作品の大まかなプロットはいくらかつかめたように思うのだが、細かな事がどうしても気になって、先に進まない。どうでもいいことなのかもしれないが、少しずつ書き出して考えたいと思う。
冒頭、花束を抱いた女の子が運転中の車の後部座席に横たわっている。「やっぱり田舎ね」という女の人の声がかぶさると、画面全体が亀裂が入ったように二度揺れる。車の振動ではないようだ。何?「買い物は隣町に行くしかなさそうね」という女の人の声に対して、男の人の声が「住んで都にするしかないさ」とこたえるのも、ちょっとおかしいといえばおかしい。ふつうは「住めば都さ」とかえすのではないか。「住んで都にする」のは、大袈裟に言えば、権力をもつ者にのみ可能なことだと思われる。
エアコンの効いた車内で、窓を開けることの不思議については以前も述べたので、ここでは繰り返さない。その後、トンネルを抜けて、父親が振りかえると、建物の頭頂部に奇妙な二つの時計があって、それぞれが違う時刻を指している。また、その文字盤が左右反転した算数字だったり、よく読み取れない漢字だったりして、まともに機能していないことを暗示している。これから先の空間には、それぞれ異なる時間が流れ、しかもそれが歪んでいる、ということなのだろう。
千尋の両親が食べ物の匂いにつられて入り込んだ飲食店街については、前回「つげ義春「ねじ式と河の神」_めの世界」で述べたので、深く立ち入ることは避けたい。世にいう陰謀論が好きな人には説明するまでもないだろう。それと関連して、湯婆の部屋のしつらえもいわくありげである。天上に張り付けられた巨大な鳥(鷲?)の翼の彫刻__まん中に丸で囲んで「油」と描いてある__と、本棚を埋め尽くす百科事典の本が物語る記号も「めの世界」を示唆している。
最も不気味なのが、後半、ハクが傷ついた龍の姿になって倒れ込むシーンで、一瞬映し出される恐竜のような鳥の剥製である。吹き抜けの屋根から吊り下げられているのだろうか、よく見ると、まん中に人間のような形のものが透けて見える。手と足はそれぞれ四本指で爪が生えているが、恐竜の翼に磔けられたキリストのように見えなくもない。
だが、何といっても、この映画の最大の謎は、「名のある河の主」が龍の姿になって油屋を去る場面だろう。油屋のあたり一帯が暗い雲に覆われ、激しい雨が降り始める。まさに龍神の登場の予告である。オクサレさまの姿で油屋を訪れた「名のある河の主」は、翁の面に変身して、千尋にドラゴンボールならぬよもぎ団子を与える。「善哉」とひとこと言って龍に化身し、高笑いとともに去る「名のある河の主」は、湯婆に「お帰りだ!大戸(王戸?)を開けろ!」と叫ばせるほど「畏れ多い」存在のようである。
だが、不思議なことに、この龍には角がない。さらに奇妙なのが、体のなかに無数の腕を持っているのだ。人間の腕のようだが、よく見ると指は四本で海老なりに曲がっている。たくさんの腕を持っているが、それが、尾に近くなると、腕というよりは肢のようにも見えてくる。はたしてこれは龍神なのか?
龍神といえば、「ニギハヤミコハクヌシ」と名乗る少年ハクは、紛れもない龍神である。立派な角の生えた白龍として颯爽として登場する。「すごい名前!神さまみたい!」と千尋にいわれる「ニギハヤミ」という名前も、古事記に登場する「饒速日(ニギハヤヒ)」を連想させる。「饒速日」は天の磐船に乗って降り立ち、神武東征前の大和の地を治めていた、とされる。それまで協力関係にあったが、神武に従わない長髄彦(妻の兄であった)を討ち、神武に大和の地を国譲りしたが、その後の伝承はない。まさに隠された、あるいは隠れた神である。
なので、ハクが龍神とされることは疑う余地がないのだが、「コハクヌシ」について、どう考えればいいのか。
銭婆の家から帰るとき、龍の姿になったハクの背に跨ってハクの角をつかんだ千尋は突然思い出す。自分が小さいとき川に落ちて溺れそうになったときのことを。いまは埋め立てられてマンションになってしまったその川の名が「コハク川」だった、と千尋は言い、ハクに「あなたの本当の名はコハク川」と言う。その瞬間、龍の鱗が飛び散り、ハクは人間の姿になる。「私も思い出した。千尋が私の中に落ちたときのことを。靴を拾おうとしたんだ」とハクもこたえ、千尋が「そう、コハクが私を浅瀬に運んでくれたのね。うれしい」と言って、千尋とハクは手をとりあい、空を飛ぶ感動のシーンとなる。
この成り行きはちゃんと辻褄が合っているようだが、何となくひっかかるものがある。なぜ、龍の背にまたがって角をつかむと、自分が溺れたときのことを思い出すのか?その川の名が「コハク川」だからハクの名前が「コハク川」だ、と千尋が断言できるのはなぜか?
千尋の回想の言葉に先立って、画面には、水中で龍らしきものの背に跨った裸足の足が映され、その後、ピンク色の靴(たぶん左足の方)が川面に浮かび、みるみる遠ざかる。流れは速く、川幅は広く、海のようである。これが「コハク川」だとしても、埋め立てられてマンションになるような川幅の川には見えない。それから、遠ざかる靴の映像の後、突然、太い腕(これもたぶん左腕)が大きな音を立てて水面に挿し込まれる。これは何を意味するのか?
わからないことはまだまだあるのだが、長くなるので、今回はこれまでにしたい。最後に、また蛇足をひとつ。油屋の店は、従業員が全員古代人風の衣裳を着ているが、湯婆はきんきらきんの洋装である。「天」と表示される階にあるその居室も豪華絢爛で、国籍不明だが、まったく日本風ではない。そして、最後にハクが湯婆と対決するシーンで、窓の外の景色なのか、大きな絵画が貼られているのかよくわからないが、どこか外国の風景が映される。山を背にした大きな建物が正面にあって、スイスかどこか、ヨーロッパの山岳地方のようである。その直前、坊の幕屋の背後にちらっと熱帯の島のような風景が見えるのも不思議なのだが。
次回はもう少しまとまりのある文章を書きたいと思います。今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
0 件のコメント:
コメントを投稿