「煙が目にしみる」というタイトルからすぐにメロディーが浮かぶのは、たぶん人生の後半を過ぎた人だろう。黒人歌手の少しかすれた歌声が印象的だった。歌声を聞いて、まだ経験したことのない恋のときめきと、それを失った悲哀と、その両方の感情にひたっていたように思う。ちゃんと聞き取れた歌詞はSmoke gets in your eyesだけだったけれど。
この曲は1933年「ロバータ」というミュージカルのために作曲され、1946年にナット・キングコールがカヴァーし、1958年またプラターズがカヴァーしている。私はナット・キングコールの歌声を聞いていたと思っていたのだが、プラターズのほうだったかもしれない。『ライ麦畑でつかまえて』の最後、フィービーが回転木馬に乗る場面でこの「煙が目にしみる」が流れる。
回転木馬と「煙が目にしみる」のとりあわせがミスマッチのような気もするが、「とてもジャズっぽい、おかしな演奏のしかただったな」と書かれているので、行進曲風にアレンジしたのだろう。ちょっと不思議なのは、この前にホールデンとフィービーが回転木馬の方に近づいて行くときに「いつもやってる間が抜けたみたいな音楽が聞こえだしたんだな。曲は『おお、マリー!』だった」とホールデンが言っていることである。? 回転木馬の所で演奏されていたのはどちらだ?さらに不思議なのは、これに続くホールデンの言葉である。「今から五十年も前になるが、僕の子供の時にも、あの歌をやってたもんさ。これが回転木馬のいいとこなんだ。いつも同じ歌をやってるってところが。」(アンダーラインは筆者)いったいホールデンは何歳なのだ?
そもそも「煙が目にしみる」も「おお、マリー!」もれっきとした大人のラヴ・ソングである。だが、回転木馬は八歳のフィービーが「あたしじゃ大きすぎるわ」というくらい小さな子供向けの乗り物なのだ。ラヴ・ソングが演奏に使われることがあるものだろうか。「おお!マリー」と「煙が目にしみる」の歌詞を書き出してみる。
「おお、マリー」
Here she comes, she's all dressed up in daises
Half the time, you'd swear that she is crazy
Flowered drinks and low-cut dress
That's the way I know her best
She says she's lonely, how could she be?
Every night she's got company
[Chorus]
Oh Marie,
I sure hope you're happy
Oh Marie,
What about me, Marie
She likes the way she looks in her Camaro
She likes lingerie but he prefers the sombrero
She's so famous on the block
She stumbles home around four o'clock
She claims the guys are hard to please
She wears teen perfume behind her knees
[Chorus]
All day long she fills me up with dogma
She's all magazines and benzedrine and vodka
There was one man she truly loved
He took everything but her bear-skin rug
And now and then it's clear to me
That need is love and love is need
[Chorus]
Always an open door
What are you looking for
「煙が目にしみる」
They asked me how I knew
My true love was true
I of course replied
something here inside
Cannot be denied
They said someday you'll
find
All who love are blind
When your heart's on fire you must
realize
Smoke gets in your eyes
So I chaffed them and I gaily
laughed
To think they would doubt our love
And yet today my love has gone
away
I am without my love
Now laughing friends deride
Tears I
cannot hide
So I smile and say when a lovely flame dies
Smoke gets in your
eyes
どちらもれっきとしたラヴ・ソングだが、かなり趣きが異なっている。「おお、マリー」のほうは子供向けにはいかがなものかと思われるが、ここでは「煙が目にしみる」の歌詞に注目したい。「煙が目にしみる」とは、失恋の悲涙で目がくもる、ということではないのだ。(今まで、私はそう思っていたのだが)「恋は盲目」の意なのだ。偽りの愛を真実だと信じたのは「煙が目にしみ」たからなのだ。
「煙が目にしみる」の演奏とともに、フィービーは回転木馬に乗ってぐるぐる回る。すると、突然降りだした土砂降りの雨がホールデンをずぶ濡れにする。だが、フィービーがかぶせてくれた赤いハンチングをかぶったホールデンは、濡れながらフィービーの回り続ける姿を見て「大声で叫びたいくらい」幸福な気持ちになるのだ。「ただ、フィービーが、ブルーのオーバーやなんかを着て、ぐるぐるぐるぐる、回りつづけてる姿が、無性にきれいに見えただけだ。全く、あれは君にも見せたかったよ。」と語って、ホールデンは物語を閉じるである。グッバイ、フィービー_____
フィービーについて語ることはあまりにも多く、そして、それを書くことは『ライ麦畑でつかまえて』の核心に触れることになるので、いまはここまでにしておきたい。いつかまた、フィービーの好きな映画のことや、彼女の書く探偵小説のこと、それからダンスが上手で、深夜ホールデンとダンスを踊ったことなどについても書いてみたい。それまでもう少し時間がほしいと思っている。
今日も拙い文章を読んでくださって、ありがとうございます。
とても魅力的な記事でした。
返信削除また遊びに来ます!!
とても励みになるコメントありがとうございます。
削除このごろ源氏物語より難解な大江健三郎の作品にはまってしまい、サリンジャーになかなか戻れません。
いつか必ずフィービーとホールデンの「恋物語」に戻ってこようと思っています。