2020年1月22日水曜日

折口信夫『死者の書』__大津皇子「くれろ。おつかさま」の謎__松浦寿輝『折口信夫論』に触発されて

 三島由紀夫の『奔馬』について書こうと思い、背景となった昭和維新の時代を調べていて、松浦寿輝氏の『折口信夫論』に出会った。出会いの必然はこの著書の後記にある

 この国の、奇妙に柔らかく弾性に富んだ不可視の権力システムの謎は、折口のあの薄気味悪い文章や詩歌の中に、ことごとく畳みこまれているのではないかとつねづね考えていたからである。

という文章がすべてを語っている。松浦氏の『折口信夫論』には、全編珠玉のような文章がきらめていて、そうだ、そうだと「激しく同意」しながら一気に読了した。折口を読まない人でも、この本を読めば折口の最も核心的なものに触れることができるのではないか。もう半世紀以上も折口を読んでいながら、何もいえずに立ちつくしている私は、自分のふがいなさに自信をなくしかけている。

 だが、あえてひとつ言わせてもらうことができるとしたら、これらは折口の「同性」だから書けた文章なのではないか。論の初頭からたびたび引用される折口の「大嘗祭の本義」について、松浦氏は最後にこういっている。

 この「褥=寝床」が異性を排除した独身者の床であるという点をいま一度強調しておくことにしよう。「水の女」が現れ、禊を行い、新天皇がまとうべき衣を織り、それを着せかけてくれるのは、物忌みが明けた後になってからのことにすぎない。「喪の儀礼のさなかにあっては、女との婚姻の証である「水の羽衣」は未だ奪われたままであり、仮死状態を耐えている宙吊りの「死者」は「をゝ寒い。……著物を下さい。著物を___」とおらびつづけなければならない。大嘗祭の「褥」は、異性との交接が行われるエロスの床ではなく、同性同士が軀を擦り合わせる倒錯の舞台なのである。

  文中「仮死状態を耐えている宙吊りの死者」とは、折口信夫の『死者の書』の主人公「滋賀津彦」こと大津皇子である。天皇への反逆を企てたとして処刑され、二上山に埋葬されている死者が数十年後によみがえる。『死者の書』の冒頭「彼の人の眠りは、徐に覚めて行った。」と書き出され、少しずつ意識と記憶を取り戻していった死者は、むき出しの裸体に気づき、寒さに震えながら「著物をください。」と叫ぶのだ。松浦氏の『折口信夫論』は、主として折口の小説『死者の書』をテキストとして取り上げ、その創作の秘儀に迫りつつ、折口自身も気づかなかったのではないかと思われる「折口」を示現させるのだ。

 「大嘗祭」に戻れば、折口自身が、この儀礼についての具体的な描写を「大嘗祭の本義」という論文の中深く畳みこむように、つまり用心深く隠すかのように置いているのと同じく、松浦氏もこの著書の最後でようやく一気に核心を抉り出す。ここに書かれてあることが事実かどうかは検証のしようがないのだが、折口と、そしてもちろん松浦氏とも異性である私には、この文章自体が「同性同士が軀を擦り合わせ」ている」ているように感じられてならない。折口の残虐な魅惑にあえて「十分以上に素肌をさら」すことができるのは同性の特権である。異性は最初から疎外されている。

 だが、だから、それゆえに、松浦氏が『死者の書』の大津皇子(作品中では滋賀津彦と呼ばれる)が召喚する三人の女たち__耳面刀自、姉御(大伯皇女)、おつかさま__の差異に関心がなさそうであるのが、少しものたりないのである。以下、三人の女たちに滋賀津彦がどのように訴えたのかたどってみたい。

 長い眠りから覚めた滋賀津彦の意識が、まず最初に、記憶から呼び起こしたのは耳面刀自だった。謀反の罪をきせられ、磐余の池で処刑される寸前に一目見た耳面刀自を、滋賀津彦は思い続けていた。滋賀津彦は言う。

 おれによって来い。耳面刀自。

 滋賀津彦の独白の中で最も多くその名が呼ばれるのは耳面刀自である。耳面刀自は実在の人物と考えられている。大織冠藤原鎌足の娘で、天智天皇の長子大友皇子の妃となったが、壬申の乱で大友皇子が敗れ自殺したため、妃である耳面刀自も死んだとされている。あるいは、近江宮から脱出し、父鎌足の故地鹿島を目指して九十九里浜に上陸したが、その地で亡くなったという伝説もある。

 作中滋賀津彦と呼ばれる大津皇子は、天武天皇の子でありながら、天智天皇の近江宮で育てられた。人質としての存在だったかもしれない。だから、耳面刀自のことを

 おまへのことを聞きわたった年月は、久しかった。

というのだろう。だが、いつ明けるとも知れぬ岩窟の暗闇の中で

 子を生んでくれ。おれの子を。おれの名を語り傳える子どもを。

と執着するのは異様である。

 「滋賀津彦。其が、おれだったのだ。」と記憶を取り戻して歓びの激情をおぼえたとはいえ、「岩屋の中に矗立(シュクリツ)した、立ち枯れの木に過ぎなかった」と描写される滋賀津彦の生々しい欲望は、不思議な現実感をもって読む者の感性を脅かす。それは、立ち枯れの木と描写される滋賀津彦のむこうに、いや内側に、折口信夫その人の姿がすけて見えるような感覚を覚えてしまうからかもしれない。

折口信夫は「耳面刀自の名は、唯の記憶よりも、さらに深い印象であったに違ひはない。彼の人の出来あがらぬ心に、骨に沁み、干からびた髄の心までも、唯彫りつけられたやうになって、残っているのである。」とのみ記すのだが。

 その次に思い出したのは、伊勢の斎宮となった姉の大伯皇女だった。作中彼女の

 いその上に生ふる馬酔木をたをらめど見すべき君がありと言はなくに
 うつそみの人なる我や明日よりは二上山をいろせと思はむ

二首の和歌が記されている。弟が処刑された後、墓の前で哭きながら歌ったものとされている。誅歌(なきうた)と書かれていて、紛れもなく死者のための歌だが、この二首は、は、誅歌というよりむしろ恋人たちがかわす相聞歌の感情が漂っている。相聞歌と挽歌はいずれも相手の魂を「乞う」歌なので、厳密な区別がつきにくいものだが、万葉集には大伯皇女の歌がこの二首以外にも四首記録されている。そのいずれもむしろ民謡的な相聞歌である。

 よい姉御だった。

折口はあっさりと、滋賀津彦にそういわせているが、墓の戸をこじあけようとする大伯皇女の姿は尋常ではない。

 最後に召喚される「おつかさま」は謎である。実在の大津皇子の母は天智天皇の娘大田皇女だが、大津皇子が七歳の時になくなっている。目覚めた滋賀津彦は

 をゝ寒い。おれを、どうしろと仰るのだ。尊いおつかさま。おれが悪かったというのなら、あやまります。著物をください。著物を___。おれのからだは、地べたに凍りついてしまひます。

と「おつかさま」に訴えかけるのだが、はたして「おつかさま」は早世した太田皇女だろうか。滋賀津彦は

 恵みのないおつかさま。お前さまにお縋りするにも、其おまへさますら、もうおいでない此世かも知れぬ。

と、「おつかさま」の生死について判断できない。ただ言えることは、「おつかさま」は権力者なのである。「おれが悪かったというのなら、あやまります。」と滋賀津彦が言うのは、いうまでもなく「おつかさま」が「尊い」からであり、「恵みのないおつかさま」でも「お縋りする」しかないのだ。「憐みのないおつかさま」は「おれの妻の、おれに殉死するのを、見殺しになされた。」とも書かれている。大津皇子の実母大田皇女がこのような権力者であったとは考えられない。そもそも大津皇子が処刑され、大津皇子の妃山辺皇女が殉死した時に、大田皇女はすでに他界している。権力者である「おつかさま」は実在のモデルがあるのだろうか。それとも何か抽象的な存在なのだろうか。

 こうしてたどってみると、歌を詠んでくれた姉の大伯皇女の記述が、むしろ一番あっさりしている。この姉弟の関係は、当時からすでに近親愛的な叙事詩としてストーリーが組み立てられていた形跡があるのだが、作者折口はなぜかそこに関心をふりむけようとしないのである。それに対して、耳面刀自と「おつかさま」にからむ滋賀津彦は、奇妙なというか、異様なというか、その具体的身体の描写とあいまって、「死者の性欲」とでもいうべきオーラに満ちている。はたして、この滋賀津彦が南家郎女の俤にあらわれる「黄金の髪と白い肌」の主となるのだろうか。

 こうして書いてくると、松浦氏の明晰かつ抽象化された論の枠組みに無理やり夾雑物を紛れ込ませようとしているようにも思われてくる。だが、『死者の書』は小説として書かれている。「小説の主脳は人情なり。世態風俗これに次ぐ」と坪内逍遥の言葉にあるように、「人情」と「世態風俗」について、もう少しこだわってみてもいいのではないか。「世態風俗」については、もう一人の主人公南家郎女と彼女を取り巻く状況を考えてみたい。その上でもう一度松浦氏の『折口信夫論』にもどって、何か言えることがあるかどうか考えてみたいとも思っている。

 「権力とは現勢化するエロスの反復形態である」という『折口信夫論』の帯の文章は、まさに金言だと思うが、ならばなおのことそのエロスがどのように具体化されているかを、日常、生活者の感性で探ってみたいのである。

 ずいぶん長いこと書かないでいたことも手伝って、未整理に拍車がかかる文章となってしまいました。最後まで読んでくださってほんとうにありがとうございます。  

2019年12月2日月曜日

三島由紀夫『春の雪』_日露戦争の亡霊

 『豊穣の海』第二作の『奔馬』についてはある程度まとまったことが書けそうな気がするのだが、『春の海』は難問である。どこまでも美しく、崇高でしかも限りなく官能的な清顕と聡子の恋、それがどのように始まって成就したか、作者の視線はこの一点にそそがれて揺るぎない。恋愛の要素であるむき出しの欲望や生臭い情動は、彫琢をきわめた流麗な文章によって、みごとに「優雅」の域に昇華されている。非の打ちどころのない恋愛小説として完結しているようにみえ、そこに謎を見出すことは困難であるように思われる。

 主人公松枝清顕は、明治維新で勲功を立て、郷里鹿児島で「豪宕な神」とみなされた人物を祖父にもつ。祖父の息子二人は日露戦争で戦死して、残ったのは清顕の父一人のようである。清顕の父は清顕以外に子をもたなかったので、清顕は松枝家のただ一人の嫡子である。冒頭、渋谷郊外の広大な敷地十四万坪の中に、和洋取り交ぜた豪壮な建物を保有するばかりでなく、その名も「紅葉山」と呼ばれる山、その山を背景にする広い池、池に落ちる滝など、平安時代の王朝絵巻と見紛う松枝家の光景が描かれる。ここには、爛熟と豪奢、つまり貴族趣味そのものがあって、生硬なもの、粗削りなもの、質素なものは登場しない。

 松枝清顕は、貴族趣味、というより、その性質もふくめて、貴族そのものである。若く、美しく、自尊心が抜きんでて高く、そして優柔不断な御曹司が清顕である。その清顕の心情を、作者は物語の冒頭「得利寺附近の戦死者の弔祭」と題する日露戦争の戦死者の写真と結びつけて語るのである。

 すべては中央の、小さな白い祭壇と、花と、墓標へ向って、波のように押し寄せる心をささげているのだ。野の果てまでひろがるその巨きな集団から、一つの、口につくせぬ思いが、中央へ向ってその重い鉄のような巨大な輪を徐々にしめつけている。古びた、セピア色の写真であるだけに、これのかもし出す悲哀は、限りがないように思われた。

 十八歳の清顕がこのような心持になったのは、幼いころ公家の家に預けられて「優雅」を学ばされたことに原因がある、と書かれている。その公家の家が、清顕と禁断の恋に落ちる聡子が生まれた綾倉という伯爵家であって、清顕と綾倉聡子はまさに「優雅」な、そしてすさまじい恋をするのだが、いまは「優雅」にしのびより浸透していく死の影が、最初から清顕を覆っていたことに注目しておきたい。死と戦争は、物語の辻々に、さりげなく、だが印象的に挿入される。父侯爵が妾に会いに行くとき、付き添う清顕は、寒夜の風が松の梢を騒がす音にも「得利寺の戦死者弔祭の写真」の樹々のざわめきを聞き、死を連想するのだ。

 清顕が再び「得利寺附近の戦死者の弔祭」を見るのは、雪の中、聡子と俥を走らせていたときのことだった。美しく怜悧で活発な聡子に対して、少年らしい自尊心から反発しながらも惹かれていた清顕だったが、ある雪の朝、唐突に、聡子から雪見に連れて行ってくれと呼び出しがかかる。迎えに行った清顕の俥に聡子が乗り込んできた時の様子はこう描かれている。

 聡子が俥へ上がってきたとき、それはたしかに蓼料や車夫に扶けられて、半ば身を浮かすようにして乗ってきたのにはちがいないが、幌を掲げて彼女を迎い入れた清顕は、雪の幾片を襟元や髪にも留め、吹き込む雪と共に、白くつややかな顔の微笑を寄せてくる聡子を、平板な夢のなかから何かが身を起こして、急に自分に襲いかかってきたように感じた。聡子の重みを不安定に受けとめた俥の動揺が、そういう咄嗟の感じを強めたのかもしれない。
 それはころがり込んできた紫の堆積であり、たきしめた香の薫りもして、清顕には、自分の冷えきった頬のまわりに舞う雪が、俄かに薫りを放ったように思われた。

 これ以上ないほどの近さで身を寄せてきた聡子は、清顕にとって、美しい恋人というよりむしろ、何か日常世界を超えた次元からやってきた存在のようである。この後すぐ世にも美しい接吻へのなりゆきが繊細、精妙な描写で続くのだが。

 そして、官能のほてりに暑さを覚えた清顕が、俥の幌を開けたときに、日露戦争の亡霊が現れるのである。折しもさしかかった坂の上の崖から見下ろす麻布三聯隊の兵庭には、肩と軍帽の庇に雪を積んだ数千の兵士が、白木の墓標と祭壇を遠巻きにしてうなだれていた。彼らはみな死んでいて、みずからを弔っているのだった。幻は一瞬にして消え、あたりは平穏な日常の佇まいに戻るのだが、清顕と聡子の陶酔は戻らなかった。

 麻布三聯隊と霞町という場所はこの後、『春の雪』という作品の中で、一つの記号のように繰り返し登場する。清顕と聡子が初めて結ばれるのも、蓼料が懇意にしている北崎という軍人宿の離れで、そこは三聯隊の正門近くである。ふりつづく雨の中、清顕は北崎の宿におもむき、聡子と逢う。下宿の離れで清顕と聡子が結ばれる性愛の描写は、これほど具体的かつ高度な象徴性に満ちた描写はあるまいと思われるのだが、はたしてこれは、たんに性愛の描写だろうか。

 清顕が、禁忌の存在に対して、自らの純潔をかけて届こうとすること、そのことによって

 誰も見たことのないような完全な曙が漲る筈だった。

という預言は第二作『奔馬』のラスト、飯沼勲が

 正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と上った。

となって成就するのだ。

 北崎の宿は、物語の後半綾倉伯爵と綾倉家の老女蓼科の会話の中で登場する。清顕の子を身ごもった聡子が蓼科の指示を受け入れず、いっこうに中絶しようとしないことで、進退窮まった蓼科はカルチモンを飲んで自殺を図る。蓼科の部屋を訪れた伯爵に、蓼科は八年前の北崎の宿での伯爵の言葉をもちだすのである。

 八年前も雨が降っていた。もう梅雨に入っていた。八年後に清顕と聡子が結ばれることになる北崎の離れで、伯爵と蓼科は何とも陰惨な春画を見て、十四年ぶりに情を交わした。そして伯爵は驚くべきことを蓼科に頼んだのだった。

 八年前のその日、松枝侯爵が十三歳になった美しい聡子を見て、自分が三国一の婿を世話して、綾倉家から一度も出たことのないような豪勢な嫁入りをさせてやろう、と言った。このとき、無力な伯爵はこのはずかしめに対して、あいまいに笑っているだけだったが、何とか長袖者流の復讐をしてやろうと思っていたのである。それは、松枝侯爵が決めた婿に、生娘の聡子を与えない。縁組の前に、聡子を彼女が気に入っている男と添臥させる、ということで、このことを誰にも知らせず、蓼科一存でおかした過ちのようにやりとおしてほしい。そのために、生娘でないものと寝た男に生娘と思わせ、反対に、生娘と寝た男に生娘でないと思わせる二つの術を聡子に教え込むことができるだろうか。伯爵のこの恥知らずな、残酷な頼みを蓼科は「承りましてございます」と請け合ったのである。

 「門も玄関もない、そのくせかなりな広さの庭に板塀をめぐらした坂下の家。湿った、暗い、なめくじの出そうな」と描写される北崎の家での伯爵と蓼科の会話は、『春の雪』という舞台劇の暗い裏側を覗かせる。清顕と聡子の美しすぎる悲恋は、彼らを取り巻く大人たちの情念と陰謀によって仕組まれたものだったのだ。零落しているがゆえにはずかしめられ、やりどころのない伯爵の憤懣が、このようなグロテスクな企てを思いつかせたのだろうが、それだけではない。ここにはもっと淫靡で複雑な男と女の情念が濃縮されて呈示されている。その情念のひとつひとひとつを書くのもおぞましいが、伯爵も侯爵も、自分の命さえも手玉に取って、みごとに情念をつらぬき復讐を果たした蓼科の存在感は圧倒的である。

 『春の雪』の原点ともいえる八年前の出来事が、日露戦争に出征にする兵士の壮行会と同じ場所で行われたことに注目したい。降りしきる雨の中、事後の二人の耳に軍歌の合唱が届く。

 鉄火はためく戦場に
 護国の運命、君に待つ
 行け忠勇の我が友よ
 ゆけ君国の烈丈夫

 北崎の宿と日露戦争は、この後『春の雪』に登場することはない。美しく崇高な悲劇の原点が、陰惨で淫靡な情念の世界であり、そこはまた血生臭い戦場と隣り合わせの場所であることを示唆して、物語は終末に向かっていく。

 難問の『春の雪』に、せめて補助線を引いてみようと思って書き出したのですが、やはり難問のままでした。でも、あきらめないで、影の主人公本多繁邦を中心に、もう一度考えたいと思っています。未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。  

2019年11月14日木曜日

三島由紀夫『春の雪』_大正デモクラシーの王朝絵巻_「みかどのめ(妻)を盗む」というモチーフ

 『豊穣の海』四部作について、いつか書こう、書かなければならないと思いながら、ずるずると書けないまま時間が過ぎてしまった。四部作すべてを見渡して、何か三島文学の結論めいたものを引き出そうなどとだいそれたことは、もちろん考えていない。そういうことではなくて、私にとって三島由紀夫の作品は、批評、分析の対象となる以前に面白すぎるのである。小説ビギナーの私でも無理なく読めて、最初から最後まで読むことの快感に浸りながら、結末までもっていかれてしまう。そして最後になって、はて、この小説はどう読めばいいのか、と立ち止まってしまうのだ。

 『豊穣の海』あるいは『春の雪』だけでなく、三島由紀夫の作品は言葉が溢れかえっている。プロットの展開を語り、登場人物の心理を描写する叙述に破綻はまったくないが、ときに思弁的、形而上学的用語をまじえ、言葉は過剰の域の内側にかろうじてとどまっているように見える。もうひとつ、『春の雪』の文章に特徴的なことは、登場する皇族への待遇表現の丁重さである。作者は徹底して最上級の敬語を使用し、皇族と他の登場人物の間に決して越えられぬ一線を劃している。幼い清顕が魅せられた春日の宮妃、禁断の恋を生きた聡子の婚約者洞院宮王子の一家、留学中のシャムの王子たち、さらに物語の中に一瞬登場する「お上」に対して、王朝の女房文学かと見紛うほどの念入りの敬語が繰りだされる。

 『春の雪』の最後に、後註として、

『豊穣の海』は『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語であり、因みにその題名は、月の海の一つのラテン名なる Mare Foecunditatis の邦訳である。

と書かれている。輪廻転生は四部作を展開する力学のエネルギー源だが、第一作の『春の海』を読んだ印象では、作者に直接のインスピレーションを与えたのは、『浜松中納言物語』というより『源氏物語』や『伊勢物語』ではないかと思われる。『浜松中納言物語』は数多くある『源氏物語』のひとつの亜流とされている。『源氏物語』さらに遡って『伊勢物語』の重要な主題は「政治と性」具体的には「みかどのめ(妻)を盗む」ことである。

 『源氏物語』はいうまでもなく光源氏と藤壺の不倫から始まる。父桐壷帝の妻を犯し、生まれた子を帝の位につけるという背徳の行為が源氏に栄耀栄華をもたらすのである。一方『伊勢物語』第三段から第六段は「二条の后」と業平と思しき男の恋の経緯が語られてる。こちらは業平の悲恋で、奪い取った「二条の后」藤原高子は彼女の兄たちに奪い返されてしまう。業平は栄耀栄華どころか都落ちを余儀なくされる。源氏と業平の運命は両極端だが、性と権力の相互浸透、というより性=権力の方式が成り立つという点で共通したものがあるのではないかと思われる。

 『春の雪』は平安時代の女房文学ではなく、大正元年(1912年)の十月から始まる物語である。(出版されたのは昭和四十四年_1969年。アポロ11号が月面着陸した年)日清、日露の二つの戦争を経て明治が終わり、日本はどのような社会になっていったのか。実は、『春の雪』という小説中に、社会はまったくといっていいほど描かれないのである。第二作『奔馬』では、作者は、主人公飯沼勳に詳細すぎるほど詳細に、昭和十年代初頭の東北農民の窮状と政治の腐敗を語らせている。一方『春の雪』は、渋谷の郊外に十四万坪の敷地をもつ松枝清顕の屋敷を舞台に、松枝家とその周辺の上流階級が中心で、庶民の生活がふりむかれることはない。

 政治がもちこまれることが決してない、という点で小津安二郎の映画がきわめて政治的であるのと同様に、『春の雪』もまた、きわめて政治的である。前年1911年一月中国で辛亥革命が起り、当年二月十二日には清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀が退位するなど、東アジアは大きく揺れ動いていた。だが、日本では、というか『春の雪』の世界では、何事も起こらなかったかのように、主人公松枝清顕と綾倉聡子の恋に作者の視線は集中する。聡子に触れることが禁忌にならなかったら決して成立しなかったであろう恋に。清顕にとって、あるいは三島由紀夫にとって、恋の必要条件は「禁忌=不可能」だったのではないか。もしかしたらそれは十分条件だったかもしれない。

 「私たちの歩いている道は、道でなくて桟橋ですから、どこかでそれが終わって、海がはじまるのは仕方がございませんわ」という聡子の言葉の通り、終わりの時が来て、聡子は大叔母が門跡をつとめる月修寺で出家してしまう。「海」_「豊穣の海」_「月の海」_「月修寺」_という連想がたんなる言葉の遊びでなければ、聡子は月世界にもどったかぐや姫だろうか。異次元の世界に行ってしまった聡子にこの世で会うことは不可能なのだから、『天人五衰』のラストは、この時点で決定していたのだ。清顕も、彼の親友本多も、そして六十年後の本多も、肉の身をもつ聡子に再び相まみえることはない。

 一方、清顕は翌年春の歌会始の儀式であらたな天皇の顔をかいま見、そこに清顕に対する怒りをみとめて恐怖する。そのとき、快楽とも戦慄ともつかぬ感覚とともに彼を貫いたのは

 『お上をお裏切り申し上げたのだ。死なねばならぬ』

という考えだった、と書かれている。禁忌を冒すこと、その結果死ぬこと、その二つが二つとも清顕にとっては「快さとも戦慄ともつかぬもの」だったのだ。だから、この後春寒の奈良を訪れて、月修寺に通い詰め、病いを得て死んでいくという深草の少将のような清顕の行動は、成就されるべき死への道行きだったのである。

 『春の雪』については、こんな概念的な感想文でなく、もっと丁寧にストーリーの展開を追って書きたいことがあるのですが、長くなるので回を分けたいと思います。清顕と聡子の、精妙としか呼びようのない性愛と心理の描写、対照的に隠微で生臭い謀略の影、など小説を読む醍醐味はこちらにあるのかもしれません。とくに蓼科と呼ばれる老女の存在感は圧倒的で、『春の雪』の主人公は彼女ではないかと思ってしまいそうです。

 今日も不出来な感想を読んでくださってありがとうございます。  

2019年8月28日水曜日

宮沢賢治『グスコーブドリの伝記』_九十年前のジオ・エンジニアリング

 地球温暖化の議論、異常気象などここ数年地球環境の異常さが人類生存の深刻な危機として問題になっている。自然の猛威の前に文明は何をなし得るか。九十年前にその課題に挑んだ人間の軌跡として『グスコーブドリの伝記』を取り上げてみたい。

 前回のブログで書いたように、この作品も相次ぐ冷害と飢饉で主人公の両親が自死することが物語の発端である。『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』は冒頭数枚の原稿が焼失してしまっているが、『グスコーブドリの伝記』の方は、主人公ブドリの父は森の木こりで、幼いブドリと妹のネリが楽園のような森の生活を送ったことが描かれている。だが、ブドリが十になった年とその翌年冷害が続いて、どうしても食べる物がなくなってしまう。最初に父が「おれは森へ行って遊んでくるぞ。」という悲痛なことばをのこして森の中へ入っていく。翌日に母もわずかな食糧を兄妹に残して、後を追う二人をしかりつけて森に入る。それから二十日後に妹のネリが人さらいにさらわれ、ブドリはたった一人になってしまう。

 誰もいなくなった森にやってきたのは「てぐす」を飼う男だった。「てぐす」とは「天蚕糸」のことで、「家蚕糸」が屋内で蚕を飼うのに対し、屋外でクヌギやナラなどの木に「てぐす」という虫を這わせて繭を取る方法だそうである。物語の中でもかなり詳しく「てぐす」を飼って繭を取る方法が書かれている。日本ではとくに長野県安曇市の有明というところで盛んに行われ、明治二十年から三十年が全盛期だったが、焼岳の噴火で降灰の被害にあったことが記録されている。賢治はこの史実を踏まえていると思われる。

 ブドリはてぐすを飼う男たちの仕事を手伝うことで食料をもらい、最初の冬を越すことができたが、翌年も同じように作業をしているときに火山が爆発し、森は灰で覆われてしまう。てぐすも全滅でブドリは男たちと一緒に森から脱出しなければならなくなったのである。

 『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』のネネムは、昆布取りのつらい作業を十年間やって三百ドル貯め、、自立して、自由意志で森を出ることにしたのだが、ブドリは、そうではない。両親を死に追いやった自然がまたしても人々に襲いかかったのだった。自然の克服がブドリの出発点であり、到達点である。

 灰に覆われた森を出て歩き続けると、しだいに灰は薄く浅くなって、美しい色のカードでできているような町に入っていく。ブドリは「山師を張る」という赤ひげの大百姓に出会って、そこで働かせてもらうことになる。「山師を張る」というのは実験的というか投機的な農業を試みることだった。ブドリは大百姓に見込まれて、大百姓の亡くなった息子の代わりに勉強するように、たくさんの本を渡される。ブドリが本から学んだ知恵が役立って、作物の病害を防いだこともあったが、翌年からまたしても冷害と旱魃が続き、大百姓はブドリに暇をださなくてはならなくなってしまう。 

 大百姓のもとで六年間働いたブドリは、汽車に乗って、勉強しているときに読んだ本の著者クーボー博士の学校のあるイーハトーヴに行く。「クーボーという人の物の考え方を教えた本はおもしろかったので何べんも読みました」とあるが、クーボー博士は『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』のフゥフィーボー先生と同じ役割を果たす人物である。フゥフィーボー先生は「せの高さ百尺あまり」のばけもので、空を飛ぶ能力をもっていたが、クーボー博士は小さな飛行船に乗って空を飛ぶ。

 夕方ちかくようやく探しあてた教室で、クーボー博士は大きな櫓のような模型を使って「歴史の歴史」ということを教えていた。授業はその櫓のような模型を図に書き取ることだった。(どんな図ができるのでしょうか?)授業が終わると卒業試験で、一番最後に試験を受けたブドリは優秀な成績でほめられ、イーハトーヴ火山局の仕事を紹介される。

 イーハトーヴ火山局のくだりを読む度に、賢治はどこからこの構想のヒントを得たのだろうか、と不思議に思いかつまた感嘆してしまう。イーハトーヴ火山局は「大きな茶いろの建物で、うしろには房のような形をした高い柱が夜の空にくっきり白く立っておりました。」とあり、中に入ると

 その室の右手の壁いっぱいに、イーハトーヴ全体の地図が、美しく色どった大きな模型に作ってあって、鉄道も町も野原もみんな一目でわかるようになっており、そのまん中を走る背骨のような山脈と、海岸に沿って縁をとったようになっている山脈、またそれから枝を出して海のなかに点々の島をつくっている一列の山々には、みんな赤や橙や黄のあかりがついていて、それらがかわるがわる色が変わったりジーと蝉のように鳴ったり、数字が現れたり消えたりしているのです。下の壁に添った棚には、黒いタイプライターのようなものが三列に百でもきかないくらい並んで、みんな静かに動いたり鳴ったりしているのでした。

と描写される。「イーハトーヴ」という地域がどれくらいの広さのものかわからないが、この後「三百ある火山」という記述もあるので、かなりのものだろう。火山も含めてその土地の模型を作ることは賢治の時代でももちろん可能だったと思われるが、ここでは、すべての火山がその活動をリアルタイムで観測されるというのである。それを可能にしているのが三列に百でも聞かないくらい並んでいる「黒いタイプライターのようなもの」なのだろうが、これはまさにコンピューターではないだろうか。

 ブドリの仕事は火山活動の制御だった。噴火の時期を予測して、人々が生活する市に被害が及ばないように工作する。ブドリは、上司の老技師ペンネンナームとともに、噴火まじかの火山が市街地でなく海岸の方にむかって噴火するように工作し、遠隔操作で爆発させることに成功する。

 それだけでなく、火山局は肥料を空から降らせることにも成功する。まずクーボー博士が飛行船に乗って、雲の上に出る。その後、

 その雲のすぐ上を一隻の飛行船が、船尾から真っ白な煙を噴いて、一つの峰から一つの峰へちょうど橋をかけるように飛びまわっていました。そのけむりは、時間がたつほどだんだん太くはっきりなってしずかに下の雲の海に落ちかぶさり、まもなく、いちめんの雲の海にはうす白く光る大きな網が山から山へ張りわたされました。

という光景が出現する。がする。(これと同じような光景を近年見かけることが多いような気がする)飛行船が再び雲の下に沈むと、ペンネン技師が、地上で雨が降っていることを確認して、ブドリにぼたんを押すように指示する。ブドリがぼたんを押すと、さっきのけむりが美しい桃いろや青や紫にかがやき点滅する。こうして合成された硫酸アムモニヤが雨とともに地上に降り注ぎ、農作物の肥料になった、というのである。

 これはいわゆるジオ・エンジニアリングではないだろうか。賢治の時代に人工降雨の技術はあったようで、チャールズ・ハットフィールドというアメリカ人が「レインメーカー」と呼ばれ、1890年から二十六年間全米各地で雨を降らせることを商売にしていたという。1916年サンティエゴで雨を降らせたが、洪水になってしまい、これを最後に人工降雨の技術をみずから封印したといわれている。賢治がこのことを知っていた可能性は大きいが、雨の中に肥料をまぜるという発想は賢治独自のものだろう。

 もう一つ、最後にブドリが実行したジオ・エンジニアリングは、火山を人工的に爆発させ、気層の中の炭酸ガスの量を増やす工作である。ある年、ブドリの両親が死に追いやられた時と同じような冷害の予兆が続いた。ブドリはクーボー博士をたずねて、カルボナードという火山を爆発させ、噴出した炭酸ガスで地球全体を暖める計画を提示する。だが、その計画を完遂するためには、最後までカルボナード島に残る人間が必要だった。ブドリは、止めるペンネン技師を説得して、みずからその任務に就いたのだった。

 『グスコーブドリの伝記』という作品は、最後のブドリの死に焦点があてられ、「自己犠牲」が主題として論じられることが多い。そういう読み方もあるかもしれないが、作者賢治が多くの枚数を費やして述べているのは、当時としては空想的な、しかし非常に具体的で、現代の私たちから見ればリアルなジオ・エンジニアリングである。異常気象による大災害が世界中であい次ぐ今日、この作品をもう一度、別の観点から読み直す試みがあってもよいのではないか。ブドリの死は、たんなる自己犠牲、というよりは、自然を冒したことにたいする贖罪の意識もあったのではないか、と思われるのだが。

 自己犠牲に焦点が当てられ、教訓的な解釈で終わってしまいそうなこの作品が、不思議な世界を展開していることを発見して、いかに自分の読みが浅薄なものだったかに気づかされました。未整理な読書感想文に最後までつきあってくださってありがとうございます。
 

2019年8月20日火曜日

宮沢賢治『ペンネンネン・ネネムの伝記』__ばけもの社会のMMT

 『グスコーブドリの伝記』について調べていくうちに、『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』という作品に出会った。『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』と呼ばれる草稿に手を加えて完成したものが『グスコーブドリの伝記』であるとされている。たしかに、この二つの作品は、冷害と飢餓のため両親が自死し、妹も人さらいにさらわれて、一人ぼっちになったた少年が自立して世の中に出ていくという成長小説である。

 だが、作品として完成し、どこかとりすました感のある『グスコーブドリの伝記』とくらべると、『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』は粗削りだが、とにかくおもしろいのである。主人公のネネムが、偶然に、奇術の一座の中に人さらいに連れ去られた妹のネリを見つける場面など、手に汗握る面白さである。豪華絢爛、奇想天外な奇術(魔術?)の舞台、それを固唾を飲んでみつめる観客の緊張と興奮、賢治の天才的な想像力がほとばしり、躍動感あふれる描写に圧倒される。

 そしてもうひとつ、私が関心を惹かれたのは、この作品が「ばけもの社会の経済学」とでもいうような論理を呈示していることである。いやそれは人間社会の経済学かもしれないが。

 一人ぼっちになったネネムは、住んでいた家ごと森を買い占めた男に昆布取りの仕事をさせられる。栗の木にはしごを掛けててっぺんまで登り、空中に網を投げて昆布を捕るのである。? こんなことで昆布が取れるのかと不思議だが、男は一日一ドルの手間をくれるという。だが、男がネネムに差し入れるパンの値段が一ドルで、一日十斤以上昆布を取ったらあとは十セントで買ってくれるというのだ。一日十斤に足りないときはネネムの損で、借金が残る。じつにあこぎなシステムだが、人間社会でも同じように、いやもっとひどいことに、最初から借金を背負って働かなければならない人たちが多かったのだろう。

 ネネムは栗の木のてっぺんに立ちっ放しで十年で借金を返し、貯めた三百ドルをふところに、栗の木から降りてばけもの世界のまちに向かって歩き出したのである。三百ドルは賢治の時代にいかほどの価値があったのか。かなりの大金だったのではないか。そしてネネムは、そのお金で森の出口の雑貨屋でまっ黒な上着とズボンを買って身をかため、学問をして書記になろうと考えたのである。「もう投げるようなたぐるようなことは考えただけでも命が縮まる。」じっさい、肉体労働者が確実に命を縮めて働くのは賢治の時代の日本だけではない。

 立派な姿になったネネムは嬉しくて一気に三十ノットばかり走り、出会った黄色な幽霊にまちまでの距離をたずねる。すると黄色な幽霊はネネムをばけものりんごの木の下まで連れて行って、木の根とネネムの足さきをそろえてから、市まで六ノット六チェーンだという。不思議なことをするものだ。もう一つ不思議なのは、ノットは船の速度の単位だが、距離の単位としても使うのだろうか。

 それからネネムは市の刑事の尋問にあったり、失踪した息子の行方を探している母親に息子と間違えられたりしながら、無事にばけもの世界の首府の市に着く。ここでネネムは当代一の化学者フゥフィーボー先生の教室に紛れ込む。フゥフィーボー先生は「せの高さ百尺あまり」のばけもので、何だかよくわからない講義の終わりにテーブルの上に飛びあがって、「げにも、かの天にありて濛々たる星雲、地にありてはあいまいたるばけもの律、これはこれ宇宙を支配す。」と大見えを切る、と書かれている。あきらかにドイツの哲学者イマヌエル・カントのパロディである。動く哲学大全みたいなカントの道徳律を空飛ぶばけもの博士に語らせているのだ。

 ネネムはめでたくフィフィーボー先生の試験に一等で合格して「世界裁判長」という職に抜擢される。書記よりはるかに偉そうな地位につくことができたのである。ネネムに尋問した刑事は、ネネムが森の中でばけものパンばかり喰ったので書記になりたがっていると指摘したのだが、「ばけものパン」と書記に関係があるのだろうか。やわらかいパンばかり食べていると、過酷な肉体労働などいやになるということなのだろうか。

 世界裁判長になったネネムは、人間界に出現したばけものの裁判をした後、中生代の瑪瑙木(これはいきものかしらん)の「世界長」に挨拶に出向く。そしてその後まちに出る。ネネムが町で出会ったのは「フクジロ印」という商標のマッチを売り歩くばけものの一行だった。一行はフクジロという皺くちゃで年寄のような子供のような怖いおばけに一つ一銭のマッチを十円で売らせているのだった。

 ネネムがフクジロを捕まえると、フクジロはいくらマッチを売ってもお金はみんな親方に巻き上げられてしまい、ご飯もろくにたべさせてもらえないという。そこでフクジロにマッチを渡している親方を捕まえると、その親方もやっと喰うだけしか貰えず、後ろにいるばけものにみんな取られるという。ネネムは一行三十人あまりを全員捕まえて調べ上げる。

 調べてわかったことは列の一番おしまいの緑色のハイカラなばけものを除いて、前に並ぶばけものはみなその前のばけものに借金があり、それぞれ日歩を払っているということだった。緑色のばけものは百二十年前にその前に並ぶまっ赤なハイカラなばけものに九円貸して、今は元金が五千円になっているという。まっ赤なばけものは、元金は手付かずで、日歩三十円をばけものは、緑色のばけものに払っている。同様にばけものたちは前のものにお金を貸して、利息を受け取り、また利息を払っていて、最後のものは三百年以上も前に借りたお金の利息千三百三十円三十銭を払っているというのだ。これはまさしく金融資本主義の原型ではないか。

 千三百三十円三十銭という金額がどのくらいのものか見当もつかないのだが、マッチの値段がふつうは一銭というので、その十三万三千三十倍、ということは千万円くらいだろうか。もう少し少ないかもしれないが、それにしても一日に入る現金としては大変な額である。ばけもの一行がやっていることは、フクジロというばけものにただ働きをさせて、一銭のマッチを十円で売り、一日何もしないで暮らすことだった。

 もちろん、脅して無理やり買わせるのだから悪いことである。悪いことだが、マッチを買う方は、脅されたとはいえ、自由意志で買うのだから、これは商取引といえないこともない。だいたいものの値段が需要と供給の均衡で決まるなど神話以外なにものでもないだろう。脅されるか、おだてられるか、ともかく買う側に価格決定権などない。一銭のマッチが十円で売れれば、GDPは膨らむのである。

 世界裁判長たるネネムはこの事実を見逃すわけにはいかない。みんな悪いがみんなを罪にするのはかわいそうだと言って、ネネムは一行を解散させてしまう。あわれなフクジロは張り子の虎をつくる工場に送られ、ほかのばけものはちりぢりに逃げてしまった。見物人は「えらい裁判長だ。」と喝さいするのだが、膨らんでいたGDPはしぼんでしまう。それだけでなく借金がなくなると、元金も永遠にもどらなくなり、毎日入っていた利息も消えてしまうのである。これでよかったのだろうか。もちろんこれは、私の疑問であって、賢治にこの問題意識があったかどうかわからないのだが。

 この後ネネムは名声いやがうえにも高まり、幼いころさらわれていった妹とも再会し、これ以上を望むことができないほどの暮らしをする。だが、自己実現の極みともいうべき境地に達したネネムは、火山の爆発に興奮狂喜して、人間界に出現してしまう。そして、その罪によりいっさいを失うのである。賢治の自己消失への願望、それは自己昇華あるいは自己犠牲と呼ばれたりするものだが、そのことについては『グスコーブドリの伝記』との対照で考えてみたい。文章にまとめるのにはもう少し時間がほしいと思っている。

 『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』と『グスコーブドリの伝記』は発端も結末もよくにているのですが、作品のベクトルは正反対のような気がします。Gay Twentyといわれた1920年代から大不況の30年代への時代の変遷がそのことと何ほどの関係があるのかについても考えてみたいのですが、これも課題としてずっとかかえていくしかないようです。この作品のおもしろさを伝えることができなくて残念です。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。