2012年1月23日月曜日

「ぶどう園と農夫___悪しき農夫のたとえ」___イエスは誰に語ったのか

ヨハネを除くすべての福音記者が伝える「ぶどう園と農夫のたとえ」について書くことには葛藤がある。これはたとえ話なのだから、このたとえ話から、何を読み取るかが大事なので、物語の内容にいちいちこだわることは、躓きの石です、という声が聞こえてくるような気がする。

 それぞれの福音記者の叙述には、細部で微妙な違いがあるが、ここでは、最も早く書かれたと思われるマルコによる福音書の記述を紹介しよう。ユダヤの祭司長、律法学者、長老たちと「権威についての問答」をした後、次のように「イエスはたとえで彼らに語った」。

 ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して旅に出た。収穫の時になったので、僕を農夫のところに送ったが、農夫たちはこの僕を袋叩きにして、何も持たせずに帰した。また僕を送ったが農夫たちは頭を殴り、侮辱した。更にまた送ったが、今度は殺した。そのほかに多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。最後に「わたしの息子なら敬ってくれるだろう」と愛する息子を送ったが、農夫たちは『これは跡取りだから、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる』と捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった。ぶどう園の主人は、戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。

 ここで農夫にたとえられているのは、いうまでもなく祭司長以下のユダヤ支配層である。ぶどう園に送られてきた僕は旧約の世界に登場する預言者たちだ。あなた方は、預言者たちの言葉を聞かず、かたくなで、その存在を抹殺してきた。最後に送られて来た神の子も殺して、すべてを手に入れようとしている。イエスの批判は鋭い。そして、現実にその通りになったので、このたとえ話は無理なく受け入れられてしまう。少なくとも「聖書」の世界のなかでは。

 では、この話を、現実の「農夫」と呼ばれている人たちに語ったら、どうなるだろう。「そうです。収穫物はご主人のものですから、きちんとご主人に渡します。私たちは、その分け前をいただければありがたいのです」となるだろうか。もちろん、現実には、農夫たちは分配に口を出す権利などもつはずもない。そういう社会のなかで、このたとえ話は語られたのだ。分配に口を出す権利などなく、そんなことが考えられもしなかった社会でも、権利、義務などの観念でなく、実際の生活のひっ迫から農民が立ち上がることはあっただろう。だが、ぶどう園の「労働者」に対してあれほど共感を寄せていたイエスは、ここでは、「農夫」に一片の同情もない。遠く離れた所に住む大土地所有者がまったくの不労所得を搾取する、という当時の現実を無条件に肯定したうえで、この「たとえ話」を語っているのだ。

 福音記者たちは、イエスはこのたとえ話を、イエスを陥れようとしているユダヤ支配層に向けて語ったと記している。おそらく実際そうだったのだろう。彼らは神の国を管理する義務を負っていて、忠実に実行しなければならないのに、それを怠り、腐敗しているという事実を激しく糾弾したのだ。だが、この話は、「聖書」の中で「悪しき『農夫』のたとえ」として定着してしまったことで、さまざま問題をはらんでしまったのではないか。まず、第一に、これを「たとえ話」として読む私たちは、無意識のうちに、自分をぶどう園の主人と主人が遣わした僕の側においている。農夫すなわちイエスから糾弾されるユダヤ支配層の側ではない。そうだろうか。私たちは、彼らとどれほどの違いがあるのか。また、たとえ話とはいえ、農民が領主に反抗することは、無条件に悪である、としたことで、「この世の秩序には従順でありなさい。その上で、心のなかに信仰をたもちましょう」という方向付けがなされたのではないか。このたとえ話のすぐ後に、ヨハネ以外の福音記者すべてが、「カイザルのものはカイザルへ」というイエスの言葉を記録しているのは偶然ではないだろう。

 福音記者たちは、このたとえ話を締めくくるイエスの言葉として「聖書にこう書いてあるのを読んだだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』」と記す。だが、私は、おそらくイエスがこのたとえ話を構築する際に土台としたイザヤ書5章と合わせて、この話を読むべきだと思う。
「わたしは歌おう、わたしの愛する者のために そのぶどう畑の愛の歌を」とはじまるこの詩は
「よいぶどうが実るのを待った。しかし実ったのは酸っぱいぶどうであった。さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。」と展開し
「災いだ、家に家を連ね、畑に畑を加える者は。お前たちは余地を残さぬまでに この地を独り占めにしている」と現実の大土地所有者を弾劾している。民族を滅亡に至らせるものは、彼らの腐敗、不正なのだ、と。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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