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2021年11月7日日曜日
三島由紀夫『天人五衰』__愛と救済のfarewell__輪廻転生を断ち切る残酷な真実
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前回の投稿で『天人五衰』について、もう言うべきことは言いつくしてしまったような気がするのに、何故か次の作品に向かうことが出来ない日が続いている。とりとめもない日常に埋没して、枯渇しつつあるエロスの対象を作品に集中することを怠っている毎日である。一言でいえば、能力不足なのだが。 ...
2021年8月14日土曜日
三島由紀夫『天人五衰』__猫と鼠__安永透と三島由紀夫の運命
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『天人五衰』というウエルダン・ストーリーにからめとられて、相変わらず書けないままである。そうすると、いつもの妄想癖が頭をもちあげて、あれこれ支離滅裂な想念が頭の中をかけめぐり、安永透の運命は三島由紀夫のそれと一致する、あるいは一致する予定だったのではないか、という独断と偏見を...
2021年7月3日土曜日
三島由紀夫『天人五衰』__衝撃のラストの一考察__ある雪の日のエピソードの謎
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『天人五衰』をめぐって、いうべきことはたくさんあるような気がする。でも。それは、「『天人五衰』をめぐって」であって、「『天人五衰』について」とはならないのである。作品論、というほど大袈裟なものを書くつもりもないのだが、いまの段階では、私の関心がどうしても作品そのものに集中してこ...
11 件のコメント:
2021年5月27日木曜日
三島由紀夫『天人五衰』_近代的自我の崩壊とその先にあるもの_安永透の至福
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三島文学の総決算ともいうべきこの作品を前にして、いつまでも立ち止まっている。格調高く、象徴的で謎と寓意に満ちた文章は、あまりにも完璧で、つけいる隙がない。語られている内容は、十六歳の自尊心の強い少年が、金持ちの弁護士の養子となるが、最後に、自らのプライドを保つために自殺を計り、...
2021年3月19日金曜日
三司馬由紀夫『暁の寺』__認識、破壊、そして燔祭(2)__本多繁邦の欲望と孔雀明王
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昭和二十年六月、本多は、渋谷松濤の依頼人の邸宅に招かれる。渋谷近辺の光景は、一週間前、二日にわたり延べ五百機のB29が東京を焼いて、「その高臺の裾から驛までの間は、ところどころに焼きビルをした殘した新鮮な焼址で」と描写される。人間の生の営みが完膚なきまでに破壊され、蹂躙された...
2021年3月13日土曜日
三島由紀夫『暁の寺』__認識と破壊、そして燔祭(1)__本多繁邦の欲望
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『豊饒の海』第三巻は、日米戦争前夜一九四一年タイの首都バンコックを舞台に始まる。主人公は前二作でそれぞれの主人公松枝清顕、飯沼勲の同行者として登場した本多繁邦である。飯沼勲の弁護のために裁判官を辞して弁護士となった本多は、商社の仕事でバンコックを訪れる。その地で本多は、飯沼勲の...
2020年10月28日水曜日
三島由紀夫『奔馬』__「佐和」という存在___父と子の相克
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前回の投稿から随分長い時間が経ってしまった。書けない理由はいくつもあって、いろいろ総合すると、私の能力不足という厳然たる事実に行きつく。もう三島由紀夫につきあうのはこれまでにしようか、と思ったりもするのだが、それでも、力不足ながら、『奔馬』という小説のもっとも魅力的な登場人...
2020年7月28日火曜日
三島由紀夫『奔馬』__「昭和維新」と「神風連」__英雄伝説の完成
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前回のブログで「まずは原点に帰って、『奔馬』という小説の世態風俗、人情に触れなければならない。」と書きながら、なかなか書けないでいる。 昭和七年、本多繁邦は三十八歳になった。 と書き出される時代は、内外の危機的状況のもと「昭和維新」を旗印に、とくに右翼勢力の側...
2020年5月26日火曜日
三島由紀夫『奔馬』__海と白い奔馬
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三島由紀夫『豊穣の海』第二作『奔馬』は、とくにそのラストが昭和四五年十一月二十五日の事件と関連づけて論じられることが多い。たしかに、『奔馬』は1970.11.25の盾の会の蹶起とその失敗を予告、というより実践したもののように見える。それは、ある意味まさにその通りなのかもしれない...
2019年12月2日月曜日
三島由紀夫『春の雪』_日露戦争の亡霊
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『豊穣の海』第二作の『奔馬』についてはある程度まとまったことが書けそうな気がするのだが、『春の海』は難問である。どこまでも美しく、崇高でしかも限りなく官能的な清顕と聡子の恋、それがどのように始まって成就したか、作者の視線はこの一点にそそがれて揺るぎない。恋愛の要素であるむき出し...
2019年11月14日木曜日
三島由紀夫『春の雪』_大正デモクラシーの王朝絵巻_「みかどのめ(妻)を盗む」というモチーフ
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『豊穣の海』四部作について、いつか書こう、書かなければならないと思いながら、ずるずると書けないまま時間が過ぎてしまった。四部作すべてを見渡して、何か三島文学の結論めいたものを引き出そうなどとだいそれたことは、もちろん考えていない。そういうことではなくて、私にとって三島由紀夫の作...
2016年4月23日土曜日
三島由紀夫『禁色』__三島由紀夫とは何者だったのか
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三島由紀夫の『禁色』について、いつまでも考えている。書くことはたくさんありそうで、さて、何をどう書いたらいいのか迷っている。ひとことでいったら思弁的、形而上学的装いの通俗小説である、と評したくなる誘惑にかられている。あるいは、複雑かつ巧妙にカモフラージュされたモデル小説である、...
2016年2月28日日曜日
橋本治『三島由紀夫とはなにものだったのか』___「父」と「天皇」そして「女」を語らない自分史
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のっけから随分辛口のタイトルとなったが、この評論はおもしろかった。ひとつには、著者の橋本治が私とほぼ同世代で、ともに学生運動の嵐が吹き荒れる中で青春時代(歌の題名みたいであまり使いたくない言葉だが)を過ごしたからである。 橋本治は当時現役バリバリの東大生で、のみならず「と...
2014年7月31日木曜日
たとえば薔薇___コクトー、三島、そして大江健三郎
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大江健三郎の『宙返り』を読んでいます。これも手強い。大江の小説では数少ない三人称の叙述であることで、ちょっと勝手が違う感じがする。そもそも、冒頭からして、状況が具体的に絵として描けない。で、ちょっと閑話休題。「薔薇」の話です。 『燃え上がる緑の木』第二部「揺れ動く」は主人...
2014年4月14日月曜日
三島由紀夫『宴の後』____シンデレラボーイにされた政治家
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功成り遂げた美貌の料亭女将が硬骨かつ高潔な老政治家に恋をして、彼の選挙のために情熱と知略と全財産をささげて戦い、破局をむかえる。言ってみればそれだけの小説で、よくできてはいるがどこに文学的興味を覚えればいいのか、との趣もある。この小説が有名になったのは、いまはごく普通の日本語と...
2014年3月19日水曜日
三島由紀夫『金閣寺』___「父」と「子」そして「母」の「家庭小説」___「非政治」という政治性
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水上勉の『金閣炎上』を読んでふたたび『金閣寺』を考えている。学者でも評論家でもなく小説読みビギナーとして、まず思うことは、なぜ三島由紀夫はこのように実像とかけはなれた人物を描きだしたのか、ということである。三島の『金閣寺』に登場する主人公「私」(溝口)、母、そして金閣和尚の道詮...
2014年2月25日火曜日
三島由紀夫『金閣寺』序論___生きるために殺す___「モデル小説」という「私小説」
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ミイラ取りがミイラになって、いつまでも三島にかかわっています。でも、やはり大江健三郎に戻っていかなければならないと考えているので、三島についてはこの『金閣寺』と『宴のあと』という二つの作品を取り上げて一応の区切りとしたいと思います。 読めば読むほど三島由紀夫は端整な作家で...
2014年1月22日水曜日
三島由紀夫『仮面の告白』___面白すぎる純文学
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いまはほとんど議論の対象にならなくなったけれど、一時期かなり真剣に「純文学とそれ以外の小説」の区別が問題になったことがある。純文学とそれ以外__中間小説、大衆小説と呼ばれていた__では発表される雑誌も違っていた。いずれのジャンルの小説も、いま考えると不思議なくらい量産されていて...
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