今日はサリンジャーの小説の登場人物の名前について考えることで、難解極まりない「対エスキモー戦争の前夜」を読んでみたい。サリンジャーの小説は「ミュリエル」「シビル・カーペンター」「エロイーズ」そしてもちろん「シーモア・グラース」と、作中の役割を象徴する名前がつけられている。
まず、主人公の少女「ジニー・マノックス」。ジニーはいうまでもなくヴァージニアの愛称であるが、マノックスとは何か。これはエスペラント語で「手」を意味する「MANO]とラテン語で「絆」の意の「NEXUS」だそうである。それから、セリーヌの兄「フランクリン」_これはファーストネームだろうか。作中この名で呼ばれるのは、彼を訪れたエリックが「フランクリンを見かけなかった?」と聞く場面だけである。その他は、常に「セリーヌの兄」と呼ばれる。おそらくこの「フランクリン」は北大西洋航路を探検したジョン・フランクリンを連想させる役割をもつものだろう。ジニーの姉が「ジョーン」というのは偶然だろうか。この小説の隠されたもうひとつのプロットは、フランクリン隊の北大西洋航路の探検ではないだろうか。
「指の野郎を切っちまってさ」と部屋にとびこんできたフランクリンはジニーに彼女も指を切ったことがあるかとたずねる。その様子は「まるで前人未踏の境地に一人踏み込んで行く孤独から、彼女の同伴を得て救われたいと願っているようだ」と書かれる。また、「おれ、出血多量で死にそうなんだ。君、その辺にいてくれよ。輸血してもらわなきゃなんないかも」という彼の言葉は、フランクリン隊の隊員の多くが壊血病にかかって死んでいったことを連想させる。オハイオの飛行機工場で働いていた「三十七ヵ月」は、フランクリンの第一回の探検が1819年から1822年の3年間だったことに対応しているようだ。この探検で隊員八人が餓死、一件の殺人、人肉食も指摘されているという事実が、彼の「おれは彼女(ジョーン)に八遍も手紙を書いた。八遍だぜ。なのに彼女は一遍だって返事をよこさなかった」という言葉に関係があるのだろうか。彼の様子を見まもっていたジニーが突然「触っちゃダメ」と叫ぶのはどんな場面が生じたからか。
「さて、着替えでもするか。・・・チェッ!ベルが鳴りやがった。じゃあな」と言って「姿を消した」フランクリンと入れ替わりに部屋に入ってきたエリックもまた飛行機工場で「何年も何年も」働いていた。エリックは、なぜ軍隊に行かなかったのか。「エリック」という名前は何を意味するのか。
まだ解けない謎はいくつもあって、そもそも題名の「対エスキモー戦争の前夜」とは何か。それから、最後の「数年前、復活祭の贈り物にもらったひよこが、屑籠の底に敷いた鋸屑の上で死んでいるのを見つけたときにも、捨てるのに三日もかかったジニーであった」という怖ろしい一文をどう読めばいいのか。疑問はつきないのですが、今日はひとまず、ここまでにします。
というのは、今朝の新聞で光市の母子殺人事件の死刑が確定した、という報道を読んで、心が波立って、続きをまとめることができなさそうだからです。。「罪なき者まず石を打て」でも触れたように、法の厳罰化、とくに少年法のそれがすすんでいることを憂えてきました。報道によれば、犯行時少年だった被告に死刑が適用されるのは、永山則夫以来六人目だそうです。今回は実名報道もされました。賛否両論ある今回の判決確定だと思いますが、私は「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである」というマタイによる福音書7章冒頭の一節を、自戒の言葉としてかみしめたいと思います。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
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