渡部直己氏も触れていることだが、『こゝろ』の中には、登場人物が心中を吐露する文脈で「自白」という言葉が多用されている。上巻「先生と私」では二箇所だが、下巻「先生の遺書」では十六箇所、計十八箇所で使用され、後半に頻出する。これが作者の無自覚な用法でない証拠には、「告白」という言葉も「先生と私」の中で使われている。「告白」という言葉が使われているのは三箇所、それも先生が自分の厭世観を「覚悟」ということばで吐露するひとつながりの文脈の中にあって、その部分だけである。では「自白」は、どのような場面で使われてているのだろうか。
最初に「自白」という言葉が使われたのは、先生が奥さんとの関係について感想を洩らしたときのことである。
「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。妻の方でも、私を天下にただ一人しかいない男と思ってくれています。そういう意味からいって、私たちは最も幸福に生まれた人間の一対であるべきはずです」
私は今前後の行き掛りを忘れてしまったから、先生が何のためにこんな自白を私にして聞かせたのか判然いう事ができない。」
次は前回取り上げた
「私は思想上の問題について、大いなる利益を先生から受けた事を自白する。」
という部分である。
下巻「先生と遺書」では、まず冒頭「私」に就職の世話を頼まれた先生がそれに対して
「・・・・・・・・・・しかし自白すると、私はあなたの依頼に対して、まるで努力をしなかったのです。」
とことわる場面。
それから先生が叔父に欺かれて親の財産の多くを失った経緯を説明する文脈で
「自白すると、私の財産は自分が懐にして家を出た若干の公債と、後からこの友人に送ってもらった金だけなのです。」
この後Kが登場する。
「自白すると、私は自分でその男を宅に引張って来たのです。」
Kは真宗の寺に生まれ、医者の家に養子に入ったが、「道」のために医学を捨て、そのことで養家から出され実家からは勘当される。経済的にも精神的にも追い詰められたKを救い出し、支えるために、先生は彼を自分の下宿に連れてきたのである。
夏休みに入って「私」は渋るKを誘って一緒に房州を旅行する。「行商」のように炎天下を歩きながら、夜になるとKと先生は「人間らしい」かどうかということで議論する。Kの「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という言葉にたいして先生がもちだした「人間らしい」という言葉の裏には「私」のお嬢さんへの感情があったが、それを直接言い出せなかったのは
「……勇気が私に欠けていたのだという事をここに自白します。」
旅行後、下宿先の家の人間関係は微妙に変化した。お嬢さんとKの距離が急速に縮まったのだ。そしてとうとう先生はKに「お嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた」のである。ここから「自白」という言葉が頻出する。「恋の告白」はすべて「自白」という言葉に置き換えられる。
「彼の自白は最初から最後まで同じ調子で貫いていました。」
「私の心は半分その自白を聞いていながら……」
「……こっちも彼の前に同じ意味の自白をしたものだろうか、……」
「Kの自白以前と自白以後とで、彼の挙動にこれという差異が生じないならば、彼の自白は単に私だけに限られた自白で……」
「私が第一に聞いたのは、この間の自白が私だけに限られているか、または奥さんやお嬢さんにも通じているか……」
「それが単なる自白に過ぎないのか、またはその自白について、実際的の効果をも収める気なのかと問うたのです。」
Kは恋する者の弱みで先生に進退を相談する。思いもかけずKに先を越されてしまった先生だったが、相手の不安に乗じて、無防備な彼を完膚なきまでに打ちのめし、退路を断つ。先生がKに投げかけた「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という言葉は
「復讐以上に残酷な意味をもっていたという事を自白します。」
このときKのもらした「覚悟」という言葉に焦った先生は仮病を使って、Kとお嬢さんを遠ざけ、奥さんにお嬢さんを貰う談判をする。話はあっけなくかたづいて、先生はお嬢さんと結婚することになるが、奥さんの口からそれを聞いたKは二日後の日曜日の朝、頚動脈を切って自殺してしまう。
「その時私の受けた第一の感じは、Kから突然の自白を聞かされた時のそれとほぼ同じでした。」
以上「自白」という言葉が使われている箇所を拾い出してみたが、そのいずれも「告白」という言葉を使う方が自然のように思われる。何故強引に「自白」を使うのかも問題だが、ここでは度重なる「自白」によっても明らかにされない「こゝろ」について考えてみたい。剛毅なKを自殺に追い込んでいく先生の「こゝろ」は詳細にその内側から語られ、「道」を求めて精進するKの「こゝろ」、また「男のように判然したところのある」奥さんの「こゝろ」も、先生の側からある程度語られるが、お嬢さんの「こゝろ」は、何故か、というより当然のように語られないのである。お嬢さんこそは、二人の男(もしくは語り手の「私」を含め三人の男)の関係の中央に位置して、彼らの死(語り手の「私」は死なないが)に最も重要な関わりをもつ存在であるのに。
お嬢さんの「こゝろ」は語られないが、「静」と名がついた彼女の言動の描写は精彩を放っている。美人で、他人にもそう思われていると知っている女のbehaviorの描き方は実に巧みで、漱石がいかに深く女を「知って」いたかがよくわかる。そんな女が、一つ屋根の下に若い男二人と一緒に暮して、男たちの気持ちがわからない、ということがあるだろうか。お嬢さんは先生の気持ちもKの恋心も十分知っていたはずである。そして、先生の優柔不断もKの禁欲もお嬢さんには関係がない。彼女は自分に寄せる二人の好意を分かっていて、二人を「操った」のではなく、自然にふるまっただけなのだ。だからこそ、遺書の最後で、先生は「妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが、私の唯一の希望なのですから」と語り手の「私」に念を押すのである。
はたしてお嬢さん_「静」と呼ばれる先生の奥さんはKの死の真相に気づかなかったのだろうか。小説の前半で語り手の「私」と二人で先生の態度についてやりとりする彼女は、知的で機知に富んでいて、かつコケットリーに満ちているが、先生がKの秘密にふれそうになったときには、巧妙にそれを遮ってもいるのである。さらにいえば、明治天皇の死に際して「最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました」というときに「では殉死でもしたらよかろうと調戯」って、死のトリガーとなったのも彼女なのだ。
小説『こゝろ』は謎に満ちている。そもそも、死を決意してから十日もかけてこのような長文の「遺書」を書くという行為が可能だろうか、と思ってしまう。また、「私は今自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。」という言葉の激烈さは何を意味し、「私の鼓動が停まった時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。」とはどんな「命」なのだろうか。不思議なことはいくつもあるが、ここでは、この長文の「遺書」という名の「自白文」が「静」と呼ばれる先生の奥さんの記憶の「純白」を無垢のまま守ったことを確認しておきたい。
体力が落ちたのかもともと能力不足なのか、なかなか続きが書けませんでした。もうひとつ、Kという文字が何か、という根本的なことを考えなければいけないのですが、これについてはすでに論が出尽くしているようにも思います。私自身は、原点にかえって「水死」との関係という視点で考えた場合、KはKingという立場で読んでいきたいと思っています。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。
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