2012年1月30日月曜日

「家にてもたゆたふ命。波の上に浮きてし居れば、奥処(おくか)しらずも」___存在の不安

以前二か所に家を持っていて、その間を行き来する生活をしていたことがあった。一つは一か月に一度くらいの割合で風を通しに帰る程度だったが、庭が割合広かったので、家庭菜園などしていた。優雅な生活といえなくもなかったが、一年くらいして、貸家にしてしまった。貸家にした理由は、経済的なこともあったが、それよりも二つの家を行き来することが、私の気分を不安定にしたからだった。いつか曽野綾子さんが書いていたのだが、女には二種類あって、「家事女」とそうでない女がいるそうだ。私は間違いなく「家事女」で掃除、洗濯、簡単な食事つくり(大量に食べるので、ほとんど手作りです)をしていれば、それだけで満ち足りた日常を送ることができる。家は、私にとってそういう自分のエロスをみたす空間なので、それが二つに分離しているのは、とても落ち着きが悪いのだ。どちらの家にいてももう片方の家が気になってしまう。魂が二つの家の間を揺れ動いているようだった。

 表題の歌は萬葉集巻十七大伴旅人のけん従の歌。旅人が任地大宰府から都へ上る船の旅の途中で詠んだもの。折口信夫は「萬葉集中第一の傑作」と激賞した。
「家にてもたゆたふ命」_男にとっては家にあっても、魂は落ち着くことがないのだろうか。まして、危険な海の旅では、魂はどこまで浮遊していくのだろう。

 日本の歌のなかで、最も早く「文学を発見」したのは羈旅歌_旅の歌だったと折口はいう。道中通過する土地の神に挨拶の儀礼として地名を詠みこむ歌を奉げ、土地の神を慰撫したのである。
「ともしびの 明石大門にいらむ日や。こぎ別れなむ家のあたり見ず 柿本人麻呂」
だが、古代の旅の厳しさは、たんなる挨拶儀礼をこえて、自分一個の生存の不安をみつめる歌をうみだす。
「いづくにか 吾は宿らむ。高島の勝野の原に この日暮れなば 高市黒人」
しかし、黒人の歌は、まだ必ず地名を詠みこんでいて、羈旅歌として形式を保っている。それにたいして、「家にても」の歌には、地名も固有名詞もない。不安心理の内省は抽象化、観念化の域に達している。どちらが優れているかということではない。文学が共同体の儀礼から展開していく過程を示しているということだろう。そしてこの歌はそこから一気に存在の原点に到達してしまったように思われる。

 萬葉集中で、もう一つ同じように生存の不安を見つめた歌がある。
「うらさぶる心さまねし。ひさかたの天(あめ)の時雨の流らふ。見れば 長田王」

 このところ身辺雑用が続いております。書く時間も読む時間もなかなかとれないのですが、できる限り書いていきたいと思っています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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