2018年8月16日木曜日

小津安二郎『東京物語』__死の予告__「私をさびしい草原に埋めないで」

 今回はメモです。

 『東京物語』で使われる曲は四つある。最初と最後はアメリカの曲で、間に挿まれて日本の歌謡曲が二曲歌われる。この二つは戦争中のもので、周吉ととみが熱海の宿で眠れない一夜を過ごす原因となる。曲は「湯の町エレジー」と「煌めく星座」で、とくに後者は延々と二番の歌詞まですべてアコーデオンの伴奏つきで三木たかしという歌手が歌っている。

 「煌めく星座」は一九四〇年高峰秀子主演の『秀子の応援団長』という映画の主題歌でハワイ帰りの灰田勝彦が歌い、レコードとなっている。これについても書きたいことが少しあるのだが、いまは最初に幸一の長男実が口笛でメロディを吹く「私をさびしい草原に埋めないで」をとりあげてみたい。

 東京の幸一の家についた周吉ととみを、日曜日に幸一が東京見物に連れていこうとする。実と勇も一緒である。幸一にいわれて実が二階の周吉夫婦の様子を見に階段を上がっていく。そのときに実が吹いている口笛が「私をさびしい草原に埋めないで」なのだ。「私をさびしい草原に埋めないで」というより西部劇『駅馬車』のメロディーとして記憶されている方も多いだろう。軽快なリズムとテンポのこの曲が「私を海原に投げ込まないで」という海賊の歌として数百年も歌い継がれてきたことを知る人は少ないのではないか。

 「私をさびしい草原に埋めないで」という歌は前述の海賊たちの間で歌われてきたものが、開拓時代のカウボーイたちによって歌い継がれてきたもののようである。「駅馬車」の主題歌とはテンポとリズムの異なるものが、ユーチューブで検索されるが、何とも乾いた、虚無の風が吹き抜けるような感じがする。

 ほんの数小節口笛で吹かれるこの曲にこだわるのは、ラスト近く、紀子が周吉からとみの懐中時計を渡されて泣き崩れるシーンとかぶさって流れるのが、フォスターの「主は冷たい土の中に」(日本では「夕べの鐘」という題で歌詞が付けられているものもあるようだが)という曲で、最初と最後で見事に起承転結が合うからである。「主は冷たい土の中に」は黒人奴隷が主人の死を悲しんで、主人を偲ぶ歌である。フォークソングのようだが、フォスターが作曲したものだ。

 明るく、軽快に死を予告する。そして、「死」は実行される。もし、これを確信犯としてやっているなら、何という残酷なことだろう。

 『東京物語』の謎は深まるばかりである。

 『晩春』の「プーちゃん」についても書きたいことがあるのですが、「クーさん」との整合性がいまいちなので、もう少し時間が欲しいと思っています。

 とりとめもない妄想を最後まで読んでくださってありがとうございました。
 

2018年8月2日木曜日

小津安二郎『東京物語』__時空の揺らぎと「物語」の嘘

 『東京物語』を見ていて、どうしても気になることのひとつに、尾道_東京間の所要時間はいくらなのか、という極めて初歩的で単純な疑問がある。

 冒頭周吉ととみが旅行鞄に荷物を詰めている。次女の京子が小学校に出勤する前に弁当とお茶を用意して二人に渡している。ところが、二人はすぐ出発するのではなく、「昼からの汽車で」東京に行くのだと言う。弁当とお茶はどこで、いつ食べるのだろう。暑い盛りに腐ってしまわないだろうか。まず、ここでかすかな疑問が生まれる。

 周吉は京子に、学校が忙しければホームにこなくていい、と言うが京子は「五時間目は体育だから」大丈夫だと言う。ということは、周吉ととみが乗る汽車は、午後一時から二時の間に尾道を出発することになる。大阪には(午後)六時に着くから敬三がホームに来ているだろう、とも周吉が言っている。ところが、二人が東京に到着する時刻は明らかにされないのである。

 尾道の家で隣家の主婦と会話した後、すぐ六本の煙突が煙を吐くシーン、続いて「ほりきり」と書いた看板が立つ小さな駅のホームのシーンになる。周吉ととみの車中の様子は映像化されないのである。「内科小児科平山医院 スグ此ノ土手ノ下」と書かれた看板が映り、その後中年の女性が箒で室内を掃いているシーンになる。この家の主婦の平山文子である。「ただいま」と男の子が学校から帰ってくる。文子の長男実である。その後、文子の夫で周吉ととみの長男平山幸一が、二人を連れて家に入ってくる。幸一の妹(周吉ととみの長女)志げも一緒である。これは何時頃の出来事なのだろうか。

 「今、テストなんだぞ」と言う実(中学生)が帰宅するのはどんなに早くてもお昼すぎ、あるいはお昼間際だろう。とすると、東京駅には何時に着いたのだろうか。

 周吉ととみが尾道に帰るときの所要時間は確定されている。夜「九時三〇分」発の急行で翌日「午後一時半」には尾道に着くのだから、ととみが言っている。つまり東京→尾道間は十六時間である。

 東京→尾道間も尾道→東京間もほぼ同じ所要時間とすれば、「お昼すぎに尾道を出発」すれば翌朝五時過ぎ遅くとも六時には東京駅に着くはずである。その時刻に着けば、「だいぶん、自動車で遠いかった」ととみは言うが、幸一の自宅兼医院がある「ほりきり」駅近くまで車で走っても、お昼近くまでかかることはないだろう。ということは東京駅には十時過ぎに到着したことになり、尾道→東京は東京→尾道に比べ、はるかに時間がかかるということになる。そういうことがあるだろうか。

 ところで、「ほりきり」と看板がかかった駅は実は東武伊勢崎線の「堀切」駅ではないそうである。何となく不吉な感じのする音響とともに、六本の煙突(千住発電所のお化け煙突と呼ばれていたものらしい)が立っているシーンの後、「ほりきり」と書かれた看板が立つホームが遠景で映される。続いて、モンペ姿の若い娘が二人汗を拭きながら談笑しているシーンになる。かたわらに大きな籠が置かれているので、行商をしているのだろう。二人が立っている前に「うしだ」「〇ねがふち」と両隣の駅名が書かれた看板が立っている。いかにも「堀切」駅のホームのようである。
 
 だが、これは京成押上線の「八広」と言う駅で撮影されたものだそうだ。実際の堀切駅は、線路が道路より下にあるので、この映像のようにトラックが線路と同じ高さで走ることはあり得ない。また、この映像では踏切がホームの手前に映っているが、堀切駅の近くには踏み切りはない。「うしだ」「〇ねがふち」と両隣の駅名を書いた看板は、よく見ると電車の進行方向と直角に立っている。これでは電車の中から駅名が見づらい。つまりこの看板はニセモノなのである。

 なぜ、小津は八広駅を「ほりきり」駅にしたかったのか。「ほりきり」にこだわる理由があるのだろうか。たんに平山医院の場所を荒川の土手の下にしたかったのなら、「ほりきり」駅のホームを映さなくてもよかったのに、と思う。

 事実に見えるように映像化して、その中に嘘を混ぜる。何となく違和感はあるものの、さらっと見逃してしまいそうな嘘である。なぜ、こんな手のこんだことをするのか。

 大江健三郎が『憂い顔の童子』の中で、母親の言葉としていっているように「本当のことをいうのは、ウソに力をあたえるため」なら、逆に「嘘を言うのは、本当のことに力をあたえるため」という論理は成り立つだろうか。

 『東京物語』の「本当のこと」は何だろう。『東京物語』の嘘は、注意深く検証すれば嘘であることが証明されるが、「本当のこと」は容易に姿を現してくれないような気がする。一見分かりやすい人情劇_酷薄な娘と役立たずの息子を演じる杉村春子と山村總は名演技だと思う_の向こうにある本当の「物語」は何か。私たちはもう一度「東京」の「物語」あるいは「物語」の「東京」について考えなければならない。

 非常に即物的でありながら極めて抽象的な論を展開してしまいました。「東京物語」の「本当のこと」について書くにはもう少し時間がかりそうです。書けるかどうかわかりませんが、何とか言葉にしたいと思っています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2018年7月25日水曜日

小津安二郎『東京物語』__「主は冷たい土の中に」__紀子に渡された時間

 生と死、家族のあり方を描いた傑作として評価が定まっている作品である。尾道から老夫婦(妻が六八歳、夫はそれよりいくらか年上か)が上京する。長男と長女の家に滞在するが、それぞれの生活の都合があって、結局義理の娘(亡くなった次男の嫁)の世話になる。帰りの列車の中で具合が悪くなった妻は尾道に帰ると急死してしまう。「ハハキトク」の電報で子供たちが尾道に集まるが、葬式が終わるとその日のうちに帰っていく。最後に残った次男の嫁も、尾道の小学校で教師をしている次女と東京での再会を約束して帰京する。

 プロットの展開といい、登場人物の性格描写と言い、リアリティに満ちていて、これもまた不自然なところなどどこにもないように見える。何となく次男の嫁_紀子の献身ぶりが浮き立ってしまうようなところがあるのだけれど、その素晴らしい日本語、というか東京山の手の上流階級風のことばと物腰、表情に納得してしまう。

 しかし、それでもやはり、この映画はおかしいのである。今日、映画はDVDその他で繰り返し見ることができる。時には、映像を中断して、停止画像を検証することもできる。そのような操作をして「おかしさ」を発見することは、観客として邪道かもしれないが、小津もまた確信犯的アンフェアだといわざるを得ない。

 熱海の宿で眠れぬ夜を過ごして、東京に帰った周吉ととみの夫婦は、泊まろうと思っていた長女の家を追い出されてしまう。とみは紀子のアパートに泊めてもらう。時計の鐘が十二時を告げている。アパートの部屋で、紀子に肩を揉んでもらうとみ。とみの表情はほんとうに柔和で幸せそうだが、紀子のそれはニュートラルである。とみに向かい合う時は十分に笑みをたたえているが、そうでないときは、はっとするほど冷酷な表情をする。それがまた、慄然とする美しさなのである。

 まだ若いのだから、と再婚をすすめるとみに「もう、若かありませんわ」と自嘲気味に答える紀子。その目はなまめかしい、というか妖しいというか、複雑な色を帯びていて、夫を亡くした後の紀子の生活が葛藤に満ちたものであったことをうかがわせるようだ。「それじゃぁ、いいとこがありましたら」と受け流す紀子に、さらに「苦労をかけた・・」と言いつのるとみ。行く末を案じるとみに紀子は「あたし齢取らないことに決めてますから」と冗談とも本気ともわからないことをいう。「ええ人じゃのう、あんた」と、とみは俯いて涙ぐむのだが、紀子はどこか突き放した口調で「じゃ、おやすみなさい」と切り上げ、電灯を消す。とみの背中を見る紀子の視線は獲物をうかがう動物のような冷酷さである。

 カメラはさらに、仰向けになった紀子の横顔を映す。目を見開いて、上を見上げる紀子は何事か考えている様子である。二度瞬きをして、かすかに喉もとを動かし、何か飲み込むようである。とみと紀子の間にはひそかに張り巡らされた緊張の糸が存在するのだ。薊を意匠した紀子の浴衣も無気味である。棘だった葉の模様が蝙蝠のように見える。

 とみの危篤を兄嫁から職場の電話で知らされた紀子の表情もまた、ぞっとするものがある。受話器を置いて自分の机まで歩いていく紀子。タイプライターの音が続く。俯いているが、その表情は険しい。覚悟を決めたような気配も感じられる。机に向かって鉛筆を回転させながら、何事か考えているようだが、不貞腐れたようにも見える顔つきである。これが、あのアパートで慄然とするまでの美しさを見せた紀子と同一人物かと思うほど不細工に映っている。

 そして、この直後、この映画で最も不思議な映像が挿入される。電動ドリルで穴を開ける音とともに、画面いっぱいに組まれた鉄骨が映し出される。鉄骨の向こうにビルの壁が見える。回天窓の大きさと形から、オフィス街のビルだと思われる。画面が切り替わって、鉄骨の組まれた上に空が広がる。自動車のクラクションの音も聞こえる。

 この画面が、とみの死、そして紀子の運命と何の関係があるのか。

 ラスト近く、出勤する京子を東京での再会を約束した紀子が見送る。この間二、三分のシーンだが、京子と紀子が会話する座敷の外側に鶏頭の花がぼんやりと映っている。鶏頭の花は座敷の両側に植えられている。周吉ととみの出発時にはなかった鶏頭の花が、とみの葬儀のあたりから頻繁に映されるが、無気味である。そういえば、冒頭、出勤前の京子と周吉夫婦のやり取りのシーンで、座敷の向こうに蛸の干したものがぶら下がっている。これもまた気持ちのよいものではない。人間の頭蓋骨のように見える。

 画面の不思議といえば、周吉ととみが紀子のアパートで食事をする場面がある。隣の部屋の若い主婦から酒を借りてきた紀子が周吉に酒をすすめ、出前の丼を取る。配達された丼にとみが箸をつけた途端、背後のガラスがひび割れているのである。周吉が盃を干したときには気が付かなかったが、とみがものを食べた瞬間にひび割れて、テープのようなもので補修されたガラスになるのだ。そもそもこの映画にはひび割れたガラスがあちこち出現する。長男の開業する医院の薬棚のガラスもひびだらけである。

 ラストはやはり紀子と周吉の対決になる。出勤する京子が玄関を出ると、紀子は踵を返して手早く部屋を片付け、周吉に「わたくし、今日お昼からの汽車で」と、帰京する旨を告げる。周吉に対しては、紀子は「わたくし」という自称で話すのだ。紀子の行為に謝意を述べる周吉に、紀子は「何にもおかまいできませんで」と返し、「ありがとう」と周吉があらためて礼を言うと「いいえ・・・」とバツが悪そうに俯く。

 亡くなる前に紀子のアパートでとみが言ったのと同じことばを周吉も繰り返す。良縁があったら再婚してほしい、亡くなった息子のことは忘れてもらって構わない、と。さらに、周吉は、とみが紀子のことをこんなに、良い人はいないと褒めていたことを伝える。すると紀子は「お義母さま、わたくしのことを買いかぶっていらしたんですわ」と答え、「わたくし、ずるいんです。お義父様やお義母様が思ってらっしゃるほど、そういつもいつも省二さんのことばかり考えているわけじゃありません」と言う。

 「ええんじゃよ、忘れてくれて」と周吉が言うと、紀子は「でも、この頃思い出さない日さえあるんです。忘れてる日が多いんです」と答え、堰を切ったように言葉を重ねるのだ。この場面、カメラは、なぜか周吉の後ろ姿の向こうに紀子をとらえる。行く末の不安と未来に起こるかもしれない出来事への期待を必死に訴える紀子の表情は、無言の周吉の背中越しに見えるのだ。

 「心の片隅で何かを待ってるんです。ずるいんです」と言う紀子に、周吉は「ずるうはない」と答える。「いいえ、ずるいんです。そういうことお義母様には申し上げられなかったんです」と紀子が返して、ここからカメラはまた紀子を近くでとらえる。周吉が「やっぱりあんたはええ人じゃよ。正直で」がと言うと紀子は「とんでもない」と顔をそむけて泣く。

 涙をこらえている風情の紀子に、周吉はとみの形見の懐中時計を差し出す。このシーンにも鶏頭の花が映っている。ちょうど紀子の齢くらいからとみが持っていたという時計を紀子に、と言う周吉の言葉に紀子は涙をたたえた目で「すみません」とうつむく。そして、紀子の幸せを祈る、と周吉が続けると、紀子は手で顔を覆って泣き崩れる。

 この後「主は冷たい土の中に」の曲が流れる。小学生の合唱のようである。小学校の校舎、バケツをもった子供たちが歩いている廊下、京子が算数を教えている教室が映される。教室の窓から外を見る京子。紀子の乗る汽車が轟音とともに疾走して行くシーンが危険なほどの近さで映される。

 汽車の中で、懐中時計を見る取り出して、蓋を開け確かめる紀子。髪型を変え、ブラウスも変えて、周吉と対話していたときとは別人のようである。ニュートラルな表情だが、最後に何事か決意したような気配になる。汽笛が鳴る。

 以上、「紀子物語」をざっとトレースしてみたが、これが『東京物語』の中でどのような役割を果たすのか、いまの私には解が見つけられないのである。紀子の行動については、まだあといくつか触れたい箇所もあるのだが、長くなるのでまた次の機会にしたい。もっとも根本的なのは、「堀切」という駅名が明示された荒川の土手下を中心とする場所が、なぜ「東京物語」の舞台に選ばれたのか、という疑問である。それは『東京物語』の構造にかかわる核心の問題なのだろうが。

 ラストちかくの紀子と周吉の対決について、もう少し二人の心理の襞に立ち入って書かなければならないのですが、これ以上冗長な文章を続けるのも憚られるので、これもまた次の機会にしたいと思います。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2018年7月9日月曜日

小津安二郎『晩春』の謎__Z、コカコーラ、三つの林檎

 前回「紀子と周吉の永劫回帰」の最後に、「Z」はなかった、と書いたが、実は最後に「Z」が登場するのである。紀子と周吉の婚前旅行の旅館で二人が帰り支度をしている。紀子がストッキングをぐるりと束ねて仕舞っている。周吉は旅先に持参した本を鞄に入れている。最後に周吉が手に取ったのが「Also Sprach Zarathustra_ツァラトゥストラはかく語りき 」である。ここに大文字の「Z」がの登場する。

 周吉が「Also Sprach Zaratuustra」をいったん手に取って確かめるような動作をしながら、「(これからは)佐竹君に可愛がって貰うんだよ」と言う。すると、しばらく無言のままだった紀子は「あたし、このままお父さんと一緒にいたいの。どこにも行きたくないの」と本心を吐露し始める。お嫁に行ったってこれ以上楽しいことがあるとは思えない。お父さんが好きなの。お父さん、奥さんお貰いになったっていいのよ。このままそばにいさせて。お願い。・・・と紀子は周吉のそばににじり寄っていく気配を見せる。これはもう、父を慕う娘の情、という範疇のものではない。

 これに対して、周吉は、「人間の歴史の順序」などという言葉を用いて紀子を説得しようとする。大演説を打つのである。理路整然と結婚と幸せについて語るのだが、どうも紀子の気持ちに届いているようには思えない。それでも、紀子は涙をこらえながら、「わがまま言ってすみません」とあやまる。一応は諦めたように見えるのだが。

 さて、「Z」とは何か。たんに「終止符」の記号だろうか。それともZarathustraの頭文字の意を含むのだろうか。あるいは、Z計画、Z旗・・・これは関係ないか。

 紀子と周吉の婚前旅行では、浴衣姿の二人が枕を並べて横たわるシーンの壺のショットが有名である。この壺の意味については様々な解釈がなされているようだが、私が知りたいのは、壺に描かれている模様である。なんだかよく分からないのだが、あまり気持ちのいいものではない。何となく『お茶漬けの味』の小暮美千代が着ている浴衣の模様に似ているような気がする。

 浴衣の模様といえば、このシーンの紀子の浴衣の模様はアヤメであって、明らかに蛇のメタファーであることはいうまでもない。こんな説明はまさに「蛇足」だが。

 『晩春』は紀子と周吉の物語であると同時に紀子と服部の物語でもある。周吉(曾宮家と)服部の物語、といってもいいかもしれない。冒頭「Z」をめぐって周吉と服部が会話するのだが、もう一つ「リンシャンカイホウ」なる麻雀用語が二人の会話の中に出てくる。「嶺上開花」と書くらしいが、麻雀に疎い私には何の事かよくわからない。要するに「この前の麻雀は僕が(周吉ではなくて)トップだった」と服部は言っているのである。? 

 映画の前半に、紀子と服部が自転車で由比ガ浜の海沿いの道路を行く場面がある。二台の自転車を並走させて二人は楽しそうにサイクリングをしている。二台の自転車と乗っている二人を、カメラは後ろから、前から、斜め後方から追っていく。二人の上半身もアップで映される。ちょっと不思議なのは、道路標識が英語で書かれていることである。矢印の標識の上に大きなコカコーラの瓶が描かれた看板を通り過ぎ、砂浜に自転車をとめて、二人は海の近くに歩いていく。コカコーラが昭和二十四年の日本に存在していたことも驚きだが、道路標識も英語で書かれていることも意外だった。これは鎌倉だけのことだったのだろうか。

 海の見える場所で寄り添うように二人は腰を下ろす。二人の会話は紀子が唐突に「じゃ、あたしはどっちだとお思いになる?」と服部に聞くところから始まる。「あなたは焼きもちなんか焼く人じゃないでしょう」と服部は答えるのだが、紀子は「ところがあたし、焼きもち焼きなの。あたしがお沢庵切るとつながっているんですもの」と言う。まるで禅問答のようだが、つながったお沢庵というモチーフはもう一度、二人が「BALBOA」という喫茶店で会う場面でも繰り返される。

 つながったお沢庵は蛇腹を連想させ、まさに蛇なのだが、ここでは、語り合う二人の姿が、どう見ても恋人同士であることに注目したい。紀子と服部の関係は真正の大人の関係ではないだろうか。サイクリングから帰ってきて、上機嫌で「花」をハミングしている紀子の白いソックスの足の裏が汚れているのも、どうしても気になるのだが。紀子はどこをソックスで歩いたのだろう。

 余談だが、「服部」という苗字を調べていくといろいろ面白いことがわかる。服部家の跡継ぎは代々「半蔵」を名乗る習わしがあって、皇居の「半蔵門」も「服部半蔵」に由来するのだとか。これもまた蛇足だけれど。

 紀子の結婚式当日の曾宮家にも服部がいる。まるで紀子の親族のような顔をして礼服を着て周吉と並んで椅子に座っている。「佐竹熊太郎」という紀子の花婿の姿は最後まで画面に現れることはない。二階の自分の部屋で花嫁衣裳に身を包み、涙をこらえて周吉に挨拶する紀子と、紀子の手を取って介添えしながら部屋を出て行く周吉の後ろ姿が映される。紀子が登場する画面はこれが最後である。

 この後は、式を終えた周吉とアヤが割烹「多喜川」で盃を傾けるシーンがあって、ここでも少しおかしいことがある。周吉がアヤを「のりちゃん」とか「スーちゃん」とか呼んでいて、アヤも何も言わずにそれに受け答えしているのだ。? 最後には「きっと(家に)来ておくれよ、アヤちゃん」と言うのだけれど。

 ラスト近く、手伝いの女も帰って、家の中に唯一人になった周吉が礼服の上着だけ脱いだ姿で、椅子に座る。テーブルの上に林檎が三つ置かれている。周吉がそのうちの一つを取り上げ、ナイフで皮を剥き始める。くるくるくるくるナイフが回って林檎の皮が剥けていく。ほとんど剥き終わったところで、ナイフが手から落ちて、がっくりとうな垂れる周吉。

 この後映像は波立つ海面に切り替わって終わるのだが、三つの林檎と海はどんな関係があるのか。なぜ林檎は三つなのか。誰が置いたのか。何のために。

 『晩春』はこの上なくシンプルなストーリーなのに、いつまでも、どうしても解けない謎に満ちています。ぴんとはりつめた緊張感の漂う画面は一つの手抜きも許されないジグソーパズルで組み合わされているかのようです。分解して、組み合わせて、また分解して・・・終わりのない作業の繰り返しなので、ひとまずこれで切り上げようと思います。

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2018年6月26日火曜日

小津安二郎『晩春』の謎__紀子と周吉の永劫回帰あるいは安珍清姫を巡る幻想__蛇というモチーフ

 『晩春』は原節子が演じる「紀子三部作」の第一作である。あまりにも有名な作品なので、改めてストーリーを紹介する必要もないだろう。父と二人暮らしで婚期を逸しかけている娘がようやく結婚する物語である。娘を思う父は、自分が再婚すると偽って、娘を結婚に追いやる。言ってみればそれだけの話で、シンプルなことこの上ない。父を慕う娘と娘を思う父との繊細微妙な心理の動きがきめ細やかに映像化されている。プロットの展開といい、映像の流れといい、どこにも不自然なところはないように見える。

  なので、これから書くことは、すべて私の独断と偏見に満ちた妄想かもしれない。

 この映画のテーマは「永劫回帰」であり、隠されたモチーフは「蛇」である。

 一分の隙もなく組み立てられた完璧な作品に対して、その一部を切り取って分析するのはどう見ても下品な行為のように思われるので、具体的な場面を取り上げるのは最小限にしたい。上記の「永劫回帰」と「蛇」の暗示は、まず、映画の導入部に登場する。

 「北鎌倉」の駅を映した映像は、一転、寺の境内でお茶会が行われているシーンになる。着物姿の紀子が登場する。席に座った紀子に叔母のまさが話しかける。夫の縞のズボンを切り取って息子の半ズボンにしてほしい、と頼むのである。風呂敷に包んだものをその場で紀子に渡す。この後、周吉がまさの家で紀子の結婚について話すシーンがあるが、部屋の中に縞のシャツがハンガーに掛かっている。まさの夫は一度も画面に登場することはないが、縞模様が好みらしい。

 お茶会の席に「三輪夫人」が登場するのも蛇を意識させる。まさと挨拶を交わす中年の女性の名前は後に明かされるのだが。ついでに言えば、この時紀子が着ている着物は鉄扇の模様である。あまり見かけない模様で花びらだけ描いているが、鉄扇はつる性の植物である。T.Sエリオットの「バーント・ノートン」という詩の中にも「身を屈め、からみつく」両義的な存在として登場する。

 この他にも蛇を暗示する映像は枚挙にいとまがない。洗濯物干しに紀子のストッキングが吊るされている。「多喜川」という割烹に周吉が忘れた手袋を紀子が家に持って帰ってひらひらとかざすシーン。「多喜川」は「瀧川」なのだろうが。ストッキングも手袋も抜け殻のイメージである。京都の旅館で帰り支度をしている紀子が、ストッキングを2枚重ねてぐるっと裏返して一つにまとめるシーンもある。「蝦蟇口」を拾ったから紀子が縁談を承諾するだろうと言ってまさが縁起をかつぐシーン。曾宮家の玄関脇の部屋に置かれ、頻繁に画面の隅に登場するミシン。ボビン窯の形が似ていることから名づけられたと言われるその名もずばり「蛇の目」である。

 蛇のモチーフが最も象徴的かつ重層的に用いられているのが、能「杜若」の舞台シーンである。延々六分ほど「杜若」の謡と舞が繰り広げられる。ここは原節子の眼の演技が有名であるが、謡と舞の舞台そのものにも注目してみたい。「杜若」は一幕もので短いが、伊勢物語の解説書のような内容で、かなり複雑である。『晩春』では後半部分が映像化されている。

 植ゑおきしむかしの宿の杜若 色ばかりこそむかしなりけれ 色ばかりこそ昔なりけれ
 色ばかりこそ 昔男の名を留めて 花橘の匂いうつる 菖蒲の鬘の 色はいずれ
 似たりや似たり 杜若花菖蒲 
 こずゑに鳴くは 蝉のからころもの 
 袖白妙の 卯の花の雪の 夜も白々と 明くる東雲のあさ紫の
 杜若の 花も悟りの心開けて すはや今こそ草木国土 すはや今こそ草木国土

 縁語、懸詞を多用した技巧的な文句が続くので、文字に起こしても意味が分かりにくい。舞台上では朗々と謡われるので、なおさらなのだが、繰り返される「あやめ」「から衣」は蛇の隠語であったり脱皮のメタファーである。「卯の花」_ウツギも茎が中空であることから命名されたそうである。これも脱皮のイメージにつながるのだろうか。

 シテの杜若の精は薄紫の衣裳をつけて演じることが多いようだが、この映画ではさらにその上に薄く透けて見えるものを重ねている。これは脱皮前の蛇のイメージとするのはあまりに強引だろうか。

 シテの舞の映像は「花も悟りの心開けて」の部分で終わり、「すはや今こそ草木国土」以下は謡の音声だけで、画像は大きく梢を広げた松の木に変わる。もう一度「すはや今こそ草木国土」と繰り返される。杜若のシーンはここで終わり、「悉皆成仏の御法を得てこそ 失せにけれ」の結びの部分は音声も映像も映画の中には存在しない。悉皆成仏は成らなかったのである。

 悉皆成仏は、蛇の寓意がさらに「安珍清姫」の伝承に具体化されなければ、成らなかった。安珍清姫の伝承は『大日本国法華経験記』『今昔物語』にその原形があるといわれる。熊野に参詣に来た僧安珍に宿を貸した清姫が恋慕し、逃げる安珍を追って蛇となって日高川を渡り、さらに道成寺の鐘の中に逃げ込んだ安珍を、清姫が口から吐いた炎で焼き殺してしまう話である。『大日本国経験記』『今昔物語』とも女は「伊の国牟婁の女」と記述されている。

 女は「紀」子である。安珍清姫はともに蛇界に転生するが、道成寺の住持の唱える法華経の功徳で成仏する。住持の夢に現れた二人は熊野権現と観世音菩薩の姿であった。紀子のお見合いの相手が「佐竹熊太郎」というのも「熊野」を連想させたかったものと思われる。それでもまだ「成仏」は成らなかったように思われるのだが、

 永劫回帰のテーマのについても書きたいが、すでにかなりの長文となってしまったので、また回を改めたい。ヒントをひとつ。冒頭大学教授の父とその助手が「リスト」という名前のスペルに「Z」があるとかないとか言っている。結論は、「z」はない、のである。それからラスト近く、周吉と紀子が京都を訪れて帰りの支度をしているとき、周吉が最後に旅行鞄に入れた本の題名は何だったろうか。

 下品な謎解きはしたくない、などと言いながら、どう見ても上品とは言えない文章になってしまいました。謎解きのさらに奥にあるものが、まだ掴めていないのです。紀子_蛇_? 「叔父様の縞のズボンを半分に切って」履かされる勝義が、バットをエナメルで赤く塗ってしまって乾かないために、野球の試合に参加できない、というエピソードは何を意味するのか。その試合のシーンで、バッターボックスに立っている子だけがユニフォームを着ていないのはなぜか、など、(おそらく)どうでもいいことばかり気になってしまうのも、病膏肓なのかもしれません。

 今日も未整理な文章を読んでくださってありがとうございました。