『注文の多い料理店』第二話の短編である。狼森、笊森、盗人森はいずれも実在する黒いまつの森で、小岩井農場の北にあるという。自然と人間の交流を描いた作品として評価する論者が多いようだが、はたして、そのような牧歌的鑑賞にとどまってよいのだろうか。
森と人間の歴史を語るのは、笊森と盗人森との間に位置する黒坂森のまん中の大きな岩である。これは、黒坂森の大きな岩が「わたくし」にきかせた話の記録である、という体裁になっている。黒坂森の大きな岩による建国神話であり、森の命名譚なのである。
岩手山が何遍も噴火して、噴火がしずまると、灰に埋もれた場所に草が生え、木が生え、最後に四つの森ができる。まだ名前もない四つの森に囲まれた小さな野原に、ある年の秋「四人の、けらを着た百姓たちが、山刀や三本鍬や唐鍬や、すべての山と野原の武器を堅くからだにしばりつけて」やってくる。「よくみるとみんな大きな刀もさしていたのです」とあるので、彼らはたんなる農民ではない。
四人の百姓は、日あたりがよくきれいな水の流れる場所を選んで、定住して畑を起こすことを決める。百姓たちの家族もすぐにやってくる。「荷物をたくさんしょって、顔をまっかにし」たおかみさんたちが三人と、「五つ六つより下の子どもが九人」とあるので、ひとりの百姓は独身であるようだ。四人の百姓たちは、畑を起こすこと、家を建てること、火をたくこと、木を切ることのそれぞれに森に伺いをたてる。そして森はそのすべてに許可をあたえたのだ。
それから四人の百姓とその家族は死の物狂いで働き、最初の冬を越す。いちめんの雪がきたが、冬のあいだ、森は家族のために北風をふせいでくれた。春が来て小屋が二つになり、そばとひえが播かれる。秋には小屋が三つになり、穀物はともかくもみのったのだが、ある「土の堅く凍った朝」九人の子どもたちのなかの小さな四人がいなくなる。
あたりをさがしまわっても見つからないので、百姓たちは森に尋ねるが知らないといわれる。そこで、彼らはさがしに行くことを宣言して、みんないろいろの農具をもって、一番近い狼森に入って行く。森の奥では火がたかれ、九匹の狼が火のまわりを歌いながら踊りまわっていて、いなくなった四人の子どもたちは火に向かって、焼けたくりやはつたけなどを食べている。百姓たちが声をそろえて「狼どの、子どもを返してけろ」とさけぶと、狼たちはびっくりして、歌と踊りをやめる。すると「すきとおったばら色」に燃えていた火は消え、あたりは青くしいんとなって、子どもたちは泣きだしてしまう。
途方に暮れた狼たちは森の奥に逃げていくが、子どもを連れて帰ろうとしている百姓たちに、自分たちに悪意はなく、子どもたちにご馳走したのだ、とさけぶ。これを聞いて百姓たちは、うちに帰ってあわ餅をつくり、狼森にお礼としておいてくる。
ここで語られるのは贈与と謝礼の経済である。四人の百姓_刀を持った開拓者たちと森との関係は、北風を防ぎ、木を切らせて、森は一方的にあたえる側である。九匹の狼たちも、見返りをもとめて子どもたちをご馳走したのではない。冬のあいだ「冷たい、冷たい。」と泣いていた子どもたちに、暖かい火のまわりで、おいしいくりときのこを食べさせたのだ。四人の子どもたちは、もしかしたら人質にとられていたのかもしれないが、ここにはまちがいなく祝祭の空間が存在した。だから、百姓たちは狼のもてなしに対して、自発的にあわ餅を謝礼として返したのである。
次の春は、子どもが十一人になり、馬が二匹きて、畑に腐った草や木の葉と一緒に馬の肥も入って、秋には穀物がよくとれるようになった。ところが「霜柱のたったつめたい朝」すべての農具がなくなってしまう。百姓たちは今度も森に尋ねるが、知らないといわれ、またも「さがしに行くぞぉ」とことわって、てぶらで森に入って行く。
狼森では、九匹の狼がすぐ出てきて、ここにはないから外をさがせ、といわれる。百姓たちが、西のほうの笊森に行くと、かしわの木の下の大きな笊の中になくなった農具が九つとも入っている。それだけでなく「黄金色の目をした、顔のまっかな山男」があぐらをかいてすわっていた。農具を隠したのは山男だったのである。「山男、これからいたずらやめてけろよ」という百姓たちに、山男は自分にもあわ餅をもってきてくれ、とさけぶ。百姓たちは笑ってうちに帰り、またあわ餅をつくって、狼森と笊森に持って行ったのだった。
今回山男にもって行ったあわ餅は、狼森にもっていった謝礼としてのあわ餅ではない。山男がいたずらを止める見返りとしてのそれである。山男は強要、といっては言い過ぎかもしれないが、懇願よりははるかに強い要請としてあわ餅をくれ、といったのである。農耕生産の道具を奪われたら、百姓は生きていくことができなくなってしまう。山男にとっては「いたずら」かもしれないが、農具をなくすということは開拓者共同体の危機である。生産手段の確保のためにあわ餅を供与したのだとすれば、これは限りなく納税に近くなってくる。
そしてまた次の夏、耕地はひろがり、馬が三匹になった。納屋も木小屋もできて、みんなは豊かになった。今年こそは、どんな大きなあわ餅でも作ることができる、と思ったが、今度はそのあわが一粒もなくなってしまう。百姓たちはあわのゆくえを森に尋ね、またもや知らないといわれるので、ことわった上で、今度はめいめい「すきなえものをもって」森に入って行く。
注目すべきは、この後語られる狼森の九匹の狼と笊森の山男との百姓たちに対する態度の微妙な変化である。狼も山男も自分たちのところにはないから外を探せ、というのだが、狼は「みんなを見て、フッとわらって」、山男は「にやにやわらって」と書かれている。あからさまな嘲弄ではないが、かすかに冷笑している気配である。えものをもって、あわ泥棒をやっつけなければ、という百姓たちの意気込みが滑稽にみえたのだろう。百姓たちは決死の覚悟だったが。
さて、百姓たちにあわのゆくえを教えたのは、タイトルに名前の出てこない黒坂森だった。百姓たちの呼びかけに、「形は出さないで、声だけで」こたえた、と書かれる黒坂森は、あわ餅のことなどはひとこともいわずに、「あけ方、まっ黒な大きな足が、空を北へとんで行くのを見た」と言ったのである。そうして、「もう少し、北のほうへ行ってみろ」と指示したのだ。
百姓たちが北に行くと、「まつのまっ黒な盗人森」から「まっくろな手の長い大きな大きな男」が出てくる。「あわ返せ、あわ返せ。」とどなる百姓たちに腹をたてた大男は、自分は盗んでいないと言って、盗人よばわりするものはみんなたたきつぶしてやる、と威嚇する。百姓たちは恐ろしくなって逃げだそうとする。だが、そのとき、「銀の冠をかぶった岩手山」の「それはならん。」という鶴の一声がすると、黒い男は地に倒れてしまう。
岩手山は、あわを盗んだのはたしかに盗人森(黒い大男)であると審判を下す。そして、必ずそれを返させる、とも確約する。盗人森は、自分であわ餅をつくってみたくなったので、あわを盗んできたのだ、と盗人森の「動機」を説明もしたのである。岩手山が話し終えると、男はもう姿を消していた。
百姓たちが家にかえってみると、あわは納屋にもどっていたので、みんなはあわ餅をつくって四つの森にもって行く。盗人森には、少し砂が入っていたが、いちばんたくさんのあわ餅をもっていった、とある。それから森は「すっかりみんなの友だち」で、毎年冬のはじめには、きっとあわ餅をもらったが、そのあわ餅も、時節がらずいぶん小さくなって、これはどうも仕方がない、と黒坂森の韜晦の言葉で建国神話は結ばれる。
最後の盗人森の大男にもって行ったあわ餅にはどんな意味があるのか。狼や山男とは異質の凶暴な大男と百姓たちの交渉は、銀の冠をかぶった岩手山がいなければ、百姓たちの一方的な敗北である。せっかく作った食料をすべて奪われては共同体は壊滅する。百姓たちは、岩手山の権威のもとで、盗人森にシノギを納めて生産を続けることができたのだ。上品なことばでそれを納税というのだろう。
返礼から納税へとあわ餅の意味は共同体の変化とともに変わっていった。森と開拓者たちの関係も変わっていったのはいうまでもない。これは黒坂森が語る「百姓の側からの歴史」であり、入植あるいは開拓の歴史だが、森の側からみれば「侵略」の歴史でもある。毎年冬のはじめにあわ餅をもらう狼や山男やまっくろな大男はその後どうなっていったのだろう。
最後に、ささいなことかもしれないが、少し気になることを考えてみたい。この作品では、4、9の二つの数にこだわっているように思われる。四つの森、四人の百姓、九人の子ども、九匹の狼、九つの農具。九匹の狼は「水仙月の四月」にも「三人の雪童子」が「九匹の雪狼」を連れている、とあって、ここでも4、9が登場する。4、9は何の数字なのだろう。どうでもいいようにみえて、この疑問が解けないので、作品の土台のところでわかっていないような気がしてならない。
結局尻切れトンボで終わってしまい、相変わらずの非力を覚えています。今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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