2018年7月25日水曜日

小津安二郎『東京物語』__「主は冷たい土の中に」__紀子に渡された時間

 生と死、家族のあり方を描いた傑作として評価が定まっている作品である。尾道から老夫婦(妻が六八歳、夫はそれよりいくらか年上か)が上京する。長男と長女の家に滞在するが、それぞれの生活の都合があって、結局義理の娘(亡くなった次男の嫁)の世話になる。帰りの列車の中で具合が悪くなった妻は尾道に帰ると急死してしまう。「ハハキトク」の電報で子供たちが尾道に集まるが、葬式が終わるとその日のうちに帰っていく。最後に残った次男の嫁も、尾道の小学校で教師をしている次女と東京での再会を約束して帰京する。

 プロットの展開といい、登場人物の性格描写と言い、リアリティに満ちていて、これもまた不自然なところなどどこにもないように見える。何となく次男の嫁_紀子の献身ぶりが浮き立ってしまうようなところがあるのだけれど、その素晴らしい日本語、というか東京山の手の上流階級風のことばと物腰、表情に納得してしまう。

 しかし、それでもやはり、この映画はおかしいのである。今日、映画はDVDその他で繰り返し見ることができる。時には、映像を中断して、停止画像を検証することもできる。そのような操作をして「おかしさ」を発見することは、観客として邪道かもしれないが、小津もまた確信犯的アンフェアだといわざるを得ない。

 熱海の宿で眠れぬ夜を過ごして、東京に帰った周吉ととみの夫婦は、泊まろうと思っていた長女の家を追い出されてしまう。とみは紀子のアパートに泊めてもらう。時計の鐘が十二時を告げている。アパートの部屋で、紀子に肩を揉んでもらうとみ。とみの表情はほんとうに柔和で幸せそうだが、紀子のそれはニュートラルである。とみに向かい合う時は十分に笑みをたたえているが、そうでないときは、はっとするほど冷酷な表情をする。それがまた、慄然とする美しさなのである。

 まだ若いのだから、と再婚をすすめるとみに「もう、若かありませんわ」と自嘲気味に答える紀子。その目はなまめかしい、というか妖しいというか、複雑な色を帯びていて、夫を亡くした後の紀子の生活が葛藤に満ちたものであったことをうかがわせるようだ。「それじゃぁ、いいとこがありましたら」と受け流す紀子に、さらに「苦労をかけた・・」と言いつのるとみ。行く末を案じるとみに紀子は「あたし齢取らないことに決めてますから」と冗談とも本気ともわからないことをいう。「ええ人じゃのう、あんた」と、とみは俯いて涙ぐむのだが、紀子はどこか突き放した口調で「じゃ、おやすみなさい」と切り上げ、電灯を消す。とみの背中を見る紀子の視線は獲物をうかがう動物のような冷酷さである。

 カメラはさらに、仰向けになった紀子の横顔を映す。目を見開いて、上を見上げる紀子は何事か考えている様子である。二度瞬きをして、かすかに喉もとを動かし、何か飲み込むようである。とみと紀子の間にはひそかに張り巡らされた緊張の糸が存在するのだ。薊を意匠した紀子の浴衣も無気味である。棘だった葉の模様が蝙蝠のように見える。

 とみの危篤を兄嫁から職場の電話で知らされた紀子の表情もまた、ぞっとするものがある。受話器を置いて自分の机まで歩いていく紀子。タイプライターの音が続く。俯いているが、その表情は険しい。覚悟を決めたような気配も感じられる。机に向かって鉛筆を回転させながら、何事か考えているようだが、不貞腐れたようにも見える顔つきである。これが、あのアパートで慄然とするまでの美しさを見せた紀子と同一人物かと思うほど不細工に映っている。

 そして、この直後、この映画で最も不思議な映像が挿入される。電動ドリルで穴を開ける音とともに、画面いっぱいに組まれた鉄骨が映し出される。鉄骨の向こうにビルの壁が見える。回天窓の大きさと形から、オフィス街のビルだと思われる。画面が切り替わって、鉄骨の組まれた上に空が広がる。自動車のクラクションの音も聞こえる。

 この画面が、とみの死、そして紀子の運命と何の関係があるのか。

 ラスト近く、出勤する京子を東京での再会を約束した紀子が見送る。この間二、三分のシーンだが、京子と紀子が会話する座敷の外側に鶏頭の花がぼんやりと映っている。鶏頭の花は座敷の両側に植えられている。周吉ととみの出発時にはなかった鶏頭の花が、とみの葬儀のあたりから頻繁に映されるが、無気味である。そういえば、冒頭、出勤前の京子と周吉夫婦のやり取りのシーンで、座敷の向こうに蛸の干したものがぶら下がっている。これもまた気持ちのよいものではない。人間の頭蓋骨のように見える。

 画面の不思議といえば、周吉ととみが紀子のアパートで食事をする場面がある。隣の部屋の若い主婦から酒を借りてきた紀子が周吉に酒をすすめ、出前の丼を取る。配達された丼にとみが箸をつけた途端、背後のガラスがひび割れているのである。周吉が盃を干したときには気が付かなかったが、とみがものを食べた瞬間にひび割れて、テープのようなもので補修されたガラスになるのだ。そもそもこの映画にはひび割れたガラスがあちこち出現する。長男の開業する医院の薬棚のガラスもひびだらけである。

 ラストはやはり紀子と周吉の対決になる。出勤する京子が玄関を出ると、紀子は踵を返して手早く部屋を片付け、周吉に「わたくし、今日お昼からの汽車で」と、帰京する旨を告げる。周吉に対しては、紀子は「わたくし」という自称で話すのだ。紀子の行為に謝意を述べる周吉に、紀子は「何にもおかまいできませんで」と返し、「ありがとう」と周吉があらためて礼を言うと「いいえ・・・」とバツが悪そうに俯く。

 亡くなる前に紀子のアパートでとみが言ったのと同じことばを周吉も繰り返す。良縁があったら再婚してほしい、亡くなった息子のことは忘れてもらって構わない、と。さらに、周吉は、とみが紀子のことをこんなに、良い人はいないと褒めていたことを伝える。すると紀子は「お義母さま、わたくしのことを買いかぶっていらしたんですわ」と答え、「わたくし、ずるいんです。お義父様やお義母様が思ってらっしゃるほど、そういつもいつも省二さんのことばかり考えているわけじゃありません」と言う。

 「ええんじゃよ、忘れてくれて」と周吉が言うと、紀子は「でも、この頃思い出さない日さえあるんです。忘れてる日が多いんです」と答え、堰を切ったように言葉を重ねるのだ。この場面、カメラは、なぜか周吉の後ろ姿の向こうに紀子をとらえる。行く末の不安と未来に起こるかもしれない出来事への期待を必死に訴える紀子の表情は、無言の周吉の背中越しに見えるのだ。

 「心の片隅で何かを待ってるんです。ずるいんです」と言う紀子に、周吉は「ずるうはない」と答える。「いいえ、ずるいんです。そういうことお義母様には申し上げられなかったんです」と紀子が返して、ここからカメラはまた紀子を近くでとらえる。周吉が「やっぱりあんたはええ人じゃよ。正直で」がと言うと紀子は「とんでもない」と顔をそむけて泣く。

 涙をこらえている風情の紀子に、周吉はとみの形見の懐中時計を差し出す。このシーンにも鶏頭の花が映っている。ちょうど紀子の齢くらいからとみが持っていたという時計を紀子に、と言う周吉の言葉に紀子は涙をたたえた目で「すみません」とうつむく。そして、紀子の幸せを祈る、と周吉が続けると、紀子は手で顔を覆って泣き崩れる。

 この後「主は冷たい土の中に」の曲が流れる。小学生の合唱のようである。小学校の校舎、バケツをもった子供たちが歩いている廊下、京子が算数を教えている教室が映される。教室の窓から外を見る京子。紀子の乗る汽車が轟音とともに疾走して行くシーンが危険なほどの近さで映される。

 汽車の中で、懐中時計を見る取り出して、蓋を開け確かめる紀子。髪型を変え、ブラウスも変えて、周吉と対話していたときとは別人のようである。ニュートラルな表情だが、最後に何事か決意したような気配になる。汽笛が鳴る。

 以上、「紀子物語」をざっとトレースしてみたが、これが『東京物語』の中でどのような役割を果たすのか、いまの私には解が見つけられないのである。紀子の行動については、まだあといくつか触れたい箇所もあるのだが、長くなるのでまた次の機会にしたい。もっとも根本的なのは、「堀切」という駅名が明示された荒川の土手下を中心とする場所が、なぜ「東京物語」の舞台に選ばれたのか、という疑問である。それは『東京物語』の構造にかかわる核心の問題なのだろうが。

 ラストちかくの紀子と周吉の対決について、もう少し二人の心理の襞に立ち入って書かなければならないのですが、これ以上冗長な文章を続けるのも憚られるので、これもまた次の機会にしたいと思います。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2018年7月9日月曜日

小津安二郎『晩春』の謎__Z、コカコーラ、三つの林檎

 前回「紀子と周吉の永劫回帰」の最後に、「Z」はなかった、と書いたが、実は最後に「Z」が登場するのである。紀子と周吉の婚前旅行の旅館で二人が帰り支度をしている。紀子がストッキングをぐるりと束ねて仕舞っている。周吉は旅先に持参した本を鞄に入れている。最後に周吉が手に取ったのが「Also Sprach Zarathustra_ツァラトゥストラはかく語りき 」である。ここに大文字の「Z」がの登場する。

 周吉が「Also Sprach Zaratuustra」をいったん手に取って確かめるような動作をしながら、「(これからは)佐竹君に可愛がって貰うんだよ」と言う。すると、しばらく無言のままだった紀子は「あたし、このままお父さんと一緒にいたいの。どこにも行きたくないの」と本心を吐露し始める。お嫁に行ったってこれ以上楽しいことがあるとは思えない。お父さんが好きなの。お父さん、奥さんお貰いになったっていいのよ。このままそばにいさせて。お願い。・・・と紀子は周吉のそばににじり寄っていく気配を見せる。これはもう、父を慕う娘の情、という範疇のものではない。

 これに対して、周吉は、「人間の歴史の順序」などという言葉を用いて紀子を説得しようとする。大演説を打つのである。理路整然と結婚と幸せについて語るのだが、どうも紀子の気持ちに届いているようには思えない。それでも、紀子は涙をこらえながら、「わがまま言ってすみません」とあやまる。一応は諦めたように見えるのだが。

 さて、「Z」とは何か。たんに「終止符」の記号だろうか。それともZarathustraの頭文字の意を含むのだろうか。あるいは、Z計画、Z旗・・・これは関係ないか。

 紀子と周吉の婚前旅行では、浴衣姿の二人が枕を並べて横たわるシーンの壺のショットが有名である。この壺の意味については様々な解釈がなされているようだが、私が知りたいのは、壺に描かれている模様である。なんだかよく分からないのだが、あまり気持ちのいいものではない。何となく『お茶漬けの味』の小暮美千代が着ている浴衣の模様に似ているような気がする。

 浴衣の模様といえば、このシーンの紀子の浴衣の模様はアヤメであって、明らかに蛇のメタファーであることはいうまでもない。こんな説明はまさに「蛇足」だが。

 『晩春』は紀子と周吉の物語であると同時に紀子と服部の物語でもある。周吉(曾宮家と)服部の物語、といってもいいかもしれない。冒頭「Z」をめぐって周吉と服部が会話するのだが、もう一つ「リンシャンカイホウ」なる麻雀用語が二人の会話の中に出てくる。「嶺上開花」と書くらしいが、麻雀に疎い私には何の事かよくわからない。要するに「この前の麻雀は僕が(周吉ではなくて)トップだった」と服部は言っているのである。? 

 映画の前半に、紀子と服部が自転車で由比ガ浜の海沿いの道路を行く場面がある。二台の自転車を並走させて二人は楽しそうにサイクリングをしている。二台の自転車と乗っている二人を、カメラは後ろから、前から、斜め後方から追っていく。二人の上半身もアップで映される。ちょっと不思議なのは、道路標識が英語で書かれていることである。矢印の標識の上に大きなコカコーラの瓶が描かれた看板を通り過ぎ、砂浜に自転車をとめて、二人は海の近くに歩いていく。コカコーラが昭和二十四年の日本に存在していたことも驚きだが、道路標識も英語で書かれていることも意外だった。これは鎌倉だけのことだったのだろうか。

 海の見える場所で寄り添うように二人は腰を下ろす。二人の会話は紀子が唐突に「じゃ、あたしはどっちだとお思いになる?」と服部に聞くところから始まる。「あなたは焼きもちなんか焼く人じゃないでしょう」と服部は答えるのだが、紀子は「ところがあたし、焼きもち焼きなの。あたしがお沢庵切るとつながっているんですもの」と言う。まるで禅問答のようだが、つながったお沢庵というモチーフはもう一度、二人が「BALBOA」という喫茶店で会う場面でも繰り返される。

 つながったお沢庵は蛇腹を連想させ、まさに蛇なのだが、ここでは、語り合う二人の姿が、どう見ても恋人同士であることに注目したい。紀子と服部の関係は真正の大人の関係ではないだろうか。サイクリングから帰ってきて、上機嫌で「花」をハミングしている紀子の白いソックスの足の裏が汚れているのも、どうしても気になるのだが。紀子はどこをソックスで歩いたのだろう。

 余談だが、「服部」という苗字を調べていくといろいろ面白いことがわかる。服部家の跡継ぎは代々「半蔵」を名乗る習わしがあって、皇居の「半蔵門」も「服部半蔵」に由来するのだとか。これもまた蛇足だけれど。

 紀子の結婚式当日の曾宮家にも服部がいる。まるで紀子の親族のような顔をして礼服を着て周吉と並んで椅子に座っている。「佐竹熊太郎」という紀子の花婿の姿は最後まで画面に現れることはない。二階の自分の部屋で花嫁衣裳に身を包み、涙をこらえて周吉に挨拶する紀子と、紀子の手を取って介添えしながら部屋を出て行く周吉の後ろ姿が映される。紀子が登場する画面はこれが最後である。

 この後は、式を終えた周吉とアヤが割烹「多喜川」で盃を傾けるシーンがあって、ここでも少しおかしいことがある。周吉がアヤを「のりちゃん」とか「スーちゃん」とか呼んでいて、アヤも何も言わずにそれに受け答えしているのだ。? 最後には「きっと(家に)来ておくれよ、アヤちゃん」と言うのだけれど。

 ラスト近く、手伝いの女も帰って、家の中に唯一人になった周吉が礼服の上着だけ脱いだ姿で、椅子に座る。テーブルの上に林檎が三つ置かれている。周吉がそのうちの一つを取り上げ、ナイフで皮を剥き始める。くるくるくるくるナイフが回って林檎の皮が剥けていく。ほとんど剥き終わったところで、ナイフが手から落ちて、がっくりとうな垂れる周吉。

 この後映像は波立つ海面に切り替わって終わるのだが、三つの林檎と海はどんな関係があるのか。なぜ林檎は三つなのか。誰が置いたのか。何のために。

 『晩春』はこの上なくシンプルなストーリーなのに、いつまでも、どうしても解けない謎に満ちています。ぴんとはりつめた緊張感の漂う画面は一つの手抜きも許されないジグソーパズルで組み合わされているかのようです。分解して、組み合わせて、また分解して・・・終わりのない作業の繰り返しなので、ひとまずこれで切り上げようと思います。

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2018年6月26日火曜日

小津安二郎『晩春』の謎__紀子と周吉の永劫回帰あるいは安珍清姫を巡る幻想__蛇というモチーフ

 『晩春』は原節子が演じる「紀子三部作」の第一作である。あまりにも有名な作品なので、改めてストーリーを紹介する必要もないだろう。父と二人暮らしで婚期を逸しかけている娘がようやく結婚する物語である。娘を思う父は、自分が再婚すると偽って、娘を結婚に追いやる。言ってみればそれだけの話で、シンプルなことこの上ない。父を慕う娘と娘を思う父との繊細微妙な心理の動きがきめ細やかに映像化されている。プロットの展開といい、映像の流れといい、どこにも不自然なところはないように見える。

  なので、これから書くことは、すべて私の独断と偏見に満ちた妄想かもしれない。

 この映画のテーマは「永劫回帰」であり、隠されたモチーフは「蛇」である。

 一分の隙もなく組み立てられた完璧な作品に対して、その一部を切り取って分析するのはどう見ても下品な行為のように思われるので、具体的な場面を取り上げるのは最小限にしたい。上記の「永劫回帰」と「蛇」の暗示は、まず、映画の導入部に登場する。

 「北鎌倉」の駅を映した映像は、一転、寺の境内でお茶会が行われているシーンになる。着物姿の紀子が登場する。席に座った紀子に叔母のまさが話しかける。夫の縞のズボンを切り取って息子の半ズボンにしてほしい、と頼むのである。風呂敷に包んだものをその場で紀子に渡す。この後、周吉がまさの家で紀子の結婚について話すシーンがあるが、部屋の中に縞のシャツがハンガーに掛かっている。まさの夫は一度も画面に登場することはないが、縞模様が好みらしい。

 お茶会の席に「三輪夫人」が登場するのも蛇を意識させる。まさと挨拶を交わす中年の女性の名前は後に明かされるのだが。ついでに言えば、この時紀子が着ている着物は鉄扇の模様である。あまり見かけない模様で花びらだけ描いているが、鉄扇はつる性の植物である。T.Sエリオットの「バーント・ノートン」という詩の中にも「身を屈め、からみつく」両義的な存在として登場する。

 この他にも蛇を暗示する映像は枚挙にいとまがない。洗濯物干しに紀子のストッキングが吊るされている。「多喜川」という割烹に周吉が忘れた手袋を紀子が家に持って帰ってひらひらとかざすシーン。「多喜川」は「瀧川」なのだろうが。ストッキングも手袋も抜け殻のイメージである。京都の旅館で帰り支度をしている紀子が、ストッキングを2枚重ねてぐるっと裏返して一つにまとめるシーンもある。「蝦蟇口」を拾ったから紀子が縁談を承諾するだろうと言ってまさが縁起をかつぐシーン。曾宮家の玄関脇の部屋に置かれ、頻繁に画面の隅に登場するミシン。ボビン窯の形が似ていることから名づけられたと言われるその名もずばり「蛇の目」である。

 蛇のモチーフが最も象徴的かつ重層的に用いられているのが、能「杜若」の舞台シーンである。延々六分ほど「杜若」の謡と舞が繰り広げられる。ここは原節子の眼の演技が有名であるが、謡と舞の舞台そのものにも注目してみたい。「杜若」は一幕もので短いが、伊勢物語の解説書のような内容で、かなり複雑である。『晩春』では後半部分が映像化されている。

 植ゑおきしむかしの宿の杜若 色ばかりこそむかしなりけれ 色ばかりこそ昔なりけれ
 色ばかりこそ 昔男の名を留めて 花橘の匂いうつる 菖蒲の鬘の 色はいずれ
 似たりや似たり 杜若花菖蒲 
 こずゑに鳴くは 蝉のからころもの 
 袖白妙の 卯の花の雪の 夜も白々と 明くる東雲のあさ紫の
 杜若の 花も悟りの心開けて すはや今こそ草木国土 すはや今こそ草木国土

 縁語、懸詞を多用した技巧的な文句が続くので、文字に起こしても意味が分かりにくい。舞台上では朗々と謡われるので、なおさらなのだが、繰り返される「あやめ」「から衣」は蛇の隠語であったり脱皮のメタファーである。「卯の花」_ウツギも茎が中空であることから命名されたそうである。これも脱皮のイメージにつながるのだろうか。

 シテの杜若の精は薄紫の衣裳をつけて演じることが多いようだが、この映画ではさらにその上に薄く透けて見えるものを重ねている。これは脱皮前の蛇のイメージとするのはあまりに強引だろうか。

 シテの舞の映像は「花も悟りの心開けて」の部分で終わり、「すはや今こそ草木国土」以下は謡の音声だけで、画像は大きく梢を広げた松の木に変わる。もう一度「すはや今こそ草木国土」と繰り返される。杜若のシーンはここで終わり、「悉皆成仏の御法を得てこそ 失せにけれ」の結びの部分は音声も映像も映画の中には存在しない。悉皆成仏は成らなかったのである。

 悉皆成仏は、蛇の寓意がさらに「安珍清姫」の伝承に具体化されなければ、成らなかった。安珍清姫の伝承は『大日本国法華経験記』『今昔物語』にその原形があるといわれる。熊野に参詣に来た僧安珍に宿を貸した清姫が恋慕し、逃げる安珍を追って蛇となって日高川を渡り、さらに道成寺の鐘の中に逃げ込んだ安珍を、清姫が口から吐いた炎で焼き殺してしまう話である。『大日本国経験記』『今昔物語』とも女は「伊の国牟婁の女」と記述されている。

 女は「紀」子である。安珍清姫はともに蛇界に転生するが、道成寺の住持の唱える法華経の功徳で成仏する。住持の夢に現れた二人は熊野権現と観世音菩薩の姿であった。紀子のお見合いの相手が「佐竹熊太郎」というのも「熊野」を連想させたかったものと思われる。それでもまだ「成仏」は成らなかったように思われるのだが、

 永劫回帰のテーマのについても書きたいが、すでにかなりの長文となってしまったので、また回を改めたい。ヒントをひとつ。冒頭大学教授の父とその助手が「リスト」という名前のスペルに「Z」があるとかないとか言っている。結論は、「z」はない、のである。それからラスト近く、周吉と紀子が京都を訪れて帰りの支度をしているとき、周吉が最後に旅行鞄に入れた本の題名は何だったろうか。

 下品な謎解きはしたくない、などと言いながら、どう見ても上品とは言えない文章になってしまいました。謎解きのさらに奥にあるものが、まだ掴めていないのです。紀子_蛇_? 「叔父様の縞のズボンを半分に切って」履かされる勝義が、バットをエナメルで赤く塗ってしまって乾かないために、野球の試合に参加できない、というエピソードは何を意味するのか。その試合のシーンで、バッターボックスに立っている子だけがユニフォームを着ていないのはなぜか、など、(おそらく)どうでもいいことばかり気になってしまうのも、病膏肓なのかもしれません。

 今日も未整理な文章を読んでくださってありがとうございました。
 

2018年6月10日日曜日

小津安二郎『麦秋』の謎__不思議な家族とその解体__一粒の麦地に落ちて死なずんば

 『麦秋』は日本の家族の解体していく様を描いた小津安二郎監督の記念碑的な作品、という評価が定まっているようである。きっと、そうなのだろう。けれど、見終わってどうしても腑に落ちないものが残ってしまう。親子三世代で暮らしている一家が、その中の娘が結婚することで、なぜ両親が家を出ていかなければならないのか。そもそも、三世代が住んでいる家は誰のものなのか。

 テーマ音楽とともに流れたクレジットが終わると、波うち際に一匹の犬が登場して画面を横切っていく。犬が画面の右側に消えても、波が寄せては返す砂浜が映る。画面の左側にに遠近三つの入り江のようなものが映っている。冒頭のこのシーンは何を意味するのだろうか。

 次に映しだされるのは、軒先に吊るされた鳥かごである。小鳥が一羽入っている。カナリアだということが後半明かされる。鳥かごは軒先だけでなく、家の中のあちこちに置かれている。座敷のなかで鳥の餌を摺っている老人が登場する。「埴生の宿_(ホーム・・スウィート・ホーム)」の音楽が流れる。小学生くらいの男の子が「おじいちゃん、ご飯」と呼びに来る。間宮周吉と孫の実である。

 食卓で給仕をしているのが周吉の娘の紀子で、実の弟の勇もいる。こちらはまだ学校に上がる前の歳である。すでに食事をすませて外出の支度をしているのが周吉の息子で紀子の兄の康一、大学病院の医師である。周吉のご飯を給仕に食卓に座ったのは康一の妻の史子、最後に味噌汁の入った大鍋をもって来たのが周吉の妻の志げという順番で、これが間宮家の紹介となっている導入部である。

 外出着に前掛けという姿で給仕をしていた紀子も出勤していく。周吉は原稿の入った封筒を投函するように紀子に頼んでいるので、何かものを書いているのだろうか。紀子は丸の内(あるいは大手町?)の大手商社に勤めている。佐竹宗一郎という専務の秘書である。重役室でタイプを打っている紀子の上半身と指先が映され、次いで佐竹が部屋に入ってくる。佐竹と紀子が仕事の打ち合わせの会話を済ませた後に、ドアをノックして着物姿の若い女が現れる。佐竹が行きつけの料亭の娘で紀子の女学校の友人田村アヤである。紀子とアヤを前にして、「売れ残りが二人」と佐竹が軽口をたたくところなどから、三人はかなり親しい間柄のようである。

 北鎌倉の間宮家に「やまとのおじいさま」がやってくる。間宮周吉の兄の茂吉である。終戦の翌年以来の上京である。耳が遠い茂吉との会話は常に一方通行である。彼が繰り返す言葉は「紀子さん、いくつになんなすった?」と「もう嫁にいかにゃ」であり、「若いものがなかなかようやりおる。年寄りがいつまでも邪魔してることない」である。紀子の結婚と一家の別離は「大和のおじいさま」の指示通りになったのである。

 二八歳になった紀子に二つの縁談が持ち込まれるが、彼女は結局康一の部下の矢部謙吉という男との結婚を決意する。矢部は妻に先立たれ小さな女の子をかかえて、母親と一緒に間宮家の近くに住んでいる。謙吉は康一の紹介で秋田の病院に赴任することが決まる。紀子が間宮家からの餞別を届けに矢部の家を訪れた際に、謙吉の母親から恐る恐る謙吉との結婚を打診されると、彼女はあっさり「私のようなものでよかったら」と承諾してしまう。謙吉の母親は狂喜するが、不思議なことに謙吉はあまり嬉しくないようである。

 紀子が謙吉との結婚を決意したのは、謙吉が消息不明(たぶん戦死している)の兄省二の手紙を持っているからである。恋愛感情があると思えない紀子と謙吉をつなぐのは麦の穂の入った省二の手紙なのだ。

 麦の穂が入った手紙には何が書かれていたのだろう。ニコライ堂が見える喫茶店の窓際の席で謙吉と紀子が会話するシーンがある。この映画の「不思議」を読み解く上で大変重要な場面だと思うので、なるべく忠実に二人のセリフを再現してみたい。

__昔学生時分よく省二君ときたんですよ、ここへ。で、いつもここに座ったんですよ。やっぱり、あの額がかかってた。
 額を見上げる紀子
__早いもんだなぁ。
____そうねぇ。よく喧嘩もしたけど、あたし省(二)兄さんとても好きだった。
__あ、省二君の手紙があるんです。徐州戦の時、向こうから軍事郵便で来て、中に麦の穂が入っていたんです。
 紀子の表情が一変する。
__その時分、ちょうどぼくは『麦と兵隊』読んでて・・・
__その手紙いただけない?
__あげますよ。あげようと思ってたんだ。
__ちょうだい。

 徐州会戦は日本軍と中国(国民革命)軍との間で一九三八年四月七日から六月七日にかけて行われ、日本は南北から攻め、五月一九日に徐州を占領したが、国民革命軍を撃滅させることはできなかった。少し不思議なのは、『麦と兵隊』は徐州戦に従軍した日野葦平が、その経験をドキュメンタリーのようなかたちで、一九三八年八月に発表している。謙吉のもとに「徐州戦の時、軍事郵便で来た」手紙というのはいつ書かれ、いつ謙吉のもとに届いたのだろうか。そのとき謙吉はどこにいたのだろう。軍事郵便なので、配達に相当の日数を要するものだったとは思うが、「その時分、ちょうど僕は『麦と兵隊』読んでて・・・」という謙吉の言葉と時間的な整合性がもうひとつ納得できないのである。

 紀子と謙吉の会話からわかることは、兄の省二は少なくとも徐州会戦のときは生存していた、ということ、そして、中身の検閲される軍事郵便で送る手紙に麦の穂を同封してきた、ということである。手紙の内容でなく、麦の穂が入っていたことが紀子にとって重要だったのだ。

 麦の穂は、いうまでもなく日野葦平の『麦と兵隊』の舞台となる徐州一帯の麦畑を連想させるが、手紙の中にわざわざ麦の穂を入れてきたということは、麦の穂それ自体が、書かれている内容よりもはるかに強いメッセージだろう。「一粒の麦、地に落ちて死なずんば」である。十字架の死を前に、イエスが弟子に語った有名なことばである。

 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。__ヨハネによる福音書12章24節
 
 戦地の省二が、目前にある死にどのような意味付けをしていたのか、麦の穂は確実なメッセージとなって、謙吉に、そして紀子に省二の思いを伝えたのである。喫茶店の窓際の席で、かつて省二と謙吉が、いまは紀子と謙吉が見ているニコライ堂の正式名称は東京復活大聖堂である。麦の穂は復活のキリストの象徴であり、正教会の信徒を意味するものでもある。

 この映画の中には麦の穂からつくられる食べ物がいくつも登場する。最も印象的なのは、紀子が謙吉との結婚を承諾してくれて狂喜する謙吉の母が、「あたしもうすっかり安心しちゃった」と泣き笑いしながら、「紀子さん、パン食べない?餡パン」と誘う場面である。なぜ、唐突に餡パンなのか?節子は笑ってことわるのだが。また、間宮家に子供たちが集まってレールを並べて遊んでいるところに、紀子が大量のサンドイッチを持ってくるシーンもある。敗戦後六年しか経っていないのに、なんという贅沢なふるまいか、と驚いてしまう。

 間宮周吉と志げの夫婦がサンドイッチを食べるシーンもある。昼下がり、博物館の庭で二人並んで座って話しながらサンドイッチを食べている。周吉は「今が一番いい時だ」と言う。「まだこれからだって」と言う志げに周吉は「欲を言ったらきりがないよ」と諭す。結末の別離を暗示するような場面である。糸の切れた風船が空高く舞い上がっているのを二人が眺めている。「今日はいい日曜日だった」と周吉が曜日を特定するのは何か意味があるのだろうか。それから、些細なことだけれど、周吉の履いている靴が古びてみすぼらしいのはなぜだろうか。

 パンとレールといえば、八本しかレールを持っていないからもっとほしい、32ゲージ(のもの)だよ、と父親におねだりしていた実が、レールだと思っていたお土産がパンだと知って、腹を立ててパンを蹴るシーンがある。実が父親に見つかって、もみあっているうちに、勇が隙を見てもう一回蹴ると、あっけなくパンが二つに割れてしまう。ずいぶん長いパンもあるものだな、と思って見ていたが、パンがそんなに簡単に割れるものだろうか?カメラはアップで半分に割れたパンをとらえて強調しているのだが、なんだかこれも不思議である。

 「九百円もした」(今の金額に換算すると1万円以上)豪勢なショートケーキを深夜に紀子と史子、それに後から謙吉も加わって食べるシーンもある。これが不思議なのは、矯めつ眇めつ、散々迷って紀子が切り分けたケーキを三人で食べているところに、実が寝ぼけて入ってくる。すると、三人ともいっせいにケーキをテーブルの下に隠してしまう。絶対に食べさせないぞ、という意気込みである。

 パンとケーキだけでなく、この映画にはものを食べるシーンが多い。冒頭の導入の部分も間宮家の朝食の光景だったが、ラスト近くにもすき焼き鍋のようなものを囲んで一家が食事をする場面がある。紀子の結婚が決まった祝賀の宴のようだが、一家の別離の宴のようでもある。鍋を直火に当てるためか、食卓の上でなく床に直接食器が置かれている。気がつくと、家中から鳥かごが取り払われ、カナリアがいなくなっている。

 食事が終わって、みんながくつろいでいるとき、周吉が口火を切って一家の回想を始める。「このうちに来てからだって足かけ十六年になるものねぇ」と周吉が言うと志げが「紀ちゃんが小学校を出た春でしたからねぇ」と続ける。康一が煙草を指にはさんで、「こんなところにちょこんとリボンなんかつけて、よく『雨降りお月さん』なんか歌ってましたよ」と言う。

 何でもない会話のようだが、ここは重要な情報がもたらされる場面である。十六年前周吉と志げはどこに住んでいたのか?紀子は周吉や志げと一緒にこの家に移り住んだのか?それとも、もともとこの家にいたのか?この家は十六年前は誰のものだったのだろう?大学を出て間もない康一に、こんなに立派な家を建てる甲斐性があったとは思えないのだけれど。

 それから、小学校を出た女の子、つまり中学生になる少女が『雨降りお月さん』という童謡をよく歌う、というのもちょっと違和感がある。この映画に出てくるいくつかの固有名詞は、それぞれ重要な意味を潜めていると思われる。『麦と兵隊』は言うまでもないが、「妻の死後本ばかり読んでいる」と母親のたみにいわれる謙吉が「いま四巻目の半分まで読んだ」という『チボー家の人々』、「省二がスマトラに行く前に(省二や謙吉と一緒に)みんなで行った」とアヤが言う「城ヶ島」、紀子のお見合い相手だった真鍋(?)という男の出身地の「善通寺」、導入とラスト近く流れる『埴生の宿』など、いずれも代替可能なものではなく、それらをつなぐキーワードが隠されているような気がしてならない。

 それにしても不思議な家族である。息子の康一が医師であることは明らかだが、父親の周吉は何をしている人なのだろう。机に向かって脇に分厚い本を置きながらものを書いているシーンがあって、冒頭でも紀子に原稿の入った封筒を渡していたが、物書きなのだろうか。

 ラストは「やまと」の光景である。麦畑が手前にあって、その向こうにこんもりとした山が見え、山の麓に家並みが見える。画面が三回切り替わって、藁ぶきの屋根、そして「やまとのおじいさま」が煙管をふかしている座敷が映される。整然としたというか閑散としたというか、その座敷の続きに囲炉裏が切ってあり、志げが大きな急須でお茶を入れて周吉に渡す。「おい、ちょいと見てご覧、お嫁さんが行くよ」と周吉が言うと、麦畑の中を花嫁行列が通り過ぎていく画面に代わる。一行は八人で、よく晴れた日のようだが、花嫁に黒っぽい傘がさしかけられている。

 「どんなところに片付くんでしょうねぇ」と志げが言う。花嫁行列を眺める二人の後ろ姿をカメラがとらえる。別離の宴からそんなに時間は経っていないと思われるのに、周吉の背中は丸くなり、志げはモンペを履いて粗末な帯を締めている。「みんな離れ離れになったけど、しかしまぁ、私たちはいい方だよ。欲をいっちゃぁ切りがないよ」と周吉が言うと志げも「えぇ、いろんなことがあって…長い間、ほんとうに幸せでした」とこたえる。志げはお茶をすすり、遠くを眺めるような目をしている。その表情はしずかに諦めの色をたたえている。

 画面はもう一度麦畑を映す。遠くに家並みが見え、手前に麦の穂が揺れている。テーマ音楽が最高潮に達し、エンディングとなる。タイトルの「麦秋」そのものだが、不思議なことに、手前に揺れる麦のかたちが人間の、それも兵隊のように見え、大勢の兵隊が手を振っているように見えてしまうのだ。

 ほんとうに不思議な映画だと思うが、一番不思議なのは、紀子が上司の佐竹と盃を交わすシーンかもしれない。アヤの母親の経営する料亭で、一人で酒を飲んでいた佐竹の部屋を訪れた紀子が佐竹の飲んでいた盃を受け取って、彼がついでくれた酒を飲む。後ろ姿のすべてが紀子の女を表現しているのだが、紀子とはいったい何なのか。

 『秋刀魚の味』の続きを書こうと思っていたのですが、『麦秋』の魅惑的な謎にはまってしまいました。もっと集中しなければいけないのですが、力不足を痛感しています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 

 

 

 
 

 

2018年5月14日月曜日

大佛次郎と小津安二郎の『宗方姉妹』__消された「戦争」

 インターネットで『宗方姉妹』と検索すると、ほとんどすべて小津安二郎監督の映画がヒットする。大仏次郎の原作について書かれたものはほとんどない。一九五〇年に初版が出て、その後二社から文庫本も出ているのに、なぜかいまは忘れ去られた存在のようである。原作は一九四九年六月から十二月にかけて朝日新聞に連載された家庭小説で、連載終了から半年余りで映画が公開されている。連載と同時並行で映画が構想されていったのだろうか。だが、それにしては、原作と映画はかなり異なったものになっている。

 大佛次郎の原作は、戦後日本の社会の様相を登場人物の行動と心理を通して描く群像小説である。満州国の高級官僚だった父親の宗方忠親、娘の節子、満里子、節子の夫三村亮助、忠親の年少の友人田村宏、田村の愛人の真下頼子が中心である。忠親は公職追放の身で癌に冒されている。満州で特権階級だった一家は何もかも失った。満州の原野を文明都市に変貌させる夢を描いていた技師の三村も失業している。生活のすべがない一家は、切り売りも底をついてしまったため、節子の友人の恵美子の斡旋で酒場を始める。

 軌道に乗ったかのように見えた酒場だったが、美恵子が自分についていたお客を連れて別の場所で新たに酒場を始めてしまったため、水商売に不慣れな節子は途方に暮れる。  窮境にあった節子を救ったのは、忠親の友人で節子の初恋の相手だった田代宏だった。宏はパリに留学し、戦後は神戸で高級家具の製作、輸入販売を手掛けて成功していた。彼の提案で、節子は酒場を昼の間画廊にする。作品は宏と交流のある画家たちが提供してくれて、画廊は幸先良いスタートをきる。

 画廊の仕事は、節子と宏を急速に接近させた。かつて、お互いに好意以上のものを感じながら口に出せなかった二人は 、十年の歳月を経て頻繁に会う機会を得る。上京した宏と節子がいつものように語らいながら歩いていたときに、節子の夫の三村と鉢合わせしてしまう。帽子を脱いで「やあ!」と大声で挨拶して通り過ぎた三村の態度を二人に対する侮辱と受け止めた節子と宏は宏の宿で結ばれそうになる。だが、京都にいる節子の父に今から報告に行こう、という宏の言葉に、節子ははっと、我に返ったかのように踏みとどまるのだ。そんなことをすれば、病に弱った父が死んでしまう、と。映画と違って原作では、節子は父が癌であることは知らされていないのだが。

 「時が来たら、もう、僕らは離れない」「もっと、もっときれいにして待ちましょう」と宏は言って、節子の生活は何事もなかったかのように続いた。そして、数日後、三村の新しい仕事が決まった。勤めにでている節子に置手紙をして、三村は夜行で京都の忠親に報告に向かう。翌日、仕事仲間と飲んで、泥酔状態で帰った三村は忠親の住まいの二階で急死してしまう。

 三村の死に対して自責の念を捨てきれない節子は、宏への思いを断ち切る手紙を書いて別れを告げる。書留速達で着いた手紙を読んだ宏が酒場で泣き崩れるのを、かつて愛人だった真下頼子が「可哀想に、苦労して。」と静かに見まもるところで原作は終わる。

 『宗方姉妹』というタイトルだが、原作は姉妹を中心に、というよりそれぞれの登場人物を描き分けて、混乱した世相を写しだそうとしている。余命いくばくもないことを宣告された父の忠親は、人生を諦観しているが、自分より若い人間を死なせてしまったことに後ろめたさを感じている。娘の節子はしっかり者だが受動的な人間である。節子の妹の満里子は「忠親が満州に赴任して生まれたことにちなんで名づけられた」とあって、進取の気質に富んで積極的である。節子の夫の三村は、ここが映画ともっとも異なる部分だが、粗野ではあるが、情に厚く、貧乏はしているけれど面倒見のいい人間として描かれている。

 節子が想いを寄せていた田代宏は、経済力は身につけたが、優柔不断なところがあって、結局は想いを成就させることができない。宏とフランスで知り合った真下頼子は、戦争未亡人だが父親から証券会社の経営を受け継いで、裕福で洗練された大人の女として描かれている。頼子は、宏のなかに節子への断ち切れない思いがあるのを知って、みずから身を引く。映画と違って、原作は頼子の内側に入り込んで、彼女の側から宏と節子、そして満里子を見ている。

 宗方一家は落魄しているが、それでも「雨の漏らない」家に住むことができる中産階級である。生活に困って、お嬢さん育ちの節子が酒場を開くことになったが、そんな彼らを批判的に眺めながらも支える立場の人間として、丹波の山奥から上京してきた前島という青年が登場する。映画では節子の酒場のバーテンで元特攻ということになっているが、原作は普通の兵隊上がりで、運送会社に勤めている。上京するときに山椒魚を生け捕りにして持ってきたというエピソードがある。一杯飲み屋で知り合った三村の誘いで節子の家に住んで一家の下働きもしている。登場人物のなかで、まったくの庶民階級は彼一人だ。彼の目で見ると節子たちは遊んで暮らしているようなのである。

 「生活ったら、お嬢さん」と前島は満里子にいう。「もっと、自分で汗をかくことでしょう。東京のひとは、まだ、それをごまかしているように見えるのかね。それで、わしなんかにはあぶなつかしく見えるのかね。」と前島は批判するのだが、そうじて作者は宗方一族に寄り添ってストーリーを展開していく。生活に困るといっても、萬里子はバレーのレッスンに通ったり、姉妹は関西と東京を行ったり来たりして、お寺巡りをする余裕がある。敗戦後四年しか経っていないのに、庶民から見れば夢のような暮らしができるのだ。

 この他、原作には、戦時中諜報の仕事をしていて、いまは人の秘密を嗅ぎまわることをメシの種にしている平岩哲三という男も登場するのだが、映画は完全に省略している。平岩の存在だけでなく、小津安二郎の『宗方姉妹』に戦争の影はまったくない。登場人物の原作と比べてかなりデフォルメされた性格と行動が織りなす愛憎の世界に焦点を絞って、プロットも一部改ざんしながら思い切って単純化している。

 焦点となるのは、節子と三村の夫婦関係である。映画の中の三村は、たんにアルコールで人格を崩壊された狂人として描かれている。節子の若いころの日記を読んでから、宏と節子の関係を疑い始め、宏に急場を救ってもらった節子を打擲する場面がある。それまで、何をいわれても気丈に耐え献身的に三村に尽くしてきた節子が七回も打たれて、覚悟を決めなおす場面がハイライトである。ところが、原作では打擲する場面などまったくないのである。日記を見るというプロットもない。「女房は、どんなによく出来た女でも、亭主にとっては俗世間の代表だよ」と前島に向かって自嘲気味に述懐しながらも、三村は自省的かつ自制的な人間として描かれている。

 映画のなかで三村を一方的に嫌う満里子と三村の関係も原作ではもっと微妙である。満里子は節子と三村が暮らす家を出て、独立して間借り生活を始めるのだが、ある夕方三村が無料で借りている事務所を訪れる。満里子はなりふり構わず職を探そうとしない三村を非難する。その後、話の成り行きで、満里子は自分が宏に求婚して振られたことを三村に打ち明ける。黙って聞いていた三村は「君の、その話には、節子は何も、かかり合いなかったのか?」と尋ねる。三村はすべてを了解したのだ。満里子は、三村に節子と別れるよう言いに来たのだ。別れる理由は、三村が失業していて経済力がないからではなく、節子と宏が心の奥底でかたくむすばれているからだということを。

 大佛次郎の原作が、登場人物一人ひとりの心理のひだを丁寧に描いて物語を進めていくのに対して、小津の映画は一言でいって通俗的なのである。妻の日記を見て嫉妬にかられる夫とけなげに耐えて夫に尽くす妻の姿がグロテスクなまでに強調して描かれる。新しい人生を踏み出そうとしない姉を批判する妹の満里子の姿もピエロのようにデフォルメされている。余談だが、宏のもとを訪れたり、頼子に会いに行ったりするときの満里子の服装は、なぜかいつも野暮ったくてみっともない。節子や頼子がいつも身についた洗練された身支度で登場するのと対照的である。

 節子と愛し合う宏の存在があまりに受動的であることも映画の印象を平板なものにしている。戦後の混乱期を上手に乗り切って成功した実業家なのに、節子との関係を一歩踏み出すことができない。原作でもそれは同様なのだが、映画ではより一層意志薄弱な人間として造型されている。際立つのは酒に溺れた三村が人格を崩壊させ、自滅していくさまである。そこには何ら人間的葛藤は描かれない。ただ自滅のための自滅があるだけである。夫に献身的に尽くす節子も「夫婦だから」尽くすというだけだ。

 ラスト三村と「十四年ぶり」に薬師寺を訪れた節子は「三村の影を引きずったままあなたと一緒になれば、きっとあなたを不幸にする」といって宏に別れを告げる。その後、節子は喫茶店で待っていた満里子とともに「御所を通っていきましょうか」と歩き出すのだが、二人の後ろ姿は何とも軽やかで楽し気でさえある。いったい、この映画は何を撮りたかったのか?

 忘れられた感のある大佛次郎の原作だが、いま読み直すと、当時の生活の様相や人間の心情、息遣いまでまざまざと浮かび上がってくる。オーソドックスな「小説_novel」を読む醍醐味を味わうことができる。それに比べて、小津の映画は、実は、はるかに辛口である。「家庭劇」という枠組みをきっちり守って、人物の歴史、背景を一切描かない。登場人物は画面のなかで与えられる性格、役割を正確に演じることだけが要求されている。「戦争があったから」こうなった、ああなった、という「解釈」は存在しないのである。________大佛次郎の「『宗方姉妹』と小津安二郎の映画と、はたして、どちらが「反戦」なのだろうか。

 ちょっと寄り道のつもりがだいぶ時間をとってしまいました。集中力を保てなくなったなぁ、とつくづく思うこの頃です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。