2012年1月5日木曜日

祀られざるも神には神の身土があると___「復興」ということ

今日は新約聖書の中の貨幣に関する有名な「タラントのたとえ」について書こうと思っていたのですが、予定を変えて、宮沢賢治の詩をとりあげます。

 現在進行形の「ニュース」について直接書くことは、できるだけ避けようと思っている。情報として自分のなかに取り込んだ事実にたいして、十分に消化して、文字に定着させるまでには時間がかかるからだ。しかし、今朝の日経1面トップに「宮城沿岸部に先端農場__官民連携 被災地250ヘクタール借り上げ」という見出しが目に入って、とっさに宮沢賢治の詩の一節が脳裡にひらめいた。詩集『春と修羅』第二集中
「祀られざるも神には神の身土があると
あざけるやうなうつろな声で
さういったのはいったい誰だ 席をわたったそれは誰だ」

 そういうことだったのか。地震と津波で壊滅的な被害を受けた地域に、先端の科学技術を駆使した大規模実験農場をつくる。素晴らしい新世界!みごとなスクラップアンドビルドだ。だが、「復興」とは、そういうことだったのか。科学的合理的な生産技術で収穫が増え、人手は省かれコストは削減され、管理された流通システムで安定的な収入が得られる。よいことづくめだ。でも、そこに、震災前までそこでなりわいとして農業を営んでこられた方たちの思いは存在するのだろうか。そして、「国破れて、山河なし」となってしまった自然はどんな姿に変わるのだろうか。

 「産業組合青年会」と名づけられた上記の詩はその数行後、
「部落部落の小組合が
ハムを作り羊毛を織り医薬を頒ち
村ごとのまたその聨合の大きなものが
山地の肩を砕いて
石灰岩末の幾千車かを
酸えた野原に注いだり
ゴムから靴を鋳たりもしよう」
と、近代化に轟進するさまを描く。近代化によって、貧困にあえぐ東北の農村の生活を向上させること、賢治は文字通りそのために「献身」したのだ。

 だが、詩片は
「これら熱誠有為な村々の処士会同の夜半
祀られざるも神には神の身土があると
老いて呟くそれは誰だ」
と閉じられる。

 賢治とその時代は、みずからの手で「山地の肩をひととこ砕いて」自然を破壊した。そのことへの怖れと慄きが、繰り返される「祀られざるも・・・・」という詩句にこめられている。いま、東北の地は「自然災害」によって、賢治の時代と比較できないほど、完膚なきまでに破壊された。そのあとに、じつに理想的な実験農場が開かれる。しかし、そこに、かつて生活していた人々の日常は戻ってくるのだろうか。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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