2012年3月28日水曜日

「バナナ魚には理想的な日」四度_____「バナナ魚」とは何か

きわめて根本的な問題提起である。「バナナ魚」とは何か。「サリンジャー」とは何か、という問題提起であり、「サリンジャー現象」とは何か、という問題提起でもある。

私のサリンジャー体験は『フラニーとゾーイ』から始まった。そのことがサリンジャーの作品に対して、かなりバイアスのかかった受容を余儀なくさせてしまったように思う。作品の中で語られる一見宗教的、哲学的な話題を、作品の主題のように受けとめてしまった。だが、繰り返すが、小説は「世態、風俗」をこそ読むべきなのである。「物に即して物を語る」のでなければ、小説を書く意味はないだろう。

 だから、「バナナ魚」は、あくまで「バナナ魚」であって、「あくなき物欲」とか「捨て切れないエゴ」などの抽象的な概念ではない。「バナナを食べる魚」なのである。作品中にそう書かれている。「バナナを食べて、食べ過ぎて穴から出られなくなってしまう」という「悲劇的な運命」をたどる「物」である。シーモアはシビルを連れて海に出て、シビルがそれを見つけたから、ホテルに戻って、自分の部屋で、眠るミュリエルの隣のベッドで「七・六五ミリ口径のオルトギース自動拳銃」を取り出し、「自分の右のこめかみを撃ち抜いた」のだ。

それでは、シビルが見つけた「バナナ魚」という「物」は何の「物」か?これが何か、ををつきとめるのは、実は日本語に訳されたものを読んでいる限り、かなり困難、というか絶望に近いのではないか。日本語の限界なのか、翻訳というものの限界なのか、はたまた翻訳家の問題なのか、私にはわからない。外国語を一対一の対応で日本語に置き換えるという作業は成り立つのだろうか、とさえ思ってしまう。

たとえば、バナナ魚を見つけたシビルにシーモアが接吻する場面、野崎孝さんの訳は、「こら!」とシビルが叫ぶ。シーモアも「そっちこそ、こらだ!」となっている。橋本福夫さんは「いやだわ!」「こっちこそいやだわ、だ!」と訳している。原文は
"Hey!" "Hey,yourself"なのである。私だったら、「やったね!」「そっちこそ、やったよ!」くらいに訳したい。野崎さん、橋本さんは、シーモアがシビルの足に接吻したことに対してのシビルの反応として「いやだわ!」や「こら!」という訳をつけたのだろう。だが、ここは「バナナ魚を見つけた!」という喜びと驚きのニュアンスを大事にしたいところだと思う。

それから、小説の前半、全体の半分以上の分量を占めるミュリエルと母親の会話も、日本語の訳ではたんに通俗的な母親が、繊細な神経をもった青年と結婚した娘を心配している日常的なもののように感じられる。原文でもそうなのだが、それでもどこかニュアンスが違う。そう訳すしかない、とは思うものの、でも、なんとかならないものか、という訳がついている部分が何箇所もある。でも、それは翻訳の問題というより、サリンジャー自身が仕掛けた罠なのだろう。「サリンジャ―」とは何者なのか?

 サリンジャーとは何か、はひとまず置いて、「サリンジャー現象」については、はっきりしている。『ナイン・ストーリーズ』の裏カバーに「九つの『ケッ作』」という表記がされていることに明らかなように、体制に批判的な若者の青春をユーモラスに描いた「アンチ・ヒーロー」の物語であり、純真な子供、ないし子供時代への共感の物語として彼の作品を受け止め、それにたいする讃歌である。だが、ほんとうにそうなのか。『ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールデンは「やせっぽちで、弱虫で、平和主義者」だと自称しているが、同時に「僕は嘘つきで、いくらだって嘘がつけるんだ」とも言っている。私が見る限り、ホールデンは「アンチ・ヒーロー」どころか、まぎれもないヒーローだ。カッコいい、カッコよ過ぎるヒーローなのである。そして、シーモアもまた、まぎれもないヒーローなのだと思う。戦争で神経を病んだ、繊細な若者ではなく。 

 おそらく、サリンジャーは、文字の表面だけを追いかけていたら、必ず彼の仕掛けた罠に嵌まるように、書いたのだろう。特に「日本語」で訳した場合に。そして日本語になった自分の小説が、どのように読まれるか、ずっと関心をもちつづけていたに違いない。彼の「日本」への理解と関心は、たんなる東洋趣味という範疇のものではないように思われる。

 今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

2012年3月26日月曜日

『ナイン・ストーリーズ』という挑戦____片手の鳴る音はいかに

ただいまさびついた英語力でサリンジャーの作品の原文講読中です。日暮れて、道遠し。いつになったら読み終わるのでしょう。でも、原文を読んでいると、日本語訳ではわからなかったことが、あっさりわかってしまうことが多いので、時間はかかっても、とにかく、手に入るものはすべて、原文で読もうと思っています。いまの段階であまり書くこともないのですが、『ナイン・ストーリーズ』について、すでにだいぶ書いたので、それを補筆、訂正というより、もう一段の読み込みをしなければならない、ということだけを改めて確認しておきたいと思います。

 『ナイン・ストーリーズ』の冒頭は
「両手の鳴る音は知る。片手の鳴る音は以下に__禅の公案__」
という文章が掲げられている。これも、念のために原文を(ちょっと煩わしいのだが)確かめてみよう。
We know the sound of two hands clapping.
But what is the sound of one hand clapping?
                      ___A ZEN KOAN

 ほとんど直訳、といってよいかと思うのだけれど、それでもやはり微妙に違うのである。日本語では、「両手の鳴る音」であって、「音」は自然に「鳴る」こともあり得る。だが、サリンジャーはthe sound of two hands clapping と書いている。「二本の手で拍手して」鳴る音、なのである。そして、次にone hand clapping「一本の手で拍手したら」どんな音になるか、と聞いているのだ。いうまでもなく拍手は二本の手でするものだ。一本の手ではできない。それを敢えて聞いているのは、まぎれもなく私たち読者へ挑戦状をつきつけているのだ。『ナイン・ストーリーズ』という「一本の手」で、あなたたちはどんな音を鳴らすのか、と。

 私も一所懸命に「一本の手」で音を鳴らそうとしてきた。だが、音はやはり鳴らなかったのだ。もう「一本の手」がどうしても必要なのだ。もう「一本の手」__『ライ麦畑でつかまえて』という手が。そう、この二冊の本はお互いがお互いを映しあう鏡であり、合わせて音を鳴らす「手」なのである。そして、これらの小説群はどれも、戦車も大砲も登場しないが硝煙のにおいのたちこめる「戦争小説」なのだ。  

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年3月21日水曜日

「バナナ魚には理想的な日」三度______「鏡の中に見るごとく」___サリンジャーとは何か

もうしばらく書かないと言ったのに、また書いてしまう軽挙妄動の私です。でも、このままだと、ブログを読んでくださっている方たちを、半ばミスリードした状態のような気がします。もう少し書いておきたいと思います。

 「グラース・サーガ」と呼ばれる一連の小説を書くにあたって、サリンジャーが拠り所にしたのは、以前にも書いたようにコリント信徒への手紙一の13章いわゆる「愛の讃歌」だと思われる。その中でも特に11節から12節「幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを捨てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔を合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」

 少し長くなったが、サリンジャーの方法論はここにあると思う。「鏡の中に見るごとく」は有名な言葉だが、その意味するところは深い。「シーモア・グラース」の「グラース」はもちろん「鏡」を意味する。私たちは作品を読むとき「シーモアという鏡」の中に事象を見るのである。鏡の中に見る事象はどのように見えるか。

 ところで、平均的な日本人である私は、表題の作品に限らず、サリンジャーの作品すべてを、最初は日本語に訳されたかたちで読む。橋本福夫さんも野崎孝さんもすばらしい訳をつけてくださっているのだが、やはり原文を読まないとどうしても理解できない箇所はいくつかある。だから、私たちは「鏡の中の事象」をさらに「日本語というフィルター」をかけて見ていることになる。せめてそのフィルターだけでもいったん外してみると、「おぼろに映ったもの」はいくらかでも、はっきり見えるようになる。

 それでもきっと私たちは「今は一部しか知らない」のだろう。なんだか聖書の講釈をしているようだが、そうではない。サリンジャーの作品世界の話である。「バナナ魚には理想的な日」に限らず、サリンジャーの小説は三通りの読み方がある。三通りの次元、といったほうがいいのかもしれない。文字で書かれた現実の次元、その下層にある神話的次元(いままでの私の読解はここまでだった)、もっとも深層にある歴史的次元の三つである。私たちがサリンジャーの作品を理解しようと思うなら、目を皿のようにして一字一句見逃さずに文字を追い、そこに神話的次元のメタファーを読み取り、それを媒介にして歴史的次元の事実を見つけ出さなければならない。「もっとグラスを見る」。この小説の中でシビルが最初につぶやく言葉はSee more glassであり、Did you see more glass?なのである。Seymourではなく。

 もう一度コリント信徒への手紙一の13章に戻ろう。続く13節はこうである。「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」_____果たして、サリンジャーは愛を語ったのか?

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年3月20日火曜日

「権力小説としての源氏物語」_____「朧月夜」という存在

「小説」を「読む」と言うことについて考えている。「よむ」の原義は「数を数える」だと聞いたことがある。中国語の「念_nian」英語の「read」の原義は何だろう。いずれにしても、小説は、坪内逍遥が人情に次ぐとした「世態風俗」をこそ「読む」べきなのだろう。

 いつか「権力小説としての源氏物語」を書きたいと思っている。本居宣長という学者が「もののあはれ」という言葉を発明したために、日本の古典文学はかなり偏った受容の歴史がかたちづくられてしまったのではないだろうか。「幽玄」とか「わび、さび」と言う概念もわかったようで、でも、私にはよくわからない。「源氏物語論」などというたいそうなものではなくても、「権力小説」として源氏物語を読み直してみたい、と言う気持ちは以前からあった。サリンジャーを読んでいて、さらにその思いが強くなった。

 といっても、源氏物語の作品中の系図をすべて覚えるだけでも大変で、まとまった論を展開するにはまだかなりの時間を要するので、ここでは、「朧月夜」という女性について少し書いてみたい。朧月夜は、源氏物語に登場する女性たちの中では、なぜか取り上げられることが少ないような気がする。だが、この女性こそ、光源氏の運命を左右する役割を担った存在なのである。

 源氏二十歳、桜の宴が果てて、断ち切れぬ藤壺への思いをしのびながら宮中を歩いていた源氏は、よせばいいのに(原文「なほ、あらじに」)自分の義父のライバルである右大臣家の弘徽殿女御の細殿に立ち寄る。奥の戸が開いていて、「朧月夜に似る物ぞなき」と口ずさむ声がして、若い女が歩いてくる。源氏は強引にその女の袖をとらえて、契りをかわしてしまう。女も「この君なりけり」と源氏であることに気づき、かたくは拒めなかった。だが、彼女は弘徽殿女御の妹の六の君で、尚侍として入内することになっていたのである。

 やがて、このことは弘徽殿女御の知るところとなり、源氏は父の桐壺帝が死ぬと、明石に流されることになる。源氏の配流は、深層では藤壺女御との密通の罪によるものだが、物語の表面では、また現実にも、朧月夜との密会が原因である。そして、その明石の地で、源氏は明石の上と出会い、明石の上に生ませた子を入内させ、栄耀栄華の人生を展開していくのだ。

 朧月夜との交情は、彼女がつかえた朱雀帝の譲位後、復活する。文のやり取りなどしているうちに、源氏はまたしても強引に朧月夜のもとにしのびこんでしまう。嘆きながらも源氏を拒みきれない朧月夜に、源氏は「さればよ。なほ、け近さは」となかば軽蔑しながらも愛を交わすのだ。

 ところで、「昔、藤の宴し給ひし、この頃のことなりけんかし」___源氏と朧月夜の最初の密会は「二月の廿日あまり、南殿の桜の宴せさせ給ふ」とあるのに、ここで「藤の宴」となっているのはどういうことなのか?この後も「この藤よ。いかに染めけん色にか」「沈みしも忘れぬ物を懲りずまに身も投げつべき宿の『藤』波」と藤にこだわるのは、藤壺女御のイメージを朧月夜に重ねているのだろうか?

 ところが、源氏が「かの御心弱さも、すこし軽く思ひなされ給ひけり」とあなどっていた朧月夜は、さっさと出家してしまう。「おぼし捨てつとも、さりがたき御回向の中には、まづこそは」と未練がましい源氏に、朧月夜は「回向には、あまねき方にても、いかがは」とにべもない。源氏はといえば、あろうことか、朧月夜の文を紫の上に見せて「いといたくこそ、はづかしめられけれ」と愚痴をいうのである。

 源氏の運命が暗転していくのが明らかになるのはここからである。朱雀院と藤壺女御の間にできた女三の宮を源氏が正妻に迎え入れてから、源氏の周辺はさざなみが立ち始めるのだが、朧月夜を初めとして、源氏周辺の女性が次々に出家してしまう。源氏がどうしても出家を許さなかった紫の上は衰弱して死んでしまう。正妻として迎え入れた女三の宮は、源氏のライバル右大臣家の御曹司柏木と不倫を犯してしまう。源氏は紫の上を犠牲にしてまで正妻にした女三の宮を出家させざるを得ないばかりか、彼女が生んだ薫君を自分の子として育てなければならない。かつて父桐壺帝が源氏の子と知りながら、冷泉帝を育てたように。

 源氏の運命の節目に登場して、その方向を変える朧月夜は、軽はずみなところもあるが感性豊かで魅力的な女性として描かれている(ように私には思われる)。軽率にみえた身の処し方も、最後はみごとにけじめをつける。源氏物語の中で、私が一番好きな女性だ。だが、ここで私は源氏物語の女性像を評するつもりはない。その女性が源氏物語の中でどのような役割を持つか、についてささやかな考察を試みたのだが、ほんの試論にもなっていない段階である。

 今日も未整理な文章に最後までつきあってくださってありがとうございます。

2012年3月19日月曜日

「みちのくの人形たち」___再び深沢七郎ヘ

サリンジャーを読んでいたら、もう一度深沢七郎を読みたくなった。もともと深沢を読んでいて、サリンジャーに行ったのだが、また戻ってきた。でも、またライ麦畑に戻る予定だけれど。

 以前「みちのくの人形たち」を読んだときは、「楢山節考」「笛吹川」を書いた作家が、なんでこういう小説を書いたのだろう、と納得できなかった。こういう境地に住むならば、小説など書かなくてもいいではないか、と歯がゆい思いだった。いま思うと、浅薄の極みなのだが。

 「そのヒトが私の家に来たのは、日曜日のしずかな午後だった。」とこの小説は始まる。東北から出稼ぎにきているらしいそのヒトは、「もじずり」という山草を「私」の家にもってきて植えたいので土を見に来た、という。結局、「私」の家の土には合わないということだったが、翌年、「私」はそのヒトの誘いに応じて、もじずりを見にそのヒトを訪ねる。

 東北ハイウェイを降りてから、そのヒトの家まで車でたどりつくのは大変だった。土地の言葉がよく聞き取れないので道がわかりにくいのだ。それでも、やっとたどりつくと、まだ若いのに、そのヒトは土地の人から「ダンナ様」と呼ばれていた。「松の木の下枝が傘のようになった根元にあった」もじずりを見せてもらった。ねじれた花茎に小さい蕾が下から咲き始めているその花は、「しのぶもじずり誰ゆえに、乱れそめにし我ならなくに」と歌った「河原左大臣」のように「珍しいばかりでなく高貴な美しさなのだ」と形容される。

 「私」は、そこまで連れてきてくれた知人の息子と別れて、そのヒトの家に泊まることにした。そのヒトは、「私」のこともなぜか「ダンナさま」と呼ぶ。その晩「ダンナさま」と呼ばれるそのヒトの家に青年が屏風を借りにきた。お産に使うという。翌朝、体が弱い老人の「私」はトロッコを用意してもらってその青年の家に行ってみると、そこには線香の匂いがする。生まれてきた子は生かされなかったのだ。そして夕べ青年が借りて行った屏風は逆さになっていた。

「ダンナさま」と呼ばれるそのヒトの家は代々産婆だった。昔は子供が多く生まれたので、どこの家でも間引きをした。そのヒトの家には、間引きの罪を重ねた両腕を切り取ったという先祖の女の人の像が、仏像のように仏壇の奥にまつられてあった。

トロッコに乗せてもらってダンナさまに送られた「私」は、その後土地の人の軽トラを乗り継いで、バスの停まる町に出た。町の土産物売り場をのぞいていた「私」は、そこにある人形が、昨日ダンナさまの家に帰省してきた男女の子たちと同じであることに気がつく。「その表情はなんと霊的なのだろう。あの二人の中学生も、この人形も両腕のないご先祖さまと形も、顔も同じなのだ」

土産物売り場のほうを眺める気力もなくなった「私」はバスに乗って、居眠りをしてしまう。気がついて、前の座席に移動して、「もしや」と思って後ろをふりむくと、乗客の顔が「きちんと並んでいる。突然、私は乗客の頭や顔が、あの土産物売り場の人形に変わった」。「私」は浄瑠璃の「いろは送り」の語りが浮かび、「太棹三味線の音が聞こえて、バスの外の風景はあの屏風の絵の山や森になって人形たちは並んでいる」

 あらすじの紹介が、またしても長くなってしまった。深沢は1980年代前後にたくさん作品を発表している。そのどれもが一筋縄ではいかないもののように思われる。「楢山節考」や「笛吹川」のように本格的な戦争小説__反戦小説と言ってもいいと思うのだが__と読めるものは「風流無譚」の悲劇の後、まったくといっていいほど書かれなくなってしまったので、深沢は「性」と「無常」の世界に逃避してしまったのか、と私は思っていた。だが、この小説の中に、私たちが覗くのは、そんな抽象的もしくは宗教的な「世界の深淵」といったものではない。もっと具体的で現実的な過去から現在への時間そのものである。作中「そのヒト」が「ダンナさま」に変わり、「私」も「ダンナさま」と呼ばれるようになるように、そして花茎をねじらせながら下から咲き続けるもじずりのように、連綿と続く時間そのものを、私たちは見なければいけないのだろう。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年3月18日日曜日

「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」再び___徹底的な読み直し宣言

昨日書いたように、『ナイン・ストーリーズ』と『ライ麦畑で捕まえて』は極めて密接な関係がある。一口に言ってしまえば、これらの作品はサリンジャーみずからがいうように「戦争小説」なのだ。その中で、私は「ド・ドーミエースミスの青の時代」について、完全にサリンジャーの罠に嵌まってしまっていた、と言わざるを得ない。サリンジャーがストレートな作品なんか書くはずがない。「文学は心理学でも精神分析学でも、社会学でもない」なんて、偉そうに啖呵を切っておきながら、自分はこの作品を説教小説のように読んでいたのだ。

 具体的にどう読み直すかは、その読み直した結果を、このブログで書くことができれば、そうしたいと思う。このブログを読んでくださっている方々をミスリードしてしまったのではないかと危惧している。それも、もしかしたら、サリンジャーの意図したところかもしれないが。彼は読者にいつも挑戦状をつきつけているのだ。ひとつひとつが「勝負!」なのである。

 もうひとつ、ことわっておきたいのは「対エスキモー戦争の前夜」の「フランクリン」という名前について、前回ブログに書いたときに、あえて触れなかったが、探検家の「フランクリン」以外に、当時もっと人々の意識にのぼりやすかったのは「フランクリン・ルーズベルト」である。だからあの小説は、「美女と野獣」と「北西航路探検」と「戦争」の話なのだ。「愛らしい口もと、わが眼は緑」についても、「戦争小説」として読み直さなければならない。そして、私が書かなかった「小舟のほとりで」もこのように読まなければならない。「小舟のほとりで」は、正直どう読めばいいのかわからなかった。もしかしたら、この小説が一番難しいのかもしれない。
 
 「サリンジャーについてもう何も書きたくない」なんて書いて、またすぐ書いてしまった。過ちは訂正せねば、というより私はすぐ気が変わるのです。よろしければ、これからもおつきあいください。「勝負!」と挑戦状をつきつけられたら、やっぱり勝ちたいですものね。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年3月17日土曜日

「ライ麦畑でつかまえて」___サリンジャーについてもう何も書きたくない

竹内康浩先生の「ライ麦畑についてもう何も言いたくない」のもじりではない。竹内先生の本は大変興味深く読んだ。先生とは「1946年7月18日」の日付にかんしては、ニアミスくらいに意見の接近があったのだが、でもとても遠く離れてしまった。サリンジャーについて、言いたいことはたくさんあるような気がするが、それは書かないで「読書の楽しみ」として私のなかであたためておこうと思っている。少なくともいまは。

 ただ、何も書かなくなる前に、もう一度「サリンジャー現象」について考えてみたい。前回私は、文学をあのようなかたちで「消費」してしまっていいのだろうか、と疑問を呈した。文学を受容するとき、どのようなしかたが一番「正しい」のか、ということである。それは人それぞれだろう、という答えがすぐに聞こえてくるような気がする。だが、ほんとうにそうなのか。つきつめれば、「文学とは何か」という根源的な問いになる。

 坪内逍遥が「小説の主脳は人情にあり。世態風俗これに次ぐ」と、意識的にミスリードして以来、この国の近代文学の受容は、ずいぶん偏ったありかたになってしまったのではないか。文学は心理学や精神分析学ではない。いうまでもなくオカルトでもない。もちろん社会学でもないけれど、つねに、それが生み出された時代__「時」との緊張関係においてとらえられるべきだ。私自身はまったく社交的な人間ではなく、ひとりでいることが大好きだが、それでも地球上で決して一人では生存できない「ヒト」が「人間」であるために、「ひと」は必ず「社会」の一員として生きなければならない。どのように生きたか、あるいは生きるための葛藤があったか、を書かずにいられないのが文学者だろう。人間が社会的存在でないならば、文学も言葉も何の必要もない。 

 revealと言う言葉がある。隠されていたことがあきらかになる、あきらかにする、と言う意味で、自動詞にも他動詞にも使う。自然にあきらかになれば「啓示」であろうし、努力してあきらかにすれば「啓蒙」であろう。「暴露」という意味もあるが。あきらかにしようとしてあきらかになる、ということが必ずしもhappyとは限らない。無明の闇に沈んだままがよかった、ということもある。ホールデンが西部の町で、唖でつんぼのまねをして森のはずれに小屋を建て住みたいと願ったように、時間も空間も区別のない無明の闇の平和を願う自分が、私のどこかに存在するのではないかと思ったりもする。

 最後に、それでも、やはり、このブログを読んでくださっている方たちに、二つだけ一緒に考えていただきたいと思う。「赤いハンチング」とは何か。「セントラルパークの池の家鴨(と魚)」とは何か。それから、『ナイン・ストーリーズ』の諸作品について、とくに「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」については、もっと考えなくてはいけないことがあるのに気づいた。『ライ麦畑でつかまえて」』と『ナイン・ストーリーズ』は相互補完的な関係にあると思う。サリンジャーの表現はつねに両義的なのだ。

 でも、また書きたくなるかもしれません。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年3月15日木曜日

「ライ麦畑でつかまえて」___戦争の影

前回ペンシー・プレップの創立を「一八八八年」と書いた。野崎孝さんの訳ではそうなっているのだが、講談社英語文庫版では「一八八六年」となっている。おそらくこちらが正しいと思う。サリンジャーが年号や固有名詞を使うときは必ず意味がある。一八八六年はアメリカ独立宣言から百年後で、自由の女神が完成した年であり、アパッチ族が最終的に降伏した年でもある。「イカシタ子がさ、馬に乗ってからに、障害を跳び越えてる写真なんか出しちゃって」る広告を「千ばかしの雑誌に」出している「ペンシー」は、この年に創立されたのだ。

 ホールデンの回想はペンシーが「サクソン・ホール」という高校とフットボールの試合をやった土曜日から始まる。この試合をホールデンは「トムソン・ヒル」の「独立戦争なんかに使ったイカレタ大砲のそばに立って」見ていた。。「サクソン・ホールとの対抗試合はね、ペンシーじゃ重大事件ということになって」いるので、「もしもペンシーが負けたら首でもくくらなきゃならないみたい」なのだ。たんなるフットボールの対抗戦というよりもっと重い響きがあるような書き方である。

 だが、ホールデンはこの試合を「競技場へ降りていかないで」「トムソン・ヒルのてっぺんなんかに突っ立って」見ていた。ゲームに参加することはおろか、観客にすらならないで傍観していたのである。そもそも、自分がフェンシングのチームのマネージャをしていたにもかかわらず、対抗試合に出かける途中の地下鉄の中に用具一式を忘れてしまったので、試合が中止になっったという経緯がある。自分が闘うのが苦手なだけでなく、他人を闘わせることもできないのだ。当然のこととして、帰りの列車の中で村八分にされる。ホールデンは、「ペンシー」という共同体からも、自分がマネージャをしていたフェンシング・チームという共同体からも疎外されるのだ。

ホールデンの回想は、 戦闘行為を想起させるフットボールの試合の場面から始まったが、小説の後半18章では、直接戦争について述べられる。18章では、ホールデンは誰とも会わず、ラジオ・シティの映画館で、クリスマスのステージ・ショーを見た後、戦争中記憶を失った男の映画を見る。それから、戦争について考え始めるのだが、彼は戦地で死ぬことより、「軍隊」に入って生活することが耐えられない、と思う。特に「前の奴の首筋を見て歩く」行軍がいやで、いっそ射撃部隊の前に立たせてもらったほうがいいと言うのだ。そしてこの章の最後では、原子爆弾が発明されてうれしい、と言い、今度戦争があったら、「原子爆弾のてっぺんに乗っかってやる」と「誓ってもいいや」と言うのだ。

 「原子爆弾のてっぺんに乗っかって」という言葉は強烈で、しかも複雑である。ホールデンの弟アリーが「白血病」で死んだのは一九四六年七月十八日と明記されているが、この2日前アメリカは「クロスロード作戦」と呼ばれるビキニでの原爆実験を行っている。そしてアリーが死ぬと、ホールデンが(なぜか)ガレージで寝て、「拳で窓をみんなぶっこわしてやった」とある。「拳で窓をみんなぶっこわす」「原子爆弾のてっぺんに乗っか」るという行為は、たんに自己破壊を意味するだけのものだろうか。とくに後者は、いうまでもなくハルマゲドンを想起させるものだが、同時に「雲の上に乗ったイエス」____イエスの再臨__のイメージをも喚起するのではないか。

 そう考えると、ホールデンがニューヨークで買った「赤いハンチング」とは何か。これは「フェンシングの剣やなんかをみんな失くしちまったことに気がついたすぐ後」買ったものだ。「フェンシングの剣やなんかをみんな失くしちま」う____これは「武器よさらば」ではないか。第18章でホールデンは「武器よさらば」のことを「あんなインチキ本」と言っているが、それでもD・Bに「読ませられた」とある。しかしホールデンは、フェンシングの剣は失くしたが、それに代わる「人間を射つ」もの(これは武器だろう)としてハンチングをかぶるのだ、とアクリーに説明している。小説の最後のほうで、ホールデンがフィービーに赤いハンチングを投げつけられ「死にそうになった」と言う場面があるが、「死にそう」はたんなる比喩だろうか。

 ホールデンが「死にそう」になるのは、この他二か所あって、いずれも「首の骨を折りそう」になる場面だ。それについても考えてみたいのだが、長くなるので、今日はここまでにしたい。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年3月13日火曜日

「ライ麦畑でつかまえて」____死への誘惑

いまさらあらすじを書く必要もないと思われるくらい有名な小説である。こんな難しい作品がどうしてそんなに読まれたのか、というより流行ったのか不思議なのだけれど。過去何回か起きた「ライ麦畑でつかまえて」現象というものを振り返ると、文学作品の受容ということについて考えざるを得ない。文学はあのようなかたちで「消費」されていいのだろうか。これはサリンジャーの問題ではなく、私たちの問題なのだが。

 「母に捧ぐ」と冒頭に掲げられたこの小説は「去年のクリスマスの頃にへばっちゃって」「西部の町なんかに来て静養」中だという「僕」が「兄貴のD・Bに話したことの焼き直し」を話し始めるという書き出しで始まる。主人公の「僕」十六歳のホールデンは「一八八八年の創立以来、常に頭脳明晰にして優秀なる青年を養成してきた」ペンシーというプレップスクールを退学になる。クリスマス休暇を目前に寮を脱け出した「僕」は、ニューヨークのあちこちを遍歴し、最後に自宅にしのび込み、妹のフィービーに会う。妹にお金を借りて、いったんはかつての高校の教師のもとで夜を明かそうとするが、そこにも居られず、結局は家に戻ることになる。

 例によってサリンジャーはさまざまな「罠」を仕掛けているので、あらすじを紹介してもあまり意味がないかもしれない。余談だが、この小説を読んでいて、『ナイン・ストーリーズ』の中の「エズミに捧ぐ」の謎が一つ解けたような気がする。あるいは、謎が一つ増えた、といおうか。それはともかく、というかそれと関連して、というか、この小説の隠されたプロットの一つで、たぶん一番大きなものは「子殺し」_死への誘惑だろう。サリンジャーは、主人公のホールデンが「パパに殺される!」とフィービーに何度も言わせている。ホールデン自身同部屋のストラドレーターに殴られて血まみれの姿で寮を脱け出すのだが、その寮はストラドレーターに「ここはまるで死体置場みたいじゃないか」と言われる場所である。葬儀屋をしている卒業生が多額の寄付をして建設され、その名がついた棟なのだ。そしてストラドレーターの吹く口笛は『十番街の虐殺』である。小説の最後の部分、精神に異常をきたし始めたホールデンが行きずりの子どもを案内していった先が博物館のミイラのある場所だった。「そこはなにしろ落ちついて静かで、気持ちがよかった」のだ。

 雪が降って、白一色の「死体置場」から、血まみれの主人公は赤いハンチングをかぶって脱出する。隣の部屋のアクリーに「おれの郷里のほうじゃな、そんな帽子は鹿射ちにかぶるんだぜ」といわれて「こいつは人間射ちの帽子さ」と答えた赤いハンチングは何の象徴だろうか。いったんはフィービーに渡したその赤いハンチングをかぶって、降りだした雨にずぶ濡れになりながら、「僕」はフィービーが回転木馬に乗ってぐるぐる回りつづけるのを見て、「大声で叫びたいくらい」幸福な気持ちになる。「ブルーのオーバーやなんかを着て、ぐるぐる、ぐるぐる、まわり続けてる姿が、無性にきれいに見えた」____はたして死は克服できたのだろうか。  

 主人公ホールデンの象徴性に満ちた個々の遍歴のエピソードおよびフィービーの存在と役割についてはまた触れるとして、最後に、これは「誰に向けて語られたのか」という問題を提起したい。小説の最後の部分で「大勢の人に話したのを、後悔してるんだ」とある。「大勢の人」とは誰なのか。何のために「大勢の人」に話したのか。「誰にもなんにも話さないほうがいいぜ。話せば、話に出てきた連中が現に身辺にいないのが、物足りなくなって来るんだから。」というラストの言葉は、語られた事柄がはるか昔の別世界の出来事のように響いてくるのだが。  

 これもまた未整理のnoteです。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年3月7日水曜日

「テディ」その2___テディとは何か

この小説のストーリーは単純である。十歳の天才少年テディが海を渡って、イギリスの大学でインタビューを受け、家族とともにアメリカに戻る途中の船の中で、妹に水の入っていないプールに突き落とされて死ぬ(たぶん)。そして、テディはそのことを予見していた、という。一見単純なストーリーだが、実はいくつものプロットが複雑に絡み合っていて、さりげない描写の暗示する深層の事柄を読み解くのは、まさにトランプの神経衰弱のような作業が必要だ。いまの段階では、まだ全部のカードがぴったり揃えられたとはとても言えないのだが。

 物語はテディがグラッドストーンの旅行鞄の上に乗って、舷窓から身を乗り出して外を見ているところから始まる。朝もう早くない時間だというのに、両親はなぜかほとんど裸でベッドの中だ。テディの風体は異様だ。素足に汚れたバスケット・シューズ、大きすぎる半ズボン、肩のところに穴のあいたTシャツ、黒い鰐皮のベルトだけが立派だった。髪の毛がひどくのびて「特に首すじのところなど、すぐにも鋏を入れたいくらい」。だが、「淡い鳶色の目で心もち藪睨み」ではあるが「これこそほんとうに美しい顔」で、「句切りながら言う一つ一つの言いまわしが、何というか、小型にしたウィスキーの海にすっぽりと浸された小さな古代の島といった感じ」と形容される。テディの言葉にはまったく関心がなさそうな両親だが、母親は、十時半に水泳の練習があるので、遊びに出ている妹のブーパーを探して連れてくるようにと言い、父親もテディがブーパーに持たせたカメラを すぐさま返すように命じる。

  船室を出たテディは、「白い糊のきいた制服を着た金髪の大柄な女」に左手で頭の天辺を撫でられたり、美貌の海軍少尉に言葉遊びのゲームの始まる時間を聞いたりしながら、聖ジョージが竜を退治している壁画の描かれた階段を上がって、妹を運動用甲板で見つける。そこは「日当たりのよい開墾地というか、まるで森の中の空き地」のような場所で、妹はそこでマイロンという男の子を傍らに、赤と黒のデッキ・ゴルフの円盤を積み上げていた。そして「あたしがいるのは二人の巨人だけ」で「二人であきるまで双六をやって、あきたらあそこの煙突に登って、みんなにこいつをぶつけて、みんな殺してしまうんだ」と「物知り顔に言」うのである。

 「兄さんなんか大嫌い!この海にいる人はみんな嫌い」とブーパーに悪態をつかれながら、何とか彼女の首にカメラを吊るし、船室に戻るよう言い含めたテディは、運動用甲板の下の日光浴甲板のデッキ・チェアに座って、手帳を取り出し、昨日自分で書いた文を注意深く読み直すと、今度はあらたに書き始める。日付は一九五二年十月二十七日、二十八日である。その様子を上の運動用甲板から見ていた青年が、下に降りてきて、テディに話しかける。「腿のところが並外れて太く」長い肢をもったニコルソンと名のるその青年は、テディが手帳に書きこんでいる様子を「まさに若きトロイの戦士のように颯爽と書きまくっていた」と「物語でも語って聞かせるように言いだした」。そして、テディとニコルソンはさまざまな問答をする。

 存在と認識についてニコルソンと問答するうち、テディはあり得る話として、この後自分が妹に水の入っていないプールに突き落とされるかもしれない、と言う。そして、それは悲劇的なことではない、夢の中で悲しいことがあっても、目が覚めれば、大丈夫であるのと同じことだと言う。そう言って、テディはニコルソンと別れた。その一分半後にプールから幼い女の子の遠くまで鋭く響く悲鳴が聞こえた。

 あらすじの紹介にずいぶん字数を費やしてしまったので、隠されたプロットについては、私が見つけられたものをいくつか挙げておこうと思う。もっとも深層にあるのは、「聖ジョージの竜退治」のプロットであろう。ただし、「聖ジョージ」と「竜」は実は同じ象徴で表わされる。また、明らかにそれとわかる記述で語られているのは、巨人伝説および巨岩伝説である。それと関連してトロイの戦士の伝承も切り離せない。作中テディの言葉として、ヴェーダンタの輪廻について説かれるが、これは比喩ではなく直接真理として呈示される。輪廻の「輪」がこの小説のキーワードだと思われる。テディとは何か、いう問いの答えは、輪廻の「輪」であり、それを具象化する生物なのだ、とひとまず仮定してもそれほど的を外れてはいないように思う。

 ナイン・ストーリーズの中で、この作品が一番難関でした。最後の結末をどう読むかによって、作品の解釈が正反対になってしまうからです。サリンジャーはここでもルール違反ぎりぎりの手法をとっている、と思えてしかたがないのです。はたしてテディは、みずから予見した死を従容とうけいれたのでしょうか。 

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。

2012年3月6日火曜日

「テディ」その1___テディは超能力者か

これも難解な小説である。だが、超常現象をあつかった作品ではない。例によって、いくつもの隠されたプロットを組み合わせて、読む者が神経衰弱になりそうな細工をこらしている。そのプロットとは何かを考える前に、テディという少年が、はたして超常能力をもつ人間として描かれているのか、ということを考えてみたい。

 小説の後半で、ニコルソンという青年の問いかけに答えて、テディは自分の前世を語る。自分は霊的にかなり進んだ人間だったが、一人の女性とめぐり会い、瞑想をやめた。その女性とめぐり会ったことで、もう一度この世に戻り、アメリカ人の肉体に生まれ変わることになった、と言う。前世についての意識、感覚というものは、テディに限らず、誰でも子どものころにもっていたのではないだろうか。私自身も小学校にあがる頃まで、しきりに自分の前世について考えていた記憶がある。それがどんなものだったか、というよりただ「前世」そのものを意識にのぼらせていたように思う。

 小説の前半で、海に浮かんだオレンジの皮についても、テディが言っていることとまったく同じことを私も考えていた。テディは、自分がオレンジの皮を見なければ、それがそこにあるということを知らない、知らなければ、存在するということさえ言えなくなる、と言う。私は小、中、高校と電車通学をしていたのだが、車窓の景色がどんどん変わっていくのをつり革につかまりながら眺めて、私が見ている景色、というより景色の中に存在するすべてのものは、私が見なくなっても存在するのだろうか、という感覚を覚えることがあった。中学生になってからもその感覚は残っていた。年配の国語の先生が、何かの授業で「あなた方の中で『存在の不思議』について考えたことのある人はいませんか」と聞かれて、もしかしたら、これがその「存在の不思議」とやらではないか、と思ったことがある。なぜか、答えるのが恥ずかしくて、黙って下を向いていたのだけれど。  

 つまり、十歳の少年として、テディは当たり前の能力を失わないでもっていた、ということなのだ。六歳のときに「すべてが神だ」と知って神の毛が逆立った、四歳の時は有限界から脱け出した、と言うのは彼の認識にかんすることで、もしかしたら私たちも子どものころはそういう認識をもち得たのかもしれない。大人になるということは、感覚、意識、認識がどんどん鈍くなっていくということなのだろう。「死んだら身体から跳び出せばいい。それだけのことだよ。誰しも何千回何万回とやってきたことじゃないか」という認識も特別なものではない。深沢七郎も「笛吹川」などで、登場人物の共通認識としてごく普通に書いている。深沢の小説の中では、昨日死んだ子どもが今日は別の家に赤ん坊となって生まれる、と誰もが当たり前に信じている。

 それでは、テディが死を予見できた、ということはどう考えればいいのか。厳密には、「予見」でなくて「予測」だろうが。彼は、最初に両親がいる船室から出ていくときに「このドアから出てしまうと、後はもうぼくはぼくを知っている人たちの頭の中にしか存在しなくなるかもしれない」と言っている。両親はそれに気づく気配もない。彼は、サン・デッキで日記を書いている最中に話しかけてきたニコルソンには、直後に起こり得る自らの死について詳しく語っている。だが、ニコルソンもまた起こりうるかもしれない事態そのものには関心がなさそうだ。そして、事態は可能性から現実になった、と思われる。もしかしたら、そうではなかったかもしれないのだが。

 なぜ彼が自分の死を予見できたのか、あるいは死ななければならなかったのか、を考えるには、幾層にも重ねられた隠されたプロットを見つけださなければならないのだろう。はたして、それができるかどうかわからないのだが、もう少し時間をかけてこの小説を詠みこんでみたいと思う。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。

2012年3月2日金曜日

「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」__自意識と救い

これはサリンジャーには珍しくストレートな作品のように思われる。いまは三十を過ぎたと思われる「わたし」が十代の終わりか二十歳そこそこのときに経験した出来事を回想する。語り口は軽妙で、読んでいて思わず笑ってしまう。ただし、あまりにも可笑しくて、その自意識が痛々しくもあるのだけれど。そういえば、いま手元にある新潮文庫の『ナイン・スートーリーズ』のカヴァーの裏に「九つのケッ作からなる自選短編集」とある。なぜ「傑作」でなく「ケッ作」なのか。吉本のバラエティ番組ではないのだ。サリンジャーに失礼であろう。語り口は嗜虐的、というより自虐的だが、これはまともな「傑作」である。

 主人公の「わたし」は、亡くなった母親の再婚相手つまり継父とともに、十年ぶりにフランスからニューヨークに戻ってくる。十年前には感じなかった孤独が「わたし」を襲う。「わたし」には居場所がない。購読していたフランス語の新聞で〈古典巨匠の友〉と言う美術の通信講座の講師募集をみつけた「わたし」は、早速応募する。帰国の船中で「自分が気味が悪いほどエル・グレコに似ていることに注目し続けた」「わたし」は年齢を十歳ちかくも偽り、風刺画で有名な「オノレ・ドーミエ」を大叔父にもつ「ジャン・ド・ドーミエ」と名のって採用される。

 口髭まで生やして精いっぱいめかしこんだ「わたし」は〈古典巨匠の友〉のあるカナダのモントリオールに行く。だが、〈古典巨匠の友〉はモントリオールのちっぽけな三階建てのアパートの二階で、出迎えた校長の〈東京帝室美術院〉前会員のヨショトという男も貧相な小男だった。仕事は郵送されてくる絵の添削指導である。だが、どれもこれも「わたし」のプライドを傷つけ、意気阻喪させるような作品ばかりで、慣れない食事と粗末な部屋の生活に我慢の限界を超えようとしたとき、手にしたのが修道女の絵だった。キリストが埋葬される場面を描いたその絵と、作者の「シスター・アーマ」に興味を覚えた「わたし」は、懇切丁寧な添削に加えて、「小包みたいな手紙を書いた」。

 シスター・アーマとの出会いだけを希望のよすがに、苦痛極まりない仕事に取り組んでいた「わたし」にヨショト氏が修道院の院長からの手紙を渡す。それはシスター・アーマの勉学の許可を取り消すというものだった。打ちのめされた「わたし」はいやいやながら添削指導を受け持っていた他の四人の生徒に「才能がないから絵画きになることは断念するように」とフランス語で書いた手紙を投函する。シスター・アーマにもまた長い手紙を書いて、「タキシードを着こんで」一流のホテルに予約を入れ、外出する。だが、途中で以前「『コニー・アイランド風』特大ホットドックを四本と泥水みたいな色のコーヒーを三杯」食べたスナックで「スープとロールパンとブラックのコーヒー」ですませ、ホテルの予約はキャンセルしてしまう。そして、シスター・アーマへの手紙を書き直すために学校に戻ろうとする。

 語り手が「異常な経験」と呼ぶ奇跡が起こったのは、その途中薄明るい夜九時半ごろだった。学校の建物の一階は整形外科の医療器具を売る店で、昨日は誰もいなかったショー・ウインドウの中に三十がらみの女の人がいて、マネキンの脱腸帯を取り替えているところだった。彼女はガラスの外で覗いている「わたし」に気がついて狼狽し、転んでしまう。だがすぐ立ち上がってまた取り落とした脱腸帯をしめ直す。「経験」が起こったのはそのときである。「突然太陽が現れて、わたしの鼻柱めがけて、秒速九千三百マイルの速度で飛んで来た。わたしは目がくらみ、ひどくおびえて__ウインドウのガラスに片手をついてようやく身体を支えた」

 これはまさしく使徒言行録九章の「パウロの回心」だ。ダマスコへの道でイエスはパウロに現れる。彼以外のひとにイエスの姿は見えないが、「突然、天からの光」が彼の周りを照らし、彼はイエスの言葉を聞く。そしてパウロは起き上がっても目が見えず、三日間何も食しなかった。「わたし」がその異常な「経験」をしたのは数秒のことだった。だが、「わたし」は部屋に戻ると、シスター・アーマへ手紙をだすことはやめ、絵画きを断念するよう言い渡したた四人には復学するように手紙を書いた。「今度の手紙はひとりでに筆が動いてゆくような感じだった」  

 愛していた母は亡くなり、継父とともに半ば異国のようなアメリカに戻ってホテル暮らしの「わたし」は、「おのれの手に触れるものが片端から孤独の結晶に変じるのを発見」する。過剰な自意識と背中合わせの孤独だ。年齢を偽り、道化となって美術講師を演じるものの、疎外感はどうしようもない。「おれは一介の訪問客、琺瑯引きのし瓶や便器の花が咲きほこり、目の見えぬ木製のマネキン人形の神が、値下げの札のついた脱腸帯をしめて立っている花園を訪れた一介の訪問客に過ぎぬではないか」という疎外感がシスター・アーマを偶像にまつりあげたのだ。その「わたし」が救われたのは、「わたし」がなんらかの努力をしたからではない。まったく一方的にそれは起こったのである。それが起こったのはほんの数秒のことだったが、「ふたたび目が見えるようになったとき、ウインドウの中にはすでに女性の姿はなく、後には二重の祝福を受けた世にも美しい琺瑯の花の花園が微かな光を放っていた」 

 「エズミに捧ぐ」の中で「愛する力を持たぬ苦しみが地獄である」と書いたサリンジャーは、この小説の中では「愛する対象をもつことができない」疎外という現実に、道化として立ち向かおうとして空回りする人間を描いた。その道化が、道化の衣装を脱ぎ捨てて、「タキシードを着こんで」正装して世の中に打って出る決意をかためたとき、「異常な経験」は起こった。そして「わたし」はもう一度日常の世界に入っていった。「良かれ悪しかれ、シスター・アーマにはその後二度と連絡しなかった」偶像はもう必要なかったのである。

 未整理な読書感想文以前の文章です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。