2016年4月23日土曜日

三島由紀夫『禁色』__三島由紀夫とは何者だったのか

 三島由紀夫の『禁色』について、いつまでも考えている。書くことはたくさんありそうで、さて、何をどう書いたらいいのか迷っている。ひとことでいったら思弁的、形而上学的装いの通俗小説である、と評したくなる誘惑にかられている。あるいは、複雑かつ巧妙にカモフラージュされたモデル小説である、とも。

 物語の発端は檜俊輔という老齢の作家が美少女に懸想し、袖にされたことから始まる。美少女康子に執着する俊輔は、彼女の後を追って海辺のさびれた観光地で、南悠一という美青年に出会う。アポロンのようなこの美青年は女を愛することができないのに、持参金目当てで康子と結婚することになってしまった。腎臓病の母親をかかえ、没落した家の家計を支えなければならなかったからである。

  悠一の告白を聞いた俊輔は彼に持参金以上の金を与え、その上で康子と結婚させる。俊輔は自分を愛さなかった康子を女を愛することのできない悠一と結婚させ、不幸にしたかったのだ。そして、俊輔が不幸にしたかったのは康子だけではなかった。夫と組んで彼を美人局の罠に陥れた鏑木伯爵夫人、彼の愛を受けいれなかった穂高恭子、この三人の女が悠一を愛することによって、俊輔から復讐されるのである。「醜さ」のゆえに女から愛されない青春を送った作家俊輔は絶世の美青年南悠一という「作品」を操って女への復讐を企てたのだ。

 中でも最も残忍な仕打ちを受けるのは穂高恭子である。俊輔の描いたシナリオ通りに悠一に誘惑された恭子は、悠一と思いこんで暗闇の中で俊輔に犯され、一夜をすごしてしまう。何故彼女がこうまでされなければならないのかその理由は明らかではない。俊輔は「あんな目に会わせるだけの悪いことはしていない女なんだ」といいながら「あの女はこの事件を境にひどく身を持崩すだろう」と予言するのである。

 康子と鏑木夫人の不幸は複雑である。女を愛さない夫との間に子を生んだ康子は、夫が「作品」から「現実の存在」になったときに、ほんとうの「不幸」になる。悠一は同性愛が露見すると、それを取り繕うために鏑木夫人の力を借りる。だが、悠一が同性愛であろうがなかろうが、康子にとっては、もはやどうでもよいことだった。この間の機微を三島はこう書いている。

 「しかるにすでに康子は自若としていて生活の中に腰をおちつけ、渓子を育てながら、老醜の年齢まで、悠一の家を離れない覚悟を固めていたのである。絶望から生まれたこんな貞淑には、どのような不倫も及ばない力があった。
 康子は絶望的な世界を見捨てて、そこから降りて来ていた。その世界に住んでいたとき、彼女の愛はいかなる明証にも屈しなかった。・・・・・・・・
 その世界から降りて来たのは、何も彼女の発意ではない。・・・良人として多分親切すぎた悠一は、わざわざ鏑木夫人の力を借りて、妻をそれまで住んでいた灼熱とした静けさの愛の領域から、およそ不可能の存在しない透明で自在な領域から、雑然とした相対的な愛の世界に引きずり下ろしたのである。・・・・・そこに処する方法は一つである。何も感じないことである。何も見ず、何も聴かないことである。
 ・・・・(康子は)自分にたいしてすら敢然と愛さない女になった。この精神的な聾唖者になった妻は、一見はなはだ健やかに、派手な格子縞のエプロンを胸からかけて良人の朝食に侍っていた。もう一杯珈琲はいかが、と彼女は言った。やすやすとそう言ったのである。」

 康子は『仮面の告白』の園子をはるかに超えて、正真正銘の悪女となったのだ。
 
 鏑木夫人の場合は、さて、彼女は不幸になったのか。それとも幸福になったのか。あるときは単独に、あるときは夫と組んで背徳をかさねた彼女は悠一に殉愛を捧げる。同性愛の夫と悠一の現場を見てしまってもその愛は変ることがない。悠一も失踪した彼女からの手紙に感動して「僕はあの人を愛している。・・・僕が女を愛しているんだ!」と思う。だがその愛は、少なくともこの世のものとしては、成就することはない。ラスト近く二人は連れ立って伊勢、志摩の海に浮かぶ賢島に旅行する。そこでプラトニックな一夜を明かすことで鏑木夫人は悠一への愛を永遠のものとしたのである。まるでエーゲ海のほとりで語られる神話のように。

 悠一と三人の女たちとの関係は、美と愛をキーワードに語られる。それは、虚実皮膜論の皮のような危うさを含んでいる。絶対にありえないリアルさ、とでもいったらいいのだろうか。それに比べて、悠一と男たちとの関わりはリアルそのものである。そのキーワードは「金」と「権力」である。檜俊輔は悠一を愛して、彼に莫大な遺産を残して自殺する。鏑木伯爵は夫人に去られて生活の糧を失い、悠一に捨てられる。産業資本家であり有能な経営者の河田は悠一への愛に溺れそうになる自分を守るために多額の手切れ金を悠一に渡して別れる。悠一自身は、これら年上の男たちを愛することはない。彼が愛するのは、彼と同じように若くて美しい男である。そしてその愛はすべて一回的な愛である。

 檜俊輔の女たちへの復讐譚として始まったこの小説は、途中から俊輔の「作品」としてつくられた美青年南悠一の物語となる。アポロンの塑像から血の通った野心的な青年へと悠一は成長していく。その過程が観念的でありながらも精緻な心理分析とともに語られるのだが、これが敗戦からそんなに月日を隔てていない昭和二十六年に書かれた小説であることに驚いてしまう。朝鮮動乱を経て、ようやく庶民が食べ物に困らなくなったこの時代に、鏑木夫人は悠一に「プラム入りの温かいプディング」をつくって食べさせるのである。不夜城と化すナイトクラブ、同性愛の外人のたむろする大磯の「ジャッキー」の家などの描写は、日本の上流階級は敗戦の打撃など受けなかったのだろうか、と思ってしまうほど豪奢である。三島由紀夫は庶民と隔絶した別世界の出来事をほとんど痛みなく書いていく。いったい三島由紀夫とは何者だったのか。何のためにこの小説を書いたのか。

 この小説は、作中人物のそれぞれにモデルがいて、当時の読者にはそれを特定することが容易だったのではないだろうか。鏑木伯爵や河田、あるいは一場面だけ登場する製薬会社社長の松村など、それぞれに経歴や地位が書かれているので、大体のところは察しがついてしまう。不思議、というか複雑なのは檜俊輔で、そのモデルは誰でも思い浮かぶ文豪だろうが、私見ではそれは一人ではない。いや、モデルは何人いてもいいし、そのうちの一人は三島由紀夫自身かもしれないのだが、問題は作品中とはいえ、俊輔を自殺させてしまっていることである。小説が書かれて二十年近く経って、最初に三島が死に、それから文豪が不可解な死を遂げたことをいま現在の私たちは知っている。メビウスの輪のように、現在と過去と未来がよじれて繋がっていて、時間がゆがんでいるような感覚にはまってしまう。

 いったい三島由起夫とは何者だったのか。

 まだまだ書かなくてはならないことがあるのですが(この作品以降繰り返される「覗き見」と「火事」のモチーフについてなど)、長くなるのでまた次の機会にしたいと思います。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2016年3月28日月曜日

映画『恋人たち』___「映画」という文法

 去年の暮れにカメラマンをしている息子から薦められて、はやく見ようと思っていた『恋人たち』という映画をやっと見ることができた。もう都心の映画館では上映しているところがなく、やっていたのは「深谷シネマ」というNPO法人が運営している地方の、映画館というより民俗資料館みたいな外観のこじんまりした施設だった。観客はどれくらいいただろうか。でも、すばらしい映画だった。そして複雑な映画だと思った。いまでも消化不良の部分がいくつもある。

 あらすじはもう紹介するまでもないだろう。妻が連続通り魔殺人の被害者として殺され、やり場のない怒りにとらわれて、そこから脱け出すことのできない若い男(アツシ)、狭い借家で姑と同居しながら一人になると少女趣味のアニメと小説を書いている皇室オタクの中年女(瞳子)、同性愛だがエリート弁護士を絵にかいたような四ノ宮、この三人を中心にそれぞれの日常が丁寧に、優しく、どこか渇いたタッチで描かれる。

 大きな事件は起こらないのだが、ちょっとした事件はいくつか起こる。瞳子は偶然の出会いから実はチンケな詐欺師だった男に白馬の王子様を夢みて家出する。四ノ宮は何ものかに階段から突き落とされ右足を負傷する。それだけでなく、生活をともにしていたパートナーに去られ、ひそかに思いを寄せていた親友にも何故か関係を断たれる。物語が始まる前にすでに決定的な事件が起こってしまったアツシは、生活破綻の一歩手前の状況だ。

 三人の日常に起こる出来事は、かならずしも因果関係があきらかではないけれど、それぞれそれなりの結末を迎える。どうしても自分の殻を敗れなかったアツシは職場の前の埠頭で行われた夜のバーベキューで笑顔を見せ、彼を支えてくれた片腕の上司が焼いた魚を食べる。男と一緒に養鶏場をやろうと家出した瞳子は夢破れてもとの日常に戻るが、家の中の空気は微妙に変わっている。

 この二人にはささやかな救いが用意されているが、最も救いがないように見えるのが弁護士の四ノ宮だ。右足の傷は癒えてギブスは外されるが、愛する者に去られて彼の心は傷ついたままだ。人格が崩壊しつつある彼は、依頼人にきちんと向かい合うことができない。妻を殺した犯人に対して民事裁判を起してくれと頼むアツシの必至の訴えにも、これ以上やると四ノ宮自身が傷つくからやめよう、と取り合わない。離婚しようと思っていた夫への愛を涙を流して訴える女子アナのことばをうわの空で聞いていて、自分の思いにひたっている。そして、絶交を告げた親友がくれた万年筆が転がるのを見て涙を流すのだが、それを依頼人から「うれしい!先生、私のために泣いてくれたんですね」と誤解される。誤解されることが救いになるとは何という皮肉だろう。そうやって、それでも日常が流れていく、ということか。

 ごく普通の、弁護士の四ノ宮以外は、あまり豊かとはいえない人々の日常を丁寧にすくい取って映像は流れるが、ときに?と思われるシーンが挿入される。皇室オタクの瞳子がパート仲間と「雅子さん」を見に行ったときの様子をビデオで撮ったと思われる映像がでてくるが、これを撮ったのは誰だろう。ふだんの瞳子はいつも素顔だが「雅子さん」を見に行ったときの彼女は(パート仲間もそうだが)毒々しいまでの口紅をつけてカメラに手を振っている。この映像が何回か繰り返し出てくるのだ。

 最後に日常に戻った瞳子がテレビのスイッチを入れると、彼女にインチキな水を売りつけた女が皇族の名を騙って結婚式を挙げた事件が報道されている。アツシの上司は、皇居にロケットを飛ばそうとして自分の腕を飛ばした話をする。アツシに「笑っちゃうよね」と語りかける彼の笑顔の底の一瞬の陰惨な表情が凄いが、「俺サヨクだったから」という自己紹介は年齢的に見てどうしても無理があると思われるので、なぜそんな作り話?をしたのかわからない。ちくりと喉にささったトゲがいつまでも取れないような感触が残るのだ。

 他にも取れないトゲはいくつかあって、それぞれ結構重要なトゲだと思うのだが、それはあまり言葉にしたくないような気がする。最後に、この映画で一番印象的だったシーンについてひとこと。それは瞳子が家を出る前にお風呂場を洗うシーンである。瞳子は、ステンレスのどう見ても高級とはいえない浴槽をしっかりと泡立て洗っている。もう出て行く家なのに。幸せな暮らしをしていたとはいえない家なのに。それでも彼女はきれいにして家を出たいのだ。なんとも切なくて、この監督はどうして女の気持ちがこんなにわかるのかと思った。女の私が言葉をみつけられないのに。

 複雑で消化不良で、どうしても言葉で伝えきれないもの、それが日常であれば、そんな日常をそのまますくい取ろうとするところに映画の文法がある、そんなことをこの映画を観て思った。私が非力でうまくこの映画のすばらしさを伝えきれないのが残念です。

 大江健三郎の『晩年様式集』について書きたいのですが、どうしても集中できずグズグズしています。寄り道ばかりしているとあっという間に今年も終わってしまいそうなので、なんとか書く時間を見つけたいと思っています。今日も出来のわるい感想文を最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2016年2月28日日曜日

橋本治『三島由紀夫とはなにものだったのか』___「父」と「天皇」そして「女」を語らない自分史

 のっけから随分辛口のタイトルとなったが、この評論はおもしろかった。ひとつには、著者の橋本治が私とほぼ同世代で、ともに学生運動の嵐が吹き荒れる中で青春時代(歌の題名みたいであまり使いたくない言葉だが)を過ごしたからである。

 橋本治は当時現役バリバリの東大生で、のみならず「とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている 男東大どこへ行く」というポスターの作者としても知られている。だが、しかし、彼は、このポスターの文句から当然うかがわれるように、全共闘の活動家ではなかった。そして、私は、というと、すでにブログの中で何回か述べたが、「ホー・チミンってフランスの女優さん?」と訊ねたように、政治といわず世の中の状況にまったく無知だった。何をしていたか?生涯あの四年間だけは二度と繰り返したくないし思い出したくもない会社勤めと、そして、ほとんど確実におとづれるであろう破局の予感のなかで恋をしていたのである。「三島由紀夫」は私にとって何の関係もない存在だった。いま、あれから四十年が過ぎて、「三島由紀夫」がそこにいて、「橋本治」と私が向きあっていることにつくづく人生の不思議を感じる。

 橋本治は三島の作品を精緻に分析して三島を語る。当たり前のようだが、そうではない。作品をそっちのけにして語られることがおかしくないほど、「三島由紀夫」は特異な存在だった。とりわけその唐突で不可解な死を遂げた後はそうである。だが、私は三島の死から演繹して彼の作品を語るべきではないと思う。『豊饒の海』のラストと三島の死を結びつけて論じるのはルール違反だ。この点で、私は橋本治の論の立て方に納得できないものがあるのだが、彼の同性愛を主軸にすえた作品論はすぐれたものだと思う。同性愛というものに関心の薄い私は、この評論を読んで「そうなのか~」と教えられることが多かった。でも、よくわかっていないと言わざるを得ないのだけれど。

 実は、この本の中で一番おもしろかったのは、最後の最後に「補遺」として書かれた「恋すべき処女__六世中村歌右衛門」の章だった。ここには三島由紀夫の「最愛の女優」といわれた六世中村歌右衛門と、三島由紀夫、そしてそれを論じる橋本治のすべてが炙り出されている。いろいろすごい言葉が並んでいるが、私が最も興味深かったのは「彼(歌右衛門)は、自分が演じようとする「女」が信じられないのである」という一文である。もちろん、こう言っているのは橋本治である。「六世中村歌右衛門」を論じて、論の対象との距離が近すぎる三島より、橋本治のほうが核心をついたものがあるように思われる。

 本論の中で取り上げられる作品は主に『仮面の告白』と『豊饒の海』、『禁色』、『午後の曳航』などである。先に述べたように、橋本治は三島の内部に入り込んで、三島の同性愛を中心に作品分析を組み立てる。それは、そのように読むことはもちろん可能で、おもしろいのだが、読んでいくうちに何だか「おもしろうて やがてかなしき」という気分になってきてしまう。その原因は、ことばにできるものとしては、この評論があまりに自己完結的だからだと思う。橋本治が自己完結的、三島由紀夫が自己完結的・・・・・三島由紀夫が自己完結的な作家であったことは疑いないことだったから、それを語る橋本治は自己完結的に語ったのか?いや、そうではなくて、橋本治は三島由紀夫のなかに、自分自身と同じ「自己完結的」という共通の資質をみいだし、なかば無意識のうちにそれを頼りに三島の文学の鉱脈をまさぐろうとしたのではないか。

 しかし、橋本治が三島の鉱脈から掘り出してきたものよりもっと豊かでエネルギッシュな、自己完結をつきやぶろうとするデーモンが三島にはある。三島の文学で重要なテーマでありながら、橋本治が触れなかったもの、それは「父」であり「天皇」であり、そして「女」である。

 橋本治は三島と「男」の関係については詳細に論じる。執拗に、といってもよい。だが、三島と「父」については全く触れないのである。『午後の曳航』は、「父」となった母親の愛人を主人公の少年が殺す小説であるが、橋本治はその中でこういう文章を引用している。

《ところでこの塚崎龍二といふ男は、僕たちみんなにとっては大した存在じゃなかったが、三號にとっては、一かどの存在だった。少なくとも彼は三號の目に、僕がつねづね言ふ世界の内的關聯の光輝ある證據を見せた、という功績がある。だけど、そのあとで彼は三號を手ひどく裏切った。地上で一番わるいもの、つまり父親になった。これはいけない。はじめから何の役にも立たなかったのよりもずっと惡い。》

 何故「父親になる」ことが即「地上で一番わるいもの」になることなのか。塚崎龍二という男は「小柄だが、逞しく迫りだした胸毛の生えた胸板を持ち、女に向かって雄々しく男根をそそり立てる男」だから殺されたのではない。「父」と呼ばれる存在になったから殺されたのである。

 もうひとつ『禁色』の隠されたテーマも「父殺し」であると思う。『禁色』についてはもっと読み込んで作品論を書いてみたいので、くわしくは述べないが、実に魅力的な教養小説、もっとわかりやすくいえば成長小説である。主人公の美青年南悠一は「父」に擬せられたメフィストフェレス檜俊輔という老作家を自殺というかたちで死に追いやり、のりこえて行く。莫大な遺産も手にする。

 橋本治は「父」を語らないので、当然「天皇」を語らない。『英霊の声』はもちろん、『憂国』も取り上げない。『憂国』は昭和三五年雑誌『中央公論」に深沢七郎の「風流夢譚」が掲載されることを知って、性急に執筆されたともいわれている。ここで詳しく述べる余裕はないが『金閣寺』もまた、「父」と「天皇制」が隠されたテーマであると私は考えている。

 そして最後に、橋本治は「女」を語らないのである。作家三島由紀夫の「祖母」を語り、「母」を語る。作品中の「母なる存在」についても語っている。「女方」については前述のように優れた考察がある。だが、「女」は不在なのだ。三島由紀夫に「女」は不在だったか。とんでもない。以前「面白すぎる純文学___三島由紀夫『仮面の告白』』というブログでも書いたように、三島の小説は魅力的な女_悪女に満ち満ちている。『仮面の告白』の園子、『禁色』の康子、『豊饒の海』の聡子、どれもすばらしい悪女たちではないか。

 私が一番驚いたのは、橋本治が『仮面の告白』の園子を「日本文学史上最も魅力のないヒロインである。」といってのけたことである。橋本治はよほど園子が嫌いらしく、「性的な抑圧が強くて偽善的__典型的な中産階級の娘である。なんの魅力もない」とダメを押す。ほう~!小説とは読み手によってこんなにもちがう捉えられ方をするのか。私は女で、そしてミーハー偏差値抜群なので、自分が園子になりかわったような気持ちでこの小説を読んだ。園子のようなことがあったらどんなにすてきだろう、と胸をドキドキさせながら読んだ。そう、橋本治のいうように、女は恋愛小説が好きで、私は女だから、この小説を、とくに園子が初々しい人妻となって「私」と再会してからラストまでをすばらしい恋愛小説として読んだのである。

 だから、最後に園子が「私」に「女を知ったか」ということをたずねたときの「私」とのやり取りについて、私は橋本治と決定的に異なった解釈をする。長くなるが、重要な場面なので、橋本治が引用するより少し前からぬきだしてみたい。

 とはいえこの場の空気が、しらずしらずのうちに園子の心にも或る種の化学変化を起させたとみえて、やがてそのつつましい口もとには、何か言い出そうとすることを予め微笑で試していると謂った風の、いわば微笑の兆しのようなものが漂った。
「おかしなことをうかがうけれど、あなたはもうでしょう。もう勿論あのことはご存知の方(ほう)でしょう」
 私は力尽きていた。しかもなお心の発条のようなものが残っていて、それが間髪を容れず、尤もらしい答えを私に言わせた。
「うん、・・・・・・知っていますね。残念ながら」
「いつごろ」
「去年の春」
「どなたと?」
 ___この優雅な質問に私は愕かされた。彼女は自分が知っている女としか、私を結びつけて考えることを知らないのである。
「名前はいえない」
「どなた?」
「きかないで」
 あまり露骨な哀訴の調子が言外にきかれたものか、彼女は一瞬おどろいたように黙った。顔から血の気がひいていくのを気取られぬように、あらん限りの努力を私は払っていた。

 橋本治はこのやり取りで、園子の追及を字義通りにとらえている。自分よりいい女が「私」の前にあらわれ、「私」はその女と交渉をもった。その女が誰か知りたくて園子は執拗に追求している、というのが橋本治の解釈である。そうではないだろう。園子はまっすぐにきいているだけだ。そして「私」の嘘を女の直感でみぬいているが、なんの衒いもなく思ったことを言葉にしているだけなのだ。いうまでもなく、それは彼女がすでに「女」でなおかつ自然で伸びやかな「女」だったからだ。もっといえば、その「女」を満たそうとしない「私」に焦れているからだ。

 何だかこれ以上書いていくと、ミーハー度満開の「女を語る自分史」になってしまいそうである。評論とは「他人をダシにして自分を語ること」だといった人がいたが、まさにそうなのかもしれない。著者には不本意かもしれないが、私はこの本を橋本治の自分史として興味深く読んだ。ここに語られている複雑な、そして自己撞着的な議論をじゅうぶん理解できたとはとても思えないが、そういう筋道もあるのだ、という発見をした。何より、もう一度三島を読みたい、と思うきっかけがあたえられたことに感謝している。

 ほんとうは大江健三郎の『晩年様式集』について書かなければ、と思っているのですが、もうひとつ集中できず、三島論に寄り道してしまいました。不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

   

2016年1月9日土曜日

大江健三郎『水死』___「をちかへり」考___「ウナイコという戦略」拾遺

 『水死』について、これ以上書くこともない、というか書けることもないのだが、一つだけ前回「ウナイコという戦略」で書き残したことを書いてみたい。『水死』のヒロイン、反・時代精神の女優ウナイコ「ウナイコ」が「ウナイコ」と呼ばれるようになったくだりで引用される古歌の解釈の問題である。

 郭公(ほととぎす)をちかへり鳴けうなゐこが打ち垂れ髪のさみだれの空   

 平安初期の三十六歌仙と呼ばれる凡河内躬恒の作。躬恒は古今集の撰者であるが、これは拾遺集に採られている。ホトトギスは、「時鳥」と書いて田植えの時を告げる鳥といわれる。梅雨の季節の到来に、今こそ鳴いて田の事を始めさせよ、の意だが、現代の語感では「をちかへり」がなかなか難解である。

 折口信夫は「若水の話」という論文の中で「をつ」について述べている。「をつ」は沖縄の言葉「すでる」と同意義であって、「すでる」が動物の変態をいう言葉だとする。蝶や鳥、蛇など胎生でない動物がいったん死んだようになって、姿を変えて活動を始める、その様子が「すでる」_「をつ」だという。古代の人はそこに「死と再生」をみた。「をつ」に「変若」という漢字をあてている論文もあったと思う。

 とすれば「郭公(ほととぎす)をちかへり鳴け」は死した郭公(ほととぎす)に生き返って鳴け、と呼ばわっているのではないか。もともと「ほととぎす」には中国の故事成語から「社宇」「蜀魂」「不如帰」などの漢字があてられることが多い。そこには田事と同時に死と再生、あるいは死者への招魂のイメージがつきまとう。大江健三郎は、その「ほととぎす」に「郭公_かっこう」の漢字を振って、「吾子、吾子」の鳴き声を連想させる。そこから「うなゐこが打ち垂れ髪の」につながっていくのだろうが、この「うなゐこが打ち垂れ髪の」がまた厄介なのだ。

「うなゐこ」が少女をいうことは確かだろうが、「うなゐ」とはどんな髪型だろう。髪をうなゐ_首すじのあたりで切ったものか、それとも首の後ろで結んだのか。大江は『水死』の作中では、首の後ろで結んだものとして書いているが、そうすると、「うなゐこが打ち垂れ髪の」がよくわからない。おそらくこの古歌では、切り下げ髪の少女をいっているのだろう。いずれにしろ「うなゐこが打ち垂れ髪の」は「さみだれの空」に懸かる序詞で意味は問わない、といえばそれまでだが、「ほととぎすをちかへり鳴け」が「うなゐこが打ち垂れ髪の」と呼応すると、死と再生、夭折した少女、のイメージが立ち昇るのだ。

 そうして、もうひとつ事を複雑にするのが、「うない」という言葉に、厳密にいえば表記は異なるが、「うなひおとめ_兎原乙女」を連想してしまうことである。「兎原乙女」は「真間の手児奈」と同じく各地にある処女塚伝説のヒロインである。美しい娘が二人の男に求愛され、どちらにも身をまかすことなく死んでしまう。処女塚伝説の系譜は大和物語から世阿弥の謡曲をへて、森鴎外の戯曲『生田川』まで続く。ここでも、「うなひおとめ」は夭折した_成女とならないで死んだ人間のイメージ、というより死者そのものなのである。

 「郭公(ほととぎす)をちかへり鳴け・・・・」の歌は複雑、重層的なイメージを喚起する。古義人の母が、孫の髪型に目をとめ、それからこの古歌に言及した、とする大江の記述は奥が深い。

 横道にそれるが、いままで私は大江の日本文学の古典に対する態度にうなづけないものがあった。和泉式部を「足の指が奇形でそのために特殊な足袋を履いていた」という伝承の主として紹介している記述を読んで、怒髪天を突いたことがあった。和泉式部こそは、平安朝といわず日本文学史上の最高の歌人、といってもよい、と私は評価している。高校時代に教科書に載っていた
        性空上人のもとへ、詠みて遣わしける
 暗きより暗き道にぞ入りぬべき はるかに照らせ山の端の月
という歌に出会ったときの衝撃はい今も忘れられない。和泉式部奇形伝説はどこの地方に存在するのか、大江に問い糾したい気持ちであった。

 「うなゐ」も「うなひ」も現代語表記では「うない_ウナイ」となるのも大江の戦略だったのだろうか。それともたんに私が深読みをしているだけなのだろうか。ともあれ、私自身が一度古典のおさらいをしてみたかったこともあって、「をちかへり」と「うない」について考えてみた。

 折口を読んで半世紀近く経つのに、昔と同じく悪戦苦闘しています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 

2015年12月21日月曜日

大江健三郎『水死』__コギーという記号とあらゆる手続きの演劇化

 大江健三郎の小説を読んで分かった、と思ったことは一度もない。分かった、と思うときがきたら、そのとき私は大江の読者でなくなるだろう。『水死』も分からない小説で、いろいろな分からなさがあるが、まずは「コギー」なる名称と存在が分からない。

 物語の始めに、古義人が賞をもらったときの記念碑に刻まれた詩(?)を紹介している。
 
 コギーを森に上らせる支度もせず
 川流れのように帰って来ない。
 雨のふらない季節の東京で、
 老年から 幼年時まで
 逆さまに 思い出している。

 最初の二行は古義人の母が作った俳句だという。まず、これからして不思議である。一九三五年生まれの古義人の母(当然母は古義人より少なくとも二十歳は年上)が息子を「コギー」と呼ぶだろうか。しかも、「コギー」は古義人のことであるが、また古義人の息子アカリのことだともいう。この後、妹のアサにも「コギー兄さん」と呼ばせているので、「コギー=古義人」を強調したかったのだろう。だが、アサはいつも古義人を「コギー兄さん」と呼ぶわけではない。

 次に「コギー」を議論の対象としたのは、劇団「ザ・ケイヴ・マン(穴居人)」のリーダーで「長江の穴に住む人」との異名のある穴井マサオである。穴井は「コギー」を「長江さんの全小説を縦断的に脚色して、と考えている主題なんです」という。「穴井マサオ」とは、「コギー」を『水死』という小説のテーマにするために作者大江によって作品中に呼び出されたキャラクターのように思われる。「コギー』とは、穴井によれば、長江の作品中「幾つかの、別々の対象にあたえられている名前」である。それは、子供の時一緒に暮していた自分と瓜二つの子供であり、アグイーという名の死んだ赤ん坊であり、『懐かしい年への手紙』のラストに登場する幼く無垢なアカリである。

 長江が、長江だけがその実在を主張する「コギー」を「ぬいぐるみ」にして可視化し、「水死小説」に登場させようという穴井の計画は「水死小説」の破綻によって立ち消えになってしまった。「コギー」の代わりにぬいぐるみとして劇中に登場するのは、ウナイコの発案した「死んだ犬」(!)だが、これについてはまた後で検討したい。「コギー」は物語の後半、再び作品中に呼び出される。古義人の前に再び現れた穴井マサオは、古義人から去った「コギー」を取り戻す最後のチャンスが洪水下の父の出航だったという。現実には古義人は入り江に戻り、父について行くコギーを見送って、チャンスを逃してしまったのだが、彼は、古義人が「水死小説」を書くことで最後の逆転をはかると期待したのだ。

 ともにある人、癒す人、イノセントそのもの、としての「コギー」がついえて、最後に復活するのは「尸童(しどう)」、しかばねの童のモデルとして、である。谷間の森の円形劇場で「死んだ犬を投げる」公演を成功させたウナイコは東京の大劇場に出演する。そこで彼女は平家物語の建礼門院に取り憑く物の怪の「よりまし」_霊媒を演じる。ウナイコからその「よりまし」の話を聞いた古義人は「よりまし」に「尸童(しどう)」を見るが、ウナイコは「尸童(しどう)」のモデルが「コギー」だという。「コギー」はしかばねの童で、霊媒だったのか!______「水死小説」の、というより『水死』の結論はここにくるのか?

 「コギー」という「長江さんの全作品をつらぬく記号」(穴井マサオの言葉)が何を意味するのか、性急な結論はしばらく置くとして、もうひとつわからないことについて考えてみたい。それは、この作品の中で「演劇」の果たす役割は何か、ということである。ウナイコは漱石の『こころ』を題材に、観客を巻き込んだ討論劇の方法を取り入れ、討論の相手方にぬいぐるみの犬_「死んだ犬」と呼ばれる_を投げつけるという過激なパフォーマンスで喝采を浴びる。___だが、ほんとうにそんなことが、とくに中学、高校の「演劇授業」として許容されるのか?「死んだ犬を投げる」というパフォーマンスのヒントは、物語の冒頭、古義人がウナイコの質問に答えるかたちで、ラブレーの「パンタグリュエル」の説明をする中にあるのだろうが、「パンタグリュエル」ほどグロテスクかつ残酷でないにしても、どう考えても教育的でない。どころか許されない行為だろう。

 ところが、「死んだ犬を投げる」劇で成功したウナイコは、みずから企画した『メイスケ母出陣と受難』ではさらに過激な演出をする。前回のブログでも書いたが、『メイスケ母出陣』は国際的映画女優のサクラさんが直接古義人の母に取材して制作、主演した映画である。地域の一揆を指導した少年「メイスケさん」と「メイスケさんの生まれ替わり」を生んだ「メイスケ母」の伝承を映画化したもので、シナリオを古義人が書いた。今回はその演劇版だが、映画の最後で、サクラさんの「アー、アー」という声で暗示される強姦シーンを実際に舞台上で演じる、という。しかも、強姦されるのは、劇中のメイスケ母だけでなく、メイスケ母の衣裳を脱ぎ捨てたウナイコ自身である、という設定になっている。

 当然、このことは地域に波紋をまき起す。のみならず、かつてウナイコを強姦した元文部省の高級官僚小河を谷間の森に呼び寄せることになる。ウナイコ自身が舞台上で十七年前の強姦の場面をそのまま演じ、その相手もあきらかにされるからである。ウナイコは小河自身を舞台に引き出すことを考えていたが、出てこなければ、代役を相手に「死んだ犬を投げる」芝居をするつもりだった。小河を呼び寄せるのには、古義人も一役買っていた。ウナイコが強姦された際の血と体液のついた下着、堕胎させられた処理後の品物を、劇団「ザ・ケイヴ・マン(穴居人)」のスケ&カクが舞台上でふりかざすというコントのシナリオを書いたのは、いうまでもなく古義人だからである。

 谷間の森に呼び寄せられた元文部省の高級官僚小河は、配下の者にウナイコとアカリ、ウナイコの片腕でもある親友のリッチャンを拉致させ、大黄さんの錬成道場に軟禁する。アカリとリッチャンを人質にとって、古義人に立ち合わせ、ウナイコに上演を断念させようとしたのだ。だが、強姦ではなかった、と主張する小河は、本当にそうでなかったかどうか、十八年前の再現をしてみようというウナイコの挑発にのってしまう。ウナイコは「尸童(しどう)」_「よりまし」と化して、小河に致命的な一撃をあたえたのだ。情動にかられ再びウナイコを犯した小河は、リッチャンから報告を受けた大黄さんに銃弾二発で倒される。古義人はアサの処方した睡眠薬で深い眠りを眠り、目覚めたとき、すべては終わっていた。

 「記号」というもの、「演劇」と小説、あるいは現実との関係、について、私のなかで見えてくるものは、まだ、ほとんどない。いま、世界中でおこる出来事は瞬時に報道され、可視化される。そこでは固有名詞は記号ではないのか、出来事は地球という舞台で上演される演劇ではないのか、という妄想にかられることがある。唐突なようだが、大江健三郎は何のために小説を書くのか。「すでにあったこと」を書くのか。「これから起こること」を書くのか。『さようなら、私の本よ!』の最後で長江古義人は「徴候」を集めて残すのだ、と言っていたが。

 徹底的に能力不足、体力も不足していたのか、なんとも舌足らずな文章のままでした。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。