2025年6月24日火曜日

大江健三郎『日常生活の冒険』___早すぎたレクレイムとゴッホとハタンキョウ

  『晩年様式集』を読み直す過程で『日常生活の冒険』にふれなければいけないといいつつ、何をどう書くかまとまらないでいる。書くべきことはたくさんあるが、軸が定まらない。主人公のモデルがあまりにもあからさまなので、現実とフィクションの齟齬に関心がむかいがちで、作品の主題を見失いそうになってしまう。主人公斎木犀吉のモデルである伊丹十三は1997年12月20日に64歳で死んでいる。だが1964年に書かれた『日常生活の冒険』は主人公斎木犀吉が25歳で自殺するところから始まるのである。

 伊丹十三がビルの屋上から「墜落死」してほぼ二年半後の2000年にに出版された『取り換え子』に先立つこと三十六年前に『日常生活の冒険』は出版されている。冒頭

 「あなたは、時には喧嘩もしたとはいえ結局、永いあいだ心にかけてきたかけがえのない友人が、火星の一共和国かとも思えるほど遠い、見知らぬ場所で、確たる理由もない不意の自殺をしたという手紙をうけとったときの辛さを空想してみたことがおありですか?」

こういう言葉で大江健三郎は、当時働き盛りで活躍中だった伊丹十三の死を悼んでいる。この小説は現実の伊丹の死の33年前に書かれたレクレイムである。なぜこんな奇妙な作品が書かれなければならなかったのか。

 『日常生活の冒険』が出版された1964年、大江健三郎は『個人的な体験』という作品も出版している。今日では、あるいは当時でもこちらの方が評価が高いようである。大江自身はこの小説を「技法、人物のとらえ方など、小説の基本レヴェルを満たしていない」として、『日常生活の冒険』を自身の選集に入れていない。 

 だが、、「鳥(バード)」と呼ばれる語り手の「個人的な体験」__はじめての子が障碍をもって生まれ、紆余曲折ありながら、その事実をうけいれ、「親」として生きる決意を表明するにいたるまでの過程を描いた作品とくらべて、『日常生活の冒険』が上記の「小説の基本レヴェル」において劣っているとは、少なくとも私は思えない。

 『日常生活の冒険』は、個性的な登場人物が波乱万丈のストーリーの展開とともに描かれ、みずみずしい感性が描写のすみずみにみなぎっている。あの時代の記念碑というべき魅力的な青春小説を読んだという思いがある。だが、小説の発表から数十年を経て選集の作品を選ぶとき、おそらく、モデルとなった人物、すなわち当時存命だった伊丹十三および作品に登場するその周囲の人物にたいする配慮から、目立つことはできるだけ避けたかったというのが作者大江の本意だったのだと思う。

 先に引用した冒頭の文章に明らかなように、物語の出発点で主人公は死んでいる。サリンジャーの『ナインストーリーズ』の巻頭「バナナ魚には理想的な日」のシーモアがそうであるように。『ナインストーリーズ』は、シーモアの死から始まって、一見脈絡のない短編を紡ぎながら、最後に「テディ」でとじられ、じつはまた「バナナ魚には理想的な日」に戻るのである。『ナインストーリーズ』の時間はメビウスの輪のように閉じられ、循環し、直線ではない。

 一方、『日常生活の冒険』は、『ナインストーリーズ』のように閉じられた時間の中で継起した出来事を寓意という手段をもちいて語ろうとしたものではない。主人公の死という「喪失からの出発」は共通しているが、サリンジャーがアレゴリーという武器をもちいて「出来事」を記したかったのに対し、大江健三郎は「斎木犀吉」という「人間」を記憶し続けたかったのである。

  死者を死せりと思うなかれ
  生者あらん限り死者は生けり
  死者は生きん 死者は生きん

 この詩はゴッホが、彼の従妹の夫が亡くなった時に「モーヴの思い出のために」と書き込んで《花咲ける木》という絵を描き、絵ともに従妹に贈ったものである。その絵の複製が若い犀吉の「壁際に書物がつみ重ねられたほかはまったく何もない五畳ほどの素裸の部屋」の壁に画鋲でとめてあり、絵を見ている「ぼく」に犀吉自身がこの詩を朗誦して教えてくれたのだった。

 「生者あらん限り死者は生けり 死者は生きん 死者は生きん」

 「ぼく」は生きている限り「斎木犀吉」を記憶し続け、書き続けようとしたのだ。なぜなら、彼ほど死をおそれた人間はいなかったから。耐えきれぬ苦痛の果ての無残な死はもちろん恐怖だが、死によって存在の痕跡が完全に無になることはもっと救いがない。犀吉は五畳の部屋のゴッホのハタンキョウの絵の前で「ぼく」にこう言ったのだ。

 「おれにとっての生者はきみひとりだったのさ。きみのあらん限り、おれは生きん、おれは生きん、そのおれ風の進軍歌をうたって、おれは死の恐怖に対抗してきたんだよ。」

 斎木犀吉とは何だろう。ナセル義勇兵の集会で「頬にも顎にも一本のひげも生えていない」少年として「ぼく」と出会い、徹底したモラリスト_道徳家という意味ではない。すべて自分自身の内側から考察するという意味の_として颯爽と生き、そして最後に「おれはまったくなにひとつやりとげなかったなあ。おれはなにひとつやれなかったなあ。……………おれはいま恐ろしいんだよ、喉からしたいっぱいに不安と恐怖をつめこまれたみたいだ…」と「ぼく」に訴え、「おれはヨーロッパについたら、今度はすぐにアルルに行ってみるよ、おれは花の咲いたハタンキョウの木が見たいんだがもう季節をすぎたかね?」と言って「ぼく」と空港で別れた「斎木犀吉」とは。

 ところで、この「花咲ける木」の絵について、私のなかで少しとまどいがある。「モーヴの思い出のために」と書き込まれたこの絵は有名で、ネット上でもたくさんの複製の写真がみられるが、これは桃の木を描いたものなのだ。「ハタンキョウ」の花を描いたものは「アーモンドの木の枝」として検索される。こちらは弟テオに子どもが生まれたことを祝福して描いたもののようだ。桃もすももも「ハタンキョウ」と呼ばれることがあるようだから、あまりこだわる必要はないかもしれないが。それでも「桃_もも」と「ハタンキョウ」では語感も字面もかなりちがうので、作者大江は意図的に「ハタンキョウ」という硬質の語感をもつ言葉を選んだのだろう。

 桃の木を描いた絵もアーモンドの木の枝を描いたものも、どちらも非常に美しい絵だと思うが、死者を悼む前者が春のおとづれを告げるように満開の花をつけた木を描いて華やかな印象を受けるのにたいして、新しい命の誕生を祝福する後者は、青い背景に白っぽく見える(経年変化で褪色したのかもしれないが)花をつけた枝が縁取りで描かれ、何か澄明な趣である。こちらはゴッホの最晩年にプロヴァンスの精神病院で制作したもののようである。  

 犀吉の五畳の部屋に画鋲で止めてあったのは、まちがいなく(日本でいう)桃あるいはすももの花の絵だったと思われる。画面右側に黄色っぽい柵のようなものが描かれ、中央に満開の花をつけた大きな木が立っている。後方に小さく同じような木が列をなして続いているようなので、これは果樹園の桃の木なのだろう。そして、さらによく見ると、中央の木はじつは二本あるようだ。二本の木が寄り添うように立っていて、後ろの木が前の木の二股に分かれた間から枝を差し入れているように見える。

 『日常生活の冒険』は、ナセル義勇軍の集いでの「ぼく」と犀吉の出会いから空港での別れまで、さまざまなエピソードが綴られるが、ゴッホの絵に言及される場面はその中でもとりわけ印象的である。モラリスト犀吉はいつも論理の鎧でタフネスをよそおっているが、この「花咲ける木」を前にして脆いほど素直に真情を吐露する。「ぼく」はそれを受けて「センチメンタル」になってしまう。最後の空港の別れの場面など「ぼく」は犀吉への憐憫の情で涙ぐんでしまいそうになった、と書かれる。「モーヴの思い出のために」と書き込まれた絵の中の二本の木が、死者とそれに寄り添う生者の象徴だとしたら、それはまた犀吉と「ぼく」の象徴でもあると想像することは不可能だろうか。

 ゴッホが「モーヴの思い出のために」と書き込んで二本の桃の木を描いてモーヴを悼んだように、大江健三郎は『日常生活の冒険』という「斎木犀吉」へのレクレイムをうたったのだ。「頬にも顎にも一本の髭も生えていない」十八歳の少年が、憔悴して、「惨めな苦力のように」よろめいて「ぼく」の前から姿を消すまでの七年間は、決して実際の大江健三郎と伊丹十三の人生と重なり合うものではない。大江が大学在学中から作家として注目されていたのはほぼ実生活と重なるかもしれないが、伊丹十三もまた多才な人で、「なにひとつやりとげなかった」どころか、エッセイストであり、努力して外国語を習得し、すでに国際俳優として活躍していた。この小説に描かれる斎木犀吉は、伊丹十三に身をかりた、大江の歌う「青春挽歌」の主人公である。

 同年に出版され、この小説とまったく作風の異なる『個人的な体験』との関係についても書きたかったのですが、力及ばずでした。故意か偶然か、というよりたぶん意図的に『日常生活の冒険』の魅力的な少女妻「卑弥子」と『個人的な体験』の成熟したヒロイン「火見子」は同じ「ひみこ」で、どちらも愛するひとに裏切られます。斎木犀吉は卑弥子を裏切って、ある意味当然の報いを受ける結果となりますが、「鳥(バード)」は火見子を捨てて、「親」となって社会復帰します。障碍をもつ子との「共生」というテーマで『個人的な体験』の方が評価が高い風潮は、個人的には納得できない気がするのですが。

 今日もまとまりのない文章を読んでくださってありがとうございます。

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