今日は、もう一つの教科書の定番「注文の多い料理店」について考えてみたい。これも難解な童話で、しかも、「オッペルと象」のようなすっきりとした読後感は得られない。今でも、大変人気のある作品のようで、読み聞かせの催しなども行われているようだが、はたしてこれは「おもしろい」話だろうか。
二人の金持ちの若い男が猟をするために山奥にやってきて、「あんまり山が物すごいので」つれてきた犬を死なせてしまう。道に迷って、お腹もすいた男たちは「西洋料理店 山猫軒」と看板のかかった家を見つけて喜ぶ。だが、実はその店は、山猫が、入ってきた男たちを食べるための店だった。男たちは次から次へとつけられる注文に素直にしたがって、どんどん奥に入り込んで、気がついたときは、逃げ場がなくなってしまった。絶体絶命の男たちを救ったのは、死んだはずの犬だった。犬たちが扉を破り、山猫をやっつけたのだった。
これはハッピーエンドだろうか。「助かってよかった!」と感情移入できる主人公たちだろうか。道楽の殺生をするためにやってきて、つれてきた犬が死んでも、悲しむどころか、損をした、とくやしがる男たちよりも、うまく男たちを誘導できなくて、最後に犬にやっつけられてしまう山猫の方に同情してしまう。物語には登場しない「親方」のために、「どうせぼくらには、骨もわけてくれやしないんだ」といいながら、自分たちの「責任」になるからといって、必死の呼び込みをする。賢治は、この呼び込みの場面をユーモラスに描いているが、この後山猫たちは犬にやっつけられてしまうのだ。いつの世も前線にいる者だけがリスクを負うのだ。
賢治は男たちの酷薄さと俗物根性を執拗に描写する。ユーモアでくるみこまれた賢治の怒りは、男たちを死の瀬戸際まで追いやった。死んだはずの犬を生き返らせてなんとか救い出すことにしたのだが。しかし、犬にやっつけられてしまった山猫はどこへ行ったのか?また、「骨もわけてくれない」親方の下で、一生懸命働いているのだろうか。
今日も、出来の悪い作文を最後まで読んでくださってありがとうございます。
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