2013年10月2日水曜日

大江健三郎_『ヒロシマの「生命の木」』__無信仰な者としてキリストを語ることはできるか

 表題のエッセイは一九九〇年八月三日NHK総合テレビで放映された『世界はヒロシマを覚えているか』の制作のために、大江健三郎が世界をめぐって、何人かの人物にインタヴィユーした時の経験を文章にしたものである。「一九九〇年」という絶妙なタイミングで企画され、放映された、ということが感慨深い。時はまさに、ペレストロイカ、東欧革命のさなかであり、日本は(いまでは)バブルと呼ばれた経済の最盛期でもあった。

 エッセイは広島原爆病院の院長であった故重藤文夫博士の生家にその夫人を訪ねた記事から始まる。表題「生命の木」とは、原爆病院で絶望の淵にありながら医療に従事していた若い医師に、重藤博士が「緑を見て来い」と言って山に行かせたというエピソードに由来するのだろう。この医師はその後自殺してしまうのだが。

 第二章以下は有名無名の人物とのインタヴューあるいは私的な会話を通じて、核と人類の未来が議論される。インタヴューに応じた主な人物は、旧ソ連側では作家チンギス・アイトマートフ、同じく作家アルカージー・ストルガツキー、ソヴィエト共産党の機関紙「プラウダ」の科学担当の記者であり、劇作家でもあるウラジミール・グーバレフ、アメリカでは心理学者ロバート・J・リフトン、物理学者フリーマン・ダイソン(フリーマンとの対話の中で、ジョージ・ケナンにも触れている)、天文学者でSF作家カール・セーガンがあげられ、また、市民レベルでは「被爆者友の会(フレンズ・オブ・ヒバクシャ)」の人たちとの交流も記されている。最後にしめくくりとしてアジアから登場した金芝河との対話は緊張感に満ちたものとなった。

 私が現代文学や現代史について知識が乏しいためか、このエッセイは難解をきわめる氏の小説よりもさらにわかりにくいものであった。ひとつには「世界はヒロシマを覚えているか」というタイトルのもと、何を議論するかという論点が絞れていないように思われることがある。一九九〇年の当時「なぜ、いま、ヒロシマなのか」___なぜ、このような企画をたてたのか。大江および制作スタッフの問題意識はどこにあったのか。最後に登場した金芝河に、「世界はヒロシマを覚えているか」という命題の立て方は間違っている、と指摘され(私からみれば)不毛な議論を重ねたのは、その未整理な、というよりとらえどころのない命題の立て方を衝かれたのではないか。

 一つの推論として、当時「ペレストロイカ」という言葉とともに、何か新しいことが始まったのだと思わせる風潮があった。同時に、「ペレストロイカ」を促すきっかけとなったチェルノブイリの事故が起こって、核の問題に対する喫緊の対応が迫られていたという状況もまた存在した。二大陣営の冷戦が引き起こす「核戦争の恐怖」はひとまず遠のいたが、「原子力の平和利用」による事故の危険が現実のものとなったのである。このような状況で私たちはどう生きるのか、生き得るのか、という問いを、大江は当時の錚々たる知識人たちとの対話あるいは議論をすすめながら深めていこうとしたのだと思われる。

 だが、この問いに対して大江は、その核心にあるものに触れないまま、周辺を丁寧に、誠実にまさぐっているように思われる。なによりも、「核戦争=核爆弾」「原子力の平和利用」は現実にひとつの経済行為として世界に存在するということ、問題の核心はそれだろう。ウラン発掘から核爆弾の製造にいたるまで、また発電などのいわゆる平和利用はそれ自体が非常に裾野の広い巨大なプロジェクトである。巨大な資本が投下され、得られる利潤もまた巨大である。プロジェクトを動かすのは、いうまでもなく資本家であり、その意を受けた経営者たちだ。ここが変わらなければ、何も変わらない。知識人たちとの対話で、あるいは草の根的な市民レベルの運動で、ピラミッドの頂点を突き崩すことは可能だろうか。

 大江と知識人たちのインタヴューについて、その一つ一つを個別に検討、批判する余裕と力量は私にはない。総じて議論は文明論であり、歴史観の問題に帰するように思う。ここでは、エッセイ中最も重要であると思われるリフトン教授の文章を取り上げて考えてみたい。リフトン教授は一九六二年、家族とともに六ヵ月間広島に滞在し、被爆体験を持つ七五名の人々の面接調査を行った心理学者である。

《広島とアウシュビッツのさまざまなイメージを人間の意識から払いのけようと、世界の非常に多くの人々が試みているが、これは無益だというだけではない。そのような企てをするということは、われわれから我々自身の歴史を奪い取り、われわれが現にそうであるところのものを奪い取ることである。・・・・・・われわれは広島とアウシュビッツを必要としているのだ。・・・・・・それは、それらがわれわれにもたらす戦慄にもかかわらず、その戦慄がもたらさざるをえない飛躍へと想像力を深化させ、解き放つために、である。ロートケの言葉を借りれば「眼は暗いときにこそ見えはじめるものなのだから」。死のビジョンが生をもたらすのである全体的な死滅というビジョンをもつことによって、死滅の呪いのもとで、そしてその呪いを超えて生きるということを、想像できるようになるのである》
(下線は筆者)

 大江はこの文章に深く共感している。だが、この文章は、非常に危険な、そしてそれゆえに非常に美しい文章である。全滅という黙示録的ビジョンをもつこと、まさのそのことが「全滅を超克する生」に対する想像力を可能にするといっているのだ。だが、想像することと、現実に生きる、生き延びることとは違う。現実に生き延びることができるかどうか、ボールは私たちの側にあるのではない。核産業の経済合理性にかかっている。利潤を上げ続けることができれば、資本家は「核戦争=爆弾」「原子力の平和利用」という経済行為をやめる理由はない。規模の縮小や商品の多様化はあるかもしれないが。

 ボールが私たちの側にあるのではないとしたら、私たちは何をなし得るのか。それに答えるかのように、大江はこのエッセイの中で、二度にわたってイエス・キリストに言及する。キリスト教徒でない、無信仰な者として、イエスに言及する___それはまさに、私が生活者として、また文章を書くものとしてなしている行為である。だが、それは可能なのか?このエッセイは私にその問いをつきつけている。私は大江のなしている行為とともに、私自身がなしている行為について、批判、検討しなければならない。

 本論はこれからなのですが、序論の段階ですでにかなりの長文になってしまいました。続きはまた回を改めたいと思います。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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