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2013年10月26日土曜日

大江健三郎『同時代ゲーム』__「メキシコから」の啓示

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 『同時代ゲーム』は「第一の手紙 メキシコから時のはじまりにむかって」の章から書き出される。ほとんどの文学作品と同じように、この長編も冒頭のこの章にすべての要素が含まれているといっていいだろう。語り手の「僕」は、いまや「 壊す人」 の巫女になったという双子の妹であり、僕の分身でも...
2013年10月23日水曜日

大江健三郎『同時代ゲーム』___エンサイクロペディアあるいは「聖書」としての同心円構造

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 折り紙つきの難解な作品である。饒舌に執拗に、そして過剰といっていいほどの分量で「村=国家=小宇宙」の神話と歴史が語られる。語りの文脈が、日本語のそれとしては非常に複雑で、しかもさりげない一言に多義的な意味が含まれていそうなので、読む側としては緊張の持続を要求される。結果として、...
2013年10月4日金曜日

大江健三郎_『ヒロシマの「生命の木」』__無信仰な者としてキリストを語ることはできるか(その2)

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 無信仰な者がキリストを語ることはできるか___難しい標題を掲げてしまったものだと思う。「無信仰な者」とは何か、という定義がまず難しい。「主よ、信じます。信仰のない私をお助けください」(マルコによる福音書9章24節)という有名なことばがある。だが、ここではあえて、一般的に、洗礼を...
2013年10月2日水曜日

大江健三郎_『ヒロシマの「生命の木」』__無信仰な者としてキリストを語ることはできるか

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 表題のエッセイは一九九〇年八月三日NHK総合テレビで放映された『世界はヒロシマを覚えているか』の制作のために、大江健三郎が世界をめぐって、何人かの人物にインタヴィユーした時の経験を文章にしたものである。「一九九〇年」という絶妙なタイミングで企画され、放映された、ということが感慨...
2013年9月14日土曜日

「紅の豚」を見る者____さよならをもう一度

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 もう一度だけ書かなければならない。「紅の豚」とは何か、ということについて。いままで書いてきたことはすべて正しかったと思っている。「紅」はコミュニズム=共同体主義の象徴であること、「豚」は最後には殺されること、そして「豚」という言葉をもう一つのカテゴリーで考えるべきこと、それらの...
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