2020年2月18日火曜日

折口信夫『死者の書』__水の女と南家郎女__入水と「白玉」

 前回『死者の書』のもう一人の主人公藤原南家郎女について、彼女をとりまく時代状況「世態風俗」を考えてみたいと書いたのだが、その前に、やはり「水の女」と「たなばたつめ」というモチーフにどうしても触れなくてはいけないような気がする。松浦寿輝氏は南家郎女について「水の女とたなばたつめの系譜」と総括して、折口信夫の「水の女」と「大嘗祭の本義」の一節を引用してしている。

 みづのをひもを解いた女は、神秘に触れたのだから「神の嫁」となる。(「水の女」)
 此みづのひもを解くと同時に、ほんとうの神格になる。そして、第一に媾はれるのが、此紐をといた女である。さうして、其人が后になるのである。(「大嘗祭の本義」)

  「みずのをひも」とは、大嘗祭の儀式において、物忌みに籠った天皇の体に結ばれた紐であり、その解きかたを知っているのは神に仕える処女=水の女だけである、とされている。だが、ここでの松浦氏の論の中心は「水の女」の行為あるいは機能にあるのではない。氏は、大嘗祭の儀式の核心が、物忌みに籠った天皇が「神の魂を受け取るために女性化を強いられ」る「独身者同士が軀を擦り合わせる倒錯した舞台」にあることを示唆している。「水の女」が「みずのをひもを解く」行為は、「神の魂を受け取」り、神格化が完了した天皇を忌から解き放ち、再び共同体の場にもどす重要な役割をになうが、あくまで、先の倒錯した舞台劇が行われた上で、それに続く秘事であるとされている。

 「水の女」の基本的な概念が、松浦氏の引用した折口の文章にあり、また氏の解析に同意もするのだが、『死者の書』の南家郎女と「水の女」の関わりについて、もう少し、小説の文脈に沿って考えてみたい。「水の女」は折口の論文の中でも有名なものであるが、折口の他の論文同様、非常に難解で、かなり大部の論文である。「みぬま」という語の解釈から始まるこの論文が主題とするものは、じつは複雑多岐にわたっている。記紀神話をはじめとする多くの伝承や文献の知識、素養が乏しい私が容易に要約できるはずもないが、南家郎女という女主人公を形象化するうえで、折口が何をヒントにしたかを探ってみたい。

 余談だが、「水の女」「若水の話」「貴種誕生と産湯の信仰と」「最古日本の女性生活の根底」と続く折口の古代研究の論文の多くが女性に関するものであったことに、いまあらためて、かるい驚きを覚えている。

 『死者の書』で「藤原南家郎女」と呼ばれる女性は、奈良県当麻寺につたわる「当麻曼荼羅」を一夜にして織り上げた「中将姫」として伝説化された存在だが、藤原豊成の娘で、母は当麻氏出身の藤原百成ともいわれ、実在した人物のようである。藤原南家郎女の屋敷があった奈良の三条と当麻寺はかなりの距離で、作品中にあるように、春秋二回の彼岸の中日に美しい人の俤を見て憧れたからといって、嵐の中を徒歩でたどりつくことのできる距離ではない。当麻_曼荼羅_南家郎女を結んで伝説化するには、何らかの因縁があったのだと思われる。

 幼いときから美しく聡明だった郎女は、父から贈られてきた「称讃浄土摂受経」の写経をはじめる。そして春、秋の彼岸の中日、夕日の沈む一瞬に、山の端に美しい人の姿を見る。だが、半年後の春分の日に雨が降り、沈む夕日と美しい人の姿を見ることができなくなった郎女は、いたたまれずに家を飛び出す。夕日の沈む方向へ、俤(おもかげ)人を求めて、南家郎女は嵐の夜一晩中歩き続け、二上山の麓当麻の里にたどりつく。

 知らぬ間に結界をおかし、寺の境内に入っていた郎女は、朝になって、寺人に見つけられ、寺に留め置かれることになる。そして、その夜、郎女は孔雀明王を祀る小さな廬の中で、夜を徹して、当麻の語部の媼の語りを聞くことになるのだ。

 媼は、まず、郎女の祖中臣氏の神わざを語る。中臣・藤原の遠い祖あめの押雲根命が、日のみ子の飯、酒を作る水を求めて、大和国中に得られず、当麻の地二上山に八か所の天水の湧き口を見つけたこと。それ以来、代々の中臣が日のみ子の食す水を汲みに当麻の地に来ること。「お聞き及びかえ。」と念を押しながら媼は語る。当麻と南家郎女を結ぶ縁は水であったのだ。

 語り終わって、いったん口をつぐんだ媼は、今度は神懸って歌いはじめる。

  ひさかたの 天の二上に
  我が登り  見れば
  とぶとりの 明日香
  ふる里の  神南備山隠り、
  家どころ  多(サハ)に見え、
  豊にし   屋庭は見ゆ
  濔彼方(イヤヲチ)に見ゆる家群
  藤原の   朝臣が宿
   遠々に   我が見るものを
   たかだかに 我が待つものを
  處女子は  出通(イデコ)ぬものか。
  よき耳を  聞かさぬものか。
  青馬の   耳面刀自。
   刀自もがも。 女弟(オト)もがも。
   その子の    はらからの子の
   處女子の    一人
   一人だに、   わが配偶(ツマ)に来よ。

  ひさかたの  天の二上
  二上の陽面(カゲトモ)に、
  生ひをゝり  繁み咲く
  馬酔木の  にほへる子を
   我が    捉り兼ねて、
  馬酔木の  あしずりしつゝ
   吾はもよ偲ぶ。藤原處女

 二上山に埋葬された大津皇子の独白である。長い眠りから「徐(シズ)かに覚めた」大津皇子は、「まだ反省のとり戻されぬむくろには、心になるものがあって、心はなかった」が、当麻の語部の媼の口を通して、處女子を、「藤原處女」を求めるのだ。幽界の大津皇子には、南家郎女が、磐余の池で処刑される寸前に一瞬に視線をかわした耳面刀自に見えるという。

 ところで、また余談だが、この長歌は折口の創作だろうか。松浦寿輝氏は、歌人折口を「三流」と評して、「うた」がない、と断じている。たしかに、折口とほぼ同時代の斎藤茂吉のように「うたいあげる」ことは折口にとって不可能だった。折口自身は「調子が張っている」かどうかを歌の評価の基準にしていたが、折口の歌で「調子が張っている」ものは少ないのではないか。むしろ「うたえない」歌人だったと思う。だが、この長歌は、「うたう」のでなく、「つぶやく」あるいは「くどく」歌である。そして、出典を探し求めずにいられないくらいに、この時代の息づかいをつたえてくるのだ。歌が「時代と寝る」ものだとすれば、折口の歌は、彼の時代と寝ることができなかった。「古代」の時代と寝たのだ。
 
 折口信夫は「水の女」の後半で

私は古代皇妃の出自が、水界に在って、水神の女である事、竝に、その聖職が、天子即位甦生を意味する禊の奉仕にあった事を中心として、此論を完了しようとしてゐのである。

と述べている。冒頭松浦氏の引用した「大嘗祭の本義」の文章を要約したものである。折口には珍しく、近代的というか合理的な説明のように見えて、私のようなレベルの読者でもすんなりわかったような気がしてくる。だが、ここに至るまで、折口はじつに様々な伝承、文献を渉猟して「水」_「神」_「女」の織りなす物語を吟味検証しているのだ。

 折口は、貴人のために女が水に潜る行為は、天皇即位甦生の儀式だけでなく、貴人誕生時に産湯を使わせる場面でも行われるという。また、たんに「潜る」というよりは、その「冷たさに堪える」ことが、ある目的を成就させるという発想があった、とも指摘している。儀式化される以前、「禊」の原初には、「水を浴びる」という程度の内容より、はるかに重く、危険をともなう場面があったのではないか。折口は「水の女」中「とりあげの神女」の章末尾で、入水すること_潜る(くくる)ことがそのまま死を連想させる伝承をいくつかとりあげている。それらの伝承をヒントに、『死者の書』の白眉ともいえる郎女の入水の夢の場面が書かれたのではないか。
  
 周りの侍女たちが寝静まった夜更け、廬の中、郎女が座る帳台に跫音が近づいてくる。昨晩は廬の戸が激しく叩かれたのだった。恐怖と同時に鮮烈なときめきがほとばしって、郎女は思わず目をつむる。昨夜、当麻の媼は、大津皇子が藤原處女を求めて声にならない叫びをあげているのだと言った。あるいは、皇子と同じように反逆の罪をおかした「天若日子」が祟るのだ、とも。

 やがて帷帳がうごいて、瞬間指が見える。細く白い、まるで骨のような指が帷帳を摑んでいる。思わず、郎女の洩らした言葉は
 なも 阿彌陀ほとけ あなたふと 阿彌陀ほとけ
だった。寝食を忘れて写経に励んだ称讃浄土経の文である。
 なうなう。あみだほとけ……。再びつぶやく。
帷帳は元のまま垂れて、何事もなかったかのようなかったかのようだが、白い骨、白玉の並んだような骨の指がいつまでも郎女の目に残っている。そしてその後、郎女は入水の夢を見るのである。

 郎女は「海の中道」を歩いて行く。踏んでいるのが砂ではなく、白く光る玉だと気がついて、拾うのだが、拾っても拾っても掌に置くと砂のように砕けて散ってしまう。

姫は__やっと、白玉を取りあげた。輝く、大きな玉。さう思うた刹那、郎女の身は、大浪にうち仆される。浪に漂ふ身……衣もなく裳もない。抱き持った等身の白玉と一つに、水の上に照り輝く現し身。
ずんずんと下がって行く。水底に水漬く白玉なる郎女の身は、やがて又、一幹の白い珊瑚の樹である。脚を根、手を枝とした水底の木。頭に生ひ靡くのは、玉藻であった。玉藻が、深海のうねりのまゝに、揺れて居る。やがて、水底にさし入る月の光__。ほっと息をついた。
まるで、潜(ミズ)きする海女が二十尋、三十尋の水底から浮び上がって嘯(ウソブ)く様に、深い息の音で、自身明かに目が覚めた。

 非常に美しいイメージの連続だが、死の隠喩に満ちている。ここは「海の中道」だが、生き物の気配はない。「白玉」があるだけだ。拾おうとすると砕け散って砂となる無数の白玉。等身大の輝く大きな白玉。それを抱き持った郎女の身も白玉となり、さらに白い珊瑚の木になってしまう。
 「白玉」とは何か。夢の直前に見た帷帳をつかむ「白い指」が「「白い骨、白玉の竝んだような骨の指」とが書かれていることから推察すれば、それは「白骨」ではないだろうか。

 折口に「石に出で入るもの」という論文がある。その中で、「玉_たま(魂)」について説明している。「玉」は、外見だけでなく、それに内在しているものを問題にしているので、見る人が玉だとみれば、貝でも石でも人の骨でも「玉」であって、人の骨を玉に見立てた歌が萬葉集に少なくとも二つあるともいっている。

 「白玉」=「白骨」という仮定が正しいとすれば、夢の中で「輝く、大きな玉」と抱き合ったまま海底に沈む郎女は、自身も白玉=白骨となって、白骨同士の、いわば死の抱擁をかわすのだが、果たして「みづのをひもを解いて」禊は完了したのだろうか。目覚めた郎女が、もう一度「なうなう 阿弥陀ほとけ」とつぶやくと、明るい光明の中に、山の端に見た美しい俤人が姿を現したのである。郎女はその白玉の指をはっきりと見たのだが、起き直ると、天井の光の輪が揺れているだけだった。

 南家郎女については「たなばたつめ」のモチーフも考えなければいけないのですが、これについてはまた回を改めたいと思います。ここまでくるのも悪戦苦闘の連続でした。家持と藤原仲麻呂が作品中に突如登場することの意味も考えたいのですが、なかなか先が見えません。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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