2025年2月11日火曜日

深沢七郎『楢山節考』__おりんのりんは倫理のりん__歌がつらぬく共同体の掟

  昔「深沢七郎の小説は構成が完璧」といったら、「「あたりまえさ。彼はギタリストだもの。」と応じた飲んだくれがいた。彼は深沢と同じ山梨県出身で、ギタリストではなく美大でゲバ棒をふるっていた。私と知り合ったときは動物愛護活動家ということをしていて、十年ほど前に死んでしまった。ギタリストだと、どうして完璧な構成の小説が書けると思ったのか、もう少し詳しく聞いておけばよかった。

 『銀河鉄道の夜』を読む時間がかなり長く続いている。この間、私の中で、何とも言えない重苦しい、いらだちに似た焦燥感があって、それをうまくことばに出来ないもどかしさがある。賢治は、詩を書くときは、あんなにのびやかに情念をことばに乗せることができるのに、散文を書くとき、とくに『銀河鉄道の夜』のそれは、どうしてこんなにぎごちなく不自然なのだろう。『オツペルと象』、『北守将軍と三人の兄弟医者』のように、独特のリズミカルな文体で書かれていて、最後まで一気呵成に読ませてしまう例外的な作品もあるのだが。

 それで、文字を追いかけていけばすらすら内容が頭に入ってしまう深沢七郎が読みたくなって、何年ぶりかで『楢山節考』を読んでしまった。懐かしく恐ろしい、日常を装った非日常の世界がここにある。

 物語は主人公おりんが楢山祭りの歌を聞くところから始まる。

 「楢山祭りが三度くりぁよ 
     栗の種から花が咲く」

時間の推移が自然を変移させるというあたり前の文句のようだが、来年正月が来れば七十になるおりんには、特別の意味をもっていた。七十になったら「楢山まいり」をするのが村の掟で、そのときが近づいていることを知らせる歌だからである。

 山々に囲まれているこの村だが、神が住むという「楢山」は特別な山だった。「楢山祭り」は陰暦七月十二日盆の前夜に行う夜祭で、山の幸だけでなくこの村では貴重な白米を炊いて食べ、どぶろくをつくって夜中御馳走を食べる。村で祭りといえば「楢山祭り」しかないようになってしまったのだが、白米を食べどぶろくを飲む機会はもうひとつあって、それは「楢山まいり」をする前夜の儀式だった。「楢山まいり」をする前夜は、すでに「楢山まいり」の「お供」をすませた近所の人だけをよんで、白米とどぶろくをふるまうのである。

 おりんはそのときのために、白米とどぶろくはもう用意してあって、気構えと準備は十分できていたが、寡夫になった息子の辰平が気懸りだった。だが、この日、おりんは、楢山祭りの歌を聞くと同時に、もうひとつの声を聞いた。むこう村のおりんの実家から、村に後家ができたと知らせてきたのである。年齢も辰平と同じ四十五で年恰好が合う。これでもう、辰平の嫁の心配はなくなった。

 楢山祭りの朝に、むこう村から玉やんという嫁がやって来た。「おばあやんがいい人だから早く行けって」いわれて、玉やんは朝飯を食べずに来たのだった。何度も「おばあやんがいい人だから」と玉やんが繰りかえすので、おりんはうれしくなって、勇気を奮って、石臼のかどに歯をぶつけて前歯を二本欠いてしまう。おりんの丈夫な歯は、孫のけさ吉さえも嘲って、

 「おらんのおばあやん納戸の隅で
     鬼の歯を三十三本揃えた」

と笑いものにされていたのである。

 食料が極端に不足しているこの村では、何でも食べられる丈夫な歯と旺盛な生殖能力は決して賛美ではなく、辱めの対象だった。おりんは、「楢山まいりに行くときは辰平のしょう背板に乗って、歯も抜けたきれいな年寄りになっていきたかった」。だから、いままでもこっそりと火打石で叩いてこわそうとしていたのだった。念願かなって歯を欠いたおりんは、その姿を見せびらかしたくて、楢山祭りの祭り場に行く。だが、愛想のつもりで血まみれの顎を突き出したおりんを見て、集まっていた人たちはみんな逃げ出してしまう。おりんは「きれいな年寄り」どころか、「根っこの鬼ばばあ」と陰口をたたかれるようになってしまった。

 ためらっている辰平の背中を押して、おりんが楢山まいりをしようと急ぐ理由が二つあった。一つは、まだ十六の孫のけさ吉が同じ村の松やんという少女をはらませてしまったことである。妊娠しているためもあってか、大食いの松やんは自分の家を追い出されて、おりん一家に入り込んできてしまった。けさ吉と松やんは夫婦気取りで仲良くしているが、このままではおりんは「ねずみっ子」を見ることになってしまう。

 「かやの木ぎんやんひきずり女
     せがれ孫からねずみっ子抱いた」

 村で一番大きいかやの木がある家のぎんやんという女の人は、息子、孫、ねずみっ子と呼ばれる曾孫まで抱いたといって歌にうたわれた。早熟、多産は辱めの対象で、ぎんやんは「ひきずり女」という最大の蔑称を受けなければならなかった。歯を欠いてまで共同体の倫理に準じようというおりんにとって、「ひきずり女」という蔑称は耐え難いものだった。

 もう一つは、冬を越すのに食料が足らなくなるおそれがあるからである。大食いの松やんが子を生んだら、ただでさえ足りない食糧がさらに不足してしまう。 

 「三十すぎてもおそくはねえぞ
     一人ふえれば倍になる」

 晩婚が奨励される村だが、十六のけさ吉が松やんをはらませてしまったのだ。思ってもいなかったことをけさ吉から聞かされて、当初おりんはその衝撃からけさ吉に箸を投げつけ「バカヤロー、めしを食うな!」と怒鳴ったのだが、その後、「これこそ物わかりのわるい年寄りのあさましいことにちがいないのだ」と思うようになる。けさ吉も松やんも一人前の大人になったのに、そこまで察していなかったことに申しわけない、とさえ思ってしまう。

 「おばあやんはいつ山へ行くでえ?」と何度も問うけさ吉に「来年になったらすぐ行くさ」と苦笑いしながら答えていたおりんだった。「楢山まいり」の前夜にふるまう御馳走はたっぷり準備してある。おりんが山へ行った翌朝、家のみんなが飛びついて食べ、びっくりするだろう。その時自分は、「新しい筵の上に、きれいな根性で座っているのだ。」とおりんは「楢山まいり」のことばかり考えていた。

 その山行きをさらに急き立てられる出来事が起こる。「楢山さんに謝るぞ!」という叫び声が起こり、「雨屋」という屋号の家が村総出で襲われる。雨屋の亭主が隣の家の豆のかますを盗み出したところを見つかって、家の者に袋だたきにされたのである。この村で食料を盗むものは極悪人で、「楢山さんに謝る」という最も重い制裁を受ける。村中が喧嘩支度で盗みをはたらいた家に駆けつけ、その家の食糧を奪い取って、みんなで分けてしまうのである。嫁に来た玉やんも末の子を背中にしばりつけるようにおぶって出て、太い棒を握って青い顔でかけだしていた。おりんが布団から這い出したときは、家中みんな飛び出した後だった。

 「家探し」された雨屋の家の縁の下から、一坪くらいになるほどの芋が出て来る。こんなに一軒の家で芋がとれるわけはないので、これは畑にあった時から村中の芋を掘り出したにちがいない。雨屋は先代も「楢山さんに謝った」家なので、「泥棒の血統だから、うち中の奴を根だやしにしなけりゃ」と囁かれるようになる。 

 雨屋の家族は十二人でおりんの家は八人だが、育ち盛りの子が多いので、食料の困窮は似たようなものだった。隣の銭屋の倅がやってきて、雨屋がよその家の種芋まで盗んでいたことがわかったので、どこの家でも仕事もしないで雨屋を根だやしにすることを考えている、という。からすが啼いて、「今夜あたり、葬式がでるかも知れんぞ」といって銭屋が出て行った後、みんな黙ってしまう。そうして、突然、寝ころんでいた辰平が「おばあやん、来年は山へ行くかなあ」といったのだ。再びの沈黙の後、

 けさ吉が

 「お父っちゃん出て見ろ枯れ木ゃ茂る
     行かざなるまい、しょこしょって」

と唄い出して三日後の夜、大勢の足音がおりんの家の前を通って行った。翌朝雨屋の一家は村から消えてしまったのだった。

 十二月になって白い小さい虫が舞って、子供たちが「雪ばんばァが舞ってきた」と騒ぐ。雪の降る前にはこの虫が舞うといわれていた。おりんは「おれが山へ行くときゃァきっと雪が降るぞ」と力んだ。

 「塩屋のおとりさん運がよい
     山へ行く日にゃ雪が降る」

楢山祭りのときに唄い出されていたこの歌は、山へ行く「時」を指定する歌だった。楢山は雪が降り積もれば行けない遠い山なので、雪のない道をって、到着したら雪が降るのが運がよいとされ、そのような条件の「時」に行け、といっているのである。

 松やんが臨月に入ったことは誰の目にも明らかになった。あと四日で正月になるという日、おりんは、辰平に明日楢山まいりを決行することを告げる。その晩、渋る辰平を厳然と威圧して、お供をして山へ行った人たちを呼んでどぶろくを振る舞い、作法通りの教示を受ける。そして、次の夜おりんと辰平は楢山まいりの途についたのだった。

  ここからは、楢山に分け入る辰平とおりんの道行となる。二つ、三つと山の裾野を回り、四つ目の山は上に登って頂上に立つと、地獄へ落ちるかと思わせるような谷に隔てられて、向うに楢山が見える。奈落の底のような深い谷を廻って進む辰平は、もう人心地もなかった。楢山を見たときから、神の召使いのようになってしまったのである。

 七谷という七曲りの道を通り越すと、道はあっても道はないといわれた楢の木ばかりの楢山に来た。無言のおりんを背負って、辰平はとうとう頂上らしい所まで来る。すると、どの岩影にも死体があった。両手を握って、合掌しているような死人、バラバラになった白骨、からすに食べられて空洞になった腹がからすの巣となった死体、進むほどからすが多くなり、死骸もますます多く転がっていて、白骨も雪がふったようにころがっている。辰平は、白骨の中に木のお椀がころがっているのを見て呆然とする。

 楢山に分け入ってからは、リアルで鬼気迫る情景描写が続く。戦場か処刑場の跡のようで、様々な死が累積している。さすがにもう、歌は唄い出されない。死骸のない岩かげにおりんを降ろすと、不動の形で立ったおりんに力いっぱい背中を押され、辰平は今来た方に歩き出す。おりんの顔はすでに死人の相だった。

 生きながら菩薩の形となったおりんの姿を描いて、「楢山節」考はこれで終わってよかったのだが、深沢は止めなかった。開高健のいう「世話物の甘い呻吟」がこれに続くのである。

 「十歩ばかり行って辰平はおりんの乗っていないうしろの背板を天に突き出して大粒の涙をぽろぽろと落とした。酔っぱらいのようによろよろと下っていった。」

 これはもう「世話物の甘い呻吟」などではなく、慟哭というべきだろう。登場人物にたいしてつねに一定の距離を保ち、その内面に入り込むことをしない深沢の、ほとんど唯一の例外がここにあるように思う。

 辰平が山の中程まで下りてきた時に雪が降りだす。おりんが「わしが山へ行く時ァきっと雪が降るぞ」と力んでいたその通りになった。辰平は掟を破って、今降りて来た山を猛然と登りだす。辰平は、本当に雪が降ったなあ!、と言いたかった。物を言ってはならないという誓いを破ってまでも、ひとこと言いたかったのだ。

 辰平がさっきの岩のところまで戻ると、雪に覆われて白狐のような姿になったおりんが、一点を見つめながら念仏をとなえている。

 「おっかあ、雪が降ってきたよう」
 「おっかあ、寒いだろうなあ」
 「おっかあ、雪が降って運がいいなあ」
 「山へ行く日に」

 辰平が呼びかけるが、おりんは無言で辰平の声のする方へ手を出して帰れ、帰れと振るばかりだった。
 「おっかあ、ふんとに雪が降ったなァ」
辰平は叫び終わると脱兎のごとく山を降った。 

 山を降りる途中、辰平は隣の銭屋の倅が父親の又やんを谷底に突き落とすのを目撃する。又やんは昨夜逃げ出そうとしたので、今度は雁字搦みに縛られていた。そして、芋俵のように転がされ、それでも必死にすがる又やんを、倅は腹を蹴とばして突き落としたのである。又やんがころがり落ちていくと、谷底から竜巻のようにからすの大群が舞い上がって、そしてまた舞い降りていった。倅もからすの群れを見て飛ぶように駆け出していた。

 家に戻って、戸の外から中の様子をうかがうと、次男が末の子に歌を唄って遊ばせていた。

 「お姥捨てるか裏山へ
     裏じゃ蟹でも這ってくる」
 「這って来たとて戸で入れぬ
     蟹は夜泣くとりじゃない」

子供たちはもうおりんが帰ってこないことを知っているのだ。松やんとけさ吉はおりんの衣類を身につけ、けさ吉はどぶろくの残りを飲んで陶然としていた。

 「運がいいや、雪が降って、おばあやんはまあ、運がいいや、ふんとに雪が降ったなあ」

 「なんぼ寒いとって綿入れを
     山へ行くにゃ着せられぬ」

おりんが生きていたら、雪をかぶって綿入れの歌を、きっと考ええているだろうと、辰平は思った。

 あらすじを追いかけるだけで、相当な量の字数を費やしてしまった。全編通じて存在するのは、圧倒的な村=共同体の論理である。村=共同体の「倫理」、といってもいいかもしれない。人間は村=共同体に生れ落ちてから、いや生まれる前から、それに逆らうことはできない。けさ吉が松やんにはらませてしまった子も、生まれたら裏山に捨てられる運命だったのである。辰平の嫁の玉やんも、けさ吉も、はらんでいる松やん自身までもが、こぞってそれを実行しようしていた。人口の調節は村=共同体の至上の命題だった。そうしなければ、絶対に飢えるからである。

 おりんはこの共同体倫理を生きた。生き抜いた。おりんの人生は共同体倫理の内側にあった、というより倫理そのものだったかもしれない。善悪、当為の判断は個人の意志や感情の介入する余地はまったくない。だから、おりんは雨屋の制裁にも当然積極的に参加し、健康な歯を自ら砕いて死を迎え入れる自分の姿をアピールしたのである。私は、おりんの「りん」は共同体倫理の「倫」である、と勝手にに妄想している。

 そして、もう一つ、切ないまでに滲み出てくるのが、おりんの息子辰平の思いである。愛するひとを死出の途へいざなうことを強制する、あらがいようがない絶対の共同体論理の禁を犯して、辰平がおりんのもとに戻るくだりはこの小説の白眉である。

 もっとも恐ろしいのは、この村=共同体には支配者がいないことである。絶対的に食料の不足するこの村=共同体には支配ー被支配の関係が存在しない。誰もが平等で、平等な権力をもっている。支配者が存在して、それを打倒することができれば共同体の論理は変わる。だが、誰もが平等な社会に革命は起こらない。そのような社会は歴史上存在しただろうか。あるいは、そのような「空間」は、いつでも、どこでも、「日常」に存在し続けているのだろうか。

 最後に、この共同体論理を透徹させる「歌」の意味についても語らなければならないのだが、すでにかなりの長文になってしまったので、これについてはまた、回を改めて考えたいと思う。歌が共同体論理とどのように別れ、散文が成立したのかということの考察を始めたのが、私の文章を書く出発点だったのだが。

 長いばかりで尻切れとんぼの文章になってしまいました。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。