2017年10月13日金曜日

大江健三郎『晩年様式集』__終活ノートの告白__塙吾良の「ありえない」死と伊丹十三

 前回の「ウソの山のアリジゴクの穴から」で次回は塙吾良の死について書く、と言っておきながらどうしても書けないでいる。ひとつには、塙吾良のモデルである伊丹十三の事件が、小説の外側の現実から投げかける影があまりにも大きく深刻だからである。そしてもうひとつ、小説のなかで説明される事件の経緯が、普通の感覚では容易に受け入れがたいことが、さらに大きな理由なのかもしれない。

 塙吾良の死の解明に関して作者は、彼の最後の恋人(と呼んでいいかどうか迷うのだが)シマ浦という女性をドイツから召喚する。ギー兄さんの死に関して彼の息子のギー・ジュニアをアメリカから召喚したように。かつて『取り換え子』のなかで十八歳の初々しい大柄な娘だったシマ浦は、いま「ルイズ・ブルックスのブローチの面影」と形容される成熟した女性となって長江古義人の前に現れたのだった。

 吾良とシマ浦はヨーロッパの各地で八年間にわたって逢曳を重ねた。『取り換え子』では吾良がドイツに滞在した一時期の交流だった、とされているが、この小説では、シマ浦が人妻となった後も、「宗教上の理由もあって」(これは何のことかわからない)「性器の侵入を許さない」情事を重ねる。最後の密会はジュネーヴだったという。

 大江健三郎はなぜか、「性器の侵入を許さない」行為というモチーフにこだわっているようで、『﨟たしアナベル・リー総毛立ちつ身まかりつ』の主人公の女優サクラさんと、彼女を保護し、後に夫となった米軍の情報将校との間でも同じ行為が繰り返されていたことが暗示されている。

 シマ浦が長江の家を訪れたのは、吾良との最後の逢曳のとき、吾良が描いたスケッチが人目にさらされることを危惧したからだった。千樫が「本当に良い絵」だというそのスケッチは、あお向けになって両肢を開いた裸婦が描かれていて、シマ浦がモデルだった。吾良はその両肢の間の「女性の身体の部分」を表現したいと言って、シマ浦をモデルに構想していた映画のカメラマンと決裂した、という。

 カメラマンとの決裂の夜、吾良は古義人のもとを訪れ、例のスケッチを見せる。そして「映像として示すことのできない一瞬の持続(なんだかT・Sエリオットの詩のようだが)の内容」を「皮膚のある部分の微妙な動きの描写でなく、それそのものが実体である言葉」として表現してほしい、と古義人に要求する。だが、古義人はその要求にこたえることはできなかった。それ以降吾良と古義人の関係は断たれたのだった。

 以上、塙吾良に関する記述は、シマ浦さんの回想と古義人の記録、千樫の証言などを織り交ぜながら続いたのだが、娘の真木に突然ノーを突きつけられる。「もう、時間がない」。こんなことを書いていていいのか、と。妹のアサからも、反原発集会の中野重治の文章の引用を例に出して、古義人はザツだ、と批判される。女たちから、このように、喫緊のことを、精確に書け、という要請を受けたという設定になっているが、おそらく長江古義人の、というより大江健三郎の内部の声の発するものだろう。

 小説の後半、妻の千樫、娘の真木、妹のアサ、そしてシマ浦を交えて、古義人に対するギー・ジュニアのインタヴューが行われる。ここで、塙吾良の死についてのあらたな事実が記録される。そのひとつは、少なくとも古義人は、吾良の死を自殺だと思っていない、ということである。これは「事故」である、と。妻の千樫も同じように考えている、というのである。『取り換え子』冒頭の録音テープに記録されたドシン(という音)は、若い頃から自殺をほのめかし続けた吾良と古義人との間の永年のゲームだった、という。「たまたま」ゲームと「事故」がシンクロしてしまった、と。死の直前の吾良の行動を、古義人はこのように説明するのである。

 強い酒を飲んで、ひとつの思いに取りつかれ、ビルの屋上から飛び降りる。・・・・・・・・・・・・・・・・・
 そこで、ふっとひとつの翳りが頭にさして、消えずにいる間に、プロダクション事務所の自室のドアを開けばエレベーターがあって、すぐが屋上でそこに鍵がかかっていなかったとすれば、二、三歩歩いて飛び降りる。思い詰めて、というのじゃなくそういうことをしうる人間にとって、これは「自殺」ではなくて「事故」だ、と僕は考えます。

 この論理を理解できるのは『晩年様式集』の登場人物以外にいないのではないか。にもかかわらず、作者は長江古義人にこう言わせなければならなかった。

 塙吾良の死についてのもうひとつのあらたな問題は、吾良の死亡日時についての解けない謎である。ギー・ジュニアのインタヴューの席で、千樫は古義人の母が吾良の死を悼んでこう言ったというのである。

 お兄さんが痛ましいことでした。・・・・・・・・・・
 コギーはあのように親しくしていただいておりながら、吾良さんが亡くなられるのをそのまま見殺しにしたのでしょう?コギーは恩知らずですから・・・・・・申し訳ないことです。

 吾良が死んだのは一九九七年の十二月二十日、古義人の母が亡くなったのは同じ年の十二月五日のことで、先に亡くなった古義人の母が吾良の死を悼むことはありえない。だが、千樫は自分の記憶にある古義人の母の言葉を思い違いとしたくない、と言うのだ。

 ちなみに『憂い顔の童子』では、古義人の母は病院の待合室で一年前のことを蒸し返した週刊誌を見て、吾良の死を知ったことになっている。つまり、先に亡くなったのは吾良で、古義人の母は吾良の死後、少なくとも一年は生きていたことになる。また、『憂い顔の童子』では、古義人に向かって母は「吾良さんが自害されたそうですな」と、はっきり「自害」と言っている。

 それに対して、この小説では、吾良の死は「痛ましい」と悔やまれているが、「自殺」という表現は使われていない。さらに、古義人の母は、コギーは吾良が亡くなるのを見殺しにした恩知らずだと言っているのだ。古義人の母の言葉は、吾良の死に古義人が無関係ではないことを含んでいる。それは具体的にどんなことを意味するのだろう。

 古義人自身は、千樫の言葉に続いて、「僕への批判としてであれ、そしてまだ吾良が生きていたのであれ、ギー兄さんと塙吾良を結んで思い出す母親の頭は、ボケていなかったと思うよ」と言っている。(下線は筆者)「ギー兄さんと塙吾良を結ぶ」とはどういうことか?古義人の母のなかで、ギー兄さんと塙吾良は同一の存在だったのか?

 ギー兄さんと塙吾良の親縁性は、ギー・ジュニアが最初に古義人の家を訪れたときに、古義人の息子アカリのブレザーを着て現れたエピソードに示されている。真木が、ギー・ジュニアとアカリがよく似ていることを、古義人に見せるつもりでそうさせたのだという。アカリは古義人の息子だが、吾良の甥であり、ブレザーは吾良がアカリに(意図的かどうかわからないが)残したものだった。「それを着ると、アカリに吾良の面影がある」「かれ(アカリ)のために仕立てたよう」とも書かれている。ブレザーをなかだちに、吾良、アカリ、ギー・ジュニアの親縁性が展開され、さらに「長江さんと僕の父は、骨格も身ぶりも似てた、兄弟のようだったとアサさんがいっています」というギー・ジュニアの言葉もある。

  塙吾良の死についての究明を試みるつもりが、いつまでたってもその糸口さえ明らかにできない。長江古義人が、吾良の死を無茶苦茶な論理で「自殺でなく事故」だと「いいはる」のはなぜか?さらに、もっと無茶苦茶なのが、まだ死んでいない吾良を悼む言葉を死の直前の古義人の母が述べたと千樫が「いいはって」いることである。謎を解くカギは「ギー兄さんと塙吾良を結んで」という古義人の言葉にあるのだろうが、これについて、作者はこれ以上何の解説もしない。「ウソの山のアリジゴクの穴から」二枚の紙を差し出したから、真実は読者がそこから炙り出せ、といわんばかりである。

 この作品以降いまに至るまで、大江健三郎はあらたな創作は発表していないようである。『晩年様式集』は「イン・レイト・スタイル」であって「イン・ラスト・スタイル」ではないのだから、また「ウソの山」にもう一枚のウソを積み重ねてほしい、と切望している。カタストロフィーは一回的なものではないのだから。生きることはつねにカタストロフィーなのではないか。

 読み直し、書き直し、生き直す、ということ、私らが生き直す、ということについて、まだたくさん書かなければならないことはあるのですが、今回はこれが私の能力の限界のようです。不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

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