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2012年6月10日日曜日

「愛らしき口もと目は緑」___緊密な恋愛心理サスペンス

  比較的短編で、よくできた心理小説のように思われる。深夜、密着した男と女の間に、突然電話のベルが割り込んでくる。一瞬ためらった後、男は受話器を取る。スタンドの灯りに照らされた男の様子は「もうほとんど白髪に近い」髪を「きれいに手入れを施したばかり」で「要するに『著名人らしい』髪型であった」と描写される。「リー? 寝てたのかい?」と電話の最初に相手の男が言うことから、時は深夜であることがわかる。


  電話をかけてきた男は「アーサー」と呼ばれる。彼は妻のジョーニーが帰るのに気づかなかったと白髪まじりの男__「リー」と呼ばれる__に聞いてきたのだ。アーサーと妻のジョーニー、そして白髪まじりの男は一緒にパーティに参加していたらしい。白髪まじりの男は傍らの女に目をやることもなく、アーサーの妻にはまったく気づかなかった、と答える。ここからアーサーと白髪まじりの男の電話器を介した長い会話が始まる。

  会話の前半は、居所が不明な妻への不信を訴えるアーサーと、それをなだめて、なんとか彼を落ち着かせようとする白髪まじりの男のやりとりが続く。男はアーサーにジョーニーは「エレンボーゲン夫婦」と一緒に出かけたのではないか、と言う。 そう信じこませたいようだ。だがアーサーは信じられない。(当然のことであるが)。ジョーニーがいかに気の多い女であるかを訴え続けるアーサーに、彼の話を突然さえぎって、白髪まじりの男は、今日の裁判の結果を尋ねる。彼らは二人とも弁護士であるらしい。

  裁判の詳しい内容は不明だが、「三つのホテル」に関する訴訟で、どうやらアーサーは敗訴になったらしい。会話の、というより小説の途中で突然挿入されるこの裁判とはいったい何だろうか。「ヴィットリオの気狂い野郎」と呼ばれる裁判長と「南京虫のしみだらけのシーツ」を証拠に提出した「ルームメードの低脳野郎」のおかげで敗訴になってしまった、とアーサーが嘆く裁判とは?

  敗訴になったことで「三つのホテル」のジュニアの怒りを怖れるアーサーは、軍隊に戻るかもしれないと言い出す。ジョーニーとの関係についても、去年の夏に別れてしまえばよかった、と言い出すかと思えば、かわいそうだから別れなかったとも言い、「愛してもいるし愛してなくもある」と「揺れ動く」。そしてアーサーは以前ジョーニーに捧げた詩を白髪まじりの男に聞かせるのだ。「肌白く薔薇色の頬。愛らしき口もと目は緑」原文はこうなっている。
Rose my color is and white, Pretty mouth and green my eyes.
この詩を白髪まじりの男に聞かせた後、アーサーの言葉は微妙に変化していく。ジョーニーが彼にスーツを自腹で買ってくれた思い出を語って、彼女の人柄のよさを言い始める。それだけでなく、いまから白髪まじりの男の家に行っていいかと聞くのだ。

  虚をつかれた白髪まじりの男は、何とか彼を言いくるめて、そのまま自宅で妻を待つようにと説得して電話を切る。女とともに危機を切り抜けた喜びを分かち合ったのもつかの間、再び電話が鳴る。妻のジョーニーが帰ってきた、とアーサーが報告してきたのだ。エレンボーゲンさん夫婦と一緒にいたらしい、と言う。ニューヨークを離れてコネチカットに小さな家を買って、ジョーニーとやり直したい、とアーサーは言う。裁判の結果についても、ジュニアに会って何とか努力したい、と話し続けるアーサーをさえぎって白髪まじりの男は電話を切る。茫然自失の男は火のついた煙草を指の間からとり落としてしまうのだ。はたして彼は何故そんなに動揺したのだろうか?

  以前私はこの小説を「信仰、希望、愛」とサブタイトルをつけて紹介した。それは、間違いではなかったかもしれないが、やはりもう一段の読み込みが必要なのだと思われる。白髪まじりの男とアーサー、この二人のどちらがボールを持っているのか?そして、作中「いわばアイルランドの若い警官と言った感じで男を見守っている」と形容される女は何者なのか?題名となっている「愛らしき口もと目は緑」とは何を意味するのか?

  書くことにも読むことにも集中できない日が続いています。一にかかって私自身の努力不足ですが、何とか先に進みたいと思っています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年2月9日木曜日

「愛らしい口もと、わが眼は緑」___信仰、希望、愛

『ニューヨーカー短編集Ⅲ』に掲載されていた表題の小説を初めて読んだのはいまから40年以上も前だった。若かった私は、この小説をよくできた心理小説ないし風俗小説として読んでいたような気がする。唐突な結末が、でも何となく、納得できてしまうのが不思議だった。

 物語は、男と女がベッドを共にしているところに、女の夫から電話がかかってくる。一緒にパーティにでかけた妻が家に戻らないので、居どころを知らないか、と聞いてきたのだ。電話を受けた男は、夫の話に適当に応答しながら、なんとかなだめて、女が帰ってくるのを待つように説得しつづける。弁護士らしい夫は、裁判に負けたこともあって、どん底の精神状態である。夫は、妻である女が男にだらしがないことを呪い、教養がないことをののしり、だが、そんな妻がいかに無邪気で魅力的な女であるか、いかに自分に献身的に尽くしてくれたことがあったかを語って、電話を切ろうとしない。最後に夫は、男の家に行って一杯飲ませてくれという。もちろん、夫に来られたくない男は、妻を家で待つように夫を説得して電話を切る。するとまもなく、また夫から電話がある。男と話し終わった直後に妻が帰ってきた、と言う。そして、ニューヨークという都会を離れて、二人の生活をやり直し、裁判の結果についても善後策を講じてみるつもりだと言うのだ。話し続ける夫をさえぎって電話を切った男は、放心状態で、落とした煙草を拾い上げようとした女をどなりつける。

表題は、作中、夫が妻である女に送った自作の詩「わが色はバラ色にして、白し、愛らしい口もと、わが眼は緑」の一部である。「あいつは緑色の眼なんかしちゃいない__あいつの眼は海の貝殻みたいだ」とある。夫にとって、妻である女は、愛することのすべてだった。だが、女から愛される望みは、少なくとも夫が女を愛するように愛されることは、ほとんど望めなかった。いや、まったく望めなかった。その望みのない望みに夫は賭けたのだ。信じられない妻を信じたのだ。不可能な愛を可能にしたのだ。まさに、「信仰と希望と愛、この三つのものは、いつまでも残る。その中で、最も大いなるものは愛である」(コリント人への手紙13章13節)である。

 電話を受けた男は、女の夫の「信仰告白」に打ちのめされる。男とベッドをともにしているのは、「ジョーニイ」と呼ばれる女のぬけがらではないのか。真実の「ジョーニイ」は夫のもとにいるのではないか。男に残されたものは何があるだろう。優位な立場にたって、うまくやりぬいたと思っていた男は、じつは自分が決定的な敗者である、という事実に呆然とするのみだった。

 この作品と、これより以前に発表された「バナナ魚には理想的な日」のシーモアの自殺を関連付けて考えてみようと思っています。まとまったものを書くには、もう少し時間が必要なようです。

 今日もできの悪い読書感想文を読んでいただいて、ありがとうございます。