サリンジャーを読んでいたら、もう一度深沢七郎を読みたくなった。もともと深沢を読んでいて、サリンジャーに行ったのだが、また戻ってきた。でも、またライ麦畑に戻る予定だけれど。
以前「みちのくの人形たち」を読んだときは、「楢山節考」「笛吹川」を書いた作家が、なんでこういう小説を書いたのだろう、と納得できなかった。こういう境地に住むならば、小説など書かなくてもいいではないか、と歯がゆい思いだった。いま思うと、浅薄の極みなのだが。
「そのヒトが私の家に来たのは、日曜日のしずかな午後だった。」とこの小説は始まる。東北から出稼ぎにきているらしいそのヒトは、「もじずり」という山草を「私」の家にもってきて植えたいので土を見に来た、という。結局、「私」の家の土には合わないということだったが、翌年、「私」はそのヒトの誘いに応じて、もじずりを見にそのヒトを訪ねる。
東北ハイウェイを降りてから、そのヒトの家まで車でたどりつくのは大変だった。土地の言葉がよく聞き取れないので道がわかりにくいのだ。それでも、やっとたどりつくと、まだ若いのに、そのヒトは土地の人から「ダンナ様」と呼ばれていた。「松の木の下枝が傘のようになった根元にあった」もじずりを見せてもらった。ねじれた花茎に小さい蕾が下から咲き始めているその花は、「しのぶもじずり誰ゆえに、乱れそめにし我ならなくに」と歌った「河原左大臣」のように「珍しいばかりでなく高貴な美しさなのだ」と形容される。
「私」は、そこまで連れてきてくれた知人の息子と別れて、そのヒトの家に泊まることにした。そのヒトは、「私」のこともなぜか「ダンナさま」と呼ぶ。その晩「ダンナさま」と呼ばれるそのヒトの家に青年が屏風を借りにきた。お産に使うという。翌朝、体が弱い老人の「私」はトロッコを用意してもらってその青年の家に行ってみると、そこには線香の匂いがする。生まれてきた子は生かされなかったのだ。そして夕べ青年が借りて行った屏風は逆さになっていた。
「ダンナさま」と呼ばれるそのヒトの家は代々産婆だった。昔は子供が多く生まれたので、どこの家でも間引きをした。そのヒトの家には、間引きの罪を重ねた両腕を切り取ったという先祖の女の人の像が、仏像のように仏壇の奥にまつられてあった。
トロッコに乗せてもらってダンナさまに送られた「私」は、その後土地の人の軽トラを乗り継いで、バスの停まる町に出た。町の土産物売り場をのぞいていた「私」は、そこにある人形が、昨日ダンナさまの家に帰省してきた男女の子たちと同じであることに気がつく。「その表情はなんと霊的なのだろう。あの二人の中学生も、この人形も両腕のないご先祖さまと形も、顔も同じなのだ」
土産物売り場のほうを眺める気力もなくなった「私」はバスに乗って、居眠りをしてしまう。気がついて、前の座席に移動して、「もしや」と思って後ろをふりむくと、乗客の顔が「きちんと並んでいる。突然、私は乗客の頭や顔が、あの土産物売り場の人形に変わった」。「私」は浄瑠璃の「いろは送り」の語りが浮かび、「太棹三味線の音が聞こえて、バスの外の風景はあの屏風の絵の山や森になって人形たちは並んでいる」
あらすじの紹介が、またしても長くなってしまった。深沢は1980年代前後にたくさん作品を発表している。そのどれもが一筋縄ではいかないもののように思われる。「楢山節考」や「笛吹川」のように本格的な戦争小説__反戦小説と言ってもいいと思うのだが__と読めるものは「風流無譚」の悲劇の後、まったくといっていいほど書かれなくなってしまったので、深沢は「性」と「無常」の世界に逃避してしまったのか、と私は思っていた。だが、この小説の中に、私たちが覗くのは、そんな抽象的もしくは宗教的な「世界の深淵」といったものではない。もっと具体的で現実的な過去から現在への時間そのものである。作中「そのヒト」が「ダンナさま」に変わり、「私」も「ダンナさま」と呼ばれるようになるように、そして花茎をねじらせながら下から咲き続けるもじずりのように、連綿と続く時間そのものを、私たちは見なければいけないのだろう。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
素晴らしい考察です。
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