2013年9月8日日曜日

「紅の豚」の謎___いくつかの小さな疑問

 テレビはめったに見ないのだが、「ジブリの呪い」など賑やかなので、「金曜ロードショー」の「紅の豚」を見てしまった。あらすじは紹介するまでもないだろう。空と海と男と女の冒険とロマンの物語である。ハラハラドキドキの空中戦あり、胸キュンの少女の片思いあり、サービス満点のエンターテインメントとして申し分のない作品である。美しい色彩とレトロな雰囲気も気持ちよく見る者を酔わせてくれる。

 だから見終わって「おもしろかった~!」ですんでしまいそうで、実際すんでしまったのだが、なぜ「紅の」「豚」なのか、という疑問が残った。いや、正確に言えば、最初から「紅の」「豚」の解は持っていたのだが、ストーリー全体との整合性がいまひとつ満足のいくものではなかった。ジグゾーパズルのすべてがピタッと合わないのだ。それで、重箱の隅をつつくような作業だが、いくつかのちょっと不思議な場面を書き出してみることで、パズルをもう一度組み立ててみたい。

 冒頭ポルコが昼寝をしているシーン。「1929」の年号が書かれている雑誌を顔にかぶせている。その雑誌は「CINEMA」というタイトルなのだ。この映画のもう一人の主人公カーチスというアメリカ人(祖母がイタリア人というクォーター)は物語の後にアメリカに渡って映画俳優になったことが語られる。そのこととこの冒頭のシーンは関係があるのだろうか。それからカーチスが主演した映画のタイトルは「THE TRIPLE LOVE」となっていて、これもなんだか思わせぶりである。

 おなじく冒頭で小さなテーブルの上に食べかけのりんごが置かれている。これが不思議なことに灰色?のりんごなのである。半分以上食べられていて、しかも彩色するのを忘れたのかと思うような色なのでいかにもまずまずしい。ところが、次にまたりんごが登場するシーンがある。ポルコが賞金を手に入れて、カーチスとの一騎打ちのため飛行艇を修理に出すフライトに飛び立つときだ。なぜか今度は真っ赤なおいしそうなりんごがまるごとテーブルの上に残っているのである。

 カーチスの飛行艇に「ガラガラ蛇」が描かれているのはなぜだろう。物語の中盤でポルコが戦友フェラーリンと映画館で会うのだが、そのとき上映されていたアニメにも蛇が出ていた。主人公の女の人が蛇に巻きつかれているシーンを見ていたポルコが「ひでぇ映画だな」と言っている。最後は蛇が撃退されて、主人公の男女の抱擁で終わり、フェラーリンが「いい映画だったじゃないか」というのだが。

 一番ミステリアスに描かれているが、一番分かりやすいのがジーナで、暗号解読をするシーンがあるので、そういう人間なのだろう。経営するホテルではいつも紫の服を着て金の大きな丸いイヤリングをつけているが、昼間の別荘(これがなぜかちょっとした要塞のようで、カーチスは塀をよじ登ってドアにたどり付く)では白い服で青いすらりとしたイヤリングだ。だが、暗号解読のシーンではネイビーみたいな服装でズボンを穿いている。彼女の飛行艇の「G」はジーナの「G」なのだろうが。しかし彼女が愛した男はどうしてみんな死んでしまうのだろう。「一人は戦争で、一人は大西洋で、もう一人はアジアで」死んだというのは不吉だ。その彼女がポルコを「愛するか」どうか「賭け」をしている、というセリフも不思議だ。「愛される」かどうかなら不思議ではないが。

 ピッコロ社の主人もちょっと不思議なのは、どう見てもイタリア人には見えないことだ。極端に小さな体に眼鏡はむしろ日本人の典型ではないか。孫の天才少女フィオは生き生きと行動的でしかもナイーヴな女の子だが、空賊たちとの交渉の後、心を落ち着かせるために「あたし、泳いでくる!」というのは唐突だ。「泳ぐ」といえば、最初にポルコが救出した「バカンス中の女学生」という「15人」の少女が服を脱いで大海原で泳ぎだすシーンがあって、しかもそれが5~6歳の幼女にしかみえないのもおかしい。

 まだまだ不思議が見つかるかもしれないが、最後の結末の不思議を書いておこう。大人になったフィオが「ジーナさんはますますきれいになって」と語るのだが、彼女の経営するホテルアドリアーノの店内に彼女の姿は見えないのである。ホテルの裏に赤い飛行艇らしき物が見えるので、ジーナとポルコは結婚したのだ、という結末がネット上でよく語られるのだが、果たしてそうだろうか。

 さて「紅の」「豚」とは何か。・・・やはり書かないでおこう。「ポルコ」が「紅の」にあたるそうだが(イタリア語は全然わかりません。だからポルコが読む新聞の見出しも分からない。残念!)ジーナは彼を「マルコ」と呼んでいる。「マルコ」はマーク、マルクス、マルス、マースだろう。それから、「豚」といえばサリンジャーの「ド・ドーミエ・スミスの青の時代」にも「美しい豚の描き方」について書かれている。この後、宮崎駿自身も「千と千尋の神隠し」で主人公の少女の両親を「豚」に変えるのだけれども。そう、「青」といえば、カーチスがいつも青い服を着ているのも何か意味があるのか、とおもってしまうのだが、際限もなくなりそうなので、このくらいにしておこう。

 『同時代ゲーム』の読みが遅々として進まないので、また寄り道してしまいました。乱雑な走り書きの文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2 件のコメント:

  1. ポルコが豚でロッソが赤ですね。

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  2. コメントありがとうございます。お返事が遅れて申し訳ありませんでした。
    「ポルコが豚でロッソが赤」__さて「豚」と「赤」は何を象徴しているのでしょう。もうひとつカーチスの着ている服が「青い」のは何故でしょう。
    この作品はほのめかしと寓意に満ちています。口当たりの良い「感動的」な仕上がりの下に、苦くて深刻な告発が潜んでいるように思えてならないのですが。

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