インターネットで『宗方姉妹』と検索すると、ほとんどすべて小津安二郎監督の映画がヒットする。大仏次郎の原作について書かれたものはほとんどない。一九五〇年に初版が出て、その後二社から文庫本も出ているのに、なぜかいまは忘れ去られた存在のようである。原作は一九四九年六月から十二月にかけて朝日新聞に連載された家庭小説で、連載終了から半年余りで映画が公開されている。連載と同時並行で映画が構想されていったのだろうか。だが、それにしては、原作と映画はかなり異なったものになっている。
大佛次郎の原作は、戦後日本の社会の様相を登場人物の行動と心理を通して描く群像小説である。満州国の高級官僚だった父親の宗方忠親、娘の節子、満里子、節子の夫三村亮助、忠親の年少の友人田村宏、田村の愛人の真下頼子が中心である。忠親は公職追放の身で癌に冒されている。満州で特権階級だった一家は何もかも失った。満州の原野を文明都市に変貌させる夢を描いていた技師の三村も失業している。生活のすべがない一家は、切り売りも底をついてしまったため、節子の友人の恵美子の斡旋で酒場を始める。
軌道に乗ったかのように見えた酒場だったが、美恵子が自分についていたお客を連れて別の場所で新たに酒場を始めてしまったため、水商売に不慣れな節子は途方に暮れる。
窮境にあった節子を救ったのは、忠親の友人で節子の初恋の相手だった田代宏だった。宏はパリに留学し、戦後は神戸で高級家具の製作、輸入販売を手掛けて成功していた。彼の提案で、節子は酒場を昼の間画廊にする。作品は宏と交流のある画家たちが提供してくれて、画廊は幸先良いスタートをきる。
画廊の仕事は、節子と宏を急速に接近させた。かつて、お互いに好意以上のものを感じながら口に出せなかった二人は
、十年の歳月を経て頻繁に会う機会を得る。上京した宏と節子がいつものように語らいながら歩いていたときに、節子の夫の三村と鉢合わせしてしまう。帽子を脱いで「やあ!」と大声で挨拶して通り過ぎた三村の態度を二人に対する侮辱と受け止めた節子と宏は宏の宿で結ばれそうになる。だが、京都にいる節子の父に今から報告に行こう、という宏の言葉に、節子ははっと、我に返ったかのように踏みとどまるのだ。そんなことをすれば、病に弱った父が死んでしまう、と。映画と違って原作では、節子は父が癌であることは知らされていないのだが。
「時が来たら、もう、僕らは離れない」「もっと、もっときれいにして待ちましょう」と宏は言って、節子の生活は何事もなかったかのように続いた。そして、数日後、三村の新しい仕事が決まった。勤めにでている節子に置手紙をして、三村は夜行で京都の忠親に報告に向かう。翌日、仕事仲間と飲んで、泥酔状態で帰った三村は忠親の住まいの二階で急死してしまう。
三村の死に対して自責の念を捨てきれない節子は、宏への思いを断ち切る手紙を書いて別れを告げる。書留速達で着いた手紙を読んだ宏が酒場で泣き崩れるのを、かつて愛人だった真下頼子が「可哀想に、苦労して。」と静かに見まもるところで原作は終わる。
『宗方姉妹』というタイトルだが、原作は姉妹を中心に、というよりそれぞれの登場人物を描き分けて、混乱した世相を写しだそうとしている。余命いくばくもないことを宣告された父の忠親は、人生を諦観しているが、自分より若い人間を死なせてしまったことに後ろめたさを感じている。娘の節子はしっかり者だが受動的な人間である。節子の妹の満里子は「忠親が満州に赴任して生まれたことにちなんで名づけられた」とあって、進取の気質に富んで積極的である。節子の夫の三村は、ここが映画ともっとも異なる部分だが、粗野ではあるが、情に厚く、貧乏はしているけれど面倒見のいい人間として描かれている。
節子が想いを寄せていた田代宏は、経済力は身につけたが、優柔不断なところがあって、結局は想いを成就させることができない。宏とフランスで知り合った真下頼子は、戦争未亡人だが父親から証券会社の経営を受け継いで、裕福で洗練された大人の女として描かれている。頼子は、宏のなかに節子への断ち切れない思いがあるのを知って、みずから身を引く。映画と違って、原作は頼子の内側に入り込んで、彼女の側から宏と節子、そして満里子を見ている。
宗方一家は落魄しているが、それでも「雨の漏らない」家に住むことができる中産階級である。生活に困って、お嬢さん育ちの節子が酒場を開くことになったが、そんな彼らを批判的に眺めながらも支える立場の人間として、丹波の山奥から上京してきた前島という青年が登場する。映画では節子の酒場のバーテンで元特攻ということになっているが、原作は普通の兵隊上がりで、運送会社に勤めている。上京するときに山椒魚を生け捕りにして持ってきたというエピソードがある。一杯飲み屋で知り合った三村の誘いで節子の家に住んで一家の下働きもしている。登場人物のなかで、まったくの庶民階級は彼一人だ。彼の目で見ると節子たちは遊んで暮らしているようなのである。
「生活ったら、お嬢さん」と前島は満里子にいう。「もっと、自分で汗をかくことでしょう。東京のひとは、まだ、それをごまかしているように見えるのかね。それで、わしなんかにはあぶなつかしく見えるのかね。」と前島は批判するのだが、そうじて作者は宗方一族に寄り添ってストーリーを展開していく。生活に困るといっても、萬里子はバレーのレッスンに通ったり、姉妹は関西と東京を行ったり来たりして、お寺巡りをする余裕がある。敗戦後四年しか経っていないのに、庶民から見れば夢のような暮らしができるのだ。
この他、原作には、戦時中諜報の仕事をしていて、いまは人の秘密を嗅ぎまわることをメシの種にしている平岩哲三という男も登場するのだが、映画は完全に省略している。平岩の存在だけでなく、小津安二郎の『宗方姉妹』に戦争の影はまったくない。登場人物の原作と比べてかなりデフォルメされた性格と行動が織りなす愛憎の世界に焦点を絞って、プロットも一部改ざんしながら思い切って単純化している。
焦点となるのは、節子と三村の夫婦関係である。映画の中の三村は、たんにアルコールで人格を崩壊された狂人として描かれている。節子の若いころの日記を読んでから、宏と節子の関係を疑い始め、宏に急場を救ってもらった節子を打擲する場面がある。それまで、何をいわれても気丈に耐え献身的に三村に尽くしてきた節子が七回も打たれて、覚悟を決めなおす場面がハイライトである。ところが、原作では打擲する場面などまったくないのである。日記を見るというプロットもない。「女房は、どんなによく出来た女でも、亭主にとっては俗世間の代表だよ」と前島に向かって自嘲気味に述懐しながらも、三村は自省的かつ自制的な人間として描かれている。
映画のなかで三村を一方的に嫌う満里子と三村の関係も原作ではもっと微妙である。満里子は節子と三村が暮らす家を出て、独立して間借り生活を始めるのだが、ある夕方三村が無料で借りている事務所を訪れる。満里子はなりふり構わず職を探そうとしない三村を非難する。その後、話の成り行きで、満里子は自分が宏に求婚して振られたことを三村に打ち明ける。黙って聞いていた三村は「君の、その話には、節子は何も、かかり合いなかったのか?」と尋ねる。三村はすべてを了解したのだ。満里子は、三村に節子と別れるよう言いに来たのだ。別れる理由は、三村が失業していて経済力がないからではなく、節子と宏が心の奥底でかたくむすばれているからだということを。
大佛次郎の原作が、登場人物一人ひとりの心理のひだを丁寧に描いて物語を進めていくのに対して、小津の映画は一言でいって通俗的なのである。妻の日記を見て嫉妬にかられる夫とけなげに耐えて夫に尽くす妻の姿がグロテスクなまでに強調して描かれる。新しい人生を踏み出そうとしない姉を批判する妹の満里子の姿もピエロのようにデフォルメされている。余談だが、宏のもとを訪れたり、頼子に会いに行ったりするときの満里子の服装は、なぜかいつも野暮ったくてみっともない。節子や頼子がいつも身についた洗練された身支度で登場するのと対照的である。
節子と愛し合う宏の存在があまりに受動的であることも映画の印象を平板なものにしている。戦後の混乱期を上手に乗り切って成功した実業家なのに、節子との関係を一歩踏み出すことができない。原作でもそれは同様なのだが、映画ではより一層意志薄弱な人間として造型されている。際立つのは酒に溺れた三村が人格を崩壊させ、自滅していくさまである。そこには何ら人間的葛藤は描かれない。ただ自滅のための自滅があるだけである。夫に献身的に尽くす節子も「夫婦だから」尽くすというだけだ。
ラスト三村と「十四年ぶり」に薬師寺を訪れた節子は「三村の影を引きずったままあなたと一緒になれば、きっとあなたを不幸にする」といって宏に別れを告げる。その後、節子は喫茶店で待っていた満里子とともに「御所を通っていきましょうか」と歩き出すのだが、二人の後ろ姿は何とも軽やかで楽し気でさえある。いったい、この映画は何を撮りたかったのか?
忘れられた感のある大佛次郎の原作だが、いま読み直すと、当時の生活の様相や人間の心情、息遣いまでまざまざと浮かび上がってくる。オーソドックスな「小説_novel」を読む醍醐味を味わうことができる。それに比べて、小津の映画は、実は、はるかに辛口である。「家庭劇」という枠組みをきっちり守って、人物の歴史、背景を一切描かない。登場人物は画面のなかで与えられる性格、役割を正確に演じることだけが要求されている。「戦争があったから」こうなった、ああなった、という「解釈」は存在しないのである。________大佛次郎の「『宗方姉妹』と小津安二郎の映画と、はたして、どちらが「反戦」なのだろうか。
ちょっと寄り道のつもりがだいぶ時間をとってしまいました。集中力を保てなくなったなぁ、とつくづく思うこの頃です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
2018年5月14日月曜日
2018年4月3日火曜日
小津安二郎『秋刀魚の味』___秋刀魚の味と「秋刀魚の歌」
小津安二郎の映画のタイトルは不思議なものが多い。『早春』という映画のタイトルがなぜ「早春」なのか、いまだにわからない。季節は真夏のようである。蚊取り線香が焚かれる画面から真夏の熱気が伝わってこないのが不思議だが。
『秋刀魚の味』も何故このタイトルなのか、ずっとわからなかった。そもそも『晩春』と同じ「父と娘」「娘の結婚」のテーマを繰り返す理由がわからなかった。いま、『晩春』の焼き直しのように見えるこの映画が『晩春』とどこが違うのか(表面的なプロットの違いでなく)検討する前に、『秋刀魚の味』というタイトルの意味するものについて、少しだけ考えてみたい。
映画の冒頭、煙突が5本映し出されて、舞台が工場地帯であることが示される。主人公の平山は丸の内近辺の大手会社ではなく、工場地帯で製造業を営む会社の役員という設定である。平山の役員室を友人の河合__こちらは丸の内の大手会社の役員のようである__という男が訪れる。挨拶もそこそこに、平山は河合に「奥さん怒ってなかったか、こないだ」と聞く。「怒ってない、怒ってない。おもしろがってたよ」と言う河合に「どうも、酒飲むとよけいなこと言いすぎるな」、と平山が返し「すぎる、すぎる、お互いにな」と河合が受ける、というやりとりがあって、これが何を意味するのか、ずっとわからなかった。河合の家で酒を飲んだ平山と河合の奥さんがどうしたというのか、この後の展開で触れられることはまったくないのである。
ところで、私くらいの年代以上の人は「秋刀魚の味」と言えば佐藤春夫の「秋刀魚の歌」を連想するのではないか。
あはれ
秋風よ
情〔こころ〕あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉〔ゆふげ〕に ひとり
さんまを食〔くら〕ひて
思ひにふける と。
私の記憶にあったのはこの部分までだった。秋の気配の立つ頃、一人食卓に向かって秋刀魚の味をかみしめる男の孤独の詩。しかし、この後、
さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸〔す〕をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみてなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児〔こ〕は
小さき箸〔はし〕をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸〔はら〕をくれむと言ふにあらずや。
あはれ
秋風よ
汝〔なれ〕こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒〔まどゐ〕を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証〔あかし〕せよ かの一ときの団欒ゆめに非〔あら〕ずと。
あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児〔おさなご〕とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。
さんま、さんま
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。
と続くドラマがあるのだ。谷崎不在の谷崎家の食卓を、谷崎の妻千代、娘の鮎子、佐藤春夫の三人で囲んで、秋刀魚を食べる。その折の回想と、不遇の妻といたいけな幼女へ寄せる思いをうたった「秋刀魚の歌」は長く人口に膾炙したが、この「秋刀魚の歌」にちなんで、それと同じくらい有名になったのが、谷崎と佐藤の間のいわゆる「細君譲渡事件」である。千代をめぐる三人にどのような人情の機微があったか、いまとなっては私などにわかるはずもないが、当時二十代のはじめだった小津にとって、センセーショナルな出来事として記憶されたものと思われる。
平山と河合の妻との間に具体的な何かがあったとは思われないが、酒を飲んだ平山が酔った勢いで河合の妻に何らかの言葉をかけたのだろう。映画の冒頭、さりげなくかわされる平山と河合の会話から、温厚そうな初老の平山という男の内側にうごめく情動を、まず、うけとめなければならないのではないか。画面に河合の妻が登場するのは、平山が道子の縁談を頼みに河合の家を訪れたときが最初である。先に河合の家に来ていたもう一人の友人と河合が示し合わせて平山を担ごうとしたときに、二人の嘘を平山に教えに入ったのが河合の妻だった。このときの河合の妻は、典型的な上流婦人のたたずまいで、それ以外のなにものでもないのだが。
「秋刀魚の歌」と直接関係ないのかもしれないが、この映画には不思議なことがもう一つあって、平山と河合が同じ(ように見える)カーディガンを着ているのである。平山の娘の路子が思いを寄せていた男がすでに婚約していたことを告げるシーンの平山と、道子の縁談を頼みに河合の家を訪れたときの河合が、どうみてもまったく同じカーディガンを着ている。平山を演じる笠智衆と河合役の中村伸朗は体型が似ているので一つのカーディガンを着回ししたのかと思ってしまう。小津はどのような意図でこんな演出をしたのか?衣装の類似については、平山の娘路子と、軍艦マーチのレコードをかけるバーのマダムの服装についても指摘される方がいるようだが。
いつもながらの独断と偏見でいえば、『秋刀魚の味』は男の老醜を描いた作品ではないか。老醜とは、平山たちの中学校の漢文教師だった「ひょうたん」という綽名の男の落魄の姿をいうのではない。「ひょうたん」を二度にわたってなぶりものにする平山や河合をはじめとする、いまは功成り遂げた男たちの内面である。娘のように若い妻を娶った大学教授に平山が「この頃、お前が不潔に見えてきた」と言うシーンがある。「不潔」の意味するところは、けっこう複雑なものではないか。
『秋刀魚の味』は、小津安二郎の作品の中で、最初に観た映画でした。そのときの、いわば卒読の印象と『晩春』『麦秋』・・・・と小津作品をいくつか観てきた印象とは、微妙に変わってきたように思います。不思議なシーンがいくつもあって、それらを繋いでいくと、何か暗くて重いものに行きつきそうなのですが、形として存在するのは静謐、平穏な日常性です。静謐、平穏な日常性が、こんなに緊張感のある画面で語られるということの不可解が小津作品の魅力なのでしょう。もう少し、その不可解にかかわってみたいと思います。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
『秋刀魚の味』も何故このタイトルなのか、ずっとわからなかった。そもそも『晩春』と同じ「父と娘」「娘の結婚」のテーマを繰り返す理由がわからなかった。いま、『晩春』の焼き直しのように見えるこの映画が『晩春』とどこが違うのか(表面的なプロットの違いでなく)検討する前に、『秋刀魚の味』というタイトルの意味するものについて、少しだけ考えてみたい。
映画の冒頭、煙突が5本映し出されて、舞台が工場地帯であることが示される。主人公の平山は丸の内近辺の大手会社ではなく、工場地帯で製造業を営む会社の役員という設定である。平山の役員室を友人の河合__こちらは丸の内の大手会社の役員のようである__という男が訪れる。挨拶もそこそこに、平山は河合に「奥さん怒ってなかったか、こないだ」と聞く。「怒ってない、怒ってない。おもしろがってたよ」と言う河合に「どうも、酒飲むとよけいなこと言いすぎるな」、と平山が返し「すぎる、すぎる、お互いにな」と河合が受ける、というやりとりがあって、これが何を意味するのか、ずっとわからなかった。河合の家で酒を飲んだ平山と河合の奥さんがどうしたというのか、この後の展開で触れられることはまったくないのである。
ところで、私くらいの年代以上の人は「秋刀魚の味」と言えば佐藤春夫の「秋刀魚の歌」を連想するのではないか。
あはれ
秋風よ
情〔こころ〕あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉〔ゆふげ〕に ひとり
さんまを食〔くら〕ひて
思ひにふける と。
私の記憶にあったのはこの部分までだった。秋の気配の立つ頃、一人食卓に向かって秋刀魚の味をかみしめる男の孤独の詩。しかし、この後、
さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸〔す〕をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみてなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児〔こ〕は
小さき箸〔はし〕をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸〔はら〕をくれむと言ふにあらずや。
あはれ
秋風よ
汝〔なれ〕こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒〔まどゐ〕を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証〔あかし〕せよ かの一ときの団欒ゆめに非〔あら〕ずと。
あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児〔おさなご〕とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。
さんま、さんま
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。
と続くドラマがあるのだ。谷崎不在の谷崎家の食卓を、谷崎の妻千代、娘の鮎子、佐藤春夫の三人で囲んで、秋刀魚を食べる。その折の回想と、不遇の妻といたいけな幼女へ寄せる思いをうたった「秋刀魚の歌」は長く人口に膾炙したが、この「秋刀魚の歌」にちなんで、それと同じくらい有名になったのが、谷崎と佐藤の間のいわゆる「細君譲渡事件」である。千代をめぐる三人にどのような人情の機微があったか、いまとなっては私などにわかるはずもないが、当時二十代のはじめだった小津にとって、センセーショナルな出来事として記憶されたものと思われる。
平山と河合の妻との間に具体的な何かがあったとは思われないが、酒を飲んだ平山が酔った勢いで河合の妻に何らかの言葉をかけたのだろう。映画の冒頭、さりげなくかわされる平山と河合の会話から、温厚そうな初老の平山という男の内側にうごめく情動を、まず、うけとめなければならないのではないか。画面に河合の妻が登場するのは、平山が道子の縁談を頼みに河合の家を訪れたときが最初である。先に河合の家に来ていたもう一人の友人と河合が示し合わせて平山を担ごうとしたときに、二人の嘘を平山に教えに入ったのが河合の妻だった。このときの河合の妻は、典型的な上流婦人のたたずまいで、それ以外のなにものでもないのだが。
「秋刀魚の歌」と直接関係ないのかもしれないが、この映画には不思議なことがもう一つあって、平山と河合が同じ(ように見える)カーディガンを着ているのである。平山の娘の路子が思いを寄せていた男がすでに婚約していたことを告げるシーンの平山と、道子の縁談を頼みに河合の家を訪れたときの河合が、どうみてもまったく同じカーディガンを着ている。平山を演じる笠智衆と河合役の中村伸朗は体型が似ているので一つのカーディガンを着回ししたのかと思ってしまう。小津はどのような意図でこんな演出をしたのか?衣装の類似については、平山の娘路子と、軍艦マーチのレコードをかけるバーのマダムの服装についても指摘される方がいるようだが。
いつもながらの独断と偏見でいえば、『秋刀魚の味』は男の老醜を描いた作品ではないか。老醜とは、平山たちの中学校の漢文教師だった「ひょうたん」という綽名の男の落魄の姿をいうのではない。「ひょうたん」を二度にわたってなぶりものにする平山や河合をはじめとする、いまは功成り遂げた男たちの内面である。娘のように若い妻を娶った大学教授に平山が「この頃、お前が不潔に見えてきた」と言うシーンがある。「不潔」の意味するところは、けっこう複雑なものではないか。
『秋刀魚の味』は、小津安二郎の作品の中で、最初に観た映画でした。そのときの、いわば卒読の印象と『晩春』『麦秋』・・・・と小津作品をいくつか観てきた印象とは、微妙に変わってきたように思います。不思議なシーンがいくつもあって、それらを繋いでいくと、何か暗くて重いものに行きつきそうなのですが、形として存在するのは静謐、平穏な日常性です。静謐、平穏な日常性が、こんなに緊張感のある画面で語られるということの不可解が小津作品の魅力なのでしょう。もう少し、その不可解にかかわってみたいと思います。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
2018年3月24日土曜日
小津安二郎『東京暮色』__前稿の訂正と補筆__再び「父と子」について
最初の稿で、杉山周吉の家の玄関前にイチジクの鉢植えがある、としたのだが、イチジクではなくヤツデだったようである。イチジクは落葉樹なので、雪の降る季節に葉を茂らせているわけはない。「千客万来」をもたらすとされるヤツデはよく玄関前に植えられるそうなので、ヤツデの木があるるのはとくに珍しいことではなかったようだ。いまはほとんど見かけないが。
『東京暮色』については、もう書くのを終わりにしようと思ったのだが、どうしてもやり残したような気がしてならない。プロットを追いかけての感想はもうお終いにして、少し、独断と偏見に満ちた妄想を書いてみたい。
小津安二郎は、私にとって、謎に満ちた作家である。戦後の作品のほとんどが、大きな事件も起こらず、淡々とした日常生活の機微をこまやかに描いたように見えながら、どこかに微妙な違和感をもたらすシーンが存在する。でも、最後は観客が期待した通りの結末になって、それなりのカタルシスがあるのだが、『東京暮色』には、激情的なドラマがあって、救いがない。救われないことへの絶望もない。まったくの「純文学」で、観客が見終わって得られるものは諦念でしかない。『東京暮色』の前作『早春』も同じように「純文学」だが、こちらはまだいくばくかの希望に近いものを感じることができる。ほんものの「希望」といえるかどうかあやしいのだけれど。
救いがない、と感じるのは、線路に跳び込んだ明子が「死にたくない」「もう一度やり直したい」と言いながら死んでいったことにあるのではない。孝子に拒絶された母の喜久子が室蘭に行ってしまうことでもない。「相馬さん」に誘われて、喜久子が連れ合いと一緒に室蘭に行くことは、むしろ、かすかな救いだろう。救われないのは、愛することのできない夫のもとへ戻っていく孝子であり、それを容認する父の周吉である。とりわけ周吉が明子の遺影に向かってお経のようなものをつぶやくシーンには慄然とするものがあった。
堅実な銀行マンであり、温厚で子煩悩な家庭人として描かれる周吉は一見非の打ちどころがない。だが、その周吉が「無理にすすめて」孝子に不幸な結婚をさせたのである。二歳の子を連れて孝子が家に戻ってくると、「こんなんだったら、佐藤なんかのほうが良かった」と平然といってのける。深夜喫茶で恋人を待っていて警察に補導された明子に「そんな子はお父さんの子じゃない」と言い放つ。周吉役を演じる笠智衆の演技にめくらましされてしまうが、周吉の根底にあるのは冷徹なエゴイズムである。明子を死に追いやったのは、直接には「憲ちゃん」という恋人の不実だが、その深層にあって、しかもトリガーとなったものは、周吉の「そんな子はお父さんの子じゃない」と言う言葉だろう。
ドラマを展開させていくのは三人の女たちの行動で、とりわけ孝子の両義的な存在の描き方は見事である。だが、見終わって、最後に残るのはドラマが始まる前と同じ生活に戻っていく周吉の変わらない日常なのだ。女たちの葛藤が鮮明に描かれれば描かれるほど、葛藤の枠の外にあるかのような周吉の孤独な姿が浮き彫りになってくる。一枚の絵が二通りに見えるだまし絵のようだ。
この映画は『エデンの東』を下敷きにしているといわれる。いくらかプロットに共通するものはあるかもしれない。だが、むしろよりラディカルに「楽園追放」のモチーフが潜んでいるのではないか。喜久子が明子と話をするために入った居酒屋は「Bar EDEN」という看板の店の前にあった。雑司ヶ谷の坂の向こうに浮かび上がる十字架のように見える電柱、周吉の家の玄関にかかる「森永牛乳」(エンゼルマークの暗示?)、喜久子と連れ合いを室蘭に誘う「相馬」_「相馬愛蔵」という有名なキリスト教の牧師を連想させる_などキリスト教もしくはヘブライズムを示唆する要素がさりげなく配置されている。冷徹なエゴイストとして描かれる周吉は、雑司ヶ谷の家の家長、父であり、同時に大文字の「父」_FATHERではなかったか。
もう少し原節子の演じる孝子の両義性、というより小津の映画における彼女の存在の両義性について書きたいのですが、それはまた別の機会にして、『東京暮色』はこれでお終いにしたいと思います。最後まで不出来な感想文につきあってくださって、ありがとうございました。
『東京暮色』については、もう書くのを終わりにしようと思ったのだが、どうしてもやり残したような気がしてならない。プロットを追いかけての感想はもうお終いにして、少し、独断と偏見に満ちた妄想を書いてみたい。
小津安二郎は、私にとって、謎に満ちた作家である。戦後の作品のほとんどが、大きな事件も起こらず、淡々とした日常生活の機微をこまやかに描いたように見えながら、どこかに微妙な違和感をもたらすシーンが存在する。でも、最後は観客が期待した通りの結末になって、それなりのカタルシスがあるのだが、『東京暮色』には、激情的なドラマがあって、救いがない。救われないことへの絶望もない。まったくの「純文学」で、観客が見終わって得られるものは諦念でしかない。『東京暮色』の前作『早春』も同じように「純文学」だが、こちらはまだいくばくかの希望に近いものを感じることができる。ほんものの「希望」といえるかどうかあやしいのだけれど。
救いがない、と感じるのは、線路に跳び込んだ明子が「死にたくない」「もう一度やり直したい」と言いながら死んでいったことにあるのではない。孝子に拒絶された母の喜久子が室蘭に行ってしまうことでもない。「相馬さん」に誘われて、喜久子が連れ合いと一緒に室蘭に行くことは、むしろ、かすかな救いだろう。救われないのは、愛することのできない夫のもとへ戻っていく孝子であり、それを容認する父の周吉である。とりわけ周吉が明子の遺影に向かってお経のようなものをつぶやくシーンには慄然とするものがあった。
堅実な銀行マンであり、温厚で子煩悩な家庭人として描かれる周吉は一見非の打ちどころがない。だが、その周吉が「無理にすすめて」孝子に不幸な結婚をさせたのである。二歳の子を連れて孝子が家に戻ってくると、「こんなんだったら、佐藤なんかのほうが良かった」と平然といってのける。深夜喫茶で恋人を待っていて警察に補導された明子に「そんな子はお父さんの子じゃない」と言い放つ。周吉役を演じる笠智衆の演技にめくらましされてしまうが、周吉の根底にあるのは冷徹なエゴイズムである。明子を死に追いやったのは、直接には「憲ちゃん」という恋人の不実だが、その深層にあって、しかもトリガーとなったものは、周吉の「そんな子はお父さんの子じゃない」と言う言葉だろう。
ドラマを展開させていくのは三人の女たちの行動で、とりわけ孝子の両義的な存在の描き方は見事である。だが、見終わって、最後に残るのはドラマが始まる前と同じ生活に戻っていく周吉の変わらない日常なのだ。女たちの葛藤が鮮明に描かれれば描かれるほど、葛藤の枠の外にあるかのような周吉の孤独な姿が浮き彫りになってくる。一枚の絵が二通りに見えるだまし絵のようだ。
この映画は『エデンの東』を下敷きにしているといわれる。いくらかプロットに共通するものはあるかもしれない。だが、むしろよりラディカルに「楽園追放」のモチーフが潜んでいるのではないか。喜久子が明子と話をするために入った居酒屋は「Bar EDEN」という看板の店の前にあった。雑司ヶ谷の坂の向こうに浮かび上がる十字架のように見える電柱、周吉の家の玄関にかかる「森永牛乳」(エンゼルマークの暗示?)、喜久子と連れ合いを室蘭に誘う「相馬」_「相馬愛蔵」という有名なキリスト教の牧師を連想させる_などキリスト教もしくはヘブライズムを示唆する要素がさりげなく配置されている。冷徹なエゴイストとして描かれる周吉は、雑司ヶ谷の家の家長、父であり、同時に大文字の「父」_FATHERではなかったか。
もう少し原節子の演じる孝子の両義性、というより小津の映画における彼女の存在の両義性について書きたいのですが、それはまた別の機会にして、『東京暮色』はこれでお終いにしたいと思います。最後まで不出来な感想文につきあってくださって、ありがとうございました。
2018年3月14日水曜日
小津安二郎『東京暮色』__母の背負う十字架
最初に私は「これは父子家庭の物語である」と書いた。だが、同時に、これは「母の物語」である。母と子ではなくて、「母と女」の物語だ。あるいは「母と女の子」の物語である。主題を明瞭にするため、「母と男の子」の物語は慎重に排除されている。姉妹の兄の「和ちゃん」は谷川岳で死んだことになっている。
テーマ音楽が流れて、高架の線路と巨大なトンネルが映し出される。「壽荘スグソコ」という矢印の看板が画面の右端に映る。車の入れない狭い通路の両側に、飲食店がひしめきあっている「。壽荘」はそのなかの二階にある。何組もの客が卓を囲んでいて、明子もその中にいる。店番をしていた亭主が店屋物の注文を取り次ぎに出ると、入れ違いのように着物姿に前掛けをかけた中年の女が階段を上ってきて、「いらっしゃい」と客に挨拶する。すると、明子の卓をのぞき込んでいた若い男が「ねぇ、おばさん、おばさんの捜していたの、この子だ」と明子を指す。軽くうなづいて「いらっしゃい」という女。不思議そうな顔をしながら明子もうなづく。まじまじと明子を見つめる女。女の視線は明子に釘付けである。
若い男と卓を交代した明子に女は次々と家族の消息をたずねる。再会した喜びを抑えきれない様子である。いったん戻った亭主が再び出前の取次に外に行ったのをきっかけに、女は明子に座敷に上がるようにすすめ、明子も上がり框に腰かける。英文速記を習っているという明子に「あなたこんなとこちょいちょい来るの?」と聞いて、「ううん、時々」という返事に「そうね。その方がいいわね」と言う女。明子はその後、卓に呼び戻されるのだが、女は何か考え込んでいる様子である。
女が出奔した母だったことがわかるのは、叔母の重子が明子に縁談をもって杉山家を訪れたときのことである。明子は不在である。縁談話のついでに、重子は偶然に大丸のエスカレーターで母と遇ったと報告する。母は「喜久子」という名であることも明かされる。「山崎さんね、アムールに抑留されている間に亡くなったんですって」と言うので、駆け落ちの相手は山崎という男らしい。「そのことを喜久子さん、腰越じゃない、ブラゴエ、そうブラゴヴェチェンスクよ。そこで風の便りに聞いて、それからナホトカに連れていかれたんですって。今ね、五反田で麻雀屋しているらしいのよ」という重子の言葉に、孝子は先に明子から聞いていた「麻雀屋のおばさん」が母であることを確信する。
余談だが、「アムール」、「ブラゴヴェチェンスク」、「ナホトカ」という地名は、それぞれ「愛」、「受胎告知」、「発見、掘り出し物」という意味だそうである。喜久子の恋人は「アムール=愛」で抑留されて死に、喜久子はそれを「ブラゴヴェチェンスク=受胎告知で風の便りに聞き」、「ナホトカ=掘り出し物に連れていかれ」て今の亭主と知り合った、ということになる。
再び高架とトンネルが映し出される。今回は昼で明るい画面である。近くに川があるのか、揺らめく水の影が映る。マスクをして黒っぽい外套を着た孝子が車から降りて壽荘にやってくる。麻雀の牌の音がする二階に上がって、部屋の中を見まわし、座敷の上がり框に腰かけて編み物をしている喜久子に向かって、マスクを外す。「お母さんですか」という孝子。編み物の手を止めて、見上げた喜久子と「孝子です」というやりとりがあって、喜久子は一瞬目を見張るが、次の瞬間喜びを爆発させる。「まぁまぁたかちゃん、さ、上がってちょうだいよ」と編みかけの毛糸を放り出してすすめる。孝子はためらっている。
やっとのことで座敷に上がる孝子に喜久子は嬉しくて、「本当によく尋ねてきてくれたわねえ。あんたもお母さんになったんだってねえ。女の子だって?可愛いでしょう。ご主人どんな方?何してらっしゃるの?」と矢継ぎ早に話しかける。だが、孝子の表情は硬いままで「お母さん、あたし、お願いがあって来たんです」と切り出すのだ。「あきちゃんに、お母さんだってことおっしゃってほしくないんです」と必死の形相である。一瞬にして笑みが消え、凍り付く喜久子の顔。明子は母の記憶はすべて消えているという。。「お父さんがかわいそうです。そう、お思いになりません?」と孝子は言うのだ。絶句する喜久子に「じゃ、どうぞお願いします。帰ります」と言って、昂然と顎を上げ、足早に孝子は階段を降りていく。
再び孝子が母のもとにやってくるのは、明子の死を告げるためである。紋付の喪服姿である。座敷で読み物をしていた喜久子の前に突然孝子が現れ、「お母さん」と呼びかける。目を上げた喜久子に孝子は、「あきちゃん死にました」と睨むようにして言う。「まぁ!どうして?いつ?」と驚く喜久子に向かって何も答えず、「お母さんのせいです」とだけ言って踵を返す。
残された喜久子は店番を投げ出して、ふらふらと外に出て行く。路地に孝子の姿を追うかのような仕草をするが、孝子はいるはずもない。スカーフと外套姿の、死んだ明子と年恰好も同じような娘が一人すれ違う。喜久子が腰を落ち着けるのは「Bar EDEN]と書かれた看板の向かいにある飲み屋である。盃を手に悄然とする喜久子。やがて喜久子を探して店に入ってきた亭主に北海道へ行くという。以前から「相馬」と言う亭主の知り合いに誘われていたのだ。
最後に母子が対面するのは杉山家の玄関である。黒っぽいコートの着物姿の喜久子が花束を手に急坂を上がってくる。杉山家の玄関先に、なぜか、みすぼらしい犬がうろうろしている。家を探している喜久子に教えるように塀の中に入って行く。喜久子が玄関を入ると、三和土と廊下の仕切りの戸が開いていて、ガラスの枠がない。カメラが正面から喜久子の姿を映す。「ごめんください」と呼んで、玄関先に落ちていたガラガラを手に取って三和土に戻す。もう一度「ごめん下さい」と呼ぶと「はい」と小さな声がして、孝子が現れる。無言で廊下に座り込む孝子。喜久子が「さっきはどうも。電話で・・・・・・あたし、今晩九時半の汽車で北海道へたつの。これ、あきちゃんにお供えしたいと思って」と花束を目で示すが、孝子は黙ったままである。「いけないかしら」と言う喜久子。今度は「じゃ、これ」と花束を突き出すようにする。ようやく孝子は花束を受け取るが、やはり無言である。
「それじゃ、もう会えないかもわからないけど、いつまでも元気でね。じゃ、帰るわ。じゃ、さよなら」と喜久子は帰っていく。喜久子が玄関を出ると泣き崩れる孝子。黙っていたのは、泣くのを我慢していたのだ。
夜の上野駅。「12」とホームの番線を示す数字がある。さまざまな見送り客と乗客でごった返すホーム。なぜか明治大学の校歌を合唱する応援団もいる。喜久子はホームの人混みの中に孝子の姿をさがしている。最後は曇った汽車の窓を懐紙で拭いている。
最後まで母を許せない孝子の心には何があるのだろう。喜久子に向き合うときの孝子は、ほとんど能面のように無表情である。それに対して、喜久子は天真爛漫、と言っていいほど無邪気である。そして、可憐なのだ。「苦労したらしいわよ」と大丸で遇った重子が言うように、姦通が犯罪として罰せられた時代に、極寒の異国の地で駆け落ちした相手に死なれ、生き延びて日本に帰ってくるまでの体験は筆舌しがたいものがあっただろう。だが、いくらか生活の影はあるが、それでも、明子が「さぁ、いくつかしら。若く見えるけど。きれいな人よ」と孝子にいうような容姿なのである。素直に「女」であり、「母」なのだ。その「女」と「母」を孝子は許せなかったのだ。何故なら孝子もまた「女」であり「母」だからだ。
明子と喜久子のかかわりは、実は、孝子よりはるかに自然な親子の情に満ちている。麻雀屋で最初に喜久子から声をかけられたとき、明子は素直に応じて、上がり框に腰かけ、喜久子の質問に答えている。帰宅して孝子に「あの人、お母さんじゃないかしら」と言っている。次に、明子は、孝子と口論して家を跳びだし、喜久子を「二人きりで話したい」と呼び出す。喜久子は驚きながらも明るい表情である。麻雀屋の近くの飲み屋の奥の部屋で向かい合って、明子に「おばさん、あたし、いったい誰の子なんです?」と聞かれて、喜久子はとっさに意味が分からない。「自分はずっと子供のことを忘れていなかったと話し出す。だが、明子の関心は自分の父親は誰か、ということなのだ。そのことに気がついた喜久子は憤慨する。
「あんたがお父さんの子だっていうことは、お母さん、誰の前だって立派に言えるのよ。ねぇ、あきちゃん、そのことだけはお母さんを疑わないで。そのことだけは信じて」」と必死に潔白を証しようとする喜久子。女の意地である。明子は涙を浮かべて聞いている。わかってくれる?わかってくれるわね。・・・・ありがとう」という喜久子。だが、明子にとって、喜久子が潔白であるということは、周吉以外に父はいないという事実をつきつけられることなのだ。泣きじゃくる明子に喜久子は妊娠したのではないか、と尋ねる。娘の身を気遣う親心である。
その瞬間明子は顔を上げ、「あたし、子供なんか生みません。一生子どもなんか生まない!」とたたきつけるように言う。もし生んだら、お母さんのように捨てて出ることはしない、思い切り可愛がってやる、と叫び「お母さん、嫌い!」という言葉を残して走り去っていく。直情と直情がぶつかり合って、明子は絶望の淵に追いやられる。喜久子に投げつけた「お母さん、嫌い!」という最後の言葉は、私には「お母さん、助けて!」という悲鳴のように聞こえる。明子が店から駆け出して行ったあと、喜久子はじっと座ったままである。後ろ姿に十字架を背負っているようだ。
明子が死に、喜久子が室蘭に去り、孝子も夫の元に戻って、周吉は一人になる。春がきて、イチジクの枝が伸びてくる。「富沢さん」がまた家事をみるようになった。周吉が家を出て、十字架に見える電柱の立つ街へ坂を下りて行くところで映画は終わる。誰もさばかれない。誰もゆるされない。季節はまた巡ってくる。
周吉と孝子、周吉と明子の父と子の関係、孝子と明子の姉と妹の関係、それから周吉と喜久子、喜久子がなぜ家を出なければならなかったのか、などもっと考えてみたいことはあるのですが、それを文字にすることはこの映画の感想からはみだすような気がします。
今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
テーマ音楽が流れて、高架の線路と巨大なトンネルが映し出される。「壽荘スグソコ」という矢印の看板が画面の右端に映る。車の入れない狭い通路の両側に、飲食店がひしめきあっている「。壽荘」はそのなかの二階にある。何組もの客が卓を囲んでいて、明子もその中にいる。店番をしていた亭主が店屋物の注文を取り次ぎに出ると、入れ違いのように着物姿に前掛けをかけた中年の女が階段を上ってきて、「いらっしゃい」と客に挨拶する。すると、明子の卓をのぞき込んでいた若い男が「ねぇ、おばさん、おばさんの捜していたの、この子だ」と明子を指す。軽くうなづいて「いらっしゃい」という女。不思議そうな顔をしながら明子もうなづく。まじまじと明子を見つめる女。女の視線は明子に釘付けである。
若い男と卓を交代した明子に女は次々と家族の消息をたずねる。再会した喜びを抑えきれない様子である。いったん戻った亭主が再び出前の取次に外に行ったのをきっかけに、女は明子に座敷に上がるようにすすめ、明子も上がり框に腰かける。英文速記を習っているという明子に「あなたこんなとこちょいちょい来るの?」と聞いて、「ううん、時々」という返事に「そうね。その方がいいわね」と言う女。明子はその後、卓に呼び戻されるのだが、女は何か考え込んでいる様子である。
女が出奔した母だったことがわかるのは、叔母の重子が明子に縁談をもって杉山家を訪れたときのことである。明子は不在である。縁談話のついでに、重子は偶然に大丸のエスカレーターで母と遇ったと報告する。母は「喜久子」という名であることも明かされる。「山崎さんね、アムールに抑留されている間に亡くなったんですって」と言うので、駆け落ちの相手は山崎という男らしい。「そのことを喜久子さん、腰越じゃない、ブラゴエ、そうブラゴヴェチェンスクよ。そこで風の便りに聞いて、それからナホトカに連れていかれたんですって。今ね、五反田で麻雀屋しているらしいのよ」という重子の言葉に、孝子は先に明子から聞いていた「麻雀屋のおばさん」が母であることを確信する。
余談だが、「アムール」、「ブラゴヴェチェンスク」、「ナホトカ」という地名は、それぞれ「愛」、「受胎告知」、「発見、掘り出し物」という意味だそうである。喜久子の恋人は「アムール=愛」で抑留されて死に、喜久子はそれを「ブラゴヴェチェンスク=受胎告知で風の便りに聞き」、「ナホトカ=掘り出し物に連れていかれ」て今の亭主と知り合った、ということになる。
再び高架とトンネルが映し出される。今回は昼で明るい画面である。近くに川があるのか、揺らめく水の影が映る。マスクをして黒っぽい外套を着た孝子が車から降りて壽荘にやってくる。麻雀の牌の音がする二階に上がって、部屋の中を見まわし、座敷の上がり框に腰かけて編み物をしている喜久子に向かって、マスクを外す。「お母さんですか」という孝子。編み物の手を止めて、見上げた喜久子と「孝子です」というやりとりがあって、喜久子は一瞬目を見張るが、次の瞬間喜びを爆発させる。「まぁまぁたかちゃん、さ、上がってちょうだいよ」と編みかけの毛糸を放り出してすすめる。孝子はためらっている。
やっとのことで座敷に上がる孝子に喜久子は嬉しくて、「本当によく尋ねてきてくれたわねえ。あんたもお母さんになったんだってねえ。女の子だって?可愛いでしょう。ご主人どんな方?何してらっしゃるの?」と矢継ぎ早に話しかける。だが、孝子の表情は硬いままで「お母さん、あたし、お願いがあって来たんです」と切り出すのだ。「あきちゃんに、お母さんだってことおっしゃってほしくないんです」と必死の形相である。一瞬にして笑みが消え、凍り付く喜久子の顔。明子は母の記憶はすべて消えているという。。「お父さんがかわいそうです。そう、お思いになりません?」と孝子は言うのだ。絶句する喜久子に「じゃ、どうぞお願いします。帰ります」と言って、昂然と顎を上げ、足早に孝子は階段を降りていく。
再び孝子が母のもとにやってくるのは、明子の死を告げるためである。紋付の喪服姿である。座敷で読み物をしていた喜久子の前に突然孝子が現れ、「お母さん」と呼びかける。目を上げた喜久子に孝子は、「あきちゃん死にました」と睨むようにして言う。「まぁ!どうして?いつ?」と驚く喜久子に向かって何も答えず、「お母さんのせいです」とだけ言って踵を返す。
残された喜久子は店番を投げ出して、ふらふらと外に出て行く。路地に孝子の姿を追うかのような仕草をするが、孝子はいるはずもない。スカーフと外套姿の、死んだ明子と年恰好も同じような娘が一人すれ違う。喜久子が腰を落ち着けるのは「Bar EDEN]と書かれた看板の向かいにある飲み屋である。盃を手に悄然とする喜久子。やがて喜久子を探して店に入ってきた亭主に北海道へ行くという。以前から「相馬」と言う亭主の知り合いに誘われていたのだ。
最後に母子が対面するのは杉山家の玄関である。黒っぽいコートの着物姿の喜久子が花束を手に急坂を上がってくる。杉山家の玄関先に、なぜか、みすぼらしい犬がうろうろしている。家を探している喜久子に教えるように塀の中に入って行く。喜久子が玄関を入ると、三和土と廊下の仕切りの戸が開いていて、ガラスの枠がない。カメラが正面から喜久子の姿を映す。「ごめんください」と呼んで、玄関先に落ちていたガラガラを手に取って三和土に戻す。もう一度「ごめん下さい」と呼ぶと「はい」と小さな声がして、孝子が現れる。無言で廊下に座り込む孝子。喜久子が「さっきはどうも。電話で・・・・・・あたし、今晩九時半の汽車で北海道へたつの。これ、あきちゃんにお供えしたいと思って」と花束を目で示すが、孝子は黙ったままである。「いけないかしら」と言う喜久子。今度は「じゃ、これ」と花束を突き出すようにする。ようやく孝子は花束を受け取るが、やはり無言である。
「それじゃ、もう会えないかもわからないけど、いつまでも元気でね。じゃ、帰るわ。じゃ、さよなら」と喜久子は帰っていく。喜久子が玄関を出ると泣き崩れる孝子。黙っていたのは、泣くのを我慢していたのだ。
夜の上野駅。「12」とホームの番線を示す数字がある。さまざまな見送り客と乗客でごった返すホーム。なぜか明治大学の校歌を合唱する応援団もいる。喜久子はホームの人混みの中に孝子の姿をさがしている。最後は曇った汽車の窓を懐紙で拭いている。
最後まで母を許せない孝子の心には何があるのだろう。喜久子に向き合うときの孝子は、ほとんど能面のように無表情である。それに対して、喜久子は天真爛漫、と言っていいほど無邪気である。そして、可憐なのだ。「苦労したらしいわよ」と大丸で遇った重子が言うように、姦通が犯罪として罰せられた時代に、極寒の異国の地で駆け落ちした相手に死なれ、生き延びて日本に帰ってくるまでの体験は筆舌しがたいものがあっただろう。だが、いくらか生活の影はあるが、それでも、明子が「さぁ、いくつかしら。若く見えるけど。きれいな人よ」と孝子にいうような容姿なのである。素直に「女」であり、「母」なのだ。その「女」と「母」を孝子は許せなかったのだ。何故なら孝子もまた「女」であり「母」だからだ。
明子と喜久子のかかわりは、実は、孝子よりはるかに自然な親子の情に満ちている。麻雀屋で最初に喜久子から声をかけられたとき、明子は素直に応じて、上がり框に腰かけ、喜久子の質問に答えている。帰宅して孝子に「あの人、お母さんじゃないかしら」と言っている。次に、明子は、孝子と口論して家を跳びだし、喜久子を「二人きりで話したい」と呼び出す。喜久子は驚きながらも明るい表情である。麻雀屋の近くの飲み屋の奥の部屋で向かい合って、明子に「おばさん、あたし、いったい誰の子なんです?」と聞かれて、喜久子はとっさに意味が分からない。「自分はずっと子供のことを忘れていなかったと話し出す。だが、明子の関心は自分の父親は誰か、ということなのだ。そのことに気がついた喜久子は憤慨する。
「あんたがお父さんの子だっていうことは、お母さん、誰の前だって立派に言えるのよ。ねぇ、あきちゃん、そのことだけはお母さんを疑わないで。そのことだけは信じて」」と必死に潔白を証しようとする喜久子。女の意地である。明子は涙を浮かべて聞いている。わかってくれる?わかってくれるわね。・・・・ありがとう」という喜久子。だが、明子にとって、喜久子が潔白であるということは、周吉以外に父はいないという事実をつきつけられることなのだ。泣きじゃくる明子に喜久子は妊娠したのではないか、と尋ねる。娘の身を気遣う親心である。
その瞬間明子は顔を上げ、「あたし、子供なんか生みません。一生子どもなんか生まない!」とたたきつけるように言う。もし生んだら、お母さんのように捨てて出ることはしない、思い切り可愛がってやる、と叫び「お母さん、嫌い!」という言葉を残して走り去っていく。直情と直情がぶつかり合って、明子は絶望の淵に追いやられる。喜久子に投げつけた「お母さん、嫌い!」という最後の言葉は、私には「お母さん、助けて!」という悲鳴のように聞こえる。明子が店から駆け出して行ったあと、喜久子はじっと座ったままである。後ろ姿に十字架を背負っているようだ。
明子が死に、喜久子が室蘭に去り、孝子も夫の元に戻って、周吉は一人になる。春がきて、イチジクの枝が伸びてくる。「富沢さん」がまた家事をみるようになった。周吉が家を出て、十字架に見える電柱の立つ街へ坂を下りて行くところで映画は終わる。誰もさばかれない。誰もゆるされない。季節はまた巡ってくる。
周吉と孝子、周吉と明子の父と子の関係、孝子と明子の姉と妹の関係、それから周吉と喜久子、喜久子がなぜ家を出なければならなかったのか、などもっと考えてみたいことはあるのですが、それを文字にすることはこの映画の感想からはみだすような気がします。
今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
2018年3月10日土曜日
小津安二郎『東京暮色』_____孝子の見ているものは何か
『東京暮色』は徹底したリアリズムの映画でありながら、同時に完璧なドラマである。
冒頭周吉がガラス格子の杉山家の玄関を入ると、三和土と廊下の間が障子戸で仕切られている。障子戸の真ん中にガラスがはめ込まれていて、玄関から入ってきた人間は家の内部(と同時にそれは観客の視線でもある)からガラスの枠を通して覗かれることになる。ガラスの枠は廊下の左右にある部屋と廊下を仕切る障子にもはめこまれているので、庄吉が玄関を開けると、ガラス越しに周吉の顔が三面映りだされる。非常に手の込んだ仕掛けである。そうまでして、この徹底的にリアルな映画が「お芝居」で、登場人物は「役者」なのだ、と強調したかったのだろうか。
さて、「ただいま」と帰宅した周吉を「お帰りなさい。お寒かったでしょ」と娘の孝子が出迎える。孝子は夫の沼田との折り合いが悪くて、赤んぼうの道子を連れてこの家に戻ってきたばかりなのだが、いそいそと周吉の着替えを手伝う姿は、ずっとこの家にいて主婦をやってきた女のたたずまいである。孝子がいることを予期していなかった周吉は沼田のことをあれこれ話すが、孝子は話題にしたくない様子である。そんな二人の間に、妹の明子が「お姉さん、お床敷いてあるわよ」と割って入る。何気なく見過ごしてしまうのだが、ここは意味深長な場面である。
このとき初めて周吉は「お前、帰らないのかい?」と孝子に問いかけ、孝子と沼田の関係のただならぬことに気づくのだが、より注目すべきは、いつもより早く帰宅した明子が、周吉より先に孝子から事情を聞いていたのではないかということである。孝子がどこまで話したかはわからないが、道子ともども少なくとも今日は夫の元に戻らないことを、その時点で明子は知っていたのだ。姉妹の間に何らかの「女同志の会話」が成立していたと考えるのが自然だろう。その際に、ずいぶん飛躍したことをいうようだが、孝子は明子の体の変化にまったく気づかないということがあるだろうか。
周吉は沼田の家を訪れて、孝子と沼田の間に何があったのかを聞き出そうとする。本箱と本だけが目立つ寒々としたな部屋で、周吉と沼田が向き合うのだが、沼田は孝子の夫というより父の周吉の年齢に近いように見える。孝子との関係を問われているのに、とうとうと空疎で抽象的な愛情論を述べ立てる沼田は、なんとも軽薄でいやみな男として描かれる。夫に会ったことを周吉から聞いた孝子が「お父さん、気持ち悪くなさらならなかった?」というほどである。
降り出した雪のなか傘もささずに帰宅した周吉を「お困りになったでしょ」と孝子が出迎える。着物に割烹着の主婦のたたずまいである。「沼田に会って来たよ」と切りだす周吉に、孝子の態度が急に変わる。取り合いたくないのだ。着替えもせずに背広姿のまま炬燵に手を突っ込んで、周吉は「お父さん、なんだかお前にすまないような気がしてね」というのである。孝子はふっと涙をこらえているようなバツの悪そうな表情をする。
この後の周吉の言葉に私は耳を疑ってしまった。「こんなんだったら、佐藤なんかのほうが良かったかもしれないよ。お前も嫌いじゃないらしかったし」と言うのである。「佐藤なんかのほうがよかった」__「佐藤がよかった」のではない。「佐藤なんか」「のほう」がよかった、のである。沼田以外に「佐藤」という候補者がいて、いまとなってはそちらのほうがよかった、と言っているのではない。たいして(周吉の)意に沿うわけではないが、こんなことなら他にもいる候補者のなかで「佐藤なんか」のほうがよかった、と言っているのだ。この瞬間孝子の表情は凍り付く。だが、すぐに「いいのよお父さん。もういいの」と孝子はとりなすように言って、伏し目がちにややはにかんだ甘やかな若い女の顔になる。だが、周吉はさらに「だけど、お前に無理にすすめて」と続けるのである。
この場面から読み取れるのは、孝子は、「佐藤なんか」のほうが、少なくとも沼田よりは好きだった、ということ、それを、どんな事情があるのか、周吉が「無理にすすめて」沼田を孝子の夫に選んだ、ということである。周吉と沼田、そして「佐藤」の関係はよくわからないが、大学の先輩と後輩の関係だろうか。その結果、「無理にすすめられて」結婚した沼田と孝子はどちらも不幸になっている。その原因は直接にも間接にも周吉にあるのだ。温厚で朴訥に見える周吉が、なぜ孝子に意に沿わぬ結婚を強いたのか。
前回、これは父子家庭の物語である、と書いた。父周吉と孝子、明子の姉妹の物語である。そのうち、周吉と孝子の父子関係は冒頭のシーンから映像が雄弁に物語っている。不在の母の役割を長女の孝子が担ってきたのである。あるときは周吉の妻のように、周吉に寄り添って。孝子が着物姿で登場する時は齢の離れた夫婦のように見える。一方、明子と周吉の関係はどうだったのだろう。
周吉が沼田に会いに行った夜、周吉より少し遅れて明子が帰ってくる。玄関で雪を払いながら入ってきた明子がそのまま二階に上がって行こうとするのを、周吉が「おい!」と呼び止めるが、明子は立ったまま「なあに」と面白くなさそうな顔でこたえる。周吉が「お前、叔母さんに金借りに行ったってね。なんでお父さんに言わなかったんだ」と問い詰めるが、明子は「もういいの。もう済んじゃったんだから」とその場を離れようとする。金の使い道をきかれても「友達が困っていたから」とうそをつく。被っていたスカーフは脱いでいるが、外套を着たままの姿で、これも背広姿の周吉との間には、最初から険悪な空気が漂っている。
次に周吉と明子が相対するのは、憲ちゃんを待って深夜喫茶にいた明子が警察に補導され、周吉に内緒で孝子が引き取りに行った晩である。警察からの再度の電話で事情を知った周吉が明子を問い詰める。この場面の周吉は、これ以外では見せることのない冷酷で厳しい顔つきである。明子はしようことなく周吉の前に座るが、下を向いて黙っている。「うちには、警察なんかに呼ばれるものはいないはずだ」と言う周吉。何を問い詰められても黙っているだけの明子に、周吉はついに「なぜ黙っているんだ。そんなやつはお父さんの子じゃない」と言い放つ。「お父さん、そんな」と孝子が周吉を押しとどめて、やっと明子は解放される。この間、明子はスカーフを被り、外套も着たままである。
明子を二階にやって、周吉と孝子が話し合う場面がある。「どうしてあんな風になったか。困ったもんだ」と周吉がつぶやく。それに対して、孝子が「あきちゃんもさびしいのよ、きっと」と答えるのだが、このとき一瞬孝子の口もとに微笑のようなものが浮かぶ。この後、周吉は、明子にはさびしい思いをさせないように、ときには孝子がひがむのではないかと思うくらい可愛がって育ててきた、と述懐し「いやぁ、子供を育てるってのは難しいもんだ」と嘆く。すると、微笑のようなものが、周吉の言葉を聞き終わった孝子の口もとに再び漂うのだ。口もとだけでなく、目もかすかに笑っているように見える。
これは私の錯覚なのか?「お父さん、お休みになって」と孝子が促して、周吉が隣の部屋に去った後、カメラがしばらく無言の孝子の表情をとらえるのだが、これが何ともいえず、おそろしいのである。一人になった孝子は、やはり微かに笑みを含んだような表情で数秒間じっとしている。それから何かを決意したようにコートを脱ぎ始める。この間ずっと視線は斜め下に向けられている。蛇のような視線である。
このとき孝子が見ていたものは何か、という疑問はいつまでも解決できない問題として私の中に残っている。というより、孝子とはいったい、どういう存在なのだろう。このドラマの中で、孝子はまだ明子の妊娠には気づいていない、という設定になっている。あるいは、最後まで、孝子も周吉も知らなかった、ということかもしれない。この時の孝子が見つめていたものは、妹の妊娠、あるいは酒に溺れる夫との生活、などの具体的な生活の苦悩ではなく、もっとたんてきに地獄そのものかもしれない。沈黙と不動の数秒間は、みずからが地獄の中で生きていることを確認している時間だったのではないか。
ラスト、夫との生活に戻ることを告げる孝子に、周吉が「お前、向こうへ帰って、沼田とうまくやっていけるのかい」と言う。孝子は「やっていきたいと思います。やっていけなくても、やっていかなきゃならないと思います」と答える。孝子は、地獄が日常である生活を生きることを宣言したのである。
孝子の地獄とこの映画のテーマについては、後半姉妹の母がプロットの展開に介入してくる部分も含めて、もっと追いかけなければならないのですが、すでにかなりの長文になってしまったので、ここでいったん切り上げたいと思います。周吉の家をとりまく十字架に見える電柱とイチジクの木と森永牛乳(エンゼルマーク)の木箱についても、できれば、次回で考えてみたいと思っています。できるかどうか、自信はないのですが。
不出来な長文を最後まで読んでくださってありがとうございます。
冒頭周吉がガラス格子の杉山家の玄関を入ると、三和土と廊下の間が障子戸で仕切られている。障子戸の真ん中にガラスがはめ込まれていて、玄関から入ってきた人間は家の内部(と同時にそれは観客の視線でもある)からガラスの枠を通して覗かれることになる。ガラスの枠は廊下の左右にある部屋と廊下を仕切る障子にもはめこまれているので、庄吉が玄関を開けると、ガラス越しに周吉の顔が三面映りだされる。非常に手の込んだ仕掛けである。そうまでして、この徹底的にリアルな映画が「お芝居」で、登場人物は「役者」なのだ、と強調したかったのだろうか。
さて、「ただいま」と帰宅した周吉を「お帰りなさい。お寒かったでしょ」と娘の孝子が出迎える。孝子は夫の沼田との折り合いが悪くて、赤んぼうの道子を連れてこの家に戻ってきたばかりなのだが、いそいそと周吉の着替えを手伝う姿は、ずっとこの家にいて主婦をやってきた女のたたずまいである。孝子がいることを予期していなかった周吉は沼田のことをあれこれ話すが、孝子は話題にしたくない様子である。そんな二人の間に、妹の明子が「お姉さん、お床敷いてあるわよ」と割って入る。何気なく見過ごしてしまうのだが、ここは意味深長な場面である。
このとき初めて周吉は「お前、帰らないのかい?」と孝子に問いかけ、孝子と沼田の関係のただならぬことに気づくのだが、より注目すべきは、いつもより早く帰宅した明子が、周吉より先に孝子から事情を聞いていたのではないかということである。孝子がどこまで話したかはわからないが、道子ともども少なくとも今日は夫の元に戻らないことを、その時点で明子は知っていたのだ。姉妹の間に何らかの「女同志の会話」が成立していたと考えるのが自然だろう。その際に、ずいぶん飛躍したことをいうようだが、孝子は明子の体の変化にまったく気づかないということがあるだろうか。
周吉は沼田の家を訪れて、孝子と沼田の間に何があったのかを聞き出そうとする。本箱と本だけが目立つ寒々としたな部屋で、周吉と沼田が向き合うのだが、沼田は孝子の夫というより父の周吉の年齢に近いように見える。孝子との関係を問われているのに、とうとうと空疎で抽象的な愛情論を述べ立てる沼田は、なんとも軽薄でいやみな男として描かれる。夫に会ったことを周吉から聞いた孝子が「お父さん、気持ち悪くなさらならなかった?」というほどである。
降り出した雪のなか傘もささずに帰宅した周吉を「お困りになったでしょ」と孝子が出迎える。着物に割烹着の主婦のたたずまいである。「沼田に会って来たよ」と切りだす周吉に、孝子の態度が急に変わる。取り合いたくないのだ。着替えもせずに背広姿のまま炬燵に手を突っ込んで、周吉は「お父さん、なんだかお前にすまないような気がしてね」というのである。孝子はふっと涙をこらえているようなバツの悪そうな表情をする。
この後の周吉の言葉に私は耳を疑ってしまった。「こんなんだったら、佐藤なんかのほうが良かったかもしれないよ。お前も嫌いじゃないらしかったし」と言うのである。「佐藤なんかのほうがよかった」__「佐藤がよかった」のではない。「佐藤なんか」「のほう」がよかった、のである。沼田以外に「佐藤」という候補者がいて、いまとなってはそちらのほうがよかった、と言っているのではない。たいして(周吉の)意に沿うわけではないが、こんなことなら他にもいる候補者のなかで「佐藤なんか」のほうがよかった、と言っているのだ。この瞬間孝子の表情は凍り付く。だが、すぐに「いいのよお父さん。もういいの」と孝子はとりなすように言って、伏し目がちにややはにかんだ甘やかな若い女の顔になる。だが、周吉はさらに「だけど、お前に無理にすすめて」と続けるのである。
この場面から読み取れるのは、孝子は、「佐藤なんか」のほうが、少なくとも沼田よりは好きだった、ということ、それを、どんな事情があるのか、周吉が「無理にすすめて」沼田を孝子の夫に選んだ、ということである。周吉と沼田、そして「佐藤」の関係はよくわからないが、大学の先輩と後輩の関係だろうか。その結果、「無理にすすめられて」結婚した沼田と孝子はどちらも不幸になっている。その原因は直接にも間接にも周吉にあるのだ。温厚で朴訥に見える周吉が、なぜ孝子に意に沿わぬ結婚を強いたのか。
前回、これは父子家庭の物語である、と書いた。父周吉と孝子、明子の姉妹の物語である。そのうち、周吉と孝子の父子関係は冒頭のシーンから映像が雄弁に物語っている。不在の母の役割を長女の孝子が担ってきたのである。あるときは周吉の妻のように、周吉に寄り添って。孝子が着物姿で登場する時は齢の離れた夫婦のように見える。一方、明子と周吉の関係はどうだったのだろう。
周吉が沼田に会いに行った夜、周吉より少し遅れて明子が帰ってくる。玄関で雪を払いながら入ってきた明子がそのまま二階に上がって行こうとするのを、周吉が「おい!」と呼び止めるが、明子は立ったまま「なあに」と面白くなさそうな顔でこたえる。周吉が「お前、叔母さんに金借りに行ったってね。なんでお父さんに言わなかったんだ」と問い詰めるが、明子は「もういいの。もう済んじゃったんだから」とその場を離れようとする。金の使い道をきかれても「友達が困っていたから」とうそをつく。被っていたスカーフは脱いでいるが、外套を着たままの姿で、これも背広姿の周吉との間には、最初から険悪な空気が漂っている。
次に周吉と明子が相対するのは、憲ちゃんを待って深夜喫茶にいた明子が警察に補導され、周吉に内緒で孝子が引き取りに行った晩である。警察からの再度の電話で事情を知った周吉が明子を問い詰める。この場面の周吉は、これ以外では見せることのない冷酷で厳しい顔つきである。明子はしようことなく周吉の前に座るが、下を向いて黙っている。「うちには、警察なんかに呼ばれるものはいないはずだ」と言う周吉。何を問い詰められても黙っているだけの明子に、周吉はついに「なぜ黙っているんだ。そんなやつはお父さんの子じゃない」と言い放つ。「お父さん、そんな」と孝子が周吉を押しとどめて、やっと明子は解放される。この間、明子はスカーフを被り、外套も着たままである。
明子を二階にやって、周吉と孝子が話し合う場面がある。「どうしてあんな風になったか。困ったもんだ」と周吉がつぶやく。それに対して、孝子が「あきちゃんもさびしいのよ、きっと」と答えるのだが、このとき一瞬孝子の口もとに微笑のようなものが浮かぶ。この後、周吉は、明子にはさびしい思いをさせないように、ときには孝子がひがむのではないかと思うくらい可愛がって育ててきた、と述懐し「いやぁ、子供を育てるってのは難しいもんだ」と嘆く。すると、微笑のようなものが、周吉の言葉を聞き終わった孝子の口もとに再び漂うのだ。口もとだけでなく、目もかすかに笑っているように見える。
これは私の錯覚なのか?「お父さん、お休みになって」と孝子が促して、周吉が隣の部屋に去った後、カメラがしばらく無言の孝子の表情をとらえるのだが、これが何ともいえず、おそろしいのである。一人になった孝子は、やはり微かに笑みを含んだような表情で数秒間じっとしている。それから何かを決意したようにコートを脱ぎ始める。この間ずっと視線は斜め下に向けられている。蛇のような視線である。
このとき孝子が見ていたものは何か、という疑問はいつまでも解決できない問題として私の中に残っている。というより、孝子とはいったい、どういう存在なのだろう。このドラマの中で、孝子はまだ明子の妊娠には気づいていない、という設定になっている。あるいは、最後まで、孝子も周吉も知らなかった、ということかもしれない。この時の孝子が見つめていたものは、妹の妊娠、あるいは酒に溺れる夫との生活、などの具体的な生活の苦悩ではなく、もっとたんてきに地獄そのものかもしれない。沈黙と不動の数秒間は、みずからが地獄の中で生きていることを確認している時間だったのではないか。
ラスト、夫との生活に戻ることを告げる孝子に、周吉が「お前、向こうへ帰って、沼田とうまくやっていけるのかい」と言う。孝子は「やっていきたいと思います。やっていけなくても、やっていかなきゃならないと思います」と答える。孝子は、地獄が日常である生活を生きることを宣言したのである。
孝子の地獄とこの映画のテーマについては、後半姉妹の母がプロットの展開に介入してくる部分も含めて、もっと追いかけなければならないのですが、すでにかなりの長文になってしまったので、ここでいったん切り上げたいと思います。周吉の家をとりまく十字架に見える電柱とイチジクの木と森永牛乳(エンゼルマーク)の木箱についても、できれば、次回で考えてみたいと思っています。できるかどうか、自信はないのですが。
不出来な長文を最後まで読んでくださってありがとうございます。
登録:
投稿 (Atom)