2012年6月19日火曜日

「なめとこ山の熊」____死との融和_破綻した予定調和の世界

宮沢賢治の作品の中で、もっとも心惹かれる小説である。何故そんなに心惹かれるのだろう。熊と人間が「なりわい=生業」のために切り結ぶ生と死が鮮烈に描かれているのだが、それだけではない。むしろ、主人公小十郎と熊の交流の場面で、熊は擬人化され過ぎているし、荒物屋の主人と小十郎の関係は誇張され過ぎているのではないか、という感も否めない。それでもなお、この作品にこめられたある種のメッセージ性が感動をよぶのである。私だけかもしれないが。

「なめとこ山の熊のことならおもしろい」という書き出しでこの小説は始まる。「おもしろい」というのだから、語り手がいるのだが、語り手は徹底して物語の外側で語り、作品世界の中に登場することはない。「オツペルと象」の語り手と同じである。もうひとつ「オツペルと象」と共通していることがあって、語りの文体が常体なのである。賢治の童話は多くが敬体の文章で書かれている。童話集『風の又三郎』の解説を書いている谷川徹三氏の言うように「天成の教育者であった」賢治は、つねに語られる相手=子どもを意識して作品を作っていたので、子どもが受け入れやすいように「ですます」体を多く使ったのだと思われる。しかしこの作品はそうではない。語り手が語る相手は、必ずしも子どもを第一に意識しているのではないのだ。そして「オツペルと象」の語り手が最後には、「おや、君、川へはいっちゃいけないったら」と韜晦してしまうのに対して、「なめとこ山の熊」は、小十郎の死骸をとりまく熊の様子を「ほんとうにそれらの大きな黒いものは、参の星(オリオン)が天のまん中に来ても、もっと西に傾いても、じっと化石したようにうごかなかった」と描写して、最後まで語りの姿勢を変えることなく語りきるのである。

物語は「なめとこ山の熊」を「片っぱしから捕った」熊捕りの名人の小十郎と熊たちとの交流を語る。交流というより、殺すか殺されるかの勝負、といった方がほんとうは正確なのだろう。殺した熊に因果を含める小十郎の姿が描かれるが、「米などは少しもできず、味噌もなかったから、九十になるとしよりと子供ばかりの七人家内にもっていく米はごくわずかずつでも要った」から、生きていくために殺さなければならなかったのだ。殺さなければ、すなわち自分が、否七人家内が全員飢え死にするのである。

小十郎と熊との関係は、時の推移とともに微妙に変化していく。「小十郎はもう熊のことばだってわかるような気がした」という文章の後、小十郎は月あかりの中で「後光がさすように思え」た母子の熊の姿を見つける。この場面で描かれる母子の情景はまるで一幅の絵画のように美しく、その会話」は詩のようである。小十郎はこの二匹の熊を射つことができないばかりか、「なぜかもう胸がいっぱいになって、もういっぺん向こうの谷の白い雪のような花と、余念なく月光をあびて見ている母子の熊をちらっと見て、それから音をたてないように、こっそりこっそり戻りはじめた。」だが、小十郎がこの母子を見つけたのは、彼が「柄にもなく登り口をまちがってしまった」ため、去年つくった小屋にたどり着くまでに、犬も自分もへとへとにつかれてしまったので、水のある場所に下りて行こうとしたからである。剛毅な小十郎にかすかな衰えの兆候が見えはじめたのだ。

この後小十郎と荒物屋の主人との商談の様子が語られる。小十郎は命を切り結んで手に入れた熊の胆をさんざんに買い叩かれて、わずかな金と馳走で懐柔されてしまう。荒物屋の主人の老獪さと小十郎の卑屈さとが方言をまじえてリアルに描かれる。ここで語り手は「けれどもこんないやなずるいやつらは、世界がどんどん進歩するとひとりで消えてなくなって行く」と断定せずにはいられない。命しか売るものがない労働者とそれを買い叩く商人=資本家の一方的な力関係を前にして、なすすべもない語り手はせめてことばで弾劾するしかない。

そうやって小十郎が命の代償として手に入れたものは何か、という問いをつきつけたのは、木によじ登ろうとしていた大きな熊だった。「お前は何がほしくておれを殺すんだ」と問われた小十郎は「お前に今ごろそんなことを言われると、もうおれなんどは何か栗かしだの実でも食っていて、それで死ぬなら死んでもいいような気がする」 と答える。「九十になるとしよりと七人家内にもっていく」わずかな米のために殺生を重ねる生活世界から死の地平にかなりな角度で傾斜した姿勢である。残した仕事もあるので二年だけ待ってくれ、という熊のことばに小十郎は立ちすくんでしまう。そして、約束通りちょうど二年目の朝、熊は小十郎の家のまえで血を吐いて死んだのだった。その姿を「小十郎は思わず拝むようにした」

小十郎が最期を迎える朝の情景は、この作品の中でもっとも印象深い場面だ。少し原文を引用したい。
一月のある日のことだった。小十郎は朝うちを出るとき、今まで言ったことのないことを言った。
「婆さま、おれも年とったでばな、けさまず生まれで始めで、水へはいるの嫌(や)んたよな気するじゃ。」
すると縁側の日なたで糸を紡いでいた九十になる小十郎の母は、その見えないような目をあげてちょっと小十郎を見て、何か笑うか泣くかするような顔つきをした。
今生の別れを告げる母子の情景は、月光の中で美しく描かれた熊の母子の情景よりもっと美しくて、はるかにせつない思いを伝えてくる。

「じいさん、はやくお出や」と孫たちに笑われて山に入った小十郎はあっけなく熊に殺された。かつて、小十郎は、何のために自分を殺すのか、と問われた熊と会話し、熊を射たなかったが、最後はことばを交わす間もなく自分が殺されたのだ。しかもいまわの際に小十郎は「おお、小十郎、お前を殺すつもりはなかった。」という熊の声を聞くのである。この最後の場面は謎である。熊はほんとうに小十郎を殺す気がなかったのか。だとしたら何故「棒のような両手をびっこにあげて、まっすぐに走って来た」のだろう。そして小十郎が鉄砲を射ったのに、何故「少しも倒れないであらしのように黒くゆらいでやってきた」のか?熊は何者なのか?

小十郎に死をもたらした熊が何者なのかについて一つの仮定があり、この作品といくつかの共通する部分をもつ「オツペルと象」とこの作品とを比較するためにも検討したい命題なのだが、それはまた別の機会にしたい。とりあえずのまとめとして、最初に私が述べた「この作品にこめられたある種のメッセージ性」の具体的な内容について、書いておきたいと思う。それを端的にいえば、「死の荘厳さ」、であろうか。小十郎と約束を交わしてその通りに死んでいった熊も、そうでない熊も、そして小十郎自身の死も、死は同じように荘厳な事実である。そしてそれ以外の何ものでもない。「畑はなし、木はお上のものにきまったし、里に出てもだれも相手にしねえ」小十郎の家族を残したまま、死はただ死として彼に訪れたのだ。死が生の完成であり、終着であるという予定調和の世界は最初から破綻している。語り手は、「まるで生きているときのようにさえざえして何か笑っているようにさえ見えた」顔の小十郎の死骸が「栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の平らに」置かれ、そのまわりを「黒い大きなものがたくさん輪になって集まって」「回回教徒の祈るときのように、じっと雪にひれふしたままいつまでも動かなかった」と語って、時を停止させるのである。

ほんとうはサリンジャーの原文講読を進めなければいけないのですが、どうしてもこの作品が気になっていたので、寄り道してしまいました。また明日からサリンジャーに戻ろうと思っています。今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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