2012年3月7日水曜日

「テディ」その2___テディとは何か

この小説のストーリーは単純である。十歳の天才少年テディが海を渡って、イギリスの大学でインタビューを受け、家族とともにアメリカに戻る途中の船の中で、妹に水の入っていないプールに突き落とされて死ぬ(たぶん)。そして、テディはそのことを予見していた、という。一見単純なストーリーだが、実はいくつものプロットが複雑に絡み合っていて、さりげない描写の暗示する深層の事柄を読み解くのは、まさにトランプの神経衰弱のような作業が必要だ。いまの段階では、まだ全部のカードがぴったり揃えられたとはとても言えないのだが。

 物語はテディがグラッドストーンの旅行鞄の上に乗って、舷窓から身を乗り出して外を見ているところから始まる。朝もう早くない時間だというのに、両親はなぜかほとんど裸でベッドの中だ。テディの風体は異様だ。素足に汚れたバスケット・シューズ、大きすぎる半ズボン、肩のところに穴のあいたTシャツ、黒い鰐皮のベルトだけが立派だった。髪の毛がひどくのびて「特に首すじのところなど、すぐにも鋏を入れたいくらい」。だが、「淡い鳶色の目で心もち藪睨み」ではあるが「これこそほんとうに美しい顔」で、「句切りながら言う一つ一つの言いまわしが、何というか、小型にしたウィスキーの海にすっぽりと浸された小さな古代の島といった感じ」と形容される。テディの言葉にはまったく関心がなさそうな両親だが、母親は、十時半に水泳の練習があるので、遊びに出ている妹のブーパーを探して連れてくるようにと言い、父親もテディがブーパーに持たせたカメラを すぐさま返すように命じる。

  船室を出たテディは、「白い糊のきいた制服を着た金髪の大柄な女」に左手で頭の天辺を撫でられたり、美貌の海軍少尉に言葉遊びのゲームの始まる時間を聞いたりしながら、聖ジョージが竜を退治している壁画の描かれた階段を上がって、妹を運動用甲板で見つける。そこは「日当たりのよい開墾地というか、まるで森の中の空き地」のような場所で、妹はそこでマイロンという男の子を傍らに、赤と黒のデッキ・ゴルフの円盤を積み上げていた。そして「あたしがいるのは二人の巨人だけ」で「二人であきるまで双六をやって、あきたらあそこの煙突に登って、みんなにこいつをぶつけて、みんな殺してしまうんだ」と「物知り顔に言」うのである。

 「兄さんなんか大嫌い!この海にいる人はみんな嫌い」とブーパーに悪態をつかれながら、何とか彼女の首にカメラを吊るし、船室に戻るよう言い含めたテディは、運動用甲板の下の日光浴甲板のデッキ・チェアに座って、手帳を取り出し、昨日自分で書いた文を注意深く読み直すと、今度はあらたに書き始める。日付は一九五二年十月二十七日、二十八日である。その様子を上の運動用甲板から見ていた青年が、下に降りてきて、テディに話しかける。「腿のところが並外れて太く」長い肢をもったニコルソンと名のるその青年は、テディが手帳に書きこんでいる様子を「まさに若きトロイの戦士のように颯爽と書きまくっていた」と「物語でも語って聞かせるように言いだした」。そして、テディとニコルソンはさまざまな問答をする。

 存在と認識についてニコルソンと問答するうち、テディはあり得る話として、この後自分が妹に水の入っていないプールに突き落とされるかもしれない、と言う。そして、それは悲劇的なことではない、夢の中で悲しいことがあっても、目が覚めれば、大丈夫であるのと同じことだと言う。そう言って、テディはニコルソンと別れた。その一分半後にプールから幼い女の子の遠くまで鋭く響く悲鳴が聞こえた。

 あらすじの紹介にずいぶん字数を費やしてしまったので、隠されたプロットについては、私が見つけられたものをいくつか挙げておこうと思う。もっとも深層にあるのは、「聖ジョージの竜退治」のプロットであろう。ただし、「聖ジョージ」と「竜」は実は同じ象徴で表わされる。また、明らかにそれとわかる記述で語られているのは、巨人伝説および巨岩伝説である。それと関連してトロイの戦士の伝承も切り離せない。作中テディの言葉として、ヴェーダンタの輪廻について説かれるが、これは比喩ではなく直接真理として呈示される。輪廻の「輪」がこの小説のキーワードだと思われる。テディとは何か、いう問いの答えは、輪廻の「輪」であり、それを具象化する生物なのだ、とひとまず仮定してもそれほど的を外れてはいないように思う。

 ナイン・ストーリーズの中で、この作品が一番難関でした。最後の結末をどう読むかによって、作品の解釈が正反対になってしまうからです。サリンジャーはここでもルール違反ぎりぎりの手法をとっている、と思えてしかたがないのです。はたしてテディは、みずから予見した死を従容とうけいれたのでしょうか。 

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。

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