「善きサマリア人」はやはりジニー・マノックスであるというのが現時点での私の結論である。細かい点については、まだ解決できない謎がたくさんあるのだが、大筋のところではほぼ輪郭が見えてきたように思う。
本題に入る前に Just Before the War With the Eskimos という題名の意味をもう一度考えてみたい。Just Before という英語は「前夜」という日本語よりもっと切迫した語感を持つように思われる。まさに「直前」なのである。the War With the Esukimos の「直前」。それでは the Eskimos とは何か?the War With the Eskimos とは?
題名の「対エスキモー戦争前夜」は、作中セリーヌの兄フランクリンが「こんだエスキモーと戦争するんだ。知ってるか、あんた」とジニーにたずねることに由来するのだろう。「耳の穴をかっぽじって聞いとくれ」というのだから、よほど大事なことだ、とセリーヌの兄は考えているのだ。彼は何故会ったばかりのジニーにそんな話をしたのだろうか。
その理由は二つある。一つはジニーも彼と同じように「指を切った」という経験を共有していることで、もう一つは、かつてジニーの姉ジョーンに彼が求愛した過去があるからである。「ブリ屋仲間の女王様」とセリーヌの兄が呼ぶジョーンに、「42年のクリスマス・パーティ」で出会った彼は「八遍も手紙を書いた」。だが返事は一度も来なかったのだ。
そしてジニーも彼と言葉を交わしているうちに、彼の「指の傷」について積極的にかかわっていく。「マーキュロは効くかな?」と聞く彼に「ヨーチンでなきゃだめよ」と答え、「猛烈にしみるんじゃないか?」と言われても「でも死にやしませんからね」と駄目を押す。なかば無意識に怪我していないほうの手で傷に触ろうとしたセリーヌの兄は、ジニーの「触っちゃだめ」という言葉を聞いて、何故か非常な衝撃を受け、「夢でも見てるような表情」を浮かべるのである。
だが、ジニーがセリーヌに払わせようとしていたタクシー代を放棄して、「あたし、遊びに来るかもしれない」と彼女に告げたのは、さらにもう一つ決定的な動機が芽生えたからだと思われる。それは、セリーヌの兄と入れ替わりに部屋に入ってきたエリックとの会話の中で示された「ぼくのアパートに同居していた・・・作家だか何だか知らない」奴の「善きサマリア人」のエピソードだろう。「餓死寸前」の作家に「善きサマリア人を地で行ったようなもん」の世話をやいてやった挙句が、「手の届く限りの物をそっくり持ち出して」「朝の五時か六時にぷいっと出て行っちまった」という結末を迎えたのである。この一連の顛末を聞いたジニーは、セリーヌが再び部屋に入ってくると、彼女がドレスを着替えていることを見咎めることもせずに、もうタクシー代は要らないと言い、セリーヌの兄に近づきたいという態度をとり始めるのだ。ジニーはフランクリンの「善きサマリア人」となる宣言をしたのである。
ようやく五合目まで登ったという実感です。頂上制覇はまだまだ先のことのようです。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
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