2019年11月14日木曜日

三島由紀夫『春の雪』_大正デモクラシーの王朝絵巻_「みかどのめ(妻)を盗む」というモチーフ

 『豊穣の海』四部作について、いつか書こう、書かなければならないと思いながら、ずるずると書けないまま時間が過ぎてしまった。四部作すべてを見渡して、何か三島文学の結論めいたものを引き出そうなどとだいそれたことは、もちろん考えていない。そういうことではなくて、私にとって三島由紀夫の作品は、批評、分析の対象となる以前に面白すぎるのである。小説ビギナーの私でも無理なく読めて、最初から最後まで読むことの快感に浸りながら、結末までもっていかれてしまう。そして最後になって、はて、この小説はどう読めばいいのか、と立ち止まってしまうのだ。

 『豊穣の海』あるいは『春の雪』だけでなく、三島由紀夫の作品は言葉が溢れかえっている。プロットの展開を語り、登場人物の心理を描写する叙述に破綻はまったくないが、ときに思弁的、形而上学的用語をまじえ、言葉は過剰の域の内側にかろうじてとどまっているように見える。もうひとつ、『春の雪』の文章に特徴的なことは、登場する皇族への待遇表現の丁重さである。作者は徹底して最上級の敬語を使用し、皇族と他の登場人物の間に決して越えられぬ一線を劃している。幼い清顕が魅せられた春日の宮妃、禁断の恋を生きた聡子の婚約者洞院宮王子の一家、留学中のシャムの王子たち、さらに物語の中に一瞬登場する「お上」に対して、王朝の女房文学かと見紛うほどの念入りの敬語が繰りだされる。

 『春の雪』の最後に、後註として、

『豊穣の海』は『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語であり、因みにその題名は、月の海の一つのラテン名なる Mare Foecunditatis の邦訳である。

と書かれている。輪廻転生は四部作を展開する力学のエネルギー源だが、第一作の『春の海』を読んだ印象では、作者に直接のインスピレーションを与えたのは、『浜松中納言物語』というより『源氏物語』や『伊勢物語』ではないかと思われる。『浜松中納言物語』は数多くある『源氏物語』のひとつの亜流とされている。『源氏物語』さらに遡って『伊勢物語』の重要な主題は「政治と性」具体的には「みかどのめ(妻)を盗む」ことである。

 『源氏物語』はいうまでもなく光源氏と藤壺の不倫から始まる。父桐壷帝の妻を犯し、生まれた子を帝の位につけるという背徳の行為が源氏に栄耀栄華をもたらすのである。一方『伊勢物語』第三段から第六段は「二条の后」と業平と思しき男の恋の経緯が語られてる。こちらは業平の悲恋で、奪い取った「二条の后」藤原高子は彼女の兄たちに奪い返されてしまう。業平は栄耀栄華どころか都落ちを余儀なくされる。源氏と業平の運命は両極端だが、性と権力の相互浸透、というより性=権力の方式が成り立つという点で共通したものがあるのではないかと思われる。

 『春の雪』は平安時代の女房文学ではなく、大正元年(1912年)の十月から始まる物語である。(出版されたのは昭和四十四年_1969年。アポロ11号が月面着陸した年)日清、日露の二つの戦争を経て明治が終わり、日本はどのような社会になっていったのか。実は、『春の雪』という小説中に、社会はまったくといっていいほど描かれないのである。第二作『奔馬』では、作者は、主人公飯沼勳に詳細すぎるほど詳細に、昭和十年代初頭の東北農民の窮状と政治の腐敗を語らせている。一方『春の雪』は、渋谷の郊外に十四万坪の敷地をもつ松枝清顕の屋敷を舞台に、松枝家とその周辺の上流階級が中心で、庶民の生活がふりむかれることはない。

 政治がもちこまれることが決してない、という点で小津安二郎の映画がきわめて政治的であるのと同様に、『春の雪』もまた、きわめて政治的である。前年1911年一月中国で辛亥革命が起り、当年二月十二日には清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀が退位するなど、東アジアは大きく揺れ動いていた。だが、日本では、というか『春の雪』の世界では、何事も起こらなかったかのように、主人公松枝清顕と綾倉聡子の恋に作者の視線は集中する。聡子に触れることが禁忌にならなかったら決して成立しなかったであろう恋に。清顕にとって、あるいは三島由紀夫にとって、恋の必要条件は「禁忌=不可能」だったのではないか。もしかしたらそれは十分条件だったかもしれない。

 「私たちの歩いている道は、道でなくて桟橋ですから、どこかでそれが終わって、海がはじまるのは仕方がございませんわ」という聡子の言葉の通り、終わりの時が来て、聡子は大叔母が門跡をつとめる月修寺で出家してしまう。「海」_「豊穣の海」_「月の海」_「月修寺」_という連想がたんなる言葉の遊びでなければ、聡子は月世界にもどったかぐや姫だろうか。異次元の世界に行ってしまった聡子にこの世で会うことは不可能なのだから、『天人五衰』のラストは、この時点で決定していたのだ。清顕も、彼の親友本多も、そして六十年後の本多も、肉の身をもつ聡子に再び相まみえることはない。

 一方、清顕は翌年春の歌会始の儀式であらたな天皇の顔をかいま見、そこに清顕に対する怒りをみとめて恐怖する。そのとき、快楽とも戦慄ともつかぬ感覚とともに彼を貫いたのは

 『お上をお裏切り申し上げたのだ。死なねばならぬ』

という考えだった、と書かれている。禁忌を冒すこと、その結果死ぬこと、その二つが二つとも清顕にとっては「快さとも戦慄ともつかぬもの」だったのだ。だから、この後春寒の奈良を訪れて、月修寺に通い詰め、病いを得て死んでいくという深草の少将のような清顕の行動は、成就されるべき死への道行きだったのである。

 『春の雪』については、こんな概念的な感想文でなく、もっと丁寧にストーリーの展開を追って書きたいことがあるのですが、長くなるので回を分けたいと思います。清顕と聡子の、精妙としか呼びようのない性愛と心理の描写、対照的に隠微で生臭い謀略の影、など小説を読む醍醐味はこちらにあるのかもしれません。とくに蓼科と呼ばれる老女の存在感は圧倒的で、『春の雪』の主人公は彼女ではないかと思ってしまいそうです。

 今日も不出来な感想を読んでくださってありがとうございます。  

2019年8月28日水曜日

宮沢賢治『グスコーブドリの伝記』_九十年前のジオ・エンジニアリング

 地球温暖化の議論、異常気象などここ数年地球環境の異常さが人類生存の深刻な危機として問題になっている。自然の猛威の前に文明は何をなし得るか。九十年前にその課題に挑んだ人間の軌跡として『グスコーブドリの伝記』を取り上げてみたい。

 前回のブログで書いたように、この作品も相次ぐ冷害と飢饉で主人公の両親が自死することが物語の発端である。『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』は冒頭数枚の原稿が焼失してしまっているが、『グスコーブドリの伝記』の方は、主人公ブドリの父は森の木こりで、幼いブドリと妹のネリが楽園のような森の生活を送ったことが描かれている。だが、ブドリが十になった年とその翌年冷害が続いて、どうしても食べる物がなくなってしまう。最初に父が「おれは森へ行って遊んでくるぞ。」という悲痛なことばをのこして森の中へ入っていく。翌日に母もわずかな食糧を兄妹に残して、後を追う二人をしかりつけて森に入る。それから二十日後に妹のネリが人さらいにさらわれ、ブドリはたった一人になってしまう。

 誰もいなくなった森にやってきたのは「てぐす」を飼う男だった。「てぐす」とは「天蚕糸」のことで、「家蚕糸」が屋内で蚕を飼うのに対し、屋外でクヌギやナラなどの木に「てぐす」という虫を這わせて繭を取る方法だそうである。物語の中でもかなり詳しく「てぐす」を飼って繭を取る方法が書かれている。日本ではとくに長野県安曇市の有明というところで盛んに行われ、明治二十年から三十年が全盛期だったが、焼岳の噴火で降灰の被害にあったことが記録されている。賢治はこの史実を踏まえていると思われる。

 ブドリはてぐすを飼う男たちの仕事を手伝うことで食料をもらい、最初の冬を越すことができたが、翌年も同じように作業をしているときに火山が爆発し、森は灰で覆われてしまう。てぐすも全滅でブドリは男たちと一緒に森から脱出しなければならなくなったのである。

 『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』のネネムは、昆布取りのつらい作業を十年間やって三百ドル貯め、、自立して、自由意志で森を出ることにしたのだが、ブドリは、そうではない。両親を死に追いやった自然がまたしても人々に襲いかかったのだった。自然の克服がブドリの出発点であり、到達点である。

 灰に覆われた森を出て歩き続けると、しだいに灰は薄く浅くなって、美しい色のカードでできているような町に入っていく。ブドリは「山師を張る」という赤ひげの大百姓に出会って、そこで働かせてもらうことになる。「山師を張る」というのは実験的というか投機的な農業を試みることだった。ブドリは大百姓に見込まれて、大百姓の亡くなった息子の代わりに勉強するように、たくさんの本を渡される。ブドリが本から学んだ知恵が役立って、作物の病害を防いだこともあったが、翌年からまたしても冷害と旱魃が続き、大百姓はブドリに暇をださなくてはならなくなってしまう。 

 大百姓のもとで六年間働いたブドリは、汽車に乗って、勉強しているときに読んだ本の著者クーボー博士の学校のあるイーハトーヴに行く。「クーボーという人の物の考え方を教えた本はおもしろかったので何べんも読みました」とあるが、クーボー博士は『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』のフゥフィーボー先生と同じ役割を果たす人物である。フゥフィーボー先生は「せの高さ百尺あまり」のばけもので、空を飛ぶ能力をもっていたが、クーボー博士は小さな飛行船に乗って空を飛ぶ。

 夕方ちかくようやく探しあてた教室で、クーボー博士は大きな櫓のような模型を使って「歴史の歴史」ということを教えていた。授業はその櫓のような模型を図に書き取ることだった。(どんな図ができるのでしょうか?)授業が終わると卒業試験で、一番最後に試験を受けたブドリは優秀な成績でほめられ、イーハトーヴ火山局の仕事を紹介される。

 イーハトーヴ火山局のくだりを読む度に、賢治はどこからこの構想のヒントを得たのだろうか、と不思議に思いかつまた感嘆してしまう。イーハトーヴ火山局は「大きな茶いろの建物で、うしろには房のような形をした高い柱が夜の空にくっきり白く立っておりました。」とあり、中に入ると

 その室の右手の壁いっぱいに、イーハトーヴ全体の地図が、美しく色どった大きな模型に作ってあって、鉄道も町も野原もみんな一目でわかるようになっており、そのまん中を走る背骨のような山脈と、海岸に沿って縁をとったようになっている山脈、またそれから枝を出して海のなかに点々の島をつくっている一列の山々には、みんな赤や橙や黄のあかりがついていて、それらがかわるがわる色が変わったりジーと蝉のように鳴ったり、数字が現れたり消えたりしているのです。下の壁に添った棚には、黒いタイプライターのようなものが三列に百でもきかないくらい並んで、みんな静かに動いたり鳴ったりしているのでした。

と描写される。「イーハトーヴ」という地域がどれくらいの広さのものかわからないが、この後「三百ある火山」という記述もあるので、かなりのものだろう。火山も含めてその土地の模型を作ることは賢治の時代でももちろん可能だったと思われるが、ここでは、すべての火山がその活動をリアルタイムで観測されるというのである。それを可能にしているのが三列に百でも聞かないくらい並んでいる「黒いタイプライターのようなもの」なのだろうが、これはまさにコンピューターではないだろうか。

 ブドリの仕事は火山活動の制御だった。噴火の時期を予測して、人々が生活する市に被害が及ばないように工作する。ブドリは、上司の老技師ペンネンナームとともに、噴火まじかの火山が市街地でなく海岸の方にむかって噴火するように工作し、遠隔操作で爆発させることに成功する。

 それだけでなく、火山局は肥料を空から降らせることにも成功する。まずクーボー博士が飛行船に乗って、雲の上に出る。その後、

 その雲のすぐ上を一隻の飛行船が、船尾から真っ白な煙を噴いて、一つの峰から一つの峰へちょうど橋をかけるように飛びまわっていました。そのけむりは、時間がたつほどだんだん太くはっきりなってしずかに下の雲の海に落ちかぶさり、まもなく、いちめんの雲の海にはうす白く光る大きな網が山から山へ張りわたされました。

という光景が出現する。がする。(これと同じような光景を近年見かけることが多いような気がする)飛行船が再び雲の下に沈むと、ペンネン技師が、地上で雨が降っていることを確認して、ブドリにぼたんを押すように指示する。ブドリがぼたんを押すと、さっきのけむりが美しい桃いろや青や紫にかがやき点滅する。こうして合成された硫酸アムモニヤが雨とともに地上に降り注ぎ、農作物の肥料になった、というのである。

 これはいわゆるジオ・エンジニアリングではないだろうか。賢治の時代に人工降雨の技術はあったようで、チャールズ・ハットフィールドというアメリカ人が「レインメーカー」と呼ばれ、1890年から二十六年間全米各地で雨を降らせることを商売にしていたという。1916年サンティエゴで雨を降らせたが、洪水になってしまい、これを最後に人工降雨の技術をみずから封印したといわれている。賢治がこのことを知っていた可能性は大きいが、雨の中に肥料をまぜるという発想は賢治独自のものだろう。

 もう一つ、最後にブドリが実行したジオ・エンジニアリングは、火山を人工的に爆発させ、気層の中の炭酸ガスの量を増やす工作である。ある年、ブドリの両親が死に追いやられた時と同じような冷害の予兆が続いた。ブドリはクーボー博士をたずねて、カルボナードという火山を爆発させ、噴出した炭酸ガスで地球全体を暖める計画を提示する。だが、その計画を完遂するためには、最後までカルボナード島に残る人間が必要だった。ブドリは、止めるペンネン技師を説得して、みずからその任務に就いたのだった。

 『グスコーブドリの伝記』という作品は、最後のブドリの死に焦点があてられ、「自己犠牲」が主題として論じられることが多い。そういう読み方もあるかもしれないが、作者賢治が多くの枚数を費やして述べているのは、当時としては空想的な、しかし非常に具体的で、現代の私たちから見ればリアルなジオ・エンジニアリングである。異常気象による大災害が世界中であい次ぐ今日、この作品をもう一度、別の観点から読み直す試みがあってもよいのではないか。ブドリの死は、たんなる自己犠牲、というよりは、自然を冒したことにたいする贖罪の意識もあったのではないか、と思われるのだが。

 自己犠牲に焦点が当てられ、教訓的な解釈で終わってしまいそうなこの作品が、不思議な世界を展開していることを発見して、いかに自分の読みが浅薄なものだったかに気づかされました。未整理な読書感想文に最後までつきあってくださってありがとうございます。
 

2019年8月20日火曜日

宮沢賢治『ペンネンネン・ネネムの伝記』__ばけもの社会のMMT

 『グスコーブドリの伝記』について調べていくうちに、『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』という作品に出会った。『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』と呼ばれる草稿に手を加えて完成したものが『グスコーブドリの伝記』であるとされている。たしかに、この二つの作品は、冷害と飢餓のため両親が自死し、妹も人さらいにさらわれて、一人ぼっちになったた少年が自立して世の中に出ていくという成長小説である。

 だが、作品として完成し、どこかとりすました感のある『グスコーブドリの伝記』とくらべると、『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』は粗削りだが、とにかくおもしろいのである。主人公のネネムが、偶然に、奇術の一座の中に人さらいに連れ去られた妹のネリを見つける場面など、手に汗握る面白さである。豪華絢爛、奇想天外な奇術(魔術?)の舞台、それを固唾を飲んでみつめる観客の緊張と興奮、賢治の天才的な想像力がほとばしり、躍動感あふれる描写に圧倒される。

 そしてもうひとつ、私が関心を惹かれたのは、この作品が「ばけもの社会の経済学」とでもいうような論理を呈示していることである。いやそれは人間社会の経済学かもしれないが。

 一人ぼっちになったネネムは、住んでいた家ごと森を買い占めた男に昆布取りの仕事をさせられる。栗の木にはしごを掛けててっぺんまで登り、空中に網を投げて昆布を捕るのである。? こんなことで昆布が取れるのかと不思議だが、男は一日一ドルの手間をくれるという。だが、男がネネムに差し入れるパンの値段が一ドルで、一日十斤以上昆布を取ったらあとは十セントで買ってくれるというのだ。一日十斤に足りないときはネネムの損で、借金が残る。じつにあこぎなシステムだが、人間社会でも同じように、いやもっとひどいことに、最初から借金を背負って働かなければならない人たちが多かったのだろう。

 ネネムは栗の木のてっぺんに立ちっ放しで十年で借金を返し、貯めた三百ドルをふところに、栗の木から降りてばけもの世界のまちに向かって歩き出したのである。三百ドルは賢治の時代にいかほどの価値があったのか。かなりの大金だったのではないか。そしてネネムは、そのお金で森の出口の雑貨屋でまっ黒な上着とズボンを買って身をかため、学問をして書記になろうと考えたのである。「もう投げるようなたぐるようなことは考えただけでも命が縮まる。」じっさい、肉体労働者が確実に命を縮めて働くのは賢治の時代の日本だけではない。

 立派な姿になったネネムは嬉しくて一気に三十ノットばかり走り、出会った黄色な幽霊にまちまでの距離をたずねる。すると黄色な幽霊はネネムをばけものりんごの木の下まで連れて行って、木の根とネネムの足さきをそろえてから、市まで六ノット六チェーンだという。不思議なことをするものだ。もう一つ不思議なのは、ノットは船の速度の単位だが、距離の単位としても使うのだろうか。

 それからネネムは市の刑事の尋問にあったり、失踪した息子の行方を探している母親に息子と間違えられたりしながら、無事にばけもの世界の首府の市に着く。ここでネネムは当代一の化学者フゥフィーボー先生の教室に紛れ込む。フゥフィーボー先生は「せの高さ百尺あまり」のばけもので、何だかよくわからない講義の終わりにテーブルの上に飛びあがって、「げにも、かの天にありて濛々たる星雲、地にありてはあいまいたるばけもの律、これはこれ宇宙を支配す。」と大見えを切る、と書かれている。あきらかにドイツの哲学者イマヌエル・カントのパロディである。動く哲学大全みたいなカントの道徳律を空飛ぶばけもの博士に語らせているのだ。

 ネネムはめでたくフィフィーボー先生の試験に一等で合格して「世界裁判長」という職に抜擢される。書記よりはるかに偉そうな地位につくことができたのである。ネネムに尋問した刑事は、ネネムが森の中でばけものパンばかり喰ったので書記になりたがっていると指摘したのだが、「ばけものパン」と書記に関係があるのだろうか。やわらかいパンばかり食べていると、過酷な肉体労働などいやになるということなのだろうか。

 世界裁判長になったネネムは、人間界に出現したばけものの裁判をした後、中生代の瑪瑙木(これはいきものかしらん)の「世界長」に挨拶に出向く。そしてその後まちに出る。ネネムが町で出会ったのは「フクジロ印」という商標のマッチを売り歩くばけものの一行だった。一行はフクジロという皺くちゃで年寄のような子供のような怖いおばけに一つ一銭のマッチを十円で売らせているのだった。

 ネネムがフクジロを捕まえると、フクジロはいくらマッチを売ってもお金はみんな親方に巻き上げられてしまい、ご飯もろくにたべさせてもらえないという。そこでフクジロにマッチを渡している親方を捕まえると、その親方もやっと喰うだけしか貰えず、後ろにいるばけものにみんな取られるという。ネネムは一行三十人あまりを全員捕まえて調べ上げる。

 調べてわかったことは列の一番おしまいの緑色のハイカラなばけものを除いて、前に並ぶばけものはみなその前のばけものに借金があり、それぞれ日歩を払っているということだった。緑色のばけものは百二十年前にその前に並ぶまっ赤なハイカラなばけものに九円貸して、今は元金が五千円になっているという。まっ赤なばけものは、元金は手付かずで、日歩三十円をばけものは、緑色のばけものに払っている。同様にばけものたちは前のものにお金を貸して、利息を受け取り、また利息を払っていて、最後のものは三百年以上も前に借りたお金の利息千三百三十円三十銭を払っているというのだ。これはまさしく金融資本主義の原型ではないか。

 千三百三十円三十銭という金額がどのくらいのものか見当もつかないのだが、マッチの値段がふつうは一銭というので、その十三万三千三十倍、ということは千万円くらいだろうか。もう少し少ないかもしれないが、それにしても一日に入る現金としては大変な額である。ばけもの一行がやっていることは、フクジロというばけものにただ働きをさせて、一銭のマッチを十円で売り、一日何もしないで暮らすことだった。

 もちろん、脅して無理やり買わせるのだから悪いことである。悪いことだが、マッチを買う方は、脅されたとはいえ、自由意志で買うのだから、これは商取引といえないこともない。だいたいものの値段が需要と供給の均衡で決まるなど神話以外なにものでもないだろう。脅されるか、おだてられるか、ともかく買う側に価格決定権などない。一銭のマッチが十円で売れれば、GDPは膨らむのである。

 世界裁判長たるネネムはこの事実を見逃すわけにはいかない。みんな悪いがみんなを罪にするのはかわいそうだと言って、ネネムは一行を解散させてしまう。あわれなフクジロは張り子の虎をつくる工場に送られ、ほかのばけものはちりぢりに逃げてしまった。見物人は「えらい裁判長だ。」と喝さいするのだが、膨らんでいたGDPはしぼんでしまう。それだけでなく借金がなくなると、元金も永遠にもどらなくなり、毎日入っていた利息も消えてしまうのである。これでよかったのだろうか。もちろんこれは、私の疑問であって、賢治にこの問題意識があったかどうかわからないのだが。

 この後ネネムは名声いやがうえにも高まり、幼いころさらわれていった妹とも再会し、これ以上を望むことができないほどの暮らしをする。だが、自己実現の極みともいうべき境地に達したネネムは、火山の爆発に興奮狂喜して、人間界に出現してしまう。そして、その罪によりいっさいを失うのである。賢治の自己消失への願望、それは自己昇華あるいは自己犠牲と呼ばれたりするものだが、そのことについては『グスコーブドリの伝記』との対照で考えてみたい。文章にまとめるのにはもう少し時間がほしいと思っている。

 『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』と『グスコーブドリの伝記』は発端も結末もよくにているのですが、作品のベクトルは正反対のような気がします。Gay Twentyといわれた1920年代から大不況の30年代への時代の変遷がそのことと何ほどの関係があるのかについても考えてみたいのですが、これも課題としてずっとかかえていくしかないようです。この作品のおもしろさを伝えることができなくて残念です。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

   

2019年7月15日月曜日

宮沢賢治『どんぐりと山猫』__かねた一郎と黄金いろの草地

 『どんぐりと山猫』は、私にとって謎に満ちた作品である。いつまで経っても解決の糸口さえ見いだせなくて、ここしばらく作品の周りを行ったり来たりしている。

 不思議なお話はこう始まる。

 おかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。

  かねた一郎さま 九月十九日
  あなたは、ごきげんよろしほで、けっこです。
  あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。とびどぐもたないでくなさ
 い。
                                    山猫拝

 ほんとうに「おかしな」はがきである。宛名と日付はきちんと書かれているが、住所は書かれていないようで、「めんどなさいばん」はどこでするのかわからない。「とびどぐもたないでくなさい。」とあるのも少し物騒である。

 一郎という少年はうちじゅうとんだりはねたりするほどうれしくなって、翌朝目をさますと、食事もそこそこに出かける。その道中がまた不思議である。何の案内もなく、一郎は谷川に沿ったみちを上流にむかってのぼって行く。道すがら、やまねこの行方をくりの木、滝、きのこ、りすにたずねながら進んでいくのだが、その問答がまた奇妙なのだ。

 まず、くりの木にやまねこの行方をたずねると、やまねこは馬車でひがしの方に飛んで行ったという。すると一郎は「東ならぼくのいく方だねぇ、おかしいな、とにかくもっといってみよう」という。「ぼくのいく方」だと何故「おかしい」のか。

 次に、笛ふきの滝と呼ばれる滝に同じことを訊く。滝は、やまねこが西の方へ馬車で飛んで行ったと答える。それにたいして一郎は、「おかしいな。西ならぼくのうちの方だ。けれども、まあも少し行ってみよう」という。滝はくりの木と反対の方角を示したのだが、一郎はくりの木の指した方に「おかしいな」といいながら進むのである。

 さらに進んで、ぶなの木のしたで「変な楽隊」をやっている白いきのこと、くるみの木の梢を飛んでいるりすに訊くと、いずれも朝早く南の方へ飛んで行ったという。一郎は「みなみへ行ったなんて、二とこでそんなことを言うのはおかしいなぁ。」といいながら、さらに、谷川に沿った道を行く。

 ところで、少し脇道にそれるようだが、「おかしい」と表記されている日本語が旧かな遣いでは「をかしい」だったことに触れておきたい。「をかしい」と「おかしい」では松竹新喜劇と吉本くらいの、あるいはそれ以上の差があるのではないだろうか。「おかしい」という表現が、たんに現象の表面的な不可解さをいうのに対して、「をかしい」は「をかし」という語源を意識せざるを得ず、現象の背後にひそむ闇の部分に踏み込んだ深さと重さを感じるのだ。

 さて、一郎は道が尽きると、谷川の南についたあたらしいみちを進んで行く。白いきのことりすが言った通りの方角に行くことになったのである。両側から榧の木の枝が重なりあって真っ黒な中、急坂を上ると、いきなり目が眩むほどの明るさになる。

 そこはうつくしい黄金いろの草地で、草は風にざわざわ鳴り、まわりは立派なオリーブいろの榧の木のもりでかこまれてありました。

 「かねた(金田?)」一郎は「黄金いろの」草地に招待されたのである。黄金いろの草地とは何を意味するのか。

 ここで突如として不思議な人物(?)が登場する。それは「せいの低いおかしな形の男」で「ひざを曲げて手に革鞭を持って」草地のまん中に立っている。「片目で、見えない方の目は、白くびくびくうごき、上着のような半纏のようなへんなものを着て」「足がひどくまがって山羊のよう」「足先ときたら、ごはんをもるへらのかたちだった」まさに異形としかに言いようのない存在だが、これは人間だろうか。

 男は、自分がやまねこの馬車別当だと名告り、一郎にはがきを出したのは自分であるという。文字や文章の稚拙さを恥じる男を一郎が気遣って会話していると、風が吹いて、山猫が現れる。山猫の描写は「黄色な陣羽織のようなものを着て、緑いろの目をまん丸にして立っていました。」と、馬車別当のそれよりずっと簡単である。だが、山猫の権力は絶大で、馬車別当の目の前でたばこをくゆらせると、たばこがほしくてたまらない馬車別当は、なみだをこぼしながら、気をつけの姿勢でがまんしている、と書かれている。

 その権力者の山猫が、一昨日からめんどうなあらそいが起こって、裁判にこまっているという。一昨日とははがきの日付にある九月十九日だろうか。すると、はがきが届くのに一日かかったとして、物語の今は九月二一日ということになるのだが、この具体的な日にちに何か意味があるのだろうか。

 めんどうなあらそいとは、どんぐりの背比べならぬどんぐりの偉さ比べだった。「その数ときたら三百でもきかないような」赤いズボンをはいた黄金のどんぐりが、それぞれに自分がいちばんえらいと騒いでいるのである。いわく「頭がとがっているのがいちばんえらい」「いや、まるいのがえらい」「大きいのがえらい。わたしがいちばん大きい。」「いや、わたしのほうが大きい。」「せいの高いのだ」「押しっこのえらいのだ」・・・

 もう三日続いているという騒ぎをしずめたのは一郎の簡潔直截な助言だった。一郎は「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい」と言いわたしたらいい、と裁判長の山猫にいったのである。「ぼくお説教できいたんです。」とも。

 山猫はそれを聞いて「このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」と、どんぐりに申しわたす。どんぐりは一瞬でしずかになって、みんな緊まってしまう。何の解決にもならないような判決だが、山猫は騒ぎをしずめることが目的だったようで、一郎に名誉判事になってほしいと頼む。

 さて、ここで一郎が提起する価値の転倒について、どう考えるべきか。作者賢治がこの作品について「必ず比較をされなければならないいまの学童たちの内奥からの反響です。」と解説している。私にとっては、賢治のこの解説もまた謎である。この作品の最も深い、根本的な謎といってもいいかもしれない。

 「いちばんえらくないのが、えらい」という価値判断は、じつは判断の放棄である。「いちばんえらくないのが、えらい」なら、その「えら」くなった「いちばんえらくない」のは「えら」くなったことで、再び「えら」くなくなるのだ。何故なら「いちばんえらくないのがえらい」というシステムは、いつまでも循環するからである。

 一郎が助言して山猫が申しわたした判決は、どんぐりたちの、あるいはどんぐりに寓意された学童たちの「内奥」からの個性の主張をばっさりと切り捨て、空疎な抽象論に帰納してしまっている。一郎自身が「ぼくお説教できいたんです。」という「えらくないものがえらい」論は、法華経の常不軽菩薩の精神と結びつけられて解説されることが多いようだが、それは違うのではないか。常不軽菩薩の話は、修行者の実践のありかたとして、他者に向かう姿勢を説いたのであって、異なる個性をもつ一人一人の叫びを封じ込めるためにもちだすべきではないだろう。
 
 だが、ともかくどんぐりたちはしずかになって、一郎は山猫からお礼をもらうことになる。塩鮭のあたまと金いろのどんぐり一升のどちらがいいかと問われて、一郎は黄金のどんぐりを選ぶ。これも不思議なことである。一郎にとって、あるいは山猫にとって、黄金のどんぐりとは何の意味をもつのだろう。山猫は金いろのどんぐりの数が足りないなら「めっきのどんぐりもまぜてこい」と馬車別当に命じる。山猫にとって、どんぐりはますごとさしだすことのできる「もの」だったのか。また、一郎はますでもらった黄金のどんぐりをどうするつもりだったのだろう。

 お礼にもらった黄金のどんぐりは、一郎が家に帰り着くと、ただの茶いろのどんぐりに変わっていた。送ってくれた山猫も馬車別当も乗っていたきのこの馬車も消えていたという結末は童話のお約束だが、茶いろのどんぐりは残っていたので、一郎は実際にどう処分したのだろう。

 「かねた」一郎がうつくしい黄金いろの草地で、黄金のどんぐりの裁判に立ち会って、黄金のどんぐりをもらって帰る、という「黄金づくし」の話は何を寓意するのだろう。東だ、西だ、南だ、(なぜか北は出てこない)と、道中方角にこだわるのは何故だろう。あらすじを追ってきてもわからないことばかりである。

 どんぐりの裁判を終えて、山猫が次に一郎を呼び出すときは「用事これありに付、明日出頭すべし」と書いていいか、とたずねたのも奇妙である。「出頭」は被告人が召喚されるときに使う表現である。名誉判事になってほしいと頼む相手にたいして使う言葉だろうか。

 最後に、物語の主人公「かねた一郎」のついて考えてみたい。冒頭「おかしな」はがきを見た瞬間に「うれしくてうれしくてたまりませんでした。はがきをそっと学校のかばんにしまって、うちじゅうとんだりはねたりしました。」とあるので、学校に通っている年齢であることは確かだが、いったい何歳くらいの少年なのだろうか。馬車別当にたいする気遣いといい、山猫への大人びた助言といい、「学童」と呼ばれる年齢ではないと思われる。はがきを見て、即座に欣喜雀躍して、翌日起こることへの期待に胸はずませるのは何故だろう。ふつうは、そんなはがきを受け取ったら、いぶかしさが先に立つと思うのだが。

 「かねた一郎」は山猫の「にゃあとした顔」を知っているようなので、山猫と面識があり、その支配する世界についても何らかの知識があったのだろうか。「かねた一郎」はなぜ黄金の草地に招聘されたのか。そもそも、この作品の主人公が「かねた」と苗字がつけられているのはどんな意味があるのか。賢治のほかの作品では、登場人物のほとんどが名前だけである。「グスコーブドリ」「レオーノ・キュースト」など例外はあるが、それらはいずれも外国人(らしい)である。「かねた」という苗字は、一郎の家族のなんらかの属性を示唆しているのだろうか。

 書き続けていくと、謎の解明どころか、いつもの妄想癖がでそうなので、未整理な乱文はここまでにします。『どんぐりと山猫』を含む『注文の多い料理店』はそれぞれ不思議な作品ばかりなので、いままで取り上げなかったものももう一度読み直してみる必要がありそうです。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2019年6月28日金曜日

宮沢賢治『山男の四月』__「山男」とは誰か

 標題の作品は賢治が生前に出版した『注文の多い料理店』の巻頭を飾る短編である。最初『山男の四月』というタイトルで出版を考えていたともいわれる。短編だが含蓄の深い作品であり、賢治の作品の中でも重要な意味をもつと思われるのだが、論考の対象となることが少ないのが不思議である。まったくないわけではないようだが。

 山男は金色の目を皿のようにし、せなかをかがめて、西根山のひのき林のなかをうさぎをねらってあるいていました。

 という書き出しではじまるのだが、「山男」は人間なのか、それともけものなのだろうか。「金色の目」をしているので、少なくともふつうの日本人ではない。

 うさぎはとれないで山鳥がとれ、それで山男はうれしくなって「顔を真っ赤にし、大きな口をぐにゃぐにゃまげてよろこんで」とあるので、よほどおなかがすいていたのだろう。ところが不思議なことに山男はせっかく捕まえた山鳥をその場ですぐ食べるのではなく、「ぐったり首をたれた山鳥をぶらぶら振りまわしながら」森から出て、「ばさばさの赤い髪毛を指でかきまわしながら」日あたりのいい南向きのかれ芝に寝ころんで「碧いあおい空」をながめているうちに、夢の世界に誘いこまれる。これは、「金色の目」と「赤い髪毛」の異形の男の「風流夢譚」なのである。

 山男は自分が「七つ森」の中にいる夢を見る。「七つ森」は、いうまでもなく、賢治の処女詩集『春と修羅』の巻頭を飾る「屈折率」という詩に

 七つ森のこっちのひとつが
 水の中よりもっと明るく
 そしてたいへん巨きいのに
 わたくしはでこぼこ凍ったみちをふみ
 向こうの縮れた亜鉛の雲へ
 陰気な郵便脚夫のやうに
   (またアラツデイン 洋燈(ランプ)とり)
 急がなければならないのか

とうたわれる実在の森である。

 山男は(そしてここまで来てみると、おれはまもなく町へ行く。町へはいって行くとすれば、化けないとなぐり殺される。)とひとりごとを言いながら、木こりのかたちに化ける。何故、七つ森の中に入ると必然的に町に入ることになるのか、そしてそのままの姿ではなぐり殺されるのか、理由はわからない。夢の中で山男がそう思ったのでそうなったのである。

 山男が町に入って行くと「入口にはいつもの魚屋があって」とあるので、山男は(夢の中で?)何回も町にも出入りしているらしい。魚屋の軒に「赤ぐろいゆで章魚が五つ」吊るしてあるのに見入って、そのまがった足のりっぱさや、海底をはう姿を思い浮かべて感動し指をくわえて立っていると、通りかかった行商のシナ人に話しかけられる。

 「あなた、シナ反物よろしいか。六神丸たいさんやすい」

これ以降くりひろげられるシナ人と山男のやりとり、とくにシナ人の言葉は抱腹絶倒のおもしろさである。「シナ人」という呼称、彼が使う助詞を省いた独特の日本語は、今日の読者(の一部)には「差別的表現」などとには眉をひそめる向きもあるかもしれないが。

 ところでシナ人が商品として売っている(後でわかるのだが、シナ人の「製造直売」である)六神丸とは、京都の呉服商亀田利三郎が清国で病気になった時これを服用してたいへん効き目があったので持ちかえったのが始めという。麝香、牛黄、熊胆、人参、真珠、センソの六種の生薬が原料である。「六神丸」の名称のいわれはその他にもあるようだが、これに二種の生薬を加えたものが現在の「救心」で、心臓の薬である。効能書きに「この薬を用いているときは他の薬は服用しないこと」と書かれているので、大変強い作用を持つもののようである。

  山男はシナ人のとかげのような「ぐちゃぐちゃした赤い目」や「ずいぶん細い指」や「あんまりとがっている爪」を警戒するのだが、シナ人は香具師の口上よろしく

 「あなた、この薬飲むよろしい。毒ない。決して毒ない。飲むよろしい。わたしさき飲む。心配ない。わたしビール飲む、お茶飲む、毒飲まない。これながいきの薬ある。飲むよろしい。」

と言って、飲んでみせる。気がつけばなぜかそこは町の中ではなく、ひろい野原の真ん中で、シナ人と山男の二人だけになっていた。執拗にせまるシナ人に根負けして、飲んだら逃げ出すつもりで山男は薬を飲む。すると山男はちぢまって、六神丸になってしまったのである。

 山男はくやしがり、シナ人は文字通り欣喜雀躍する。六神丸になってしまった山男は、シナ人に行李の中に押し込められ、やがて行李の上から風呂敷をかけられて、真っ暗闇のなかでひとり言を言っていると、横から話しかけられる。行李の中には、山男と同じように、シナ人に六神丸にされてしまった仲間が何人もいたのである。

 ここからの山男の心理の変化は微妙である。横の六神丸(にされてしまった人間)と話していて、シナ人に「声あまり高い。しずかにするよろしい。」といわれた山男は腹を立てて、町にはいったら大声でシナ人を罵ってやるという。これを聞いて、シナ人はしばらくしんとしている。山男はシナ人が泣いているのだと思い、いままで見てきたシナ人たちの様子と重ね合わせて想像し、かわいそうになってしまう。

 「それ、あまり同情ない。わたし商売たたない。わたしおまんまたべない。わたし往生する。それ、あまり同情ない。」

 山男は、シナ人のこのことばを聞くと「おれのからだなどは、シナ人が六十銭もうけて宿屋に行って、鰯の頭や菜っ葉汁をたべるかわりにくれてやろう」と気の毒になる。山男は、町にはいったら声をださないとシナ人に言う。シナ人は安堵し喜ぶ。

 ところが、町へ行く道中、山男は横の六神丸にされた人間から聞いて、シナ人は名前を陳といい、行李のなかには陳に六神丸にされてしまった孔子聖人の末裔がたくさんいることを知る。陳が悪者だと知った山男は、六神丸になってしまった人間をもとの形に戻してやろうと考える。骨まで六神丸になっていない山男は丸薬さえ飲めばもとへ戻る。陳が水薬を飲んでも六神丸にならないのは、一緒に丸薬を呑むからだという。山男がもとへ戻ったら、ほかの六神丸を水につけてもめば、その人たちも人間に戻るといわれる。横の六神丸からそう聞いた山男は行李から出て人間に戻る機会をうかがう。

 やがて外で陳が「シナたものよろしいか」と商売を始める声がする。にわかに蓋が開いたので、山男が外を見ると、おかっぱの子供がいる。いる。陳はいつもの口説で子供に薬を飲ませようとしてとしている。そのとき山男は丸薬を呑む。いきなりもとの立派な赤髪のからだになった山男を見て、陳はびっくりして、丸薬と一緒に飲む水薬はこぼしてしまい、丸薬だけ飲んでしまう。すると陳は頭がめらぁっと延び、二倍の大きさになって山男につかみかかる。山男は一生けん命逃げようとするが、足がから走りして逃げられない。「助けてくれ、わあ」という自分の叫び声で山男は夢からさめる。

 夢からさめた山男は、投げ出された山鳥の羽をみたり、しばらく夢の世界の出来事を考えていたりしたが、「夢の中のこった。陳も六神丸もどうにでもなれ。」とあくびをして放念する。

 以上が大まかなあらすじだが、不思議な夢物語である。人間が六神丸になったり戻ったりすることが不思議なのではない。奇想天外な話だが、夢なのだからそんな話があってもおかしくはない。不思議なのは山男という存在である。うさぎを狙ったり、山鳥をつかまえて喜ぶというのは野生だからだろう。一方、人間のことばを話し、六神丸になった人間とことばをかわすのだから、立派に社会性のある人間である。

 童話の世界だから、人間以外の生物が人間とことばをかわすことがあっても不思議ではないかもしれない。山男が不思議なのは、その性格の曖昧さである。シナ人に声をかけられると、さして必要とも思われないのに反物を買うといってしまう。とかげのようなシナ人を警戒しながらも、その場しのぎで薬を飲んでしまう。およそ主体性というものが感じられないのである。

 騙されて六神丸にされてしまったことをくやしがりながら、シナ人がご飯がたべられないと泣いていると思って、自分はシナ人の犠牲になろうとする。安易な同情心にひたるのだ。ところが、シナ人が自分以外にもたくさんの人間を六神丸に変えている悪者だと知ると、正義心に駆りたてられる。仲間の六神丸をもとの姿にもどしてやろう、と義侠心を発揮するのだ。そして、おかっぱの子供がシナ人の毒牙にかかろうとしているときに、もとの姿に戻るのだが、シナ人が倍の大きさになると怖くて逃げだそうとする。

 最後は、すべては夢の中のこと、として山男は(そして作者も)韜晦してしまう。いったい賢治は、山男の何が描きたくてこの作品を書いたのか。仮説はあるのだが、まだもう少し確かめたいものが私の中にある。それは、そもそも、宮沢賢治の作品をどう読むか、というより、どう読まれなければならないか、という問題提起につながるもののように思う。

 体力的に思うようではなくて、なかなか集中力が保てません。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださって、ありがとうございます。