2014年10月20日月曜日

大江健三郎『宙返り』の謎___「十三人組」と「モースブルッガー委員会」_「パトロン」とは何か

 私は大江健三郎のエッセイ、とくに小説の方法論について書かれたものをほとんど読まない。意識して読まないようにしている。それで、なおさらそうなるのかもしれないが、そもそも大江の小説が「何を書いたものか」ということがさっぱりわからない。わかったような顔をしていままで書いてきたものはすべてたんなる備忘録である。前回「踊り子(ダンサー)とは何か」と同じように、今回も私自身が考えを進めるための文字通りnaoko_noteである。

 そもそも「パトロン」とは何か。日本語の「師匠」に「パトロン」とルビをふるのは無理がないだろうか。「パトロン」という日本語は日常生活で「師匠」の意味に使われることがあるのか。普通は「支援者」とくに経済的なそれを指して使われると思う。文化、芸術のそれから、一個人の支援者にいたるまで「パトロン」とは「(とくに経済的な)支援」を「する側」の人物をいうのであって、「される側」をそう呼ぶことはない。ところが『宙返り』では「宙返った救い主」が「師匠」と表記されるが常に「パトロン」とも表記されるのである。「パトロン」には「支援者」という標準的な意味の他に、何か特別の意味があるのだろうか。

 「パトロン」を支援してきた(つまり「パトロン」のパトロン)のは「国際文化交流財団」なる存在であることがほのめかされている。あるいは財団の理事長である製薬会社の社長なのかもしれない。この製薬会社の社長は、師匠(パトロン)と初対面の名詞交換の際に、白亜の社屋のヘルメス像の前で師匠(パトロン)頭をコツンと殴られた、というエピソードが書かれている。師匠(パトロン)と理事長を引き合わせたのは「無邪気な」萩青年なのだが、彼は父親が高名な医学者であり、その縁で製薬会社の社長が理事長をつとめる「国際文化交流財団」の仕事をすることになったらしい。師匠(パトロン)の周囲には医学_製薬会社のコネクションがはりめぐらされている、と推測するのは考え過ぎだろうか。作中、じつにしばしば踊り子(ダンサー)は師匠(パトロン)に薬を飲ませるのである。

 理事長は、師匠(パトロン)の世話に専従したいという萩青年の申し出を快諾し、なおかつ彼に財団の嘱託として給料もだす、としたうえで、バルザックの十三人組の話をする。師匠(パトロン)には十三人組の気分に似通うところがある、というのである。十三人組とは何か。

 理事長によれば「十三人組というのは、暗黒世界もふくめて、十三人の実力者がフランスの一時代を支配する、という着想」ということだが、バルザックの小説に書かれているのは、かなり猟奇的な事件であり陰惨な結末のようである。実際、小説の最後で師匠は信者の姉弟とともに焼身自殺を遂げる。「あの人には十三人組の気分に似通うところがある」という理事長の言葉はなんとも無気味ではないか。

 さらに無気味なのが師匠(パトロン)とともに焼身自殺を遂げる立花さんという人物の登場の仕方である。立花さんはカトリック系の大学(上智大であることが暗示される)の図書館司書であり、知的障害をもつ弟とともに自立の道を探る堅実そのものの女性として描かれるが、彼女は「モースブルッガー委員会」というサークルを介して、無邪気な萩青年と出会うのである。「モースブルッガー委員会」とは何か。

 「モースブルッガー」とはオーストリアの小説家ロベルト・ムジールの未完の大作『特性のない男』の登場人物の名前である。大江はモースブルッガーを「奇怪な性犯罪者」と呼んでいるが、たんなる婦女暴行魔ではない。猟奇的な快楽殺人を犯す人物である。「モースブルッガー委員会」は、『特性のない男』の読書会から発展して、犯罪を捜査する人たちにとどまらず、犯罪の当事者を会に招き、話を聞くというところまで行き着いた、と書かれている。敬虔そのものの立花さんがそのようなサークルに参加していたとする設定は何を意味するのだろうか。それから、無邪気な萩青年が、仕事帰りの立花さんと会って別れた後、桜木立の暗闇から街燈の点る舗道に向けて歩き出して、桜の枝でしたたか眼と鼻を横殴りされた、というエピソードは何故記されなければならなかったのか。

 以上、小説の本筋とあまり関係がないように見えるが、私にはどうしても見過ごすことの出来ない点について書いてみた。もうひとつ同じように見過ごせないのが、無邪気な萩青年と津金夫人の恋愛譚である。この、ハッピー・エンドともみえる恋愛譚は何故挿入されなければならなかったのだろう。そのことについては、またあらためて考えてみたい。それから、師匠(パトロン)についての最大の疑問___師匠(パトロン)の性的能力についても。師匠(パトロン)にはかつて妻子がいた、とも書かれているのだけれど。

 ついに最後までまとまりのない乱文でした。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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