『同時代ゲーム』は「第一の手紙 メキシコから時のはじまりにむかって」の章から書き出される。ほとんどの文学作品と同じように、この長編も冒頭のこの章にすべての要素が含まれているといっていいだろう。語り手の「僕」は、いまや「壊す人」の巫女になったという双子の妹であり、僕の分身でもある「きみ」に手紙を書く。その手紙は、巫女になった妹をつうじた「壊す人」あてのものでもあり、「壊す人」に率いられた故郷の「村=国家=小宇宙」の神話と歴史の叙述でもある。しかし、なぜ「メキシコから」書き出さねばならなかったのか。
「僕がこの発心にいたったマリナルコという町は、荒野にむけて迫った山巓の裾をわずかに拓いた、あらかた斜面の集落だが、メキシコの古い町の御多分に漏れず、そこに住んできた人間の歴史は永く、かつ捩曲がっている」と書かれるマリナルコという町の地理的、歴史的条件が、故郷の「村=国家=小宇宙」のそれと酷似していた、という理由がもちろんあげられるだろう。侵略、破壊、征服の跡が刻まれた風土。だが、「僕」が「発心」という言葉で表した決意の強さはそれだけによるではない。むしろそれ以上に二つの事柄が、いわば啓示となって「僕」をうながしたのだ。
一つは、東独から亡命し、アメリカ国籍をもち、現地の混血の若い妻と暮らす男からの情報である。アルフレート・ミュンツアーという日本語を話すその男は、マリナルコの土地を買いたいという旅行会社の添乗員に会ったという。その添乗員は「僕」と同じ「村=国家=小宇宙」出身で、長老に引率された彼の郷里の人間が新しい国を造るために土地を探すのが自分の役割だといったと言うのだ。そして、その添乗員がマリナルコの土地こそそれにふさわしいとした選択は、「僕」の「内臓感覚」において、正しいものと直覚されたのである。
もう一つは、アルフレート・ミュンツアーの話を聞きながら覚え始めていた歯痛__これがその「内臓感覚」を支えていたのだが__こちらのほうがより大きなそして強い啓示となったのかもしれない。少年時からつねに歯痛に悩まされていた「僕」は、しばしば、みずから歯あるいは歯茎を切開するという治療、というより自損行為を行った。痛みを極限まで顕在化させることで、「壊す人」の救済を待望したのだった。時をへだてて再び襲ってきた歯痛にたいして、「僕」はピラミッド遺跡から掘り出した石斧を手にすると、かつてと同じように、腫れた歯茎にうちあてた。それは、その石斧を使って、荒地を堀りおこすこと_新植民地建設の祭りを自分一人で行うことを「壊す人」が禁止する声を聞いたからである。ならば石斧は「壊す人」への帰依のための自損に使われなければならない。
こうして、「壊す人」への全存在的な帰依の感覚の甦りのうちに、「僕」は自分の役割を果たすことにのみ集中していったのだ。すなわち「父=神主」からスパルタ教育(この言葉もつねにこう書かれる)で口承された「村=国家=小宇宙」の神話と歴史を書くという行為に。
だが、ここに不思議なことが一つある。それほどまでに全存在的な帰依の感覚をもつ「僕」も「父=神主」もそして「僕」の分身でもある双子の妹も、厳密な意味では「村=国家=小宇宙」の内部の人間ではないのである。「父=神主」は「三島神社」の神官として外部から赴任してきた人間で、しかもロシア人の血をひき、母は一時期谷間に居ついた旅芸人で、「僕」を含む五人の子を生した後に谷間から追い出されてしまったのだ。「父=神主」は神官として村=国家=小宇宙」の最も高い所に居て、五人の子供たちは洪水になると、糞尿のまじった濁流が流れ込む谷間の最下層の家に住んでいた。「村=国家=小宇宙」を上下に挟んで、その神話と歴史の伝承に存在を賭けるという父と子の行為は何を意味するのだろうか。そのことは、「村=国家=小宇宙」から数万キロ離れたメキシコから「壊す人」の神話と歴史を書き始めるということと関係があるのだろうか。
少し先を急ぎすぎてしまったようである。「僕」のメキシコでの体験については、まだ書かなければならないことが多すぎるくらいあるのだが、それはまた回を改めたい。
今日もまとまらない文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
2013年10月26日土曜日
2013年10月23日水曜日
大江健三郎『同時代ゲーム』___エンサイクロペディアあるいは「聖書」としての同心円構造
折り紙つきの難解な作品である。饒舌に執拗に、そして過剰といっていいほどの分量で「村=国家=小宇宙」の神話と歴史が語られる。語りの文脈が、日本語のそれとしては非常に複雑で、しかもさりげない一言に多義的な意味が含まれていそうなので、読む側としては緊張の持続を要求される。結果として、疲れてしまって、途中でいったん小休止、をくり返してしまう。というより、小休止して一つ一つのエピソードの意味を吟味しなければ先に進めないような展開になっているようだ。
物語は語り手の「僕」が双子の妹に手紙を書くという形式で書かれる。書かれる内容は「父=神主」がスパルタ教育の口承で「僕」に教え込んだ「村=国家=小宇宙」の神話と歴史である。「村=国家=小宇宙」をつくりあげた「壊す人」の死と再生とそのヴァリエーションが、ある時はまったく神話風に、ある時は歴史の痕跡がたどれるかのように語られる。語られる次元は複雑に錯綜するが、中心は終始一貫して「村=国家=小宇宙」である。「村=国家=小宇宙」を語り尽くそうという試みとしては、たった一人で書いたエンサイクロペディアであり、収集された文献の口承もしくは朗誦そして編集の結果としては谷間と「在」という共同体の「聖書」(the Bible___ biblia書物の複数形 の意)として読むべきなのだろう。「第一の手紙 メキシコから、時のはじまりにむかって」は旧約聖書創世記に対応する。
創世記が天地「創造」から始まり、「創る神」を語るのにたいして、『同時代ゲーム』はすでに確立されていた共同体からの「追放」から始まり、逃避行の果ての障害物_つねに「大岩塊、あるいは黒く硬い土の塊り」と記述される_を爆破した「壊す人」を語る。旧約聖書の神は支配し、命令し、罰する神であるが、「壊す人」は一行のリーダーであり、夢でお告げを述べる人であり、巨人化した自らを殺させ、その体を共同体の成員全員に食わせる人である。語り手の「僕」の双子の妹が「壊すという字を懐かしいという字と一緒にして、両方がひとつの字で、そのまま壊す人という名前になっていると思ってたんやねえ。」というように、罪と罰の恐怖支配を行う存在ではない。
「壊す人」とは何か、「村=国家=小宇宙」と呼ばれる共同体とは何か、という主題にたち向かう前に、そもそも大江はなぜこの長大な作品をものしたのか、という疑問について考えてみたい。『万延元年のフットボール』から『みずから我が涙をぬぐいたまう日』『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』『ピンチランナー調書』『洪水はわが魂に及び』と、それこそ「同時代」を疾走してきた感のある作品群とくらべて、『同時代ゲーム』はいかにも重いのである。作品が長編だからそう感じる、というわけでもない。冗長で退屈、というのでも、もちろんない。冒頭のメキシコでの体験の語りからして緊迫感に満ちたストーリーの展開と圧倒的な描写力で読む者を魅了する。だが、「小説」として自律的な展開をするのはこの部分と最後の語り手の「僕」が森を彷徨する部分だけで、作品のほとんどは、核となる「村=国家=小宇宙」の神話あるいは歴史とその多様な解釈の呈示である。谷間の村を取り囲む森の中で自分でつくった迷路に入って脱け出せなくなった子供のように、この小説を読み込んでいくと、読めば読むほど考えが堂々巡りしてしまうような気がする。思考のベクトルが見出せないのである。
というわけで何ヶ月かかっても、書き出せないでいたのでした。それでも、いくらか見えてきたものもあるので、また回を改めて書いてみたいと思います。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
物語は語り手の「僕」が双子の妹に手紙を書くという形式で書かれる。書かれる内容は「父=神主」がスパルタ教育の口承で「僕」に教え込んだ「村=国家=小宇宙」の神話と歴史である。「村=国家=小宇宙」をつくりあげた「壊す人」の死と再生とそのヴァリエーションが、ある時はまったく神話風に、ある時は歴史の痕跡がたどれるかのように語られる。語られる次元は複雑に錯綜するが、中心は終始一貫して「村=国家=小宇宙」である。「村=国家=小宇宙」を語り尽くそうという試みとしては、たった一人で書いたエンサイクロペディアであり、収集された文献の口承もしくは朗誦そして編集の結果としては谷間と「在」という共同体の「聖書」(the Bible___ biblia書物の複数形 の意)として読むべきなのだろう。「第一の手紙 メキシコから、時のはじまりにむかって」は旧約聖書創世記に対応する。
創世記が天地「創造」から始まり、「創る神」を語るのにたいして、『同時代ゲーム』はすでに確立されていた共同体からの「追放」から始まり、逃避行の果ての障害物_つねに「大岩塊、あるいは黒く硬い土の塊り」と記述される_を爆破した「壊す人」を語る。旧約聖書の神は支配し、命令し、罰する神であるが、「壊す人」は一行のリーダーであり、夢でお告げを述べる人であり、巨人化した自らを殺させ、その体を共同体の成員全員に食わせる人である。語り手の「僕」の双子の妹が「壊すという字を懐かしいという字と一緒にして、両方がひとつの字で、そのまま壊す人という名前になっていると思ってたんやねえ。」というように、罪と罰の恐怖支配を行う存在ではない。
「壊す人」とは何か、「村=国家=小宇宙」と呼ばれる共同体とは何か、という主題にたち向かう前に、そもそも大江はなぜこの長大な作品をものしたのか、という疑問について考えてみたい。『万延元年のフットボール』から『みずから我が涙をぬぐいたまう日』『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』『ピンチランナー調書』『洪水はわが魂に及び』と、それこそ「同時代」を疾走してきた感のある作品群とくらべて、『同時代ゲーム』はいかにも重いのである。作品が長編だからそう感じる、というわけでもない。冗長で退屈、というのでも、もちろんない。冒頭のメキシコでの体験の語りからして緊迫感に満ちたストーリーの展開と圧倒的な描写力で読む者を魅了する。だが、「小説」として自律的な展開をするのはこの部分と最後の語り手の「僕」が森を彷徨する部分だけで、作品のほとんどは、核となる「村=国家=小宇宙」の神話あるいは歴史とその多様な解釈の呈示である。谷間の村を取り囲む森の中で自分でつくった迷路に入って脱け出せなくなった子供のように、この小説を読み込んでいくと、読めば読むほど考えが堂々巡りしてしまうような気がする。思考のベクトルが見出せないのである。
というわけで何ヶ月かかっても、書き出せないでいたのでした。それでも、いくらか見えてきたものもあるので、また回を改めて書いてみたいと思います。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
2013年10月4日金曜日
大江健三郎_『ヒロシマの「生命の木」』__無信仰な者としてキリストを語ることはできるか(その2)
無信仰な者がキリストを語ることはできるか___難しい標題を掲げてしまったものだと思う。「無信仰な者」とは何か、という定義がまず難しい。「主よ、信じます。信仰のない私をお助けください」(マルコによる福音書9章24節)という有名なことばがある。だが、ここではあえて、一般的に、洗礼を受けておらず、自らをキリスト者として認めていない人、として論をすすめたい。自らをキリスト者として認めていない者がキリストを語ることはできるか。
大江は『ヒロシマの生命の木』の中で二回にわたってイエス・キリストについて語っている。最初はソヴィエトの作家アイトマートフとの対話の中で、彼の『処刑台』という作品の主人公アヴジイという青年を「いわばもうひとりのイエス・キリスト」と呼ぶ。アヴジイは《神のカテゴリーは、人類の歴史的発展に従って、時代につれて発展する》と考えるもと神学生で、麻薬がソヴィエトの青年たちを毒していることを憂え、危険を冒してその供給源を暴露しようとする。それだけでなく、密輸の結社に潜入し、かれらが手に入れた大麻を棄てるようにもとめる。そのようなアヴジイを大江は「繰り返されるそうした自己犠牲的な行為をつうじて、しだいにアヴジイは処刑台にあげられたイエスの、現在の新しい転換期における等価的な存在に限りなく近づく・・・・・・」と記述するのだ。
ここには大江のイエス・キリスト理解の特徴が明確に示されている。一つは「自己犠牲」という観念であり、もう一つは「新しい転換期」という認識である。そしてそれは、当然のこととして、対話の相手のアイトマートフとも共有するものである。大江の「無信仰な者として、このようなかたちでイエス・キリストに関心をもっているのです」という言葉に、アイトマートフもまた「私もキリスト教徒ではない。家族ぐるみイスラム教徒です」と応じている。
「歴史の分岐点=人類の危機の時、そこを乗り越えて新しい人間が生み出されなければ、人類は滅びるという時に現れて、新しい方向を示した人間がイエス・キリストではないか」という大江の問いに、アイトマートフも「新しい考えを生み出すために、もっとも辛い経験をした人がイエスだったと私は考えています。人類にとってイエスの体験を考えることで、いま必要な『新しい思考』をかちとるのに充分ではないかと思うほどです」とこたえる。
大江とアイトマートフに共通するのは、イエス・キリストの出現が歴史を変えた__新しい人間、新しい思考を生み出したということで__という認識である。しかし、この認識こそが信仰ではないだろうか。無信仰な者が福音書を読めば、体制に反逆して無残に殺された人間を神話化した伝承でしかない。一人の男が十字架に架けられて死ぬ。事実としてはそれ以上でもそれ以下でもない。その事実にそれ以上の意味を託するのであれば、自らをキリスト者として認めるべきではないか。
そうでないなら、それは、自らは安全な場に身をおいて、一人の人間を「自己犠牲」という美しいことばで祀り上げてしまう行為でしかない。
エッセイの後半でも、大江は物理学者フリーマン・ダイソンとの会話で作家ラスプーチンのイエス像について言及するのだが、こちらはほとんど具体的なことが語られていない。
最後に、標題とは直接関係ないのだが、第一章で、広島原爆病院の院長をつとめた重藤博士の経歴を読んで、絶句してしまったことを記しておきたい。重藤博士は一九〇三年生まれ。九州大学医学部を卒業して三九年に山口赤十字病院レントゲン科医長となり、理学療法科医長を兼ねる。翌年白血病に関する研究で医学博士。一九四五年七月二十日頃広島に転勤、広島赤十字病院副院長となる。大江はいう。「それはこの年の八月六日、世界はじめての原爆が襲う市にあらかじめ準備されていたこととして、不思議な思いを誘う出来事ではないか?」(下線筆者)しかも、博士は、この朝、前日の日曜日を生家で家族とともにすごし、一番の汽車で広島に向かいながら、部下の医師の身のふり方について国鉄の管理部と交渉しなければならず、その交渉に三十分ほどついやした。そのことが直接博士の命を救ったのかもしれない。
「あらゆる偶然は必然である」という箴言があったような気がする。
「フクシマの生命の木」という書物が書かれる日はあるのだろうか。
このように重くて複雑な、そして非常に微妙なテーマに取り組むに当たって、自分の力不足を認めざるをえません。不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
大江は『ヒロシマの生命の木』の中で二回にわたってイエス・キリストについて語っている。最初はソヴィエトの作家アイトマートフとの対話の中で、彼の『処刑台』という作品の主人公アヴジイという青年を「いわばもうひとりのイエス・キリスト」と呼ぶ。アヴジイは《神のカテゴリーは、人類の歴史的発展に従って、時代につれて発展する》と考えるもと神学生で、麻薬がソヴィエトの青年たちを毒していることを憂え、危険を冒してその供給源を暴露しようとする。それだけでなく、密輸の結社に潜入し、かれらが手に入れた大麻を棄てるようにもとめる。そのようなアヴジイを大江は「繰り返されるそうした自己犠牲的な行為をつうじて、しだいにアヴジイは処刑台にあげられたイエスの、現在の新しい転換期における等価的な存在に限りなく近づく・・・・・・」と記述するのだ。
ここには大江のイエス・キリスト理解の特徴が明確に示されている。一つは「自己犠牲」という観念であり、もう一つは「新しい転換期」という認識である。そしてそれは、当然のこととして、対話の相手のアイトマートフとも共有するものである。大江の「無信仰な者として、このようなかたちでイエス・キリストに関心をもっているのです」という言葉に、アイトマートフもまた「私もキリスト教徒ではない。家族ぐるみイスラム教徒です」と応じている。
「歴史の分岐点=人類の危機の時、そこを乗り越えて新しい人間が生み出されなければ、人類は滅びるという時に現れて、新しい方向を示した人間がイエス・キリストではないか」という大江の問いに、アイトマートフも「新しい考えを生み出すために、もっとも辛い経験をした人がイエスだったと私は考えています。人類にとってイエスの体験を考えることで、いま必要な『新しい思考』をかちとるのに充分ではないかと思うほどです」とこたえる。
大江とアイトマートフに共通するのは、イエス・キリストの出現が歴史を変えた__新しい人間、新しい思考を生み出したということで__という認識である。しかし、この認識こそが信仰ではないだろうか。無信仰な者が福音書を読めば、体制に反逆して無残に殺された人間を神話化した伝承でしかない。一人の男が十字架に架けられて死ぬ。事実としてはそれ以上でもそれ以下でもない。その事実にそれ以上の意味を託するのであれば、自らをキリスト者として認めるべきではないか。
そうでないなら、それは、自らは安全な場に身をおいて、一人の人間を「自己犠牲」という美しいことばで祀り上げてしまう行為でしかない。
エッセイの後半でも、大江は物理学者フリーマン・ダイソンとの会話で作家ラスプーチンのイエス像について言及するのだが、こちらはほとんど具体的なことが語られていない。
最後に、標題とは直接関係ないのだが、第一章で、広島原爆病院の院長をつとめた重藤博士の経歴を読んで、絶句してしまったことを記しておきたい。重藤博士は一九〇三年生まれ。九州大学医学部を卒業して三九年に山口赤十字病院レントゲン科医長となり、理学療法科医長を兼ねる。翌年白血病に関する研究で医学博士。一九四五年七月二十日頃広島に転勤、広島赤十字病院副院長となる。大江はいう。「それはこの年の八月六日、世界はじめての原爆が襲う市にあらかじめ準備されていたこととして、不思議な思いを誘う出来事ではないか?」(下線筆者)しかも、博士は、この朝、前日の日曜日を生家で家族とともにすごし、一番の汽車で広島に向かいながら、部下の医師の身のふり方について国鉄の管理部と交渉しなければならず、その交渉に三十分ほどついやした。そのことが直接博士の命を救ったのかもしれない。
「あらゆる偶然は必然である」という箴言があったような気がする。
「フクシマの生命の木」という書物が書かれる日はあるのだろうか。
このように重くて複雑な、そして非常に微妙なテーマに取り組むに当たって、自分の力不足を認めざるをえません。不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
2013年10月2日水曜日
大江健三郎_『ヒロシマの「生命の木」』__無信仰な者としてキリストを語ることはできるか
表題のエッセイは一九九〇年八月三日NHK総合テレビで放映された『世界はヒロシマを覚えているか』の制作のために、大江健三郎が世界をめぐって、何人かの人物にインタヴィユーした時の経験を文章にしたものである。「一九九〇年」という絶妙なタイミングで企画され、放映された、ということが感慨深い。時はまさに、ペレストロイカ、東欧革命のさなかであり、日本は(いまでは)バブルと呼ばれた経済の最盛期でもあった。
エッセイは広島原爆病院の院長であった故重藤文夫博士の生家にその夫人を訪ねた記事から始まる。表題「生命の木」とは、原爆病院で絶望の淵にありながら医療に従事していた若い医師に、重藤博士が「緑を見て来い」と言って山に行かせたというエピソードに由来するのだろう。この医師はその後自殺してしまうのだが。
第二章以下は有名無名の人物とのインタヴューあるいは私的な会話を通じて、核と人類の未来が議論される。インタヴューに応じた主な人物は、旧ソ連側では作家チンギス・アイトマートフ、同じく作家アルカージー・ストルガツキー、ソヴィエト共産党の機関紙「プラウダ」の科学担当の記者であり、劇作家でもあるウラジミール・グーバレフ、アメリカでは心理学者ロバート・J・リフトン、物理学者フリーマン・ダイソン(フリーマンとの対話の中で、ジョージ・ケナンにも触れている)、天文学者でSF作家カール・セーガンがあげられ、また、市民レベルでは「被爆者友の会(フレンズ・オブ・ヒバクシャ)」の人たちとの交流も記されている。最後にしめくくりとしてアジアから登場した金芝河との対話は緊張感に満ちたものとなった。
私が現代文学や現代史について知識が乏しいためか、このエッセイは難解をきわめる氏の小説よりもさらにわかりにくいものであった。ひとつには「世界はヒロシマを覚えているか」というタイトルのもと、何を議論するかという論点が絞れていないように思われることがある。一九九〇年の当時「なぜ、いま、ヒロシマなのか」___なぜ、このような企画をたてたのか。大江および制作スタッフの問題意識はどこにあったのか。最後に登場した金芝河に、「世界はヒロシマを覚えているか」という命題の立て方は間違っている、と指摘され(私からみれば)不毛な議論を重ねたのは、その未整理な、というよりとらえどころのない命題の立て方を衝かれたのではないか。
一つの推論として、当時「ペレストロイカ」という言葉とともに、何か新しいことが始まったのだと思わせる風潮があった。同時に、「ペレストロイカ」を促すきっかけとなったチェルノブイリの事故が起こって、核の問題に対する喫緊の対応が迫られていたという状況もまた存在した。二大陣営の冷戦が引き起こす「核戦争の恐怖」はひとまず遠のいたが、「原子力の平和利用」による事故の危険が現実のものとなったのである。このような状況で私たちはどう生きるのか、生き得るのか、という問いを、大江は当時の錚々たる知識人たちとの対話あるいは議論をすすめながら深めていこうとしたのだと思われる。
だが、この問いに対して大江は、その核心にあるものに触れないまま、周辺を丁寧に、誠実にまさぐっているように思われる。なによりも、「核戦争=核爆弾」「原子力の平和利用」は現実にひとつの経済行為として世界に存在するということ、問題の核心はそれだろう。ウラン発掘から核爆弾の製造にいたるまで、また発電などのいわゆる平和利用はそれ自体が非常に裾野の広い巨大なプロジェクトである。巨大な資本が投下され、得られる利潤もまた巨大である。プロジェクトを動かすのは、いうまでもなく資本家であり、その意を受けた経営者たちだ。ここが変わらなければ、何も変わらない。知識人たちとの対話で、あるいは草の根的な市民レベルの運動で、ピラミッドの頂点を突き崩すことは可能だろうか。
大江と知識人たちのインタヴューについて、その一つ一つを個別に検討、批判する余裕と力量は私にはない。総じて議論は文明論であり、歴史観の問題に帰するように思う。ここでは、エッセイ中最も重要であると思われるリフトン教授の文章を取り上げて考えてみたい。リフトン教授は一九六二年、家族とともに六ヵ月間広島に滞在し、被爆体験を持つ七五名の人々の面接調査を行った心理学者である。
《広島とアウシュビッツのさまざまなイメージを人間の意識から払いのけようと、世界の非常に多くの人々が試みているが、これは無益だというだけではない。そのような企てをするということは、われわれから我々自身の歴史を奪い取り、われわれが現にそうであるところのものを奪い取ることである。・・・・・・われわれは広島とアウシュビッツを必要としているのだ。・・・・・・それは、それらがわれわれにもたらす戦慄にもかかわらず、その戦慄がもたらさざるをえない飛躍へと想像力を深化させ、解き放つために、である。ロートケの言葉を借りれば「眼は暗いときにこそ見えはじめるものなのだから」。死のビジョンが生をもたらすのである。全体的な死滅というビジョンをもつことによって、死滅の呪いのもとで、そしてその呪いを超えて生きるということを、想像できるようになるのである》
(下線は筆者)
大江はこの文章に深く共感している。だが、この文章は、非常に危険な、そしてそれゆえに非常に美しい文章である。全滅という黙示録的ビジョンをもつこと、まさのそのことが「全滅を超克する生」に対する想像力を可能にするといっているのだ。だが、想像することと、現実に生きる、生き延びることとは違う。現実に生き延びることができるかどうか、ボールは私たちの側にあるのではない。核産業の経済合理性にかかっている。利潤を上げ続けることができれば、資本家は「核戦争=爆弾」「原子力の平和利用」という経済行為をやめる理由はない。規模の縮小や商品の多様化はあるかもしれないが。
ボールが私たちの側にあるのではないとしたら、私たちは何をなし得るのか。それに答えるかのように、大江はこのエッセイの中で、二度にわたってイエス・キリストに言及する。キリスト教徒でない、無信仰な者として、イエスに言及する___それはまさに、私が生活者として、また文章を書くものとしてなしている行為である。だが、それは可能なのか?このエッセイは私にその問いをつきつけている。私は大江のなしている行為とともに、私自身がなしている行為について、批判、検討しなければならない。
本論はこれからなのですが、序論の段階ですでにかなりの長文になってしまいました。続きはまた回を改めたいと思います。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
エッセイは広島原爆病院の院長であった故重藤文夫博士の生家にその夫人を訪ねた記事から始まる。表題「生命の木」とは、原爆病院で絶望の淵にありながら医療に従事していた若い医師に、重藤博士が「緑を見て来い」と言って山に行かせたというエピソードに由来するのだろう。この医師はその後自殺してしまうのだが。
第二章以下は有名無名の人物とのインタヴューあるいは私的な会話を通じて、核と人類の未来が議論される。インタヴューに応じた主な人物は、旧ソ連側では作家チンギス・アイトマートフ、同じく作家アルカージー・ストルガツキー、ソヴィエト共産党の機関紙「プラウダ」の科学担当の記者であり、劇作家でもあるウラジミール・グーバレフ、アメリカでは心理学者ロバート・J・リフトン、物理学者フリーマン・ダイソン(フリーマンとの対話の中で、ジョージ・ケナンにも触れている)、天文学者でSF作家カール・セーガンがあげられ、また、市民レベルでは「被爆者友の会(フレンズ・オブ・ヒバクシャ)」の人たちとの交流も記されている。最後にしめくくりとしてアジアから登場した金芝河との対話は緊張感に満ちたものとなった。
私が現代文学や現代史について知識が乏しいためか、このエッセイは難解をきわめる氏の小説よりもさらにわかりにくいものであった。ひとつには「世界はヒロシマを覚えているか」というタイトルのもと、何を議論するかという論点が絞れていないように思われることがある。一九九〇年の当時「なぜ、いま、ヒロシマなのか」___なぜ、このような企画をたてたのか。大江および制作スタッフの問題意識はどこにあったのか。最後に登場した金芝河に、「世界はヒロシマを覚えているか」という命題の立て方は間違っている、と指摘され(私からみれば)不毛な議論を重ねたのは、その未整理な、というよりとらえどころのない命題の立て方を衝かれたのではないか。
一つの推論として、当時「ペレストロイカ」という言葉とともに、何か新しいことが始まったのだと思わせる風潮があった。同時に、「ペレストロイカ」を促すきっかけとなったチェルノブイリの事故が起こって、核の問題に対する喫緊の対応が迫られていたという状況もまた存在した。二大陣営の冷戦が引き起こす「核戦争の恐怖」はひとまず遠のいたが、「原子力の平和利用」による事故の危険が現実のものとなったのである。このような状況で私たちはどう生きるのか、生き得るのか、という問いを、大江は当時の錚々たる知識人たちとの対話あるいは議論をすすめながら深めていこうとしたのだと思われる。
だが、この問いに対して大江は、その核心にあるものに触れないまま、周辺を丁寧に、誠実にまさぐっているように思われる。なによりも、「核戦争=核爆弾」「原子力の平和利用」は現実にひとつの経済行為として世界に存在するということ、問題の核心はそれだろう。ウラン発掘から核爆弾の製造にいたるまで、また発電などのいわゆる平和利用はそれ自体が非常に裾野の広い巨大なプロジェクトである。巨大な資本が投下され、得られる利潤もまた巨大である。プロジェクトを動かすのは、いうまでもなく資本家であり、その意を受けた経営者たちだ。ここが変わらなければ、何も変わらない。知識人たちとの対話で、あるいは草の根的な市民レベルの運動で、ピラミッドの頂点を突き崩すことは可能だろうか。
大江と知識人たちのインタヴューについて、その一つ一つを個別に検討、批判する余裕と力量は私にはない。総じて議論は文明論であり、歴史観の問題に帰するように思う。ここでは、エッセイ中最も重要であると思われるリフトン教授の文章を取り上げて考えてみたい。リフトン教授は一九六二年、家族とともに六ヵ月間広島に滞在し、被爆体験を持つ七五名の人々の面接調査を行った心理学者である。
《広島とアウシュビッツのさまざまなイメージを人間の意識から払いのけようと、世界の非常に多くの人々が試みているが、これは無益だというだけではない。そのような企てをするということは、われわれから我々自身の歴史を奪い取り、われわれが現にそうであるところのものを奪い取ることである。・・・・・・われわれは広島とアウシュビッツを必要としているのだ。・・・・・・それは、それらがわれわれにもたらす戦慄にもかかわらず、その戦慄がもたらさざるをえない飛躍へと想像力を深化させ、解き放つために、である。ロートケの言葉を借りれば「眼は暗いときにこそ見えはじめるものなのだから」。死のビジョンが生をもたらすのである。全体的な死滅というビジョンをもつことによって、死滅の呪いのもとで、そしてその呪いを超えて生きるということを、想像できるようになるのである》
(下線は筆者)
大江はこの文章に深く共感している。だが、この文章は、非常に危険な、そしてそれゆえに非常に美しい文章である。全滅という黙示録的ビジョンをもつこと、まさのそのことが「全滅を超克する生」に対する想像力を可能にするといっているのだ。だが、想像することと、現実に生きる、生き延びることとは違う。現実に生き延びることができるかどうか、ボールは私たちの側にあるのではない。核産業の経済合理性にかかっている。利潤を上げ続けることができれば、資本家は「核戦争=爆弾」「原子力の平和利用」という経済行為をやめる理由はない。規模の縮小や商品の多様化はあるかもしれないが。
ボールが私たちの側にあるのではないとしたら、私たちは何をなし得るのか。それに答えるかのように、大江はこのエッセイの中で、二度にわたってイエス・キリストに言及する。キリスト教徒でない、無信仰な者として、イエスに言及する___それはまさに、私が生活者として、また文章を書くものとしてなしている行為である。だが、それは可能なのか?このエッセイは私にその問いをつきつけている。私は大江のなしている行為とともに、私自身がなしている行為について、批判、検討しなければならない。
本論はこれからなのですが、序論の段階ですでにかなりの長文になってしまいました。続きはまた回を改めたいと思います。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。