2024年6月2日日曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』___十字架と苹果の旅__白い十字架

 『銀河鉄道の夜』に限らず宮沢賢治の作品を読んで、「自己犠牲」をテーマに論じる読者が多い。以前私自身も「ケンタウルス、牛殺し_生の軛」というタイトルでこの作品について書いたとき、カムパネルラの死を「自己犠牲でなく犠牲」として論じた。烏瓜でつくった灯籠を川にながし、「星祭り」という美しいことばでよばれる「ケンタウル村」の祭りに秘められた本質の象徴が「犠牲」である、と仮説をたててみたのだが、それでよかったのかどうか、ジョバンニとカムパネルラの旅を振り返って、もう一度考えてみたい。

 銀色のすすきと青や橙やさまざまな色にちりばめられた三角標の光がちらちら揺れ動くなか、銀河鉄道の小さな汽車が走る。線路のへりに咲いた紫のりんどうの花が次から次へと過ぎ去っていく。ところでこの「三角標」がどういうものなのか、じつは私はよくわからない。銀河鉄道の旅のいたるところに登場するが、どのような標識なのだろうか。

 旅の始まりに、カムパネルラの「母のゆるし」と「ほんたうの幸い」の葛藤を告白されたジョバンニが「「ああ、さうだ。ぼくのおっかさんは、あの遠いちりのやうに見える橙いろの三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考へてゐるんだった。」と心の中で思っているので、三角標は現実世界の何かに対応するのだろう。

 そして、旅の出発点の前と終着点の後に登場する「天気輪の柱」はもっとわからない。こちらは天上の世界とつながるものを意味すると思われるが、三角標よりイメージをむすぶことが困難である。

 りんどうの花と三角標の列に迎えられて始まった二人の旅が最初に出会ったのは「ぼぅっと青白く後光の射した一つの島」とその平らないただきに立った「立派な目もさめるやうな白い十字架」だった。カムパネルラが「母のゆるし」と「ほんたうの幸い」の葛藤から「ほんたうの決心」を告白すると、俄かに、車のなかがぱっと白く明るくなる。「金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたやうな」きらびやかな銀河のまん中に小島があって、そこに十字架が見える。「それはもう凍った北極の雲で鋳たといったらいゝか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しづかに永久に立ってゐるのでした。」と書かれている。きらびやかにして清浄無垢、荘厳な世界の出現である。

 「ハルレヤ、ハルレヤ。」の声が起こり、乗客はみな十字架に向けて祈る。ジョバンニとカムパネルラも思わず立ちあがる。「カムパネルラの頬は、まるで熟した苹果のあかしのやうにうつくしくかゞやいて見えました。」

 白い十字架と赤い苹果、「ハルレヤ(ハレルヤでないことに注意)」の声と祈り、絵にかいたようなキリスト教の光景である。銀河鉄道の旅の基調にあるものが、キリスト教の世界であることは多くの人が指摘するもので、私も異論はないが、あえて、ひとこと言えば、この場面で描かれる「キリスト教」の世界は、あまりにも完璧に予定調和のそれである。「キリスト教」の象徴として「十字架」は、こんなに清浄無垢で荘厳、もっと言えば無機的に輝く存在だろうか。

 イエスの十字架は、この上なくむごたらしく血にまみれた実在の杭である。そのことを十分理解してたと思われる賢治は、なぜ十字架をこのように描いたのか。

 おそらく、賢治がこの十字架(白鳥座の北十字星のことであると言われる)を荘厳無垢に描いたのは、ここを、誰も足を踏み入れることなく、ひたすらな祈りがささげられる対象として措定したからではないか。旅人たちは「しづかに永久に立ってゐる」十字架に祈る。だが、汽車は止まることなく、乗客はみな車内で祈りをささげ、白鳥の島が「絵のやうになって」ついにすっかり見えなくなってしまうと、旅人たちは「しづかに席に戻り」、ジョバンニとカムパネルラも、「胸いっぱいのかなしみに似た新しい気持ちを、何気なくちがった詞で、そっと談し合ったのです。」

 白鳥座の十字架から、南十字星の十字架まで、銀河鉄道は走る。じつは十字架、というか十字架を暗喩するものは旅の途中でもあらわれ、それは非常に重要な問題を提起しているものだが、それについては、また回をあらためて考えてみたい。私見では、物語の後半に登場する「橄欖の森」がそれであると考える。また、苹果、とくに「燈台看守」が配る「金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果」についても考察を試みたい。どちらも、容易に作者の肉声を聞くことが拒まれているような気がして、難問である。カムパネルラの死と、タイタニック号の乗客の死、そして、蠍の死、これらと、十字架、苹果の両義的で複雑な関係を解きほぐす糸口だけでもみつかればいいと思っている。

 ここまで書いてきて、誤解のないように、あえて、いわずもがなのことを言っておきたい。私はこの作品をキリスト教のプロパガンダとして読むつもりはまったくない。他の宗教も同様である。それは、決して賢治の本意ではなかったと考える。根源的でありながら複雑で矛盾に満ちた生の本質に迫り、その過程での実践を模索するために、賢治は書き続けたのだと思っている。

 相変わらずまとまらなくてたどたどしい文章です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿