昭和29年「もはや戦後ではない」という言葉が流行語のようにあちこちで聞かれた。テレビはまだない時代だったから、ラジオで聞いたり新聞の紙面で見たりしたのだろうと思う。「もはや戦後ではない」という言葉がもてはやされたのは、まだ十分「戦後」の現実があったからである。傷痍軍人の姿はさすがに見なくなっていたと思うが、家並みは貧しく、商品も豊富ではなかった。近くに米軍の基地があって、兵士の姿を日常的に目にした。
レイモンドチャンドラーの最高傑作『長いお別れ』がアメリカで出版されたのは、昭和29年_1954年である。私はこの小説に2度魅了された。一度目は青春の記念碑として。2度目は完成度の高い資本主義のテキストとして。といっても、この作品を初めて私が読んだのは、昭和42年_1967年なので、その間13年の隔たりがある。13年の間にアメリカは変わり、日本も変わった。朝鮮動乱停戦の後、アメリカはベトナム戦争に介入し始めていた。貧しかった日本は朝鮮特需を経て、高度成長にさしかかろうとしていた。そして、私は青春の記念碑としてこの小説を愛読する年齢になっていた。女主人公アイリーン・ウエイドのことば「時はすべてのことをみにくく、いやしく、見すぼらしくするのです。・・・人生の悲劇は美しいものが若くして消え失せてしまうことではなく、年を重ねてみにくくなることです。」(清水俊二訳)に酔った。自分が「年を重ねて、みにくくなる」ときが来ることは想像できなかった。
この小説をもう一回読み直したのは、日本がバブルと呼ばれた時代だった。「みにくく」なったとは思いたくなかったが「年を重ねた」ことは確かだった。アイリーンとテリー・レノックスの悲恋物語として読んでいたこの小説が、アメリカ全盛時代の社会構造を、推理小説の形式で批判したものだということに気がついた。私が年齢とともに経験を積んだこともあるが、日本の社会がようやくアメリカ50年代に近づいたことも大きかったと思う。一文無しで酔いつぶれていたテリー・レノックスが、大富豪の娘と二度目の結婚をした後、彼の周囲の上流階級の生活について「働かないでよくて、金に糸目をつけないとなると、することはいくらでもある。ほんとはちっとも楽しくないはずなんだが、金があるとそれに気がつかない。ほんとの楽しみなんて知らないんだ。彼らが熱を上げてほしがるものと言えば他人の女房ぐらいのものだが、それもたとえば、水道工夫の細君が居間に新しいカーテンをほしがる気持ちとくらべれば、じつにあっさりしたものなんだ。」と探偵マーロウに語る場面がある。私がこの言葉を実感として受け止めることができるようになるには、アメリカから三十年遅れて、バブル華やかな80年代の「金妻シリーズ」を待たなければならなかった。
プロットの組み立てが下手なチャンドラーだが、この小説はしっかりした構成と、人物や場面の生き生きとした描写、一度聞いたら忘れがたいセリフなど、彼の最高傑作であることは間違いないと思う。その中に、チャンドラーがアメリカ社会と資本主義というものをどのように捉えていたかを示す印象的な言葉がある。偽装の逃亡劇を演じるためにマーロウを利用したテリーが、再びマーロウのもとに現れ、「からだに正札をつけていない人間は君だけじゃないんだぜ、マーロウ」と言う。それにたいしてマーロウは「君はぼくを買ったんだよ、テリー。何ともいえない微笑やちょっと手を動かしたりするときの何気ない動作やしずかなバーで飲んだ何杯かの酒で買ったんだ。」とこたえる。あらゆるものが商品化される社会で、最も高価なものは人間の魂だ。最も売ってはいけないものほど最も高く売れる。そのことに本人が気づいていなければ最高だ。テリー・レノックスが気づいていなかったとは思わないが。
「手綱をゆるめて馬に乗ったことはない」と自負するチャンドラーの文章は、すみずみまで神経が行き届いていて、訳文も素晴らしい。私のつたない紹介がその魅力を十分伝えられないのが残念だ。50年代のアメリカ全盛時代に近づきながら、それを超えられないままバブル崩壊を経験し、「失われた20年」を過ぎたいま、ようやく「西洋浪花節」などと揶揄されることもあったチャンドラーを再評価できる時がきたと思う。「しゃれた服を着て、香水を匂わせて、まるで五十ドルの淫売みたいにエレガントだぜ」とは、最後にマーロウがテリーに投げかけた言葉だが、これはまさにバブルのときの日本社会そのものではなかったか。
少し休もうと思ったのですが、ちょっと時間があって、また書きたくなってしまいました。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
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