額田王、柿本人麻呂といわゆる宮廷歌人の歌を取り上げてきた。今回は天智天皇御製と記載されている歌三首。
「香具山は 畝傍をゝしと、
耳梨と、あひ争ひき。
神代よりかくなるらし。
いにしへも然なれこそ。
うつそみも、つまを争ふらしき」 萬葉集巻一・一三
反歌
「香具山と 耳梨山と あひし時、立ちて 見に来し 印南国原」 萬葉集巻一・一四
「わたつみの豊旗雲に入日さし、今宵の月夜明らけくこそ」 萬葉集巻一・一五
大和三山のつま争いは有名な伝説だが、三山の雌雄は流動的である。多くは最も標高の高い(といっても199メートル)畝傍山を男性、耳梨と香具山を女性に見立てて解釈しているようだが、古代では母権制の名残で女山のほうが高い場合もあるようである。実際に登ってみると、香具山と耳梨山はあっという間に頂上に着いてしまう。高さはそんなに変わらないのだが、畝傍山はどこか神秘的な雰囲気が漂う妖しい山だった。
だから、というわけでもないのだが、私は畝傍山が女山のような気がする。「畝傍を をし(愛しまたは惜し)」と読みたい。「畝傍雄々し」でなく。原文は「畝傍男雄志」とあるので畝傍山が男山であるとするのが一般的のようだが。折口も「畝傍男々し」と訓んでいる。だが、長歌は「香具山は、畝傍をゝしと」と詠み手が香具山の側に立って詠んでいる。とすれば香具山は天智天皇に擬せられるのだから男山ということになるのではないか。いずれにしろ、香具山は大和三山の中の一つ、というより、「ひさかたの」「天の」と枕詞を冠して詠まれる特別な存在だった。
「大和には群山あれど、
とりよろふ天の香具山、登り立ち 国見をすれば、
国原は煙立ち立つ。海原は鷗立ち立つ。
うまし国ぞ。蜻蛉島大和の国は」 舒明天皇 萬葉集巻一・二
「春過ぎて 夏来たるらし。しろたへの衣乾したり。天の香具山」 持統天皇 萬葉集巻一・二八
「ひさかたの 天の香具山。このゆふべ、霞たなびく。春立つらしも」 人麻呂歌集 萬葉集巻十・
一八一二
香具山の説明が長くなってしまったが、雌雄いずれにしろ長歌は三山のうち二山が残りの一山をめぐって争った、という伝承を踏まえて「いにしへも然なれこそ。うつそみも、つまを争ふらしき」と詠んでいる。「つま争ひ」の歌である。それに対して反歌第一首「香具山と・・・」は三山のつま争いを仲裁に印南の国がやって来た、と長歌をうけた内容になっているが、必ずしも反歌としてしっくりあっていないようである。それでも、「あひし時」=「闘ひし時」または「戦ひし時」の意で、(つま)「争い」という共通項があることから、反歌として成り立たない、とまではいえない。だが、反歌第二首はどうだろうか。「わたつみの豊旗雲に入日さし・・・」とまったく異なる叙景歌が詠まれている。つま争いとは無関係なのだ。
そもそもこの長、反歌はどこで詠まれたのか。「香具山は・・・」と読み出している長歌はどうしても、香具山を眼前にして詠んでいる、と考えるのが自然だろう。だが、「いにしへも然なれこそ。うつそみも、つまを争ふらしき」という詠嘆を反復、強調すべき反歌は「・・・立ちて 見に来し 印南国原」と木に竹を接いだような歌で、抒情のかけらも感じられない。そして第三首は、「わたつみの・・・」と海上の光景を詠んで、「今宵の月夜明らけくこそ」と歌い上げる。香具山を眼前にして「わたつみの・・・」はあり得ないので、少なくとも第三首は、海上ないし海を眼前にして読んでいるとしか考えられない。つまりこの三首は、つま争いの枠組みで一つながりの組歌として成り立たせることは困難なのだ。
山本健吉氏は『万葉百歌』の中で、この三首は、六六一年正月、斉明天皇西征の時、印南の浦に泊り、宴を催した折のものではないか、と推測されている。おそらく、「そう読まれるべき」なのだと思う。萬葉集巻一は巻頭歌に雄略天皇「籠よ、み籠持ち・・・」を置くことから推測されるように、明確な意図をもって編纂されている。とすれば、この三首は、やはり、「つま争い」ではない一つながりの組歌として「読まれなければならない」。そしてその主眼は第三首「今宵の月夜明らけくこそ」にあると思われる。「明らけくこそ」は「清らけくこそ」「まさやかにこそ」など、異なる訓があるようだが、いずれも嘱目の光景を詠みながら、天気晴朗を願う歌である。同時に、その願望の先に何があるかはいうまでもない。軍旅である。そのことはまた、「つま争い」という伝承をもちだしたことの意味ももういちど考えなければならないことを示唆するものではないのか。
この三首が「つま争い」という伝承に偏って取り上げられることが多いのは、おそらく額田王が天智、天武の両天皇に仕えたという史実によるのだろう。
「あかねさす 紫野行き 標野行き、野守は見ずや。君が袖振る」 額田王 萬葉集巻一・二〇
「むらさきの にほへる妹を。憎くあらば、人妻ゆゑに、われ恋ひめやも」 天武天皇 萬葉集巻一・二一
の二首もゴシップ的関心の的になるのかもしれない。だが、この三首の長、反歌はそれと切り離して読まれるべきである。
萬葉集にこだわりはじめると、止め処がなくなりそうで、いつまでも大江健三郎やサリンジャーに戻れなくなりそうです。折口については、「折口信夫とキリスト教」とくに「貴種流離譚」というテーマで書きたいのですが、これは生半な覚悟では書けないので、だいぶ遠い先のことになりそうです。
そして、いつかは「権力小説としての源氏物語」を書きたいと思っています。日暮れて道遠し。
今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
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