2018年3月6日火曜日

小津安二郎『東京暮色』__緻密で隠微な心理劇の指し示すもの__明子を殺したのは誰か

 映画館に出向いて映画を観たことはこの齢になるまで数えるほどしかないのに、無料トライアルでたまたま小津安二郎のビデオを見て、あまりの面白さに嵌まってしまった。観ることができたのは、主に戦後の作品である。『晩春』から『秋刀魚の味』まで、そのほとんどが「家族」をテーマにしている。「政治」や「社会」を介入させない、という点でそのこと自体逆に極めて「政治的」であるともいえると思う。今回は、一九五七年に封切られた『東京暮色』について書いてみたい。

 小津の作品はどれを取ってみても無駄なシーンや不必要な台詞がないので、活字で紹介するのはなかなか難しいのだが、これは父子家庭の物語である。一家の母は、銀行員の父が京城に赴任中に関係を持った父の部下と出奔して不在である。残された子は三人いて、父親が男手一つで育ててきたが、和ちゃんと呼ばれる兄は「(昭和)二六年に山で遭難」して死んだ。母が出奔したとき三歳だった「明子」と姉(年齢はわからない)の「孝子」が登場する。季節は冬である。

 姉の孝子は学者の夫との折り合いが良くなくて、二歳の女の子(「道子」という名である)を連れて、実家に戻っている。妹の明子は短大を卒業して英文速記を習っているが、「憲ちゃん」という男の学生の子をみごもっている。明子がみごもったのを知って、憲ちゃんは逃げ回っている。憲ちゃんの後を追って、不良学生らがたむろする麻雀屋に行くと、麻雀屋の女将が明子に話しかけてくる。明子が小さいときに近所に住んでいたというのだが、明子はその女が自分の母親である、と気づく。

 その後、明子は、やっと(偶然に)会えた憲ちゃんに窮状を訴えるが、誠意のある対応をしてもらえない。約束した喫茶店に現れない憲ちゃんを深夜まで待っていた明子は警察に補導されてしまう。孝子に引き取られて帰宅した明子だったが、警察からの電話で事情を知った父に叱責されて、「(そんな子は)お父さんの子ではない」とまで言われてしまう。

 絶望の中で明子は堕胎手術を受ける。費用は父の友人の妻に工面してもらったらしい。そんな明子に父の妹が縁談を持ち込んでくる。その折に、父の妹から出奔した母親(喜久子という名であると明かされる)が東京にいると聞いた孝子は、明子に話しかけてきた麻雀屋の女将が母親であると確信して、喜久子に会いに行く。そして、明子が訪ねてきても、母と名乗らないでくれ、と言う。

 だが、明子は再び喜久子に会いに行って、問いただすのだ。自分は本当に父の子か、と。潔白を疑われた喜久子は血相を変えて、「お父さんの子じゃなければ、誰の子だと思ってるの」と明子の疑惑を否定する。一縷の望みを託した仮定も否定されて、明子は絶望する。

 明子は、その後、またまた偶然に鉢合わせした憲ちゃんの口先だけの言葉に激怒して、彼に平手打ちを食わせ、踏切に飛び込んで電車にはねられる。深夜勤務の看護婦だけがあくびを噛み殺しながら宿直する病院で、父と孝子に看取られ、「死にたくない。もう一度やり直したい」と言いながら、明子は死んでいく。

 喪服を着て麻雀屋を訪れた孝子から「あきちゃん死にました。お母さんのせいです」と告げられた喜久子は麻雀屋をたたんで、連れ合いとともに室蘭に行くことを決意する。青森行きの列車の出発時刻が迫る中、喜久子は必死でホームに孝子の姿を求めるが、彼女は来ない。孝子は父に夫のもとに帰って、もう一度やり直すという。彼女の言葉を聞いて、父は明子の遺影に向かって読経のようなものをくちずさむのだ。

 以上、稚拙にプロットをたどってみたが、この映画のすばらしさがまったく伝わらないないのがもどかしい。一見、不実な男に弄ばれて身を持ち崩した女の死に至る物語のようだが、実は男の存在は家族の問題を炙り出す触媒の役割なのではないか。これは複雑で隠微な肉親の愛憎と葛藤の物語なのである。温厚で子煩悩の父親、妹思いの気丈な姉、世話好きのやり手実業家の叔母、血族の誰もが「いい人」なのだが、誰も明子を救えなかった。いや、彼らが明子を死に駆り立てたのだ。

 映画の冒頭、「小松」という小料理屋に初老の男が入ってくる。主人公の父親杉山周吉である。飲み屋の店先に、たぶん当時は珍しかっただろう大型のオートバイが止まっている。店の中ではこのオートバイの持ち主らしい革ジャン(これも当時は貴重品だったと思われる)を着た男が一人で酒を飲んでいる。女将と周吉、それに先客の男をまじえたさりげない会話から、これ以降の物語の展開に必要な情報が過不足なく提示されていく。

 女将と周吉は古いなじみで、家族ぐるみのつきあいのようである。女将は明子も孝子もよく知っているようだ。周吉は銀行員である。だが、どうも、ばりばり仕事をして出世していく、というタイプでもないらしい。「くにからこのわたを送ってきた」という話から、女将の郷里の志摩が話題になり、先客の男が真珠の養殖の話をする。先客の男が「深い海の底で育つ」という真珠の養殖は、この映画のテーマの何らかの寓意なのだろうか。

 小料理屋の店内に孝子の夫(沼田という名である)の帽子が掛けてあったことから、周吉は孝子の夫が数日前酔ってこの店を訪れたことを知る。そして、帰宅すると、孝子が赤んぼうの道子を連れて戻ってきている。

 ここまでわずか数分間の映像で、周吉と彼を取り巻く家族の不幸が暗示される。明るい飲み屋の店内と一変して、周吉の家のある雑司ヶ谷の坂道の暗いこと。周吉の家は、かなり急な坂道を上がったところにあるのだが、坂道の後ろに十字架のように見える電柱が立っている。家の玄関の前には、(このときは暗くてよくわからないのだが)鉢植えのイチジクの木と大きな壺が置かれ、森永牛乳の木箱が玄関のガラス戸に掛かっている。

 これらの映像から、神話的、あるいは宗教的な寓意をよみとることはもちろん可能だが、それよりも徹底してリアルな、緻密に組み立てられた心理劇の伏線として受け取るべきだろう。この心理劇は、孝子を演じる原節子の怖ろしいまでの名演技にかかっているのだが、長くなるので、詳細はまた次回に書きたい。

 一カ月間小津三昧で、その割にまとまったことも書けませんが、何とか出だしの部分まで漕ぎつけました。もう少し、怠けないで頑張りたいと思っています。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

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