『どんぐりと山猫』は、私にとって謎に満ちた作品である。いつまで経っても解決の糸口さえ見いだせなくて、ここしばらく作品の周りを行ったり来たりしている。
不思議なお話はこう始まる。
おかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。
かねた一郎さま 九月十九日
あなたは、ごきげんよろしほで、けっこです。
あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。とびどぐもたないでくなさ
い。
山猫拝
ほんとうに「おかしな」はがきである。宛名と日付はきちんと書かれているが、住所は書かれていないようで、「めんどなさいばん」はどこでするのかわからない。「とびどぐもたないでくなさい。」とあるのも少し物騒である。
一郎という少年はうちじゅうとんだりはねたりするほどうれしくなって、翌朝目をさますと、食事もそこそこに出かける。その道中がまた不思議である。何の案内もなく、一郎は谷川に沿ったみちを上流にむかってのぼって行く。道すがら、やまねこの行方をくりの木、滝、きのこ、りすにたずねながら進んでいくのだが、その問答がまた奇妙なのだ。
まず、くりの木にやまねこの行方をたずねると、やまねこは馬車でひがしの方に飛んで行ったという。すると一郎は「東ならぼくのいく方だねぇ、おかしいな、とにかくもっといってみよう」という。「ぼくのいく方」だと何故「おかしい」のか。
次に、笛ふきの滝と呼ばれる滝に同じことを訊く。滝は、やまねこが西の方へ馬車で飛んで行ったと答える。それにたいして一郎は、「おかしいな。西ならぼくのうちの方だ。けれども、まあも少し行ってみよう」という。滝はくりの木と反対の方角を示したのだが、一郎はくりの木の指した方に「おかしいな」といいながら進むのである。
さらに進んで、ぶなの木のしたで「変な楽隊」をやっている白いきのこと、くるみの木の梢を飛んでいるりすに訊くと、いずれも朝早く南の方へ飛んで行ったという。一郎は「みなみへ行ったなんて、二とこでそんなことを言うのはおかしいなぁ。」といいながら、さらに、谷川に沿った道を行く。
ところで、少し脇道にそれるようだが、「おかしい」と表記されている日本語が旧かな遣いでは「をかしい」だったことに触れておきたい。「をかしい」と「おかしい」では松竹新喜劇と吉本くらいの、あるいはそれ以上の差があるのではないだろうか。「おかしい」という表現が、たんに現象の表面的な不可解さをいうのに対して、「をかしい」は「をかし」という語源を意識せざるを得ず、現象の背後にひそむ闇の部分に踏み込んだ深さと重さを感じるのだ。
さて、一郎は道が尽きると、谷川の南についたあたらしいみちを進んで行く。白いきのことりすが言った通りの方角に行くことになったのである。両側から榧の木の枝が重なりあって真っ黒な中、急坂を上ると、いきなり目が眩むほどの明るさになる。
そこはうつくしい黄金いろの草地で、草は風にざわざわ鳴り、まわりは立派なオリーブいろの榧の木のもりでかこまれてありました。
「かねた(金田?)」一郎は「黄金いろの」草地に招待されたのである。黄金いろの草地とは何を意味するのか。
ここで突如として不思議な人物(?)が登場する。それは「せいの低いおかしな形の男」で「ひざを曲げて手に革鞭を持って」草地のまん中に立っている。「片目で、見えない方の目は、白くびくびくうごき、上着のような半纏のようなへんなものを着て」「足がひどくまがって山羊のよう」「足先ときたら、ごはんをもるへらのかたちだった」まさに異形としかに言いようのない存在だが、これは人間だろうか。
男は、自分がやまねこの馬車別当だと名告り、一郎にはがきを出したのは自分であるという。文字や文章の稚拙さを恥じる男を一郎が気遣って会話していると、風が吹いて、山猫が現れる。山猫の描写は「黄色な陣羽織のようなものを着て、緑いろの目をまん丸にして立っていました。」と、馬車別当のそれよりずっと簡単である。だが、山猫の権力は絶大で、馬車別当の目の前でたばこをくゆらせると、たばこがほしくてたまらない馬車別当は、なみだをこぼしながら、気をつけの姿勢でがまんしている、と書かれている。
その権力者の山猫が、一昨日からめんどうなあらそいが起こって、裁判にこまっているという。一昨日とははがきの日付にある九月十九日だろうか。すると、はがきが届くのに一日かかったとして、物語の今は九月二一日ということになるのだが、この具体的な日にちに何か意味があるのだろうか。
めんどうなあらそいとは、どんぐりの背比べならぬどんぐりの偉さ比べだった。「その数ときたら三百でもきかないような」赤いズボンをはいた黄金のどんぐりが、それぞれに自分がいちばんえらいと騒いでいるのである。いわく「頭がとがっているのがいちばんえらい」「いや、まるいのがえらい」「大きいのがえらい。わたしがいちばん大きい。」「いや、わたしのほうが大きい。」「せいの高いのだ」「押しっこのえらいのだ」・・・
もう三日続いているという騒ぎをしずめたのは一郎の簡潔直截な助言だった。一郎は「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい」と言いわたしたらいい、と裁判長の山猫にいったのである。「ぼくお説教できいたんです。」とも。
山猫はそれを聞いて「このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」と、どんぐりに申しわたす。どんぐりは一瞬でしずかになって、みんな緊まってしまう。何の解決にもならないような判決だが、山猫は騒ぎをしずめることが目的だったようで、一郎に名誉判事になってほしいと頼む。
さて、ここで一郎が提起する価値の転倒について、どう考えるべきか。作者賢治がこの作品について「必ず比較をされなければならないいまの学童たちの内奥からの反響です。」と解説している。私にとっては、賢治のこの解説もまた謎である。この作品の最も深い、根本的な謎といってもいいかもしれない。
「いちばんえらくないのが、えらい」という価値判断は、じつは判断の放棄である。「いちばんえらくないのが、えらい」なら、その「えら」くなった「いちばんえらくない」のは「えら」くなったことで、再び「えら」くなくなるのだ。何故なら「いちばんえらくないのがえらい」というシステムは、いつまでも循環するからである。
一郎が助言して山猫が申しわたした判決は、どんぐりたちの、あるいはどんぐりに寓意された学童たちの「内奥」からの個性の主張をばっさりと切り捨て、空疎な抽象論に帰納してしまっている。一郎自身が「ぼくお説教できいたんです。」という「えらくないものがえらい」論は、法華経の常不軽菩薩の精神と結びつけられて解説されることが多いようだが、それは違うのではないか。常不軽菩薩の話は、修行者の実践のありかたとして、他者に向かう姿勢を説いたのであって、異なる個性をもつ一人一人の叫びを封じ込めるためにもちだすべきではないだろう。
だが、ともかくどんぐりたちはしずかになって、一郎は山猫からお礼をもらうことになる。塩鮭のあたまと金いろのどんぐり一升のどちらがいいかと問われて、一郎は黄金のどんぐりを選ぶ。これも不思議なことである。一郎にとって、あるいは山猫にとって、黄金のどんぐりとは何の意味をもつのだろう。山猫は金いろのどんぐりの数が足りないなら「めっきのどんぐりもまぜてこい」と馬車別当に命じる。山猫にとって、どんぐりはますごとさしだすことのできる「もの」だったのか。また、一郎はますでもらった黄金のどんぐりをどうするつもりだったのだろう。
お礼にもらった黄金のどんぐりは、一郎が家に帰り着くと、ただの茶いろのどんぐりに変わっていた。送ってくれた山猫も馬車別当も乗っていたきのこの馬車も消えていたという結末は童話のお約束だが、茶いろのどんぐりは残っていたので、一郎は実際にどう処分したのだろう。
「かねた」一郎がうつくしい黄金いろの草地で、黄金のどんぐりの裁判に立ち会って、黄金のどんぐりをもらって帰る、という「黄金づくし」の話は何を寓意するのだろう。東だ、西だ、南だ、(なぜか北は出てこない)と、道中方角にこだわるのは何故だろう。あらすじを追ってきてもわからないことばかりである。
どんぐりの裁判を終えて、山猫が次に一郎を呼び出すときは「用事これありに付、明日出頭すべし」と書いていいか、とたずねたのも奇妙である。「出頭」は被告人が召喚されるときに使う表現である。名誉判事になってほしいと頼む相手にたいして使う言葉だろうか。
最後に、物語の主人公「かねた一郎」のついて考えてみたい。冒頭「おかしな」はがきを見た瞬間に「うれしくてうれしくてたまりませんでした。はがきをそっと学校のかばんにしまって、うちじゅうとんだりはねたりしました。」とあるので、学校に通っている年齢であることは確かだが、いったい何歳くらいの少年なのだろうか。馬車別当にたいする気遣いといい、山猫への大人びた助言といい、「学童」と呼ばれる年齢ではないと思われる。はがきを見て、即座に欣喜雀躍して、翌日起こることへの期待に胸はずませるのは何故だろう。ふつうは、そんなはがきを受け取ったら、いぶかしさが先に立つと思うのだが。
「かねた一郎」は山猫の「にゃあとした顔」を知っているようなので、山猫と面識があり、その支配する世界についても何らかの知識があったのだろうか。「かねた一郎」はなぜ黄金の草地に招聘されたのか。そもそも、この作品の主人公が「かねた」と苗字がつけられているのはどんな意味があるのか。賢治のほかの作品では、登場人物のほとんどが名前だけである。「グスコーブドリ」「レオーノ・キュースト」など例外はあるが、それらはいずれも外国人(らしい)である。「かねた」という苗字は、一郎の家族のなんらかの属性を示唆しているのだろうか。
書き続けていくと、謎の解明どころか、いつもの妄想癖がでそうなので、未整理な乱文はここまでにします。『どんぐりと山猫』を含む『注文の多い料理店』はそれぞれ不思議な作品ばかりなので、いままで取り上げなかったものももう一度読み直してみる必要がありそうです。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
2019年7月15日月曜日
2019年6月28日金曜日
宮沢賢治『山男の四月』__「山男」とは誰か
標題の作品は賢治が生前に出版した『注文の多い料理店』の巻頭を飾る短編である。最初『山男の四月』というタイトルで出版を考えていたともいわれる。短編だが含蓄の深い作品であり、賢治の作品の中でも重要な意味をもつと思われるのだが、論考の対象となることが少ないのが不思議である。まったくないわけではないようだが。
山男は金色の目を皿のようにし、せなかをかがめて、西根山のひのき林のなかをうさぎをねらってあるいていました。
という書き出しではじまるのだが、「山男」は人間なのか、それともけものなのだろうか。「金色の目」をしているので、少なくともふつうの日本人ではない。
うさぎはとれないで山鳥がとれ、それで山男はうれしくなって「顔を真っ赤にし、大きな口をぐにゃぐにゃまげてよろこんで」とあるので、よほどおなかがすいていたのだろう。ところが不思議なことに山男はせっかく捕まえた山鳥をその場ですぐ食べるのではなく、「ぐったり首をたれた山鳥をぶらぶら振りまわしながら」森から出て、「ばさばさの赤い髪毛を指でかきまわしながら」日あたりのいい南向きのかれ芝に寝ころんで「碧いあおい空」をながめているうちに、夢の世界に誘いこまれる。これは、「金色の目」と「赤い髪毛」の異形の男の「風流夢譚」なのである。
山男は自分が「七つ森」の中にいる夢を見る。「七つ森」は、いうまでもなく、賢治の処女詩集『春と修羅』の巻頭を飾る「屈折率」という詩に
七つ森のこっちのひとつが
水の中よりもっと明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでこぼこ凍ったみちをふみ
向こうの縮れた亜鉛の雲へ
陰気な郵便脚夫のやうに
(またアラツデイン 洋燈(ランプ)とり)
急がなければならないのか
とうたわれる実在の森である。
山男は(そしてここまで来てみると、おれはまもなく町へ行く。町へはいって行くとすれば、化けないとなぐり殺される。)とひとりごとを言いながら、木こりのかたちに化ける。何故、七つ森の中に入ると必然的に町に入ることになるのか、そしてそのままの姿ではなぐり殺されるのか、理由はわからない。夢の中で山男がそう思ったのでそうなったのである。
山男が町に入って行くと「入口にはいつもの魚屋があって」とあるので、山男は(夢の中で?)何回も町にも出入りしているらしい。魚屋の軒に「赤ぐろいゆで章魚が五つ」吊るしてあるのに見入って、そのまがった足のりっぱさや、海底をはう姿を思い浮かべて感動し指をくわえて立っていると、通りかかった行商のシナ人に話しかけられる。
「あなた、シナ反物よろしいか。六神丸たいさんやすい」
これ以降くりひろげられるシナ人と山男のやりとり、とくにシナ人の言葉は抱腹絶倒のおもしろさである。「シナ人」という呼称、彼が使う助詞を省いた独特の日本語は、今日の読者(の一部)には「差別的表現」などとには眉をひそめる向きもあるかもしれないが。
ところでシナ人が商品として売っている(後でわかるのだが、シナ人の「製造直売」である)六神丸とは、京都の呉服商亀田利三郎が清国で病気になった時これを服用してたいへん効き目があったので持ちかえったのが始めという。麝香、牛黄、熊胆、人参、真珠、センソの六種の生薬が原料である。「六神丸」の名称のいわれはその他にもあるようだが、これに二種の生薬を加えたものが現在の「救心」で、心臓の薬である。効能書きに「この薬を用いているときは他の薬は服用しないこと」と書かれているので、大変強い作用を持つもののようである。
山男はシナ人のとかげのような「ぐちゃぐちゃした赤い目」や「ずいぶん細い指」や「あんまりとがっている爪」を警戒するのだが、シナ人は香具師の口上よろしく
「あなた、この薬飲むよろしい。毒ない。決して毒ない。飲むよろしい。わたしさき飲む。心配ない。わたしビール飲む、お茶飲む、毒飲まない。これながいきの薬ある。飲むよろしい。」
と言って、飲んでみせる。気がつけばなぜかそこは町の中ではなく、ひろい野原の真ん中で、シナ人と山男の二人だけになっていた。執拗にせまるシナ人に根負けして、飲んだら逃げ出すつもりで山男は薬を飲む。すると山男はちぢまって、六神丸になってしまったのである。
山男はくやしがり、シナ人は文字通り欣喜雀躍する。六神丸になってしまった山男は、シナ人に行李の中に押し込められ、やがて行李の上から風呂敷をかけられて、真っ暗闇のなかでひとり言を言っていると、横から話しかけられる。行李の中には、山男と同じように、シナ人に六神丸にされてしまった仲間が何人もいたのである。
ここからの山男の心理の変化は微妙である。横の六神丸(にされてしまった人間)と話していて、シナ人に「声あまり高い。しずかにするよろしい。」といわれた山男は腹を立てて、町にはいったら大声でシナ人を罵ってやるという。これを聞いて、シナ人はしばらくしんとしている。山男はシナ人が泣いているのだと思い、いままで見てきたシナ人たちの様子と重ね合わせて想像し、かわいそうになってしまう。
「それ、あまり同情ない。わたし商売たたない。わたしおまんまたべない。わたし往生する。それ、あまり同情ない。」
山男は、シナ人のこのことばを聞くと「おれのからだなどは、シナ人が六十銭もうけて宿屋に行って、鰯の頭や菜っ葉汁をたべるかわりにくれてやろう」と気の毒になる。山男は、町にはいったら声をださないとシナ人に言う。シナ人は安堵し喜ぶ。
ところが、町へ行く道中、山男は横の六神丸にされた人間から聞いて、シナ人は名前を陳といい、行李のなかには陳に六神丸にされてしまった孔子聖人の末裔がたくさんいることを知る。陳が悪者だと知った山男は、六神丸になってしまった人間をもとの形に戻してやろうと考える。骨まで六神丸になっていない山男は丸薬さえ飲めばもとへ戻る。陳が水薬を飲んでも六神丸にならないのは、一緒に丸薬を呑むからだという。山男がもとへ戻ったら、ほかの六神丸を水につけてもめば、その人たちも人間に戻るといわれる。横の六神丸からそう聞いた山男は行李から出て人間に戻る機会をうかがう。
やがて外で陳が「シナたものよろしいか」と商売を始める声がする。にわかに蓋が開いたので、山男が外を見ると、おかっぱの子供がいる。いる。陳はいつもの口説で子供に薬を飲ませようとしてとしている。そのとき山男は丸薬を呑む。いきなりもとの立派な赤髪のからだになった山男を見て、陳はびっくりして、丸薬と一緒に飲む水薬はこぼしてしまい、丸薬だけ飲んでしまう。すると陳は頭がめらぁっと延び、二倍の大きさになって山男につかみかかる。山男は一生けん命逃げようとするが、足がから走りして逃げられない。「助けてくれ、わあ」という自分の叫び声で山男は夢からさめる。
夢からさめた山男は、投げ出された山鳥の羽をみたり、しばらく夢の世界の出来事を考えていたりしたが、「夢の中のこった。陳も六神丸もどうにでもなれ。」とあくびをして放念する。
以上が大まかなあらすじだが、不思議な夢物語である。人間が六神丸になったり戻ったりすることが不思議なのではない。奇想天外な話だが、夢なのだからそんな話があってもおかしくはない。不思議なのは山男という存在である。うさぎを狙ったり、山鳥をつかまえて喜ぶというのは野生だからだろう。一方、人間のことばを話し、六神丸になった人間とことばをかわすのだから、立派に社会性のある人間である。
童話の世界だから、人間以外の生物が人間とことばをかわすことがあっても不思議ではないかもしれない。山男が不思議なのは、その性格の曖昧さである。シナ人に声をかけられると、さして必要とも思われないのに反物を買うといってしまう。とかげのようなシナ人を警戒しながらも、その場しのぎで薬を飲んでしまう。およそ主体性というものが感じられないのである。
騙されて六神丸にされてしまったことをくやしがりながら、シナ人がご飯がたべられないと泣いていると思って、自分はシナ人の犠牲になろうとする。安易な同情心にひたるのだ。ところが、シナ人が自分以外にもたくさんの人間を六神丸に変えている悪者だと知ると、正義心に駆りたてられる。仲間の六神丸をもとの姿にもどしてやろう、と義侠心を発揮するのだ。そして、おかっぱの子供がシナ人の毒牙にかかろうとしているときに、もとの姿に戻るのだが、シナ人が倍の大きさになると怖くて逃げだそうとする。
最後は、すべては夢の中のこと、として山男は(そして作者も)韜晦してしまう。いったい賢治は、山男の何が描きたくてこの作品を書いたのか。仮説はあるのだが、まだもう少し確かめたいものが私の中にある。それは、そもそも、宮沢賢治の作品をどう読むか、というより、どう読まれなければならないか、という問題提起につながるもののように思う。
体力的に思うようではなくて、なかなか集中力が保てません。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
山男は金色の目を皿のようにし、せなかをかがめて、西根山のひのき林のなかをうさぎをねらってあるいていました。
という書き出しではじまるのだが、「山男」は人間なのか、それともけものなのだろうか。「金色の目」をしているので、少なくともふつうの日本人ではない。
うさぎはとれないで山鳥がとれ、それで山男はうれしくなって「顔を真っ赤にし、大きな口をぐにゃぐにゃまげてよろこんで」とあるので、よほどおなかがすいていたのだろう。ところが不思議なことに山男はせっかく捕まえた山鳥をその場ですぐ食べるのではなく、「ぐったり首をたれた山鳥をぶらぶら振りまわしながら」森から出て、「ばさばさの赤い髪毛を指でかきまわしながら」日あたりのいい南向きのかれ芝に寝ころんで「碧いあおい空」をながめているうちに、夢の世界に誘いこまれる。これは、「金色の目」と「赤い髪毛」の異形の男の「風流夢譚」なのである。
山男は自分が「七つ森」の中にいる夢を見る。「七つ森」は、いうまでもなく、賢治の処女詩集『春と修羅』の巻頭を飾る「屈折率」という詩に
七つ森のこっちのひとつが
水の中よりもっと明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでこぼこ凍ったみちをふみ
向こうの縮れた亜鉛の雲へ
陰気な郵便脚夫のやうに
(またアラツデイン 洋燈(ランプ)とり)
急がなければならないのか
とうたわれる実在の森である。
山男は(そしてここまで来てみると、おれはまもなく町へ行く。町へはいって行くとすれば、化けないとなぐり殺される。)とひとりごとを言いながら、木こりのかたちに化ける。何故、七つ森の中に入ると必然的に町に入ることになるのか、そしてそのままの姿ではなぐり殺されるのか、理由はわからない。夢の中で山男がそう思ったのでそうなったのである。
山男が町に入って行くと「入口にはいつもの魚屋があって」とあるので、山男は(夢の中で?)何回も町にも出入りしているらしい。魚屋の軒に「赤ぐろいゆで章魚が五つ」吊るしてあるのに見入って、そのまがった足のりっぱさや、海底をはう姿を思い浮かべて感動し指をくわえて立っていると、通りかかった行商のシナ人に話しかけられる。
「あなた、シナ反物よろしいか。六神丸たいさんやすい」
これ以降くりひろげられるシナ人と山男のやりとり、とくにシナ人の言葉は抱腹絶倒のおもしろさである。「シナ人」という呼称、彼が使う助詞を省いた独特の日本語は、今日の読者(の一部)には「差別的表現」などとには眉をひそめる向きもあるかもしれないが。
ところでシナ人が商品として売っている(後でわかるのだが、シナ人の「製造直売」である)六神丸とは、京都の呉服商亀田利三郎が清国で病気になった時これを服用してたいへん効き目があったので持ちかえったのが始めという。麝香、牛黄、熊胆、人参、真珠、センソの六種の生薬が原料である。「六神丸」の名称のいわれはその他にもあるようだが、これに二種の生薬を加えたものが現在の「救心」で、心臓の薬である。効能書きに「この薬を用いているときは他の薬は服用しないこと」と書かれているので、大変強い作用を持つもののようである。
山男はシナ人のとかげのような「ぐちゃぐちゃした赤い目」や「ずいぶん細い指」や「あんまりとがっている爪」を警戒するのだが、シナ人は香具師の口上よろしく
「あなた、この薬飲むよろしい。毒ない。決して毒ない。飲むよろしい。わたしさき飲む。心配ない。わたしビール飲む、お茶飲む、毒飲まない。これながいきの薬ある。飲むよろしい。」
と言って、飲んでみせる。気がつけばなぜかそこは町の中ではなく、ひろい野原の真ん中で、シナ人と山男の二人だけになっていた。執拗にせまるシナ人に根負けして、飲んだら逃げ出すつもりで山男は薬を飲む。すると山男はちぢまって、六神丸になってしまったのである。
山男はくやしがり、シナ人は文字通り欣喜雀躍する。六神丸になってしまった山男は、シナ人に行李の中に押し込められ、やがて行李の上から風呂敷をかけられて、真っ暗闇のなかでひとり言を言っていると、横から話しかけられる。行李の中には、山男と同じように、シナ人に六神丸にされてしまった仲間が何人もいたのである。
ここからの山男の心理の変化は微妙である。横の六神丸(にされてしまった人間)と話していて、シナ人に「声あまり高い。しずかにするよろしい。」といわれた山男は腹を立てて、町にはいったら大声でシナ人を罵ってやるという。これを聞いて、シナ人はしばらくしんとしている。山男はシナ人が泣いているのだと思い、いままで見てきたシナ人たちの様子と重ね合わせて想像し、かわいそうになってしまう。
「それ、あまり同情ない。わたし商売たたない。わたしおまんまたべない。わたし往生する。それ、あまり同情ない。」
山男は、シナ人のこのことばを聞くと「おれのからだなどは、シナ人が六十銭もうけて宿屋に行って、鰯の頭や菜っ葉汁をたべるかわりにくれてやろう」と気の毒になる。山男は、町にはいったら声をださないとシナ人に言う。シナ人は安堵し喜ぶ。
ところが、町へ行く道中、山男は横の六神丸にされた人間から聞いて、シナ人は名前を陳といい、行李のなかには陳に六神丸にされてしまった孔子聖人の末裔がたくさんいることを知る。陳が悪者だと知った山男は、六神丸になってしまった人間をもとの形に戻してやろうと考える。骨まで六神丸になっていない山男は丸薬さえ飲めばもとへ戻る。陳が水薬を飲んでも六神丸にならないのは、一緒に丸薬を呑むからだという。山男がもとへ戻ったら、ほかの六神丸を水につけてもめば、その人たちも人間に戻るといわれる。横の六神丸からそう聞いた山男は行李から出て人間に戻る機会をうかがう。
やがて外で陳が「シナたものよろしいか」と商売を始める声がする。にわかに蓋が開いたので、山男が外を見ると、おかっぱの子供がいる。いる。陳はいつもの口説で子供に薬を飲ませようとしてとしている。そのとき山男は丸薬を呑む。いきなりもとの立派な赤髪のからだになった山男を見て、陳はびっくりして、丸薬と一緒に飲む水薬はこぼしてしまい、丸薬だけ飲んでしまう。すると陳は頭がめらぁっと延び、二倍の大きさになって山男につかみかかる。山男は一生けん命逃げようとするが、足がから走りして逃げられない。「助けてくれ、わあ」という自分の叫び声で山男は夢からさめる。
夢からさめた山男は、投げ出された山鳥の羽をみたり、しばらく夢の世界の出来事を考えていたりしたが、「夢の中のこった。陳も六神丸もどうにでもなれ。」とあくびをして放念する。
以上が大まかなあらすじだが、不思議な夢物語である。人間が六神丸になったり戻ったりすることが不思議なのではない。奇想天外な話だが、夢なのだからそんな話があってもおかしくはない。不思議なのは山男という存在である。うさぎを狙ったり、山鳥をつかまえて喜ぶというのは野生だからだろう。一方、人間のことばを話し、六神丸になった人間とことばをかわすのだから、立派に社会性のある人間である。
童話の世界だから、人間以外の生物が人間とことばをかわすことがあっても不思議ではないかもしれない。山男が不思議なのは、その性格の曖昧さである。シナ人に声をかけられると、さして必要とも思われないのに反物を買うといってしまう。とかげのようなシナ人を警戒しながらも、その場しのぎで薬を飲んでしまう。およそ主体性というものが感じられないのである。
騙されて六神丸にされてしまったことをくやしがりながら、シナ人がご飯がたべられないと泣いていると思って、自分はシナ人の犠牲になろうとする。安易な同情心にひたるのだ。ところが、シナ人が自分以外にもたくさんの人間を六神丸に変えている悪者だと知ると、正義心に駆りたてられる。仲間の六神丸をもとの姿にもどしてやろう、と義侠心を発揮するのだ。そして、おかっぱの子供がシナ人の毒牙にかかろうとしているときに、もとの姿に戻るのだが、シナ人が倍の大きさになると怖くて逃げだそうとする。
最後は、すべては夢の中のこと、として山男は(そして作者も)韜晦してしまう。いったい賢治は、山男の何が描きたくてこの作品を書いたのか。仮説はあるのだが、まだもう少し確かめたいものが私の中にある。それは、そもそも、宮沢賢治の作品をどう読むか、というより、どう読まれなければならないか、という問題提起につながるもののように思う。
体力的に思うようではなくて、なかなか集中力が保てません。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
2019年5月12日日曜日
宮沢賢治『ポラーノの広場』__山猫博士とレオーノキューストの社会学的考察
『ポラーノの広場』の中で、一番魅力的かつ重要な人物は、じつは山猫博士と呼ばれるデストゥパーゴではないだろうか。『ポラーノの広場』で連日酒宴を催し、本気とも酔狂ともつかぬ決闘騒ぎを起こした後、忽然と姿をくらましてしまう。山猫博士とキューストたちの出会いがなかったら、そして、彼が密造酒をつくっていた工場を遺して姿をくらまさなかったら、ファゼーロやミーロは産業組合を起ち上げることができなかったのだ。
山猫博士とはいったい何か。「山猫を釣って外国に売っている」と羊飼いのミーロはいうが、「山猫を釣る」とはどうやって「釣る」のだろう。魚は釣り針にかかるが、山猫はかからないと思うので、捕獲器で捕まえるのだろうか。また、捕まえた山猫を外国で売っているというが、誰がどのような目的で買うのか。謎に満ちた人物である。
もうひとつ細やかな疑問がわくのが、デストゥパーゴとレオーノキューストの関係である。じつは、物語の始まる前に二人は出会っていたのではないかと思われるのだ。遁げた山羊を連れてきたファゼーロからデストゥパーゴの名を聞いたキューストは「あいつは悪いやつだぜ。」と言っている。実際にポラーノの広場でキューストを見たデストゥパーゴは「どうもわたくしのことを見たことはあるが考え出せないという風」だったと書かれている。博物館の職員のキューストと県会議員のデストゥパーゴはどんな関係だったのだろうか。
ところで『ポラーノの広場』はタイトルの脇に「レオーノキュースト誌」とに書かれている。この作品はレオーノキューストーが「記録」したものである、ということになっている。それを(外国語で書かれているので)宮沢賢治が「訳述」したものである、とも。では、レオーノキューストとはどんな人物なのか。
レオーノキューストの自己紹介は作品の冒頭に述べられている。「前十七等官」で県の博物局で「標本の採集、整理」の仕事をしていた、とある。好きな事だったので、「毎日「ずいぶん愉快にはたらきました」とあるのは賢治の性向と一致するのだろう。だが、「標本の採集、整理」は過去の遺物の記録、展示であることにも注目したい。レオーノキューストは『ポラーノの広場』を、「みんななつかしい青いむかし風の幻燈のように」私たちの前に呈示しているのである。
俸給は「ほんのわずか」だったが、レオーノキューストの生活は自足したものだった。植物園に拵え直す予定の競馬場の跡地に、「小さな蓄音器と二十枚ばかりのレコードをもって」ひとり番小屋に住み、一匹の山羊を飼って毎朝乳をしぼり、パンにひたしてたべる。おそらくこれは賢治が憧れた生活だったのだろう。「靴もきれいにみがき」毎日さっそうと市役所に出勤する。経済的にも自足、自立した生活。富商の父の庇護から自立する生活を模索して一生葛藤したのが賢治の生涯だったと思われるのだが。
一方、山猫博士と呼ばれるデストゥパーゴはどのような人物として描かれているか。彼はポラーノの広場の持ち主であるという。資産家なのである。木材の乾溜工場も経営していて、そこでじつは密造酒を作ってもいる。いかがわしいけれど、経営者である。同時に資本家あるいは投機家でもあって、姿をくらました後住んでいる大都市に土地を持っているらしい。だが、経営の失敗を株主に追及されて失踪せざるを得なかった(あるいは計画的失踪?)ところをみると、絶大な権勢を揮う人物でもないらしい。大酒呑みで粗暴なふるまいをするが、じつは気配りは細やかで機を見るに敏である。
ファゼーロやミーロ、村の老人たちは、デストゥパーゴが放棄(?)した工場を利用して生産し始めた。彼らの産業組合は、デストゥパーゴが投下した資本の上に成り立ったのである。現実にはあり得ない展開は、作者賢治の最後の祈りを作品のなかに具体化したのだろう。
レオーノキューストは「いまこの暗い巨きな石の建物のなかで」「友だちのないにぎやかながらすさんだトキーオ市のはげしい輪転器の音のとなりの室で」ひと夏の夢のような物語を記録する。レオーノキューストのこの姿に、ファゼーロたちとの同伴者、観察者のたたずまいを見る意見が多いが、私はもっと直截に、賢治の自己処罰、自己批判があると考える。ポラーノの広場の酒宴の席で、デストゥパーゴの決闘の相手にファゼーロをさしだして、自分は介添え人として後ろにひいたこと。決闘の後、帰る場所がなくなったファゼーロをそのままにしたこと。レオーノキューストにこのようなふるまいを、敢えてさせて、賢治は自分を罰しようとしたのだと思われてならない。そんな必要があるとは、私だけでなく誰も思わないだろうが。
最後に記される「一通の郵便で受けとった」『ポラーノの広場』の楽譜と歌は、賢治の人生の到達点での希求である。You Tubeで岩手大学の混声コーラスを聞くことができるので興味のある方はそちらをお聞きになることを勧める。特に、ローテンブルクの聖フランシスコ教会で録音されたものが素晴らしい。
まさしきねがいに いさかうとも
銀河のかなたに ともにわらい
なべてのなやみを たきぎともしつ、
はえある世界を ともにつくらん
宮沢賢治の作品は「童話」というくくりで語られることが多い。自然界のすべてが対象で、擬人化されていることから「童話」というジャンルに属するのだろうが、文学、とくにすぐれた文学が時代の状況と切り結ぶものである以上、歴史的あるいは社会学的な考察が必要なのではないか。などと大それたことを考えているのですが、ここ二ヵ月近く五十肩に悩まされていることもあって、いかんせん力不足です。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
ところで『ポラーノの広場』はタイトルの脇に「レオーノキュースト誌」とに書かれている。この作品はレオーノキューストーが「記録」したものである、ということになっている。それを(外国語で書かれているので)宮沢賢治が「訳述」したものである、とも。では、レオーノキューストとはどんな人物なのか。
レオーノキューストの自己紹介は作品の冒頭に述べられている。「前十七等官」で県の博物局で「標本の採集、整理」の仕事をしていた、とある。好きな事だったので、「毎日「ずいぶん愉快にはたらきました」とあるのは賢治の性向と一致するのだろう。だが、「標本の採集、整理」は過去の遺物の記録、展示であることにも注目したい。レオーノキューストは『ポラーノの広場』を、「みんななつかしい青いむかし風の幻燈のように」私たちの前に呈示しているのである。
俸給は「ほんのわずか」だったが、レオーノキューストの生活は自足したものだった。植物園に拵え直す予定の競馬場の跡地に、「小さな蓄音器と二十枚ばかりのレコードをもって」ひとり番小屋に住み、一匹の山羊を飼って毎朝乳をしぼり、パンにひたしてたべる。おそらくこれは賢治が憧れた生活だったのだろう。「靴もきれいにみがき」毎日さっそうと市役所に出勤する。経済的にも自足、自立した生活。富商の父の庇護から自立する生活を模索して一生葛藤したのが賢治の生涯だったと思われるのだが。
一方、山猫博士と呼ばれるデストゥパーゴはどのような人物として描かれているか。彼はポラーノの広場の持ち主であるという。資産家なのである。木材の乾溜工場も経営していて、そこでじつは密造酒を作ってもいる。いかがわしいけれど、経営者である。同時に資本家あるいは投機家でもあって、姿をくらました後住んでいる大都市に土地を持っているらしい。だが、経営の失敗を株主に追及されて失踪せざるを得なかった(あるいは計画的失踪?)ところをみると、絶大な権勢を揮う人物でもないらしい。大酒呑みで粗暴なふるまいをするが、じつは気配りは細やかで機を見るに敏である。
ファゼーロやミーロ、村の老人たちは、デストゥパーゴが放棄(?)した工場を利用して生産し始めた。彼らの産業組合は、デストゥパーゴが投下した資本の上に成り立ったのである。現実にはあり得ない展開は、作者賢治の最後の祈りを作品のなかに具体化したのだろう。
レオーノキューストは「いまこの暗い巨きな石の建物のなかで」「友だちのないにぎやかながらすさんだトキーオ市のはげしい輪転器の音のとなりの室で」ひと夏の夢のような物語を記録する。レオーノキューストのこの姿に、ファゼーロたちとの同伴者、観察者のたたずまいを見る意見が多いが、私はもっと直截に、賢治の自己処罰、自己批判があると考える。ポラーノの広場の酒宴の席で、デストゥパーゴの決闘の相手にファゼーロをさしだして、自分は介添え人として後ろにひいたこと。決闘の後、帰る場所がなくなったファゼーロをそのままにしたこと。レオーノキューストにこのようなふるまいを、敢えてさせて、賢治は自分を罰しようとしたのだと思われてならない。そんな必要があるとは、私だけでなく誰も思わないだろうが。
最後に記される「一通の郵便で受けとった」『ポラーノの広場』の楽譜と歌は、賢治の人生の到達点での希求である。You Tubeで岩手大学の混声コーラスを聞くことができるので興味のある方はそちらをお聞きになることを勧める。特に、ローテンブルクの聖フランシスコ教会で録音されたものが素晴らしい。
まさしきねがいに いさかうとも
銀河のかなたに ともにわらい
なべてのなやみを たきぎともしつ、
はえある世界を ともにつくらん
宮沢賢治の作品は「童話」というくくりで語られることが多い。自然界のすべてが対象で、擬人化されていることから「童話」というジャンルに属するのだろうが、文学、とくにすぐれた文学が時代の状況と切り結ぶものである以上、歴史的あるいは社会学的な考察が必要なのではないか。などと大それたことを考えているのですが、ここ二ヵ月近く五十肩に悩まされていることもあって、いかんせん力不足です。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
2019年4月23日火曜日
宮沢賢治『ポラーノの広場』__つめくさの花と聖パトリックの生涯
その青じろいあかりが「つめくさのあかし」と呼ばれるつめくさの花のモチーフは「『ポラーノの広場』という作品の中で唯一の童話的要素である。「レオーノキュースト誌/宮沢賢治訳述」と冒頭に記される『ポラーノの広場』は、レオーノキューストの自分史ともいうべき小説である。この小説の中で、キューストたち三人を夜のポラーノの広場に導くかのように、野原一面に咲くつめくさの花は、何を寓意するのだろうか。
つめくさの花の一つ一つに番号が記されていて、それを五千までたどればポラーノの広場に行くことができるという。作品中に、「レオーノ(獅子)」「山羊」「山猫」「御者(別当)」と星座の名前が用いられていることから、つめくさの花の番号は、天文学で使われる星の番号すなわちNGCという四桁の数字ではないかという仮説があるそうである。それでは、つめくさは、地に咲く星だろうか。
つめくさの花が地に咲く星であるというイメージは非常に美しい。美しすぎるほどだが、賢治はつめくさの花を「この世を照らすひかり」としてモチーフにしただけなのだろうか。ここでまた、独断と偏見と妄想にかられる私は、つめくさ(正確にはシロツメクサ)とキリスト教のつながりについて考えてみたい。
五世紀アイルランドにキリスト教を布教した聖パトリックという人がいる。四世紀の後半ウェールズのケルト人(ローマ人とも)のクリスチャンの家に生まれたが、十六歳のとき海賊にさらわれ、アイルランドに奴隷として売られる。六年間羊飼いとして働いた後神の召命を聞き、牧場を脱走して、およそ三百キロを歩いてウェールズに戻ったが、神学を学ぶためヨーロッパに渡る。七年間、神学を学んだ後帰国し、家族の反対を押し切って四三二年再びアイルランドを訪れてキリスト教の伝道をする。ドルイド教を信じていたアイルランド人十二万人を改宗させ、三六五の教会をたて、多くの讃美歌を作ったともいわれている。
賢治が聖パトリックの生涯を知っていたという証拠はないのだが、知らなかったという証拠もない。博覧強記の賢治のことだから、知っていた可能性はあると思う。さらわれて奴隷となり、羊飼いをして六年間働き、その後召命を聞き脱走して聖職者の道に進む。その生涯の流れが『ポラーノの広場』のファゼーロ、ミーロのそれと重なってくるように思われる。
もうひとつ、こちらのほうが重要かもしれないが、聖パトリックが伝道のとき、いつも手にしていたのが「シャムロック」という三つ葉のクローバーなのである。聖パトリックがシャムロック_三つ葉のクローバーを手にしていたのは、「父と子と聖霊」の三位一体を説明するため、といわれる。あるいは「信仰、希望、愛」とも。
シャムロック_つめくさはキリスト教の信仰、あるいはキリストそのものの象徴である。賢治がこのことを知っていてつめくさを『ポラーノの広場』の重要なモチーフにした、というのはそんなに無謀な仮説ではないと思う。だが、「ポラーノの広場」とつめくさの花の関係は、実は微妙で複雑なものがある。
キューストたちがポラーノの広場を見つけ出したのは、つめくさの花の番号をたどって行ったからではない。山猫博士の馬車別当に「這いつくばって花の数を数えて行くようなそんなポラーノの広場はねえよ」と嘲われたが、ファゼーロとミーロは広場の物音を頼りに探しあてたのである。
つめくさの花は、キューストたち一行がポラーノの広場に着くまで夜の野原を照らす。広場で開かれていた酒宴の場でも「つめくさの花の咲く晩に」「つめくさの花のかおる夜は」と歌の主題となって歌われる。つめくさの花の咲きほこるときポラーノの広場の宴も最高潮だった。楽隊の音楽と人々のどよめき、いろいろな花の匂いと混ざったお酒の匂い、山猫博士の不思議な酔態・・・雑多な、だが活気にみちた夜の気配が描写され、キューストとファゼーロが家路につくときも、つめくさのあかりは二人を照らしていた。
だが、それから二月余りが経って、姿をくらましていたファゼーロと出張から戻ってきたキューストが再会し、二人が山猫博士が置き去りにした工場に向かう晩には、もうつめくさの花は枯れて葉も縮んでしまっていた。ファゼーロ、ミーロそれにファゼーロの姉のロザーロや村の老人たちも一緒になって、ハムを作ったり、革をなめしたり、後に産業組合となる組織の萌芽がこの工場で芽生えるのだが、このときつめ草の花はその役割を果たしたかのように萎れていく。
「そこへ夜行って歌えば、またそこで風を吸えばもう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢いがよくて面白いようなそういうポラーノの広場をぼくらはみんなでこさえよう。」とファゼーロは言って広場の開場式をするのだが、そこでは「つめくさの花の終わる夜は」「つめくさの花のしぼむ夜は」と、つめくさの花の終焉が歌われるのである。
そして、風がやって来る。キューストのきもののすきまから吹き込む冷たい風。ファゼーロの言葉を途中でかき消す風。開場式でみんなが飲むコップの水を波立たせる風。キューストに別れを告げるファゼーロの言葉やみんなの叫ぶ声もかき消す風。
賢治はつめくさの花に何を象徴させたかったのだろう。『ポラーノの広場』の主人公はレオーノ・キューストでも、ファゼーロでもなくつめ草の花なのではないかと思われてくる。あるいは、晦渋にみちて自己処罰的に描かれたレオーノキューストの分身_純潔で貞節な信仰の象徴としての_がつめ草の花である、とも。
ようやく『ポラーノの広場』とつめ草の花についてのささやかな考察に一区切りがつきました。この後、レオーノキューストについてもう少し書いてみたいと思っていますが、まだ時間がかかりそうです。今日も最後までつきあってくださってありがとうございました。
つめくさの花の一つ一つに番号が記されていて、それを五千までたどればポラーノの広場に行くことができるという。作品中に、「レオーノ(獅子)」「山羊」「山猫」「御者(別当)」と星座の名前が用いられていることから、つめくさの花の番号は、天文学で使われる星の番号すなわちNGCという四桁の数字ではないかという仮説があるそうである。それでは、つめくさは、地に咲く星だろうか。
つめくさの花が地に咲く星であるというイメージは非常に美しい。美しすぎるほどだが、賢治はつめくさの花を「この世を照らすひかり」としてモチーフにしただけなのだろうか。ここでまた、独断と偏見と妄想にかられる私は、つめくさ(正確にはシロツメクサ)とキリスト教のつながりについて考えてみたい。
五世紀アイルランドにキリスト教を布教した聖パトリックという人がいる。四世紀の後半ウェールズのケルト人(ローマ人とも)のクリスチャンの家に生まれたが、十六歳のとき海賊にさらわれ、アイルランドに奴隷として売られる。六年間羊飼いとして働いた後神の召命を聞き、牧場を脱走して、およそ三百キロを歩いてウェールズに戻ったが、神学を学ぶためヨーロッパに渡る。七年間、神学を学んだ後帰国し、家族の反対を押し切って四三二年再びアイルランドを訪れてキリスト教の伝道をする。ドルイド教を信じていたアイルランド人十二万人を改宗させ、三六五の教会をたて、多くの讃美歌を作ったともいわれている。
賢治が聖パトリックの生涯を知っていたという証拠はないのだが、知らなかったという証拠もない。博覧強記の賢治のことだから、知っていた可能性はあると思う。さらわれて奴隷となり、羊飼いをして六年間働き、その後召命を聞き脱走して聖職者の道に進む。その生涯の流れが『ポラーノの広場』のファゼーロ、ミーロのそれと重なってくるように思われる。
もうひとつ、こちらのほうが重要かもしれないが、聖パトリックが伝道のとき、いつも手にしていたのが「シャムロック」という三つ葉のクローバーなのである。聖パトリックがシャムロック_三つ葉のクローバーを手にしていたのは、「父と子と聖霊」の三位一体を説明するため、といわれる。あるいは「信仰、希望、愛」とも。
シャムロック_つめくさはキリスト教の信仰、あるいはキリストそのものの象徴である。賢治がこのことを知っていてつめくさを『ポラーノの広場』の重要なモチーフにした、というのはそんなに無謀な仮説ではないと思う。だが、「ポラーノの広場」とつめくさの花の関係は、実は微妙で複雑なものがある。
キューストたちがポラーノの広場を見つけ出したのは、つめくさの花の番号をたどって行ったからではない。山猫博士の馬車別当に「這いつくばって花の数を数えて行くようなそんなポラーノの広場はねえよ」と嘲われたが、ファゼーロとミーロは広場の物音を頼りに探しあてたのである。
つめくさの花は、キューストたち一行がポラーノの広場に着くまで夜の野原を照らす。広場で開かれていた酒宴の場でも「つめくさの花の咲く晩に」「つめくさの花のかおる夜は」と歌の主題となって歌われる。つめくさの花の咲きほこるときポラーノの広場の宴も最高潮だった。楽隊の音楽と人々のどよめき、いろいろな花の匂いと混ざったお酒の匂い、山猫博士の不思議な酔態・・・雑多な、だが活気にみちた夜の気配が描写され、キューストとファゼーロが家路につくときも、つめくさのあかりは二人を照らしていた。
だが、それから二月余りが経って、姿をくらましていたファゼーロと出張から戻ってきたキューストが再会し、二人が山猫博士が置き去りにした工場に向かう晩には、もうつめくさの花は枯れて葉も縮んでしまっていた。ファゼーロ、ミーロそれにファゼーロの姉のロザーロや村の老人たちも一緒になって、ハムを作ったり、革をなめしたり、後に産業組合となる組織の萌芽がこの工場で芽生えるのだが、このときつめ草の花はその役割を果たしたかのように萎れていく。
「そこへ夜行って歌えば、またそこで風を吸えばもう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢いがよくて面白いようなそういうポラーノの広場をぼくらはみんなでこさえよう。」とファゼーロは言って広場の開場式をするのだが、そこでは「つめくさの花の終わる夜は」「つめくさの花のしぼむ夜は」と、つめくさの花の終焉が歌われるのである。
そして、風がやって来る。キューストのきもののすきまから吹き込む冷たい風。ファゼーロの言葉を途中でかき消す風。開場式でみんなが飲むコップの水を波立たせる風。キューストに別れを告げるファゼーロの言葉やみんなの叫ぶ声もかき消す風。
賢治はつめくさの花に何を象徴させたかったのだろう。『ポラーノの広場』の主人公はレオーノ・キューストでも、ファゼーロでもなくつめ草の花なのではないかと思われてくる。あるいは、晦渋にみちて自己処罰的に描かれたレオーノキューストの分身_純潔で貞節な信仰の象徴としての_がつめ草の花である、とも。
ようやく『ポラーノの広場』とつめ草の花についてのささやかな考察に一区切りがつきました。この後、レオーノキューストについてもう少し書いてみたいと思っていますが、まだ時間がかかりそうです。今日も最後までつきあってくださってありがとうございました。
2019年4月5日金曜日
映画『運び屋』__男と女、そしてデイリリー
閑話休題。『ポラーノの広場』について書けないので、映画鑑賞などして怠けています。
カメラマンをしている愚息に「クリント・イーストウッドがたまらなく素敵でセクシーだから、絶対見に行け」と脅迫されて、『運び屋』という映画を観た。映画に関してはまったくのビギナーなので、この映画について詳しく知りたい方は「運だぜ!アート」というブログをご覧になることをお勧めします。勝手に他人のブログを紹介して、著者の方にはご迷惑かもしれないけれど、この映画だけでなく、ほとんどのクリント・イーストウッドの作品について、ゆきとどいた解説がなされていて素晴らしい文章です。彼の映画が「アメリカ」とどのように切り結んできたのか、その問題意識も的確のように思われます。
と、いうことで、またまた私の言うことなどないようだけれど、たぶん、これは、女だから言えることで、女だから言ってもいいことだと思うので、あえて言ってみたい。クリント・イーストウッドは「老い」を表現して「セクシー」(愚息は肘のしわまでセクシーだと言っていた)だけれど、同年齢の女優が「老い」を表現して「セクシー」といわれることがあるだろうか。最大限想像し得るのは「可愛い」ではないだろうか。ベティ・ディビスとジョーン・クロフォードという有名な女優二人がかつて「何がジェーンに起こったか」という映画で老いを演じたことがあったが、「可愛い」とは程遠い姿だったように思う。一言でいえば「凄惨」である。
いや、あれはアメリカの女優だったからそうなったので、日本の女優たち、たとえば森光子とか山田五十鈴といった名優は十分美しかったではないか、という声が聞こえてきそうである。彼女たちはたしかに魅力的だった。だが、彼女たちが魅力的だったのは、「老い」を表現して魅力的だったのではない。スクリーンや舞台に出ていた最後まで「女」だったからである。「女」を表現して魅力的だったのだ。
男は「老い」と「老い」に伴う孤独に耐えられるけれど、というより男は生まれたときから孤独が運命だろうが、女は「老い」と孤独にたえられないのだ。少なくともひとりでは。
『運び屋』のアールの妻メアリは、家庭をかえりみない夫が許せなかった。孫娘の結婚式でアールから「きれいだよ」といわれても「過去をやり直すつもり?」と受け付けない。娘が生まれたときも、それから様々な節目の行事のどのときにも、アールが傍らにいることはなかった。メアリはひとりで生きてきたのだ。
癌に冒されて死の間際のメアリは、運び屋の任務を放棄して駆けつけたアールに「あなたはいつも外にでていた。外の世界に価値があった。」と言う。その後、彼女は「あなたは私の最愛のひと。そして最大の痛みをあたえるひと」と言って息をひきとる。何という鮮烈な愛の言葉!
そして、メアリを演じる女優のすばらしいこと!ひとりの男を想って、孤独にたえて、死の間際に戻ってきた男を受け入れて、死んでいく。女の悲しみと喜びをこんなにも切なく美しく表現できるとは。
でも、この女優は、いうまでもなく「老い」を表現したのではない。「女」と「愛」を表現したのだ。ひとりの女が人生の最後で満たされた「愛」。
『運び屋』の見どころは前述の「運だぜ!アート」にほぼ網羅されていると思われるが、ひとつだけ私が気になったことがある。映画の最初と最後に出てくるユリの花は、キリスト教ではかなり象徴的な、特別の花である。旧約聖書の「雅歌」2章は
わたしはシャロンのばら、野のゆり。
おとめたちの中にいるわたしの恋人は
茨の中に咲きいでたゆりの花。
と始まる官能的な詩だが、新約聖書「マタイによる福音書」6章28節
野の花がどのように育つのか、注意してみなさい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった。
この「野の花」は(なぜか)ゆりの花とされている。
イエスその人を象徴したものがゆりの花であるという説もある。
アールが最初におんぼろトラックで麻薬を運びながら「イエスは困った人を救いに来たんだ・・・」という歌を鼻歌交じりで歌っていたシーンもなぜか印象深い。アールは麻薬を運んだお金で困った人たちをみんな助けた。気前よく。自分のためにはいくらも使わないで。
映画のモデルとなった老人が花栽培の農園を経営していたそうだが、主人公のアールがユリの花、とくに一日だけ咲くというデイリリーを愛してやまなかったという設定になったのは、実話に基づいているだけでなく、何か深い隠された意味があるのではないか。それもメアリに「あなたは芽がでるときだけ(そばにいる)」といわれるような愛し方で愛するということに。もっとも最後には、刑務所の花畑でいつもつききりで世話をして終わるのかもしれないけれど。
エンディングに流れる Don't let the old man be in という歌の題名が「老いを迎え入れるな」と訳されていたのが感銘深かった。そして複雑な気持ちになった。私のブログのプロフィールにある通り、私がいままで見た数少ない映画の中で、一番好きな映画は『俺たちに明日はない』である。この映画は1967年アメリカで公開され、日本では1968年に公開された。アメリカ30年代の大恐慌時代の実話をもとにした作品である。同じように、実際の犯罪をもとにした『運び屋』が2018年に公開された。50年余を経て、アメリカも日本も、もちろん私も、変わった。年老いた。
林檎をかじった後、体中蜂の巣のように銃弾を浴びて死ぬボニーとクライドの最後は、世界にたいして強烈に「ノー」を突きつけた。時代は1968年にピークを迎える学生運動の全盛期だった。そしていま、二十一世紀となって、優しくあたたかく「老いを迎え入れるな」と励まされる。励まされてようやく生きていく老後はもうすぐそこかもしれない。でも、私が望むものは励ましではない。私を含めた全世界に「ノー」という若者だ。いや、若者だけではない。何より私が「ノー」といわなければならない。
Don't let the old man be in
直訳は「老人を中に置き去りにするな」だろう。
とりとめもない駄文を最後まで読んでくださってありがとうございます。mule_騾馬という題名になった言葉についても考えているのですが、あまりにくだくだしい駄文を連ねても、映画からうける感銘をそこなうような気がするので、また機会があれば、と思います。
カメラマンをしている愚息に「クリント・イーストウッドがたまらなく素敵でセクシーだから、絶対見に行け」と脅迫されて、『運び屋』という映画を観た。映画に関してはまったくのビギナーなので、この映画について詳しく知りたい方は「運だぜ!アート」というブログをご覧になることをお勧めします。勝手に他人のブログを紹介して、著者の方にはご迷惑かもしれないけれど、この映画だけでなく、ほとんどのクリント・イーストウッドの作品について、ゆきとどいた解説がなされていて素晴らしい文章です。彼の映画が「アメリカ」とどのように切り結んできたのか、その問題意識も的確のように思われます。
と、いうことで、またまた私の言うことなどないようだけれど、たぶん、これは、女だから言えることで、女だから言ってもいいことだと思うので、あえて言ってみたい。クリント・イーストウッドは「老い」を表現して「セクシー」(愚息は肘のしわまでセクシーだと言っていた)だけれど、同年齢の女優が「老い」を表現して「セクシー」といわれることがあるだろうか。最大限想像し得るのは「可愛い」ではないだろうか。ベティ・ディビスとジョーン・クロフォードという有名な女優二人がかつて「何がジェーンに起こったか」という映画で老いを演じたことがあったが、「可愛い」とは程遠い姿だったように思う。一言でいえば「凄惨」である。
いや、あれはアメリカの女優だったからそうなったので、日本の女優たち、たとえば森光子とか山田五十鈴といった名優は十分美しかったではないか、という声が聞こえてきそうである。彼女たちはたしかに魅力的だった。だが、彼女たちが魅力的だったのは、「老い」を表現して魅力的だったのではない。スクリーンや舞台に出ていた最後まで「女」だったからである。「女」を表現して魅力的だったのだ。
男は「老い」と「老い」に伴う孤独に耐えられるけれど、というより男は生まれたときから孤独が運命だろうが、女は「老い」と孤独にたえられないのだ。少なくともひとりでは。
『運び屋』のアールの妻メアリは、家庭をかえりみない夫が許せなかった。孫娘の結婚式でアールから「きれいだよ」といわれても「過去をやり直すつもり?」と受け付けない。娘が生まれたときも、それから様々な節目の行事のどのときにも、アールが傍らにいることはなかった。メアリはひとりで生きてきたのだ。
癌に冒されて死の間際のメアリは、運び屋の任務を放棄して駆けつけたアールに「あなたはいつも外にでていた。外の世界に価値があった。」と言う。その後、彼女は「あなたは私の最愛のひと。そして最大の痛みをあたえるひと」と言って息をひきとる。何という鮮烈な愛の言葉!
そして、メアリを演じる女優のすばらしいこと!ひとりの男を想って、孤独にたえて、死の間際に戻ってきた男を受け入れて、死んでいく。女の悲しみと喜びをこんなにも切なく美しく表現できるとは。
でも、この女優は、いうまでもなく「老い」を表現したのではない。「女」と「愛」を表現したのだ。ひとりの女が人生の最後で満たされた「愛」。
『運び屋』の見どころは前述の「運だぜ!アート」にほぼ網羅されていると思われるが、ひとつだけ私が気になったことがある。映画の最初と最後に出てくるユリの花は、キリスト教ではかなり象徴的な、特別の花である。旧約聖書の「雅歌」2章は
わたしはシャロンのばら、野のゆり。
おとめたちの中にいるわたしの恋人は
茨の中に咲きいでたゆりの花。
と始まる官能的な詩だが、新約聖書「マタイによる福音書」6章28節
野の花がどのように育つのか、注意してみなさい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった。
この「野の花」は(なぜか)ゆりの花とされている。
イエスその人を象徴したものがゆりの花であるという説もある。
アールが最初におんぼろトラックで麻薬を運びながら「イエスは困った人を救いに来たんだ・・・」という歌を鼻歌交じりで歌っていたシーンもなぜか印象深い。アールは麻薬を運んだお金で困った人たちをみんな助けた。気前よく。自分のためにはいくらも使わないで。
映画のモデルとなった老人が花栽培の農園を経営していたそうだが、主人公のアールがユリの花、とくに一日だけ咲くというデイリリーを愛してやまなかったという設定になったのは、実話に基づいているだけでなく、何か深い隠された意味があるのではないか。それもメアリに「あなたは芽がでるときだけ(そばにいる)」といわれるような愛し方で愛するということに。もっとも最後には、刑務所の花畑でいつもつききりで世話をして終わるのかもしれないけれど。
エンディングに流れる Don't let the old man be in という歌の題名が「老いを迎え入れるな」と訳されていたのが感銘深かった。そして複雑な気持ちになった。私のブログのプロフィールにある通り、私がいままで見た数少ない映画の中で、一番好きな映画は『俺たちに明日はない』である。この映画は1967年アメリカで公開され、日本では1968年に公開された。アメリカ30年代の大恐慌時代の実話をもとにした作品である。同じように、実際の犯罪をもとにした『運び屋』が2018年に公開された。50年余を経て、アメリカも日本も、もちろん私も、変わった。年老いた。
林檎をかじった後、体中蜂の巣のように銃弾を浴びて死ぬボニーとクライドの最後は、世界にたいして強烈に「ノー」を突きつけた。時代は1968年にピークを迎える学生運動の全盛期だった。そしていま、二十一世紀となって、優しくあたたかく「老いを迎え入れるな」と励まされる。励まされてようやく生きていく老後はもうすぐそこかもしれない。でも、私が望むものは励ましではない。私を含めた全世界に「ノー」という若者だ。いや、若者だけではない。何より私が「ノー」といわなければならない。
Don't let the old man be in
直訳は「老人を中に置き去りにするな」だろう。
とりとめもない駄文を最後まで読んでくださってありがとうございます。mule_騾馬という題名になった言葉についても考えているのですが、あまりにくだくだしい駄文を連ねても、映画からうける感銘をそこなうような気がするので、また機会があれば、と思います。
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