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伊丹十三
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2025年9月30日火曜日
大江健三郎『日常生活の冒険』_斎木犀吉からギー兄さんへ___『懐かしい年への手紙』の再読解にむけて
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『日常生活の冒険』について、前回よりもう少しまとまったことを書こうと思って、なかなか果たせないままの日が続いている。ひとつには身辺雑事あいついで、物理的に時間がとれないこともあるが、いつまでたっても、どこから書き始めるか、定まらないのだ。なぜか、と原因を探ってみると、たぶん、こ...
2025年6月24日火曜日
大江健三郎『日常生活の冒険』___早すぎたレクレイムとゴッホとハタンキョウ
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『晩年様式集』を読み直す過程で『日常生活の冒険』にふれなければいけないといいつつ、何をどう書くかまとまらないでいる。書くべきことはたくさんあるが、軸が定まらない。主人公のモデルがあまりにもあからさまなので、現実とフィクションの齟齬に関心がむかいがちで、作品の主題を見失いそうに...
2018年1月1日月曜日
大江健三郎『晩年様式集』__私らは生き直すことができるか
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非常に粗雑なたどり方ながら『晩年様式集』まで来てしまうと、ある種の到達感、というより虚脱感を覚えてしまって、何も書けないでいる。書くことはあって、むしろ、書かなければならないことは確実にあるのだが、作品論のかたちをとれないのだ。ひとえに私が怠惰なためである。この場を借りて、書か...
2017年10月13日金曜日
大江健三郎『晩年様式集』__終活ノートの告白__塙吾良の「ありえない」死と伊丹十三
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前回の「ウソの山のアリジゴクの穴から」で次回は塙吾良の死について書く、と言っておきながらどうしても書けないでいる。ひとつには、塙吾良のモデルである伊丹十三の事件が、小説の外側の現実から投げかける影があまりにも大きく深刻だからである。そしてもうひとつ、小説のなかで説明される事件...
2016年12月30日金曜日
大江健三郎『晩年様式集』___『懐かしい年への手紙』を読み直す___ギー兄さん、塙吾良、伊丹十三
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少し体調を崩していたこともあって、『晩年様式集』についていつまでも書けないでいる。ひとつには、これが大江健三郎の「最新」の作品なので、それについて書くことが私の大江健三郎論の総括、のようになってしまうことを怖れる意識がはたらくのかもしれない。 『晩年様式集』というタイトル...
2016年6月23日木曜日
映画『静かな生活』伊丹十三と大江健三郎____『晩年様式集』読解の助走として
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『晩年様式集』についていつまでも考えている。 『日常生活の冒険』の斎木犀吉、『懐かしい年への手紙』のギー兄さん、そして『取り換え子』から『晩年様式集』にいたるまでの塙吾郎、それらのモデルはあからさまに伊丹十三である。『晩年様式集』では、その三者をもう一度作品中に呼び戻し...
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