。「をかしい」と「おかしい」では松竹新喜劇と吉本くらいの、あるいはそれ以上の差があるのではないだろうか。「おかしい」という表現が、たんに現象の表面的な不可解さをいうのに対して、「をかしい」は「をかし」という語源を意識せざるを得ず、現象の背後にひそむ闇の部分に踏み込んだ深さと重さを感じるのだ。
さて、一郎は道が尽きると、谷川の南についたあたらしいみちを進んで行く。白いきのことりすが言った通りの方角に行くことになったのである。両側から榧の木の枝が重なりあって真っ黒な中、急坂を上ると、いきなり目が眩むほどの明るさになる。
そこはうつくしい黄金いろの草地で、草は風にざわざわ鳴り、まわりは立派なオリーブいろの榧の木のもりでかこまれてありました。
「かねた(金田?)」一郎は「黄金いろの」草地に招待されたのである。黄金いろの草地とは何を意味するのか。
ここで突如として不思議な人物(?)が登場する。それは「せいの低いおかしな形の男」で「ひざを曲げて手に革鞭を持って」草地のまん中に立っている。「片目で、見えない方の目は、白くびくびくうごき、上着のような半纏のようなへんなものを着て」「足がひどくまがって山羊のよう」「足先ときたら、ごはんをもるへらのかたちだった」まさに異形としかに言いようのない存在だが、これは人間だろうか。
男は、自分がやまねこの馬車別当だと名告り、一郎にはがきを出したのは自分であるという。文字や文章の稚拙さを恥じる男を一郎が気遣って会話していると、風が吹いて、山猫が現れる。山猫の描写は「黄色な陣羽織のようなものを着て、緑いろの目をまん丸にして立っていました。」と、馬車別当のそれよりずっと簡単である。だが、山猫の権力は絶大で、馬車別当の目の前でたばこをくゆらせると、たばこがほしくてたまらない馬車別当は、なみだをこぼしながら、気をつけの姿勢でがまんしている、と書かれている。
その権力者の山猫が、一昨日からめんどうなあらそいが起こって、裁判にこまっているという。一昨日とははがきの日付にある九月十九日だろうか。すると、はがきが届くのに一日かかったとして、物語の今は九月二一日ということになるのだが、この具体的な日にちに何か意味があるのだろうか。
めんどうなあらそいとは、どんぐりの背比べならぬどんぐりの偉さ比べだった。「その数ときたら三百でもきかないような」赤いズボンをはいた黄金のどんぐりが、それぞれに自分がいちばんえらいと騒いでいるのである。いわく「頭がとがっているのがいちばんえらい」「いや、まるいのがえらい」「大きいのがえらい。わたしがいちばん大きい。」「いや、わたしのほうが大きい。」「せいの高いのだ」「押しっこのえらいのだ」・・・
もう三日続いているという騒ぎをしずめたのは一郎の簡潔直截な助言だった。一郎は「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい」と言いわたしたらいい、と裁判長の山猫にいったのである。「ぼくお説教できいたんです。」とも。
山猫はそれを聞いて「このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」と、どんぐりに申しわたす。どんぐりは一瞬でしずかになって、みんな緊まってしまう。何の解決にもならないような判決だが、山猫は騒ぎをしずめることが目的だったようで、一郎に名誉判事になってほしいと頼む。
さて、ここで一郎が提起する価値の転倒について、どう考えるべきか。作者賢治がこの作品について「必ず比較をされなければならないいまの学童たちの内奥からの反響です。」と解説している。私にとっては、賢治のこの解説もまた謎である。この作品の最も深い、根本的な謎といってもいいかもしれない。
「いちばんえらくないのが、えらい」という価値判断は、じつは判断の放棄である。「いちばんえらくないのが、えらい」なら、その「えら」くなった「いちばんえらくない」のは「えら」くなったことで、再び「えら」くなくなるのだ。何故なら「いちばんえらくないのがえらい」というシステムは、いつまでも循環するからである。
一郎が助言して山猫が申しわたした判決は、どんぐりたちの、あるいはどんぐりに寓意された学童たちの「内奥」からの個性の主張をばっさりと切り捨て、空疎な抽象論に帰納してしまっている。一郎自身が「ぼくお説教できいたんです。」という「えらくないものがえらい」論は、法華経の常不軽菩薩の精神と結びつけられて解説されることが多いようだが、それは違うのではないか。常不軽菩薩の話は、修行者の実践のありかたとして、他者に向かう姿勢を説いたのであって、異なる個性をもつ一人一人の叫びを封じ込めるためにもちだすべきではないだろう。
だが、ともかくどんぐりたちはしずかになって、一郎は山猫からお礼をもらうことになる。塩鮭のあたまと金いろのどんぐり一升のどちらがいいかと問われて、一郎は黄金のどんぐりを選ぶ。これも不思議なことである。一郎にとって、あるいは山猫にとって、黄金のどんぐりとは何の意味をもつのだろう。山猫は金いろのどんぐりの数が足りないなら「めっきのどんぐりもまぜてこい」と馬車別当に命じる。山猫にとって、どんぐりはますごとさしだすことのできる「もの」だったのか。また、一郎はますでもらった黄金のどんぐりをどうするつもりだったのだろう。
お礼にもらった黄金のどんぐりは、一郎が家に帰り着くと、ただの茶いろのどんぐりに変わっていた。送ってくれた山猫も馬車別当も乗っていたきのこの馬車も消えていたという結末は童話のお約束だが、茶いろのどんぐりは残っていたので、一郎は実際にどう処分したのだろう。
「かねた」一郎がうつくしい黄金いろの草地で、黄金のどんぐりの裁判に立ち会って、黄金のどんぐりをもらって帰る、という「黄金づくし」の話は何を寓意するのだろう。東だ、西だ、南だ、(なぜか北は出てこない)と、道中方角にこだわるのは何故だろう。あらすじを追ってきてもわからないことばかりである。
どんぐりの裁判を終えて、山猫が次に一郎を呼び出すときは「用事これありに付、明日出頭すべし」と書いていいか、とたずねたのも奇妙である。「出頭」は被告人が召喚されるときに使う表現である。名誉判事になってほしいと頼む相手にたいして使う言葉だろうか。
最後に、物語の主人公「かねた一郎」のついて考えてみたい。冒頭「おかしな」はがきを見た瞬間に「うれしくてうれしくてたまりませんでした。はがきをそっと学校のかばんにしまって、うちじゅうとんだりはねたりしました。」とあるので、学校に通っている年齢であることは確かだが、いったい何歳くらいの少年なのだろうか。馬車別当にたいする気遣いといい、山猫への大人びた助言といい、「学童」と呼ばれる年齢ではないと思われる。はがきを見て、即座に欣喜雀躍して、翌日起こることへの期待に胸はずませるのは何故だろう。ふつうは、そんなはがきを受け取ったら、いぶかしさが先に立つと思うのだが。
「かねた一郎」は山猫の「にゃあとした顔」を知っているようなので、山猫と面識があり、その支配する世界についても何らかの知識があったのだろうか。「かねた一郎」はなぜ黄金の草地に招聘されたのか。そもそも、この作品の主人公が「かねた」と苗字がつけられているのはどんな意味があるのか。賢治のほかの作品では、登場人物のほとんどが名前だけである。「グスコーブドリ」「レオーノ・キュースト」など例外はあるが、それらはいずれも外国人(らしい)である。「かねた」という苗字は、一郎の家族のなんらかの属性を示唆しているのだろうか。
書き続けていくと、謎の解明どころか、いつもの妄想癖がでそうなので、未整理な乱文はここまでにします。『どんぐりと山猫』を含む『注文の多い料理店』はそれぞれ不思議な作品ばかりなので、いままで取り上げなかったものももう一度読み直してみる必要がありそうです。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
不思議なお話はこう始まる。
おかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。
かねた一郎さま 九月十九日
あなたは、ごきげんよろしほで、けっこです。
あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。とびどぐもたないでくなさ
い。
山猫拝
ほんとうに「おかしな」はがきである。宛名と日付はきちんと書かれているが、住所は書かれていないようで、「めんどなさいばん」はどこでするのかわからない。「とびどぐもたないでくなさい。」とあるのも少し物騒である。
一郎という少年はうちじゅうとんだりはねたりするほどうれしくなって、翌朝目をさますと、食事もそこそこに出かける。その道中がまた不思議である。何の案内もなく、一郎は谷川に沿ったみちを上流にむかってのぼって行く。道すがら、やまねこの行方をくりの木、滝、きのこ、りすにたずねながら進んでいくのだが、その問答がまた奇妙なのだ。
まず、くりの木にやまねこの行方をたずねると、やまねこは馬車でひがしの方に飛んで行ったという。すると一郎は「東ならぼくのいく方だねぇ、おかしいな、とにかくもっといってみよう」という。「ぼくのいく方」だと何故「おかしい」のか。
次に、笛ふきの滝と呼ばれる滝に同じことを訊く。滝は、やまねこが西の方へ馬車で飛んで行ったと答える。それにたいして一郎は、「おかしいな。西ならぼくのうちの方だ。けれども、まあも少し行ってみよう」という。滝はくりの木と反対の方角を示したのだが、一郎はくりの木の指した方に「おかしいな」といいながら進むのである。
さらに進んで、ぶなの木のしたで「変な楽隊」をやっている白いきのこと、くるみの木の梢を飛んでいるりすに訊くと、いずれも朝早く南の方へ飛んで行ったという。一郎は「みなみへ行ったなんて、二とこでそんなことを言うのはおかしいなぁ。」といいながら、さらに、谷川に沿った道を行く。
ところで、少し脇道にそれるようだが、「おかしい」と表記されている日本語が旧かな遣いでは「をかしい」だったことに触れておきたい。「をかしい」と「おかしい」では松竹新喜劇と吉本くらいの、あるいはそれ以上の差があるのではないだろうか。「おかしい」という表現が、たんに現象の表面的な不可解さをいうのに対して、「をかしい」は「をかし」という語源を意識せざるを得ず、現象の背後にひそむ闇の部分に踏み込んだ深さと重さを感じるのだ。
さて、一郎は道が尽きると、谷川の南についたあたらしいみちを進んで行く。白いきのことりすが言った通りの方角に行くことになったのである。両側から榧の木の枝が重なりあって真っ黒な中、急坂を上ると、いきなり目が眩むほどの明るさになる。
そこはうつくしい黄金いろの草地で、草は風にざわざわ鳴り、まわりは立派なオリーブいろの榧の木のもりでかこまれてありました。
「かねた(金田?)」一郎は「黄金いろの」草地に招待されたのである。黄金いろの草地とは何を意味するのか。
ここで突如として不思議な人物(?)が登場する。それは「せいの低いおかしな形の男」で「ひざを曲げて手に革鞭を持って」草地のまん中に立っている。「片目で、見えない方の目は、白くびくびくうごき、上着のような半纏のようなへんなものを着て」「足がひどくまがって山羊のよう」「足先ときたら、ごはんをもるへらのかたちだった」まさに異形としかに言いようのない存在だが、これは人間だろうか。
男は、自分がやまねこの馬車別当だと名告り、一郎にはがきを出したのは自分であるという。文字や文章の稚拙さを恥じる男を一郎が気遣って会話していると、風が吹いて、山猫が現れる。山猫の描写は「黄色な陣羽織のようなものを着て、緑いろの目をまん丸にして立っていました。」と、馬車別当のそれよりずっと簡単である。だが、山猫の権力は絶大で、馬車別当の目の前でたばこをくゆらせると、たばこがほしくてたまらない馬車別当は、なみだをこぼしながら、気をつけの姿勢でがまんしている、と書かれている。
その権力者の山猫が、一昨日からめんどうなあらそいが起こって、裁判にこまっているという。一昨日とははがきの日付にある九月十九日だろうか。すると、はがきが届くのに一日かかったとして、物語の今は九月二一日ということになるのだが、この具体的な日にちに何か意味があるのだろうか。
めんどうなあらそいとは、どんぐりの背比べならぬどんぐりの偉さ比べだった。「その数ときたら三百でもきかないような」赤いズボンをはいた黄金のどんぐりが、それぞれに自分がいちばんえらいと騒いでいるのである。いわく「頭がとがっているのがいちばんえらい」「いや、まるいのがえらい」「大きいのがえらい。わたしがいちばん大きい。」「いや、わたしのほうが大きい。」「せいの高いのだ」「押しっこのえらいのだ」・・・
もう三日続いているという騒ぎをしずめたのは一郎の簡潔直截な助言だった。一郎は「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい」と言いわたしたらいい、と裁判長の山猫にいったのである。「ぼくお説教できいたんです。」とも。
山猫はそれを聞いて「このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」と、どんぐりに申しわたす。どんぐりは一瞬でしずかになって、みんな緊まってしまう。何の解決にもならないような判決だが、山猫は騒ぎをしずめることが目的だったようで、一郎に名誉判事になってほしいと頼む。
さて、ここで一郎が提起する価値の転倒について、どう考えるべきか。作者賢治がこの作品について「必ず比較をされなければならないいまの学童たちの内奥からの反響です。」と解説している。私にとっては、賢治のこの解説もまた謎である。この作品の最も深い、根本的な謎といってもいいかもしれない。
「いちばんえらくないのが、えらい」という価値判断は、じつは判断の放棄である。「いちばんえらくないのが、えらい」なら、その「えら」くなった「いちばんえらくない」のは「えら」くなったことで、再び「えら」くなくなるのだ。何故なら「いちばんえらくないのがえらい」というシステムは、いつまでも循環するからである。
一郎が助言して山猫が申しわたした判決は、どんぐりたちの、あるいはどんぐりに寓意された学童たちの「内奥」からの個性の主張をばっさりと切り捨て、空疎な抽象論に帰納してしまっている。一郎自身が「ぼくお説教できいたんです。」という「えらくないものがえらい」論は、法華経の常不軽菩薩の精神と結びつけられて解説されることが多いようだが、それは違うのではないか。常不軽菩薩の話は、修行者の実践のありかたとして、他者に向かう姿勢を説いたのであって、異なる個性をもつ一人一人の叫びを封じ込めるためにもちだすべきではないだろう。
だが、ともかくどんぐりたちはしずかになって、一郎は山猫からお礼をもらうことになる。塩鮭のあたまと金いろのどんぐり一升のどちらがいいかと問われて、一郎は黄金のどんぐりを選ぶ。これも不思議なことである。一郎にとって、あるいは山猫にとって、黄金のどんぐりとは何の意味をもつのだろう。山猫は金いろのどんぐりの数が足りないなら「めっきのどんぐりもまぜてこい」と馬車別当に命じる。山猫にとって、どんぐりはますごとさしだすことのできる「もの」だったのか。また、一郎はますでもらった黄金のどんぐりをどうするつもりだったのだろう。
お礼にもらった黄金のどんぐりは、一郎が家に帰り着くと、ただの茶いろのどんぐりに変わっていた。送ってくれた山猫も馬車別当も乗っていたきのこの馬車も消えていたという結末は童話のお約束だが、茶いろのどんぐりは残っていたので、一郎は実際にどう処分したのだろう。
「かねた」一郎がうつくしい黄金いろの草地で、黄金のどんぐりの裁判に立ち会って、黄金のどんぐりをもらって帰る、という「黄金づくし」の話は何を寓意するのだろう。東だ、西だ、南だ、(なぜか北は出てこない)と、道中方角にこだわるのは何故だろう。あらすじを追ってきてもわからないことばかりである。
どんぐりの裁判を終えて、山猫が次に一郎を呼び出すときは「用事これありに付、明日出頭すべし」と書いていいか、とたずねたのも奇妙である。「出頭」は被告人が召喚されるときに使う表現である。名誉判事になってほしいと頼む相手にたいして使う言葉だろうか。
最後に、物語の主人公「かねた一郎」のついて考えてみたい。冒頭「おかしな」はがきを見た瞬間に「うれしくてうれしくてたまりませんでした。はがきをそっと学校のかばんにしまって、うちじゅうとんだりはねたりしました。」とあるので、学校に通っている年齢であることは確かだが、いったい何歳くらいの少年なのだろうか。馬車別当にたいする気遣いといい、山猫への大人びた助言といい、「学童」と呼ばれる年齢ではないと思われる。はがきを見て、即座に欣喜雀躍して、翌日起こることへの期待に胸はずませるのは何故だろう。ふつうは、そんなはがきを受け取ったら、いぶかしさが先に立つと思うのだが。
「かねた一郎」は山猫の「にゃあとした顔」を知っているようなので、山猫と面識があり、その支配する世界についても何らかの知識があったのだろうか。「かねた一郎」はなぜ黄金の草地に招聘されたのか。そもそも、この作品の主人公が「かねた」と苗字がつけられているのはどんな意味があるのか。賢治のほかの作品では、登場人物のほとんどが名前だけである。「グスコーブドリ」「レオーノ・キュースト」など例外はあるが、それらはいずれも外国人(らしい)である。「かねた」という苗字は、一郎の家族のなんらかの属性を示唆しているのだろうか。
書き続けていくと、謎の解明どころか、いつもの妄想癖がでそうなので、未整理な乱文はここまでにします。『どんぐりと山猫』を含む『注文の多い料理店』はそれぞれ不思議な作品ばかりなので、いままで取り上げなかったものももう一度読み直してみる必要がありそうです。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
2019年6月28日金曜日
宮沢賢治『山男の四月』__「山男」とは誰か
標題の作品は賢治が生前に出版した『注文の多い料理店』の巻頭を飾る短編である。最初『山男の四月』というタイトルで出版を考えていたともいわれる。短編だが含蓄の深い作品であり、賢治の作品の中でも重要な意味をもつと思われるのだが、論考の対象となることが少ないのが不思議である。まったくないわけではないようだが。
山男は金色の目を皿のようにし、せなかをかがめて、西根山のひのき林のなかをうさぎをねらってあるいていました。
という書き出しではじまるのだが、「山男」は人間なのか、それともけものなのだろうか。「金色の目」をしているので、少なくともふつうの日本人ではない。
うさぎはとれないで山鳥がとれ、それで山男はうれしくなって「顔を真っ赤にし、大きな口をぐにゃぐにゃまげてよろこんで」とあるので、よほどおなかがすいていたのだろう。ところが不思議なことに山男はせっかく捕まえた山鳥をその場ですぐ食べるのではなく、「ぐったり首をたれた山鳥をぶらぶら振りまわしながら」森から出て、「ばさばさの赤い髪毛を指でかきまわしながら」日あたりのいい南向きのかれ芝に寝ころんで「碧いあおい空」をながめているうちに、夢の世界に誘いこまれる。これは、「金色の目」と「赤い髪毛」の異形の男の「風流夢譚」なのである。
山男は自分が「七つ森」の中にいる夢を見る。「七つ森」は、いうまでもなく、賢治の処女詩集『春と修羅』の巻頭を飾る「屈折率」という詩に
七つ森のこっちのひとつが
水の中よりもっと明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでこぼこ凍ったみちをふみ
向こうの縮れた亜鉛の雲へ
陰気な郵便脚夫のやうに
(またアラツデイン 洋燈(ランプ)とり)
急がなければならないのか
とうたわれる実在の森である。
山男は(そしてここまで来てみると、おれはまもなく町へ行く。町へはいって行くとすれば、化けないとなぐり殺される。)とひとりごとを言いながら、木こりのかたちに化ける。何故、七つ森の中に入ると必然的に町に入ることになるのか、そしてそのままの姿ではなぐり殺されるのか、理由はわからない。夢の中で山男がそう思ったのでそうなったのである。
山男が町に入って行くと「入口にはいつもの魚屋があって」とあるので、山男は(夢の中で?)何回も町にも出入りしているらしい。魚屋の軒に「赤ぐろいゆで章魚が五つ」吊るしてあるのに見入って、そのまがった足のりっぱさや、海底をはう姿を思い浮かべて感動し指をくわえて立っていると、通りかかった行商のシナ人に話しかけられる。
「あなた、シナ反物よろしいか。六神丸たいさんやすい」
これ以降くりひろげられるシナ人と山男のやりとり、とくにシナ人の言葉は抱腹絶倒のおもしろさである。「シナ人」という呼称、彼が使う助詞を省いた独特の日本語は、今日の読者(の一部)には「差別的表現」などとには眉をひそめる向きもあるかもしれないが。
ところでシナ人が商品として売っている(後でわかるのだが、シナ人の「製造直売」である)六神丸とは、京都の呉服商亀田利三郎が清国で病気になった時これを服用してたいへん効き目があったので持ちかえったのが始めという。麝香、牛黄、熊胆、人参、真珠、センソの六種の生薬が原料である。「六神丸」の名称のいわれはその他にもあるようだが、これに二種の生薬を加えたものが現在の「救心」で、心臓の薬である。効能書きに「この薬を用いているときは他の薬は服用しないこと」と書かれているので、大変強い作用を持つもののようである。
山男はシナ人のとかげのような「ぐちゃぐちゃした赤い目」や「ずいぶん細い指」や「あんまりとがっている爪」を警戒するのだが、シナ人は香具師の口上よろしく
「あなた、この薬飲むよろしい。毒ない。決して毒ない。飲むよろしい。わたしさき飲む。心配ない。わたしビール飲む、お茶飲む、毒飲まない。これながいきの薬ある。飲むよろしい。」
と言って、飲んでみせる。気がつけばなぜかそこは町の中ではなく、ひろい野原の真ん中で、シナ人と山男の二人だけになっていた。執拗にせまるシナ人に根負けして、飲んだら逃げ出すつもりで山男は薬を飲む。すると山男はちぢまって、六神丸になってしまったのである。
山男はくやしがり、シナ人は文字通り欣喜雀躍する。六神丸になってしまった山男は、シナ人に行李の中に押し込められ、やがて行李の上から風呂敷をかけられて、真っ暗闇のなかでひとり言を言っていると、横から話しかけられる。行李の中には、山男と同じように、シナ人に六神丸にされてしまった仲間が何人もいたのである。
ここからの山男の心理の変化は微妙である。横の六神丸(にされてしまった人間)と話していて、シナ人に「声あまり高い。しずかにするよろしい。」といわれた山男は腹を立てて、町にはいったら大声でシナ人を罵ってやるという。これを聞いて、シナ人はしばらくしんとしている。山男はシナ人が泣いているのだと思い、いままで見てきたシナ人たちの様子と重ね合わせて想像し、かわいそうになってしまう。
「それ、あまり同情ない。わたし商売たたない。わたしおまんまたべない。わたし往生する。それ、あまり同情ない。」
山男は、シナ人のこのことばを聞くと「おれのからだなどは、シナ人が六十銭もうけて宿屋に行って、鰯の頭や菜っ葉汁をたべるかわりにくれてやろう」と気の毒になる。山男は、町にはいったら声をださないとシナ人に言う。シナ人は安堵し喜ぶ。
ところが、町へ行く道中、山男は横の六神丸にされた人間から聞いて、シナ人は名前を陳といい、行李のなかには陳に六神丸にされてしまった孔子聖人の末裔がたくさんいることを知る。陳が悪者だと知った山男は、六神丸になってしまった人間をもとの形に戻してやろうと考える。骨まで六神丸になっていない山男は丸薬さえ飲めばもとへ戻る。陳が水薬を飲んでも六神丸にならないのは、一緒に丸薬を呑むからだという。山男がもとへ戻ったら、ほかの六神丸を水につけてもめば、その人たちも人間に戻るといわれる。横の六神丸からそう聞いた山男は行李から出て人間に戻る機会をうかがう。
やがて外で陳が「シナたものよろしいか」と商売を始める声がする。にわかに蓋が開いたので、山男が外を見ると、おかっぱの子供がいる。いる。陳はいつもの口説で子供に薬を飲ませようとしてとしている。そのとき山男は丸薬を呑む。いきなりもとの立派な赤髪のからだになった山男を見て、陳はびっくりして、丸薬と一緒に飲む水薬はこぼしてしまい、丸薬だけ飲んでしまう。すると陳は頭がめらぁっと延び、二倍の大きさになって山男につかみかかる。山男は一生けん命逃げようとするが、足がから走りして逃げられない。「助けてくれ、わあ」という自分の叫び声で山男は夢からさめる。
夢からさめた山男は、投げ出された山鳥の羽をみたり、しばらく夢の世界の出来事を考えていたりしたが、「夢の中のこった。陳も六神丸もどうにでもなれ。」とあくびをして放念する。
以上が大まかなあらすじだが、不思議な夢物語である。人間が六神丸になったり戻ったりすることが不思議なのではない。奇想天外な話だが、夢なのだからそんな話があってもおかしくはない。不思議なのは山男という存在である。うさぎを狙ったり、山鳥をつかまえて喜ぶというのは野生だからだろう。一方、人間のことばを話し、六神丸になった人間とことばをかわすのだから、立派に社会性のある人間である。
童話の世界だから、人間以外の生物が人間とことばをかわすことがあっても不思議ではないかもしれない。山男が不思議なのは、その性格の曖昧さである。シナ人に声をかけられると、さして必要とも思われないのに反物を買うといってしまう。とかげのようなシナ人を警戒しながらも、その場しのぎで薬を飲んでしまう。およそ主体性というものが感じられないのである。
騙されて六神丸にされてしまったことをくやしがりながら、シナ人がご飯がたべられないと泣いていると思って、自分はシナ人の犠牲になろうとする。安易な同情心にひたるのだ。ところが、シナ人が自分以外にもたくさんの人間を六神丸に変えている悪者だと知ると、正義心に駆りたてられる。仲間の六神丸をもとの姿にもどしてやろう、と義侠心を発揮するのだ。そして、おかっぱの子供がシナ人の毒牙にかかろうとしているときに、もとの姿に戻るのだが、シナ人が倍の大きさになると怖くて逃げだそうとする。
最後は、すべては夢の中のこと、として山男は(そして作者も)韜晦してしまう。いったい賢治は、山男の何が描きたくてこの作品を書いたのか。仮説はあるのだが、まだもう少し確かめたいものが私の中にある。それは、そもそも、宮沢賢治の作品をどう読むか、というより、どう読まれなければならないか、という問題提起につながるもののように思う。
体力的に思うようではなくて、なかなか集中力が保てません。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
山男は金色の目を皿のようにし、せなかをかがめて、西根山のひのき林のなかをうさぎをねらってあるいていました。
という書き出しではじまるのだが、「山男」は人間なのか、それともけものなのだろうか。「金色の目」をしているので、少なくともふつうの日本人ではない。
うさぎはとれないで山鳥がとれ、それで山男はうれしくなって「顔を真っ赤にし、大きな口をぐにゃぐにゃまげてよろこんで」とあるので、よほどおなかがすいていたのだろう。ところが不思議なことに山男はせっかく捕まえた山鳥をその場ですぐ食べるのではなく、「ぐったり首をたれた山鳥をぶらぶら振りまわしながら」森から出て、「ばさばさの赤い髪毛を指でかきまわしながら」日あたりのいい南向きのかれ芝に寝ころんで「碧いあおい空」をながめているうちに、夢の世界に誘いこまれる。これは、「金色の目」と「赤い髪毛」の異形の男の「風流夢譚」なのである。
山男は自分が「七つ森」の中にいる夢を見る。「七つ森」は、いうまでもなく、賢治の処女詩集『春と修羅』の巻頭を飾る「屈折率」という詩に
七つ森のこっちのひとつが
水の中よりもっと明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでこぼこ凍ったみちをふみ
向こうの縮れた亜鉛の雲へ
陰気な郵便脚夫のやうに
(またアラツデイン 洋燈(ランプ)とり)
急がなければならないのか
とうたわれる実在の森である。
山男は(そしてここまで来てみると、おれはまもなく町へ行く。町へはいって行くとすれば、化けないとなぐり殺される。)とひとりごとを言いながら、木こりのかたちに化ける。何故、七つ森の中に入ると必然的に町に入ることになるのか、そしてそのままの姿ではなぐり殺されるのか、理由はわからない。夢の中で山男がそう思ったのでそうなったのである。
山男が町に入って行くと「入口にはいつもの魚屋があって」とあるので、山男は(夢の中で?)何回も町にも出入りしているらしい。魚屋の軒に「赤ぐろいゆで章魚が五つ」吊るしてあるのに見入って、そのまがった足のりっぱさや、海底をはう姿を思い浮かべて感動し指をくわえて立っていると、通りかかった行商のシナ人に話しかけられる。
「あなた、シナ反物よろしいか。六神丸たいさんやすい」
これ以降くりひろげられるシナ人と山男のやりとり、とくにシナ人の言葉は抱腹絶倒のおもしろさである。「シナ人」という呼称、彼が使う助詞を省いた独特の日本語は、今日の読者(の一部)には「差別的表現」などとには眉をひそめる向きもあるかもしれないが。
ところでシナ人が商品として売っている(後でわかるのだが、シナ人の「製造直売」である)六神丸とは、京都の呉服商亀田利三郎が清国で病気になった時これを服用してたいへん効き目があったので持ちかえったのが始めという。麝香、牛黄、熊胆、人参、真珠、センソの六種の生薬が原料である。「六神丸」の名称のいわれはその他にもあるようだが、これに二種の生薬を加えたものが現在の「救心」で、心臓の薬である。効能書きに「この薬を用いているときは他の薬は服用しないこと」と書かれているので、大変強い作用を持つもののようである。
山男はシナ人のとかげのような「ぐちゃぐちゃした赤い目」や「ずいぶん細い指」や「あんまりとがっている爪」を警戒するのだが、シナ人は香具師の口上よろしく
「あなた、この薬飲むよろしい。毒ない。決して毒ない。飲むよろしい。わたしさき飲む。心配ない。わたしビール飲む、お茶飲む、毒飲まない。これながいきの薬ある。飲むよろしい。」
と言って、飲んでみせる。気がつけばなぜかそこは町の中ではなく、ひろい野原の真ん中で、シナ人と山男の二人だけになっていた。執拗にせまるシナ人に根負けして、飲んだら逃げ出すつもりで山男は薬を飲む。すると山男はちぢまって、六神丸になってしまったのである。
山男はくやしがり、シナ人は文字通り欣喜雀躍する。六神丸になってしまった山男は、シナ人に行李の中に押し込められ、やがて行李の上から風呂敷をかけられて、真っ暗闇のなかでひとり言を言っていると、横から話しかけられる。行李の中には、山男と同じように、シナ人に六神丸にされてしまった仲間が何人もいたのである。
ここからの山男の心理の変化は微妙である。横の六神丸(にされてしまった人間)と話していて、シナ人に「声あまり高い。しずかにするよろしい。」といわれた山男は腹を立てて、町にはいったら大声でシナ人を罵ってやるという。これを聞いて、シナ人はしばらくしんとしている。山男はシナ人が泣いているのだと思い、いままで見てきたシナ人たちの様子と重ね合わせて想像し、かわいそうになってしまう。
「それ、あまり同情ない。わたし商売たたない。わたしおまんまたべない。わたし往生する。それ、あまり同情ない。」
山男は、シナ人のこのことばを聞くと「おれのからだなどは、シナ人が六十銭もうけて宿屋に行って、鰯の頭や菜っ葉汁をたべるかわりにくれてやろう」と気の毒になる。山男は、町にはいったら声をださないとシナ人に言う。シナ人は安堵し喜ぶ。
ところが、町へ行く道中、山男は横の六神丸にされた人間から聞いて、シナ人は名前を陳といい、行李のなかには陳に六神丸にされてしまった孔子聖人の末裔がたくさんいることを知る。陳が悪者だと知った山男は、六神丸になってしまった人間をもとの形に戻してやろうと考える。骨まで六神丸になっていない山男は丸薬さえ飲めばもとへ戻る。陳が水薬を飲んでも六神丸にならないのは、一緒に丸薬を呑むからだという。山男がもとへ戻ったら、ほかの六神丸を水につけてもめば、その人たちも人間に戻るといわれる。横の六神丸からそう聞いた山男は行李から出て人間に戻る機会をうかがう。
やがて外で陳が「シナたものよろしいか」と商売を始める声がする。にわかに蓋が開いたので、山男が外を見ると、おかっぱの子供がいる。いる。陳はいつもの口説で子供に薬を飲ませようとしてとしている。そのとき山男は丸薬を呑む。いきなりもとの立派な赤髪のからだになった山男を見て、陳はびっくりして、丸薬と一緒に飲む水薬はこぼしてしまい、丸薬だけ飲んでしまう。すると陳は頭がめらぁっと延び、二倍の大きさになって山男につかみかかる。山男は一生けん命逃げようとするが、足がから走りして逃げられない。「助けてくれ、わあ」という自分の叫び声で山男は夢からさめる。
夢からさめた山男は、投げ出された山鳥の羽をみたり、しばらく夢の世界の出来事を考えていたりしたが、「夢の中のこった。陳も六神丸もどうにでもなれ。」とあくびをして放念する。
以上が大まかなあらすじだが、不思議な夢物語である。人間が六神丸になったり戻ったりすることが不思議なのではない。奇想天外な話だが、夢なのだからそんな話があってもおかしくはない。不思議なのは山男という存在である。うさぎを狙ったり、山鳥をつかまえて喜ぶというのは野生だからだろう。一方、人間のことばを話し、六神丸になった人間とことばをかわすのだから、立派に社会性のある人間である。
童話の世界だから、人間以外の生物が人間とことばをかわすことがあっても不思議ではないかもしれない。山男が不思議なのは、その性格の曖昧さである。シナ人に声をかけられると、さして必要とも思われないのに反物を買うといってしまう。とかげのようなシナ人を警戒しながらも、その場しのぎで薬を飲んでしまう。およそ主体性というものが感じられないのである。
騙されて六神丸にされてしまったことをくやしがりながら、シナ人がご飯がたべられないと泣いていると思って、自分はシナ人の犠牲になろうとする。安易な同情心にひたるのだ。ところが、シナ人が自分以外にもたくさんの人間を六神丸に変えている悪者だと知ると、正義心に駆りたてられる。仲間の六神丸をもとの姿にもどしてやろう、と義侠心を発揮するのだ。そして、おかっぱの子供がシナ人の毒牙にかかろうとしているときに、もとの姿に戻るのだが、シナ人が倍の大きさになると怖くて逃げだそうとする。
最後は、すべては夢の中のこと、として山男は(そして作者も)韜晦してしまう。いったい賢治は、山男の何が描きたくてこの作品を書いたのか。仮説はあるのだが、まだもう少し確かめたいものが私の中にある。それは、そもそも、宮沢賢治の作品をどう読むか、というより、どう読まれなければならないか、という問題提起につながるもののように思う。
体力的に思うようではなくて、なかなか集中力が保てません。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
2019年5月12日日曜日
宮沢賢治『ポラーノの広場』__山猫博士とレオーノキューストの社会学的考察
『ポラーノの広場』の中で、一番魅力的かつ重要な人物は、じつは山猫博士と呼ばれるデストゥパーゴではないだろうか。『ポラーノの広場』で連日酒宴を催し、本気とも酔狂ともつかぬ決闘騒ぎを起こした後、忽然と姿をくらましてしまう。山猫博士とキューストたちの出会いがなかったら、そして、彼が密造酒をつくっていた工場を遺して姿をくらまさなかったら、ファゼーロやミーロは産業組合を起ち上げることができなかったのだ。
山猫博士とはいったい何か。「山猫を釣って外国に売っている」と羊飼いのミーロはいうが、「山猫を釣る」とはどうやって「釣る」のだろう。魚は釣り針にかかるが、山猫はかからないと思うので、捕獲器で捕まえるのだろうか。また、捕まえた山猫を外国で売っているというが、誰がどのような目的で買うのか。謎に満ちた人物である。
もうひとつ細やかな疑問がわくのが、デストゥパーゴとレオーノキューストの関係である。じつは、物語の始まる前に二人は出会っていたのではないかと思われるのだ。遁げた山羊を連れてきたファゼーロからデストゥパーゴの名を聞いたキューストは「あいつは悪いやつだぜ。」と言っている。実際にポラーノの広場でキューストを見たデストゥパーゴは「どうもわたくしのことを見たことはあるが考え出せないという風」だったと書かれている。博物館の職員のキューストと県会議員のデストゥパーゴはどんな関係だったのだろうか。
ところで『ポラーノの広場』はタイトルの脇に「レオーノキュースト誌」とに書かれている。この作品はレオーノキューストーが「記録」したものである、ということになっている。それを(外国語で書かれているので)宮沢賢治が「訳述」したものである、とも。では、レオーノキューストとはどんな人物なのか。
レオーノキューストの自己紹介は作品の冒頭に述べられている。「前十七等官」で県の博物局で「標本の採集、整理」の仕事をしていた、とある。好きな事だったので、「毎日「ずいぶん愉快にはたらきました」とあるのは賢治の性向と一致するのだろう。だが、「標本の採集、整理」は過去の遺物の記録、展示であることにも注目したい。レオーノキューストは『ポラーノの広場』を、「みんななつかしい青いむかし風の幻燈のように」私たちの前に呈示しているのである。
俸給は「ほんのわずか」だったが、レオーノキューストの生活は自足したものだった。植物園に拵え直す予定の競馬場の跡地に、「小さな蓄音器と二十枚ばかりのレコードをもって」ひとり番小屋に住み、一匹の山羊を飼って毎朝乳をしぼり、パンにひたしてたべる。おそらくこれは賢治が憧れた生活だったのだろう。「靴もきれいにみがき」毎日さっそうと市役所に出勤する。経済的にも自足、自立した生活。富商の父の庇護から自立する生活を模索して一生葛藤したのが賢治の生涯だったと思われるのだが。
一方、山猫博士と呼ばれるデストゥパーゴはどのような人物として描かれているか。彼はポラーノの広場の持ち主であるという。資産家なのである。木材の乾溜工場も経営していて、そこでじつは密造酒を作ってもいる。いかがわしいけれど、経営者である。同時に資本家あるいは投機家でもあって、姿をくらました後住んでいる大都市に土地を持っているらしい。だが、経営の失敗を株主に追及されて失踪せざるを得なかった(あるいは計画的失踪?)ところをみると、絶大な権勢を揮う人物でもないらしい。大酒呑みで粗暴なふるまいをするが、じつは気配りは細やかで機を見るに敏である。
ファゼーロやミーロ、村の老人たちは、デストゥパーゴが放棄(?)した工場を利用して生産し始めた。彼らの産業組合は、デストゥパーゴが投下した資本の上に成り立ったのである。現実にはあり得ない展開は、作者賢治の最後の祈りを作品のなかに具体化したのだろう。
レオーノキューストは「いまこの暗い巨きな石の建物のなかで」「友だちのないにぎやかながらすさんだトキーオ市のはげしい輪転器の音のとなりの室で」ひと夏の夢のような物語を記録する。レオーノキューストのこの姿に、ファゼーロたちとの同伴者、観察者のたたずまいを見る意見が多いが、私はもっと直截に、賢治の自己処罰、自己批判があると考える。ポラーノの広場の酒宴の席で、デストゥパーゴの決闘の相手にファゼーロをさしだして、自分は介添え人として後ろにひいたこと。決闘の後、帰る場所がなくなったファゼーロをそのままにしたこと。レオーノキューストにこのようなふるまいを、敢えてさせて、賢治は自分を罰しようとしたのだと思われてならない。そんな必要があるとは、私だけでなく誰も思わないだろうが。
最後に記される「一通の郵便で受けとった」『ポラーノの広場』の楽譜と歌は、賢治の人生の到達点での希求である。You Tubeで岩手大学の混声コーラスを聞くことができるので興味のある方はそちらをお聞きになることを勧める。特に、ローテンブルクの聖フランシスコ教会で録音されたものが素晴らしい。
まさしきねがいに いさかうとも
銀河のかなたに ともにわらい
なべてのなやみを たきぎともしつ、
はえある世界を ともにつくらん
宮沢賢治の作品は「童話」というくくりで語られることが多い。自然界のすべてが対象で、擬人化されていることから「童話」というジャンルに属するのだろうが、文学、とくにすぐれた文学が時代の状況と切り結ぶものである以上、歴史的あるいは社会学的な考察が必要なのではないか。などと大それたことを考えているのですが、ここ二ヵ月近く五十肩に悩まされていることもあって、いかんせん力不足です。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
ところで『ポラーノの広場』はタイトルの脇に「レオーノキュースト誌」とに書かれている。この作品はレオーノキューストーが「記録」したものである、ということになっている。それを(外国語で書かれているので)宮沢賢治が「訳述」したものである、とも。では、レオーノキューストとはどんな人物なのか。
レオーノキューストの自己紹介は作品の冒頭に述べられている。「前十七等官」で県の博物局で「標本の採集、整理」の仕事をしていた、とある。好きな事だったので、「毎日「ずいぶん愉快にはたらきました」とあるのは賢治の性向と一致するのだろう。だが、「標本の採集、整理」は過去の遺物の記録、展示であることにも注目したい。レオーノキューストは『ポラーノの広場』を、「みんななつかしい青いむかし風の幻燈のように」私たちの前に呈示しているのである。
俸給は「ほんのわずか」だったが、レオーノキューストの生活は自足したものだった。植物園に拵え直す予定の競馬場の跡地に、「小さな蓄音器と二十枚ばかりのレコードをもって」ひとり番小屋に住み、一匹の山羊を飼って毎朝乳をしぼり、パンにひたしてたべる。おそらくこれは賢治が憧れた生活だったのだろう。「靴もきれいにみがき」毎日さっそうと市役所に出勤する。経済的にも自足、自立した生活。富商の父の庇護から自立する生活を模索して一生葛藤したのが賢治の生涯だったと思われるのだが。
一方、山猫博士と呼ばれるデストゥパーゴはどのような人物として描かれているか。彼はポラーノの広場の持ち主であるという。資産家なのである。木材の乾溜工場も経営していて、そこでじつは密造酒を作ってもいる。いかがわしいけれど、経営者である。同時に資本家あるいは投機家でもあって、姿をくらました後住んでいる大都市に土地を持っているらしい。だが、経営の失敗を株主に追及されて失踪せざるを得なかった(あるいは計画的失踪?)ところをみると、絶大な権勢を揮う人物でもないらしい。大酒呑みで粗暴なふるまいをするが、じつは気配りは細やかで機を見るに敏である。
ファゼーロやミーロ、村の老人たちは、デストゥパーゴが放棄(?)した工場を利用して生産し始めた。彼らの産業組合は、デストゥパーゴが投下した資本の上に成り立ったのである。現実にはあり得ない展開は、作者賢治の最後の祈りを作品のなかに具体化したのだろう。
レオーノキューストは「いまこの暗い巨きな石の建物のなかで」「友だちのないにぎやかながらすさんだトキーオ市のはげしい輪転器の音のとなりの室で」ひと夏の夢のような物語を記録する。レオーノキューストのこの姿に、ファゼーロたちとの同伴者、観察者のたたずまいを見る意見が多いが、私はもっと直截に、賢治の自己処罰、自己批判があると考える。ポラーノの広場の酒宴の席で、デストゥパーゴの決闘の相手にファゼーロをさしだして、自分は介添え人として後ろにひいたこと。決闘の後、帰る場所がなくなったファゼーロをそのままにしたこと。レオーノキューストにこのようなふるまいを、敢えてさせて、賢治は自分を罰しようとしたのだと思われてならない。そんな必要があるとは、私だけでなく誰も思わないだろうが。
最後に記される「一通の郵便で受けとった」『ポラーノの広場』の楽譜と歌は、賢治の人生の到達点での希求である。You Tubeで岩手大学の混声コーラスを聞くことができるので興味のある方はそちらをお聞きになることを勧める。特に、ローテンブルクの聖フランシスコ教会で録音されたものが素晴らしい。
まさしきねがいに いさかうとも
銀河のかなたに ともにわらい
なべてのなやみを たきぎともしつ、
はえある世界を ともにつくらん
宮沢賢治の作品は「童話」というくくりで語られることが多い。自然界のすべてが対象で、擬人化されていることから「童話」というジャンルに属するのだろうが、文学、とくにすぐれた文学が時代の状況と切り結ぶものである以上、歴史的あるいは社会学的な考察が必要なのではないか。などと大それたことを考えているのですが、ここ二ヵ月近く五十肩に悩まされていることもあって、いかんせん力不足です。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
2019年4月23日火曜日
宮沢賢治『ポラーノの広場』__つめくさの花と聖パトリックの生涯
その青じろいあかりが「つめくさのあかし」と呼ばれるつめくさの花のモチーフは「『ポラーノの広場』という作品の中で唯一の童話的要素である。「レオーノキュースト誌/宮沢賢治訳述」と冒頭に記される『ポラーノの広場』は、レオーノキューストの自分史ともいうべき小説である。この小説の中で、キューストたち三人を夜のポラーノの広場に導くかのように、野原一面に咲くつめくさの花は、何を寓意するのだろうか。
つめくさの花の一つ一つに番号が記されていて、それを五千までたどればポラーノの広場に行くことができるという。作品中に、「レオーノ(獅子)」「山羊」「山猫」「御者(別当)」と星座の名前が用いられていることから、つめくさの花の番号は、天文学で使われる星の番号すなわちNGCという四桁の数字ではないかという仮説があるそうである。それでは、つめくさは、地に咲く星だろうか。
つめくさの花が地に咲く星であるというイメージは非常に美しい。美しすぎるほどだが、賢治はつめくさの花を「この世を照らすひかり」としてモチーフにしただけなのだろうか。ここでまた、独断と偏見と妄想にかられる私は、つめくさ(正確にはシロツメクサ)とキリスト教のつながりについて考えてみたい。
五世紀アイルランドにキリスト教を布教した聖パトリックという人がいる。四世紀の後半ウェールズのケルト人(ローマ人とも)のクリスチャンの家に生まれたが、十六歳のとき海賊にさらわれ、アイルランドに奴隷として売られる。六年間羊飼いとして働いた後神の召命を聞き、牧場を脱走して、およそ三百キロを歩いてウェールズに戻ったが、神学を学ぶためヨーロッパに渡る。七年間、神学を学んだ後帰国し、家族の反対を押し切って四三二年再びアイルランドを訪れてキリスト教の伝道をする。ドルイド教を信じていたアイルランド人十二万人を改宗させ、三六五の教会をたて、多くの讃美歌を作ったともいわれている。
賢治が聖パトリックの生涯を知っていたという証拠はないのだが、知らなかったという証拠もない。博覧強記の賢治のことだから、知っていた可能性はあると思う。さらわれて奴隷となり、羊飼いをして六年間働き、その後召命を聞き脱走して聖職者の道に進む。その生涯の流れが『ポラーノの広場』のファゼーロ、ミーロのそれと重なってくるように思われる。
もうひとつ、こちらのほうが重要かもしれないが、聖パトリックが伝道のとき、いつも手にしていたのが「シャムロック」という三つ葉のクローバーなのである。聖パトリックがシャムロック_三つ葉のクローバーを手にしていたのは、「父と子と聖霊」の三位一体を説明するため、といわれる。あるいは「信仰、希望、愛」とも。
シャムロック_つめくさはキリスト教の信仰、あるいはキリストそのものの象徴である。賢治がこのことを知っていてつめくさを『ポラーノの広場』の重要なモチーフにした、というのはそんなに無謀な仮説ではないと思う。だが、「ポラーノの広場」とつめくさの花の関係は、実は微妙で複雑なものがある。
キューストたちがポラーノの広場を見つけ出したのは、つめくさの花の番号をたどって行ったからではない。山猫博士の馬車別当に「這いつくばって花の数を数えて行くようなそんなポラーノの広場はねえよ」と嘲われたが、ファゼーロとミーロは広場の物音を頼りに探しあてたのである。
つめくさの花は、キューストたち一行がポラーノの広場に着くまで夜の野原を照らす。広場で開かれていた酒宴の場でも「つめくさの花の咲く晩に」「つめくさの花のかおる夜は」と歌の主題となって歌われる。つめくさの花の咲きほこるときポラーノの広場の宴も最高潮だった。楽隊の音楽と人々のどよめき、いろいろな花の匂いと混ざったお酒の匂い、山猫博士の不思議な酔態・・・雑多な、だが活気にみちた夜の気配が描写され、キューストとファゼーロが家路につくときも、つめくさのあかりは二人を照らしていた。
だが、それから二月余りが経って、姿をくらましていたファゼーロと出張から戻ってきたキューストが再会し、二人が山猫博士が置き去りにした工場に向かう晩には、もうつめくさの花は枯れて葉も縮んでしまっていた。ファゼーロ、ミーロそれにファゼーロの姉のロザーロや村の老人たちも一緒になって、ハムを作ったり、革をなめしたり、後に産業組合となる組織の萌芽がこの工場で芽生えるのだが、このときつめ草の花はその役割を果たしたかのように萎れていく。
「そこへ夜行って歌えば、またそこで風を吸えばもう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢いがよくて面白いようなそういうポラーノの広場をぼくらはみんなでこさえよう。」とファゼーロは言って広場の開場式をするのだが、そこでは「つめくさの花の終わる夜は」「つめくさの花のしぼむ夜は」と、つめくさの花の終焉が歌われるのである。
そして、風がやって来る。キューストのきもののすきまから吹き込む冷たい風。ファゼーロの言葉を途中でかき消す風。開場式でみんなが飲むコップの水を波立たせる風。キューストに別れを告げるファゼーロの言葉やみんなの叫ぶ声もかき消す風。
賢治はつめくさの花に何を象徴させたかったのだろう。『ポラーノの広場』の主人公はレオーノ・キューストでも、ファゼーロでもなくつめ草の花なのではないかと思われてくる。あるいは、晦渋にみちて自己処罰的に描かれたレオーノキューストの分身_純潔で貞節な信仰の象徴としての_がつめ草の花である、とも。
ようやく『ポラーノの広場』とつめ草の花についてのささやかな考察に一区切りがつきました。この後、レオーノキューストについてもう少し書いてみたいと思っていますが、まだ時間がかかりそうです。今日も最後までつきあってくださってありがとうございました。
つめくさの花の一つ一つに番号が記されていて、それを五千までたどればポラーノの広場に行くことができるという。作品中に、「レオーノ(獅子)」「山羊」「山猫」「御者(別当)」と星座の名前が用いられていることから、つめくさの花の番号は、天文学で使われる星の番号すなわちNGCという四桁の数字ではないかという仮説があるそうである。それでは、つめくさは、地に咲く星だろうか。
つめくさの花が地に咲く星であるというイメージは非常に美しい。美しすぎるほどだが、賢治はつめくさの花を「この世を照らすひかり」としてモチーフにしただけなのだろうか。ここでまた、独断と偏見と妄想にかられる私は、つめくさ(正確にはシロツメクサ)とキリスト教のつながりについて考えてみたい。
五世紀アイルランドにキリスト教を布教した聖パトリックという人がいる。四世紀の後半ウェールズのケルト人(ローマ人とも)のクリスチャンの家に生まれたが、十六歳のとき海賊にさらわれ、アイルランドに奴隷として売られる。六年間羊飼いとして働いた後神の召命を聞き、牧場を脱走して、およそ三百キロを歩いてウェールズに戻ったが、神学を学ぶためヨーロッパに渡る。七年間、神学を学んだ後帰国し、家族の反対を押し切って四三二年再びアイルランドを訪れてキリスト教の伝道をする。ドルイド教を信じていたアイルランド人十二万人を改宗させ、三六五の教会をたて、多くの讃美歌を作ったともいわれている。
賢治が聖パトリックの生涯を知っていたという証拠はないのだが、知らなかったという証拠もない。博覧強記の賢治のことだから、知っていた可能性はあると思う。さらわれて奴隷となり、羊飼いをして六年間働き、その後召命を聞き脱走して聖職者の道に進む。その生涯の流れが『ポラーノの広場』のファゼーロ、ミーロのそれと重なってくるように思われる。
もうひとつ、こちらのほうが重要かもしれないが、聖パトリックが伝道のとき、いつも手にしていたのが「シャムロック」という三つ葉のクローバーなのである。聖パトリックがシャムロック_三つ葉のクローバーを手にしていたのは、「父と子と聖霊」の三位一体を説明するため、といわれる。あるいは「信仰、希望、愛」とも。
シャムロック_つめくさはキリスト教の信仰、あるいはキリストそのものの象徴である。賢治がこのことを知っていてつめくさを『ポラーノの広場』の重要なモチーフにした、というのはそんなに無謀な仮説ではないと思う。だが、「ポラーノの広場」とつめくさの花の関係は、実は微妙で複雑なものがある。
キューストたちがポラーノの広場を見つけ出したのは、つめくさの花の番号をたどって行ったからではない。山猫博士の馬車別当に「這いつくばって花の数を数えて行くようなそんなポラーノの広場はねえよ」と嘲われたが、ファゼーロとミーロは広場の物音を頼りに探しあてたのである。
つめくさの花は、キューストたち一行がポラーノの広場に着くまで夜の野原を照らす。広場で開かれていた酒宴の場でも「つめくさの花の咲く晩に」「つめくさの花のかおる夜は」と歌の主題となって歌われる。つめくさの花の咲きほこるときポラーノの広場の宴も最高潮だった。楽隊の音楽と人々のどよめき、いろいろな花の匂いと混ざったお酒の匂い、山猫博士の不思議な酔態・・・雑多な、だが活気にみちた夜の気配が描写され、キューストとファゼーロが家路につくときも、つめくさのあかりは二人を照らしていた。
だが、それから二月余りが経って、姿をくらましていたファゼーロと出張から戻ってきたキューストが再会し、二人が山猫博士が置き去りにした工場に向かう晩には、もうつめくさの花は枯れて葉も縮んでしまっていた。ファゼーロ、ミーロそれにファゼーロの姉のロザーロや村の老人たちも一緒になって、ハムを作ったり、革をなめしたり、後に産業組合となる組織の萌芽がこの工場で芽生えるのだが、このときつめ草の花はその役割を果たしたかのように萎れていく。
「そこへ夜行って歌えば、またそこで風を吸えばもう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢いがよくて面白いようなそういうポラーノの広場をぼくらはみんなでこさえよう。」とファゼーロは言って広場の開場式をするのだが、そこでは「つめくさの花の終わる夜は」「つめくさの花のしぼむ夜は」と、つめくさの花の終焉が歌われるのである。
そして、風がやって来る。キューストのきもののすきまから吹き込む冷たい風。ファゼーロの言葉を途中でかき消す風。開場式でみんなが飲むコップの水を波立たせる風。キューストに別れを告げるファゼーロの言葉やみんなの叫ぶ声もかき消す風。
賢治はつめくさの花に何を象徴させたかったのだろう。『ポラーノの広場』の主人公はレオーノ・キューストでも、ファゼーロでもなくつめ草の花なのではないかと思われてくる。あるいは、晦渋にみちて自己処罰的に描かれたレオーノキューストの分身_純潔で貞節な信仰の象徴としての_がつめ草の花である、とも。
ようやく『ポラーノの広場』とつめ草の花についてのささやかな考察に一区切りがつきました。この後、レオーノキューストについてもう少し書いてみたいと思っていますが、まだ時間がかかりそうです。今日も最後までつきあってくださってありがとうございました。
2019年4月5日金曜日
映画『運び屋』__男と女、そしてデイリリー
閑話休題。『ポラーノの広場』について書けないので、映画鑑賞などして怠けています。
カメラマンをしている愚息に「クリント・イーストウッドがたまらなく素敵でセクシーだから、絶対見に行け」と脅迫されて、『運び屋』という映画を観た。映画に関してはまったくのビギナーなので、この映画について詳しく知りたい方は「運だぜ!アート」というブログをご覧になることをお勧めします。勝手に他人のブログを紹介して、著者の方にはご迷惑かもしれないけれど、この映画だけでなく、ほとんどのクリント・イーストウッドの作品について、ゆきとどいた解説がなされていて素晴らしい文章です。彼の映画が「アメリカ」とどのように切り結んできたのか、その問題意識も的確のように思われます。
と、いうことで、またまた私の言うことなどないようだけれど、たぶん、これは、女だから言えることで、女だから言ってもいいことだと思うので、あえて言ってみたい。クリント・イーストウッドは「老い」を表現して「セクシー」(愚息は肘のしわまでセクシーだと言っていた)だけれど、同年齢の女優が「老い」を表現して「セクシー」といわれることがあるだろうか。最大限想像し得るのは「可愛い」ではないだろうか。ベティ・ディビスとジョーン・クロフォードという有名な女優二人がかつて「何がジェーンに起こったか」という映画で老いを演じたことがあったが、「可愛い」とは程遠い姿だったように思う。一言でいえば「凄惨」である。
いや、あれはアメリカの女優だったからそうなったので、日本の女優たち、たとえば森光子とか山田五十鈴といった名優は十分美しかったではないか、という声が聞こえてきそうである。彼女たちはたしかに魅力的だった。だが、彼女たちが魅力的だったのは、「老い」を表現して魅力的だったのではない。スクリーンや舞台に出ていた最後まで「女」だったからである。「女」を表現して魅力的だったのだ。
男は「老い」と「老い」に伴う孤独に耐えられるけれど、というより男は生まれたときから孤独が運命だろうが、女は「老い」と孤独にたえられないのだ。少なくともひとりでは。
『運び屋』のアールの妻メアリは、家庭をかえりみない夫が許せなかった。孫娘の結婚式でアールから「きれいだよ」といわれても「過去をやり直すつもり?」と受け付けない。娘が生まれたときも、それから様々な節目の行事のどのときにも、アールが傍らにいることはなかった。メアリはひとりで生きてきたのだ。
癌に冒されて死の間際のメアリは、運び屋の任務を放棄して駆けつけたアールに「あなたはいつも外にでていた。外の世界に価値があった。」と言う。その後、彼女は「あなたは私の最愛のひと。そして最大の痛みをあたえるひと」と言って息をひきとる。何という鮮烈な愛の言葉!
そして、メアリを演じる女優のすばらしいこと!ひとりの男を想って、孤独にたえて、死の間際に戻ってきた男を受け入れて、死んでいく。女の悲しみと喜びをこんなにも切なく美しく表現できるとは。
でも、この女優は、いうまでもなく「老い」を表現したのではない。「女」と「愛」を表現したのだ。ひとりの女が人生の最後で満たされた「愛」。
『運び屋』の見どころは前述の「運だぜ!アート」にほぼ網羅されていると思われるが、ひとつだけ私が気になったことがある。映画の最初と最後に出てくるユリの花は、キリスト教ではかなり象徴的な、特別の花である。旧約聖書の「雅歌」2章は
わたしはシャロンのばら、野のゆり。
おとめたちの中にいるわたしの恋人は
茨の中に咲きいでたゆりの花。
と始まる官能的な詩だが、新約聖書「マタイによる福音書」6章28節
野の花がどのように育つのか、注意してみなさい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった。
この「野の花」は(なぜか)ゆりの花とされている。
イエスその人を象徴したものがゆりの花であるという説もある。
アールが最初におんぼろトラックで麻薬を運びながら「イエスは困った人を救いに来たんだ・・・」という歌を鼻歌交じりで歌っていたシーンもなぜか印象深い。アールは麻薬を運んだお金で困った人たちをみんな助けた。気前よく。自分のためにはいくらも使わないで。
映画のモデルとなった老人が花栽培の農園を経営していたそうだが、主人公のアールがユリの花、とくに一日だけ咲くというデイリリーを愛してやまなかったという設定になったのは、実話に基づいているだけでなく、何か深い隠された意味があるのではないか。それもメアリに「あなたは芽がでるときだけ(そばにいる)」といわれるような愛し方で愛するということに。もっとも最後には、刑務所の花畑でいつもつききりで世話をして終わるのかもしれないけれど。
エンディングに流れる Don't let the old man be in という歌の題名が「老いを迎え入れるな」と訳されていたのが感銘深かった。そして複雑な気持ちになった。私のブログのプロフィールにある通り、私がいままで見た数少ない映画の中で、一番好きな映画は『俺たちに明日はない』である。この映画は1967年アメリカで公開され、日本では1968年に公開された。アメリカ30年代の大恐慌時代の実話をもとにした作品である。同じように、実際の犯罪をもとにした『運び屋』が2018年に公開された。50年余を経て、アメリカも日本も、もちろん私も、変わった。年老いた。
林檎をかじった後、体中蜂の巣のように銃弾を浴びて死ぬボニーとクライドの最後は、世界にたいして強烈に「ノー」を突きつけた。時代は1968年にピークを迎える学生運動の全盛期だった。そしていま、二十一世紀となって、優しくあたたかく「老いを迎え入れるな」と励まされる。励まされてようやく生きていく老後はもうすぐそこかもしれない。でも、私が望むものは励ましではない。私を含めた全世界に「ノー」という若者だ。いや、若者だけではない。何より私が「ノー」といわなければならない。
Don't let the old man be in
直訳は「老人を中に置き去りにするな」だろう。
とりとめもない駄文を最後まで読んでくださってありがとうございます。mule_騾馬という題名になった言葉についても考えているのですが、あまりにくだくだしい駄文を連ねても、映画からうける感銘をそこなうような気がするので、また機会があれば、と思います。
カメラマンをしている愚息に「クリント・イーストウッドがたまらなく素敵でセクシーだから、絶対見に行け」と脅迫されて、『運び屋』という映画を観た。映画に関してはまったくのビギナーなので、この映画について詳しく知りたい方は「運だぜ!アート」というブログをご覧になることをお勧めします。勝手に他人のブログを紹介して、著者の方にはご迷惑かもしれないけれど、この映画だけでなく、ほとんどのクリント・イーストウッドの作品について、ゆきとどいた解説がなされていて素晴らしい文章です。彼の映画が「アメリカ」とどのように切り結んできたのか、その問題意識も的確のように思われます。
と、いうことで、またまた私の言うことなどないようだけれど、たぶん、これは、女だから言えることで、女だから言ってもいいことだと思うので、あえて言ってみたい。クリント・イーストウッドは「老い」を表現して「セクシー」(愚息は肘のしわまでセクシーだと言っていた)だけれど、同年齢の女優が「老い」を表現して「セクシー」といわれることがあるだろうか。最大限想像し得るのは「可愛い」ではないだろうか。ベティ・ディビスとジョーン・クロフォードという有名な女優二人がかつて「何がジェーンに起こったか」という映画で老いを演じたことがあったが、「可愛い」とは程遠い姿だったように思う。一言でいえば「凄惨」である。
いや、あれはアメリカの女優だったからそうなったので、日本の女優たち、たとえば森光子とか山田五十鈴といった名優は十分美しかったではないか、という声が聞こえてきそうである。彼女たちはたしかに魅力的だった。だが、彼女たちが魅力的だったのは、「老い」を表現して魅力的だったのではない。スクリーンや舞台に出ていた最後まで「女」だったからである。「女」を表現して魅力的だったのだ。
男は「老い」と「老い」に伴う孤独に耐えられるけれど、というより男は生まれたときから孤独が運命だろうが、女は「老い」と孤独にたえられないのだ。少なくともひとりでは。
『運び屋』のアールの妻メアリは、家庭をかえりみない夫が許せなかった。孫娘の結婚式でアールから「きれいだよ」といわれても「過去をやり直すつもり?」と受け付けない。娘が生まれたときも、それから様々な節目の行事のどのときにも、アールが傍らにいることはなかった。メアリはひとりで生きてきたのだ。
癌に冒されて死の間際のメアリは、運び屋の任務を放棄して駆けつけたアールに「あなたはいつも外にでていた。外の世界に価値があった。」と言う。その後、彼女は「あなたは私の最愛のひと。そして最大の痛みをあたえるひと」と言って息をひきとる。何という鮮烈な愛の言葉!
そして、メアリを演じる女優のすばらしいこと!ひとりの男を想って、孤独にたえて、死の間際に戻ってきた男を受け入れて、死んでいく。女の悲しみと喜びをこんなにも切なく美しく表現できるとは。
でも、この女優は、いうまでもなく「老い」を表現したのではない。「女」と「愛」を表現したのだ。ひとりの女が人生の最後で満たされた「愛」。
『運び屋』の見どころは前述の「運だぜ!アート」にほぼ網羅されていると思われるが、ひとつだけ私が気になったことがある。映画の最初と最後に出てくるユリの花は、キリスト教ではかなり象徴的な、特別の花である。旧約聖書の「雅歌」2章は
わたしはシャロンのばら、野のゆり。
おとめたちの中にいるわたしの恋人は
茨の中に咲きいでたゆりの花。
と始まる官能的な詩だが、新約聖書「マタイによる福音書」6章28節
野の花がどのように育つのか、注意してみなさい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった。
この「野の花」は(なぜか)ゆりの花とされている。
イエスその人を象徴したものがゆりの花であるという説もある。
アールが最初におんぼろトラックで麻薬を運びながら「イエスは困った人を救いに来たんだ・・・」という歌を鼻歌交じりで歌っていたシーンもなぜか印象深い。アールは麻薬を運んだお金で困った人たちをみんな助けた。気前よく。自分のためにはいくらも使わないで。
映画のモデルとなった老人が花栽培の農園を経営していたそうだが、主人公のアールがユリの花、とくに一日だけ咲くというデイリリーを愛してやまなかったという設定になったのは、実話に基づいているだけでなく、何か深い隠された意味があるのではないか。それもメアリに「あなたは芽がでるときだけ(そばにいる)」といわれるような愛し方で愛するということに。もっとも最後には、刑務所の花畑でいつもつききりで世話をして終わるのかもしれないけれど。
エンディングに流れる Don't let the old man be in という歌の題名が「老いを迎え入れるな」と訳されていたのが感銘深かった。そして複雑な気持ちになった。私のブログのプロフィールにある通り、私がいままで見た数少ない映画の中で、一番好きな映画は『俺たちに明日はない』である。この映画は1967年アメリカで公開され、日本では1968年に公開された。アメリカ30年代の大恐慌時代の実話をもとにした作品である。同じように、実際の犯罪をもとにした『運び屋』が2018年に公開された。50年余を経て、アメリカも日本も、もちろん私も、変わった。年老いた。
林檎をかじった後、体中蜂の巣のように銃弾を浴びて死ぬボニーとクライドの最後は、世界にたいして強烈に「ノー」を突きつけた。時代は1968年にピークを迎える学生運動の全盛期だった。そしていま、二十一世紀となって、優しくあたたかく「老いを迎え入れるな」と励まされる。励まされてようやく生きていく老後はもうすぐそこかもしれない。でも、私が望むものは励ましではない。私を含めた全世界に「ノー」という若者だ。いや、若者だけではない。何より私が「ノー」といわなければならない。
Don't let the old man be in
直訳は「老人を中に置き去りにするな」だろう。
とりとめもない駄文を最後まで読んでくださってありがとうございます。mule_騾馬という題名になった言葉についても考えているのですが、あまりにくだくだしい駄文を連ねても、映画からうける感銘をそこなうような気がするので、また機会があれば、と思います。
2019年3月30日土曜日
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』__ケンタウルス_牛殺し_生の軛
『銀河鉄道の夜』については、多くの分析や論評がなされていて、いま私のような賢治初心者があらたにいうこともないのだが、初心者なりに気が付いたことを少しだけ書いてみたい。
この作品も生前活字になったものではないので、決定稿がないのだが、物語が始まるのは、主人公ジョバンニの町の「ケンタウル祭」の夜である。「ケンタウル祭」とは何か。
「ケンタウル」という言葉はあきらかに「ケンタウルス」という星座名に由来するのだろう。ケンタウルスとは半牛半人の怪獣である。半馬半人や半獅子半人として描かれている絵画もあるようだが、元来は牛の下半身と人間の上半身が合体したものである。ギリシャ語で「タウルス」は「牛」であり、「ケンタウルス」は「牛殺し」の意だそうである。
賢治は巧妙に「ケンタウルス祭」と呼ばずに「ケンタウル祭」としているが、祭りの夜子どもたちは「ケンタウルス、露をふらせ」と叫ぶ。また、物語の最後近く、難破した船と運命をともにして、銀河鉄道に乗り込んできた「タダシ」と呼ばれる男の子も、突然「ケンタウルス、露をふらせ」と叫ぶのだ。「ケンタウル祭」とは何か。主人公ジョバンニは何故ケンタウル祭から疎外されるのか。
ここで、少し脇道にそれるようだが、ジョバンニと、ジョバンニの同伴者カムパネルラについて触れてみたい。ジョバンニという名の由来はあきらかにヨハネである。新約聖書には、ヨハネという名は福音書の作者として、書簡の著者として、また黙示録の作者としてその名が記載されている。だが、この作品のジョバンニ_ヨハネは、福音書の中で、イエスの前に登場して、荒野で悔い改めを説く洗礼者ヨハネだろう。あるいはイエスの弟子となったヨハネかもしれない。イエスその人ではなく。
カムパネルラについては、十六世紀後半から十七世紀前半イタリアルネッサンスの時代に生きた修道士トマソ・カンパネッラに由来するといわれている。この作品中のカンパネルラにトマソ・カンパネッラの実像がどれほど投影されているのか疑問だが、自然哲学者、科学者そして魔術者でもあったトマソ・カンパネッラの事跡は賢治の文学と人生に大きな影響を与えたと思われる。カンパネッラの主著「太陽の都」は賢治の『ポラーノの広場』のモデルともいわれている。
「ケンタウル祭」が何か、ジョバンニは何故「ケンタウル祭」から疎外されているのかを考えることは『銀河鉄道の夜』という作品の最も大きな主題を探ることになると思う。それは、人間が、生きるために食べる、食べるために殺す、ということの絶対的な不条理を考えることである。原罪、という言葉を使うとどうしてもキリスト教の世界を呼び寄せてしまうような気がするので、あえて、不条理といっておきたい。
ジョバンニは病気の母親のために、配達されなかった牛乳をもらいに行く。だが、牛乳はもらえなかった。物語の最後で種明かしのように明らかになるのだが、牛乳屋の主人が目を離した隙に、仔牛が親牛のところに行って、乳を飲んでしまったからである。
仔牛が親牛の乳を飲むのは自然の摂理である。人間がそこに介入して、仔牛を疎外してしまう。仔牛の食べ物を人間が略奪しているのである。病気の母親のために必要だからという理由で略奪が赦されるのか。略奪という言葉もまだ欺瞞で、人間の生、食は他の生物の命の収奪である。
ケンタウルス_牛殺しは神話ではなく、太陽神ミトラスを主神とするミトラ教の秘儀である。牛は古くから家畜として人間の生を養う存在だった。『銀河鉄道の夜』でも、ジョバンニとカムパネレラが「ボス」と呼ばれる牛の祖先の骨を発掘調査している大学士に出会っている。ミトラ教が牛を聖牛として崇め、屠る儀式は、やがてその「血で贖う」というモチーフがキリスト教の救済の教義と結びついていった、という説があるのだが、いまは、この秘儀が生命力の解放と豊穣をもたらすと信じられていたことを確認しておきたい。
生=食=殺というジレンマが賢治の実生活を苦しめたことはよく知られている。どうにかしてこのジレンマから逃れるすべはないか。この世に生きている限り逃れるすべのないジレンマの、ありうべき解決のベクトルとして、賢治が提示してみせたのが、最初に銀河鉄道に乗り込んできた「鳥を捕る人」だったのではないか。
鳥捕りは両手を広げていれば、舞いおりてくる鳥を何の苦もなく捕まえることができ、鳥は鳥捕りの袋のなかで「しばらく青くぺかぺか光ったり消えたりしていましたが、おしまいとうとう、みんなぼんやり白くなって、目をつぶるのでした」という最後を迎える。そしてつかまる鳥よりつかまらない鳥のほうがはるかに多くて、それらは無事天の川に降りると「二、三度明るくなったり暗くなったりしているうちに、もうすっかりまわりと同じいろになってしまうのでした。」と書かれる。
生物が自然の死を迎える直前に捕獲して、そのまま食物とする。しかも「ああせいせいした。どうもからだにちょうど合うほどかせいでいるくらい、いいことはありませんな。」と、必要なだけしか捕獲しない。これがシステムとして成り立てば、生=食=殺の軛から逃れることができる。
ジョバンニは鳥捕りにすすめられて、押し葉になった雁を食べてみる。それはチョコレートよりもおいしいお菓子の味だった。一緒に食べていたカムパネルラも「こいつは雁じゃない。ただのお菓子でしょう」という。二人が食べたのは雁だったのか、それとも「ただのお菓子」だったのか。「ただのお菓子」は雁ではないのか。ここには賢治の巧妙な欺瞞があるような気がするのだが。
「茶いろの少しぼろぼろの外套を着て」「赤髯の背中のかがんだ人」と描写される鳥捕りとは何か。ジョバンニはその人を見て「なにか大へんさびしいような悲しいような気」がする。赤ひげの人も「なにかなつかしそうにわらいながら」ジョバンニやカムパネルラのようすを見ている。鳥捕りの正体は謎に満ちているが、注目すべきは、ジョバンニは最初から鳥捕りを悲哀の目でみつめ、同情をよせていることである。
もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸いになるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙っていられなくなりました。
ジョバンニは、なぜこれほど異様なまでの感情の昂ぶりをあらわにするのか。「この人のほんとうの幸いになるなら」__幸いは「この人」のものであって、けっして「私の」幸いではないことに注意したい。「あなたのほんとうにほしいもの」は何か、ジョバンニが鳥捕りに聞こうとして後ろを振りかえると、鳥捕りの姿は消えていた。「この人のほんとうの幸い」」_絶対利他の到達点をもとめて、ジョバンニの旅は始まる。
ケンタウルスの主題に戻ろう。ケンタウルスという言葉が再び登場するのは、汽車が蠍の火が燃え盛る天の川の野原を過ぎたときである。蠍の火については、賢治がほとんど同じ主題で「よだかの星」という有名な作品を残している。『銀河鉄道の夜』では、難破船から乗り込んできた女の子がカムパネルラと、食物連鎖から逃れようとした蠍の話をする。他者に自分をたべさせ、他者の生を養うことから逃げ回り、最後は井戸で溺れ死にそうになる蠍の祈りが語られる。この次はむなしく命をすてずに、まことのみんなの幸いのために自分のからだを使ってください、という蠍の願いが聞き入れられ、まっ赤なうつくしい火となって天上で燃え続けている、と女の子は語る。
蠍の火から遠ざかるにつれて、町のお祭りのような気配がしてくる。突然、ここで、いままで睡っていたタダシという男の子が「ケンタウルス露を降らせ。」と叫ぶ。この後「ああ、そうだ、今夜ケンタウル祭だねぇ。」「ああ、ここはケンタウルの村だよ。」というやり取りがある。それまで天上を走っていた汽車が、突然日常世界に戻るのも不思議だが、難破船から乗り込んできた男の子が「ケンタウルス露をふらせ」と叫ぶのもわからない。
この後、サウザンクロスで多くの人々が下り、ジョバンニはカムパネルラとどこまでも一緒に行こうと誓いをかわす。だが、そのカムパネルラが「あ、あすこ、石炭袋だよ。そらの孔だよ。」と暗闇を見つける。さらに「ああ、あすこの野原はなんてきれいなんだろう。みんな集まっているねぇ。あすこがほんとうの天上なんだ。あっ、あすこにいるのはぼくのお母さんだよ。」と叫んで消えてしまう。
最初に書いたように、『銀河鉄道の夜』は決定稿がないが、第四次稿とされるものには、カムパネルラが級友のザネリを助けるために溺れ死んだことが示唆されている。カムパネルラが姿を消す前に蠍の火のモチーフが詳しく語られ、夜空に燃えさかるうつくしい火が描写されるのは、カムパネルラの死の意味を伝えるためだろう。
友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
ヨハネによる福音書15-13
カムパネルラの死の意味をいうとき、まずこの聖句が思い浮かぶだろう。それでいい、と思うし、そう考えなければいけない、とも思うのだが、カムパネルラの死は「自己犠牲」という言葉で終わらせてはならない、という誘惑にかられるのだ。それは「自己犠牲」ではなく「犠牲」の死だった。カムパネルラは「ケンタウルス、露をふらせ。」の叫びに答えたのだ、と。
思いつきの走り書きです。複雑で底知れない深さの作品に、ほんのちょっとかぶりついてみて、自分の非力に茫然としています。この作品の隠されたテーマと思われる母と子の関係、後半突如として登場する空の工兵大隊と「星とつるはしを書いた旗」のことなど考えてみたいことはたくさんあるのですが、いったんは『ポラーノの広場』に戻りたいと思います。
今日も不出来な文章に最後までつきあってくださってありがとうございます。
この作品も生前活字になったものではないので、決定稿がないのだが、物語が始まるのは、主人公ジョバンニの町の「ケンタウル祭」の夜である。「ケンタウル祭」とは何か。
「ケンタウル」という言葉はあきらかに「
ここで、少し脇道にそれるようだが、ジョバンニと、ジョバンニの同伴者カムパネルラについて触れてみたい。ジョバンニという名の由来はあきらかにヨハネである。新約聖書には、ヨハネという名は福音書の作者として、書簡の著者として、また黙示録の作者としてその名が記載されている。だが、この作品のジョバンニ_ヨハネは、福音書の中で、イエスの前に登場して、荒野で悔い改めを説く洗礼者ヨハネだろう。あるいはイエスの弟子となったヨハネかもしれない。イエスその人ではなく。
カムパネルラについては、十六世紀後半から十七世紀前半イタリアルネッサンスの時代に生きた修道士トマソ・カンパネッラに由来するといわれている。この作品中のカンパネルラにトマソ・カンパネッラの実像がどれほど投影されているのか疑問だが、自然哲学者、科学者そして魔術者でもあったトマソ・カンパネッラの事跡は賢治の文学と人生に大きな影響を与えたと思われる。カンパネッラの主著「太陽の都」は賢治の『ポラーノの広場』のモデルともいわれている。
「ケンタウル祭」が何か、ジョバンニは何故「ケンタウル祭」から疎外されているのかを考えることは『銀河鉄道の夜』という作品の最も大きな主題を探ることになると思う。それは、人間が、生きるために食べる、食べるために殺す、ということの絶対的な不条理を考えることである。原罪、という言葉を使うとどうしてもキリスト教の世界を呼び寄せてしまうような気がするので、あえて、不条理といっておきたい。
ジョバンニは病気の母親のために、配達されなかった牛乳をもらいに行く。だが、牛乳はもらえなかった。物語の最後で種明かしのように明らかになるのだが、牛乳屋の主人が目を離した隙に、仔牛が親牛のところに行って、乳を飲んでしまったからである。
仔牛が親牛の乳を飲むのは自然の摂理である。人間がそこに介入して、仔牛を疎外してしまう。仔牛の食べ物を人間が略奪しているのである。病気の母親のために必要だからという理由で略奪が赦されるのか。略奪という言葉もまだ欺瞞で、人間の生、食は他の生物の命の収奪である。
ケンタウルス_牛殺しは神話ではなく、太陽神ミトラスを主神とするミトラ教の秘儀である。牛は古くから家畜として人間の生を養う存在だった。『銀河鉄道の夜』でも、ジョバンニとカムパネレラが「ボス」と呼ばれる牛の祖先の骨を発掘調査している大学士に出会っている。ミトラ教が牛を聖牛として崇め、屠る儀式は、やがてその「血で贖う」というモチーフがキリスト教の救済の教義と結びついていった、という説があるのだが、いまは、この秘儀が生命力の解放と豊穣をもたらすと信じられていたことを確認しておきたい。
生=食=殺というジレンマが賢治の実生活を苦しめたことはよく知られている。どうにかしてこのジレンマから逃れるすべはないか。この世に生きている限り逃れるすべのないジレンマの、ありうべき解決のベクトルとして、賢治が提示してみせたのが、最初に銀河鉄道に乗り込んできた「鳥を捕る人」だったのではないか。
鳥捕りは両手を広げていれば、舞いおりてくる鳥を何の苦もなく捕まえることができ、鳥は鳥捕りの袋のなかで「しばらく青くぺかぺか光ったり消えたりしていましたが、おしまいとうとう、みんなぼんやり白くなって、目をつぶるのでした」という最後を迎える。そしてつかまる鳥よりつかまらない鳥のほうがはるかに多くて、それらは無事天の川に降りると「二、三度明るくなったり暗くなったりしているうちに、もうすっかりまわりと同じいろになってしまうのでした。」と書かれる。
生物が自然の死を迎える直前に捕獲して、そのまま食物とする。しかも「ああせいせいした。どうもからだにちょうど合うほどかせいでいるくらい、いいことはありませんな。」と、必要なだけしか捕獲しない。これがシステムとして成り立てば、生=食=殺の軛から逃れることができる。
ジョバンニは鳥捕りにすすめられて、押し葉になった雁を食べてみる。それはチョコレートよりもおいしいお菓子の味だった。一緒に食べていたカムパネルラも「こいつは雁じゃない。ただのお菓子でしょう」という。二人が食べたのは雁だったのか、それとも「ただのお菓子」だったのか。「ただのお菓子」は雁ではないのか。ここには賢治の巧妙な欺瞞があるような気がするのだが。
「茶いろの少しぼろぼろの外套を着て」「赤髯の背中のかがんだ人」と描写される鳥捕りとは何か。ジョバンニはその人を見て「なにか大へんさびしいような悲しいような気」がする。赤ひげの人も「なにかなつかしそうにわらいながら」ジョバンニやカムパネルラのようすを見ている。鳥捕りの正体は謎に満ちているが、注目すべきは、ジョバンニは最初から鳥捕りを悲哀の目でみつめ、同情をよせていることである。
もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸いになるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙っていられなくなりました。
ジョバンニは、なぜこれほど異様なまでの感情の昂ぶりをあらわにするのか。「この人のほんとうの幸いになるなら」__幸いは「この人」のものであって、けっして「私の」幸いではないことに注意したい。「あなたのほんとうにほしいもの」は何か、ジョバンニが鳥捕りに聞こうとして後ろを振りかえると、鳥捕りの姿は消えていた。「この人のほんとうの幸い」」_絶対利他の到達点をもとめて、ジョバンニの旅は始まる。
ケンタウルスの主題に戻ろう。ケンタウルスという言葉が再び登場するのは、汽車が蠍の火が燃え盛る天の川の野原を過ぎたときである。蠍の火については、賢治がほとんど同じ主題で「よだかの星」という有名な作品を残している。『銀河鉄道の夜』では、難破船から乗り込んできた女の子がカムパネルラと、食物連鎖から逃れようとした蠍の話をする。他者に自分をたべさせ、他者の生を養うことから逃げ回り、最後は井戸で溺れ死にそうになる蠍の祈りが語られる。この次はむなしく命をすてずに、まことのみんなの幸いのために自分のからだを使ってください、という蠍の願いが聞き入れられ、まっ赤なうつくしい火となって天上で燃え続けている、と女の子は語る。
蠍の火から遠ざかるにつれて、町のお祭りのような気配がしてくる。突然、ここで、いままで睡っていたタダシという男の子が「ケンタウルス露を降らせ。」と叫ぶ。この後「ああ、そうだ、今夜ケンタウル祭だねぇ。」「ああ、ここはケンタウルの村だよ。」というやり取りがある。それまで天上を走っていた汽車が、突然日常世界に戻るのも不思議だが、難破船から乗り込んできた男の子が「ケンタウルス露をふらせ」と叫ぶのもわからない。
この後、サウザンクロスで多くの人々が下り、ジョバンニはカムパネルラとどこまでも一緒に行こうと誓いをかわす。だが、そのカムパネルラが「あ、あすこ、石炭袋だよ。そらの孔だよ。」と暗闇を見つける。さらに「ああ、あすこの野原はなんてきれいなんだろう。みんな集まっているねぇ。あすこがほんとうの天上なんだ。あっ、あすこにいるのはぼくのお母さんだよ。」と叫んで消えてしまう。
最初に書いたように、『銀河鉄道の夜』は決定稿がないが、第四次稿とされるものには、カムパネルラが級友のザネリを助けるために溺れ死んだことが示唆されている。カムパネルラが姿を消す前に蠍の火のモチーフが詳しく語られ、夜空に燃えさかるうつくしい火が描写されるのは、カムパネルラの死の意味を伝えるためだろう。
友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
ヨハネによる福音書15-13
カムパネルラの死の意味をいうとき、まずこの聖句が思い浮かぶだろう。それでいい、と思うし、そう考えなければいけない、とも思うのだが、カムパネルラの死は「自己犠牲」という言葉で終わらせてはならない、という誘惑にかられるのだ。それは「自己犠牲」ではなく「犠牲」の死だった。カムパネルラは「ケンタウルス、露をふらせ。」の叫びに答えたのだ、と。
思いつきの走り書きです。複雑で底知れない深さの作品に、ほんのちょっとかぶりついてみて、自分の非力に茫然としています。この作品の隠されたテーマと思われる母と子の関係、後半突如として登場する空の工兵大隊と「星とつるはしを書いた旗」のことなど考えてみたいことはたくさんあるのですが、いったんは『ポラーノの広場』に戻りたいと思います。
今日も不出来な文章に最後までつきあってくださってありがとうございます。
2019年3月20日水曜日
宮沢賢治『ポラーノの広場』その2__和解と祈り__宮沢賢治のキリスト教
この作品は、おそらく作者の最晩年に現存のかたちにまとめ上げられたものと思われる。これは、作者の実生活での葛藤、相克を経て、最後に至り着いたしずかな「祈り」であり、現実との「和解」である。そしてその「祈り」は、作者が熱心な信徒だったという法華経の世界よりもキリスト教のそれに近いように思われる。近いということは必ずしも一致しているということではないのだが。
宮沢賢治とキリスト教については『銀河鉄道の夜』が取り上げられることが多い。讃美歌が流れ、光が散りばめられた十字架と「神々しい白いきものの人」が登場するこの作品はキリスト教のイメージが色濃く漂っている。作中主人公のジョバンハニが「たったひとりのほんとうの神さま」について、難破した船に乗っていた女の子やその家庭教師の青年と議論する。天上に行くために次ぎの駅で下りるという女の子にジョバンニは言う。
「天上なんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなきゃぁいけないって僕の先生が言ったよ。」
「だっておっかさんも行ってらっしゃるし、それに神さまがおっしゃるんだわ。」
「そんな神さまうその神さまだい。」
「あなたの神さまうその神さまよ。」
「そうじゃないよ。」
「あなたの神さまってどんな神さまですか。」
青年は笑いながら言いました。
「ぼくほんとうはよく知りません。けれどもそんなんでなしに、ほんとうのたった一人の神さまです。
「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です。」
「ああ、そんなんでなしに、たったひとりのほんとうの神さまです。」
「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなたがたがいまにほんとうの神さまの前に、わたくしたちとお会いになることを祈ります」
青年はつつましく両手を組みました。
この部分は『銀河鉄道の夜』の核心だろう。救命ボートに乗り込まずに、難破した船と運命をともにし、いま天上に向かう女の子と青年が信じる「神さま」と、ジョバンニの「たったひとりのほんとうの神さま」は違う神さまなのか。
女の子と青年にとって、神さまは、最初から彼らの中にある。神さまの存在は自明の理なのだ。むしろ「始めに神ありき」といったほうがいいかもしれない。それに対してジョバンニの神さまは「ぼくほんとうはよく知りません。けれどそんなんでなしに、ほんとうのたった一人の神さまです。」という神さまなのである。それは「天上よりももっといいとこをこさえる」実践の旅の過程で「よく知らない。けれど」、きっと出会う神さまだろう。
光り輝く十字架とその前にひざまずく女の子や青年たち、手をのばしてこっちに来る「ひとりの神々しい白いきものの人」を後にのこして汽車は過ぎて行く。ジョバンニの旅はサザンクロスで終わるわけにはいかなかったのだ。終末はもう近いのだが。
さて、『ポラーノの広場』は主人公の前十七等官等官レオーノキューストが遁げた山羊を探す場面からはじまる。山羊が何の寓意であるかはひとまず置いて、レオーノキューストが、「教会の鐘」の音で目を覚ましたということ、山羊を探しに外に出たら「黒い着物に白いきれをかぶった百姓のおかみさんたち」に出会い、おかみさんたちが「教会へ行くところらしくバイブルも持っていた」という記述に注目したい。ここは明らかに、共同体の中心に教会がある場所なのだ。それにしても、「黒い着物に白いきれをかぶった」女たちの登場は異様である。
遁げた山羊を連れて来てレオーノキューストに渡してくれたのは、ファゼーロという農夫の少年だった。レオーノキューストとファゼーロ、それから羊飼いのミーロという若者の三人は、つめ草の花を頼りに、歌と祭りがあるという伝説のポラーノの広場を探し始める。
この作品の「つめくさ」は「小さな円いぼんぼりのような白いつめくさくさ」とあるので「白つめくさ」__クローバーのことらしい。いまはもう、ほとんど見かけなくなってしまったが、昔の農村はれんげの薄紅とクローバーの白で田起こし前の田んぼが覆われていた。夢のように美しい光景だった。蛇がいることがあったが、草むらの中で春の長い日が暮れるまでよく遊んでいた。だが、れんげもクローバーも観賞用ではなく、重要な土壌改良剤だった。とくにクローバーは、酸性土壌の改良剤としてアメリカから輸入したもので、賢治が「つめくさ」に托す思いは深かったのだろう。物語のいたるところで、つめ草は「あかしをともす」という象徴的な表現とともに姿をあらわす。
探しあてたポラーノの広場では山猫博士の酒宴が開かれていた。ポラーノの広場は山猫博士のもので、県会議員である山猫博士は、そこで次の選挙のための酒宴を開いていたという。酒盛りの場で水をくれというレオーノキューストたちと、酔った山猫博士の間で諍いが起こり、ファゼーロと山猫博士は決闘することになる。本気なのか酔狂なのかよくわからない決闘は、山猫博士が一方的に降参して終わるが、勝ったファゼーロは親方の制裁を怖れる。テーモという親方は山猫博士の手下で、酒盛りに参加していたからである。
この後、山猫博士とファゼーロは二人とも失踪してしまう。ちょっと不思議なのは、ここまでの出来事の時系列が混乱していることである。遁げた山羊を追ってレオーノキューストとファゼーロが出会った日が「五月の終わりの日曜日」で、それから十五日後にポラーノの広場」でファゼーロと山猫博士が決闘し、その「次の次の日」にキューストが警察から呼び出される。ところが警部はキューストに「おまえは(五月)二十七日の晩ファゼーロと連れだって村の園遊会にちん入したなあ」と言っており、キューストもそのことばを否定していないのだ。そして警察からの召喚状の日付は「一九二七年六月廿九日」となっている。
キューストは必至にファゼーロを探すがどうしても見つからない。八月になって、キューストは「イーハトーヴォ海岸で海産鳥類の卵を採集」するために出張する。彼はモリーオ市の博物局の職員なのである。出張も終わりに近づいた時に、キューストは偶然に山猫博士を見つけ、ファゼーロの行方を尋ねるが、山猫博士も知らないという。彼は林の中に木材の乾溜会社を立てたが、薬品価格の変動で経営が行き詰まり、工場を密造酒の醸造に使っていた。そのことで部下に脅迫され、広場に株主が集まっていた。ファゼーロと決闘したあの晩はやけっぱちになっていたのだという。いまは零落して収入の道もない、という山猫博士に同情してキューストは彼のもとを去る。
九月一日、出張から帰ってきたレオーノキューストの家にファゼーロが姿を現す。ファゼーロはあの晩どうしても家に入ることができなくて、ずっと離れたところまで歩いて行って座り込んでいたら、革の仲買人が車に乗せてたべものをくれた。それからファゼーロは革をなめしたり着色したりする技術を身につけてセンダードへ行った。八月十日にモリーオに帰ってきたファゼーロは、山猫博士が残した工場で村の人と共同で酢酸をつくっていたという。
キューストとファゼーロはポラーノの広場のちょっと向こうにあるという工場に行く。そこでファゼーロやミーロは村の老人たちと酢酸をつくったり、革をなめしたり、ハムをこしらえるだけでなく、ここにむかしのほんとうのポラーノの広場、「そこへ夜行って歌えば、またそこで風を吸えばもう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢いがよくて面白いようなそういうポラーノの広場をぼくらはみんなでこさえよう。」と決意する。
ファゼーロが音頭をとって、「水を呑んで」新しいポラーノの広場の開場式が行われる。
『ポラーノの広場』の物語はほぼここで終わっている。それから三年後、キューストは仕事の都合でモリーオ市を離れたが、ファゼーロたちの工場は立派な産業組合となり、みんなでつくったハムと皮類と酢酸とオートミールがひろく出回るようになった。最後はレオーノキューストが郵便で受けとった「ポラーノの広場の歌」が記され、作品も閉じられる。
作品のあらすじを追うだけで、キリスト教とのかかわりについてはふれることがほとんどできなかったが、長くなるので、それについてはまた回を改めたい。キューストたちを導いて、読者ともにポラーノの広場にいざなうつめくさの花のモチーフを中心に書いてみたいと思う。
書いては消し、書いては消し、いくら繰り返しても、まとまったものができないので、もう一度同じテーマでチャレンジしてみたいと思います。ひとえに私の能力と経験の不足です。未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
宮沢賢治とキリスト教については『銀河鉄道の夜』が取り上げられることが多い。讃美歌が流れ、光が散りばめられた十字架と「神々しい白いきものの人」が登場するこの作品はキリスト教のイメージが色濃く漂っている。作中主人公のジョバンハニが「たったひとりのほんとうの神さま」について、難破した船に乗っていた女の子やその家庭教師の青年と議論する。天上に行くために次ぎの駅で下りるという女の子にジョバンニは言う。
「天上なんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなきゃぁいけないって僕の先生が言ったよ。」
「だっておっかさんも行ってらっしゃるし、それに神さまがおっしゃるんだわ。」
「そんな神さまうその神さまだい。」
「あなたの神さまうその神さまよ。」
「そうじゃないよ。」
「あなたの神さまってどんな神さまですか。」
青年は笑いながら言いました。
「ぼくほんとうはよく知りません。けれどもそんなんでなしに、ほんとうのたった一人の神さまです。
「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です。」
「ああ、そんなんでなしに、たったひとりのほんとうの神さまです。」
「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなたがたがいまにほんとうの神さまの前に、わたくしたちとお会いになることを祈ります」
青年はつつましく両手を組みました。
この部分は『銀河鉄道の夜』の核心だろう。救命ボートに乗り込まずに、難破した船と運命をともにし、いま天上に向かう女の子と青年が信じる「神さま」と、ジョバンニの「たったひとりのほんとうの神さま」は違う神さまなのか。
女の子と青年にとって、神さまは、最初から彼らの中にある。神さまの存在は自明の理なのだ。むしろ「始めに神ありき」といったほうがいいかもしれない。それに対してジョバンニの神さまは「ぼくほんとうはよく知りません。けれどそんなんでなしに、ほんとうのたった一人の神さまです。」という神さまなのである。それは「天上よりももっといいとこをこさえる」実践の旅の過程で「よく知らない。けれど」、きっと出会う神さまだろう。
光り輝く十字架とその前にひざまずく女の子や青年たち、手をのばしてこっちに来る「ひとりの神々しい白いきものの人」を後にのこして汽車は過ぎて行く。ジョバンニの旅はサザンクロスで終わるわけにはいかなかったのだ。終末はもう近いのだが。
さて、『ポラーノの広場』は主人公の前十七等官等官レオーノキューストが遁げた山羊を探す場面からはじまる。山羊が何の寓意であるかはひとまず置いて、レオーノキューストが、「教会の鐘」の音で目を覚ましたということ、山羊を探しに外に出たら「黒い着物に白いきれをかぶった百姓のおかみさんたち」に出会い、おかみさんたちが「教会へ行くところらしくバイブルも持っていた」という記述に注目したい。ここは明らかに、共同体の中心に教会がある場所なのだ。それにしても、「黒い着物に白いきれをかぶった」女たちの登場は異様である。
遁げた山羊を連れて来てレオーノキューストに渡してくれたのは、ファゼーロという農夫の少年だった。レオーノキューストとファゼーロ、それから羊飼いのミーロという若者の三人は、つめ草の花を頼りに、歌と祭りがあるという伝説のポラーノの広場を探し始める。
この作品の「つめくさ」は「小さな円いぼんぼりのような白いつめくさくさ」とあるので「白つめくさ」__クローバーのことらしい。いまはもう、ほとんど見かけなくなってしまったが、昔の農村はれんげの薄紅とクローバーの白で田起こし前の田んぼが覆われていた。夢のように美しい光景だった。蛇がいることがあったが、草むらの中で春の長い日が暮れるまでよく遊んでいた。だが、れんげもクローバーも観賞用ではなく、重要な土壌改良剤だった。とくにクローバーは、酸性土壌の改良剤としてアメリカから輸入したもので、賢治が「つめくさ」に托す思いは深かったのだろう。物語のいたるところで、つめ草は「あかしをともす」という象徴的な表現とともに姿をあらわす。
探しあてたポラーノの広場では山猫博士の酒宴が開かれていた。ポラーノの広場は山猫博士のもので、県会議員である山猫博士は、そこで次の選挙のための酒宴を開いていたという。酒盛りの場で水をくれというレオーノキューストたちと、酔った山猫博士の間で諍いが起こり、ファゼーロと山猫博士は決闘することになる。本気なのか酔狂なのかよくわからない決闘は、山猫博士が一方的に降参して終わるが、勝ったファゼーロは親方の制裁を怖れる。テーモという親方は山猫博士の手下で、酒盛りに参加していたからである。
この後、山猫博士とファゼーロは二人とも失踪してしまう。ちょっと不思議なのは、ここまでの出来事の時系列が混乱していることである。遁げた山羊を追ってレオーノキューストとファゼーロが出会った日が「五月の終わりの日曜日」で、それから十五日後にポラーノの広場」でファゼーロと山猫博士が決闘し、その「次の次の日」にキューストが警察から呼び出される。ところが警部はキューストに「おまえは(五月)二十七日の晩ファゼーロと連れだって村の園遊会にちん入したなあ」と言っており、キューストもそのことばを否定していないのだ。そして警察からの召喚状の日付は「一九二七年六月廿九日」となっている。
キューストは必至にファゼーロを探すがどうしても見つからない。八月になって、キューストは「イーハトーヴォ海岸で海産鳥類の卵を採集」するために出張する。彼はモリーオ市の博物局の職員なのである。出張も終わりに近づいた時に、キューストは偶然に山猫博士を見つけ、ファゼーロの行方を尋ねるが、山猫博士も知らないという。彼は林の中に木材の乾溜会社を立てたが、薬品価格の変動で経営が行き詰まり、工場を密造酒の醸造に使っていた。そのことで部下に脅迫され、広場に株主が集まっていた。ファゼーロと決闘したあの晩はやけっぱちになっていたのだという。いまは零落して収入の道もない、という山猫博士に同情してキューストは彼のもとを去る。
九月一日、出張から帰ってきたレオーノキューストの家にファゼーロが姿を現す。ファゼーロはあの晩どうしても家に入ることができなくて、ずっと離れたところまで歩いて行って座り込んでいたら、革の仲買人が車に乗せてたべものをくれた。それからファゼーロは革をなめしたり着色したりする技術を身につけてセンダードへ行った。八月十日にモリーオに帰ってきたファゼーロは、山猫博士が残した工場で村の人と共同で酢酸をつくっていたという。
キューストとファゼーロはポラーノの広場のちょっと向こうにあるという工場に行く。そこでファゼーロやミーロは村の老人たちと酢酸をつくったり、革をなめしたり、ハムをこしらえるだけでなく、ここにむかしのほんとうのポラーノの広場、「そこへ夜行って歌えば、またそこで風を吸えばもう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢いがよくて面白いようなそういうポラーノの広場をぼくらはみんなでこさえよう。」と決意する。
ファゼーロが音頭をとって、「水を呑んで」新しいポラーノの広場の開場式が行われる。
『ポラーノの広場』の物語はほぼここで終わっている。それから三年後、キューストは仕事の都合でモリーオ市を離れたが、ファゼーロたちの工場は立派な産業組合となり、みんなでつくったハムと皮類と酢酸とオートミールがひろく出回るようになった。最後はレオーノキューストが郵便で受けとった「ポラーノの広場の歌」が記され、作品も閉じられる。
作品のあらすじを追うだけで、キリスト教とのかかわりについてはふれることがほとんどできなかったが、長くなるので、それについてはまた回を改めたい。キューストたちを導いて、読者ともにポラーノの広場にいざなうつめくさの花のモチーフを中心に書いてみたいと思う。
書いては消し、書いては消し、いくら繰り返しても、まとまったものができないので、もう一度同じテーマでチャレンジしてみたいと思います。ひとえに私の能力と経験の不足です。未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
2019年3月7日木曜日
宮沢賢治『ポラーノの広場』__革命の希求と涜神の怖れ
二十世紀は革命と戦争の時代だった。「宮沢賢治と革命」という命題の立て方は唐突のように思われるかもしれないが、賢治は童話のジャンルでは寓意的に、詩の中では直接に「革命」について言及している。
サキノハカという黒い花といっしょに
革命がやがてやってくる
ブルジョワジーでもプロレタリアートでも
おほよそ卑怯な下等なやつらは
みんなひとりで日向へ出た茸のやうに
潰れて流れるその日が来る
(略)
はがねを鍛えるやうに新しい時代は新しい人間を鍛える
紺色した山地の稜をも砕け
銀河をつかって発電所もつくれ
サキノハカという言葉が何を意味するものか諸説あって、わからないそうだが、もうひとつ「生徒諸君に寄せる」と題した詩のなかにもこの言葉が出てくる。賢治が花巻農学校の教師を辞するときの詩である。
諸君よ 紺色の地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君はその地平線に於る
あらゆる形の山岳でなければならぬ
サキノハカ〔以下空白〕
〔約九字分空白〕来る
諸君はこの時代に強ひられひ率ゐられて
奴隷のやうに忍従することを欲するか
むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ
宙宇は絶えずわれらによって変化する
潮汐や風、
あらゆる自然の力を用ゐ尽くすことから一足進んで
諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ
これは「グスコーブドリの伝記」の志向するところとほぼ一致するような内容である。この後さらに賢治は
新しい時代のコペルニクスよ
・・・・・・・・
新しい時代のダーウィンよ
・・・・・・・・
新たな詩人よ
・・・・・・・・
新たな時代のマルクスよ
・・・・・・・・
と農学校の生徒たちに呼びかけ、鼓舞する。ここに見られる賢治の「革命」は二〇世紀初頭に現実に起こった二つの革命とも、理念としての階級闘争とも異なっていて、むしろよりラディカルな、狂想ともいえるようなスケールのものである。だが、しかし、複雑なのは、「紺色した山地の稜をも砕け」と言い、「新たな自然を形成するに努めねばならぬ」と断言しながら、一方で
祀られざるも神には神の身土があると
あざけるようなうつろな声で
さう云ったのはいったい誰だ 席をわたったそれは誰だ
と始まる「産業組合青年会」と題する詩が存在するのである。
まことの道は
誰が云ったの行ったの
さういふ風のものでない
祭祀の有無を是非するならば
卑賎の神のその名にさへもふさわぬと
応えたものはいったい何だ いきまき応えたそれは何だ
(略)
部落部落の省組合が
ハムをつくり羊毛を織り医薬を頒ち
村ごとのまたその聯合の大きなものが
山地の肩をひととこ砕いて
石灰岩末の幾千車かを
酸えた野原にそそいだり
ゴムから靴を鋳たりもしよう
(略)
しかもこれら熱誠有為な村々の処士会同の夜半
祀られざるも神には神の身土があると
老いて呟くそれは誰だ
そしてこの詩のすぐ後に
夜の湿気と風がさびしくいりまじり
松ややなぎの林はくろく
そらには暗い業の花びらがいっぱいで
わたくしは神々の名を録したことから
はげしく寒くふるへている
という詩が続く。「サキノハカ「という黒い花」と「暗い業の花」は同じものだろうか。賢治は、自然の改変という「革命」をこの世にもたらすことをほんとうに望んだのか。
「神々の名を録」す涜神の怖れに堪えることができると考えたのだろうか。
前置きが長くなってしまったが、そもそも標題の『ポラーノの広場』の意味するところが複雑なのである。賢治が演出して花巻農学校の生徒に上演させた劇の台本として『ポランの広場』と題した草稿が残っているそうである。「ポラン」から「ポラーノ」への変化もまた謎だが、「ポラーノ」の由来も諸説ある。おおむね「ポール」から派生して「北極星」あるいは「北」の意を含む言葉としているようだが、ポーランド語で「薪」を意味するという説も捨てがたい。作品の末尾で、「私」のもとに郵便で「ポラーノのうた」が楽譜とともに届くのだが、その二番の歌詞に
まさしきねがいに いさかうとも
銀河のかなたに ともにわらい
なべてのなやみを たきぎともしつ
はえある世界をともにつくらん
とある。
ポラーノの語義として最も有力なのはエスペラント語の「花粉」だと思われるが、またしても独断と偏見の持ち主である私はロシア語の「森の中の草地」説(これはトルストイの生地の地名でもあるようだ)も捨てがたい。「広場」というとすぐに「赤の広場」を連想してしまう私の想像力の貧困が恥ずかしいのだが、元来ロシア語の「赤」は「美しい」という意味だったそうなので、そんなに突飛な連想でもないと思う。
「革命」の詩の解釈と「ポラーノ」の語義を調べることでかなりの字数をついやしてしまった。「前十七等官 レオーノキュースト誌 宮沢賢治訳述」と記された『ポラーノの広場』の内容については、次回また書くことにしたい。賢治自身が「少年小説」とメモしたというこの作品は、苦渋に満ちた、しかしある種の諦観に到達した作者の自伝小説のように思われる。「革命」はここでは、「フェビアン協会」のような「社会改良主義」といったほうがよいかもしれないのだが。
なかなか本題に入れずここまできてしまいました。未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
サキノハカという黒い花といっしょに
革命がやがてやってくる
ブルジョワジーでもプロレタリアートでも
おほよそ卑怯な下等なやつらは
みんなひとりで日向へ出た茸のやうに
潰れて流れるその日が来る
(略)
はがねを鍛えるやうに新しい時代は新しい人間を鍛える
紺色した山地の稜をも砕け
銀河をつかって発電所もつくれ
サキノハカという言葉が何を意味するものか諸説あって、わからないそうだが、もうひとつ「生徒諸君に寄せる」と題した詩のなかにもこの言葉が出てくる。賢治が花巻農学校の教師を辞するときの詩である。
諸君よ 紺色の地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君はその地平線に於る
あらゆる形の山岳でなければならぬ
サキノハカ〔以下空白〕
〔約九字分空白〕来る
諸君はこの時代に強ひられひ率ゐられて
奴隷のやうに忍従することを欲するか
むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ
宙宇は絶えずわれらによって変化する
潮汐や風、
あらゆる自然の力を用ゐ尽くすことから一足進んで
諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ
これは「グスコーブドリの伝記」の志向するところとほぼ一致するような内容である。この後さらに賢治は
新しい時代のコペルニクスよ
・・・・・・・・
新しい時代のダーウィンよ
・・・・・・・・
新たな詩人よ
・・・・・・・・
新たな時代のマルクスよ
・・・・・・・・
と農学校の生徒たちに呼びかけ、鼓舞する。ここに見られる賢治の「革命」は二〇世紀初頭に現実に起こった二つの革命とも、理念としての階級闘争とも異なっていて、むしろよりラディカルな、狂想ともいえるようなスケールのものである。だが、しかし、複雑なのは、「紺色した山地の稜をも砕け」と言い、「新たな自然を形成するに努めねばならぬ」と断言しながら、一方で
祀られざるも神には神の身土があると
あざけるようなうつろな声で
さう云ったのはいったい誰だ 席をわたったそれは誰だ
と始まる「産業組合青年会」と題する詩が存在するのである。
まことの道は
誰が云ったの行ったの
さういふ風のものでない
祭祀の有無を是非するならば
卑賎の神のその名にさへもふさわぬと
応えたものはいったい何だ いきまき応えたそれは何だ
(略)
部落部落の省組合が
ハムをつくり羊毛を織り医薬を頒ち
村ごとのまたその聯合の大きなものが
山地の肩をひととこ砕いて
石灰岩末の幾千車かを
酸えた野原にそそいだり
ゴムから靴を鋳たりもしよう
(略)
しかもこれら熱誠有為な村々の処士会同の夜半
祀られざるも神には神の身土があると
老いて呟くそれは誰だ
そしてこの詩のすぐ後に
夜の湿気と風がさびしくいりまじり
松ややなぎの林はくろく
そらには暗い業の花びらがいっぱいで
わたくしは神々の名を録したことから
はげしく寒くふるへている
という詩が続く。「サキノハカ「という黒い花」と「暗い業の花」は同じものだろうか。賢治は、自然の改変という「革命」をこの世にもたらすことをほんとうに望んだのか。
「神々の名を録」す涜神の怖れに堪えることができると考えたのだろうか。
前置きが長くなってしまったが、そもそも標題の『ポラーノの広場』の意味するところが複雑なのである。賢治が演出して花巻農学校の生徒に上演させた劇の台本として『ポランの広場』と題した草稿が残っているそうである。「ポラン」から「ポラーノ」への変化もまた謎だが、「ポラーノ」の由来も諸説ある。おおむね「ポール」から派生して「北極星」あるいは「北」の意を含む言葉としているようだが、ポーランド語で「薪」を意味するという説も捨てがたい。作品の末尾で、「私」のもとに郵便で「ポラーノのうた」が楽譜とともに届くのだが、その二番の歌詞に
まさしきねがいに いさかうとも
銀河のかなたに ともにわらい
なべてのなやみを たきぎともしつ
はえある世界をともにつくらん
とある。
ポラーノの語義として最も有力なのはエスペラント語の「花粉」だと思われるが、またしても独断と偏見の持ち主である私はロシア語の「森の中の草地」説(これはトルストイの生地の地名でもあるようだ)も捨てがたい。「広場」というとすぐに「赤の広場」を連想してしまう私の想像力の貧困が恥ずかしいのだが、元来ロシア語の「赤」は「美しい」という意味だったそうなので、そんなに突飛な連想でもないと思う。
「革命」の詩の解釈と「ポラーノ」の語義を調べることでかなりの字数をついやしてしまった。「前十七等官 レオーノキュースト誌 宮沢賢治訳述」と記された『ポラーノの広場』の内容については、次回また書くことにしたい。賢治自身が「少年小説」とメモしたというこの作品は、苦渋に満ちた、しかしある種の諦観に到達した作者の自伝小説のように思われる。「革命」はここでは、「フェビアン協会」のような「社会改良主義」といったほうがよいかもしれないのだが。
なかなか本題に入れずここまできてしまいました。未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
2019年1月15日火曜日
映画『新しき土』__シュールで奇怪な国策映画の示すもの
昨年末から何回もこの映画を観ているのだが、さて、何をどう書こうかと構えるとどうしてもまとまらない。いろいろと曰くのある作品である。
よくいわれるのは、この映画の制作のかげで、日独防共協定が秘密裡に締結されようとしていたということである。一九三六年十一月二十五日締結にいたる日独防共協定の交渉を仲介したフリードリッヒ・ハックという親日家のドイツ人が『新しき土』の実質的なプロデューサーであったといわれている。フリードリッヒ・ハックについては、ノンフィクション作家の中田整一氏が『ドクター・ハック__日本の運命を二度握った男」という著書で詳しく述べられているが、私見では、日独そしてソ連の三重スパイだったのではないかと考えている。
映画そのものは、これを何と評してよいか__今日の日本人の目で見ると、「国策映画」として何をプロパガンダしようとしたのか、まったくわからないのである。冒頭、祭囃子の笛、太鼓、拍子木の音とともに、富士山と桜を描いた紙芝居の絵のような画面が現れる。その直後に、今度は日本列島を上から俯瞰した画面で、列島上空には煙とも霧ともつかぬものが立ち込めていてる。それから次は火山が噴火する。噴火のシーンは特撮らしいが、映画の中で何回も登場する。噴火、地震の日本列島なのである。火山の後は、険しい岸壁に荒波が押し寄せては砕けるシーンだ。間違っても、「明るく楽しく満州に行こうよ」という映画ではない。
ストーリーは単純で、洋行帰りの「大和輝男」という若い男性が、許嫁で戸籍上の妹である「大和光子」という少女と結ばれるまでの物語である。輝男は、富士山の見える農村に住む「神田耕作」という百姓の子だが、大富豪の「大和家」の養子となって、海外留学させてもらったのである。輝男を慕い続けて八年間待った光子は彼の帰国の知らせに飛び上がって喜ぶが、輝男は「ゲルダ・シュトルム」というドイツ人の恋人と一緒だった。
作品のテーマとしては、ヨーロッパの空気に触れた輝男が、日本の慣習を受け入れるまでの葛藤、であろうか。輝男は「日本のために働きたい」と志し、満洲に自己実現の場を見出す。だが、輝男の帰国を知らせる電報が耕作の家に届いたとたんに、地震が起きるのだ。地震と噴火のシーンは、輝男と日本との葛藤の象徴として、繰り返し登場する。輝男の恋人「ゲルダ・シュトルム」のシュトルムも疾風の意なので、日独とも、天変地異が相次ぐことを示唆しているようだ。
後半は、噴火する山の描写の連続である。輝男に捨てられたと思った光子が、花嫁衣裳を包んだ風呂敷を手に家を出る。そして、一両編成の市電のような電車に乗って、下車すると、そこから登山道に向かい、着物姿で噴火を続ける山に上って行く。これはいったいどこの火山なのだろう。
余談だが、たぶん、ドイツ人観客のために名所案内サービスを意図したのだろうが、この映画の地理は無茶苦茶である。大和家がどこにあるのかわからないのだが(横浜に輝男を迎えに来た光子が「あたくし、もう東京にいたくありませんの」と言っているので東京でないのはたしかだろう)、大和家の大邸宅を出ると、厳島神社があったり、浜辺に鹿がいたりする。ヨーロッパから航海して横浜港に入るのに松島湾の映像が挿入されたりする。
光子を追って、輝男も山に登る。光子は着物姿で険しい山を上って行くが、輝男は不気味な沼を泳いで渡ってずぶ濡れになって、靴も履かずに噴火する山をよじ登るのである。足を血まみれにしながら、山頂で光子と巡りあった輝男が、どうやって光子を抱えて下山できたのか、不思議なのだが、延々二十分ほど続くこの部分がこの映画のクライマックスなのだろう。山岳映画を得意としたドイツ人監督ファンク(フリードリッヒ・ハックの大学の後輩で、彼の依頼で監督を引き受けたそうである)の腕の見せ場、というより若き円谷英二が特撮技術を駆使したものと思われる。迫力満点、というべきか、荒唐無稽、というべきか。
ラストは満洲である。戦車のようなトラクターに乗った輝男と、生まれて間もない赤ん坊を抱いた光子が登場する。王道楽土に新しい生命を育む若いふたり、と絵に描いたような予定調和の画面で終わる。__と言ってもよいのだろうが、このあと少し気になるシーンがある。
ひとつは、輝男が光子から渡された赤ん坊をトラクターの轍の溝に置いて「坊主、お前も土の子になれよ」という場面である。赤ん坊を泥の上に寝かせて「土の子になれ」とはどういう意味なのだろう。輝男はそう言って微笑みながら光子を見上げるのだが、光子はニュートラルな表情のまま、視線をそらす。その視線の先には、機関銃を構えた兵士の姿がある。
さらに気になるのが、アップで映された兵士の表情である。赤ん坊を抱いた二人の光景を見ていた兵士は、笑みをたたえていたのだが、視線を上に向けると、笑みは消え、険しい(あるいは恐怖の色を浮かべた)目つきになる。映画はここで終わるのである。
「日独合作映画」としての主題は、大和家を訪れたゲルダと当主の巌が岸壁に押し寄せる荒波を前に佇むシーンにあるのだろう。巌は「私たちが極東でこの岩だらけの島を守っている。この防壁にあらゆる嵐は打ち砕かれるだろう」 と言うのだ。しかし、この映画はどう見ても、戦意高揚(まだ日中戦争も日米戦争も始まっていなかったが)、士気を鼓舞、といった目的にかなうものとは思われない。
もっとも国策映画らしいのは、登場人物のネーミングかもしれない。大和巌、大和輝男、大和光子、神田耕作、神田日出子((輝男の妹)、ネーミングがキャラクターを十分に説明している。
全編を通して、おどろおどろしい音響と地震、噴火のシーンの連続で、『新しき土』_満洲国建国の希望につながる要素を見出すのは難しいのである。むしろ、頻繁に登場する噴火の映像は、なんだかキノコ雲のように見えてくる。私だけかもしれないが。もちろん、一九三六年に制作されたこの作品にきノコ雲が登場するはずはないので、噴火も爆発も同じように見える現象だということなのだろう。
見終わっての感想がどうしてもまとまらないのは、私の理解力の不足かもしれないが、敢えていってしまえば、シナリオが悪いのではないか。あれもこれも入れようとして、ただのごった煮になってしまっている。いろいろな要素が無責任に放り出されているように思う。脚本は伊丹万作とアーノルド・ファンクの共同執筆となっているが、プロが責任をもって制作したものとは思われない。何より情熱が感じられないのだ。それでも、現在の金額に換算すると数十億円を費やして出来上がったのがこの映画だそうで、なんとも不思議な気がする。
作品の欠点をあげつらうより自らの集中力と文章力の不足を自覚すべきかもしれません。一六歳で主役をつとめた原節子の目を見張るような演技力についても触れたかったのですが、また機会があれば、と思います。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。
よくいわれるのは、この映画の制作のかげで、日独防共協定が秘密裡に締結されようとしていたということである。一九三六年十一月二十五日締結にいたる日独防共協定の交渉を仲介したフリードリッヒ・ハックという親日家のドイツ人が『新しき土』の実質的なプロデューサーであったといわれている。フリードリッヒ・ハックについては、ノンフィクション作家の中田整一氏が『ドクター・ハック__日本の運命を二度握った男」という著書で詳しく述べられているが、私見では、日独そしてソ連の三重スパイだったのではないかと考えている。
映画そのものは、これを何と評してよいか__今日の日本人の目で見ると、「国策映画」として何をプロパガンダしようとしたのか、まったくわからないのである。冒頭、祭囃子の笛、太鼓、拍子木の音とともに、富士山と桜を描いた紙芝居の絵のような画面が現れる。その直後に、今度は日本列島を上から俯瞰した画面で、列島上空には煙とも霧ともつかぬものが立ち込めていてる。それから次は火山が噴火する。噴火のシーンは特撮らしいが、映画の中で何回も登場する。噴火、地震の日本列島なのである。火山の後は、険しい岸壁に荒波が押し寄せては砕けるシーンだ。間違っても、「明るく楽しく満州に行こうよ」という映画ではない。
ストーリーは単純で、洋行帰りの「大和輝男」という若い男性が、許嫁で戸籍上の妹である「大和光子」という少女と結ばれるまでの物語である。輝男は、富士山の見える農村に住む「神田耕作」という百姓の子だが、大富豪の「大和家」の養子となって、海外留学させてもらったのである。輝男を慕い続けて八年間待った光子は彼の帰国の知らせに飛び上がって喜ぶが、輝男は「ゲルダ・シュトルム」というドイツ人の恋人と一緒だった。
作品のテーマとしては、ヨーロッパの空気に触れた輝男が、日本の慣習を受け入れるまでの葛藤、であろうか。輝男は「日本のために働きたい」と志し、満洲に自己実現の場を見出す。だが、輝男の帰国を知らせる電報が耕作の家に届いたとたんに、地震が起きるのだ。地震と噴火のシーンは、輝男と日本との葛藤の象徴として、繰り返し登場する。輝男の恋人「ゲルダ・シュトルム」のシュトルムも疾風の意なので、日独とも、天変地異が相次ぐことを示唆しているようだ。
後半は、噴火する山の描写の連続である。輝男に捨てられたと思った光子が、花嫁衣裳を包んだ風呂敷を手に家を出る。そして、一両編成の市電のような電車に乗って、下車すると、そこから登山道に向かい、着物姿で噴火を続ける山に上って行く。これはいったいどこの火山なのだろう。
余談だが、たぶん、ドイツ人観客のために名所案内サービスを意図したのだろうが、この映画の地理は無茶苦茶である。大和家がどこにあるのかわからないのだが(横浜に輝男を迎えに来た光子が「あたくし、もう東京にいたくありませんの」と言っているので東京でないのはたしかだろう)、大和家の大邸宅を出ると、厳島神社があったり、浜辺に鹿がいたりする。ヨーロッパから航海して横浜港に入るのに松島湾の映像が挿入されたりする。
光子を追って、輝男も山に登る。光子は着物姿で険しい山を上って行くが、輝男は不気味な沼を泳いで渡ってずぶ濡れになって、靴も履かずに噴火する山をよじ登るのである。足を血まみれにしながら、山頂で光子と巡りあった輝男が、どうやって光子を抱えて下山できたのか、不思議なのだが、延々二十分ほど続くこの部分がこの映画のクライマックスなのだろう。山岳映画を得意としたドイツ人監督ファンク(フリードリッヒ・ハックの大学の後輩で、彼の依頼で監督を引き受けたそうである)の腕の見せ場、というより若き円谷英二が特撮技術を駆使したものと思われる。迫力満点、というべきか、荒唐無稽、というべきか。
ラストは満洲である。戦車のようなトラクターに乗った輝男と、生まれて間もない赤ん坊を抱いた光子が登場する。王道楽土に新しい生命を育む若いふたり、と絵に描いたような予定調和の画面で終わる。__と言ってもよいのだろうが、このあと少し気になるシーンがある。
ひとつは、輝男が光子から渡された赤ん坊をトラクターの轍の溝に置いて「坊主、お前も土の子になれよ」という場面である。赤ん坊を泥の上に寝かせて「土の子になれ」とはどういう意味なのだろう。輝男はそう言って微笑みながら光子を見上げるのだが、光子はニュートラルな表情のまま、視線をそらす。その視線の先には、機関銃を構えた兵士の姿がある。
さらに気になるのが、アップで映された兵士の表情である。赤ん坊を抱いた二人の光景を見ていた兵士は、笑みをたたえていたのだが、視線を上に向けると、笑みは消え、険しい(あるいは恐怖の色を浮かべた)目つきになる。映画はここで終わるのである。
「日独合作映画」としての主題は、大和家を訪れたゲルダと当主の巌が岸壁に押し寄せる荒波を前に佇むシーンにあるのだろう。巌は「私たちが極東でこの岩だらけの島を守っている。この防壁にあらゆる嵐は打ち砕かれるだろう」 と言うのだ。しかし、この映画はどう見ても、戦意高揚(まだ日中戦争も日米戦争も始まっていなかったが)、士気を鼓舞、といった目的にかなうものとは思われない。
もっとも国策映画らしいのは、登場人物のネーミングかもしれない。大和巌、大和輝男、大和光子、神田耕作、神田日出子((輝男の妹)、ネーミングがキャラクターを十分に説明している。
全編を通して、おどろおどろしい音響と地震、噴火のシーンの連続で、『新しき土』_満洲国建国の希望につながる要素を見出すのは難しいのである。むしろ、頻繁に登場する噴火の映像は、なんだかキノコ雲のように見えてくる。私だけかもしれないが。もちろん、一九三六年に制作されたこの作品にきノコ雲が登場するはずはないので、噴火も爆発も同じように見える現象だということなのだろう。
見終わっての感想がどうしてもまとまらないのは、私の理解力の不足かもしれないが、敢えていってしまえば、シナリオが悪いのではないか。あれもこれも入れようとして、ただのごった煮になってしまっている。いろいろな要素が無責任に放り出されているように思う。脚本は伊丹万作とアーノルド・ファンクの共同執筆となっているが、プロが責任をもって制作したものとは思われない。何より情熱が感じられないのだ。それでも、現在の金額に換算すると数十億円を費やして出来上がったのがこの映画だそうで、なんとも不思議な気がする。
作品の欠点をあげつらうより自らの集中力と文章力の不足を自覚すべきかもしれません。一六歳で主役をつとめた原節子の目を見張るような演技力についても触れたかったのですが、また機会があれば、と思います。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。
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